国津道 第61回
『国津道(くにつみち)』 目次
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『浅香さん・・・。 私は朱葉姫に生きてほしいんです』
たとえ朱葉姫が一度その道を選んだとしても、朱葉姫と縁ある人と共に歩んでほしい。 社に括られて欲しくはない。
未来を歩いて欲しい。
「野崎さんの仰りたいことは分かります。 でも朱葉姫が決めることです」
それは朱葉姫を孤立させるということでは無いのだろうか。 誰にも相談出来ることなく、甘言を貰うことなく。
「野崎さんが思っているほど朱葉姫は弱い人ではありませんよ」
そうだ・・・甘言などというものを朱葉姫は受けないだろう。
朱葉姫は、可愛く美しく嫋やかで、人心に添うことを望む人。 だがそれだけでは無いだろう。 そうでなければこの年月を過ごしてこられなかったはず。
『・・・そうですね』
自分の先を二の次に出来る人。 でも、だからこそ誰かが言わなければいけないのではないのだろうか。
朱葉姫の顔が浮かぶ。
(朱葉姫・・・)
朱葉姫が今後もずっと社に残るかもしれない、それは詩甫からしてみれば悲しい決断に思えるが、それが朱葉姫の本望。 でもそれは自分を抑えた本望。
結果的に詩甫の思う朱葉姫を考えると要らないことをしてしまった、そう考えてしまう。 あのまま社が朽ちれば朱葉姫は生まれ変われることが出来たのだから。 だからと言ってあの社を朽ちて終わらせるなんて出来なかった。
浅香と共に社を持たせ、朱葉姫に民を見てもらいたかった。 それで終わるつもりだった。 できれば祭の一つもして。
だがそう終われなくなった。 長治たちが社を修繕すると言った。 大工も入ると。 それはずっと社が続くということ。
考え方を変えると、社が続いても朱葉姫がそこにいなくてはならないことは無い。 だが朱葉姫はそんなことをしないだろう。
(私の我儘・・・)
それを朱葉姫に押し付けてしまった。
「野崎さん、要らないことを考えてます?」
『え?』
「考えてますよね?」
『要らない事って・・・』
「長治さん達が社を修繕する。 それは朱葉姫に場を提供するってことです。 場っていうのはお社のことです。 村の人たちが修繕された紅葉姫社に朱葉姫が居るだろうと朱葉姫を信じてお社に行く。 それはそこいらの社と一緒でしょう?」
『え?』
「こんなことを願弦さんに聞かれたら怒られるかもしれませんけど、ご祭神が居ない社は五万とあるんじゃないでしょうか」
「・・・」
神様のことなど分からないが、そうかもしれない。
「でもそこに神様は居るんですよね」
『それって・・・』
「ええ、人が信じる思いです」
『あ・・・』
「それと、八百万の神々」
『八百万、の?』
「あの山にもお社にも八百万の神々がいて下さいます」
八百万の神々のことは詩甫も知っている。 石にも木にも神々がいて下さる。
「願弦さんの受け売りですけど」
そう言えば浅香と願弦がそんな話をしていた。
「万が一にも朱葉姫があの世に行ったとしても、八百万の神々があの村の人たちを見守りますよ」
詩甫が大きく目を開けた。 全く考えなかったことだった。
「日本人は八百万の神々に見守られているんです。 それは朱葉姫が村の人達を見てきた濃い想いより薄いかもしれません。 でもそれで良いんじゃないですか?」
村人が紅葉姫社で手を合わせると願いが叶う、そんなことは必要ではないし、村人たちはそんなことを思ってはいない。
「わぁ、僕かなり願弦さんに影響されたみたいです。 でもね」
浅香が声を改めて言う。
「決めるのは朱葉姫です」
この短い間に同じ言葉を何度聞かされただろうか。
「朱葉姫が決めたことに異を唱える権限なんて僕たちにはありません。 たしかに朱葉姫が最終的に望んだことと違う道を僕たちは敷いてしまいました。 でもそれは朱葉姫の心を思ってのことです。 野崎さんは間違ってはいませんよ」
朱葉姫は社を朽ちて終わらせたくはない、社の最後を頼みたいと言っていた、最終的には社から離れると言っていたのだ。
『・・・はい』
「あの害虫と野崎さんは違うんですから」
浅香の耳元で詩甫の忍び笑う声が聞こえた。
給食時間が終わろうとしていた。
「祐樹」
目を据わらせた日向が祐樹の机の前に立つ。
「なんだよ」
給食でお腹いっぱいになった後、新しくクラスメイトになった男子たちと話していた時だった。 日向とは今年も同じクラスになった。 来年も同じクラスなのは分かっている。 二年ごとのクラス替えだから、このまま持ち上がって六年生となる。 結局六年間同じクラスということだ。
「甲斐が花瀬に呼ばれたって」
「え?」
「脇田の家でケーキパーティーをしたことがバレたって」
言ってはいけない事だが、それでは脇田が呼ばれるのではないのか? どうして甲斐なのか。
「甲斐が来てたのを花瀬の仲間が見てたみたい。 元木と末永がついて行ったけど」
元木と末永も脇田の家に来ていた。 一緒にケーキを食べた。 その時に花瀬のことを訊かれたから答えた。 花瀬のことは何とも思っていないと。 そして花瀬のやり方は許せないと言った。 元木と末永、日向も家庭科クラブの部員達もそれに賛同してくれた。
その時、脇田がチラリと母親を見た。
脇田は母親に花瀬の仲間に虐められたことを言っていないのであろう。 それは脇田と甲斐の会話からも分かる。
脇田はいつか元の花瀬に戻ってくれると思っている。 だから話の中で脇田が叩かれたことだけは祐樹は言わなかった。
脇田の母親は話を聞いて『羨ましいわゎー、思秋期ねー』 と言っていたが、どちらかと言えば反抗期ではないであろうか。
それで脇田が未だに教師に事情を説明していないこと、祐樹に止められている理由を言うと、脇田の母親は祐樹に感謝をし『いつでも何でも言ってね。 何でも相談に乗るわ』 と言ったところで、自分にも作れる料理を教えてほしい、と言ったことから天津飯の作り方を教えてもらったということになった。
「職員室に行ってくる」
「へ?」
祐樹が椅子を蹴って駆けだした。
場所は聞かずとも分かる。 給食棟の裏。
祐樹の後姿を眺めながら日向が声を漏らす。
「祐樹・・・背が低いくせにモテ過ぎだろ。 ふむ、今年は祐樹のモテ期なのかな? ん? ってことは来年あたりオレか?」
祐樹が気付いているかどうかは分からないが、脇田の家に行った時、甲斐が祐樹のことを好きだということに気付いた。 それは間違いないだろう。
花瀬は祐樹より背が高く美人ではきはきとしている。 甲斐は祐樹と同じくらいの背丈で可愛く相手の言葉を待つ、そしてどちらも頭がいい。 二人とも中学受験をするようで、その人気は男子生徒を二分している。 その二人が祐樹に想いを寄せている。
「にしても腹立つなぁー」
選りすぐりすぎだろう。
「って、祐樹が選んでるわけじゃないか」
日向が祐樹の後を追って走り出した。
職員室に飛び込んだ祐樹。 祐樹の学校は校長がオープンを掲げていて、校長室は勿論のこと職員室もドアが開けられている。 あくまでも寒くもなく暑くもない時季だけ、言ってみればエアコンを利かせていない時季だけではあるが。
職員室も席替えがあったようで担任がどの席に居るか分からない。 職員室を見回し担任を見つけた。
二十代後半であるが、それより若干若く感じられる。 一昨年度転任してきたのだが、まだこの学校に慣れていないということでその年は完全に補佐役に回っていた。
祐樹の学校では二年ごとにクラス替えがある。 特に何もなければ担任もそのままというのが前提である。
そして昨年度、六年生担任の予定だった教師の転任の決まった。 その教師に代わって六年生のクラス担任となり、表舞台に出た途端お母様方にモテモテで参観日の日には殆ど無欠席で母親が参観に来ていた。 それどころか、小学校を卒業した姉やどうしてか父親まで参観に来るといったありさまで、教室に入り切れなかったという。
「護持(ごじ)先生!」
「おう、なんだ?」
モデル並みのその容姿には似合わない返事をする。 容姿に似合うとすれば『どうしたんだい?』 ではないであろうか。 そんな飾らない所、気取らないところは生徒に好かれている。
護持はプリントに目を通していた。 一瞬顔を上げて祐樹を見てすぐにプリントに顔を戻す。
「ついて来て!」
護持の机まで走ると腕を引っ張った。
「は?」
「早く!」
祐樹が護持の腕を取って走り出す。
「お、おい、いったいなんだって・・・」
相変わらず容姿に似合わない言葉を口にする護持。
職員室を出るとすぐ後からやって来た日向が走って来て足を止める。
「護持先生、給食棟の裏! すぐに行って! 祐樹と走ってるより早い!」
廊下に居た数人の生徒が何事かと振り返る。
「え? いったい何が?」
給食棟の裏というキーワード。 護持はこの学校に来てまだ三年目だ。 そのキーワードを昨年の受け持ちの生徒から聞いてはいたが、実際に何があったわけではない。 護持からすれば都市伝説のようなものだった。
日向が言った言葉に尤もだと思った祐樹が護持の腕を放し背中を押す。
「先生! 早く!」
踵を返した日向が護持より先に走った。
「甲斐、どういうことよ」
花瀬の取り巻きの一人が言った。
甲斐の前には五人の女子が腕を組んでずらりと並んでいる。 その後ろに花瀬が居る。
「どういうことって・・・ただみんなと一緒にケーキを食べただけだから」
甲斐の横には元木と末永が居る。
「そうだよ、家庭科クラブが作ってくれたのを食べてただけだろ」
元木と末永も祐樹に賛同した。 花瀬のやり方はどこか間違っている。 祐樹に説得されるまでもなく話を聞いただけで花瀬のやり方はキタナイ。
もちろん祐樹からは説得などされていない。 祐樹からはあったことを聞いただけだ。 その上で脇田が先生に何も言えなかったことを祐樹に謝っていた。
明らかに花瀬が悪い。 ここで怯んでは男がすたる。
「あんた達は関係ないでしょ、教室に戻りなさいよ」
「お前らいい加減にしろよ、給食棟の裏なんて」
「そうだ、言いたいことがあるんなら教室で言えよ」
「これは女子同士の話し、男子は関係ないんだから。 引っ込んでなさいよ」
一人二人と花瀬の取り巻きが歩を前に出してくる。
甲斐が肩を丸めて小さくなる。
元木と末永は脇田が叩かれたことを聞いていないが、甲斐は脇田から聞いていた。 自分も叩かれると思うと怖くて小さな身体が余計に小さくなっていく。
(凜ちゃん、これだけ怖かったんだ・・・)
今の状況は怖いが、今の自分には元木と末永が居てくれる。 だが凜は・・・脇田が叩かれた時には誰も居なかった。 脇田がどれだけ怖かったのか。 それを思うと涙が出そうになる。
「甲斐!」
取り巻きの一人から強い口調で呼ばれた。 その言いようにビクリと肩が上がる。
「陽葵が祐樹のことを好きって知ってるよね!」
「なのにどうしてその祐樹とアンタが居たの!」
「そうよ、許せないんだけどな」
そう言った女子が甲斐の目の前に立つと手を上げた。
―――叩かれる・・・
小さくなっていた甲斐がさらに縮こまった。
手を上げた女子の口元が笑った。 そのまま手を振り落ろす。
あっ、と思った元木と末永が止めようとした時には遅かった。
甲斐の頬にその手が当たる寸前、その手首が摑まれた。
驚いた女子がその手の主を見る。
自分達より随分と背が高い。 いや、背の高い花瀬よりなお高い。 そして制服を着ている。 その制服は・・・。
女子が目を大きく開ける。
その制服は誰もが憧れる私立中学校の制服。 この小学校から何度受験してもみんな落ちていた中学校の制服。
だがこの小学校からもようやく、先一昨年の受験に成功した女子が居た。 それが誰なのかこの学年は誰もが知っていた。 自分たちが一年生の時の五年生である一年生の世話係だったのだから。
そこに立っていたのは優香。
「妹に手を上げるの?」
「え・・・」
女子たちは優香の顔と姓名は知っている。 その優香が甲斐のことを妹という。 妹? どういうことだ。
優香の苗字は勢納である。 勢納優香。
対して優香が妹という柚葵の苗字は甲斐。 甲斐柚葵。
「私の可愛い妹なんだけど? 言いたいことがあれば話すことをしなさいよ」
「お姉ちゃん・・・」
甲斐が優香のことをお姉ちゃんと呼んだ。
それは・・・もしかして・・・。
甲斐の家庭環境を考えると有り得ることである。 両親が離婚して兄弟姉妹の苗字が分かれることは往々にしてあることだ。
「あ・・・」
花瀬と花瀬の取り巻きは甲斐が優香の妹などとは知らなかった。 ましてや甲斐に姉が居ることなど。
脇田が祐樹に言っていた『柚葵ちゃんのお姉ちゃんが難関中学を受かったから、私たちの学年は大抵知ってるけど』 それは優香と甲斐が姉妹だということを祐樹に説明していた時の話しだ。
その大抵の中以外に祐樹とこの女子たちは入っていたようだ。
手をつかまれた女子、どこの中学に通っていようが相手は中学生、逆らう胆力など持ってはいない。
甲斐の両親は離婚をしていた。 父親が聡明な優香を引き取り、まだ幼い甲斐は母親に引き取られ苗字も母親と共に母親の旧姓になっていた。
「て言っても、妹が手を上げられるようなことをしたとは思えないんだけど?」
優香が女子の手を離す。
「・・・お姉ちゃん、どうして」
優香がにこりと笑う。
「創立記念日なの。 午前中は塾に行ってて。 創立記念日って言っても午後から授業はあるんだけどね。 その合間に会いに来たんだけど・・・」
優香が甲斐の肩に手を回して自分の方に引っ張る。
「へぇー、君が伝説の勢納優香ちゃんか」
名前を呼ばれた優香が振り返るとそこに護持が立っていた。
「妹の担任?」
「いや、残念ながら違うね。 ま、でも見てたから」
護持は今来た所ではない。 しばらく様子を見ていた。 今後の進め方を考えて事実を自分の目で耳で、見よう聞こうと思っていたからだ。 だがまさか女子が手を上げるとは考えてもいなかった。
優香も同じように考えていたのだろう。 護持の前に優香が立っていた。
花瀬や取り巻きは優香に背を向けていた。 甲斐と元木と末永は目の前の女子だけを見ていて、優香と護持には気付いていなかった。
護持が女子たちに目を移す。
見られていた。 女子たちがビクンと肩を震わせる。
「こういうやり方ってどうなのかなぁー?」
「で、でも、先生っ」
「うん? なに?」
言いたいことがあれば言えばいい。 それが糸口ともなる。 何の糸口か今は分からないが、言いたいことを言うということは全ての糸口になる。 それに言うということは大切なことである。
「ゆ、柚葵が! 陽葵から祐樹を取ったんです!」
「・・・」
それって・・・三角関係・・・?
それも小学生が・・・?
護持が頭を抱えたくなった。
転任してくる前の小学校でもそんなことは無かったし、去年の六年生でもそんなことは無かったのに、どんだけマセてんだ。
こちとら未だに嫁もいなければ、彼女も居ないというのに。
いや、私事は置いておこう。
そこに祐樹が走り込んできた。 遅れて日向もやって来る。
祐樹の目には甲斐と元木と末永の顔が見え、あとは花瀬の取り巻きだ。 後姿の一人はとびぬけて背が高い担任。 そしてその担任の陰になって数人が居ることも分かる。
一度止めていた足を動かし、更に走って「甲斐、大丈夫か!」 と、甲斐の前に行った時、ようやく一人の中学生に気付いた。
「あ・・・優香ちゃん」
優香がにこりと笑った。
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『浅香さん・・・。 私は朱葉姫に生きてほしいんです』
たとえ朱葉姫が一度その道を選んだとしても、朱葉姫と縁ある人と共に歩んでほしい。 社に括られて欲しくはない。
未来を歩いて欲しい。
「野崎さんの仰りたいことは分かります。 でも朱葉姫が決めることです」
それは朱葉姫を孤立させるということでは無いのだろうか。 誰にも相談出来ることなく、甘言を貰うことなく。
「野崎さんが思っているほど朱葉姫は弱い人ではありませんよ」
そうだ・・・甘言などというものを朱葉姫は受けないだろう。
朱葉姫は、可愛く美しく嫋やかで、人心に添うことを望む人。 だがそれだけでは無いだろう。 そうでなければこの年月を過ごしてこられなかったはず。
『・・・そうですね』
自分の先を二の次に出来る人。 でも、だからこそ誰かが言わなければいけないのではないのだろうか。
朱葉姫の顔が浮かぶ。
(朱葉姫・・・)
朱葉姫が今後もずっと社に残るかもしれない、それは詩甫からしてみれば悲しい決断に思えるが、それが朱葉姫の本望。 でもそれは自分を抑えた本望。
結果的に詩甫の思う朱葉姫を考えると要らないことをしてしまった、そう考えてしまう。 あのまま社が朽ちれば朱葉姫は生まれ変われることが出来たのだから。 だからと言ってあの社を朽ちて終わらせるなんて出来なかった。
浅香と共に社を持たせ、朱葉姫に民を見てもらいたかった。 それで終わるつもりだった。 できれば祭の一つもして。
だがそう終われなくなった。 長治たちが社を修繕すると言った。 大工も入ると。 それはずっと社が続くということ。
考え方を変えると、社が続いても朱葉姫がそこにいなくてはならないことは無い。 だが朱葉姫はそんなことをしないだろう。
(私の我儘・・・)
それを朱葉姫に押し付けてしまった。
「野崎さん、要らないことを考えてます?」
『え?』
「考えてますよね?」
『要らない事って・・・』
「長治さん達が社を修繕する。 それは朱葉姫に場を提供するってことです。 場っていうのはお社のことです。 村の人たちが修繕された紅葉姫社に朱葉姫が居るだろうと朱葉姫を信じてお社に行く。 それはそこいらの社と一緒でしょう?」
『え?』
「こんなことを願弦さんに聞かれたら怒られるかもしれませんけど、ご祭神が居ない社は五万とあるんじゃないでしょうか」
「・・・」
神様のことなど分からないが、そうかもしれない。
「でもそこに神様は居るんですよね」
『それって・・・』
「ええ、人が信じる思いです」
『あ・・・』
「それと、八百万の神々」
『八百万、の?』
「あの山にもお社にも八百万の神々がいて下さいます」
八百万の神々のことは詩甫も知っている。 石にも木にも神々がいて下さる。
「願弦さんの受け売りですけど」
そう言えば浅香と願弦がそんな話をしていた。
「万が一にも朱葉姫があの世に行ったとしても、八百万の神々があの村の人たちを見守りますよ」
詩甫が大きく目を開けた。 全く考えなかったことだった。
「日本人は八百万の神々に見守られているんです。 それは朱葉姫が村の人達を見てきた濃い想いより薄いかもしれません。 でもそれで良いんじゃないですか?」
村人が紅葉姫社で手を合わせると願いが叶う、そんなことは必要ではないし、村人たちはそんなことを思ってはいない。
「わぁ、僕かなり願弦さんに影響されたみたいです。 でもね」
浅香が声を改めて言う。
「決めるのは朱葉姫です」
この短い間に同じ言葉を何度聞かされただろうか。
「朱葉姫が決めたことに異を唱える権限なんて僕たちにはありません。 たしかに朱葉姫が最終的に望んだことと違う道を僕たちは敷いてしまいました。 でもそれは朱葉姫の心を思ってのことです。 野崎さんは間違ってはいませんよ」
朱葉姫は社を朽ちて終わらせたくはない、社の最後を頼みたいと言っていた、最終的には社から離れると言っていたのだ。
『・・・はい』
「あの害虫と野崎さんは違うんですから」
浅香の耳元で詩甫の忍び笑う声が聞こえた。
給食時間が終わろうとしていた。
「祐樹」
目を据わらせた日向が祐樹の机の前に立つ。
「なんだよ」
給食でお腹いっぱいになった後、新しくクラスメイトになった男子たちと話していた時だった。 日向とは今年も同じクラスになった。 来年も同じクラスなのは分かっている。 二年ごとのクラス替えだから、このまま持ち上がって六年生となる。 結局六年間同じクラスということだ。
「甲斐が花瀬に呼ばれたって」
「え?」
「脇田の家でケーキパーティーをしたことがバレたって」
言ってはいけない事だが、それでは脇田が呼ばれるのではないのか? どうして甲斐なのか。
「甲斐が来てたのを花瀬の仲間が見てたみたい。 元木と末永がついて行ったけど」
元木と末永も脇田の家に来ていた。 一緒にケーキを食べた。 その時に花瀬のことを訊かれたから答えた。 花瀬のことは何とも思っていないと。 そして花瀬のやり方は許せないと言った。 元木と末永、日向も家庭科クラブの部員達もそれに賛同してくれた。
その時、脇田がチラリと母親を見た。
脇田は母親に花瀬の仲間に虐められたことを言っていないのであろう。 それは脇田と甲斐の会話からも分かる。
脇田はいつか元の花瀬に戻ってくれると思っている。 だから話の中で脇田が叩かれたことだけは祐樹は言わなかった。
脇田の母親は話を聞いて『羨ましいわゎー、思秋期ねー』 と言っていたが、どちらかと言えば反抗期ではないであろうか。
それで脇田が未だに教師に事情を説明していないこと、祐樹に止められている理由を言うと、脇田の母親は祐樹に感謝をし『いつでも何でも言ってね。 何でも相談に乗るわ』 と言ったところで、自分にも作れる料理を教えてほしい、と言ったことから天津飯の作り方を教えてもらったということになった。
「職員室に行ってくる」
「へ?」
祐樹が椅子を蹴って駆けだした。
場所は聞かずとも分かる。 給食棟の裏。
祐樹の後姿を眺めながら日向が声を漏らす。
「祐樹・・・背が低いくせにモテ過ぎだろ。 ふむ、今年は祐樹のモテ期なのかな? ん? ってことは来年あたりオレか?」
祐樹が気付いているかどうかは分からないが、脇田の家に行った時、甲斐が祐樹のことを好きだということに気付いた。 それは間違いないだろう。
花瀬は祐樹より背が高く美人ではきはきとしている。 甲斐は祐樹と同じくらいの背丈で可愛く相手の言葉を待つ、そしてどちらも頭がいい。 二人とも中学受験をするようで、その人気は男子生徒を二分している。 その二人が祐樹に想いを寄せている。
「にしても腹立つなぁー」
選りすぐりすぎだろう。
「って、祐樹が選んでるわけじゃないか」
日向が祐樹の後を追って走り出した。
職員室に飛び込んだ祐樹。 祐樹の学校は校長がオープンを掲げていて、校長室は勿論のこと職員室もドアが開けられている。 あくまでも寒くもなく暑くもない時季だけ、言ってみればエアコンを利かせていない時季だけではあるが。
職員室も席替えがあったようで担任がどの席に居るか分からない。 職員室を見回し担任を見つけた。
二十代後半であるが、それより若干若く感じられる。 一昨年度転任してきたのだが、まだこの学校に慣れていないということでその年は完全に補佐役に回っていた。
祐樹の学校では二年ごとにクラス替えがある。 特に何もなければ担任もそのままというのが前提である。
そして昨年度、六年生担任の予定だった教師の転任の決まった。 その教師に代わって六年生のクラス担任となり、表舞台に出た途端お母様方にモテモテで参観日の日には殆ど無欠席で母親が参観に来ていた。 それどころか、小学校を卒業した姉やどうしてか父親まで参観に来るといったありさまで、教室に入り切れなかったという。
「護持(ごじ)先生!」
「おう、なんだ?」
モデル並みのその容姿には似合わない返事をする。 容姿に似合うとすれば『どうしたんだい?』 ではないであろうか。 そんな飾らない所、気取らないところは生徒に好かれている。
護持はプリントに目を通していた。 一瞬顔を上げて祐樹を見てすぐにプリントに顔を戻す。
「ついて来て!」
護持の机まで走ると腕を引っ張った。
「は?」
「早く!」
祐樹が護持の腕を取って走り出す。
「お、おい、いったいなんだって・・・」
相変わらず容姿に似合わない言葉を口にする護持。
職員室を出るとすぐ後からやって来た日向が走って来て足を止める。
「護持先生、給食棟の裏! すぐに行って! 祐樹と走ってるより早い!」
廊下に居た数人の生徒が何事かと振り返る。
「え? いったい何が?」
給食棟の裏というキーワード。 護持はこの学校に来てまだ三年目だ。 そのキーワードを昨年の受け持ちの生徒から聞いてはいたが、実際に何があったわけではない。 護持からすれば都市伝説のようなものだった。
日向が言った言葉に尤もだと思った祐樹が護持の腕を放し背中を押す。
「先生! 早く!」
踵を返した日向が護持より先に走った。
「甲斐、どういうことよ」
花瀬の取り巻きの一人が言った。
甲斐の前には五人の女子が腕を組んでずらりと並んでいる。 その後ろに花瀬が居る。
「どういうことって・・・ただみんなと一緒にケーキを食べただけだから」
甲斐の横には元木と末永が居る。
「そうだよ、家庭科クラブが作ってくれたのを食べてただけだろ」
元木と末永も祐樹に賛同した。 花瀬のやり方はどこか間違っている。 祐樹に説得されるまでもなく話を聞いただけで花瀬のやり方はキタナイ。
もちろん祐樹からは説得などされていない。 祐樹からはあったことを聞いただけだ。 その上で脇田が先生に何も言えなかったことを祐樹に謝っていた。
明らかに花瀬が悪い。 ここで怯んでは男がすたる。
「あんた達は関係ないでしょ、教室に戻りなさいよ」
「お前らいい加減にしろよ、給食棟の裏なんて」
「そうだ、言いたいことがあるんなら教室で言えよ」
「これは女子同士の話し、男子は関係ないんだから。 引っ込んでなさいよ」
一人二人と花瀬の取り巻きが歩を前に出してくる。
甲斐が肩を丸めて小さくなる。
元木と末永は脇田が叩かれたことを聞いていないが、甲斐は脇田から聞いていた。 自分も叩かれると思うと怖くて小さな身体が余計に小さくなっていく。
(凜ちゃん、これだけ怖かったんだ・・・)
今の状況は怖いが、今の自分には元木と末永が居てくれる。 だが凜は・・・脇田が叩かれた時には誰も居なかった。 脇田がどれだけ怖かったのか。 それを思うと涙が出そうになる。
「甲斐!」
取り巻きの一人から強い口調で呼ばれた。 その言いようにビクリと肩が上がる。
「陽葵が祐樹のことを好きって知ってるよね!」
「なのにどうしてその祐樹とアンタが居たの!」
「そうよ、許せないんだけどな」
そう言った女子が甲斐の目の前に立つと手を上げた。
―――叩かれる・・・
小さくなっていた甲斐がさらに縮こまった。
手を上げた女子の口元が笑った。 そのまま手を振り落ろす。
あっ、と思った元木と末永が止めようとした時には遅かった。
甲斐の頬にその手が当たる寸前、その手首が摑まれた。
驚いた女子がその手の主を見る。
自分達より随分と背が高い。 いや、背の高い花瀬よりなお高い。 そして制服を着ている。 その制服は・・・。
女子が目を大きく開ける。
その制服は誰もが憧れる私立中学校の制服。 この小学校から何度受験してもみんな落ちていた中学校の制服。
だがこの小学校からもようやく、先一昨年の受験に成功した女子が居た。 それが誰なのかこの学年は誰もが知っていた。 自分たちが一年生の時の五年生である一年生の世話係だったのだから。
そこに立っていたのは優香。
「妹に手を上げるの?」
「え・・・」
女子たちは優香の顔と姓名は知っている。 その優香が甲斐のことを妹という。 妹? どういうことだ。
優香の苗字は勢納である。 勢納優香。
対して優香が妹という柚葵の苗字は甲斐。 甲斐柚葵。
「私の可愛い妹なんだけど? 言いたいことがあれば話すことをしなさいよ」
「お姉ちゃん・・・」
甲斐が優香のことをお姉ちゃんと呼んだ。
それは・・・もしかして・・・。
甲斐の家庭環境を考えると有り得ることである。 両親が離婚して兄弟姉妹の苗字が分かれることは往々にしてあることだ。
「あ・・・」
花瀬と花瀬の取り巻きは甲斐が優香の妹などとは知らなかった。 ましてや甲斐に姉が居ることなど。
脇田が祐樹に言っていた『柚葵ちゃんのお姉ちゃんが難関中学を受かったから、私たちの学年は大抵知ってるけど』 それは優香と甲斐が姉妹だということを祐樹に説明していた時の話しだ。
その大抵の中以外に祐樹とこの女子たちは入っていたようだ。
手をつかまれた女子、どこの中学に通っていようが相手は中学生、逆らう胆力など持ってはいない。
甲斐の両親は離婚をしていた。 父親が聡明な優香を引き取り、まだ幼い甲斐は母親に引き取られ苗字も母親と共に母親の旧姓になっていた。
「て言っても、妹が手を上げられるようなことをしたとは思えないんだけど?」
優香が女子の手を離す。
「・・・お姉ちゃん、どうして」
優香がにこりと笑う。
「創立記念日なの。 午前中は塾に行ってて。 創立記念日って言っても午後から授業はあるんだけどね。 その合間に会いに来たんだけど・・・」
優香が甲斐の肩に手を回して自分の方に引っ張る。
「へぇー、君が伝説の勢納優香ちゃんか」
名前を呼ばれた優香が振り返るとそこに護持が立っていた。
「妹の担任?」
「いや、残念ながら違うね。 ま、でも見てたから」
護持は今来た所ではない。 しばらく様子を見ていた。 今後の進め方を考えて事実を自分の目で耳で、見よう聞こうと思っていたからだ。 だがまさか女子が手を上げるとは考えてもいなかった。
優香も同じように考えていたのだろう。 護持の前に優香が立っていた。
花瀬や取り巻きは優香に背を向けていた。 甲斐と元木と末永は目の前の女子だけを見ていて、優香と護持には気付いていなかった。
護持が女子たちに目を移す。
見られていた。 女子たちがビクンと肩を震わせる。
「こういうやり方ってどうなのかなぁー?」
「で、でも、先生っ」
「うん? なに?」
言いたいことがあれば言えばいい。 それが糸口ともなる。 何の糸口か今は分からないが、言いたいことを言うということは全ての糸口になる。 それに言うということは大切なことである。
「ゆ、柚葵が! 陽葵から祐樹を取ったんです!」
「・・・」
それって・・・三角関係・・・?
それも小学生が・・・?
護持が頭を抱えたくなった。
転任してくる前の小学校でもそんなことは無かったし、去年の六年生でもそんなことは無かったのに、どんだけマセてんだ。
こちとら未だに嫁もいなければ、彼女も居ないというのに。
いや、私事は置いておこう。
そこに祐樹が走り込んできた。 遅れて日向もやって来る。
祐樹の目には甲斐と元木と末永の顔が見え、あとは花瀬の取り巻きだ。 後姿の一人はとびぬけて背が高い担任。 そしてその担任の陰になって数人が居ることも分かる。
一度止めていた足を動かし、更に走って「甲斐、大丈夫か!」 と、甲斐の前に行った時、ようやく一人の中学生に気付いた。
「あ・・・優香ちゃん」
優香がにこりと笑った。