虚空の辰刻(とき)  第167回

大福りす
『虚空の辰刻(とき)』 目次


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- 虚空の辰刻(とき)-  第167回



独唱、紫揺ともに挨拶も終わり、互いに伝えあいたいことも伝えられただろう。 機を見計らって領主が紫揺と独唱に声を掛け部屋を辞した。
廊下に先ほどの青年、塔弥が頭を垂れて立っている。 玄関に向かって歩き出そうとした領主に声を掛ける。

「独唱様のご様子を見てから参ります」

「分かった。 頼む」 そう言い残すと領主が歩き始めた。

今度はどこに行くのだろうかと思いながら後ろを歩く紫揺。 独唱の家を出ると、すぐ近くに建っていた、これまた漆喰の洋風な家の前に立った。 随分と広そうだ。 家の前には頭を垂れた男たちが並んでいた。 移動してきたようだ。

玄関を開けたセノギモドキ。 領主が入りながら「どうぞ」 と言う。 領主に続いて紫揺も入る。 ここでも玄関で靴を抜ぎ、スリッパのようなものに履き替えた。 洋風仕立てだが、こういう所は和風なのだなと思う。

玄関から入ってホールを抜けると、大きなリビングが広がっていた。 カーペットが敷かれ、何人座れるんだ、というほどの大きな木製のテーブルとイスがある。

あとからついて入ってきた紫揺の中での通称 “鍵を渡してくれた人” が、こちらへ、と言いながら椅子を引いた。 そこは入り口側ではない向かいに見える窓側の一番真ん中の席だった。
男たちは入口の壁に沿ってテーブルの前に並んで立っている。

(合計、七人か。 ん? あれ? あの時五人の足音を聞いて、最後にセノギモドキが来たんだから六人だったはず。 いつの間に一人増えたんだろう)

逃走劇のあった時のことだ。 まだ船に残っていた若冲はその中に入っていなかったし、紫揺の家を出る時にも、領主の家を出る時にも、ここでも男たちは並んでいたが、人数の確認などしていなかった。

領主が紫揺の隣りに立ち軽く一礼する。 思わず紫揺が立ち上がろうとしたのを制する。

「どうぞ、お座りください。 固いことはもう終わりですから、お気楽に」

はあ、と答えながら座り直す。

「先程の独唱様とのお話でお伺いしたい所は御座いますが、その前にこの者達に名乗らせて頂けますでしょうか」

「・・・はい」

どうぞご勝手ご自由に、とまでは言わなかった。

一番最初に一歩前に進み出たのはセノギモドキだった。

「阿秀に御座います」

目を合わさず下向き加減で名乗ると顎を引くように、四五度ほど下を向き礼の形を取った。 そしてその形のまま続ける。

「我が祖が先の紫さまをお守りできませんでしたことを、深くお詫びいたします」

「え?」

何のことだ?

「この者達は、先祖代々紫さまに付いておる者達です。 継ぐにあたって先代からの名も継いでおります。 忌まわしいことがあった日に、この者達の祖が紫さまにお付きしておりました。 一人を除き直系で継いでおります。 今この阿秀が、他の者達を束ねておりますが、あの日この者達の祖を束ねておったのも阿秀の祖でありました」

領主が補足する。

(お婆様を守り切れなかったことを謝ったっていう事か)

気にくわない相手ではあるが、それなりに返事をせねばなるまい。 謝ってきた者を無視できるほど鬼ではないつもりなのだから。

「ご先祖さんも悔やまれたと思いますが、過ぎたことです」

けっこうな鬼の台詞だ。

阿秀が下げたままの顔で、口を引き結んだ。

(あ、じゃない)

さっきの独唱の言葉を思い出す。 祖母からの伝言を伝えた時に独唱は 『お言葉、お受けいたしました』 と言っていた。 その返答は心に沁みた。 それなのに今の自分の返答はキツイだけである。 だが言ってしまった。 これからどう言い足せばいいのか・・・。 考えても答えは出ないし、長く時間をとっても余計と取って付けたようになる。

よし。 開き直ろう。

「でも、セノギモド・・・」

コホンと、咳払いをして誤魔化し言い直した。

「アシュウさんからのお言葉は、ちゃんとお受けしました」

阿秀が腰を折って頭を下げた。

(そんなにイヤな人じゃないのかなぁ) と、紫揺の中で五を数えたが、阿秀の頭がまだ上がってこない。

「あの・・・」

助けを求めるように、領主を見る。

「阿秀、紫さまがお困りだ」

もう一つ深く頭を下げると顔を上げ紫揺の目を見て 「有難うございます」 と言い、一歩下がった。

左隣に立っていた、通称 “鍵を渡してくれた人” が一歩前に出た。

「悠蓮に御座います」

下向き加減で名を名乗ると顎を引いて頭を下げる。 それからはテンポよくいった。 湖彩、野夜、若冲、梁湶、醍十と続き、だれも阿秀のように何かを言うことは無かった。

全員が下向き加減で一歩前に出て名を名乗り、顎を引き頭を下げて礼の形を取っては、一歩引く。 阿秀を除いて名を名乗った順番は、決して五十音順でもなければ、生まれた順でもない。 この六人は順番などにこだわっていない。 言ってしまえばこの部屋に入ってきた順番であった。

「あと一人おりますが、まだ独唱様に付いております」

「さっきの?」

独唱の部屋の前で見た青年?

「はい。 すぐに来るでしょうが、それまで茶でも飲んで待ちましょう。 きちんと名乗りが出来なければ、次にはなかなか進めませんので」

そう言うと一つ空けた紫揺の横に座った。

「次?」

「民にお顔を見せて頂くにあたり、紫さまにはこの者達が付きます。 名を名乗っていなければ、その時に何かありましても、紫さまにお声を掛けられませんので。 本来なら、今までも名乗っておりませんでしたから、紫さまの前に出るなどと有り得んことでした。 ですが仕方なくということでご理解いただければと」

名乗らなければ、前に出ることも出来ず、話すことも出来なかったということか。 自分の前にいる時に誰もがいつも俯き加減だった意味が分かった。

だがそう思うと、あのセノギモドキ、もとい、アシュウは初っ端から涼しげな顔を見せていたし、話しかけても来たな、と心の中で思ったが、今領主が言ったように “仕方なく” だったのだろう。 まぁ、あの逃走劇を思うと仕方ないかと思えるし、それに昨夜もだ。 足に怪我などさせたら、この人達が責任を感じるのだろう。

「そこまで固く考えなくても良かったんですけど」

「そうは参りません。 こういうことは、守るべきところは守らなくてはなりませんので」

「はぁ・・・」

気の抜けた返事をする。
そこへ此之葉が茶を淹れてきた。

紫揺、領主の前に茶を置くと、続いて前の席に七人分の茶を並べた。 そして最後の一つを紫揺を挟んで領主の反対側におき、此之葉がそこに座った。

「お疲れになられましたでしょう、どうぞお飲みになって下さい。 お前たちも座るといい」

先に紫揺を見て言ったあと男たちに声を掛けると、阿秀が最初に椅子に掛け次々に男たちが座った。

(座った順でいけば会社で言うところの、領主さんが社長で、今はいないけど独唱様が部長、此之葉さんが課長でセノギモドキが・・・係長? で、あとの人たちがヒラ? 学校だと、校長、副校長、教頭、学年主任、教師ってとこなのかなぁ)

建設的でないことを考えながら、カップを手に取った。
勧められて飲んだ茶は、なにかのハーブティのようだった。 淡いピンク色をして甘酸っぱい。 甘さが喉を潤し、酸っぱさが身体に水分を広げるように感じる。

「少しお訊きしてもよろしいですか?」

領主がカップを置いた紫揺を軽く覗き込んで訊いてきた。

「はい」

「先程の独唱様に仰っておられたことですが」

ああ、さっき訊きたいと言っていたな、と思い出す。

「先の紫さまがお力を出されたことを仰いました」

前に座る七人のうち何人かが手に持っていたカップを置いた。

「はい、言いました」

「それは・・・その、何とお訊きしていいのやら・・・」

「私の勘違いかもしれませんが」 と、前置きして話し始めた。

あの岩壁を触った時に、先の紫である祖母がそこにいた感覚を体験した。 祖母が泣いている、叫んでいるのを感じた。 いや、耳ではなく脳裏で聞いた。 そしてその後にガクンと下に落ちた感覚があった。 すぐに力で足元の岩を壊したのだと分かった。 同時に膝の痛みも感じた。 それが二度目に出した力だと説明した。

そして一度目に出した力のことと、祖母からの伝言をどう知ったか。

「領主さんは私があの岩壁を触ってほんの数秒で倒れたと仰っていましたから、見たのはたぶん運ばれてからだと思います。 夢を見ました」

夢だから真実かどうかは分からないが、それでも自分は信じていると言って話した。

それは何度も何度も繰り返した夢。 紫と呼ばれる祖母が断崖から落ちる前、男に腕を掴まれ力を出した、逃げようとして崖から落ちて洞に入った夢であった。
何度も繰り返し見た最後のその夢の後、祖母の声が聞こえた。

『“古の力を持つ者” から言われていたことがあります。 それは “怒ってはなりません。 赤子のように泣いてはなりません。 妬んではなりません。 常は心に平静をお持ちください” そう言われました。 ですが私は二度も破ってしまいました。 謝りたいのです。 無かった事になど出来ないのです。 “古の力を持つ者” に謝りたいのです』 そう言っていた。 だから伝言として伝えた。 そう言って締め括った。

此之葉は既に紫揺が目を覚ました時にある程度聞いていた話であったが、初めて聞く話に領主と阿秀以下六人が目を瞠っている。

「そんなことが・・・」

領主が考えてもいなかったことに一瞬息を飲みそうになりながらも呟いたが、あとの言葉が出ない。

「夢ですから、あんなに言う程のことでもなかったのかもしれませんけど、でも私は信じて独唱様にお伝えしました。 でも夢で見たことでまだ分からない所があるんです」

「と、仰いますと?」

先の紫の想いに焦点を合わたかった領主が、なんとかまともな息をして紫揺に問う。

「理解できない所があるんです」

「それは?」

「お婆様の怒りのお心、怖れるお心、そして “古の力を持つ者” に伝えたいお気持ちは分かったんです。 ですが、どうしても怖れた後の安堵が理解できないんです」

「安堵・・・」

洞に入ってからの怖れる心が大きかったのに、その後の安堵が理解しきれない。

「はい。 お婆様はあそこに大きな穴をあけられた後、誰かに引っぱられました。 その時に先の尖った木の破片を感じました。 その意味が全く分かりません。 それが誰なのか、木の破片が何なのか。 お婆様が安堵を覚えられたあとに、島の方に助けられたんです。 発見されたんです。 どうして発見される前に安堵なさったのか」

紫揺は感じていないかもしれないが、話を聞いた紫揺以外が皆思ったことがある。

夢などではない、これが紫の力なのだ、と。

そしてこれも紫揺の無意識なのだが、紫揺が先端恐怖症なのはこれの木の破片が切っ掛けだということ。 ちなみに言ってしまえば、崖から落ちた事での高所恐怖症も、洞での閉所恐怖症もこの時のことがあってのことだった。

「気のせいかもしれませんけど」

最後に付け加えられた軽い紫揺の言葉に、全員が重々しく頭を垂れた。

戸が開いた。

「遅れて申し訳ありません」 そう言って入ってきたのは、独唱に付いていた青年だった。

部屋の空気が一転した。 紫の力に驚嘆しながらも、紫揺の口から発せられた背景を想像すると複雑な思いがある。 集団沈没しかけた海に一石が投じられたようだった。 当の本人はそんな気などいたって無いが。

「独唱様は?」

沈みかけていた海から、顔を出し息が出来た領主が問うと「お休みになられました」 青年が領主に向かって言う。 青年の頭は下げられている。

「そうか。 こちらへ」

領主がこちらへ来るように呼ぶと、青年がテーブルの方に歩いてきて、座っている醍十から少し離れたところに立った。

「皆、名を聞いて頂いた」

領主の言葉に青年が頷き、俯き加減に紫揺の方向に身を変える。

「塔弥にございます」 と、他の七人と同じように顎を引いた。

「え?」

領主が言っていた 『この者達は、代々紫さまに付いておる者達です。 継ぐにあたって先代からの名も継いでおります』 と。

「トウヤ・・・?」

「はい、塔弥にございます」 もう一度塔弥が言う。

「先ほど申しましたが、この塔弥だけは直系ではありません」

「・・・え?」

え、という紫揺自身の声が理解できなかったことを解きほぐす笛の音となった。

数日前に感じたことを回想する。


『――――― !』
(これは?) 誰かの声が聞こえる。

『――――― !』
(紫・・・お婆様の声) 何と言っているかは分からない。 でも泣いている。 叫んでいる。

『・・・あ』

見えはしないが、紫がお婆様がガクンと下に落ちた感じがした。

『力だ・・・叫んだから力で足元に大きな穴が開いてしまったんだ』

それは分かっていた。 膝に痛みを感じた。

『だれ?』

紫を誰かが穴から引き揚げている。
先の尖った木の破片を感じる。


「あれは、お婆様が言っておられたのは・・・」

「紫さま?」

領主が此の地での紫揺の名を呼ぶ


『塔弥!』
『塔弥!』

(あの場所でお婆様が呼んでいらしたのは・・・塔弥、そうだ)

塔弥の身を案じた祖母が、塔弥の名を呼んだ、何度も呼んだ。 だが返事がない。 塔弥の息がなくなったと思った祖母が、絶叫のように塔弥の名を呼んだ。 そして無意識のまま使った紫の力で足元に大きな穴をあけた。 咄嗟に穴に落ちた祖母を引き上げたのが瀕死状態の塔弥だった。

塔弥の腕に大きな木の破片が刺さっている。 塔弥は穴に落ちた祖母がまた崖に落ちたのかと思い、血を流しながら祖母を引き上げた。

『・・・大、丈夫・・です、か?』 塔弥が祖母に言った。

祖母が目を開けた塔弥を見て安堵した。