虚空の辰刻(とき)  第101回

大福りす
『虚空の辰刻(とき)』 目次


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- 虚空の辰刻(とき)-  第101回



何の話をしているのだろう、トウオウが横たわっている。 それだけが現実なのに。 紫揺の双眸が揺れる。

「・・・トウオウ」

何度も何度もトウオウの名を呼び、頬を額を撫でるアマフウが居る。 その向かいには爺が腰を抜かしたように座り込み、トウオウの手を握っている。

セノギが座り込んで宙を見ている紫揺の横に屈んだ。

「シユラ様?」

返事がない。 ホテルでは破壊をした後、気を失ってしまっていたが、今は心ここに有らずといった具合だ。 だが身体の意識はあるようだ。

「シユラ様、お気を確かにお持ちください」

だが、目を開けたまま紫揺は微塵とも動かない。

やっと担架がやってきた。 ソロリとトウオウを乗せると担架が持ち上げられた。 爺は腰が立たないようで、トウオウの若い側付きだけが担架に付き添う。

「シユラ様、私の声が聞こえますか?」

セノギがそう言った時、パン! という音が聞こえたと思うと、セノギの目の前から紫揺が居なくなった。

「え・・・?」

今まで見ていた紫揺の顔のかわりにアマフウの震える手が見えた。

「アナタ! いい加減になさいよ!!」

アマフウの足元に紫揺が倒れ、ゆっくりと自分の頬に手をあてた。
アマフウが紫揺の頬を平手で叩いていた。

「トウオウがどんな気持ちでアナタに向かったと思ってるの! いつまでもグジグジグジグジ! アナタにはトウオウの気持ちを考えるってことが出来ないの!」

「アマフウ様・・・担架が行ってしまいます。 船までお見送りを」

今はアマフウの怒りを紫揺にぶつけても何にもならない。 だがアマフウの平手のお蔭で紫揺の目に息が入った。

「せいぜいトウオウにしたことを後悔することね!」

言い残すとすぐに担架を追った。

セノギがアマフウを見送ると一拍おいて紫揺に声を掛けた。

「シユラ様、お怪我はございませんか?」

「・・・セノギさん」

「どこか痛いところはございませんか?」

紫揺がゆっくりと首を振る。

紫揺の腕には一本の線が入り、そこから少しだが血が流れている。 だが紫揺はそれに気付いていないようだ。

「わ、私・・・私がこれを、した・・・」

セノギの両の眉尻が下がる。 ポケットからハンカチを出すと紫揺の腕を拭いた。

「シユラ様、今はそんなことはお考えになられませんよう」

「ホテルの時のアレも私がしたんですか?」 

紫揺の問いに口角を上げてムロイが答える。

「シユラ様、食堂で美味しいお茶が待っております。 さ、お立ちになって下さい」

言う当のセノギは座っている間も支えてもらい、立つときにも人手を借りなくてはならなかった。
紫揺がユラリと立ち上がった。

「誰か、シユラ様をお支えして食堂までご案内してください」

遠巻きに見ていた者に言うと、足を踏み出したのはキノラ付きの者であった。
さすがに今回は階段ではなく、エレベーターで一階まで下りた。 そしてそのまま食堂に向かう。 食堂に入ると名前を呼ばれた。

「シユラ様」

聞き覚えのある声。 懐かしい声。 自分を紫揺と呼んでくれる声。 その声に垂れていた頭を上げた。
一瞬にして涙が溢れた。

「ニョゼさん・・・」

あの優しいニョゼの笑顔が涙で歪んで映った。

「シユラ様、ご無沙汰をいたしました」

紫揺の腕に傷がある。 すぐにでも薬を塗りたいが、今は精神の方が先だろう。
ニョゼの声さえ涙のさざ波に揺れる。

「ニョゼさん!」

身体を支えられているのも忘れてニョゼの胸に飛び込んだ。

一瞬ニョゼが驚いた顔をした。 感情を表わさなかった紫揺が飛び込んでくるなんて。 一人でどれだけ心細かったのかが容易に知れる。 だがそれと相反して頑張って一人で乗り越えてきたんだ。 きっと、強くなったのだろう。 ニョゼが相好を崩す。

「シユラ様をお一人にさせてしまって申し訳ありませんでした」

ニョゼの声が腕が優しく紫揺を包み込む。
キノラ付きがその場を辞した。

「トウオウさんが! トウオウさんが!」

ニョゼが「はい」 と言って頷く。

「トウオウ様はお強いです。 ご心配には及びません。 お茶をお淹れいたしましょう。 さ、おかけくださいませ」

紫揺の肩に手を添えるとそっと紫揺を我が身から外し、椅子に座らせた。


コトリと湯呑を置く。

「少しは落ち着かれましたか?」

ニョゼは現場を見ていないが、あの音を聞き、紫揺の様子を見ただけで何があったのか察しがつく。 ホテルと同じことがあったのだろうと。
紫揺がトウオウの名を叫んでいたが、トウオウに何があったのかは知らない。 だが紫揺を立て直すのにトウオウは強いと言った。 それが紫揺に一番いいと思ったから。 それに憖(なまじ)トウオウを知らないわけではない。

ニョゼにトウオウのことを言われ少しは落ち着いた紫揺。 ニョゼの淹れた茶の湯呑み一杯を飲み干すと、コクリと首肯した。

「ニョゼさんの淹れてくれたお茶、久しぶりに飲みました」

飲み干してもまだ両手で湯呑を包んでいる。
ニョゼがそっと紫揺の手元を見る。 手は震えていない。

「いかがでしょうか?」

「美味しいです。 他の人も淹れてくれるけど、ニョゼさんが淹れてくれると味が全然違います」

「まぁ、有難うございます。 おかわりはいかがですか?」

返事の代わりに笑みと共に湯呑を差しだした。
首肯するとシユラから出された湯呑を手に取る。

「ニョゼさん、あの・・・」

茶を淹れているニョゼが振り返り紫揺を見る。

「はい、このままでもよろしければ何でもお話しくださいませ」

優しいニョゼ。 自分を包んでくれるニョゼ。 心に足があるのなら、浮いていた足が地につき、その地から暖かいものが、安心できるものが、足の裏から全身に流れてくるような気がする。

「ニョゼさんが居なくなったことも訊きたいんですけど、でもそれより先にホテルに居た時に、部屋が滅茶苦茶になって修理が入った時のことを訊きたいんです。 あれは・・・部屋を滅茶苦茶にしたのは私なんですか・・・?」

ニョゼもセノギも部屋を滅茶苦茶にしたことは話していない。 無論、ムロイも。 だがこのことを紫揺が知っているのは、控えの部屋から脱走した時、その時に一緒に居たVIP ROOM  の修理に来ていた男から聞いたのだろうと察しがつく。

ニョゼが微笑みとともに湯呑を紫揺の前に置き、紫揺の隣に立つと膝をついた。

「シユラ様、わたくしはシユラ様をシユラ様とお呼びしております。 ですがシユラ様はムラサキ様の血を継がれておられると聞いております。 シユラ様はムラサキ様の血を受け継いでおられて、その力をお持ちです」

ムラサキ・・・紫である祖母の血。 セイハから聞いていた。

「それが・・・破壊、なんですか?」

母親である早季から聞くことが出来なかった話。

「いいえ」

ニョゼが首を振った。

「でも! ホテルで部屋を無茶苦茶にしたんでしょ!? それに今も・・・」

過去のことを冷静に問おうとしたが、やはり今に繋がってしまう。 勿論だろう、トウオウの横たわる姿を見たのだから。

「シユラ様、シユラ様は、お力の使い方が分かっておられないだけなのではないのでしょうか?」

「使い方?」

トウオウを倒れさせた力の使い方?

「はい。 シユラ様の持っておられるお力は素晴らしいものです」

「でも! 物を破壊するなんて、それにどんなことがあるの? 人を困らせるだけ。 物を壊すだけ。 それだけしか無い」

破壊と言いながら、それだけしかないと言いながら、紫揺のすがる様な目。 それは助けて欲しい。 そう言っている。 それは今までになかった。 いつも殻に閉じこもるようにしていた。 たとえニョゼに心開いてきたといえど、そこまではなかった。 紫揺が正直に人に頼ろうとしている。
そして破壊の意味を教えて欲しいとも言っている。 だが残念ながらそれは紫揺の自覚の中に無い。

「いいえ」

ニョゼが首を振った。

「目先をお変えください。 そうですね・・・分かりやすく申しますと・・・。 車に乗っていてトンネルをくぐり終えようとした時に、その先に大きな岩があってトンネルから出られないとします。 そんな時に大きな岩を破壊すればトンネルから出られます」

とーっても紫揺に分かりやすく平たく言った。

「バックすればいいんじゃないんですか?」

「元に戻っては先に進めません。 それに、入ってきた入り口も岩で塞がれてしまっていたとしたらどうでしょうか?」

ニコリと優しい笑みを向ける。

「先にも進めないし元にも戻れない?」

「はい、そうです。 岩がピッタリとトンネルに付いていれば空気も薄くなってきます」

「・・・でも、それは・・・」

どう訊いていいのだろう、口ごもる。

「はい、人生に早々有るものではございませんし、言い訳じみたご説明なのは分かっております。 ですが紫揺様はご自分のお力を誤解されておられます」

「誤解?」

「はい。 シユラ様のお力は民の為のお力です」

北の領土に行ったと聞いた。 では領土のことは分かっているだろうと踏んで話した。

「民?」

セキも“民” と言っていた。

「はい。 お力というのは民の為のお力です。 民のことを思われれば、必要なお力は自然に出られることが出来ましょう。 ですが、今のシユラ様は民のことをご存じありません。 不本意なるお力が出ても致し方ございません」

「でも! だからと言って何でも壊していいわけが有りません!」

「はい。 お力の出し方を心得て頂ければと思います。 でなければシユラ様も大怪我をなさいます」

ニョゼが心配顔で包帯を換えてくれたことを思い出す。

「あの時の怪我は・・・私自身が作ったものなんです、ね?」

「作りたくて作られたわけではございません。 あの時・・・シユラ様は塞いでおられました。 ご両親様の事だけを考えておられました。
これは、わたくしの憶測ですが、シユラ様はご両親様のことをお想いになられて、なられ過ぎて、ご自分が見えなくおなりになったのではないでしょうか」

「私が? 私が見えない? 私が私のことを見えなくなってしまった、っていうこと?」

「わたくしには何の力も御座いませんので、あくまでもわたくしの憶測にしか過ぎないのですが、シユラ様はご自分が見えなくなられた時、お力を出されるのではないでしょうか? それともその他の折にもお力がみえましたでしょうか?」

「・・・ハナ」

「ハナ? でございますか? それは?」

ニョゼが首を傾げる。

「オハナ」

「・・・オハナ、でございますか?」

お花なのか、お鼻なのか。 何か鼻で匂いを感じたのか、それは花の香だったのか、若しくは、鼻の調子が悪いのか・・・。 紫揺の言いたいことが分からない。

「うん。 ・・・お花が咲いたの」

トウオウが言っていた。

「お花が咲いたのですか?」

咲いたと言われれば “鼻” でなく “花” であろう。

「でも、どうして咲いたのか分からないの」

「シユラ様? 難しくお考えになるのはおよしになりせんか?」

「え?」

「単純にお考えになりませんか? 一つにシユラ様はご自分が見えなくなられると、お力に強い現象がみられるようです。 お花を咲かせられた時には何かございましたか?」

「・・・何にもなかった」

「感情の起伏などございませんでしたか?」

「・・・うん。 多分・・・」

怒ったり悲しんだり、何も無かった筈。

「そうですか」

紫揺が不安な顔をニョゼに向ける。

『シユラ様はご自分が見えなくなられるとお力に強い現象がみられるようです』 そう言っていたのだから。 だが、花の話をしてみれば、自分が見えなくなったという訳ではない。

紫揺の不安を消すように、ニョゼがフワリと微笑んだ。

「強い現象ではなくお花を咲かせられたのは、きっと・・・紫揺様がお幸せを感じられた時。 そう考えられませんか? わたくしはそう感じました」

「でも、だって、さっき私が自分を見失ったら力を発揮するって言いましたよね?」

相反するものではないか。 だがこの質問の仕方はそれを拒否してほしいという事。 でなければ収拾がつかなくなるのだろう。

「はい、確かに。 ですがご自分を失ってお花が咲きますでしょうか? お花には命がございます。 気持ちがございます。 お花が咲くという事は、紫揺様のお心に呼応したとしか考えられません。 シユラ様がご自分を見失った時にお力を発せられるのは、まだお力の発せられ方をご存知ないという事。 それと同じにお幸せを感じられるとお力を発せられる。 そうではないでしょうか。
お花が咲いた時、どう感じられておられましたか? お幸せを、嬉しさを感じられてはおられませんでしたか?」

初めてガザンに舐められた時、ガザンが自分を受け入れてくれたと思った。 それが嬉しかった。 そう思うと小学校の時の飼育係の時を思い出した。

まだ怯えたり威嚇をする犬たちに接していた。 その犬がやっと慣れてくれた時、紫揺を見かけて尻尾を振ったり、すり寄ってきたり、何よりも顔を舐めてくれた時には心底嬉しかった。 ずっと怯えていた仔が、威嚇を繰り返していた仔が、心を開いてくれた。 それを思い出した。
だから、ガザンの名を呼びガザンの身体に手を回し、その大きく渋い顔に目を瞑ると自分の頬をくっ付けた。

その時に枯れた芝生が青々とした。

そして北の領土からの帰り、一人家の中でニョゼとの会話を思い出していた。

『お姉さんみたいに優しかった・・・』 と。

ニョゼの顔を声を思い出す。 知らず笑みがこぼれる。 心が温かくなる。 その暖かさに浸かっていると、どこからか音が耳に入った。 少々太い枝に更に細い枝をつけていた単なる木だった枝に、葉と花の蕾をつけた。 蕾が次々とまるで満開の桜のように咲いた。

それに、セキが思いもしないことを言ってくれた。

『シユラ様は私を守って下さった。 そしてお友達にもなって下さった。 私の心にはいつもシユラ様がいらっしゃいます。 ガザンの心の中にも。 だから、二度と会えないなんて言わないでください。 いつも心の中にいらっしゃるんですから』
そう言ってくれた。 鼻の奥がツンとしたと思ったら、目に涙がドバっと溜まった。

そしたら、辺り一面に花が咲き誇った。

「嬉しい時に・・・嬉しく思った時にお花が咲いた・・・」

紫揺の目がどこかに飛びそうになっている。
だがニョゼは慌てない。

「そうですか。 シユラ様にお幸せがあったと聞いてニョゼは嬉しく思います」

いつもは 『わたくし』 なのに敢えて 『ニョゼ』 と自分の名を言った。 紫揺の意識を引き留めるために自分の代名詞の 『わたくし』 ではなく敢えて固有名詞を言った。

「・・・」

「シユラ様はお幸せです。 シユラ様の周りに良い想い、良い方々が居られるのでしょう」

「チガウ・・・」

紫揺が返事を返してくれた。 固有名詞を聞いてどこかに飛ぶようなことは無かったのだと、胸を撫で下ろした。