国津道 第6回
- 国津道(くにつみち)- 第6回
「タクシーが来るまでに触りだけでもお話します」
詩甫が首を捻じり無言で浅香を見る。
「まずは僕のことから。 僕のことなんてどうでもいいでしょうけど、気にはなりますでしょ? それに疑われたままだと僕もあとあとやりにくいので」
「あとあと?」
「協力するように言われています」
まだ誰か何かを知っているというのか? 詩甫が小首を傾げる。
「曹司から言われていますので」
そう言って話し出した。
浅香自身、大学時代の夏に偶然この場所にやって来た時に曹司に出会ったと言う。
仲間内で目的のないドライブの最中に偶然この山の中に入って来た。 よって、ここが浅香の実家の土地であるということは嘘だったと言った。 すみませんでした、と言って話を続ける。
仲間たちと山の涼しさを味わっていた時だった。 清流に足をつけていた仲間から外れて歩き出すと社を見つけた。
ボロイ社だと思った。 社の中はどうなっているのだろうかと、格子の中を覗いたが中は真っ暗で何も見えなかった。
諦めて振り返ると一人の男が立っていた。 冷たく硬い目を持っていたが、どこか浅香と似た容貌ではあるが、体格は随分と違っていた。 浅香より頭一つほど長身で、細身であるのは浅香と同じだったが、古臭い和服の中の細い身体の中には筋肉がしっかりと付いていた。
『あんた・・・』
誰? とまで訊けなかった。 どこかで分かった。 目の前にいる男が自分自身だということを。
『力を貸してもらう』
『なに勝手なこと・・・』
そう言った途端、男から意識が流れ込んできた。
何が言いたいか理解した。 だがそれは今知らされたことに対してだけ。 言ってみれば、手紙を受け取りそこに書かれている用件を理解しただけのこと。 その差出人のことや、背景、何がどうなっているのかは分からない。
流れ来るものが終わった。 フーっと肩で息を吐く。
『どうやってその瀞謝って女を探すんだよ。 それにあんたが知ってる女だろ? もう死んでるだろうが』
『たわけたことを抜かすでない。 それならどうしてお前は今ここに居るのか』
そういう意味か。 生まれ変わりっていうことか。
そんなものを信じてはいなかったが、自分は現に今体験している、感じている。 我が身をもって納得をするしかない。
『なら、どうやって探すんだよ』
『探し出せるまでお前の目となろう』
冴え冴えとした目と声で、気持ちの悪いことを言ってくれる。 付きまとうっていうことか? それとも憑くっていうことか? どちらにしても受け入れられるものではない。
『あんたが俺の先祖とかっていうのは何気に分かってるよ』
自分自身でもあるとは言えなかった。 それは事実であろう、だが簡単には受け入れられない事なのだから。
『でも、あんたの子孫って他にいるだろう。 どうして俺を選ぶ』
男、曹司が鼻で笑った。
『分かっていて訊くのか』
子孫などとは比べ物にならない、目の前にいる男がお前自身だと分かっていて訊くのか。
浅香が話していく間に詩甫の目がどんどん大きくなっていった。 自分とはまた違うストーリーがあったようだ。
「その、曹司って人から協力するようにって?」
「はい。 ま、その瀞謝っていう子の生まれ変わり・・・、野崎さんですね、が見つからなければ、僕に託すと言っていましたけど、きっとそうなると思っていました。 まさか見つかるとは思いもしませんでした。 生まれているのかどうかも分からなければ、性別も分からない。 全くあても何も無いないない尽くし。 見つかるわけないと思ってました。 それなのに野崎さんを見つけるまで馬鹿ほどあちこち探しに行かされました」
曹司はずっと朱葉姫を見ていて出来ることならば、最後に朱葉姫に心を寄せた瀞謝に朱葉姫の想いを託そうと思ったという。
『瀞謝には芯がある。 そして真の心を持っている』 曹司はそう言っていた。
「大変な思いをさせてすみませんでした」
まさか自分が探されているなんて思いもしなかった。
「いえ、野崎さんのせいじゃありませんので」
「それにしてもすごい偶然ですね、この山に来たのもお仲間から離れて社に来たのも」
「ええ、この山に来たのは本当に偶然でしたけど、っていいたいんですけど、そうでもないんですよね」
「え?」
「何て言っていいのかなぁ・・・確かに仲間たちとここに来たのは偶然なんです。 でもこの山をどこかで記憶していたようなんですね。 それで車を停めて山の中に入ろうって僕が言い出したんです」
「覚えていたということですか?」
浅香は詩甫に何度も思い出さないかと言っていた。
「僕が野崎さんに何度も訊いたような記憶ではありません。 曹司が言うには、僕と分かれる寸前までこの山を忘れないようにと念じていたということですから、それが僕の知らないところに残っていたんでしょう」
「朱葉姫やお社のことではなくこの山を?」
「よくは分かりませんけど、ここを探すに朱葉姫であったり社の記憶を残してもなかなか見つけられないと思ったんじゃないでしょうか。 それに覚えていられるという自信もなかったんじゃないでしょうかね、それなら山の方が目に大きく映るから思い出すかもしれないと思ったのかもしれません。 間違いなく僕はこの山が気になったことですし。 で、この社に来たのは曹司の操作があったようです」
「え?」
「この山って滅多に人が来ないらしいんですよ。 それなのに人の声がした。 そういう時ってヤンチャが何かしらをしていることが多いらしくて、様子を見に来たら僕が居たと。 で、僕がすぐに曹司のことを分かったと同じく、曹司も一目で僕のことを分かって僕に社まで来るように仕向けたらしいんです。 今思えばこの時の曹司はまだ優しかったと思いますよ」
仕向けたとは、目の前にいる浅香と曹司が同一人物だから出来た事なのだろうか。 だが最後の言葉はどういう意味だろうか。
詩甫がキョトンとした顔をしているので、浅香が苦い顔をして続けて話した。
「この曹司ってヤローは勝手でしてね、何の許しも無く僕の中に入って来たりする技を持っているんです」
「え?」
「いつもはそうでもないんですけどね、野崎さんが倒れた時は急に入って来て僕の意識がぶっ飛んじゃいました。 かなり焦ったんでしょうね。 いつもは・・・なんて言ったらいいのかな・・・」
少し考えるようにしてみせた浅香が言うには、この身体を動かすに運転席に座るとしたら、最初は勝手にやってきた曹司がいつの間にか助手席に座っているという。 そして時折、運転席を曹司に取られるということであった。 その時に浅香は助手席に座るらしい。
ただ、詩甫と初めて接触をした時、救急隊員として詩甫の部屋に入り、詩甫が倒れる少し前、運転席のドアを急に開けられて助手席に吹っ飛ばされたようなものだったらしい。 少しして気を取り戻して助手席で見ていると、曹司が咳で一夜を拒む詩甫のツボを押していたと言う。
「咳? あの、どう言う意味ですか? 私、拒むも何もずっと咳が出ていて辛くて止まって欲しいと思っていただけですけど・・・」
「そうですよね、あれじゃあ辛いどころじゃなかったでしょう。 よく息が吸えて喉も傷めなかったと思いますよ」
浅香は詩甫の部屋ですぐに意識を失くしたわけではない。 詩甫の苦しむその姿を見ている。
「曹司が言うには、人の中に入ろうとした時に咳をされると入りにくいらしいんです。 それとか、入られたあとに咳をして・・・うーん、祓うっていうのかな? とにかく野崎さんは無意識に入って来ようとした者、一夜って言うんですけど、その一夜が入って来るのを拒否していたということです」
朱葉姫が一夜と呼んでいたことをすぐに思い出した。
(一夜・・・朱葉姫と一緒に居た四十歳くらいの・・・)
「あの時は僕の中に入って来た曹司が咳を止めるツボを押してたんです。 昔ながらのそんなものがあるんでしょうね。 僕たちは習っていませんから。 ま、その曹司が僕の中に入ってきて、あれやれこれやと勝手に話したり、俗に言う、乗っ取りですね。 まぁ・・・気は使ってくれてるみたいで、その時の記憶はあります。 その時は助手席に座っているわけですから、目の前の風景も見られるわけで。 だからその間に僕の身体で何か知らないことをしていただなんて心配はしていませんけど。 さっきもチョロチョロと出てきていたんですけど、気付きませんでしたか?」
そういうことだったのか、気のせいではなかったのか。 いつもの浅香と台詞や声音が違うと思ったのは曹司だったのか。
「おかしいと思いました」
「嫌な奴ですよね」
と言うと、詩甫が倒れる数十日前にやっと浅香の目を通して瀞謝を見つけたと、曹司から聞かされたと言う。 それも偶然にも浅香がいる消防出張所からさほども離れていない所に。 それまでは曹司に言われ、瀞謝探しにあちこち出向いていた。 それが全く無意味だったということだ。
曹司は瀞謝が見つかったことを一夜に報告をしたのだろう。 一日でも早くこの社に足を向かわせたいと思っていた一夜が曹司に言うことなく、何度か詩甫の中に入ろうとしたが、毎回、詩甫が咳をしてそれを阻んだらしく、そこで急遽あの日、浅香である曹司の登場となったと言う。
「いやぁー、どうやって野崎さんと接触しようかと悩んでいたら、出動先が野崎さんの所だったから驚きましたよ」
朱葉姫や瀞謝のことを知り、自分のことで精一杯のつもりだったが、浅香の方が受け入れられない状態だったのではないのだろうか。
「それは・・・何と言っていいやら・・・」
全てにおいて、そんな返事しか出来なかった。
そこへ砂埃を巻き上げてタクシーがやって来た。
浅香に送ってもらってコーポに戻って来た時には夜の九時を充分に過ぎていた。
「あれ? 電気が点いてませんね」
「え・・・どうして」
祐樹に何かあったのだろうか。
一瞬不安になりかけたがすぐに思い立つことがあった。
スマホの音を消していたのを忘れていた。 仕事中に鳴りまくってもらっては困るのでバイブにしたままだった。
もし移動中に電話が入っていれば気が付かなかったかもしれない。 スマホを取り出すと着信を示すランプが点滅している。
「何かあったのかなぁ・・・」
祐樹のことを心配する浅香に少し頭を下げてから留守電を聞く。
『姉ちゃん? えっと・・・戻るつもりだったけど、まだお父さんが帰って来なくて。 もう八時を過ぎてるから、こんな時間から姉ちゃんの所に行ったら駄目だってお母さんが。 明日朝早くに戻るから。 その、気を付けてね、何かあったらすぐに電話してね』
祐樹は八時を過ぎていると言っていた。 乗り換えやらなんやらで走っていた時にでも入ってきていたのだろう。 スマホを鞄にしまうと今も部屋に視線を送っている浅香に伝えなくては。
「浅香さん、すみません、祐樹から連絡が入ってました」
「え?」
「今日は戻って来られないって、八時になっても義父が帰って来ないようで、明日戻って来るそうです。 その、すみません、もっと早くにこのメッセージに気付いていたら、こんなに急がなくてもよかったのに」
「いや、謝らないで下さい。 引っ張りまわしていたのは僕の方ですから。 そうなんですね、では祐樹君の心配は無しってことで」
「はい」
「じゃ、ちゃんと鍵を閉めて今日の疲れを取って下さい。 引っ張りまわしちゃいましたから」
「あの、有難うございました」
「こちらこそ」
浅香を見送ると階段を上がった。
電車の中でちょくちょく嘘をついていたということを聞かされた。 明日涼みに行くという話も嘘だったと。 詩甫を連れ出すに嘘をついていたと。 そして浅香の言う前夜祭などというのも、夜勤などと言うことも、詩甫と接触するための嘘だったそうだ。
『そんなことをしていたら身が持ちませんよ』
などとアッケラカンと言ってくれた。 ちなみに結婚式は本当だったようだ。
『でもこれで嘘をつく必要が無くなったから、気が楽になりました。 煩かったんです、せっつく曹司が。 にしても嘘はいけませんよね。 すみませんでした』
これだけハッキリ言われれば疑うところなどないし、それに疑うも何も、詩甫が朱葉姫に聞いたことを浅香が知っていたのだ。 疑うどころか協力者であり、こんな摩訶不思議なことを分かち合える相手でもある。
「あれ? 曹司? ・・・どこかで聞いたような・・・」
浅香以外から。
「気のせいかな」
あまり聞かない名前だ、だから祐樹から聞いたとは思い出しもしなかった。
戸を閉めるとカチャリと鍵をかけ、チェーンもかける。
「とにかく・・・」
朱葉姫が頼むと言ってきたことは容易いことであった。
一つには供養石に花を添えて欲しいということであった。
供養石は、朱葉姫の父親が建てたものだと言う。 朱葉姫を想い、毎日毎日『紅葉姫社』 に手を合わせに来る。 その者たちが次々に亡くなっていく。 父親自身も歳をとってきていた。 父親が亡くなった後にも我が娘、朱葉に手を合わせてくれる者が居よう。 その者達の気持ちを汲みたいということで供養石を建てたらしい。
民の中には、朱葉姫を想い亡くなっていった者の僅かの髪の毛を供養石の前に埋めていたということらしい。
朱葉姫が言うには、瀞謝が来る度に社に一輪の花を添えてくれたように、供養石にも花を添えて欲しいということであった。
そしてもう一つは、もう朱葉姫を想う者が居なくなった。 いつまでもここにこうしているわけにはいかない。 もっとずっと前に身を引きたかったが、民が建ててくれたこの社を放っていくには耐えがたい、それに民が心で建ててくれたこの社を朽ちて終わりにさせたくない。
だから最後にこの社を大切にしてくれた瀞謝に社の最後を頼みたいと言ってきたのだった。
瀞謝の頃の記憶が一部ではあるが詩甫にはまざまざと蘇っていた。 瀞謝の気持ちを思うと、とてもではないが社を取り壊すなどと、そんなことはしたくはない。 朱葉姫にもそう言った。
すると朱葉姫が柔和な微笑みを持って『瀞謝?』 と詩甫を呼んだ。
『祀られる者は祀る者が居てなればこそ。 祀る者の幸せを願うことが出来るのですから。 ですがそのような者はもう居りません。 わたくしの願いは終わりました』
そんな風に言われてしまった。
それではここを知ったのだから、今日から私が守ります、お祀りします、などと無責任なことは言えなかった。
浅香が協力するというのも社の取り壊しに当たって、この山の持ち主に了解を得て、役所手続きや解体屋、そしてその前にどこかの神職に拝んでもらう手配をすると言っていた。
今の世に生きていない曹司がそこまで考えているとは思えないが、何か手を携えろと言ったのは現代ではそういう事になる。
曹司が何と考えているかは分からないが、今の世の有り方、手続きを考えるだけで悲しくなってくる。
電車の中でそんな話をしていると
『今のままの方が朱葉姫は辛いと思いますよ』
浅香がそんな風に言っていた。 曹司がそんなことを浅香に言ったのかもしれない。
「タクシーが来るまでに触りだけでもお話します」
詩甫が首を捻じり無言で浅香を見る。
「まずは僕のことから。 僕のことなんてどうでもいいでしょうけど、気にはなりますでしょ? それに疑われたままだと僕もあとあとやりにくいので」
「あとあと?」
「協力するように言われています」
まだ誰か何かを知っているというのか? 詩甫が小首を傾げる。
「曹司から言われていますので」
そう言って話し出した。
浅香自身、大学時代の夏に偶然この場所にやって来た時に曹司に出会ったと言う。
仲間内で目的のないドライブの最中に偶然この山の中に入って来た。 よって、ここが浅香の実家の土地であるということは嘘だったと言った。 すみませんでした、と言って話を続ける。
仲間たちと山の涼しさを味わっていた時だった。 清流に足をつけていた仲間から外れて歩き出すと社を見つけた。
ボロイ社だと思った。 社の中はどうなっているのだろうかと、格子の中を覗いたが中は真っ暗で何も見えなかった。
諦めて振り返ると一人の男が立っていた。 冷たく硬い目を持っていたが、どこか浅香と似た容貌ではあるが、体格は随分と違っていた。 浅香より頭一つほど長身で、細身であるのは浅香と同じだったが、古臭い和服の中の細い身体の中には筋肉がしっかりと付いていた。
『あんた・・・』
誰? とまで訊けなかった。 どこかで分かった。 目の前にいる男が自分自身だということを。
『力を貸してもらう』
『なに勝手なこと・・・』
そう言った途端、男から意識が流れ込んできた。
何が言いたいか理解した。 だがそれは今知らされたことに対してだけ。 言ってみれば、手紙を受け取りそこに書かれている用件を理解しただけのこと。 その差出人のことや、背景、何がどうなっているのかは分からない。
流れ来るものが終わった。 フーっと肩で息を吐く。
『どうやってその瀞謝って女を探すんだよ。 それにあんたが知ってる女だろ? もう死んでるだろうが』
『たわけたことを抜かすでない。 それならどうしてお前は今ここに居るのか』
そういう意味か。 生まれ変わりっていうことか。
そんなものを信じてはいなかったが、自分は現に今体験している、感じている。 我が身をもって納得をするしかない。
『なら、どうやって探すんだよ』
『探し出せるまでお前の目となろう』
冴え冴えとした目と声で、気持ちの悪いことを言ってくれる。 付きまとうっていうことか? それとも憑くっていうことか? どちらにしても受け入れられるものではない。
『あんたが俺の先祖とかっていうのは何気に分かってるよ』
自分自身でもあるとは言えなかった。 それは事実であろう、だが簡単には受け入れられない事なのだから。
『でも、あんたの子孫って他にいるだろう。 どうして俺を選ぶ』
男、曹司が鼻で笑った。
『分かっていて訊くのか』
子孫などとは比べ物にならない、目の前にいる男がお前自身だと分かっていて訊くのか。
浅香が話していく間に詩甫の目がどんどん大きくなっていった。 自分とはまた違うストーリーがあったようだ。
「その、曹司って人から協力するようにって?」
「はい。 ま、その瀞謝っていう子の生まれ変わり・・・、野崎さんですね、が見つからなければ、僕に託すと言っていましたけど、きっとそうなると思っていました。 まさか見つかるとは思いもしませんでした。 生まれているのかどうかも分からなければ、性別も分からない。 全くあても何も無いないない尽くし。 見つかるわけないと思ってました。 それなのに野崎さんを見つけるまで馬鹿ほどあちこち探しに行かされました」
曹司はずっと朱葉姫を見ていて出来ることならば、最後に朱葉姫に心を寄せた瀞謝に朱葉姫の想いを託そうと思ったという。
『瀞謝には芯がある。 そして真の心を持っている』 曹司はそう言っていた。
「大変な思いをさせてすみませんでした」
まさか自分が探されているなんて思いもしなかった。
「いえ、野崎さんのせいじゃありませんので」
「それにしてもすごい偶然ですね、この山に来たのもお仲間から離れて社に来たのも」
「ええ、この山に来たのは本当に偶然でしたけど、っていいたいんですけど、そうでもないんですよね」
「え?」
「何て言っていいのかなぁ・・・確かに仲間たちとここに来たのは偶然なんです。 でもこの山をどこかで記憶していたようなんですね。 それで車を停めて山の中に入ろうって僕が言い出したんです」
「覚えていたということですか?」
浅香は詩甫に何度も思い出さないかと言っていた。
「僕が野崎さんに何度も訊いたような記憶ではありません。 曹司が言うには、僕と分かれる寸前までこの山を忘れないようにと念じていたということですから、それが僕の知らないところに残っていたんでしょう」
「朱葉姫やお社のことではなくこの山を?」
「よくは分かりませんけど、ここを探すに朱葉姫であったり社の記憶を残してもなかなか見つけられないと思ったんじゃないでしょうか。 それに覚えていられるという自信もなかったんじゃないでしょうかね、それなら山の方が目に大きく映るから思い出すかもしれないと思ったのかもしれません。 間違いなく僕はこの山が気になったことですし。 で、この社に来たのは曹司の操作があったようです」
「え?」
「この山って滅多に人が来ないらしいんですよ。 それなのに人の声がした。 そういう時ってヤンチャが何かしらをしていることが多いらしくて、様子を見に来たら僕が居たと。 で、僕がすぐに曹司のことを分かったと同じく、曹司も一目で僕のことを分かって僕に社まで来るように仕向けたらしいんです。 今思えばこの時の曹司はまだ優しかったと思いますよ」
仕向けたとは、目の前にいる浅香と曹司が同一人物だから出来た事なのだろうか。 だが最後の言葉はどういう意味だろうか。
詩甫がキョトンとした顔をしているので、浅香が苦い顔をして続けて話した。
「この曹司ってヤローは勝手でしてね、何の許しも無く僕の中に入って来たりする技を持っているんです」
「え?」
「いつもはそうでもないんですけどね、野崎さんが倒れた時は急に入って来て僕の意識がぶっ飛んじゃいました。 かなり焦ったんでしょうね。 いつもは・・・なんて言ったらいいのかな・・・」
少し考えるようにしてみせた浅香が言うには、この身体を動かすに運転席に座るとしたら、最初は勝手にやってきた曹司がいつの間にか助手席に座っているという。 そして時折、運転席を曹司に取られるということであった。 その時に浅香は助手席に座るらしい。
ただ、詩甫と初めて接触をした時、救急隊員として詩甫の部屋に入り、詩甫が倒れる少し前、運転席のドアを急に開けられて助手席に吹っ飛ばされたようなものだったらしい。 少しして気を取り戻して助手席で見ていると、曹司が咳で一夜を拒む詩甫のツボを押していたと言う。
「咳? あの、どう言う意味ですか? 私、拒むも何もずっと咳が出ていて辛くて止まって欲しいと思っていただけですけど・・・」
「そうですよね、あれじゃあ辛いどころじゃなかったでしょう。 よく息が吸えて喉も傷めなかったと思いますよ」
浅香は詩甫の部屋ですぐに意識を失くしたわけではない。 詩甫の苦しむその姿を見ている。
「曹司が言うには、人の中に入ろうとした時に咳をされると入りにくいらしいんです。 それとか、入られたあとに咳をして・・・うーん、祓うっていうのかな? とにかく野崎さんは無意識に入って来ようとした者、一夜って言うんですけど、その一夜が入って来るのを拒否していたということです」
朱葉姫が一夜と呼んでいたことをすぐに思い出した。
(一夜・・・朱葉姫と一緒に居た四十歳くらいの・・・)
「あの時は僕の中に入って来た曹司が咳を止めるツボを押してたんです。 昔ながらのそんなものがあるんでしょうね。 僕たちは習っていませんから。 ま、その曹司が僕の中に入ってきて、あれやれこれやと勝手に話したり、俗に言う、乗っ取りですね。 まぁ・・・気は使ってくれてるみたいで、その時の記憶はあります。 その時は助手席に座っているわけですから、目の前の風景も見られるわけで。 だからその間に僕の身体で何か知らないことをしていただなんて心配はしていませんけど。 さっきもチョロチョロと出てきていたんですけど、気付きませんでしたか?」
そういうことだったのか、気のせいではなかったのか。 いつもの浅香と台詞や声音が違うと思ったのは曹司だったのか。
「おかしいと思いました」
「嫌な奴ですよね」
と言うと、詩甫が倒れる数十日前にやっと浅香の目を通して瀞謝を見つけたと、曹司から聞かされたと言う。 それも偶然にも浅香がいる消防出張所からさほども離れていない所に。 それまでは曹司に言われ、瀞謝探しにあちこち出向いていた。 それが全く無意味だったということだ。
曹司は瀞謝が見つかったことを一夜に報告をしたのだろう。 一日でも早くこの社に足を向かわせたいと思っていた一夜が曹司に言うことなく、何度か詩甫の中に入ろうとしたが、毎回、詩甫が咳をしてそれを阻んだらしく、そこで急遽あの日、浅香である曹司の登場となったと言う。
「いやぁー、どうやって野崎さんと接触しようかと悩んでいたら、出動先が野崎さんの所だったから驚きましたよ」
朱葉姫や瀞謝のことを知り、自分のことで精一杯のつもりだったが、浅香の方が受け入れられない状態だったのではないのだろうか。
「それは・・・何と言っていいやら・・・」
全てにおいて、そんな返事しか出来なかった。
そこへ砂埃を巻き上げてタクシーがやって来た。
浅香に送ってもらってコーポに戻って来た時には夜の九時を充分に過ぎていた。
「あれ? 電気が点いてませんね」
「え・・・どうして」
祐樹に何かあったのだろうか。
一瞬不安になりかけたがすぐに思い立つことがあった。
スマホの音を消していたのを忘れていた。 仕事中に鳴りまくってもらっては困るのでバイブにしたままだった。
もし移動中に電話が入っていれば気が付かなかったかもしれない。 スマホを取り出すと着信を示すランプが点滅している。
「何かあったのかなぁ・・・」
祐樹のことを心配する浅香に少し頭を下げてから留守電を聞く。
『姉ちゃん? えっと・・・戻るつもりだったけど、まだお父さんが帰って来なくて。 もう八時を過ぎてるから、こんな時間から姉ちゃんの所に行ったら駄目だってお母さんが。 明日朝早くに戻るから。 その、気を付けてね、何かあったらすぐに電話してね』
祐樹は八時を過ぎていると言っていた。 乗り換えやらなんやらで走っていた時にでも入ってきていたのだろう。 スマホを鞄にしまうと今も部屋に視線を送っている浅香に伝えなくては。
「浅香さん、すみません、祐樹から連絡が入ってました」
「え?」
「今日は戻って来られないって、八時になっても義父が帰って来ないようで、明日戻って来るそうです。 その、すみません、もっと早くにこのメッセージに気付いていたら、こんなに急がなくてもよかったのに」
「いや、謝らないで下さい。 引っ張りまわしていたのは僕の方ですから。 そうなんですね、では祐樹君の心配は無しってことで」
「はい」
「じゃ、ちゃんと鍵を閉めて今日の疲れを取って下さい。 引っ張りまわしちゃいましたから」
「あの、有難うございました」
「こちらこそ」
浅香を見送ると階段を上がった。
電車の中でちょくちょく嘘をついていたということを聞かされた。 明日涼みに行くという話も嘘だったと。 詩甫を連れ出すに嘘をついていたと。 そして浅香の言う前夜祭などというのも、夜勤などと言うことも、詩甫と接触するための嘘だったそうだ。
『そんなことをしていたら身が持ちませんよ』
などとアッケラカンと言ってくれた。 ちなみに結婚式は本当だったようだ。
『でもこれで嘘をつく必要が無くなったから、気が楽になりました。 煩かったんです、せっつく曹司が。 にしても嘘はいけませんよね。 すみませんでした』
これだけハッキリ言われれば疑うところなどないし、それに疑うも何も、詩甫が朱葉姫に聞いたことを浅香が知っていたのだ。 疑うどころか協力者であり、こんな摩訶不思議なことを分かち合える相手でもある。
「あれ? 曹司? ・・・どこかで聞いたような・・・」
浅香以外から。
「気のせいかな」
あまり聞かない名前だ、だから祐樹から聞いたとは思い出しもしなかった。
戸を閉めるとカチャリと鍵をかけ、チェーンもかける。
「とにかく・・・」
朱葉姫が頼むと言ってきたことは容易いことであった。
一つには供養石に花を添えて欲しいということであった。
供養石は、朱葉姫の父親が建てたものだと言う。 朱葉姫を想い、毎日毎日『紅葉姫社』 に手を合わせに来る。 その者たちが次々に亡くなっていく。 父親自身も歳をとってきていた。 父親が亡くなった後にも我が娘、朱葉に手を合わせてくれる者が居よう。 その者達の気持ちを汲みたいということで供養石を建てたらしい。
民の中には、朱葉姫を想い亡くなっていった者の僅かの髪の毛を供養石の前に埋めていたということらしい。
朱葉姫が言うには、瀞謝が来る度に社に一輪の花を添えてくれたように、供養石にも花を添えて欲しいということであった。
そしてもう一つは、もう朱葉姫を想う者が居なくなった。 いつまでもここにこうしているわけにはいかない。 もっとずっと前に身を引きたかったが、民が建ててくれたこの社を放っていくには耐えがたい、それに民が心で建ててくれたこの社を朽ちて終わりにさせたくない。
だから最後にこの社を大切にしてくれた瀞謝に社の最後を頼みたいと言ってきたのだった。
瀞謝の頃の記憶が一部ではあるが詩甫にはまざまざと蘇っていた。 瀞謝の気持ちを思うと、とてもではないが社を取り壊すなどと、そんなことはしたくはない。 朱葉姫にもそう言った。
すると朱葉姫が柔和な微笑みを持って『瀞謝?』 と詩甫を呼んだ。
『祀られる者は祀る者が居てなればこそ。 祀る者の幸せを願うことが出来るのですから。 ですがそのような者はもう居りません。 わたくしの願いは終わりました』
そんな風に言われてしまった。
それではここを知ったのだから、今日から私が守ります、お祀りします、などと無責任なことは言えなかった。
浅香が協力するというのも社の取り壊しに当たって、この山の持ち主に了解を得て、役所手続きや解体屋、そしてその前にどこかの神職に拝んでもらう手配をすると言っていた。
今の世に生きていない曹司がそこまで考えているとは思えないが、何か手を携えろと言ったのは現代ではそういう事になる。
曹司が何と考えているかは分からないが、今の世の有り方、手続きを考えるだけで悲しくなってくる。
電車の中でそんな話をしていると
『今のままの方が朱葉姫は辛いと思いますよ』
浅香がそんな風に言っていた。 曹司がそんなことを浅香に言ったのかもしれない。