国津道 第13回
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山を登りきると祐樹が走って社の裏に回り掃除道具を出そうとしたが、その足が止まってしまった。
「え? なんで・・・」
呆然と立ち尽くしていたが、セミの鳴き声に代わっていたチチチという鳥の声を聞いて我に戻った。 社の裏から顔を出す。
「浅香! 来て! 早く!」
ゆっくりと歩いていた浅香と詩甫。 その浅香が祐樹に呼ばれどうしたことかと思ったが、詩甫を置いていくわけにはいかない。
「行きましょう」
二人で走り出した。
社の裏に回りこむとそこには引き裂かれた雑巾、重石に置いていた石をぶつけたのだろうか、横から穴が空けられたバケツがあった。 竹箒は無事であったが、穂を抜こうとしていただろう痕跡が見られる。
「どうして・・・」
詩甫が思わず口にした。
「祐樹君」
「なに?」
「お姉さんから離れないでいてくれる? ちょっと曹司と話してくる」
「あ・・・うん」
「絶対に離れないで」
「・・・うん」
祐樹にいつもの覇気がない。 不安に思っているのだろう、それはそうだろう。 だからと言って祐樹を気にかけるようなことを言ってしまえば余計と不安を煽るようなものだ。 だから仕事を与える。
「お姉さんを守っていてくれよ」
祐樹の口が一度一文字にひかれる。
「あ、当たり前だろ」
「ヨシ、頼むな」
前回来た時に曹司が “痴れ者” と言っていた、それに浅香が言ったように “物の怪” とも。 嫌な予感が走る。
社の前に立つと手を合わせ曹司に気を合わせようとしたが、そこに曹司が居ないことが分かった。
「ったく、こんな時にどこ行ってんだよ」
手を解くと辺りを見回したが曹司らしい気を感じられない。
「仕事放棄かい!」
ストライキかい、とも言いたかったが、ストライキをする要因などないであろう。 雇用主などいないのだから。 万が一にも朱葉姫を雇用主と考えても、千年以上も自ら朱葉姫に仕えているのだから、ストライキもへったくれもない。
「浅香?」
手を繋いだ詩甫と祐樹が社の前まで回ってきた。
きっと祐樹から手を伸ばしただのだろう。 詩甫を守るようにと浅香に言われたのだから。 その二人の繋がれた手を見て祐樹に親指を立てて見せると、口を一文字にしてソッポを向かれてしまったが、その口元がムニュムニュと動いている。 照れて喜んでいるようだ。
(ま、そういう微妙なお年頃だよな)
目を転じ詩甫に言う。
「曹司が居ないようです」
「え・・・」
祐樹の握っていた詩甫の指がピクリと動いた。
「姉ちゃん、大丈夫。 曹司が居なくてもオレも浅香もいるから」
浅香の眉が上がる。
(へぇー、自分一人だけじゃないんだ)
少しは昇格してくれたのだろうか。
「うん・・・」
「祐樹君の言う通りですよ。 僕たちが居ます。 って、曹司のヤロー、こんな時にサボリかい、って話ですよね」
「幽霊もサボるのか?」
「う・・・」
よくは知らない。
「あの曹司だからな、って、うわぁ!」
<あの曹司というのはどう言う意味だ>
曹司の気を感じ取ったと思った途端、ズンっと、曹司が入ってきた。 詩甫への説明を使うとすれば助手席に突然曹司が座ったということである。
「浅香? どうした?」
祐樹の問いかけに答えることなく、精神で会話を続ける。
<どこに行ってたんだよ!>
<見回っておった。 再度、良からぬ者の気を姫が感じられたのでな>
祐樹が棒立ちになっている浅香の姿を目にして、どうしたものかと詩甫を見る。
「大丈夫だよ。 曹司が帰ってきたのかもしれない。 曹司と話していると思う。 待ってよう、ね?」
「でも・・・」
「大丈夫。 浅香さんだから」
何もかも分かってくれている浅香だから。 そして曹司と繋がっている浅香だから。
「・・・うん」
祐樹と詩甫の会話など知らぬ存ぜぬの、曹司と浅香の会話が続いている。
<社を綺麗にするための掃除道具を壊されてたんだけど? だれかヤンチャが来た?>
<やんちゃ、とは?>
<あ、いい。 掃除道具を壊されてた、心当たりは?>
<無い。 だが姫様が再度感じられた時にあったのかもしれん>
<なんだよそれ、怠慢この上ないな。 ちゃんと見回ってるのかよ>
<お前にそのようなことを言われる謂(いわ)れはない>
<何言ってんだよ、お前は俺だろうがっ>
<・・・>
曹司が黙ってしまった。 言い過ぎただろうか。
<間違いを糺してやる。 よく肝に銘じておけ。 お前がわたしだ。 わたしがお前ではない>
間を持たせておいてそこかい。
話しの論点が完全にずれているではないか。
戦があったのどうだのと、曹司との話は少々考えさせられる。 これが本当に自分なのだろうか。 それとも時代がそうさせるのだろうか。
溜息をつきたいところを我慢して話を戻す。
<事実、掃除道具を壊されてんだよ。 この場所を、朱葉姫のお社と供養石を綺麗にする為の物をな。 なんかあるだろうよ、気付かなかったのか?>
<姫様が感じられた時には、あの道具は壊されておった>
<・・・そういうことか>
時すでに遅しだったということか。
<その相手に心当たりは?>
ヤンチャは入ってこなかったのだろう。 そのような者が入ってくれば、すぐに曹司が動いただろう。 残るのは・・・朱葉姫の言っていた “良からぬ者”。
<全くない。 姫様は常にこの地を清浄にしておられる>
<でも、良からぬ者を感じたってことだよな?>
<ああ、この地に根付かぬ者、通り過ぎる者に関しては、姫様は目を瞑っておられる>
<根付かない者?>
<亨も言っておったではないか、戦がありこの地で果てた者、その者がこの地にその魂(こん)を残すようであれば、姫様がお導きをされておった。 そういう者以外ということだ。 姫様は常にこの地を清浄にされておった>
<それは今もか?>
<今の姫様のお力は削がれてはおるが、戦がなくなってからは、この地に魂を残す者などおらん>
<ってことは、通り過がりの性ワルが掃除道具を壊したってことか?>
<いや>
<なんだよ、それ>
<瀞謝が感じた視線、そこに重きを置かなくてはならんと思っておる>
<・・・どういうことだよ>
<姫様の仰る良からぬ者、その者は通り過がりでは無い。 通り過がりであるのなら、姫様が何度もお感じになられるはずはない。 根付かぬ者・・・この地に根付かぬ者ではあろうが・・・>
<どういう意味だよ、ハッキリ言えよ>
<この地に怨みなどを残してはいない者。 であるにもかかわらず、去ることも無くこの地に居る・・・>
<だからー、はっきり言えよ。 それじゃあ意味が分からない>
浅香の言いように、曹司が助手席から横目で浅香を見た、ような感覚がする。
<姫様か瀞謝に関わる者>
<は?>
<見回っておってどんな気の痕跡も見つからなかった。 お力を落とされとは言え、姫様は常にこの地を清浄にされておる。 だが姫様が仰ってすぐにこの辺りを見まわったが、通りすがりにしても気の一つも落としてはいなかった。 それに、姫様があの様に仰り、瀞謝もあのようなことを言う>
確かに、と言っていいのだろうか。 あの詩甫の指先の血の流れはおかしかった。 だからといって・・・。
<瀞謝は何百年、朱葉姫はそれこそ千年以上も前だろ。 今更、誰がどうって言うんだよ>
そう言ってしまってから気付いた。 ということは、瀞謝ではなく詩甫が誰かに恨まれているということになるのだろうか。 それで睨まれ視線を感じたということか?
そう言えば、この曹司は詩甫のことを常に瀞謝と見ているのだった。 浅香自身、曹司と話す時には曹司に合わせて詩甫のことを瀞謝と言っている。
だが詩甫はこの地を知らなかったはず。 それこそ生まれも育ちもこの地では無いはず。 確認は取っていないが、此処に初めて連れてきた時に、初めて見るような目をしていた。
それに万が一にも詩甫に関係する者であれば、この地にこだわることなどないはず。 詩甫の様子からすれば、この地で、ここでのみ視線を感じているようなのだから。
<今はまだ分からぬ>
<しっかり働けよ>
見回っていたのだろう。 サボってはいなかったようだ。
ギロリと曹司が浅香を見た。
<なんだよ>
<亨、お前はこの己が御霊を分けたことを分かっておるのか>
<分かってるよ、おおよそ曹司の千年ほど前は、こんなじゃなかったって言いたいんだろ。って、怪しいもんだ>
曹司はその昔、浅香のようではなかったと言いたいらしい。
<笑止>
ユラリと曹司の気配がなくなった。
「何が笑止だよ」
「え? 浅香?」
「あ・・・ゴメン、急に曹司がやって来て」
「そうだろって姉ちゃんが言ってた。 曹司は何て言ってたの?」
「曹司が・・・ってか、朱葉姫が気付いた時には、掃除道具はあの状態になっていたらしい」
祐樹の顔を見てここまで言うと、すぐに詩甫の顔を見て真顔で付け足す。
「です」
律儀な。 こんな時なのに、詩甫が笑いを隠そうと俯いた。 口を堅く結んでいる。
「姉ちゃん?」
「ん、何でもない」
口を開いたことで声が漏れそうになったのか、拳を口に充てる。
「ま、箒は使えそうだし、破かれていたと言っても、千々にはされてないから雑巾も使えなくはないだろう。 掃除を始めようか」
「おっ、浅香も手伝うのか?」
「僕は雑草抜き」
二週間前にかなり抜いたというのに、またしっかりと伸びてきている。
「あー・・・、せっかくあれだけ抜いたのに、もう伸びてるもんな」
「ふふふ、今日は秘密兵器を持ってきたからな」
タラララッタラ~と、ドラえもんが道具を出す時の効果音を口にしながら、下げていた袋からスコップを出した。
「ん? 雑草抜きだろ? それでどうすんだ?」
「ブチブチ千切ってもすぐに伸びてくるから、根こそぎってやつよ」
「おお、浅香のクセによく考えたな」
「地道な作業になるけどね」
二人の会話を微笑みながら聞いていた詩甫。 いつしか不安が飛んでいってしまっていた。
「じゃ、お姉さんと待ってて。 道具をとって来るから」
祐樹が竹箒であちこち掃いている間、詩甫は小さくなった雑巾で格子を拭いている。 その間、詩甫から離れず浅香が社の周りの雑草と格闘していた。
バケツが無いが為、小さくなった数枚の雑巾が汚れると、すぐに祐樹が小川に洗いに行っていたが、やはり祐樹に変わった様子が降りかかることは無いようだった。
祐樹が鈍感であるという疑いを除外して考えると、やはり詩甫が何かの恨みを買っているのだろうか。 いや、そうならば、この場所に限られていることがおかしいし、出るなら詩甫の部屋で夜暗くなって出るのが幽霊の常套だろう。
それとも曹司には何百年も、それこそ千年以上も前に何かあったとしても、これだけの時が流れているのだから誰がどうなどととは言ったが、そうではないのだろうか。 幽霊に時など関係ないのであろうか。
瀞謝は言ってみればそのへんの民だと聞いている。 もし瀞謝に恨みを持つ者が居たとして・・・。
(友達同士の恨み合い? それとも恋愛による怨恨? 瀞謝が横恋慕をしたとか?)
いや、その程度で何百年はキツイだろう。
(って、そんな女、こっちが引くし)
朱葉姫のことも曹司から聞いている。 誰もが朱葉姫のことを想っていたと。 だが・・・そうだろうか。 万人に好かれるということは簡単なことではない。
それとも現代に生きているからそう思うのかもしれない。 昔の人はもっと純粋だったかもしれない。
でも今のネット社会を思うと、匿名無名で色んなコメントやスレッドを入れられる。 それは心の内を吐いたもの。 生活圏では表には出さないもの。
今の社会だからそれを文字として表せられる。 だがその昔はどうだったのだろうか。 皆が朱葉姫のことを想っていた。 その中で朱葉姫のことを快く思っていなかったと、誰にも言えなかった人間が居てもおかしくはない。
その時代、ハンドルネームで万人に発信できなかったのだから、はけ口が無かった人間が居てもおかしくない。 鬱積した心を持っていたかもしれない。
だからと言って、朱葉姫のことを快く思わなかった者が何百年と一千年と妬みをつのらせるだろうか。 そこまで執念深く思えるだろうか。
朝廷を恨む念は残っているかもしれない。 だがただ一人の、それも田舎の一人の姫をそこまで恨む者が居るだろうか。 一千年もの時を経てまでも・・・
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山を登りきると祐樹が走って社の裏に回り掃除道具を出そうとしたが、その足が止まってしまった。
「え? なんで・・・」
呆然と立ち尽くしていたが、セミの鳴き声に代わっていたチチチという鳥の声を聞いて我に戻った。 社の裏から顔を出す。
「浅香! 来て! 早く!」
ゆっくりと歩いていた浅香と詩甫。 その浅香が祐樹に呼ばれどうしたことかと思ったが、詩甫を置いていくわけにはいかない。
「行きましょう」
二人で走り出した。
社の裏に回りこむとそこには引き裂かれた雑巾、重石に置いていた石をぶつけたのだろうか、横から穴が空けられたバケツがあった。 竹箒は無事であったが、穂を抜こうとしていただろう痕跡が見られる。
「どうして・・・」
詩甫が思わず口にした。
「祐樹君」
「なに?」
「お姉さんから離れないでいてくれる? ちょっと曹司と話してくる」
「あ・・・うん」
「絶対に離れないで」
「・・・うん」
祐樹にいつもの覇気がない。 不安に思っているのだろう、それはそうだろう。 だからと言って祐樹を気にかけるようなことを言ってしまえば余計と不安を煽るようなものだ。 だから仕事を与える。
「お姉さんを守っていてくれよ」
祐樹の口が一度一文字にひかれる。
「あ、当たり前だろ」
「ヨシ、頼むな」
前回来た時に曹司が “痴れ者” と言っていた、それに浅香が言ったように “物の怪” とも。 嫌な予感が走る。
社の前に立つと手を合わせ曹司に気を合わせようとしたが、そこに曹司が居ないことが分かった。
「ったく、こんな時にどこ行ってんだよ」
手を解くと辺りを見回したが曹司らしい気を感じられない。
「仕事放棄かい!」
ストライキかい、とも言いたかったが、ストライキをする要因などないであろう。 雇用主などいないのだから。 万が一にも朱葉姫を雇用主と考えても、千年以上も自ら朱葉姫に仕えているのだから、ストライキもへったくれもない。
「浅香?」
手を繋いだ詩甫と祐樹が社の前まで回ってきた。
きっと祐樹から手を伸ばしただのだろう。 詩甫を守るようにと浅香に言われたのだから。 その二人の繋がれた手を見て祐樹に親指を立てて見せると、口を一文字にしてソッポを向かれてしまったが、その口元がムニュムニュと動いている。 照れて喜んでいるようだ。
(ま、そういう微妙なお年頃だよな)
目を転じ詩甫に言う。
「曹司が居ないようです」
「え・・・」
祐樹の握っていた詩甫の指がピクリと動いた。
「姉ちゃん、大丈夫。 曹司が居なくてもオレも浅香もいるから」
浅香の眉が上がる。
(へぇー、自分一人だけじゃないんだ)
少しは昇格してくれたのだろうか。
「うん・・・」
「祐樹君の言う通りですよ。 僕たちが居ます。 って、曹司のヤロー、こんな時にサボリかい、って話ですよね」
「幽霊もサボるのか?」
「う・・・」
よくは知らない。
「あの曹司だからな、って、うわぁ!」
<あの曹司というのはどう言う意味だ>
曹司の気を感じ取ったと思った途端、ズンっと、曹司が入ってきた。 詩甫への説明を使うとすれば助手席に突然曹司が座ったということである。
「浅香? どうした?」
祐樹の問いかけに答えることなく、精神で会話を続ける。
<どこに行ってたんだよ!>
<見回っておった。 再度、良からぬ者の気を姫が感じられたのでな>
祐樹が棒立ちになっている浅香の姿を目にして、どうしたものかと詩甫を見る。
「大丈夫だよ。 曹司が帰ってきたのかもしれない。 曹司と話していると思う。 待ってよう、ね?」
「でも・・・」
「大丈夫。 浅香さんだから」
何もかも分かってくれている浅香だから。 そして曹司と繋がっている浅香だから。
「・・・うん」
祐樹と詩甫の会話など知らぬ存ぜぬの、曹司と浅香の会話が続いている。
<社を綺麗にするための掃除道具を壊されてたんだけど? だれかヤンチャが来た?>
<やんちゃ、とは?>
<あ、いい。 掃除道具を壊されてた、心当たりは?>
<無い。 だが姫様が再度感じられた時にあったのかもしれん>
<なんだよそれ、怠慢この上ないな。 ちゃんと見回ってるのかよ>
<お前にそのようなことを言われる謂(いわ)れはない>
<何言ってんだよ、お前は俺だろうがっ>
<・・・>
曹司が黙ってしまった。 言い過ぎただろうか。
<間違いを糺してやる。 よく肝に銘じておけ。 お前がわたしだ。 わたしがお前ではない>
間を持たせておいてそこかい。
話しの論点が完全にずれているではないか。
戦があったのどうだのと、曹司との話は少々考えさせられる。 これが本当に自分なのだろうか。 それとも時代がそうさせるのだろうか。
溜息をつきたいところを我慢して話を戻す。
<事実、掃除道具を壊されてんだよ。 この場所を、朱葉姫のお社と供養石を綺麗にする為の物をな。 なんかあるだろうよ、気付かなかったのか?>
<姫様が感じられた時には、あの道具は壊されておった>
<・・・そういうことか>
時すでに遅しだったということか。
<その相手に心当たりは?>
ヤンチャは入ってこなかったのだろう。 そのような者が入ってくれば、すぐに曹司が動いただろう。 残るのは・・・朱葉姫の言っていた “良からぬ者”。
<全くない。 姫様は常にこの地を清浄にしておられる>
<でも、良からぬ者を感じたってことだよな?>
<ああ、この地に根付かぬ者、通り過ぎる者に関しては、姫様は目を瞑っておられる>
<根付かない者?>
<亨も言っておったではないか、戦がありこの地で果てた者、その者がこの地にその魂(こん)を残すようであれば、姫様がお導きをされておった。 そういう者以外ということだ。 姫様は常にこの地を清浄にされておった>
<それは今もか?>
<今の姫様のお力は削がれてはおるが、戦がなくなってからは、この地に魂を残す者などおらん>
<ってことは、通り過がりの性ワルが掃除道具を壊したってことか?>
<いや>
<なんだよ、それ>
<瀞謝が感じた視線、そこに重きを置かなくてはならんと思っておる>
<・・・どういうことだよ>
<姫様の仰る良からぬ者、その者は通り過がりでは無い。 通り過がりであるのなら、姫様が何度もお感じになられるはずはない。 根付かぬ者・・・この地に根付かぬ者ではあろうが・・・>
<どういう意味だよ、ハッキリ言えよ>
<この地に怨みなどを残してはいない者。 であるにもかかわらず、去ることも無くこの地に居る・・・>
<だからー、はっきり言えよ。 それじゃあ意味が分からない>
浅香の言いように、曹司が助手席から横目で浅香を見た、ような感覚がする。
<姫様か瀞謝に関わる者>
<は?>
<見回っておってどんな気の痕跡も見つからなかった。 お力を落とされとは言え、姫様は常にこの地を清浄にされておる。 だが姫様が仰ってすぐにこの辺りを見まわったが、通りすがりにしても気の一つも落としてはいなかった。 それに、姫様があの様に仰り、瀞謝もあのようなことを言う>
確かに、と言っていいのだろうか。 あの詩甫の指先の血の流れはおかしかった。 だからといって・・・。
<瀞謝は何百年、朱葉姫はそれこそ千年以上も前だろ。 今更、誰がどうって言うんだよ>
そう言ってしまってから気付いた。 ということは、瀞謝ではなく詩甫が誰かに恨まれているということになるのだろうか。 それで睨まれ視線を感じたということか?
そう言えば、この曹司は詩甫のことを常に瀞謝と見ているのだった。 浅香自身、曹司と話す時には曹司に合わせて詩甫のことを瀞謝と言っている。
だが詩甫はこの地を知らなかったはず。 それこそ生まれも育ちもこの地では無いはず。 確認は取っていないが、此処に初めて連れてきた時に、初めて見るような目をしていた。
それに万が一にも詩甫に関係する者であれば、この地にこだわることなどないはず。 詩甫の様子からすれば、この地で、ここでのみ視線を感じているようなのだから。
<今はまだ分からぬ>
<しっかり働けよ>
見回っていたのだろう。 サボってはいなかったようだ。
ギロリと曹司が浅香を見た。
<なんだよ>
<亨、お前はこの己が御霊を分けたことを分かっておるのか>
<分かってるよ、おおよそ曹司の千年ほど前は、こんなじゃなかったって言いたいんだろ。って、怪しいもんだ>
曹司はその昔、浅香のようではなかったと言いたいらしい。
<笑止>
ユラリと曹司の気配がなくなった。
「何が笑止だよ」
「え? 浅香?」
「あ・・・ゴメン、急に曹司がやって来て」
「そうだろって姉ちゃんが言ってた。 曹司は何て言ってたの?」
「曹司が・・・ってか、朱葉姫が気付いた時には、掃除道具はあの状態になっていたらしい」
祐樹の顔を見てここまで言うと、すぐに詩甫の顔を見て真顔で付け足す。
「です」
律儀な。 こんな時なのに、詩甫が笑いを隠そうと俯いた。 口を堅く結んでいる。
「姉ちゃん?」
「ん、何でもない」
口を開いたことで声が漏れそうになったのか、拳を口に充てる。
「ま、箒は使えそうだし、破かれていたと言っても、千々にはされてないから雑巾も使えなくはないだろう。 掃除を始めようか」
「おっ、浅香も手伝うのか?」
「僕は雑草抜き」
二週間前にかなり抜いたというのに、またしっかりと伸びてきている。
「あー・・・、せっかくあれだけ抜いたのに、もう伸びてるもんな」
「ふふふ、今日は秘密兵器を持ってきたからな」
タラララッタラ~と、ドラえもんが道具を出す時の効果音を口にしながら、下げていた袋からスコップを出した。
「ん? 雑草抜きだろ? それでどうすんだ?」
「ブチブチ千切ってもすぐに伸びてくるから、根こそぎってやつよ」
「おお、浅香のクセによく考えたな」
「地道な作業になるけどね」
二人の会話を微笑みながら聞いていた詩甫。 いつしか不安が飛んでいってしまっていた。
「じゃ、お姉さんと待ってて。 道具をとって来るから」
祐樹が竹箒であちこち掃いている間、詩甫は小さくなった雑巾で格子を拭いている。 その間、詩甫から離れず浅香が社の周りの雑草と格闘していた。
バケツが無いが為、小さくなった数枚の雑巾が汚れると、すぐに祐樹が小川に洗いに行っていたが、やはり祐樹に変わった様子が降りかかることは無いようだった。
祐樹が鈍感であるという疑いを除外して考えると、やはり詩甫が何かの恨みを買っているのだろうか。 いや、そうならば、この場所に限られていることがおかしいし、出るなら詩甫の部屋で夜暗くなって出るのが幽霊の常套だろう。
それとも曹司には何百年も、それこそ千年以上も前に何かあったとしても、これだけの時が流れているのだから誰がどうなどととは言ったが、そうではないのだろうか。 幽霊に時など関係ないのであろうか。
瀞謝は言ってみればそのへんの民だと聞いている。 もし瀞謝に恨みを持つ者が居たとして・・・。
(友達同士の恨み合い? それとも恋愛による怨恨? 瀞謝が横恋慕をしたとか?)
いや、その程度で何百年はキツイだろう。
(って、そんな女、こっちが引くし)
朱葉姫のことも曹司から聞いている。 誰もが朱葉姫のことを想っていたと。 だが・・・そうだろうか。 万人に好かれるということは簡単なことではない。
それとも現代に生きているからそう思うのかもしれない。 昔の人はもっと純粋だったかもしれない。
でも今のネット社会を思うと、匿名無名で色んなコメントやスレッドを入れられる。 それは心の内を吐いたもの。 生活圏では表には出さないもの。
今の社会だからそれを文字として表せられる。 だがその昔はどうだったのだろうか。 皆が朱葉姫のことを想っていた。 その中で朱葉姫のことを快く思っていなかったと、誰にも言えなかった人間が居てもおかしくはない。
その時代、ハンドルネームで万人に発信できなかったのだから、はけ口が無かった人間が居てもおかしくない。 鬱積した心を持っていたかもしれない。
だからと言って、朱葉姫のことを快く思わなかった者が何百年と一千年と妬みをつのらせるだろうか。 そこまで執念深く思えるだろうか。
朝廷を恨む念は残っているかもしれない。 だがただ一人の、それも田舎の一人の姫をそこまで恨む者が居るだろうか。 一千年もの時を経てまでも・・・