ハラカルラ 第17回

大福りす
『ハラカルラ 目次


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ハラカルラ    第17回




ライが水の世界に入った。

「水無瀬はどこに・・・」

キツネ面を付けたライが水無瀬が居なくなっただろう方向をじっと見ると、姿が見えないことを確認し、三百六十度をぐるりと見まわすが岩という障害物が無いわけではない、簡単には見つからないようである。

「走るしかないかな・・・」

あまり水の中で走ることはしたくない。 水の中ではゆっくりとしなければ水がおかしな動きをしてしまう。
もう一度、水無瀬が居なくなっただろう方向に身体を向け凝視する。 何かが動いた。

「うん? 水無瀬か?」

姿が見えなければ走り回って探すしかないと思ったが、合っているかどうかは分からないにしろ目的先が出来たのだ、水をザワつかせないようにゆっくりと歩きだす。


「ここは・・・」

岩、イソギンチャク、貝、エビ。 揺れる藻。 その藻の中で泳いでいる小さな魚。 ウミガメと同じ形をした亀が悠々と泳いでいる。 目の前を泳いでいく鯛くらいの大きさの魚が口角を上げながら水無瀬を見ていく。
視覚的には見えていただけの水の世界とそう変わらないが、それでも肌で感じるものがある。 水が肌に触れている。 水道水でもカルキの入ったプールの水でも海水でもない。 優しく包まれるような・・・水。

もしもっとこの水を表す言葉があるのならば、水という言葉は当てはまらない。 だが残念ながらそんな言葉を知らないし、そんな言葉は存在しないだろう。

「・・・声が出せる」

声が出せるし息も出来る。 見えていただけの時と同じ。 ライもそう言っていた。

「あ・・・でもちょっと色が濃いかな」

見えていただけの水の世界と “そう” 変わらないと思っていた “そう” が何なのかに気付いた。 色だ。 ほんの僅かだが、こちらの方が色が濃く見えるように感じる。 それだけに全体を見るとはっきりと見えるという感じがするが、見えていただけの時にぼやけていると感じたことは無かった。

長が問題があれば水がおかしな流れをすると言っていた。 その問題というものがどんなものかは分からないが、ここを乱すようなことと理解するとすれば精神的なことはもちろんだが、少なくとも水の流れを乱すような動きはご法度だろう。

「歩いても大丈夫かな」

このままじっとしていても退屈とは感じないだろうし、ゆっくりしていたいともどこかで感じさせる。 だが今はここの様子を見ておきたいという気持ちの方が勝ってしまっている。

恐る恐るという風に一歩を出した。 全くではないが水の抵抗があまり感じられない。 二歩三歩と出していく。
プールなどの水中で歩くといい運動になるというが、それは水の抵抗があるから。 その観点からするとここはあまりいい運動にはならないようである。 だが身体の重さは感じない。 そこのところは単純に水中と同じと考えていいだろう。

「あ」

余所見をしていたから小さな石に躓いた。 身体が前に前傾していく。 こけないようにと足を前に出そうとして気付いた。
ゆっくりと身体が前傾していた。 まるで水の抵抗を受けているかのように。
足を前に出して前傾してきた身体を受ける。 足は何の抵抗もなく前に出すことが出来た。

「いったい、どうなってるんだ・・・」

呆然と立ち尽くす水無瀬の手に何かが触れた。 見てみると二十センチほどの長方形に丸みを帯びさせた形をした魚が水無瀬の手を突いている。

「餌と間違ってるのか?」

魚が水無瀬を見ている。 まるで自分に気付いてくれたというように。 そして水無瀬の顔の前まで泳いできて口角を上げた。
ゴクリと音がするほど水無瀬が唾を飲み込んだ。
魚が水無瀬の前をゆっくりと泳いでいく。 少し泳いだかと思うと戻って来て、また水無瀬の顔の前にやって来て目を合わせてくる。
それを二度繰り返した。

「ついて来いってことか?」

少し前方でこちらを向き止まっている魚に近づくと、魚が向きを変えて泳いでいく。

「ついて行っていいのか・・・?」

迷子になったらという心配ではない。 無暗にこの中を歩いて荒したくないという思いがあってのことだった。
魚はゆっくりと泳いでいる。 水無瀬もそれに従ってゆっくりと歩いて行く。


「うーん、やっぱり水無瀬だよなー」

最初は大きな岩陰で見つけられなかったが、岩陰から出てきたのは間違いなく水無瀬だった。 だがその水無瀬が確かな足取りで歩いている。 初めて来た水の世界だというのに迷うことなく歩いているのが気にかかる。

「ライ、何だ? その面は」

足元から声がかかった。

「あれ? まだ居たの?」

キツネ面を付けた男が岩を背に座り込んでいる。 互いに面を付けていても誰かは分かるし、ライなど特徴的な髪形をしているのだからすぐに分かる。
山中での時、あの時に負傷者がかなり出たが、殆どが完治とまではいかないが、水無瀬が村に入ってきたことを知らず昨日ここから引き上げて来ていた。 スマホは使えないのだから一切の連絡は遮断されている。

「いやぁー、クナイを面に打ち込まれちゃって。 ただ今面は負傷中」

競争と言って相手をおちょくっていた時だった。 飛んでくるクナイの気配を感じ振り向いた途端だった、クナイが面の左顎部分に飛んできた。 あの時振り向かなければ、完全に頭に刺さっていた。

「負傷中って、お前。 ちゃんと修理に出せよ」

まさか割れているとは思ってもいない。

「まぁ、ね。 で? まだ治んないの?」

「言ってくれるなよ、あいつら思いっきりやりやがった」

見てみると、太腿が切られたようだ。 大腿動脈(だいたいどうみゃく)がやられたのだろう。 横には太腿を縛っていただろう血のついた布が置かれているが、どこまで切られているのか分からない。 筋肉の切断も大きくあるだろう。

「あったー、痛そう」

「まだ暫くかかりそうだ、あっちの様子はどうだ?」

「あ、気にしなくていい。 水無瀬は昨日村に来た、仮だけどな。 で、今はここに入ってる」

「ここに?」

「うん、ってんで、水無瀬が迷子になったら大変だから行くわ。 ゆっくり養生すればいいからな。 あ、と。 この不浄は持って帰っておく」

横に置かれていた血のついた布を手に取ると、水無瀬を見つけそちらに歩いて行った。


水無瀬が魚に従って歩くようになってからは、魚は一度も向きをかえなかった。 水無瀬を呼ぶような仕草は見せなかったということである。

(ついて行っていいんだよな?)

魚とお友達になったことは無いし魚の思考回路などは知らない。
距離にしてどれくらい歩いただろうか、かなり歩いたつもりだが、歩調がゆっくりというところがあるし何故か疲れてもいない。 それに初めての場所を歩くと時間を長く感じるということもある。 かなり歩いたつもりと言ってもそんなに歩いていないのかもしれない。
目の前にそそり立つ大きな岩が現れた。 前を泳いでいた魚が上昇していく。

「え? 置いてきぼり? ここにきて?」

顔を上げ上昇していく魚を見ていると魚が止まった。 そして水無瀬に向き直る。

「あ・・・上って来いってこと?」

岩を上るのか? と一瞬考えたがここは水の中ではないか。
両手を上に上げそのまま横に広げる。 身体がふわりと浮いた。 その様子を見ていた魚が向きを変え上昇していく。 その魚の後をゆっくりとした平泳ぎの格好で追う。

(ここはどれほど広いんだ)

いったい水深はどれほどあるのだろうか。

先を泳いでいた魚が途中にあった岩の洞の中に入って行った。

(うん? 穴がある?)

魚が入って行ったところまで来ると、岩に大きな口が開けられていた。 上から降り注ぐ明かりは穴の中の方までは届かないはずなのに、何故か先に明かりが見える。 魚がその明かりに照らされこちらを見ている。

(行けばいいんだろ・・・)

身体を穴に滑り込ませる。 足を下に下ろすと水無瀬の身長ぎりぎりの高さの穴だった。 歩いて魚の居るところまで行くと寸前で魚がまた上昇した。
上を見上げると直系二メートルほどの円柱状の穴が上に向いて伸びている。 そこから明かりが零れてきている。

(え?)

一度眉をしかめた水無瀬だったが、爪先で岩を蹴り先ほどと同じように両手を動かして上昇していく。 それは短い間だった。
上を見て泳いでいるとすぐに水面が揺れるのが目に入った。 ここに入って初めて水面というものを見たような気がする。 だがそれは水面の内側ということになるのだが。
ザバン、という音をたてて水無瀬の顔が水から出た。 まるでトランペットのように円柱状の穴が広がりそこに水がある。

案内を終えた魚が方向を変え泳いでいったが、現状に驚いている水無瀬がそれに気づけるはずはなかった。

「え・・・なんで?」

長は水の世界と言っていた。 なのにどうして水のない場所が存在するのか。
前方の下を見ると、上に上がれるように足元は岩であるため凸凹こそあるが、坂になっている。 坂に足を乗せ上がって行く。 身体が段々と水から出て行くがプールから出た時のように体の重さは感じない。

「ここは・・・?」

上は突き抜けていて、その先に明かりで照らされた水の揺らめきが見える。 目先を変えて目の前を見ると、水のある部分を除くと一辺だけに三畳ほどの広さがある。

「な、に・・・?」

水から顔を出した時には気付かなかったが、こうして上から見ると座卓があるのに気付いた。 かなり年期の入った木製であるが、しっかりとした木が使われているのだろう、傷みは見られない。

顔を左横に振ると別の穴が開いている。 ゆっくりと近づき穴の縁を持ち腰を屈めてそこを覗き込むと、正面と右側は行き止まりになっていて左側に斜め下へと伸びる道があるが、そこも途中から上が突き抜けているのか暗くはなく水があるのが見える。

振り返り机を見た。 机には二つの引き出しがついている。
いいのだろうかと思いながら机の元に来ると、そっと上の段の引き出しを引っ張る。 見慣れたものが入っていた。

「文房具・・・」

ボールペン数本に何も書かれていない小振りのメモ帳。 それだけが入っていた。
上の段の引き出しを元に戻すと下の段の引き出しを引っ張る。

「便箋?」

取り出して表紙をめくるが、薄く引かれた罫線の間に何かが書かれているわけではなかった。

「上等な便箋じゃないのかな」

さっきの小振りのメモ帳は百円均一にでもありそうだったが、この便箋は一枚が結構厚みのある用紙である。

「あ、え?」

厚みのある便箋、薄い罫線。 そしてこの便箋はB5サイズ。

「これってもしかして・・・」

矢島が水無瀬に渡した紙?

そういえばと長の話を思い出す。 今自分が辿って来たルート、あれは長から聞いた昔昔の兄妹の両親が兄妹の妹を助けるために辿って来たルートと同じではないか。
兄妹の両親は岩を上ったということだったが、水無瀬も一瞬上ろうとしかけた。 だが水の中なのだから泳げばいいと思い直したのだが、昔の人が泳げることが出来たのかどうかは分からないが、山の中に住んでいた人達だ、泳ぐことと縁があったとは思えない。 きっと泳げなかっただろう。 泳ぐという発想すら出なくても可笑しな話ではない。
そしてここに妹が倒れていた。

「ここに矢島さんが居た・・・」

顔を横に振る。 斜め下に伸びている道の入り口である穴が目に映る。

「あそこが・・・」

長の言う、芯の奥なのだろうか。
じっと見ていたが顔を元に戻した。

「これ以上関わることじゃない」

便箋を引き出しに戻し閉めた。
その手が止まっている。
顔を下げる。

『どうしてだが矢島は一人で出てしまった』

長の言葉が気になる。

(矢島さんはどうして・・・いや、何をしようとしてたんだ)

報道では自殺とあったが、ライは 『ダムに身を投げたってことになってる』 と言っていた。

(なってるって、どういうことだよ)

一度目を瞑り、ゆっくりと顔を横に振る。
ここから見ると黒い穴にしか見えない。 あの黒い穴の先に何があるというのか。
顔を戻しうな垂れる。

「・・・矢島さん、どうして欲しいですか」

あの日のことが頭に浮かぶ。
顔の隅々までは覚えていないが切羽詰まった矢島の顔。
『君だ! やっと見つけた、これを頼む!』 『あとを頼む』  矢島と話したのはそれだけだった。 話したというよりは会話など成り立っていなかったのだから、一方的に言われただけという方が正解だろう。

「そういえば肩も掴まれたし腕も手も握られたよな」

突然のことに手の感触も暖かさも覚えていない。

バサバサバサという音がした。

「え・・・?」

こんな所で羽音?
引き出しから手を離し、耳を澄ましてどこから聞こえるか判断しようとした時、あの黒い穴にしか見えない穴から鳥が飛び出してきた。

「うわっ!」

思わず腕で顔を隠した。
不意打ちの事に人間はよくこんな行動をとるが、無意識に目を守ろうとしているのだろうか。

カシャっという音が聞こえた。 腕を下ろし周りを見ようとしたがその必要はなかった。
目の前に烏が居る。 光の加減で見える瑠璃色の光沢をもった黒い烏。
烏が机の上に居る。

「あ・・・」

烏に襲われるという話しはよく聞く。

「わわわ」

思わず尻もちをつきササササと蜘蛛の姿に似た格好をして、蜥蜴のような動きでそのまま後ろに下がっていく。

「そのまま行くと落ちるぞ」

(え?)

「水をざわつかせるな」

後ろを見る、水しかない。 それにあと一回手を動かせばドボンの位置だ。 周りを見る、何もない。 誰も居ない。

「どこを見ておるのか」

ゆっくりと顔を正面に戻す。
机の上で烏がこちらを見ている。
もう一度周りを見るが、やはり誰も居ない。

「落ち着きのない」

顔を正面に戻して烏を見ると、首を横に向け溜息でも吐いているようにしている。

「あ? え?」

烏がこっちを見た。
目が合った。

(ヒェー、突かれる)

このまま水の中に逃げた方がいいに決まっている。 そうすれば追って来られな、い・・・。

(え? 待て? この烏、あの穴から来たよな)

穴の先には水があった。 明かりが入ってきている突き抜けているだろう上は、ここと同じで水の揺らめきが見えるはず。 水の揺らめきがあるということは、そこには水があるということ。
烏であろうと雀であろうとペンギンではない。 鳥が水の中を出入りなんて出来るはずがない。
ではあの時、穴を覗いた時には近くに居たのだろうか。 それを見逃していたのだろうか。

「矢島は残念なことだった」

烏の嘴(くちばし)が動いた。

(え・・・)

「いつまでそんな格好でおるつもりか」

またもや烏の嘴が動く。

「お前は・・・ふむ、間違いないようだな」

「は、はい?・・・」

「ここに居るということは矢島の跡か」

完全に烏の嘴が動くのと声が聞こえてくるのが一致している。

「あ、や、えと・・・」

「なにを言っておるのか。 言葉が通じんか? ん? 水の言葉でないといかんのか?」

では、と言って訳も分からない言葉で話し出した。 それは長から聞いた、聞き取れない発音で発していくではない、紡いでいると感じた発声と似た感じだったが、烏の方は包まれ揺られるような、漂うような、まろやかな、そんな心地の良い言葉で紡いでいる。 長よりこちらの方が聞いて心地が良い。 いつまでも聞いていたい心地の良さがあるが今はそんな時ではない。

「わー、ストップ、ストップ!」

思わず手が前に出る。 その手は烏に向けられている。 完全に烏にストップと言っている形になっている。

「あん?」

烏が小首を傾げた。 何度かの瞬き付きで。
もうどうでもいい。 腹話術であろうとなかろうと取り敢えず喋ることは喋るし、もし烏が襲い掛かって来たらこのまま水に飛び込んで逃げるだけだ。

「そっちの言葉の方が分からない。 それに矢島さんの跡とか何とか、それは俺じゃない・・・って言うか、そうでもあるらしいけど、俺は跡を引き継がないって言うか、なんて言うか・・・」

ああ、どうして尻切れトンボになってしまうんだ。

烏が今度は反対に小首を傾げた。 今度は瞬き付きではないようだ。
ああ、やっぱりそうだよな。 烏が言葉を理解しているわけじゃないよな。 あの机の向こうにでも誰かが居て―――。

「何をモゴモゴ言っておるのか。 お前に決まっておろうが。 矢島は何と言っておった」

「あ、え・・・っと。 頼むって・・・」

ああ、俺なに言ってんだよ。 それも烏相手に・・・。

「ではお前であろうが」

「いや、そういうんじゃなくて・・・」

「ったく、矢島め、ろくでもないのを選んできおったか」

カチンときたが烏相手に言い返す気にならない。
いや、俺なにを言ってる、だから烏が喋るはずないだろ。
さっきは烏相手と思ったり、頭の中がおかしくなってきているような気がする。

「他には」

「え・・・他にって。 それだけで・・・」

烏がまた溜息を吐くような仕草を見せた。

「まぁ、とにかくついて来い」

烏が羽を広げて穴の方向に飛んで行った。