辰刻の雫 ~蒼い月~ 第203回
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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~ 第203回
翌日も声のよく通る文官の進行で言祝ぎが始まった。 今日も知っている者は一人もいなかった。
衣裳は昨日と同じく一日で二回着替えた。 今日も舞台の上で合計三着を着たことになる。 今日の最後には可愛らしい赤色が無くなり落ち着いた赤色となり、新しく青系の色が加わっていた。
昨日と同じ刻限に杠が訪ねてきて、少しは落ち着いていた紫揺の様子を見ると安心したように部屋を出て行った。
「杠殿、お待ちくださいませ」
紅香が襖から出てきて杠を止める。
「はい」
「夕べのことで御座いますが、いったい紫さまに何が御座いましたのでしょう?」
昨日はあまりのことに眉をピクピク・・・いや、驚いたし、杠の言うように紫揺の目を冷やすのが何よりも先決だった。 杠を止めて訊くことなど出来なかった。
紅香たちが心配するのは分かる。 それにそれは紫揺に付く者の任でもある。 だが話せることではない。
あの時は四人の耳があるからもっとぼやかして言いたかったが、紫揺を治めるにあの言い方しかなかった。
「紫揺・・・紫さまをご心配されるのは尤もでしょう。 ですが紫さまだけの問題では御座いませんので、どうぞご勘弁を。 明日も参ります、夕べのようなことの無いよう気を配りますので」
そう言って頭を下げられてしまった。 紫揺だけの問題であれば問いただすところだが、昨日の杠の話ではマツリや尾能の名前まで出ていた。
仕方がない。
「承知いたしました。 くれぐれも紫さまのことをお頼み申し上げます」
「ご配慮、痛み入ります」
紅香が戻って来て首を振る。 それだけで意味が分かる。
紫揺を寝台に入れると「お休みなさいませ」と言って四人が紫揺の部屋を出た。 そっと襖を閉め、そそくさと回廊を歩く。
そろそろいいかと彩楓が口を開く。
「何と仰ってたの?」 杠は。
「紫さまだけの問題ではないから、どうぞご勘弁をって。 明日もこられて、夕べのようなことの無いよう気を配りますと仰ったわ」
「いったい何があったのかしら」
「昨日の早朝、杠殿が宮に戻って来られたと思っていたけれど、あのお話のしようでは、早朝ではなく、夜に戻って来られていたようね」
「そうね」
「何があったのかしら」
自分達が夕べ紫揺を寝かせた後に・・・そして朝を迎える前に。
マツリの名が出るのはともかく尾能の名まで出るとは。
「尾能殿に訊いても口が堅いわよね」 杠と同じく。
「これがリツソ様なら簡単なのに」
「そうよね」
“最高か” と丹和歌の声はするが、世和歌の声がしない。
「世和歌? どうしたの?」
なにかを考えていた様子を見せていた世和歌が三人の顔を見る。
「あれからリツソ様が来られていないわ」
「あ? ええ、そうね」
「勉学に励んでいらっしゃるって聞いたわよ?」
「姉さん、それがどうしたの?」
「あの時のリツソ様を思い出してみて。 それに何かあったのは婚姻の儀が始まる前日」
「何が言いたいの?」
「丹和歌、分からない?」
「待って、世和歌、それはもしかして・・・」
「え? 嘘でしょ!」
「え? 待って! 何なの? 何を言ってるの姉さん?」
「丹和歌、リツソ様よ」
「え?」
「私たちが紫さまのお部屋から出た後、リツソ様が紫さまのお部屋に来られたのかもしれないということよ」
「・・・え!?」
あの時のリツソを思い出す。 有り得なくはない。
恋愛トンチキの世和歌だがこんなところは鋭いようである。
「以前、尾能殿が紫さまに四方様の従者をお付けしていたでしょう?」
「ええ」
「あんなことがあったのよ、リツソ様が紫さまをマツリ様の御内儀様と認められないと仰ったことが。 尾能殿のこと、すぐに耳に入れられておられたはず。 どこかであのリツソ様を見られて、リツソ様か紫さまに従者をお付けしたのではないかしら」
「尾能殿が紫さまをお守りしていたって言うこと?」
「考えられるでしょう?」
言われてみればそうだ、丹和歌が慎重に頷く。
「そこに杠殿が偶然かどうか、いらしたということね」
「ええ、そうだと思うの」
そうだろう、今の自分たちの知る範囲ではそれしか考えられない。
杠は紫揺に安心するようにと言っていた。 何も案じることは無いとも。 ことは治まったのかもしれない。
「それに紫さまが、泣いていなかったかと杠殿に訊かれたわ」
“泣く” そのワードはリツソに当てはまる。
いくら事が治まったかもしれないといっても万が一がある、リツソから紫揺を守らなければ。 四人の拳が握られた。
そして三日目。 今日で言祝ぎが終わる。 一度目の着替えを終わらせたすぐ後に南の領土の者たちが言祝ぎに現れた。
「此度は誠にお目出とう御座います」
「南の領主さん、遠路、有難う御座います」
真丈からは “ありがとう” と言うだけで良いと言われていた。 それは “御座います” を付けないようにという意味でもあった。 今までは頑張って “御座います” を付けなかったが、身に付いているものは仕方がない。 ついうっかり出てしまう。
「驚きました・・・あっと、これは失礼なことを」
「そうですよ、領主」
異(い)なる双眸を持つ青色と赤色の瞳を持つシャダンと、もう一人の異なる双眸を持つ薄い黄色と黒の瞳を持つメイワ、そして黄色の双眸を持つジェイカが、マツリに言祝ぎを終わらせ、領主を押しのけて紫揺の前に来た。
「紫さま、お目出とう御座います」
「シャダン、メイワ、ジェイカ!」
「あら、覚えていてくれたのね、嬉しいわ。 紫さま、お目出とう御座います」
「領主も言ったけどホントにびっくりしちゃったわ、あの時にはそんなことを言ってなかったのに。 でも何よりね、お目出とう御座います」
「有難う。 シキ様の婚姻の儀以来ですもんね。 あの時にはこんな風になるとは思ってもいませんでした」
「あら、そうだったの?」
「はい。 どっちかって言うと喧嘩ばかりして全然でしたから」
三人が目を合わせて笑い出した。
「紫らしいわ」
「え? そうですか? あれからメイワとジェイカは五色が生まれたんですか?」
「残念ながらよ」
「ええ、シャダンだけね」
「そうなんだ・・・」
「だからまだまだ五色として働かなくっちゃいけないわ」
コホンとわざとらしい咳が聞こえた。 南の領土の ”古の力を持つ者” である。
三人がペロッと舌を出すと「紫さま、またお話しましょうね」と言い残し東の領主と此之葉の元に移動をした。
南の領土の ”古の力を持つ者” からも言祝ぎをもらい、また知らない人たちが続いたが、南の領土の五色と話せたことは大きかった。 笑顔が自然に出てくるようになる。
二度目の衣装を変えた。 これで衣裳替えは終わりである。 最終の色合いは紫揺の名にちなんだのか、紫系の濃紺色に差し色が赤色で仕上がっていた。 紫揺にしてはかなり大人っぽい色合わせであった。 そして毎回着替える度に髪飾りも紅もさしかえていたが、どれも大人っぽい色合わせとなっていた。
衣裳替えを終わらせ、またもや知らない人達から首を捻ねられ言祝ぎを受けていたが、暫くして北の領土の領主代理であるセノギとセッカが現れた。
「しゆ・・・・紫さま」
「セノギさん!」
「領主から聞かされた時には驚きました。 お目出とう御座います。 ニョゼも喜んでおります」
「有難うございます。 ニョゼさんはお元気ですか?」
「はい」
二人の間にセッカが入ってきた。
「紫さま、お目出とう御座います」
「セッカさん、有難うございます。 その、あの時には逃げ出してごめんなさい」
「まぁ、もうそんなことは忘れて下さいな。 こちらが悪かったのですから。 せっかくの祝いの席で御座いますわ。 マツリ様とお幸せになって下さい」
「はい」
こんな風に会えるなんて思ってもみなかった。 トウオウのことを思いだし、鼻の奥がツンとする。
「きっとニョゼも今ごろは赤子を抱いて言祝いでおりますわ」
「え?」
「女子(にょご)を生みましたの、ね、セノギ」
「わ、お目出とう御座います!」
「これは・・・紫さまのお祝いの時に。 勿体ないお言葉を頂き、有難うございます」
「紫さまも本領の方になられたのですから、いつでも北の領土に入れますのでしょう? いつでもニョゼに会いに来てやってくださいませ」
「あ・・・はい!」
ニョゼに会える。
「きっとニョゼも喜びますわ」
東の領主がちらりと横目でセノギを見た。 シキの婚姻の儀で会っていて、その顔とどの領土の人間かを知っている。
「領主」
領主と同じくセノギを知っている此之葉が窘(たしな)めるようにそっと領主を呼ぶ。
「分かっておる」
セッカがチラリと東の領主を見た。
「お子を楽しみにしておりますわね。 それではムロイに代わって謝罪をして参りますわ」
セッカが東の領主の元に足を向けた。
「紫さま、どうぞいつまでもお幸せに。 いつでもニョゼに会いに来てやってください」
「はい」
セッカの言葉が気になり領主とセッカを見ていると、頭を下げるセッカを静かに領主が受けていた。
シキの婚姻の儀のおりには領主代理のセノギが謝ったが、五色であり北の領主であるムロイの嫁が頭を下げた方が重いだろう。
それを東の領主が受けた。
これでやっと終わったのだろう。 いや、終わらさなければいけない。 長かった北と東の領土の確執を。
目を正面に戻す。
「いっ!」
知らない間にアマフウに睨まれていた。
「い・・・とはどういうことかしら?」
「あ、いえ、特に意味は・・・」
今にも北風が舞いそうだ。
「アナタ・・・」
そこまで言って瞼を半分下げた。 そして手を繋いでいる小さな手を目に映すと、ゆっくりと瞼を上げる。
馬車の中・・・come back・・・。 紫揺の顔が引きつる。
するとアマフウが意外なことを言ってきた。
「紫さまを初めて見た後、トウオウが爺に何を言ったか。 トウオウから聞かれました?」
紫揺をアナタではなく、紫さまと呼び、尚且つ、敬語。 紫揺をマツリの御内儀様として扱ったということ。 それはそれで嬉しいがコワイ。 アマフウの変わりようにただ首を振ることしか出来ない。 髪飾りがシャランシャランと鳴る。
短髪の紫揺の髪に無理くり付けた髪飾り、余裕などない。 陰から見ていた女官が首を振るなじっとしていろ、などと念じていることなどは紫揺は知らない。
アマフウは何が言いたいのだろうか、トウオウが何と言っていたのだろうか。 ようやく紫揺の首が止まった。
「リリース」
「・・・え?」
「トウオウは紫さまを北から逃がすつもりでした」
「トウオウさん、が・・・?」
「ご婚姻おめでとうございます。 羽音? こちらが紫さまよ」
「あ・・・」
薄い黄色の瞳。 それは・・・。
トウオウ。
目の前に座る紫揺の目から次々と涙が零れている。 その意味が分からない。 どうしたらいいのだろうか。
羽音にアマフウが優しく微笑む。
「トウオウのことは知ってるでしょう?」
「はい」
永遠の眠りにつく前に会った。 優しくあとを継ぐ五色と認めてくれた。
「今ね、トウオウからの言祝ぎを言ったの。 だから次は羽音が言祝ぐのよ」
様子がおかしいと気付いた女官がすぐに手巾を持って紫揺の後ろから差し出す。
「北の領土五色の羽音と申します。 紫さま、お目出とう御座います。 いついつまでもマツリ様とお幸せに」
アマフウが羽音と名乗る少女の手を握っている。 あのアマフウが。 そして少女はトウオウの跡を継ぐ者。 きっとアマフウがこの少女を、羽音を大切にしているのだろう。 まだ言祝ぎなど知らない年齢。 きっとアマフウが教えたのだろう。
ゴシゴシと手巾で涙を拭く。
その拭き方に女官が卒倒しそうになった。
今の時代のようにマスカラを付けていたらどんな顔になったか分かったものではない。 おしろいだけで済んで良かった。
「ありがとう。 トウオウさんのように人に添える五色になってね」
「はい!」
アマフウに手を引かれ、羽音が東の領主の元に移動すると紫揺の前にキノラが現れた。
「お目出とう御座います、紫さま」
「あ、有難うございます」
「五色としてはもうお目覚めに?」
「はい。 その節はご指導有難うございました」
「まぁ、もう本領の、マツリ様の御内儀様ですのよ? もっと堂々とされませんと」
「はい。 でもあの時キノラさん達が仰って下さっていたことがよく分かりました。 力のあることを自覚しなくては先には進めませんでした」
大事子と言われた時もそうだった。 マツリに言われてすぐに自覚が出来なかった。
キノラが首を振る。
「紫さまは東の領土の紫さま、そして今は本領の御内儀様。 出過ぎたことを申しました。 いつまでもお幸せに」
「有難うございます」
キノラが目の前から去って行くと、次にセイハが現れた。
「セイハさん」
「意外だったって言うか、考えもしなかった」
マツリとのことである。
「あ、私も」
「なにそれ? 当事者がそんなこと言うの?」
「何がどう転ぶか分からないなって」
日本でない所で結婚をして、何度もお色直しをして、こんなに盛大な結婚式を挙げるなんて、考えもしなかったのだから。
「ま、とにかく御目出とう。 さっきのキノラとの話からすれば自覚が出来たみたいだから力も出せるんでしょ?」
「はい」
「はい、か。 堂々と言ってくれちゃって」
「セイハさん?」
「こんなこと言いたくはないんだけど、私の力、衰えてたの」
「え?」
「今は修行してるわ」
「修行?」
「そっ、力の修行。 まだまだ大きくは領土の役に立ててないけどね」
紫揺が微笑んだ。
「大きいも小さいもありません。 セイハさんが力の修行と思うのなら、そうなのでしょう、ですが結果的に民の役に立っています。 民の喜ぶ顔が見られることが何よりです」
「ぷぷ、シユラったら五色みたい」
「五色ですから」
「何言ってんの、婚姻の儀が整ったら、五色の前に御内儀様だよ? そこんとこ自覚してる?」
「はい」
セイハが影の無い笑みを紫揺に送る。
「そっか。 じゃ、紫さま、お目出とう御座います」
「セイハさん・・・有難うございます」
セイハのあとには知らない者たちの言祝ぎが続き「ありがとう」だけを言っていた。
結局言祝ぎをもらい、心から喜べたのは南と北の領土の人間からだけだった。
今日は昨日一昨日より終わりを告げる声が遅かった。 全員からの言祝ぎが終わらなければいけないのだから当然のことである。
ようやく部屋に戻ると、シャダンたちやセノギやセッカたちに会えたのが嬉しかったようで、この二日間のように着替えさせられている間に寝台に倒れ込むことは無かった。
夕餉を食べ湯浴みを終えると今日も杠が来た。
「今日は元気そうだな、少しは慣れたのか?」
初日だけのつもりだったが、初日の紫揺の様子を見て放っておけるものではなかった。 紫揺の前の椅子に座る。
「今日は知ってる人が来てくれたの、南と北の領土の人達」
「そうか、それで元気なんだな。 良かったな」
知らない者たちに言祝がれても嬉しくも楽しくもなかったのだろう。
「元気そうで安心した。 明日からは来られないが大丈夫だな?」
「え? どうして? 婚姻の儀の間は居てくれるんでしょ?」
「ああ、居るよ。 ちゃんと紫揺が馬車で出る時には見送るし、戻ってきた時には迎える。 明日のことを女官殿から聞いていないか?」
「・・・あ」
そうだった。
「でも・・・」
「でもも何もないぞ? 明日になれば紫揺は晴れて御内儀様だろ?」
夜中には闇に浮かぶ月明かりの中、月の雫と言われる水をいただき、早朝には祭壇のようなものがしつらわれている建物に入り、初代領主への婚姻の誓いという儀式が執り行われる。 午後には陵墓に足を運び代々の領主に報告をする。
月の雫をいただきマツリの正式な内儀となる。
そして明日の夜からは紫揺の部屋にマツリが来る。
もう己の出る幕ではない。 紫揺の頭を撫でてやると椅子から立ち上がった。
「明日は今までのように座って言祝ぎを受けるだけではないだろう? しっかりと疲れを取っておけよ」
「杠・・・」
「そんな顔をしてどうするんだ? ん? マツリ様を困らせるんじゃないぞ?」
これから三辰刻(さんしんこく:六時間)もしない内に月の雫の儀式がある。 それまで紫揺の身体を休ませたい。 早々に紫揺の部屋を出た。
今夜も呑みに誘われている。 それも月の雫の儀式が終わってからと。 だが今日が最後だろう。
杠が出て行くと月の雫の儀式のことがある。 杠が考えたように “最高か” と “庭の世話か” も紫揺をゆっくりと休ませたいと思っている。 床に入るよう促したかったが、どうやら思いにふけりたいようだ。 身体を休めさせることより今はそっとしておく方が良いかと、椅子に座りじっとしている紫揺を置いて、そっと四人が襖戸から出て回廊に座した。
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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~ 第203回
翌日も声のよく通る文官の進行で言祝ぎが始まった。 今日も知っている者は一人もいなかった。
衣裳は昨日と同じく一日で二回着替えた。 今日も舞台の上で合計三着を着たことになる。 今日の最後には可愛らしい赤色が無くなり落ち着いた赤色となり、新しく青系の色が加わっていた。
昨日と同じ刻限に杠が訪ねてきて、少しは落ち着いていた紫揺の様子を見ると安心したように部屋を出て行った。
「杠殿、お待ちくださいませ」
紅香が襖から出てきて杠を止める。
「はい」
「夕べのことで御座いますが、いったい紫さまに何が御座いましたのでしょう?」
昨日はあまりのことに眉をピクピク・・・いや、驚いたし、杠の言うように紫揺の目を冷やすのが何よりも先決だった。 杠を止めて訊くことなど出来なかった。
紅香たちが心配するのは分かる。 それにそれは紫揺に付く者の任でもある。 だが話せることではない。
あの時は四人の耳があるからもっとぼやかして言いたかったが、紫揺を治めるにあの言い方しかなかった。
「紫揺・・・紫さまをご心配されるのは尤もでしょう。 ですが紫さまだけの問題では御座いませんので、どうぞご勘弁を。 明日も参ります、夕べのようなことの無いよう気を配りますので」
そう言って頭を下げられてしまった。 紫揺だけの問題であれば問いただすところだが、昨日の杠の話ではマツリや尾能の名前まで出ていた。
仕方がない。
「承知いたしました。 くれぐれも紫さまのことをお頼み申し上げます」
「ご配慮、痛み入ります」
紅香が戻って来て首を振る。 それだけで意味が分かる。
紫揺を寝台に入れると「お休みなさいませ」と言って四人が紫揺の部屋を出た。 そっと襖を閉め、そそくさと回廊を歩く。
そろそろいいかと彩楓が口を開く。
「何と仰ってたの?」 杠は。
「紫さまだけの問題ではないから、どうぞご勘弁をって。 明日もこられて、夕べのようなことの無いよう気を配りますと仰ったわ」
「いったい何があったのかしら」
「昨日の早朝、杠殿が宮に戻って来られたと思っていたけれど、あのお話のしようでは、早朝ではなく、夜に戻って来られていたようね」
「そうね」
「何があったのかしら」
自分達が夕べ紫揺を寝かせた後に・・・そして朝を迎える前に。
マツリの名が出るのはともかく尾能の名まで出るとは。
「尾能殿に訊いても口が堅いわよね」 杠と同じく。
「これがリツソ様なら簡単なのに」
「そうよね」
“最高か” と丹和歌の声はするが、世和歌の声がしない。
「世和歌? どうしたの?」
なにかを考えていた様子を見せていた世和歌が三人の顔を見る。
「あれからリツソ様が来られていないわ」
「あ? ええ、そうね」
「勉学に励んでいらっしゃるって聞いたわよ?」
「姉さん、それがどうしたの?」
「あの時のリツソ様を思い出してみて。 それに何かあったのは婚姻の儀が始まる前日」
「何が言いたいの?」
「丹和歌、分からない?」
「待って、世和歌、それはもしかして・・・」
「え? 嘘でしょ!」
「え? 待って! 何なの? 何を言ってるの姉さん?」
「丹和歌、リツソ様よ」
「え?」
「私たちが紫さまのお部屋から出た後、リツソ様が紫さまのお部屋に来られたのかもしれないということよ」
「・・・え!?」
あの時のリツソを思い出す。 有り得なくはない。
恋愛トンチキの世和歌だがこんなところは鋭いようである。
「以前、尾能殿が紫さまに四方様の従者をお付けしていたでしょう?」
「ええ」
「あんなことがあったのよ、リツソ様が紫さまをマツリ様の御内儀様と認められないと仰ったことが。 尾能殿のこと、すぐに耳に入れられておられたはず。 どこかであのリツソ様を見られて、リツソ様か紫さまに従者をお付けしたのではないかしら」
「尾能殿が紫さまをお守りしていたって言うこと?」
「考えられるでしょう?」
言われてみればそうだ、丹和歌が慎重に頷く。
「そこに杠殿が偶然かどうか、いらしたということね」
「ええ、そうだと思うの」
そうだろう、今の自分たちの知る範囲ではそれしか考えられない。
杠は紫揺に安心するようにと言っていた。 何も案じることは無いとも。 ことは治まったのかもしれない。
「それに紫さまが、泣いていなかったかと杠殿に訊かれたわ」
“泣く” そのワードはリツソに当てはまる。
いくら事が治まったかもしれないといっても万が一がある、リツソから紫揺を守らなければ。 四人の拳が握られた。
そして三日目。 今日で言祝ぎが終わる。 一度目の着替えを終わらせたすぐ後に南の領土の者たちが言祝ぎに現れた。
「此度は誠にお目出とう御座います」
「南の領主さん、遠路、有難う御座います」
真丈からは “ありがとう” と言うだけで良いと言われていた。 それは “御座います” を付けないようにという意味でもあった。 今までは頑張って “御座います” を付けなかったが、身に付いているものは仕方がない。 ついうっかり出てしまう。
「驚きました・・・あっと、これは失礼なことを」
「そうですよ、領主」
異(い)なる双眸を持つ青色と赤色の瞳を持つシャダンと、もう一人の異なる双眸を持つ薄い黄色と黒の瞳を持つメイワ、そして黄色の双眸を持つジェイカが、マツリに言祝ぎを終わらせ、領主を押しのけて紫揺の前に来た。
「紫さま、お目出とう御座います」
「シャダン、メイワ、ジェイカ!」
「あら、覚えていてくれたのね、嬉しいわ。 紫さま、お目出とう御座います」
「領主も言ったけどホントにびっくりしちゃったわ、あの時にはそんなことを言ってなかったのに。 でも何よりね、お目出とう御座います」
「有難う。 シキ様の婚姻の儀以来ですもんね。 あの時にはこんな風になるとは思ってもいませんでした」
「あら、そうだったの?」
「はい。 どっちかって言うと喧嘩ばかりして全然でしたから」
三人が目を合わせて笑い出した。
「紫らしいわ」
「え? そうですか? あれからメイワとジェイカは五色が生まれたんですか?」
「残念ながらよ」
「ええ、シャダンだけね」
「そうなんだ・・・」
「だからまだまだ五色として働かなくっちゃいけないわ」
コホンとわざとらしい咳が聞こえた。 南の領土の ”古の力を持つ者” である。
三人がペロッと舌を出すと「紫さま、またお話しましょうね」と言い残し東の領主と此之葉の元に移動をした。
南の領土の ”古の力を持つ者” からも言祝ぎをもらい、また知らない人たちが続いたが、南の領土の五色と話せたことは大きかった。 笑顔が自然に出てくるようになる。
二度目の衣装を変えた。 これで衣裳替えは終わりである。 最終の色合いは紫揺の名にちなんだのか、紫系の濃紺色に差し色が赤色で仕上がっていた。 紫揺にしてはかなり大人っぽい色合わせであった。 そして毎回着替える度に髪飾りも紅もさしかえていたが、どれも大人っぽい色合わせとなっていた。
衣裳替えを終わらせ、またもや知らない人達から首を捻ねられ言祝ぎを受けていたが、暫くして北の領土の領主代理であるセノギとセッカが現れた。
「しゆ・・・・紫さま」
「セノギさん!」
「領主から聞かされた時には驚きました。 お目出とう御座います。 ニョゼも喜んでおります」
「有難うございます。 ニョゼさんはお元気ですか?」
「はい」
二人の間にセッカが入ってきた。
「紫さま、お目出とう御座います」
「セッカさん、有難うございます。 その、あの時には逃げ出してごめんなさい」
「まぁ、もうそんなことは忘れて下さいな。 こちらが悪かったのですから。 せっかくの祝いの席で御座いますわ。 マツリ様とお幸せになって下さい」
「はい」
こんな風に会えるなんて思ってもみなかった。 トウオウのことを思いだし、鼻の奥がツンとする。
「きっとニョゼも今ごろは赤子を抱いて言祝いでおりますわ」
「え?」
「女子(にょご)を生みましたの、ね、セノギ」
「わ、お目出とう御座います!」
「これは・・・紫さまのお祝いの時に。 勿体ないお言葉を頂き、有難うございます」
「紫さまも本領の方になられたのですから、いつでも北の領土に入れますのでしょう? いつでもニョゼに会いに来てやってくださいませ」
「あ・・・はい!」
ニョゼに会える。
「きっとニョゼも喜びますわ」
東の領主がちらりと横目でセノギを見た。 シキの婚姻の儀で会っていて、その顔とどの領土の人間かを知っている。
「領主」
領主と同じくセノギを知っている此之葉が窘(たしな)めるようにそっと領主を呼ぶ。
「分かっておる」
セッカがチラリと東の領主を見た。
「お子を楽しみにしておりますわね。 それではムロイに代わって謝罪をして参りますわ」
セッカが東の領主の元に足を向けた。
「紫さま、どうぞいつまでもお幸せに。 いつでもニョゼに会いに来てやってください」
「はい」
セッカの言葉が気になり領主とセッカを見ていると、頭を下げるセッカを静かに領主が受けていた。
シキの婚姻の儀のおりには領主代理のセノギが謝ったが、五色であり北の領主であるムロイの嫁が頭を下げた方が重いだろう。
それを東の領主が受けた。
これでやっと終わったのだろう。 いや、終わらさなければいけない。 長かった北と東の領土の確執を。
目を正面に戻す。
「いっ!」
知らない間にアマフウに睨まれていた。
「い・・・とはどういうことかしら?」
「あ、いえ、特に意味は・・・」
今にも北風が舞いそうだ。
「アナタ・・・」
そこまで言って瞼を半分下げた。 そして手を繋いでいる小さな手を目に映すと、ゆっくりと瞼を上げる。
馬車の中・・・come back・・・。 紫揺の顔が引きつる。
するとアマフウが意外なことを言ってきた。
「紫さまを初めて見た後、トウオウが爺に何を言ったか。 トウオウから聞かれました?」
紫揺をアナタではなく、紫さまと呼び、尚且つ、敬語。 紫揺をマツリの御内儀様として扱ったということ。 それはそれで嬉しいがコワイ。 アマフウの変わりようにただ首を振ることしか出来ない。 髪飾りがシャランシャランと鳴る。
短髪の紫揺の髪に無理くり付けた髪飾り、余裕などない。 陰から見ていた女官が首を振るなじっとしていろ、などと念じていることなどは紫揺は知らない。
アマフウは何が言いたいのだろうか、トウオウが何と言っていたのだろうか。 ようやく紫揺の首が止まった。
「リリース」
「・・・え?」
「トウオウは紫さまを北から逃がすつもりでした」
「トウオウさん、が・・・?」
「ご婚姻おめでとうございます。 羽音? こちらが紫さまよ」
「あ・・・」
薄い黄色の瞳。 それは・・・。
トウオウ。
目の前に座る紫揺の目から次々と涙が零れている。 その意味が分からない。 どうしたらいいのだろうか。
羽音にアマフウが優しく微笑む。
「トウオウのことは知ってるでしょう?」
「はい」
永遠の眠りにつく前に会った。 優しくあとを継ぐ五色と認めてくれた。
「今ね、トウオウからの言祝ぎを言ったの。 だから次は羽音が言祝ぐのよ」
様子がおかしいと気付いた女官がすぐに手巾を持って紫揺の後ろから差し出す。
「北の領土五色の羽音と申します。 紫さま、お目出とう御座います。 いついつまでもマツリ様とお幸せに」
アマフウが羽音と名乗る少女の手を握っている。 あのアマフウが。 そして少女はトウオウの跡を継ぐ者。 きっとアマフウがこの少女を、羽音を大切にしているのだろう。 まだ言祝ぎなど知らない年齢。 きっとアマフウが教えたのだろう。
ゴシゴシと手巾で涙を拭く。
その拭き方に女官が卒倒しそうになった。
今の時代のようにマスカラを付けていたらどんな顔になったか分かったものではない。 おしろいだけで済んで良かった。
「ありがとう。 トウオウさんのように人に添える五色になってね」
「はい!」
アマフウに手を引かれ、羽音が東の領主の元に移動すると紫揺の前にキノラが現れた。
「お目出とう御座います、紫さま」
「あ、有難うございます」
「五色としてはもうお目覚めに?」
「はい。 その節はご指導有難うございました」
「まぁ、もう本領の、マツリ様の御内儀様ですのよ? もっと堂々とされませんと」
「はい。 でもあの時キノラさん達が仰って下さっていたことがよく分かりました。 力のあることを自覚しなくては先には進めませんでした」
大事子と言われた時もそうだった。 マツリに言われてすぐに自覚が出来なかった。
キノラが首を振る。
「紫さまは東の領土の紫さま、そして今は本領の御内儀様。 出過ぎたことを申しました。 いつまでもお幸せに」
「有難うございます」
キノラが目の前から去って行くと、次にセイハが現れた。
「セイハさん」
「意外だったって言うか、考えもしなかった」
マツリとのことである。
「あ、私も」
「なにそれ? 当事者がそんなこと言うの?」
「何がどう転ぶか分からないなって」
日本でない所で結婚をして、何度もお色直しをして、こんなに盛大な結婚式を挙げるなんて、考えもしなかったのだから。
「ま、とにかく御目出とう。 さっきのキノラとの話からすれば自覚が出来たみたいだから力も出せるんでしょ?」
「はい」
「はい、か。 堂々と言ってくれちゃって」
「セイハさん?」
「こんなこと言いたくはないんだけど、私の力、衰えてたの」
「え?」
「今は修行してるわ」
「修行?」
「そっ、力の修行。 まだまだ大きくは領土の役に立ててないけどね」
紫揺が微笑んだ。
「大きいも小さいもありません。 セイハさんが力の修行と思うのなら、そうなのでしょう、ですが結果的に民の役に立っています。 民の喜ぶ顔が見られることが何よりです」
「ぷぷ、シユラったら五色みたい」
「五色ですから」
「何言ってんの、婚姻の儀が整ったら、五色の前に御内儀様だよ? そこんとこ自覚してる?」
「はい」
セイハが影の無い笑みを紫揺に送る。
「そっか。 じゃ、紫さま、お目出とう御座います」
「セイハさん・・・有難うございます」
セイハのあとには知らない者たちの言祝ぎが続き「ありがとう」だけを言っていた。
結局言祝ぎをもらい、心から喜べたのは南と北の領土の人間からだけだった。
今日は昨日一昨日より終わりを告げる声が遅かった。 全員からの言祝ぎが終わらなければいけないのだから当然のことである。
ようやく部屋に戻ると、シャダンたちやセノギやセッカたちに会えたのが嬉しかったようで、この二日間のように着替えさせられている間に寝台に倒れ込むことは無かった。
夕餉を食べ湯浴みを終えると今日も杠が来た。
「今日は元気そうだな、少しは慣れたのか?」
初日だけのつもりだったが、初日の紫揺の様子を見て放っておけるものではなかった。 紫揺の前の椅子に座る。
「今日は知ってる人が来てくれたの、南と北の領土の人達」
「そうか、それで元気なんだな。 良かったな」
知らない者たちに言祝がれても嬉しくも楽しくもなかったのだろう。
「元気そうで安心した。 明日からは来られないが大丈夫だな?」
「え? どうして? 婚姻の儀の間は居てくれるんでしょ?」
「ああ、居るよ。 ちゃんと紫揺が馬車で出る時には見送るし、戻ってきた時には迎える。 明日のことを女官殿から聞いていないか?」
「・・・あ」
そうだった。
「でも・・・」
「でもも何もないぞ? 明日になれば紫揺は晴れて御内儀様だろ?」
夜中には闇に浮かぶ月明かりの中、月の雫と言われる水をいただき、早朝には祭壇のようなものがしつらわれている建物に入り、初代領主への婚姻の誓いという儀式が執り行われる。 午後には陵墓に足を運び代々の領主に報告をする。
月の雫をいただきマツリの正式な内儀となる。
そして明日の夜からは紫揺の部屋にマツリが来る。
もう己の出る幕ではない。 紫揺の頭を撫でてやると椅子から立ち上がった。
「明日は今までのように座って言祝ぎを受けるだけではないだろう? しっかりと疲れを取っておけよ」
「杠・・・」
「そんな顔をしてどうするんだ? ん? マツリ様を困らせるんじゃないぞ?」
これから三辰刻(さんしんこく:六時間)もしない内に月の雫の儀式がある。 それまで紫揺の身体を休ませたい。 早々に紫揺の部屋を出た。
今夜も呑みに誘われている。 それも月の雫の儀式が終わってからと。 だが今日が最後だろう。
杠が出て行くと月の雫の儀式のことがある。 杠が考えたように “最高か” と “庭の世話か” も紫揺をゆっくりと休ませたいと思っている。 床に入るよう促したかったが、どうやら思いにふけりたいようだ。 身体を休めさせることより今はそっとしておく方が良いかと、椅子に座りじっとしている紫揺を置いて、そっと四人が襖戸から出て回廊に座した。