国津道  第18回

大福りす
『国津道(くにつみち)』 目次


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- 国津道(くにつみち)-  第18回



翌日、詩甫の部屋をあとにした祐樹、その時フッと気付いた事があった。
駅に向かい電車に乗る。 電車を降りるとそのまま図書館に向かったが、残念なことにもう閉まっていた。

図書館には小学生のコーナーがある。 そこには結構色々な本が揃っていることは知っていた。 だが目的の本があるだろうか。

出直した翌日、図書館に向かうと片っ端から棚の本を見て回った。 


詩甫はデスクについていた。
週末、金曜日に出荷された品々の伝票をパソコンに打ち込んでいた。

「うん?」

在庫も含めて入荷以上の出荷がある。 それも桁違いに。 完全に書き損じだろう。
伝票発行蘭の横にある伝票確認のサインを見ると、よくよく顔見知りの相手だった。

(そうだ)

思い出したことがあった。
詩甫の手が止まっているのを隣に座っている五歳上の社員が気付いた。

「なに? 伝票ミス?」

「みたいです。 確認をとってきます」

「しっかりやれって言っといて」

「はい」

半分笑いながら詩甫が席を立つ。 三階から一階の現場へ階段を下りて行く。

会社の敷地面積は六十坪くらいであろうか、そんなに大きな会社ではないが、一応オフィス街ではある。 オフィス街としては、そのビル一つが一つの会社というのは、オフィス街の異色として建っている。 ましてや入荷出荷をする現物を扱っていることも異色であった。

「願弦(がんげん)さん居ませんかー?」

目的の人物の担当する棚の立ち並ぶ方に向かって、両手を口の横に充てて願弦と言う名の男を呼んだ。

「弦さーん、呼ばれてますよー」

どこかの棚から中継ぎをするような声が聞こえた。
ほーい、と間の抜けたような、愛嬌のある返事が棚の中から聞こえる。

「野崎です! 伝票のことでお伺いしたいことがあります!」

今度も両手を口の横に充てて棚の間に聞こえるように言った。 こう言えばどこに姿を現せばわかるだろう。

少し経つと棚の間から願弦が出てきた。

「伝票? 詩甫ちゃんで良かった、なんかミスった?」

三十の歳を過ぎた、熊のような体躯と面差しだが柔和な物腰で詩甫の前に立つ。

「この伝票ですけど」

詩甫が見せた伝票を手に取るとすぐにその意味が分かったようだ。

「ったー・・・小数点を付けるのを忘れてたか」

それで桁違いが生まれたのか。

「いや、そのね・・・色々あって」

ようは、こういうことらしい。
この商品は小さいがため百単位で売る商品である。 その百の桁が伝票上は一の桁となる。 だが相手先が色を付けてほしいと言った。 こういう取引は当たり前にある。 値引きをするか商品を多めに納めるか。 今回は色を付けてほしいということで、百単位で売るところを百に対して百二十ということになったらしい。

簡単に言うと伝票上が1.2ということになる。 それが千売れれば12、万売れれば120。 今回は現物的に二万四千五個出荷されたようだった。

何だよ、その五個は、と言いたくなる。

単純に伝票上は240.05になるが、その小数点を書き忘れていたということだった。 伝票には24005と書かれていた。 在庫的に有り得ないし、伝票に小数点を入れることは基本禁じられている。 致し方ない時にはその旨を事務所に言わなくてはいけなかった。

「ちょっと言って下さればよかったのに」

それくらい処理できるのに。

「いや、ごめん、ごめん」

願弦が自分の首の後ろを二度叩く。
まるで願弦が自分のミスのように言っているが、そうでないことを詩甫は分かっている。 願弦の部下のミス。 その部下が伝票を書いたのだから。
だが願弦から言わすと確認欄にサインをしたのは自分だから、それは自分のミスだというらしいが、何百枚もの伝票である、気付かなくてもおかしくはない。

「じゃ、その様に処理をしておきます」

「頼む」

「あの、願弦さん?」

「ん? なに?」

「ご実家、神社でしたよね?」

「あー、・・・うん」

そんなに大きな神社ではないとは聞いてたが、次男であり予備軍として跡を継ぐに神職の大学を出たと聞いている。
神社は長兄が継ぐらしい。 願弦はあくまでも予備軍、兄が継ぐならそれでいい。 それに本心は跡を継ぎたくないということらしく、神社に身を置かずこうして一般で働いている。 三男である末弟の弟にはハナから継がせる気持ちがないらしく、次兄予備軍の権限として神職の学校も出させていないらしい。

「教えてほしいことがあるんですけど」

「ん? なに?」


図書館で思いの本が見つかり、ホクホク顔で本を胸に抱いて家に戻ってきた。

「ただいまー」

戸を開けて玄関で靴を脱ぐとすぐに母親が迎えに出てきた。 いつも通りだ。

「お帰り、今日は遅かったのね」

「図書館に寄ってたから」

「そう、宿題かなにかで?」

また宿題か。 嫌気がさす。 だがそういう事にしておけば母親の機嫌がいい。

「うん、そう」

祐樹が胸に抱いている本をチラッと見る。

「あら? なに? その本」

図鑑でも地図でもなさそうだ、それ以外でも。 自由研究の参考になる本とも思えない。
母親が本に手を伸ばしかけたが、祐樹がそれとなく遮る。

「社会の宿題の参考に借りたんだ」

自由研究ではないようである。

「社会の宿題が出たの?」

「班で調べてまとめるって宿題が出てるから」

嘘だ、そんな宿題は出ていない。

「そうなの、四年生にもなれば宿題も変わるのね」

「うん」

「お姉ちゃんの時とは時代が違うのね」

詩甫と祐樹は十年も離れている。 学校の様相が変わっていてもおかしくない。

(姉ちゃんもずっとこうして、お母さんに見張られていたんだろうか・・・)

母親が同級生の母親と宿題の話をしてしまえばすぐに嘘だと分かってしまう。 だがこの母親は同級生の母親と宿題のことなど話さないだろう。 祐樹と父親のことしか考えていないのだから。 ・・・いや、母親自身のことしか考えていないだから。 父親のことはどうか分からないが、祐樹のことは・・・ある意味道具としか考えていないだろう。
そうであっても、そんなものは悲しくない。

「ね、今日はお父さんが遅いらしいの。 一緒にその宿題をしましょうよ」

『祐樹? クッキーを焼いたの』
『祐樹? 美味しいジュースがあるの』

母親の声が部屋に閉じこもる祐樹の背にいつも聞こえていた。
自分のことを母親がどう考えていようが、詩甫が居るから悲しくなんてない。

「班の宿題だから一人で集中したいから」

「どうして? お父さんが遅くなるのに? お母さんが一人になっちゃうのに?」

話しが変わっている。

「・・・宿題をしてくるから」

足を階段に向けて歩き出す。

「そう・・・、すぐにおやつを持って行くわね」

母親の声が祐樹の背を追ってくる。

階段を上がり、二階の自分の部屋に入ると戸を閉める。 ランドセルを下ろすと、勉強机に向って椅子に座り、胸に抱きしめていた本を机の上に置く。

本のタイトルは『神様とお話し』 であった。

祐樹から見て朱葉姫は神である。 その朱葉姫と話は出来る、はず。
詩甫が朱葉姫と話したのだから。
ハードの表紙をめくると何も書かれていない頁。 それをめくると目次が書かれていた。


「社の解体?」

願弦が詩甫の言ったことに疑問符をつけて復唱した。

「社を閉じる? その祝詞?」

詩甫が頷いたが、願弦がどういうことかと訊き返す。

「神主が居るだろ?」

「えっと・・・お社と言っても、神様が祀られて居るところではなくて、それに昔々のお社で神主さんなんかいなくて」

「はぁ?」

「ですから・・・祝詞を教えて欲しくって」

「神が居ない社にか?」

「はい・・・」

神道は八百万(やおよろず)の神である。 仏教のようにどこどこの寺に何某かの仏像がある、有難い、というわけではない。
だがまぁ、神社神社で祀られている神は違うが。

八百万の神々は歩いている道の曲がり角にも居られる。
敢えて願弦は神がいない社なのか、と問うた。 だが八百万の神はそこに居られる。 とは言っても社にも神社にも祀られている神様がおられる。

「解体清祓(かいたいきよはらい)か」

「え?」

家屋の守り神である屋船久久遅神(やふねくくのちのかみ)と屋船豊受姫神(やふねとようけひめのかみ)に対して、これまで長年にわたり、何事もなく無事に過ごさせていただいた感謝の気持ちを表すとともに、取り壊しの奉告をし、また、お許しをいただき、解体工事がすみやかに無事終了するように祈願する祭りである。

「まずは土用を避ける」

祝詞ではなく詳しく話してくれた。

「土曜日ですか?」

フッと願弦が笑んだ。

「週休二日制の土日の話じゃないよ」

立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれの前十八日間を土用と言う。 “用” というのは “働き“ のことである。 この期間中は土を動かしたり、土木工事に着手すること、壁を破ることは大凶であるが、例外として、土用期間中でも行って良い日がある。 春は巳・午・酉の日、夏は卯・辰・申の日、秋は未・酉・亥の日、冬は卯・巳・寅の日。 この日にお祭りをして工事に着手すれば良いとされている。

「用意する物は米、酒、水、塩」

降神、献饌の言葉を上げ、ようやく祝詞奏上となる。

「此の處を暫の間 巌の、で始まって、守り恵み幸へ給へと恐しみ恐しも乞い願い奉らくと白す。 で終わる」

願弦が軽く祝詞を口にした。
家屋の四方や樹木などにお祓いをし、塩を撒き、御神酒を捧げ、玉串拝礼。
その後にお下げするという儀式。

「ってこと」

思っていた程に簡単ではなかったようだ。 単に祝詞を上げればいいだけかと思っていた。 祝詞を教えてもらえばいいだけだと。 下手っぴでも、心から唱えればいいと思っていた。

「それって・・・省いちゃいけないんですか?」

願弦が眉を上げた。


“神様は、願い事を聞いて下さるわけではありません”

「んん?」

そんな筈はない、 神社の前に行って鈴を鳴らし、賽銭をして手を合わせ、願い事を言うとそれが叶うはず。

「あ・・・叶ってないか・・・」

小学校に入る年の初詣で勉強が出来ますように、と願った。 すると間違いなく成績は良かった。
だがその年の後からは、詩甫と一緒に暮らしたいと願ったのに、それは叶えられなかった。
何度も何度も願ったのに。

“神様は願いを叶える道具ではありません”
そんなことも書かれていた。
もちろん道具などとは思っていない。 だがそうなってくると神様って何だ? そんな疑問が浮かんでくる。

「朱葉姫って・・・」

詩甫が言っていた。 朱葉姫は昔々の人だと。

「神様じゃなくて・・・幽霊、なのか・・・?」

朱葉姫を神格化していた祐樹だが、ここにきて朱葉姫が神ではないことに思い至った。
それでも・・・朱葉姫を幽霊とは考えられない、思えない。

本には他にも書かれていた。
神道では、亡くなった人は地上に留まって守護神となると考える。
その中で菅原道真が神格化されている。 天満宮がそうであるが、それは時の朝廷が菅原道真の怨霊を鎮めるために神としてあがめるようにしただけである、と。

自分達がしてきたことを贖(あがなう)う為に。 いや、贖うと言ってしまえばそうではない。 贖うとは罪の償いなのだから。 償いなどない。 自然災害が菅原道真の怨霊が起こしたものと考え、それから逃げるだけである。
それでも現代人は、頭がよくなりますように、受験に合格できますようにと、勉強の神様のように天満宮にお参りする。

祐樹が首を振る。
そんな時の朝廷とは違った意味で、朱葉姫を幽霊とはやはり思えず神と思う。

「きっと・・・優しい神様」

詩甫が心を寄せるのだから。

朝廷の勝手とは別に、神には天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)がおられると書かれている。

天津神は天からの神。 高天原(たかまがはら)に居られる神々。 俗にいう、天岩戸の話があるが、少なくとも、そこに居られた神々は天津神となる。
天岩戸に隠れられた天照大御神(あまてらすおおみかみ)。 伊勢神宮のご祭神は天照大御神である。 伊勢神宮に我が国の天皇家が行かれるのは、天皇家が天照大御神の子孫とされているからである。

国津神は、葦原中津国(あしはらなかつくに) からの神々。 出雲大社のご祭神である大国主大神を始め、天孫降臨の際に道案内をした猿田彦命などが有名である。 (日本書紀、古事記、風土記などで神名に違いはある)

朱葉姫を神と考えた時にどこに属するのか。
天津神でも国津神でもない。 時の朝廷が考えた怨霊を鎮めるために神という名を与え祀った神でもないし・・・守護神でもないだろう。

(武器なんて持ってないはずだし・・・)

詩甫からそんな話は聞いていない。

祐樹の頭の中で守護神は守るための戦う神のようだ。

昔々の人達が朱葉姫を慕い、今は詩甫と祐樹のただ二人の神様。 優しい神様。
この本に書いてあるように、願い事を叶えてくれる神様でもなく、決して道具などでもない。
詩甫から朱葉姫のことは聞いていた。 民のことを想っていたと、民が微笑んでいるのが嬉しいと。

「朱葉姫は・・・朱葉姫のことを想っている人に微笑んでくれる神様」

ドアの向こうから声がかかった。

「祐樹、美味しいおやつとジュースよ」

祐樹がパタンと本を閉じた。


部屋に戻った詩甫。
座卓に両腕を預け突っ伏している。
思ってもいなかったことを願弦から聞かされたからであった。
社に居る朱葉姫の事だけでは終わらないということ。 社が建っていた土地神にも、礼を尽くさなければいけないということ。

「言われてみればそうだけど・・・」

考えもしなかった。

もし地鎮祭でも経験があれは、建物を建てるに土地神様に祝詞を奏上することを知っていたかもしれない、そう思うと建物を閉じる時にも同じように、神様にご報告をしなければならないということを想像できたかもしれない。 だがその経験がなかった。

「いや、そうであっても、単に祝詞を唱えればいいみたいだけど」

それでもちゃんとした儀式があるようだ。
そんなことが素人に出来るはずがない。
だからといってどこかの神主や願弦にも頼めるはずはない。 浅香が言っていた話では、朱葉姫が人死にがあるかもしれないと言っていたと言うのだから。
“怨” を発する者は、祝詞を唱える神主であっても何かをするかもしれない。

時計の秒針が動いている。 秒針が時計を一回りして分針が動く。 その分針が何度目かに動いた時、ようやく詩甫の手が動いた。
座卓に預けていた腕を引いて、突っ伏していた額に両掌を合わせる。 ゆっくりと顔を上げる。

「とにかく・・・」

今出来ることをしよう。