虚空の辰刻(とき) 第211回
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桟橋に出てきた紫揺とハンとセノギを見た此之葉。
「醍十! 下ろして!」
醍十の胸ではなく、何故か手を伸ばして顔を叩く。
「醍十、下ろしてやれ。 このままでは “古の力を持つ者” の威厳をそこなう」
「ですが・・・」
「下ろせ」
命令だ、とは言わないが目が十分に言っている。 阿秀には珍しいことである。
しぶしぶと醍十が此之葉を下ろす。 下ろされた此之葉が歩き出そうとしたので、すぐに醍十が此之葉の手をとる。 醍十に手を取られながら、紫揺に礼を言っているハンに近づく。
「“古の力を持つ者” ・・・」
「お身体はいかがですか?」
先ほどの此之葉の姿を見てしまったセノギが思い出したように笑いを抑え、口を結び顔を逸らせた。
「有難うございます。 これ程楽になったのはいつ振りか。 それに術を解いて頂きました。 吾らはどれほど礼を言いつくそうとも尽くせることは無いでしょう」
「お身体が良くなられたのはなによりです。 先程も申しましたが、思い出されたことにはゆっくりと向き合って下さい」
「ありがとう存じます」
「では行こうか」
セノギが言うとそれを片手を上げて止めた。
「まだ一人おります。 あれは・・・あれは頑なになっております。 吾らでなんとか説き伏せるつもりです。 なにとぞ由なにお願い申し上げます」
紫揺に体調を戻してもらっている間に、随分と頭の中を整理することが出来た。 カミのことを頼む余裕さえ出来ていた。
「お連れいただければそれで宜しいかと。 ですが私にも十分な時があるわけではありません。 どうしても納得をされないようであれば・・・」
「無理にでも解きます。 暴れるのを押さえて頂ければいいです」
此之葉が言い淀んでいるのを紫揺が継いだ。
「最初に強制はしないと言いましたが、皆さんを解くというのが唱和様の願いです。 それにその方が痛みに耐えかねて・・・あってはならないこと、ということも考えられます。 それはどうしても避けたいと思っています。 まだ時間はあります。 出来ることならご自分で納得されて古の力を受けて欲しいと思っています」
「感謝いたします」
ハンがセノギの肩から腕を外した。
「もう大丈夫だ。 一人で歩ける」
「ハン・・・」
ハンが脚を引きずりながら歩を出すと、それに合わせてセノギも歩き出す。 二人の姿を四歩五歩と見送ると紫揺が阿秀を見た。
「ラウンジの中の空気を一掃できますか?」
「え? ええ」
「それじゃあ、中が冷えていますし、他の人もあの空気に触れない方がいいと思うので新しい空気と入れ替えてもらえますか? 特に足元の空気を出して下さい」
「はい」
先程、此之葉が冷えたと言っていたが、どうしてそんなことになったのか、その空気に触れない方がいいとはどういうことなのか、と訝りながらラウンジに入った。 途端、セノギと同じように思わず二の腕をさする。 エアコンを切り窓を開けると空気清浄機のボタンを押し、ラウンジを出た。
「あれは、いったい?」
思わず阿秀が尋ねた。
「何故かは知りませんが、さっきの人の身体の中にあったものです。 平気な顔をされてましたけど、辛かったと思いますよ。 あんなに冷えたものが身体の中にあったんですから。 少しずつは漏れ出ていたようですが、あのままだと身体も内臓もどんどん弱っていったと思います」
「それは・・・お力で・・・?」
「多分そうだと思います。 でも私にもよく分かりません」
ハンに手を添えたのは気功師がよくやっているのを真似ただけだ。
「ふぇ・・・」
「は?」
紫揺の声に阿秀が思わず声を出した。
紫揺の身体が揺れた。
「紫さま!」
此之葉が叫んだ。
紫揺の身体が横に傾(かし)いだのだ。 すぐに阿秀が紫揺の身体を受けとめる。 顔を覗くと目が朦朧(もうろう)としている。
「紫さま?」
紫揺の膝がガクンと折れる。
「!」
すぐに阿秀が抱き上げる。
「・・・ふみまへん。 あの冷気にあひゃったみたひ・・・」 (すみません。 あの冷気にあたったみたい)
「冷気にあたった?」
阿秀と醍十が目を合わせる。
「まかせろ。 此之葉、一人で立っていられるか?」
スンゴク真面目な顔で訊いてくる。
「・・・立っていられます」
白眼視を醍十に向ける。
「んじゃ、動くなよ」
白眼視の意味を解そうともせず、またもや真面目にそう言い残すとラウンジに入った。
「うわ、なんだよコレは!」
そう言ったかと思うと、クッションを両手に取り、窓に向かって扇ぎだした。
「こなくそ! こなくそ!」
此之葉と紫揺の仇とでもいうように空気を扇ぎまくる。
此之葉が自分の纏っていたタオルケットを紫揺にかけてやる。
「此之葉はもういいのか?」
「はい。 私は早々に出ましたので」
「それにしても・・・紫さまのお力とは」
「・・・わかりまひぇん」
「あ、いえ。 お返事は宜しいかと」
醍十の行く末を見ていた五人。
「おい、今度は紫さまが・・・」
「どうする?」
「今行くと」
「絶対に」
「代われと言われるな」
五人が目を合わす。 紫揺である紫を抱き上げるなど畏れ多いことを誰もしたくない。
「異常があれば阿秀がすぐに呼ぶだろう。 俺たちの出る幕ではないということで・・・」
全員が後ろを向いた。 阿秀と目を合わせないために。
ケミはもう泣き止み、ゼンの横で膝に顔をうずめている。 タオルケットは畳まれ横に置いてあった。
ハンがケミの頭を撫でながら「ようやった」 と言いケミを挟んで座った。
「あれらは?」
波打ち際にいるダンとカミを見ながら言う。 二人ともずぶ濡れなのが見てとれる。
「ダンがカミを海に投げた。 頭を冷やせと言ってな」
ゼンの返事にフッと鼻を鳴らして目尻に皺を入れる。
「ゼンもゼンだが、ダンもダンだな。 もう少し優しく扱われんのか。 なぁ、ケミ。 痛かったろう」
もう一度ケミの頭を撫でてやる。
そして此之葉と紫揺に言われたことを伝え、自分の痛みもなくなったと言った。
「心配をかけたな」
「・・・お前、そんなに具合が悪かったのか?」
上から下からハンの身体を見る。
「おお、騙されてくれていたか。 では心配もしておらんかったか。 吾もなかなかのもんだな」
「そういう事はちゃんと言え」
「・・・ハン」
ケミが顔を上げてハンを見る。
「ん? なんだ?」
何事もなかったようにケミを見る。
「身体が鈍ると言っておったのは・・・」
なにやら殊勝になっている気がする。 イキのいいのも良いが、これもまた良いな、と二人の男がケミに視線を送っている。
「おお。 それは嘘ではないぞ。 身体は辛かったが、それとは別のところだ」
「どこまでいっても筋肉馬鹿ということか」
もうイキが戻ってきたのだろうか、二人の男が笑みを零す。
「ああ、そうだ、認めようか。 だが馬鹿は付けては欲しくないな」
お道化るように言うと、声音を変えて改めて話を変える。
「なぁ、お前たちがどんな話を師匠としたのかは知らんが、ムラサキ様が吾の痛みを取って下さった。 師匠たちもそんなことを考えておられたのではないだろうか。 そして吾らも」
「痛みを取る?」
ハンが首を振った。
「それは今回のことだ。 それだけではなく、何かを。 何かをムラサキ様に願っていたのではないだろうか。 何かを変えてもらう、ということではないだろうか。 その何かは人それぞれ。 師匠たちにしても吾らにしても」
姉の目が見えるように。 母から守ってもらう。 ゼンとケミがそれぞれに此之葉の術によって思い出したことを心の中に映す。
「だがムラサキ様は東の五色様。 頼る相手を間違えてはいかん、ということだな」
「そう、だな」
応えたゼンを上目遣いに見ると、ケミも言葉を添える。
「ショウワ様にもご迷惑をかけた」
唱和も東の人間だ。 北に操られていたのはもう承知している。
「まっ、吾がそう思っているだけなのだがな。 なぁケミ、訊きたいことがある。 お前、腹からの痛みがあったのか?」
此之葉に訊かれて頷いていた。
「吾ではない。 ショウワ様だ」
「ショウワ様が!?」
二人の男の声が重なった。
「あの痛みをあのお小さい身体で・・・」
己の痛みを思い出しながら顔を歪めて言う。
「それほど痛いのか?」
「ショウワ様は身をよじりながら背中をさすってくれと言っておられた」
「吾はそこまではいっておらんが、腹の中の物が浮いてくるようで、吐き気がしたり痛みもあった」
「そうか・・・」
「それがどうした?」
「いや。 さて、ダンに説教でもしてきてやろうか」
もう一度ケミの頭を撫でると立ち上がり、足を引きずりながら桟橋を歩いた。
少し前、ハンがケミの横に座るのを見届けたセノギが、ふと船を振り返ると、紫揺が阿秀に抱き上げられタオルケットを纏っているのが目に入った。
すぐにセノギが取って返した。 走って阿秀の元に行く。
「如何なさいました?」
セノギの足音に気付いた阿秀と此之葉。
「あたられたと仰っていましたが・・・」
此之葉が首をかしげる。
「先ほどは我が “古の力を持つ者” に有難うございました。 また今もお借りしております」
身体を斜めに向けている阿秀がゆっくりと軽く顎を引いた。
「いいえ、そんなことはお気になさらず。 それよりあたられたというのは?」
「よく分かりませんが、先ほどの方の身体の中にあった冷えだと仰っていました」
「あの者の?」
「はい。 紫さまが仰るにはあの方は、平気な顔をされていましたけれど、辛かったと思いますと。 冷えが少しずつ漏れ出ていたと言われていました。 ですがあのままですと身体も内臓もどんどん弱っていかれたでしょうと」
セノギが顔を俯けると何度か頷くような仕草をした。 ハンがそれだけ悪くなったのは自分のせいだ。
「お心当たりでも?」
「私も数日それで寝込んでおりました。 ですが、冷えとは思ってもいませんでしたし、寒いというような自覚もありませんでした。 実はあの者は私を助けるために、長時間あの冷えにあたっておりました。 それが身体の中にあったとは・・・。
それをシユ・・・ムラサキ様が身体の外に出して下さったということですね? それがあの部屋に充満してムラサキさまが二次的にあたられた」
あれだけラウンジが冷えていたのだからそういうことだろう。
「はひ。 そーれす」 (はい。 そうです)
「紫さま、お話はお身体に触ります」
「らいじょうぶ。 ひゃんと防御ひてまひたから。 じっとひてれば治りまふ」 (大丈夫。 ちゃんと防御してましたから。 じっとしてれば治ります)
冷えにあたった上に、まだ力を上手く使えていないのがこうなった原因か、冷えにあたっただけなのか自分でもはっきりとは分からない。
「シユラ様・・・」
「おーい、阿秀。 冷たいのはなくなったぞ」
(だからっ! 名前を呼ぶな!) 阿秀の眉間にまたもやシワが入る。
「足元の空気を完全に出したい。 ドアを開けたままエアコンを掛けておいてくれ」
「了解」
紫揺がコクリコクリとしだした。
阿秀が紫揺を見るとどうも寝る間際のように感じる。 それとも具合が悪くなってのことだろうか。
「・・・ムラサキ様?」
「ちょっと寝まふ」
「しょ・・・承知いたしました」
この状態で寝るのか? 言いたいけれど言えない。
「新しいタオルケットを持ってまいります。 それを敷いて―――」
「いえ、心配にはおよびません。 このままで」
阿秀が紫揺を抱きかかえたまま桟橋を海に向かって歩きだした。 一番端まで行くとただ目の前の海を眺めた。
どうしたものかとセノギが此之葉を見る。 此之葉が頷いてこのままで良いという返事に代える。
「もうお一方はどうなさいますでしょうか」
浜辺にいるハン、ダン、カミを見る。
「長くショウワ様に仕えていた者たちです。 ショウワ様から術を施されたと言っても、そう簡単に解いてもらおうとは思わないでしょう。 特に女性はショウワ様によく付いておりましたから」
セノギも浜辺を見て言う。
此之葉がゆっくりと頷くと話の方向を変えた。
「ニョゼ様にお会いしました」
「最初にシユ・・・ムラサキ様が言っておられました。 本領でニョゼが立ち会ったそうで。 ニョゼはどうでしたか?」
「立ち合いはお見事にされました。 ですがムラサキ様のお話では、その後どうしても唱和様を北にお連れしたいと泣いておられたそうです」
「ニョゼが・・・。 本来なら本領へは私が行くところでした。 ですがこちらの片付けは私にしか出来ず、本領にはニョゼに頼むこととなりました。 そんな場に立ち会うとは思ってもいませんでしたから。 可哀想なことをしました」
「ええ、たしかにそうですが、それで良かったのではないでしょうか」
セノギが浜辺を見ていた目を移して、此之葉を見ると首をかしげる。 此之葉もそれに応えるようにセノギを見て言う。
「ニョゼ様が本領に行かれた唱和様を北の領土で待っておられるのに、唱和様が帰って来られないと知るより、納得して別れの言葉をお掛けすることが出来たのですから。 それにニョゼ様が本領を発たれるのを唱和様が見送られました」
「・・・そうですか」
此之葉から目を外して俯く。
「なんの話だ」
此之葉が振り返ると醍十が立っていた。 こんな時はいつものように間延びした口調ではない。
阿秀が足元の空気も出したいと言ったので、エアコンをかけながら、まるでクッションで掃き掃除をするかのようにしていた。 そしてデッキに戻ってくると阿秀は紫揺を抱き上げたまま端まで移動しているし、此之葉は北の者と話している。
「どうですか? 下の方の空気も出ましたか?」
「履き出してやった」
二人の会話を聞くとタイミングよくセノギが言葉を挟む。
「それでは私はあの者たちを見てきます」
「焦らずにお願い致します」
セノギが会釈をすると桟橋を歩いた。
「なんの話をしてた?」
「本領での話です」
醍十が半眼で此之葉を見る。
「なんですか? 何か言いたいことがあれば言って下さい」
若干弱いが、挑むように言う。
醍十と過ごす時間が多くなって、徐々にではあるが、感情が現れるようになってきていた。 そしてそれを口に出すことも多くなってきた。 それに紫揺というスパイスも効いているのであろう。
「北の者と恋仲になどさせんぞ」
「へ?」
この口調は紫揺に似たのか、お手本は選びたいものだ。
「此之葉の相手は俺が見つけてやる。 それまでは大人しくしていろ」
「は?」
「俺の認めたやつにしか此之葉を渡さん」
「・・・」
もう出す声などない。 完全に父親になっているようだ。
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桟橋に出てきた紫揺とハンとセノギを見た此之葉。
「醍十! 下ろして!」
醍十の胸ではなく、何故か手を伸ばして顔を叩く。
「醍十、下ろしてやれ。 このままでは “古の力を持つ者” の威厳をそこなう」
「ですが・・・」
「下ろせ」
命令だ、とは言わないが目が十分に言っている。 阿秀には珍しいことである。
しぶしぶと醍十が此之葉を下ろす。 下ろされた此之葉が歩き出そうとしたので、すぐに醍十が此之葉の手をとる。 醍十に手を取られながら、紫揺に礼を言っているハンに近づく。
「“古の力を持つ者” ・・・」
「お身体はいかがですか?」
先ほどの此之葉の姿を見てしまったセノギが思い出したように笑いを抑え、口を結び顔を逸らせた。
「有難うございます。 これ程楽になったのはいつ振りか。 それに術を解いて頂きました。 吾らはどれほど礼を言いつくそうとも尽くせることは無いでしょう」
「お身体が良くなられたのはなによりです。 先程も申しましたが、思い出されたことにはゆっくりと向き合って下さい」
「ありがとう存じます」
「では行こうか」
セノギが言うとそれを片手を上げて止めた。
「まだ一人おります。 あれは・・・あれは頑なになっております。 吾らでなんとか説き伏せるつもりです。 なにとぞ由なにお願い申し上げます」
紫揺に体調を戻してもらっている間に、随分と頭の中を整理することが出来た。 カミのことを頼む余裕さえ出来ていた。
「お連れいただければそれで宜しいかと。 ですが私にも十分な時があるわけではありません。 どうしても納得をされないようであれば・・・」
「無理にでも解きます。 暴れるのを押さえて頂ければいいです」
此之葉が言い淀んでいるのを紫揺が継いだ。
「最初に強制はしないと言いましたが、皆さんを解くというのが唱和様の願いです。 それにその方が痛みに耐えかねて・・・あってはならないこと、ということも考えられます。 それはどうしても避けたいと思っています。 まだ時間はあります。 出来ることならご自分で納得されて古の力を受けて欲しいと思っています」
「感謝いたします」
ハンがセノギの肩から腕を外した。
「もう大丈夫だ。 一人で歩ける」
「ハン・・・」
ハンが脚を引きずりながら歩を出すと、それに合わせてセノギも歩き出す。 二人の姿を四歩五歩と見送ると紫揺が阿秀を見た。
「ラウンジの中の空気を一掃できますか?」
「え? ええ」
「それじゃあ、中が冷えていますし、他の人もあの空気に触れない方がいいと思うので新しい空気と入れ替えてもらえますか? 特に足元の空気を出して下さい」
「はい」
先程、此之葉が冷えたと言っていたが、どうしてそんなことになったのか、その空気に触れない方がいいとはどういうことなのか、と訝りながらラウンジに入った。 途端、セノギと同じように思わず二の腕をさする。 エアコンを切り窓を開けると空気清浄機のボタンを押し、ラウンジを出た。
「あれは、いったい?」
思わず阿秀が尋ねた。
「何故かは知りませんが、さっきの人の身体の中にあったものです。 平気な顔をされてましたけど、辛かったと思いますよ。 あんなに冷えたものが身体の中にあったんですから。 少しずつは漏れ出ていたようですが、あのままだと身体も内臓もどんどん弱っていったと思います」
「それは・・・お力で・・・?」
「多分そうだと思います。 でも私にもよく分かりません」
ハンに手を添えたのは気功師がよくやっているのを真似ただけだ。
「ふぇ・・・」
「は?」
紫揺の声に阿秀が思わず声を出した。
紫揺の身体が揺れた。
「紫さま!」
此之葉が叫んだ。
紫揺の身体が横に傾(かし)いだのだ。 すぐに阿秀が紫揺の身体を受けとめる。 顔を覗くと目が朦朧(もうろう)としている。
「紫さま?」
紫揺の膝がガクンと折れる。
「!」
すぐに阿秀が抱き上げる。
「・・・ふみまへん。 あの冷気にあひゃったみたひ・・・」 (すみません。 あの冷気にあたったみたい)
「冷気にあたった?」
阿秀と醍十が目を合わせる。
「まかせろ。 此之葉、一人で立っていられるか?」
スンゴク真面目な顔で訊いてくる。
「・・・立っていられます」
白眼視を醍十に向ける。
「んじゃ、動くなよ」
白眼視の意味を解そうともせず、またもや真面目にそう言い残すとラウンジに入った。
「うわ、なんだよコレは!」
そう言ったかと思うと、クッションを両手に取り、窓に向かって扇ぎだした。
「こなくそ! こなくそ!」
此之葉と紫揺の仇とでもいうように空気を扇ぎまくる。
此之葉が自分の纏っていたタオルケットを紫揺にかけてやる。
「此之葉はもういいのか?」
「はい。 私は早々に出ましたので」
「それにしても・・・紫さまのお力とは」
「・・・わかりまひぇん」
「あ、いえ。 お返事は宜しいかと」
醍十の行く末を見ていた五人。
「おい、今度は紫さまが・・・」
「どうする?」
「今行くと」
「絶対に」
「代われと言われるな」
五人が目を合わす。 紫揺である紫を抱き上げるなど畏れ多いことを誰もしたくない。
「異常があれば阿秀がすぐに呼ぶだろう。 俺たちの出る幕ではないということで・・・」
全員が後ろを向いた。 阿秀と目を合わせないために。
ケミはもう泣き止み、ゼンの横で膝に顔をうずめている。 タオルケットは畳まれ横に置いてあった。
ハンがケミの頭を撫でながら「ようやった」 と言いケミを挟んで座った。
「あれらは?」
波打ち際にいるダンとカミを見ながら言う。 二人ともずぶ濡れなのが見てとれる。
「ダンがカミを海に投げた。 頭を冷やせと言ってな」
ゼンの返事にフッと鼻を鳴らして目尻に皺を入れる。
「ゼンもゼンだが、ダンもダンだな。 もう少し優しく扱われんのか。 なぁ、ケミ。 痛かったろう」
もう一度ケミの頭を撫でてやる。
そして此之葉と紫揺に言われたことを伝え、自分の痛みもなくなったと言った。
「心配をかけたな」
「・・・お前、そんなに具合が悪かったのか?」
上から下からハンの身体を見る。
「おお、騙されてくれていたか。 では心配もしておらんかったか。 吾もなかなかのもんだな」
「そういう事はちゃんと言え」
「・・・ハン」
ケミが顔を上げてハンを見る。
「ん? なんだ?」
何事もなかったようにケミを見る。
「身体が鈍ると言っておったのは・・・」
なにやら殊勝になっている気がする。 イキのいいのも良いが、これもまた良いな、と二人の男がケミに視線を送っている。
「おお。 それは嘘ではないぞ。 身体は辛かったが、それとは別のところだ」
「どこまでいっても筋肉馬鹿ということか」
もうイキが戻ってきたのだろうか、二人の男が笑みを零す。
「ああ、そうだ、認めようか。 だが馬鹿は付けては欲しくないな」
お道化るように言うと、声音を変えて改めて話を変える。
「なぁ、お前たちがどんな話を師匠としたのかは知らんが、ムラサキ様が吾の痛みを取って下さった。 師匠たちもそんなことを考えておられたのではないだろうか。 そして吾らも」
「痛みを取る?」
ハンが首を振った。
「それは今回のことだ。 それだけではなく、何かを。 何かをムラサキ様に願っていたのではないだろうか。 何かを変えてもらう、ということではないだろうか。 その何かは人それぞれ。 師匠たちにしても吾らにしても」
姉の目が見えるように。 母から守ってもらう。 ゼンとケミがそれぞれに此之葉の術によって思い出したことを心の中に映す。
「だがムラサキ様は東の五色様。 頼る相手を間違えてはいかん、ということだな」
「そう、だな」
応えたゼンを上目遣いに見ると、ケミも言葉を添える。
「ショウワ様にもご迷惑をかけた」
唱和も東の人間だ。 北に操られていたのはもう承知している。
「まっ、吾がそう思っているだけなのだがな。 なぁケミ、訊きたいことがある。 お前、腹からの痛みがあったのか?」
此之葉に訊かれて頷いていた。
「吾ではない。 ショウワ様だ」
「ショウワ様が!?」
二人の男の声が重なった。
「あの痛みをあのお小さい身体で・・・」
己の痛みを思い出しながら顔を歪めて言う。
「それほど痛いのか?」
「ショウワ様は身をよじりながら背中をさすってくれと言っておられた」
「吾はそこまではいっておらんが、腹の中の物が浮いてくるようで、吐き気がしたり痛みもあった」
「そうか・・・」
「それがどうした?」
「いや。 さて、ダンに説教でもしてきてやろうか」
もう一度ケミの頭を撫でると立ち上がり、足を引きずりながら桟橋を歩いた。
少し前、ハンがケミの横に座るのを見届けたセノギが、ふと船を振り返ると、紫揺が阿秀に抱き上げられタオルケットを纏っているのが目に入った。
すぐにセノギが取って返した。 走って阿秀の元に行く。
「如何なさいました?」
セノギの足音に気付いた阿秀と此之葉。
「あたられたと仰っていましたが・・・」
此之葉が首をかしげる。
「先ほどは我が “古の力を持つ者” に有難うございました。 また今もお借りしております」
身体を斜めに向けている阿秀がゆっくりと軽く顎を引いた。
「いいえ、そんなことはお気になさらず。 それよりあたられたというのは?」
「よく分かりませんが、先ほどの方の身体の中にあった冷えだと仰っていました」
「あの者の?」
「はい。 紫さまが仰るにはあの方は、平気な顔をされていましたけれど、辛かったと思いますと。 冷えが少しずつ漏れ出ていたと言われていました。 ですがあのままですと身体も内臓もどんどん弱っていかれたでしょうと」
セノギが顔を俯けると何度か頷くような仕草をした。 ハンがそれだけ悪くなったのは自分のせいだ。
「お心当たりでも?」
「私も数日それで寝込んでおりました。 ですが、冷えとは思ってもいませんでしたし、寒いというような自覚もありませんでした。 実はあの者は私を助けるために、長時間あの冷えにあたっておりました。 それが身体の中にあったとは・・・。
それをシユ・・・ムラサキ様が身体の外に出して下さったということですね? それがあの部屋に充満してムラサキさまが二次的にあたられた」
あれだけラウンジが冷えていたのだからそういうことだろう。
「はひ。 そーれす」 (はい。 そうです)
「紫さま、お話はお身体に触ります」
「らいじょうぶ。 ひゃんと防御ひてまひたから。 じっとひてれば治りまふ」 (大丈夫。 ちゃんと防御してましたから。 じっとしてれば治ります)
冷えにあたった上に、まだ力を上手く使えていないのがこうなった原因か、冷えにあたっただけなのか自分でもはっきりとは分からない。
「シユラ様・・・」
「おーい、阿秀。 冷たいのはなくなったぞ」
(だからっ! 名前を呼ぶな!) 阿秀の眉間にまたもやシワが入る。
「足元の空気を完全に出したい。 ドアを開けたままエアコンを掛けておいてくれ」
「了解」
紫揺がコクリコクリとしだした。
阿秀が紫揺を見るとどうも寝る間際のように感じる。 それとも具合が悪くなってのことだろうか。
「・・・ムラサキ様?」
「ちょっと寝まふ」
「しょ・・・承知いたしました」
この状態で寝るのか? 言いたいけれど言えない。
「新しいタオルケットを持ってまいります。 それを敷いて―――」
「いえ、心配にはおよびません。 このままで」
阿秀が紫揺を抱きかかえたまま桟橋を海に向かって歩きだした。 一番端まで行くとただ目の前の海を眺めた。
どうしたものかとセノギが此之葉を見る。 此之葉が頷いてこのままで良いという返事に代える。
「もうお一方はどうなさいますでしょうか」
浜辺にいるハン、ダン、カミを見る。
「長くショウワ様に仕えていた者たちです。 ショウワ様から術を施されたと言っても、そう簡単に解いてもらおうとは思わないでしょう。 特に女性はショウワ様によく付いておりましたから」
セノギも浜辺を見て言う。
此之葉がゆっくりと頷くと話の方向を変えた。
「ニョゼ様にお会いしました」
「最初にシユ・・・ムラサキ様が言っておられました。 本領でニョゼが立ち会ったそうで。 ニョゼはどうでしたか?」
「立ち合いはお見事にされました。 ですがムラサキ様のお話では、その後どうしても唱和様を北にお連れしたいと泣いておられたそうです」
「ニョゼが・・・。 本来なら本領へは私が行くところでした。 ですがこちらの片付けは私にしか出来ず、本領にはニョゼに頼むこととなりました。 そんな場に立ち会うとは思ってもいませんでしたから。 可哀想なことをしました」
「ええ、たしかにそうですが、それで良かったのではないでしょうか」
セノギが浜辺を見ていた目を移して、此之葉を見ると首をかしげる。 此之葉もそれに応えるようにセノギを見て言う。
「ニョゼ様が本領に行かれた唱和様を北の領土で待っておられるのに、唱和様が帰って来られないと知るより、納得して別れの言葉をお掛けすることが出来たのですから。 それにニョゼ様が本領を発たれるのを唱和様が見送られました」
「・・・そうですか」
此之葉から目を外して俯く。
「なんの話だ」
此之葉が振り返ると醍十が立っていた。 こんな時はいつものように間延びした口調ではない。
阿秀が足元の空気も出したいと言ったので、エアコンをかけながら、まるでクッションで掃き掃除をするかのようにしていた。 そしてデッキに戻ってくると阿秀は紫揺を抱き上げたまま端まで移動しているし、此之葉は北の者と話している。
「どうですか? 下の方の空気も出ましたか?」
「履き出してやった」
二人の会話を聞くとタイミングよくセノギが言葉を挟む。
「それでは私はあの者たちを見てきます」
「焦らずにお願い致します」
セノギが会釈をすると桟橋を歩いた。
「なんの話をしてた?」
「本領での話です」
醍十が半眼で此之葉を見る。
「なんですか? 何か言いたいことがあれば言って下さい」
若干弱いが、挑むように言う。
醍十と過ごす時間が多くなって、徐々にではあるが、感情が現れるようになってきていた。 そしてそれを口に出すことも多くなってきた。 それに紫揺というスパイスも効いているのであろう。
「北の者と恋仲になどさせんぞ」
「へ?」
この口調は紫揺に似たのか、お手本は選びたいものだ。
「此之葉の相手は俺が見つけてやる。 それまでは大人しくしていろ」
「は?」
「俺の認めたやつにしか此之葉を渡さん」
「・・・」
もう出す声などない。 完全に父親になっているようだ。