国津道  第7回

大福りす
- 国津道(くにつみち)-  第7回



朱葉姫に膝行で進んできたのがきっと浅香の言う曹司だろう。 浅香から聞かされた話からするとそうとしか考えられない。

あの時、どこかで見たことがあるような顔と思ったが、よくよく思い出すと浅香と容貌が似ている。
浅香自身も曹司は体格こそ違え、容貌は似ていると言っていた。

『分かっていて訊くのか。 お前自身だからと、分かっていて訊くのか』

二人の間にそんな会話があったと言っていた。 それに浅香自身、曹司を見てすぐに自分だと分かったとも言っていた。

『あの、あまりそっちのことは知らないんですけど、曹司さんがまだ・・・あの、幽霊状態って言うんですか? でもそれなら浅香さんが生まれ変わり? というか、曹司さんが幽霊でいるのに、浅香さんが居るっていうのは・・・分かりません』

分身の術だろうかと浅はかな考えを持ったが、きっとそうではないだろう。

『ええ、僕も後になって気付いて曹司に訊ねたんです』

すると曹司はこう言ったという。
朱葉姫が社に来て六百年ほど経った頃、付いていた者達に言ったという。

『皆、今日までありがとう。 皆はもう帰るべき所にお帰りなさい』

その頃には祀る者が居なかったという。
だが誰もが首を振り、朱葉姫に額ずいた。

『どうか、どうか、いついつまでも姫さまと共に居ることをお許しくださいませ』 と。

この者たちは、朱葉姫の居る屋敷に仕えていた者達であり、朱葉姫が亡くなり毎日毎日泣いていた者たちだった。 そしてその命の灯火が消える寸前まで、足が動くまで、社に足を運んでいた者たちであった。
そしてとうとう、その灯火がなくなった時、その御霊は帰るべきところに帰らずすぐにこの社にやって来た。 そして朱葉姫に再び仕えることを選んだ者たちであった。 もう朱葉姫と離れたくない、皆がそう思っていた。 曹司にしてもそうであった。

そしてそれから更に百年ほど経った時、曹司が朱葉姫に願い出たという。

『己の霊(たま)を分けては下さいませぬか?』

それは分霊。 分霊とは神の御霊を分けるということであるが、この時、畏れ多くも神でもない曹司は己の霊を分けて欲しいと言った。

いつまでもこの状態で居られるはずがない。 祭も無くなり、手を合わせに来るものが段々と減り、ついには誰も、瀞謝さえも来ることがなくなった。
そうなれば、朱葉姫が一番悲しい状態でこの社を終わりにしてしまわなければならなくなる。 それだけは避けたい。
社が風雨にさらされ潰れれば、朱葉姫はもうここには居られない。 そんな終わり方などさせたくはない。

それを回避するには、地に足をつけた者が必要になってくる。 だからと言って己が生まれ変わるのならば、朱葉姫から離れなければいけない。 どんな夜盗からも、朱葉姫を守らなくてはならないということは無い。 分かっている。 分かっているが最後まで朱葉姫に仕えたい。
それに離れてしまっては、朱葉姫を記憶にとどめておける自信があるとは言い切れなかった。

朱葉姫は亡くなりこの社に祀られて既に七百年は経っていた。

朱葉姫は祀られていると言えど神ではない。 だが民が朱葉姫に心を寄せ社の前で手を合わせた。 その内にささやかながら祭も行うようになった。
朱葉姫、民は幸せにしております、という所を見せるように。 その民の姿を見守る朱葉姫に神の加護があったのか、それとも朱葉姫が民の力を得て自ら手に入れたのだろうか、神掛かった力を持つようになっていた。

だがその力も民がいてこそ。 民が社に来ることも無くなり、民の声も聞けず笑みも見られず幸せを願うことも出来ず、その力は段々と弱いものになってきていた。
今を逃してはもう後はない。

『曹司・・・、そうではなく帰りませんか?』

曹司が首を振った。

そして霊を分けた曹司が新たな時代に生まれた。 それが浅香だった。 だがその時の曹司には、霊が再び人として生まれるに何百年もかかるとは思ってもいなかった。 この社がよく持ってくれたものだと言っていたという。

『いやぁー、曹司も曹司なりにかなり心身ともに無理をしたみたいなんですよね』

通常ならそんなことをしてしまえば、曹司の力が減少するらしい。 だが曹司はそのような事もなく、それどころか浅香に影響をもたらすことさえ、憑依することさえ出来たというのだから。
だがそれは千年以上も幽霊でいたからかもしれないし、分霊をしてから五百年以上も経っていたからかもしれないと浅香は言っていた。

『曹司って・・・馬鹿なんじゃないかと思いますよ。 執念深っ、ってさえ思います。 って、それが僕なんだと思うと嫌になります。 って、その反動が今の僕なのかなぁ』

などとお気楽に曹司のことを話してくれた。
自分があんなことを経験しなければ、全く以って斜に見た話だっただろう。


「どうすればいいんだろ・・・」

今にも潰れそうなあの社をある程度補修して今後をどこかの神職に頼む。 それが出来なくはないだろうが、あの山は詩甫のものではない。
山の持ち主に話を聞いてもらって・・・

「信じないよね・・・」

信心があるのならば、あの様に朽ち果ててはいないだろう。 それにあの社が登録されているのかどうかも分からない。
きっとされていないだろう。

疲れた体を湯船に沈ませた。


そして翌日、朝早くにと言っていた祐樹が夜遅くに戻って来た。 朝に一度、そして夕方にも連絡があった。 夕飯を食べてから戻るという連絡であった。

戻って来るなり祐樹の機嫌が悪かった。 それなのに「今日も家に居ても良かったのに」 などと詩甫が言うものだから、更に機嫌が悪くなる。

「なに?! 姉ちゃんはそんなにオレのことが邪魔なの!?」

「そんなこと言ってないよ。 でも祐樹は十歳じゃない? お義父さんとお母さんと居る方がいいんじゃないの? せっかくお義父さんとお母さんが居てくれるんだから」

「あ・・・」

そうだった、義姉の詩甫は九つの時に片親となったのだった。 父親は生きているとは聞いているが、母親と離婚をして一度も会ってはいないと聞いていたのだった。

(姉ちゃん、寂しかったんだ・・・)

だから自分にそんなこと言うんだ。

「今日、お母さんとどこかに行った?」

久しぶりに祐樹が戻ったのだ。 それなりな所に祐樹を連れて出てくれただろうか。

「・・・うん」

行きたくなかった。 朝一番にここに戻って来たかったのに・・・。

「お母さんが欲しい服があるからって、ショッピングしたいからって」

詩甫の目が一瞬悲し気になる。
祐樹を楽しませるところに出かけたんじゃなかったのか。 母親の行きたい所に行ったのか。
一人ではショッピングを楽しめない人。 誰かが居ないといけない人。 一人では立てない人。 誰かに依存する人。

「そっか、お義父さんも一緒に?」

「うん」

「お義父さん付き合ってくれたんだ」

祐樹が出汁に使われたのだろうか。

「うん、今日は付き合いってのもなかったみたいだったから。 でも珍しいよ、オレが家にいる時にはお父さんあんまりお母さんに付き合わないのに」

土曜日には必ず接待に出かけている。 日曜日もそうなのだが、たまにその接待がない日もあった。 その日曜日くらい身体を休ませて欲しいと、そんな雰囲気をかもし出していた。 だがそれに気付きながらも母親がどこかに行こうと言う。 すると「行っておいで」 とだけ言っていた。

「久しぶりに祐樹が戻って来てくれたことを、お義父さんは喜んでるのよ」

「・・・」

父親のことは特別嫌いではない。 ただ仕事をしているだけの人。 それだけ。 でも詩甫の言うように、自分が家に居て喜んだのだろうか。
そう言えば詩甫の所に行くと言った時、一番に協力してくれたのは父親だった。 思ってもいなかった定期も買ってくれた。
そして今日のこと。
でも・・・それって都合のいい飴玉ではないのだろうか。 ずっとまともに顔なんて合わせたことが無かったのだから。

「祐樹?」

「あ、うん。 姉ちゃん、咳でなかった?」

咳なんてもう出ない。 分かっている。 詩甫なのに詩甫でない “わたくし” が言っていた。 それに未だに曹司のことが分からない。

「うん、全然。 心配かけてごめんね、もう大丈夫よ」

祐樹に昨日のことを言うつもりなどないと思う詩甫だが、この時の詩甫に祐樹が曹司の名前を知っているなどとは思い出しもしなかった。

「ほら、明日学校があるよ、寝よう。 この間みたいに起きなかったら、通勤の電車の中で心配この上ないのよ」

「あ、あはは」

見事に寝入ってしまって、駅まで走った日のことである。


浅香とは連絡先を教え合っていたが、浅香には連絡をせず翌週、祐樹を連れてもう一度社に足を運んだ。 手には供え物と花束を抱えている。

前回来た時は急なこともあって着替えも出来ずビジネススタイルであった。 あのスタイルで山の中の階段や坂を上るのは辛い。 今回は涼しげなブラウスに、膝丈までのフレアースカート、足元は唯一持っているウォーキングシューズ。 踵部分に二重のエアーの入ったスカートにも合うお洒落なウォーキングシューズである。

電車の乗り換えは覚えていたが、山のどこでタクシーを降りるのかがうろ覚えだった。 窓の外を見て覚えている風景を思い出しながら行き過ぎることの無いようにタクシーを止めると、浅香と来た時のようにここで良いのかと訊かれてしまった。

自信があるわけではないが行き過ぎてはいないはず。 このままタクシーを降りて先を歩けば山の中に入れるところがある筈。

「はい、ここで」

タクシーを降りるとすぐにセミの声が響き渡ってきた。 セミの声一つで暑さが増す。 それをBGMに走り去っていくタクシーの後を追うように、山の中に入る入り口を探しながら歩いて行く。

祐樹が物珍しそうに雑木を見上げたり、下に見える街並みを見たりと頭を左右に振っている。
と、五分ほど歩いた時に山に入る入り口を見つけた。

(良かった、行き過ぎてなかった)

きっと行き過ぎてはいないだろうとは思っていたが、それでも街の中のようにお店や看板のように何かの目印があるわけではないのだから、百%の自信があったわけではない。

「祐樹、こっち」

「え?」

「ここから山の中に入るの」

こういう山の中になど入ったことが無いのだろう、祐樹が一瞬眉根を寄せたが山の中に入るとすぐに喜んだ。

「涼しーぃ! カブトムシ居るのかなぁ」

などと言ってはしゃぎだした。
確かに山の中に入ると、何度か下がった気がする。 すぐ木々に囲まれるからだろうか。

祐樹を連れて来ていいのかどうか迷ったが、一人で部屋に置いていくわけにはいかなかったし、こうして連れて来て喜んでくれているのなら、それも一つかと思いながら階段を上る。

「道から逸れないでね」

階段を駆け上る祐樹の後姿に声をかけながら、さて、どうしてここにお供え物や花束を持ってきたのかを説明しようかと思いを巡らせる。

「それにしても元気・・・」

さすがは小学生である。 階段を勢いよく駆け上っている。
最初、浅香に連れてこられた時には、階段を上がり終え坂を上がる手前で休憩を入れていた。 息が上がっていた詩甫を見て浅香がペットボトルの茶を出してくれたのを覚えている。

階段が終わり坂に差し掛かった時に横から祐樹が出てきた。

「あ、道から逸れないでって言ったのに」

道から外れると雑木のある足場が作られていない斜面である。 足を滑らせでもしたらそのまま転げ落ちてしまう。

詩甫の息は少し上がっているが、祐樹を見るとどこかホッと出来る。 その祐樹が注意をした詩甫の言うことなど意に介さず、嬉し気でもあり残念な顔を詩甫に向ける。

「ん? どうしたの?」

「虫籠持ってくればよかった」

祐樹の手にクワガタが握られている。

「わ、素手で捕まえたんだ」

「うん」

「そっか・・・。 ね、虫籠じゃなくて祐樹の服に止まらせておいてあげれば? それで部屋に連れて帰って欲しかったらずっと止まってるだろうし、ここに居たかったら飛んで行くだろうし、ね?」

「えー・・・でもぉ・・・」

クワガタなんてそうそうお会いできるものではない。 連れ帰って観察したい。

「そのクワガタのお父さんとお母さんからしたら、祐樹は誘拐犯になっちゃうよ?」

詩甫のその言いように、祐樹がプッと噴いた。 自分はそこまで子供じゃない、もう中学年なのだから。 だから挑戦するように問う。

「だったら、服に捕まったまま姉ちゃんの部屋に連れて帰っても一緒じゃない?」

「それはクワガタの意思でここを出るんだから。 祐樹の身体が電車で・・・家出?」

祐樹が大笑いをすると、残念そうな思いが顔から消える。

「ほら、行くよ」

もう息は落ち着いた。 まだ笑っている祐樹を後目に詩甫が坂を上りだす。 ひとしきり笑って追いかけてきた祐樹の服の腹辺りにクワガタがしっかりと止まっている。

坂を上りきり山の中に入ると先に社が見える。 浅香に聞かされた話からよく考えると、殆ど誰も入ってきていない場所であるはず。 それなのに足元に雑草があまり生えていない。 浅香がある程度、雑草を片付けたのだろうか。

走って詩甫を追い抜いた祐樹が社の前に立った。

「わぁー、ボロッちい」

祐樹が正直な感想を述べてくれたが、朱葉姫に聞こえたのではなかろうか。 朱葉姫のことを思うと心が痛い。

「祐樹、これ持って」

供え物の入った和菓子屋の紙袋と、花束の入った袋から一束の花束を取り出し、その袋も祐樹に渡すと社の前に屈み花束を石段に置く。 そして肩にかけていた鞄からクリアファイルを取り出すと、既に折っていた半紙を取り出し花束の横に並べて置く。

詩甫が何をしているのかが分かった祐樹が持たされていた紙袋の中から供え物を取り出し詩甫に差し出す。 来る時に買ってきた和菓子屋の詰め合わせの饅頭である。

「ありがと」

祐樹から差し出された箱を受け取ると蓋を開け半紙の上に置く。
朱葉姫やその周りに居た者たちが食べるのかどうかは分からないし、何人いたのかの確認もしていなかった。 食べるとして足りるだろうかと思いながらも気持ちが大切、と自分に言い聞かせ立ち上がり手を合わせた。

隣で祐樹も殊勝な顔をして並んでいる。 荷物を持っているが故、手を合わせることは出来ないようだが。

『ありがとう、瀞謝』

朱葉姫の声が聞こえた。 そっと祐樹を窺い見ると気付いていないようだ。 祐樹には聞こえていないのだろう。