国津道 第14回
『国津道(くにつみち)』 目次
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「あー、分かんねー」
黙々と雑草と戦っていた浅香の声に、驚いたように詩甫が振り返った。
「どうしました?」
「あ、いえ、何でも」
スコップをブンブンとふりながら答えたが、思い出したように続ける。
「えーっと、野崎さんって、ここに来る前にこの地を知ってました? 僕がお連れする前に来たことがあるとか」
詩甫が首を振る。
「遠方に出掛けるのは会社の慰安旅行くらいでしたから」
どういう意味だろうか。 慰安旅行とこんな所に来るのは全然世界が違うと思うが。
「そうですか。 じゃ・・・えっと、ここに何かまつわることを知っているとかは?」
再度、詩甫が首を振る。
「もしかして、私が言った視線のことを気にかけてもらっているんですか?」
「あ・・・はい」
そうだ、詩甫のあの出血のことを思うと、やはり詩甫か瀞謝が何か恨みを買っているとしか思えない。
詩甫が困った顔を見せる。 心当たりが全くないのだろう。
「瀞謝の記憶の時にはどうでした? ここに来ていたのは明白ですよね」
「はい」
「その時に何かなかったですか? ここに限らず里に居る時にでも」
「・・・」
「野崎さん?」
「・・・それって、瀞謝であった時に誰かに恨まれたりしなかったかということですよね」
この時代、色んな情報が流れている。 霊、魂魄、そのような番組が多々ある、本もある。 詩甫も浅香が何を考えているのかに気付いたのだろう。
「その、気を悪くされたらすみません。 でも前に来た時のあの出血はおかしいと思うんです。 あのようなことが二度と無いようにと思いますし、視線って気持ちが良いものではありませんですから」
「・・・はい」
「あの! えっと、ほら、言うじゃないですか! 知らずに傷つけ・・・あわわ、じゃなくて、今の世で言ったらストーカーとか、一方的に勝手にっていうのとか、瀞謝の美を妬んだ女とか、ああ、逆恨みとかも」
少し考える様子を見せてから、再再度詩甫が首を振ってから答える。
「知らずに傷つけてしまったことはあるかもしれませんが、でも小さな村でした。 それに今の世のように、心の中に思っているだけで外には出さないという時代ではありませんでした。 それは事にもよりますが、村の中の人間関係ということでは誰もが思ったことをはっきりと言っていました。 私怨などは考えられません」
しっかりと浅香が思っていたことに答えてくれた。 心がイタイ。
「そう、ですか。 えっと、一つ確認のために。 その視線はここ以外では?」
「ありません」
即答。
気弱そうに見えて結構しっかりしているのだろうか。
「さっき、慰安旅行以外出かけなかったみたいなことを仰いましたけど、それってどういう事ですか?」
高校生にでもなれば友達と出掛けるだろうし、幼い頃には親が連れて歩いていただろう。
そう思うと詩甫の記憶の無い幼い時にここに来ていたのかもしれない。 幼い時であるから、何があったのか分かっていないのかもしれない
少し遠い目をしてから詩甫が答える。
「私、母の連れ子って言ったのを覚えて下さっていますか?」
浅香が頷く。
「私が九つの時に両親が離婚しましたけど、母は私を十八歳で生みました。 高校時代に妊娠してたんです」
突然にそんなことを言われて浅香の顔が少々引きつった。 何と答えればいいのだろうかと。 だが浅香の合いの手を待つことなく詩甫が続ける。
父親は高校を卒業してからはそれなりに働いたようだったが、収入が支出に追いつかず、実家から援助を受けていた。 高校を卒業してすぐの母親にやりくりなど出来なかった。 そんな中で親子三人でどこかに行くということは無かった。
父親はいつまで経っても財布の紐を締めない母親に愛想をつかして、時折仕事から帰って来なくなった。 ましてやその内、給料も渡さなくなった。 そしてとうとう離婚をした。
その後は母親と共に母親の実家で暮らしていたが、せいぜい長期休みになれば、祖父母に近くのデパートの屋上に連れて行ってもらったくらいだけだったと言う。
そして詩甫が十二歳の時に祐樹の父親と再婚をした。 母親が働くカフェに客としてやって来て知り合ったという。
母親が祐樹の父親のことを言った時には既に母親の腹に祐樹が入っていた。 そして祐樹が生まれてからは祐樹中心だった。
当時身体が弱く病気がちの祐樹を外に出すことは無く、その内に父親が社内の派閥争いに巻き込まれ、会社から帰って来るのが遅くなってきた。 母親は唯一の話し相手の詩甫を離さなくなってしまった。
「小さな時にどこかに連れて行ってもらったということもありませんでしたし、友達とショッピングに行くこともありませんでした」
「あ・・・。 すみません、なんか嫌なことを訊いちゃったみたいで」
「いいえ、そんなことはありません。 浅香さんが心配して下さっているのは分かっていますから」
「念押しに、お母さんの実家ってこの辺りじゃないんですよね?」
「はい、鹿児島です」
ドン引きするくらい離れている。 ある意味海の向こうではないか。 飛行機か新幹線に乗らなくてはいけないではないか。
「義父が出張で来た時に出会ったそうです」
浅香が、はぁーっと息を吐いて天を見上げた。 どれだけ点を結ぼうとしても此処に繋がる線にはならない。
「すみません・・・」
「あ、いや、そういう意味じゃ・・・。 えーっと、ここでだけなんですから、ここのことが終わったら、もうここには来ないでしょうから、その視線も止むでしょう、し・・・」
え? どういうことだ? ここに来なかったら視線は止む・・・。
それは別の方向から考えると、ここに何かあるという事だ。
曹司は朱葉姫が常にここを清浄にしていると言っていた。
(根付かぬ者)
その者がここの何かにこだわっている?
(だがそれならどうして野崎さんだけに・・・)
尻切れに言い終わらせた浅香。 詩甫が小首を傾げる。
「浅香さん?」
「あ、いえ、何でもありません。 とにかく、どんな横やりにも負けず朱葉姫の願いを叶えましょう」
「はい」
「バケツと雑巾ですよね。 ふふふ、他愛無い」
「・・・」
どこか不気味だ。
「浅香―! なに姉ちゃんと喋ってサボってんだよ!」
祐樹が走り寄ってくる。
「サボってないよ、ズッコンあちこちに穴空けてるし」
社の正面は浅香の放った化学兵器ならず、手動兵器のスコップによって一応埋められてはあるが、掘られた穴の痕跡があちこちに見られた。 根こそぎ雑草を抜いていたのだから。
「おっ、キレイになってる」
デコボコはしているが、雑草は根こそぎ抜かれている。
「だろ? 雑草にはスコップ。 これ神」
と言ってスコップを高々と持ち上げた。
多分、浅香の中ではスポットライトが当たっているのだろう。
「ブルドーザーなら瞬殺だな」
どうしてそんなこと言うかな、と言いながら、高々と上げていた浅香の手が落ちる。
「それじゃお社が倒れちゃうわよ?」
「あ、そっか」
「はい、祐樹君の提案瞬殺ぅー」
朱葉姫が微笑んだ。
社の、格子の向こうでのやり取りが嬉しい。 たった三人ではあるが、人数の問題ではない。 民の幸せを感じる。 民が幸せであってくれるのが嬉しい。
「一夜?」
「はい」
「久しく暖かいものを感じます」
「それはよう御座います」
久しく・・・何百年ぶりだろうか。
「そろそろ茶の用意を致しましょうか」
後ろから声がかかった。 まだ若い。 二十歳をいくらか過ぎた容姿である。
朱葉姫は亡くなった時の姿をしている。
他の者は朱葉姫が亡くなっても生きていた。 時の流れに忠実に年老いていた。 だがここに居る時の姿は、朱葉姫が亡くなった当時の姿に戻っている。
曹司を除いて。
朱葉姫が十八歳で亡くなった時、その時には曹司はまだ十二歳だった。
朱葉姫の屋敷で働いていたが、小さな時から朱葉姫に可愛がられていた。 朱葉姫が亡くなった時には働くことを忘れたかのように、小さな身体をふるわせて毎日毎日ずっと泣いていた。
その曹司が天命を終え、朱葉姫の前に姿を現した時には十二歳の姿だった。 朱葉姫が懐かしむように曹司を見た。
『曹司、懐かしや』
曹司は朱葉姫が亡くなってからも、ずっと社に足を向けていた。 その曹司の成長し、年老いていく姿を朱葉姫も見ていた。
だが一番、手に触れ身に触れていた時の曹司が何よりも懐かしい。
朱葉姫が曹司を抱きしめた。
『・・・姫様』
声変りのしていない曹司から声が漏れた。
親のなくなった曹司はいつもこうして朱葉姫に頭を撫でられ、ギュッと抱きしめてもらっていた。
その曹司の身体が朱葉姫から離れると曹司の容姿が変わっていった。 心身ともに一番動くことの出来た二十七歳の頃の姿に。
『姫様をお守りします』
声変わりが終わり背が伸び、顔からは幼さの一つも残っていない。
十二歳だった少年が、二十七歳の青年の姿に変えていた。 それは奇しくも浅香とほぼ変わらない歳であった。 ほんの少し浅香より年上だけであった
「ええ、そうですね。 今日はどのような物を持ってきてくれたのでしょうか」
一夜の言いように朱葉姫がくすりと笑う。
供え物などずっとなかった。 いや、食べたいのではない。 その気持ちが嬉しい。 その気持ちを頂く。
一夜の言葉に頷いた若い男がこの場から居なくなった。 小川の水を取りに行ったのだろう。
「供養石にも供えてくれて嬉しいものです」
朱葉姫は花を供えて欲しいと言っただけなのに。
「ええ、誠に。 皆も喜んでいましょう。 瀞謝が来てくれてほんに、よう御座いました」
「曹司のお蔭ね」
その曹司はここのところ社に戻って来ていない。 ずっと社の周りを中心に山の中を見回っている。
風もないのに鬱蒼と茂っている下葉がガサリと揺れた。 目を凝らして見てみると薄っすらと人影が見える。 その姿は二十歳を七年ほど越えた直垂(ひたたれ)姿であった。
その男が辺りを見回す。
「気のせいか・・・」
眉根を寄せると踵を返す。
その直垂姿の曹司を、離れた木の上から見ている双眸(そうぼう)があった。 それはついさっきまでそこに居た者の目。 今はまるで気配を押し殺すように曹司を見ている。
社と供養石の前に花と供え物を置くと三人で手を合わせる。
「姉ちゃん、小川で手を洗わない?」
祐樹が細目に雑巾を洗ってはいたが、それでも詩甫の手は汚れてしまっている。
「うん、手もそうだけど、小川を見たいな」
「綺麗な所だよ、行こ。 浅香はどうする?」
浅香が土まみれの手を見せる。
「でもまずは、この抜いた草をあっちに運ぶのを手伝ってくれないかな?」
祐樹が掃きまとめておいた枯葉の小山に。
浅香が抜いた雑草は、軽く振って根についた土を落としてはいたが、それでもいくらか根に土がついている。
「おっ、根っこの土が重石になって枯葉が飛んで行かないや。 丁度いいな」
祐樹が言うと浅香が土の付いた人差し指で、自分のこめかみ辺りをトントンと突く仕草をしてみせる。
「ここは使いようってね」
頭は使いよう、ということだ。
「げー、偶然だろ。 ってか、今オレが言ったから気付いたんじゃないのかー?」
「お兄さんがそんなことに気付いていないはずないだろう」
「だからっ、誰がお兄さんだって!」
二人でギャーギャー言いながらも雑草を運び出した。 もれなく詩甫も手伝う。
流れる小川の水の中に綺麗な石が沈んでいる。 その中で川藻が水の流れに寄り添うように、たゆたうっている。 澄んだ水は随分上を覆う木々の葉の揺れを縫うように降りおりてくる陽の光を受けとめ、キラキラと輝かせている。
「わぁー、綺麗」
祐樹が詩甫の手を取って小川までやって来た。
ちゃんと分っているのだ、と、浅香が祐樹を見て再度親指を立てて見せると、祐樹から同じように親指を立てた返事があった。
「ここにサワガニが居たの?」
祐樹と浅香の暗なるサインに気付かない詩甫が言うと、二人が目を合わせる。 浅香が頷きながら笑んでいる、祐樹の自由にしろと。
「そうだよ。 えっと・・・浅香が教えてくれたんだけど、石の下とかに隠れてる」
「そうなんだ」
詩甫が浅香を見ると浅香がコクリと応える。
「良かったね、教えてもらって」
「え?」 と、言ったのは、祐樹と浅香だった。
「えーっと、知っていることを言っただけですから」
「だよな。 浅香って・・・えと・・・」
「うん、生物が好きだよ」
「恐竜もだよな」
「生きとし生けるもの、それが好きなんだよなぁー。 恐竜の進化、進化しなかった恐竜がどうして絶滅したか。 あー、どうして絶滅したのかなー」
「イキトシ? なんだよそれ」
二人の会話を聞いていると漫才のようだ。 詩甫が笑いを堪えて小川を見る。
清涼、それ以外に言葉がない。
山の中であるが故、この小川を見て涼しさを感じてはいるが、清涼・・・爽やか、清々しいと感じた。 それは混ざり物がない。 流れるままに時が流れる。 反することなく、異を唱えることもなく。 不服に思うこともなく。
―――流れのままに。
それが幸せの原点。 そんな気がする。
流されるままも良しだが、時にはそこから何かに目覚めてあがき、流れに背いて水音をたてて飛沫を飛ばしたが故に苦しく辛い思いをしても、それも良し。 それでも流れの中に居るのだから。
瀞謝の時の流れの中にいる、そんな気がする。
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- 国津道(くにつみち)- 第14回
「あー、分かんねー」
黙々と雑草と戦っていた浅香の声に、驚いたように詩甫が振り返った。
「どうしました?」
「あ、いえ、何でも」
スコップをブンブンとふりながら答えたが、思い出したように続ける。
「えーっと、野崎さんって、ここに来る前にこの地を知ってました? 僕がお連れする前に来たことがあるとか」
詩甫が首を振る。
「遠方に出掛けるのは会社の慰安旅行くらいでしたから」
どういう意味だろうか。 慰安旅行とこんな所に来るのは全然世界が違うと思うが。
「そうですか。 じゃ・・・えっと、ここに何かまつわることを知っているとかは?」
再度、詩甫が首を振る。
「もしかして、私が言った視線のことを気にかけてもらっているんですか?」
「あ・・・はい」
そうだ、詩甫のあの出血のことを思うと、やはり詩甫か瀞謝が何か恨みを買っているとしか思えない。
詩甫が困った顔を見せる。 心当たりが全くないのだろう。
「瀞謝の記憶の時にはどうでした? ここに来ていたのは明白ですよね」
「はい」
「その時に何かなかったですか? ここに限らず里に居る時にでも」
「・・・」
「野崎さん?」
「・・・それって、瀞謝であった時に誰かに恨まれたりしなかったかということですよね」
この時代、色んな情報が流れている。 霊、魂魄、そのような番組が多々ある、本もある。 詩甫も浅香が何を考えているのかに気付いたのだろう。
「その、気を悪くされたらすみません。 でも前に来た時のあの出血はおかしいと思うんです。 あのようなことが二度と無いようにと思いますし、視線って気持ちが良いものではありませんですから」
「・・・はい」
「あの! えっと、ほら、言うじゃないですか! 知らずに傷つけ・・・あわわ、じゃなくて、今の世で言ったらストーカーとか、一方的に勝手にっていうのとか、瀞謝の美を妬んだ女とか、ああ、逆恨みとかも」
少し考える様子を見せてから、再再度詩甫が首を振ってから答える。
「知らずに傷つけてしまったことはあるかもしれませんが、でも小さな村でした。 それに今の世のように、心の中に思っているだけで外には出さないという時代ではありませんでした。 それは事にもよりますが、村の中の人間関係ということでは誰もが思ったことをはっきりと言っていました。 私怨などは考えられません」
しっかりと浅香が思っていたことに答えてくれた。 心がイタイ。
「そう、ですか。 えっと、一つ確認のために。 その視線はここ以外では?」
「ありません」
即答。
気弱そうに見えて結構しっかりしているのだろうか。
「さっき、慰安旅行以外出かけなかったみたいなことを仰いましたけど、それってどういう事ですか?」
高校生にでもなれば友達と出掛けるだろうし、幼い頃には親が連れて歩いていただろう。
そう思うと詩甫の記憶の無い幼い時にここに来ていたのかもしれない。 幼い時であるから、何があったのか分かっていないのかもしれない
少し遠い目をしてから詩甫が答える。
「私、母の連れ子って言ったのを覚えて下さっていますか?」
浅香が頷く。
「私が九つの時に両親が離婚しましたけど、母は私を十八歳で生みました。 高校時代に妊娠してたんです」
突然にそんなことを言われて浅香の顔が少々引きつった。 何と答えればいいのだろうかと。 だが浅香の合いの手を待つことなく詩甫が続ける。
父親は高校を卒業してからはそれなりに働いたようだったが、収入が支出に追いつかず、実家から援助を受けていた。 高校を卒業してすぐの母親にやりくりなど出来なかった。 そんな中で親子三人でどこかに行くということは無かった。
父親はいつまで経っても財布の紐を締めない母親に愛想をつかして、時折仕事から帰って来なくなった。 ましてやその内、給料も渡さなくなった。 そしてとうとう離婚をした。
その後は母親と共に母親の実家で暮らしていたが、せいぜい長期休みになれば、祖父母に近くのデパートの屋上に連れて行ってもらったくらいだけだったと言う。
そして詩甫が十二歳の時に祐樹の父親と再婚をした。 母親が働くカフェに客としてやって来て知り合ったという。
母親が祐樹の父親のことを言った時には既に母親の腹に祐樹が入っていた。 そして祐樹が生まれてからは祐樹中心だった。
当時身体が弱く病気がちの祐樹を外に出すことは無く、その内に父親が社内の派閥争いに巻き込まれ、会社から帰って来るのが遅くなってきた。 母親は唯一の話し相手の詩甫を離さなくなってしまった。
「小さな時にどこかに連れて行ってもらったということもありませんでしたし、友達とショッピングに行くこともありませんでした」
「あ・・・。 すみません、なんか嫌なことを訊いちゃったみたいで」
「いいえ、そんなことはありません。 浅香さんが心配して下さっているのは分かっていますから」
「念押しに、お母さんの実家ってこの辺りじゃないんですよね?」
「はい、鹿児島です」
ドン引きするくらい離れている。 ある意味海の向こうではないか。 飛行機か新幹線に乗らなくてはいけないではないか。
「義父が出張で来た時に出会ったそうです」
浅香が、はぁーっと息を吐いて天を見上げた。 どれだけ点を結ぼうとしても此処に繋がる線にはならない。
「すみません・・・」
「あ、いや、そういう意味じゃ・・・。 えーっと、ここでだけなんですから、ここのことが終わったら、もうここには来ないでしょうから、その視線も止むでしょう、し・・・」
え? どういうことだ? ここに来なかったら視線は止む・・・。
それは別の方向から考えると、ここに何かあるという事だ。
曹司は朱葉姫が常にここを清浄にしていると言っていた。
(根付かぬ者)
その者がここの何かにこだわっている?
(だがそれならどうして野崎さんだけに・・・)
尻切れに言い終わらせた浅香。 詩甫が小首を傾げる。
「浅香さん?」
「あ、いえ、何でもありません。 とにかく、どんな横やりにも負けず朱葉姫の願いを叶えましょう」
「はい」
「バケツと雑巾ですよね。 ふふふ、他愛無い」
「・・・」
どこか不気味だ。
「浅香―! なに姉ちゃんと喋ってサボってんだよ!」
祐樹が走り寄ってくる。
「サボってないよ、ズッコンあちこちに穴空けてるし」
社の正面は浅香の放った化学兵器ならず、手動兵器のスコップによって一応埋められてはあるが、掘られた穴の痕跡があちこちに見られた。 根こそぎ雑草を抜いていたのだから。
「おっ、キレイになってる」
デコボコはしているが、雑草は根こそぎ抜かれている。
「だろ? 雑草にはスコップ。 これ神」
と言ってスコップを高々と持ち上げた。
多分、浅香の中ではスポットライトが当たっているのだろう。
「ブルドーザーなら瞬殺だな」
どうしてそんなこと言うかな、と言いながら、高々と上げていた浅香の手が落ちる。
「それじゃお社が倒れちゃうわよ?」
「あ、そっか」
「はい、祐樹君の提案瞬殺ぅー」
朱葉姫が微笑んだ。
社の、格子の向こうでのやり取りが嬉しい。 たった三人ではあるが、人数の問題ではない。 民の幸せを感じる。 民が幸せであってくれるのが嬉しい。
「一夜?」
「はい」
「久しく暖かいものを感じます」
「それはよう御座います」
久しく・・・何百年ぶりだろうか。
「そろそろ茶の用意を致しましょうか」
後ろから声がかかった。 まだ若い。 二十歳をいくらか過ぎた容姿である。
朱葉姫は亡くなった時の姿をしている。
他の者は朱葉姫が亡くなっても生きていた。 時の流れに忠実に年老いていた。 だがここに居る時の姿は、朱葉姫が亡くなった当時の姿に戻っている。
曹司を除いて。
朱葉姫が十八歳で亡くなった時、その時には曹司はまだ十二歳だった。
朱葉姫の屋敷で働いていたが、小さな時から朱葉姫に可愛がられていた。 朱葉姫が亡くなった時には働くことを忘れたかのように、小さな身体をふるわせて毎日毎日ずっと泣いていた。
その曹司が天命を終え、朱葉姫の前に姿を現した時には十二歳の姿だった。 朱葉姫が懐かしむように曹司を見た。
『曹司、懐かしや』
曹司は朱葉姫が亡くなってからも、ずっと社に足を向けていた。 その曹司の成長し、年老いていく姿を朱葉姫も見ていた。
だが一番、手に触れ身に触れていた時の曹司が何よりも懐かしい。
朱葉姫が曹司を抱きしめた。
『・・・姫様』
声変りのしていない曹司から声が漏れた。
親のなくなった曹司はいつもこうして朱葉姫に頭を撫でられ、ギュッと抱きしめてもらっていた。
その曹司の身体が朱葉姫から離れると曹司の容姿が変わっていった。 心身ともに一番動くことの出来た二十七歳の頃の姿に。
『姫様をお守りします』
声変わりが終わり背が伸び、顔からは幼さの一つも残っていない。
十二歳だった少年が、二十七歳の青年の姿に変えていた。 それは奇しくも浅香とほぼ変わらない歳であった。 ほんの少し浅香より年上だけであった
「ええ、そうですね。 今日はどのような物を持ってきてくれたのでしょうか」
一夜の言いように朱葉姫がくすりと笑う。
供え物などずっとなかった。 いや、食べたいのではない。 その気持ちが嬉しい。 その気持ちを頂く。
一夜の言葉に頷いた若い男がこの場から居なくなった。 小川の水を取りに行ったのだろう。
「供養石にも供えてくれて嬉しいものです」
朱葉姫は花を供えて欲しいと言っただけなのに。
「ええ、誠に。 皆も喜んでいましょう。 瀞謝が来てくれてほんに、よう御座いました」
「曹司のお蔭ね」
その曹司はここのところ社に戻って来ていない。 ずっと社の周りを中心に山の中を見回っている。
風もないのに鬱蒼と茂っている下葉がガサリと揺れた。 目を凝らして見てみると薄っすらと人影が見える。 その姿は二十歳を七年ほど越えた直垂(ひたたれ)姿であった。
その男が辺りを見回す。
「気のせいか・・・」
眉根を寄せると踵を返す。
その直垂姿の曹司を、離れた木の上から見ている双眸(そうぼう)があった。 それはついさっきまでそこに居た者の目。 今はまるで気配を押し殺すように曹司を見ている。
社と供養石の前に花と供え物を置くと三人で手を合わせる。
「姉ちゃん、小川で手を洗わない?」
祐樹が細目に雑巾を洗ってはいたが、それでも詩甫の手は汚れてしまっている。
「うん、手もそうだけど、小川を見たいな」
「綺麗な所だよ、行こ。 浅香はどうする?」
浅香が土まみれの手を見せる。
「でもまずは、この抜いた草をあっちに運ぶのを手伝ってくれないかな?」
祐樹が掃きまとめておいた枯葉の小山に。
浅香が抜いた雑草は、軽く振って根についた土を落としてはいたが、それでもいくらか根に土がついている。
「おっ、根っこの土が重石になって枯葉が飛んで行かないや。 丁度いいな」
祐樹が言うと浅香が土の付いた人差し指で、自分のこめかみ辺りをトントンと突く仕草をしてみせる。
「ここは使いようってね」
頭は使いよう、ということだ。
「げー、偶然だろ。 ってか、今オレが言ったから気付いたんじゃないのかー?」
「お兄さんがそんなことに気付いていないはずないだろう」
「だからっ、誰がお兄さんだって!」
二人でギャーギャー言いながらも雑草を運び出した。 もれなく詩甫も手伝う。
流れる小川の水の中に綺麗な石が沈んでいる。 その中で川藻が水の流れに寄り添うように、たゆたうっている。 澄んだ水は随分上を覆う木々の葉の揺れを縫うように降りおりてくる陽の光を受けとめ、キラキラと輝かせている。
「わぁー、綺麗」
祐樹が詩甫の手を取って小川までやって来た。
ちゃんと分っているのだ、と、浅香が祐樹を見て再度親指を立てて見せると、祐樹から同じように親指を立てた返事があった。
「ここにサワガニが居たの?」
祐樹と浅香の暗なるサインに気付かない詩甫が言うと、二人が目を合わせる。 浅香が頷きながら笑んでいる、祐樹の自由にしろと。
「そうだよ。 えっと・・・浅香が教えてくれたんだけど、石の下とかに隠れてる」
「そうなんだ」
詩甫が浅香を見ると浅香がコクリと応える。
「良かったね、教えてもらって」
「え?」 と、言ったのは、祐樹と浅香だった。
「えーっと、知っていることを言っただけですから」
「だよな。 浅香って・・・えと・・・」
「うん、生物が好きだよ」
「恐竜もだよな」
「生きとし生けるもの、それが好きなんだよなぁー。 恐竜の進化、進化しなかった恐竜がどうして絶滅したか。 あー、どうして絶滅したのかなー」
「イキトシ? なんだよそれ」
二人の会話を聞いていると漫才のようだ。 詩甫が笑いを堪えて小川を見る。
清涼、それ以外に言葉がない。
山の中であるが故、この小川を見て涼しさを感じてはいるが、清涼・・・爽やか、清々しいと感じた。 それは混ざり物がない。 流れるままに時が流れる。 反することなく、異を唱えることもなく。 不服に思うこともなく。
―――流れのままに。
それが幸せの原点。 そんな気がする。
流されるままも良しだが、時にはそこから何かに目覚めてあがき、流れに背いて水音をたてて飛沫を飛ばしたが故に苦しく辛い思いをしても、それも良し。 それでも流れの中に居るのだから。
瀞謝の時の流れの中にいる、そんな気がする。