辰刻の雫 ~蒼い月~  第197回

大福りす
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第190回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第197回



川の流れる音がする。 それも盛大な音。 それが段々と近づいてくる。 いや、自分から近寄っている。
岩の影から二人乗りの馬が姿を現した。

「わぁ・・・」

見たこともない滝であった。 複雑に水の道を描き三段に分かれている。 そして最後の最後には五つの滝に分かれている。 それもどれも立派な滝。

「すごい・・・」

粒になった水飛沫が虹を作っている。

「降りていい?」 馬から。

「ああ、待っておれ」

先にマツリが下りると手を差し伸べて紫揺を下ろす。

「こんな滝見たことない」

マツリが適当な出っ張りに手綱を括りつける。

「泳ぐでないぞ」 滝壺で。

「足をつけるだけだったらいい?」

「薬草を塗っておろうが」

そうだった。
仕方がない、手だけでも滝壺から流れている川に浸ける。

「そんなに滝が良いのか?」

「うん、どうしてか分かんないけど」

日本に居る時にはそんなことは無かった。 いや・・・思い返すとそうでは無い。 シノ機械で働いている時、滝の話を聞いた。 夏場に家族で行ってきたと。
それから滝を思い浮かべるようになった。 行ったこともない滝。 せいぜいテレビで見るだけだった滝。 どこの滝とか、どんな滝とか考えることなく、とにかく滝を見たいと思った。 滝のある所に行きたいと思った。 だがそれも父母を失くした自責の念から消されていた。

「滝が好きみたい」

「そうか」

泉も好きだと言っていた。 それは五色の力に関係するのだろうか。 そうであるのならば、白である秋の力の天と沢の力か、黒の力である冬の力の水の力か。 それとも両方か。
だが紫揺は紫の力を持っている。 紫の力の基本は赤と青の力。

紫揺は五色というものをまだまだ理解しきれていない。 それなのに紫という力を持っている。 それを思うと白と黒の力も大きいのかもしれない。
高妃の時には黄の力を使ったと言っていた。 砂土ではなく天位の力を。
東の領土で生まれ育っていればその力を理解できただろう。 理解し、それでも力に押されそうになれば初代紫が手を貸しただろう。 今の紫揺にしていたように。 だが今の紫揺はまだよく分かっていない。 迷いや分らない所が多々あるだろう。 初代紫がどうして手を貸してくれないのか迷う時もあるだろう。

「紫は滝が好きなのだな」

どうして滝が好きか分からない紫揺の頭を撫でてやる。

「どうしてなどと要らぬのではないか? 紫が好きならばそれで良いではないか」

「うん・・・」

「我も滝を好きになろう」

辺境において滝は人の命を奪うこともある。 杠の両親が奪われたように。

「うん」

マツリの心の内など知らぬ紫揺。 杠の両親がどうやって亡くなったのかという話は聞いていたが、目の前の滝と直結して思い出せなかった。
だが現場を見ていたマツリはそうでは無い。 杠の両親が滝に流されたところを見たわけではないが、結果を今も鮮明に思い出せる。
それでも滝を好きになろうと言う。

滝の前で握り飯を食べ色んな話をした。 杠とマツリと一緒に居て楽しい。 でも杠の言うようにマツリと二人っきり、こういう時も必要なのかと思った。 はっきりとしたものは分からないが、それでもマツリの何かに触れられるような気がする。

「え? じゃ、九の歳から他出してたの? キョウゲンに乗って?」

「ああ、まだ最初は本領内だけだったがな。 リツソは我が十の歳から出ていると思っているようだ」

「リツソ君って・・・いくつだっけ?」

「十八の歳だ。 婚姻の儀を上げる頃には十九の歳になろう」

「まだカルネラちゃんとも上手くいってないよね・・・」

マツリとキョウゲンの関係には程遠い。

「二つ名もまだだ。 どうしたものやら」

二つ名どころか足し算引き算も危ういではないか。
そういえば今回やって来てリツソと会っていない。

「背が伸びてたよね。 また伸びたみたい?」

「我がリツソと最後に会ったのは紫と同じ時だ」

それはマツリがリツソに紫揺とのことを言った時ということ。 他の言い方をすれば高妃のことがあった時ということになり、それは半年以上も前の話になる。

「そう言えばコウキは?」

「父上が文で頼まれて ”古の力を持つ者” の長が引き取ってくれた。 力を失くしたとはいえ五色として生まれた。 “古の力を持つ者” の元に居るのが一番良いだろう」

「うん、そうだね・・・。 幸せになってくれるといいな」

マツリが紫揺の頭を撫でる。

「なる。 紫がそう導いたのだからな」

「うん・・・」

「さ、そろそろ戻ろう。 光石を持っておらんからな、こんな所で遅くなっては戻るに戻れなくなる」

「・・・うん」

紫揺の返事の歯切れが悪い。

「どうした?」

「何でもない」

立ち上がるとお尻をパンパンとはたいた。
チューをしないのか。 だからと言って自分から言えるものではない。 おムネが大きくなるドキドキを逃してしまった。
紫揺がそう思っている一方でマツリも思っていることがある。 本当なら今にも抱きしめて口付けたい。 だがそうなれば今までの口付けで終りそうにない。 今の紫揺にそれはまだ受け入れられないだろう、と。


宿に戻ると杠が麦酒を呑んでいた。 昨日と逆である。

「お帰りなさいませ。 お先に頂いておりました」

「ああ、気にするな。 だが珍しいな? 何かあったのか?」

しっかりと紫揺が杠の隣に座る。

「久しぶりに肉体労働をしまして冷たいものが欲しくなってしまいました」

「肉体労働?」

訊いてきたマツリに詳しく話をしだそうとした時に給仕がやって来た。
今日も『今日のおすすめ夕餉』 を頼んだ。

杠が続きを話し出す。 男達が仕上げた硯に最後の工程を終わらせ、それを順に馬車に運んだということであった。

「それだけで肉体労働と言うのか? 我よりずっと若いのに」

「それが馬車に積みますのに一苦労で御座いまして」

平たく並べるだけでは硯同士が当たってしまうかもしれない、それに平たく並べては場所が足りなくなってしまう。
結果、馬車の中に納まる棚を宿所を作った時の木片で作ったと言う。

「杉山の者のようだな。 そんな事は杉山に居た者たちに作らせれば良かったものを」

「それが紫揺の作った硯を見て一刻でも硯の方を作りたそうな顔をしておりましたので」

「え? 私の?」

それまで黙って聞いていた紫揺が鳩が豆鉄砲を喰らったような目をして訊き返してきた。
杠に言わせると、紫揺の入れた模様は鈴の花であったが、それがいたく気に入ったようらしい。

「まずは使える硯を作るのが先だというのに、模様を入れたがってな。 ああそうだった、紫揺の作った硯を仕上げておいたぞ」

横に置いていた包みの中から紫揺の作った硯を出すと紫揺に渡す。

「わっ、硯らしい色になってる」

「墨を何度か塗ってその上から漆を塗っている。 仕上がったものを見ないのもな、と思って持ってきた」

「そうなんだ、有難う」

するとマツリの手が伸びてきて硯を手に取った。

「あ・・・」

「ほぅー、これは良いな」

裏を返したり面を触ったりして、最後に鈴の花に指先を這わせている。

「我にくれんか?」

「あ、マツリ様それは。 岩石の・・・硯の山の者たちの反感を買うだけで御座います」

記念に置いておきたいと言っていたのだから。 
マツリが半眼で杠を見るが、杠が当たり前の顔をして答える。

「民と敵対しては、今までのことが全て流れましょう」

「・・・分かっておる」

絶対に心の底から納得をしていないな、と紫揺と杠がマツリに視線を送る。
そう言えば日本では恋人同士の間でプレゼントを渡しあうというシステムがあるが、ここではどうなのだろうか。

『今日のおすすめ夕餉』 が運ばれてきた。 今日のおすすめは川魚定食のようだ。

食べながら紫揺が明日帰ろうと思っていると言うと、そろそろという気がしていたマツリと杠が頷いた。

「では明日は己が杉山に行きましょう。 岩石の山は今、硯を作ることに集中しておりますので、何も問題は無いでしょう」

杉山で何かあっても杠はあくまでもマツリ付の官吏、喧嘩を止めることなどしないが、武官が止めるだろうし、杉山の者達同志でも止めるだろう。
武官の中には杠が官吏の試験を受けた時の体術を目にした者はいるが、それでも身体を動かせるところを人前で見せないようにしている。 万が一にも俤と疑われては困るからである。

「喧嘩は始まらんとは思うが・・・」

それでも突発的に何があるか分からない。 そうなれば武官だけではなく、杠が動かねばならないこともあるだろう。 だからと言って紫揺一人で洞を潜らせたくはない。

「宮まで武官さんに送ってさえもらえれば一人で帰れるから」

宮までの道案内が居ればそれでいい。

「そういうわけにはいかん」

「そんなことを言ってたら簡単にこっちに来られないじゃない」

マツリと杠がどういうことだという目を紫揺に送る。

「私が来たり、特に帰る時に必ずマツリが付いてなきゃいけないだなんて、マツリの邪魔になるだけでしょ?」

紫揺の言っている意味が分からない。
民と宮での感覚の違いはあるが、男が女人を守るのは当たり前のこと。 そしてそれは特に宮にある。

「何を言っておる?」

「邪魔になりたくないの」

「邪魔?」

「マツリはマツリのやりたいことをして。 杠もそう。 だから私が来たからってやりたいことを曲げないでほしい」

「そういうわけにはいかん」

守るということもあるが、東の領土との関係もある。 紫揺を一人帰すことなど出来るわけがない。

「じゃ、来ない」

「は?」

マツリと杠の初のデュオ。

「もう来ない」

「どういうことだ!」

マツリの怒声に周りに座って、夕餉を食べていた民が驚いた顔を見せ、同じく夕餉をとっていた武官たちが震撼した。

「マツリのやりたいことに迷惑をかけるんだったらもう来ない。 杠にしてもそう」

「迷惑などとあろうはずがなかろうが!」

「じゃ、明日帰る時には武官さんをお願い。 マツリも杠もいいから」

「一人で洞を抜けるというのか!」

「マツリ様、声を抑えて下さいませ」

杠は武官の目を気にして言ったがそれだけではない。 民に洞のことを聞かせてはならない。

「紫揺、マツリ様はご心配をされている。 それを受けろ」

「私はマツリにしたいことをして欲しいと思ってるだけ。 それを邪魔したくないだけ」

「だがマツリ様は気にされている」

「マツリとキョウゲンが気にし過ぎ」

キョウゲンは洞に入るとすぐに先に飛んで行って洞の様子を見ている。 マツリに感応しているキョウゲンなのだから仕方はないが。

「杠、杉山を頼む」

「だから、やめてって言ってるでしょ!」

「明日送って行く」

「そう、だったらもう二度と本領に来ない。 マツリのしたいことを妨げるだけなら奥になる理由が無い」

杠が紫揺! と言いかけた時に他から声が上がった。
夕餉を食べていた武官達だった。

「マツリ様!」

え? っと思ってマツリと杠が首を回す。

「紫さまが本領に来られないとはどういうことでしょうかっ!」

「御内儀様になられないということは、どういうことでしょうかっ!」

どやどやと武官たちに囲まれてしまった。 二人の間では済まない、ややこしいことになってしまった。 マツリが頭を抱えた。


翌早朝、マツリと杠に見送られた紫揺が六都を出た。 上空にはキョウゲンが飛んでいる。

夕刻、武官と共に宮に戻ってきた紫揺を待ちかねていたように “最高か” と “庭の世話歌が” が大門にいた。

「え? どうして?」

有難うございましたと言い、月毛の馬を武官に預けると四人の元に近寄る。 いつものことだが馬が恐いのであろう、少し離れた所に居る。

「見張番殿に聞きましたので」

見張番である百藻と瑞樹には、少なくとも五日間は戻って来ないので岩山に戻っていて下さいと伝えていた。 それを聞いたということだろうか。

「じゃ、昨日も待っていて下さったんですか?」

「当然に御座います」

さも嬉しそうに応える。 大門から迎えられるのは初めてなのだから。

「あ、そうだ。 有難うございました。 驚きました!」

そう言うと手を左右に広げ大の字になってクルリと回る。 着ているのは四人が作った衣である。 今日は柿色のキュロットと緑系の上衣を着ている。 もう足に晒は巻いていない。
紫揺の仕草が幼子のようで、武官が顔だけで笑いながら袈裟懸けにしていたものを、一番近くに居た世和歌に渡した。 もう一着の衣である。
賑やかしさに百藻と瑞樹が出てきた。

「お帰りなさいませ」

「あ、ただ今戻りました。 お待たせしました」

紫揺の言いようはどういうことだろうか。

「紫さま?」

「まさか、今から東の領土にお戻りになるなどと・・・」

「今から戻ってきたご挨拶をして、間に合いますよね? 陽は落ちませんよね?」

紫揺の声に耳を傾けていた百藻と瑞樹に刺すような視線を感じた。 完全に “最高か” と “庭の世話か” に睨まれている。 要らないことを言うのではないと。 なんと返事をしていいか分かっているのだろうな、という目で。
瑞樹がソッポを向いた。 あとは百藻に任せるといった具合に。 その様子が百藻の目の端に入る。

ゴホンと白々しい咳をしてから百藻が口を開く。

「東の領土に入られる頃には陽が落ちてしまっているでしょう。 明日にされてはいかがですか?」

「あ・・・でも」

東の領土でもお付きたちが待っているはず。

「マツリ様もおられないようですし、お一人でしょう? お一人では危険です」

「キョウゲンがいるから大丈夫です」

「え? キョウゲンが?」

どこにも見えないがどこかの木の枝にとまっているのだろう。 供と主の関係を詳しく知らない百藻であるがそれでも驚くことである。 キョウゲンがマツリから離れるなどと。

「はい、だから大丈夫です」

「見張番殿?」

なんとか言えと丹和歌が座った視線を百藻に送る。 紫揺にバレないように。

「あ、ああ、そうですね。 ・・・ですが陽が落ちてしまっては足元が危ないので」

「あ・・・そっか」

キョウゲンが居てくれているといえど、山を下りるのに足元が見えなくてはすっ転んでしまうかもしれない。 それこそ六都で流されたドンクサ噂を実行してしまうかもしれない。

「そうで御座います」

「ええ、ええ。 見張番殿の言う通りで御座います」

「ささ、お疲れで御座いましょう」

「湯浴みの用意がして御座います」

“最高か” と世和歌に背中を押されて大階段に向かって歩きだした後ろで、丹和歌が振り返り百藻に礼を言う。 抜け目がない。
そして顔だけで笑っていた武官達にもしっかりと紫揺に代わって礼を言う。 紫揺はどんな相手にも必ず有難うというのだから。