虚空の辰刻(とき)  第166回

大福りす
『虚空の辰刻(とき)』 目次


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- 虚空の辰刻(とき)-  第166回



「あ・・・」

気の済んだ紫揺が戻ってくると、目の先に阿秀が立っていた。 他の者は阿秀に指示をされて、家などの陰に身を隠している。 あまりぞろぞろと居ると紫揺が気を悪くするだろうということであった。
阿秀が頭を垂れたまま紫揺の前に進み出て足元に靴を置いた。

「お怪我をなさいます」

片膝をついて言うと、すぐに紫揺の後ろに回り身を下げるようにした。
紫揺が振り返る。

「ずっとついてきてたんですか」

「まだこちらには慣れておられませんので」

(また!) 答えになっていない。

阿秀に背を向ける。 ポケットから靴下を出してパンパンと埃を払う。 靴下と靴を履くとすぐに歩き始めた。

「お帰りは玄関からどうぞ」

(やっぱり! やっぱり! いけ好かない!!)

ちゃんと玄関から家に入ると、台所で手足を洗いすぐに部屋に向かった。 汚れた靴下を袋に詰める。
領土には日帰りのつもりで風呂敷以外何も持ってこなかったが、と言っても取りに行った葉月が誰かに渡したのだろう、風呂敷さえ紫揺は持たなかったのだが。

今は部屋の隅に領主の家まで持ってきていたスポーツバッグが置かれている。 紫揺がうなされている間に着替えが必要と誰かが判断したのだろう。 多分此之葉だろうが。 そして誰かが領主の家まで取りに行ってくれたのだろう。 目覚めた時にはここに置かれていた。

スポーツバッグなどこの領土に無いのだろうが、さすがに中にあるものを勝手に出すことはしなかったようだ。

東の領土に行くと言った時、阿秀が 『交通の都合がありますので、少々お時間を頂けますでしょうか』 そう言っていた。 万が一にも家を出た日に家に帰ることが出来ないかもしれないと思って、数枚の着替えをバッグに詰めてきていた。

パジャマ替わりであるジャージに着替えると、いつの間にか敷かれていた布団に潜り込んだがなかなか寝付けない。

「う“う”う“―――、セノギモドキめー!」


「紫さま?」

朝食を食べる紫揺の様子が少し変だ。 阿秀から昨夜のことは聞いていたが、それと直結するようなものではない。 足の裏を怪我しているような気配ではないのだから。

「如何されました?」

「何でもありません」

またも欠伸(あくび)が出かけて噛み殺す。
此之葉の思う “様子が変” は、欠伸を噛み殺している紫揺の表情だった。

「ずっと寝てたからでしょうね。 夕べはなかなか寝付けなくて、今頃になって眠気がきたみたいなんです」

とうとう、ふわっ、と言って大欠伸をしてしまった。 ちゃんと口は手で覆っている。

夕べはこの部屋に戻って来てからあれやこれやと考えてしまった。 もちろん、阿秀に対しての腹立たしさもあったが、独唱に会うのだ、それなりのことを考え言わなければと。 それに祖母からの伝言もある。

「これから独唱様にお会いしていただき、その後にも民にお顔を見せて頂く予定ですが、ご無理でしたら」

「いえ、大丈夫です。 それに、身体を動かしたら・・・」

夕べの阿秀の顔が浮かんだ。 言い直す。

「もうちょっとしたら、しっかりと身体も起きるでしょうから」

独唱には会わなければならない。 年齢や、具合を悪くしていると聞いては、いつどうなってもおかしくないのだから。 そんなことになる前に伝えたいことがあるのだから。

それに民に顔を見せると領主と約束をした。 領主の家に行った日の翌日、領主は民に紫揺が来ることを知らせに行ったと葉月から聞いている。 その日に意識を無くしてしまって、今日で四日目だ。 これ以上、自分のせいで領主の顔を潰すわけにはいかない。

「ごちそうさまでした」 箸をおき、手を合わせる。

此之葉が戸の向こうに控える女を呼んだ。 お下げしてください、と。 女が戸を開けて入ってくる。 紫揺と目が合った。

「ごちそうさまでした」

女が照れ臭そうにお辞儀をする。 盆を下げ部屋を出て行くと、何やら数名の女たちの声が聞こえる。

「何かあったんでしょうか?」

「喜んでおります」

「何にですか?」

「紫さまのお声を聞けたことと、紫さまがご快癒されたことにです」

なんとも言えない複雑な表情を返した紫揺だった。 北の領土でのことがある。 紫揺の前に立つだけで指を震わせていた者たちがいたのだから。

――― ここは本当に東の領土なのだろうか。

ここは北の領土なのか、東の領土なのか、疑いが行ったり来たりしている。 夕べは北の領土ではなかろうかと、夜な夜な風景を見に外に出た。 なのについさっきは、独唱に会って話さなければならないと思ったところだ。 それはここを東の領土と認めての事だからだ。 そして今また考えている。

「大丈夫でございますか?」

いつの間にか難しい顔をしていたようだ。

「あ、はい。 何ともないです。 今日は昨日と違う服なんですね」

此之葉の服のことを言っている。 昨日は男たちと同じような作務衣に似た服を着ていたが、今日はワンピース姿だ。 紫揺の持ってきた風呂敷の中に入っているものと少し似ている。

「昨日までは、動きやすい恰好をしておりましたが、今日は独唱様や民の前に出ますので」

動きやすい恰好、それは看病しやすい恰好ということになるのだろう。 此之葉には世話をかけてしまった。

「えっと・・・私はどうしたら」

Gパンに薄手の長Tシャツだ。 下着や長Tシャツの替えは持ってきていたが、スカートなど持ってきていないし、根本的に持っていない。 家に帰って数あるのはジャージである。 それに今着ている長Tシャツが暑い。 素直に半袖のTシャツを持ってくればよかったと後悔している。

「領主とも話したのですが、紫さまは今日でお帰りになられます。 領土の服に着替えて頂いて民に希望を持たせるのは苦しいということになりました。 独唱様にはそのままの紫さまを見て頂きたくありますので、このままのお姿で」

此の地に留まると言った。 あのマツリに頼み事などしたくはないのだから。 勢いで言ったのは確かだったが、それに嘘はない。 それに、ここに来ようと決心したのは、今やりたいこと、それはされたくないからする。 あのマツリに何も言われたくない。 言わせない。 それがあの時考えた結果だった。

領主に宥められて、一度ここにきて民といわれる人たちと会ってから、その後のことをゆっくりと考える。 そう言われたが、領主はそんなつもりはないらしい。 今日が最初で最後のつもりなのだろう。

(短気はいけない・・・か)

祖母とのこともあるが、落ち着いてみるとまだ自分自身決めかねている。 次に来るも来ないも今は考えないでおこう。

「分かりました」

「では、独唱様の所に」

此之葉が先に歩き、向かった方向は昨日紫揺が歩いて行った方角だった。 家の並びの少ない方向。

家の中もそうだったが、家を出ても人っ子一人居ない。 どこかからの話し声すら聞こえない。 いや、人っ子一人というのは訂正しよう。 家を出る時には男たちが頭を下げ並んでいた。 だが民といわれる人たちが居ない。 どういう事だろうかと、此之葉に尋ねた。

「誰もいないんですね」

「避けられない用がある以外は・・・先程のように盆を下げたりということですが、それ以外では独唱様がお会いになる前に民は姿を見せません。 本来なら私もなのですが」

そう言って頭を軽く下げた。

「そういうことですか」

何となく分かりました。 年功序列というか、役職序列? そんなものなのかなと考える。

朝、外の風景を見ようとちゃんと玄関から家を出ようとした時に、外に出るのを男に止められた。 ちなみにそれより前に窓から出ようとしたら他の男が居たので諦めた。
『今しばらくお待ちください』 と。 紫揺の認識では、鍵を渡してくれ、空港内をついてくれていた男だった。 早い話、悠蓮であった。

(あの時にはまだ領土の人がうろついてたのか。 だからあの時、止められたのか)

抜き打ちで紫揺が家を出るようなものだったのかもしれない。

「こちらでございます」

案内された家は、漆喰で塗られた平屋のどちらかといえば洋風の建物だった。 白さが眩しく、築何年もしていないのだろうという感じがする。 お年寄りが住んでいる家ということで、無意識に純和風を想像していた。
そう思えば目に見える家もみんな洋風の建物だった。 完全洋風ではないからか、夕べは暗がりの中で気付かなかったようだ。

戸を開けると「紫さまがお越しです」 と此之葉が声を掛けた。 中から領主が出て来て深く頭を下げ「こちらです」 と案内を始める。 今まで先を歩いていた此之葉が紫揺の後ろについた。

(良かった、ついてきてくれるんだ)

到底一人になどなりたくはない。

玄関を上がるとスリッパのようなものに履き替える。 戸を開けるとリビングらしき所があった。 そこを抜け廊下に出ると一つの戸の横に青年が立っていた。 頭を垂れている。 その戸を領主が押し開ける。 スリッパのようなものを脱いだ領主が中に入ると 「どうぞ」 といって紫揺を誘う。

スリッパのような物を脱いで中に入ってみるとそこは和室であった。 そこに低頭している老女が座っていた。
領主が 「お座りください」 というが、どこに座っていいものやら分からない。

「こちらへ」

紫揺の後ろから入ってきた此之葉が敷かれていた座布団の一つを示した。

「失礼します」

一言いってそこに座る。 そこは独唱の前であった。 二人の間を遮るものは何もない。 机も何も無いということだ。 あとの座布団は紫揺の座った後ろ、少し離れたところに敷いてあった。

「わざわざお足をお運びくださり、恐縮至極に存じます」 

老女は手をついて更に深々と低頭した。

「独唱にございます。 お探しにこれ程の時を重ねてしまったのは、我が力の弱さからで御座います。 深く詫び言を申し上げます」

そんなことないですぅー、と言いたかったが、取り敢えず言いたいことを全部喋ってもらおう。

「紫さまにおかれましては、お健やかにお育ち戴きましたことに、ご両親様へ感謝の信しか御座いません。 ご両親様へお伝えしたく思っておりましたが、ご両親様のことはただただ残念でございます」

そしてあれやこれやと言い、最後に紫揺がここに来てからの本復を目出度く思うと、締め括った。 が、それが締め括りなのかどうか紫揺には分からない。 独唱はまだ頭を下げているのだから。 そして領主も此之葉もだ。 此之葉を見ると僅かに頭を上げて紫揺を見ると頷いてみせた。

終わりだということであろうと判断した。

「どうぞ、頭を上げてください」

独唱がゆっくりと頭を上げる。 それに遅れて領主と此之葉も。
ここの礼儀作法が分からない。 まぁ、日本の礼儀作法もよく知らないが。 深く考えてもなにも出てこないのなら、思ったようにやるしかない。

「藤滝紫揺と申します。 先の紫と呼ばれていた孫に当たります」

手をついて慣れないお辞儀をした。
部屋の中にいる誰もが驚いた。 此之葉が止めようと立ち上がりかけたが、独唱が無言で止めた。
それが今代紫である紫揺のすることなのだから。

だが五色が、紫が頭を下げるなど根本的には有り得ない。

紫揺が頭を上げる。 自己紹介の時にお辞儀をすればいいだろう、と考えていただけなのだから。

「独唱様が紫の気を追っていらっしゃったとうかがっていますが、いま目の前にいる私で間違いないでしょうか」

先程、先の紫の孫にあたると言ったのに、可笑しなことを言うとは誰も思わなかった。 反対に、先の紫の孫だと認めて言ったことの方が驚きであった。

「寸分の差異も御座いません」

瞑目し頭(こうべ)を垂れた。

「そうですか」

頭を戻した独唱を見て気付いたことがあったが、それは今は関係のないこと。

「二つ申し上げたいことがあります」

「なんなりとお申し下さい」

「一つは祖母からの伝言です」

「先の紫さまからの?」

独唱だけでなく誰しもが目を瞠った。
紫揺が生まれる前に紫揺の祖母である先の紫は亡くなっていると聞いていた。 それなのにどういうことだろうか。

「お婆様は、十歳を迎えられたあのことがあった後は、古の力を持つ方から言われたことをお守りになりました。 ですが、あのことがあった時には二度お破りになりました。 襲われ、手を掴まれ、次に肩を掴まれようとした時に怒りのあまりに相手の腕に閃光を走らせました。 それが一度目。 そして驚いた相手が手を離しましたが、再度襲い掛かろうとしてそれをかわしたお婆様が崖から落ちました。 もう一度は」

振り返り領主の方を見る。

「領主さん、私が倒れた時のあの場所に敷かれてあった石がありますよね」

「はい」

「あそこはお婆様が落ちた直後には穴はあいていませんでした」

領主が僅かに首を捻る。

顔を独唱に戻す。

「崖から落ちたお婆様が洞窟に入った後、訳がわからず泣かれたんです。 そしてあの穴、大きな穴をあけてしまいました。 これが二度目に使った力です」

先ほどからまるで見てきたかのように話す紫揺に、驚きの目しか送れない領主。

「 『怒ってはなりません。 赤子のように泣いてはなりません。 妬んではなりません。 常は心に平静をお持ちください』 私は領主さんから聞きましたが、祖母もあんなことがありましたがしっかりと覚えていました。 独唱様の先代様がお婆様に仰ったことです。 それを破ってしまいましたと、先代を継ぐ今の古の力を持つ方に謝ってほしいということでした」

手をつくと深々と頭を下げた。

「祖母に代わりましてお詫びを申し上げます。 申し訳ありませんでした」

今度は此之葉も頭を下げるのを止める様子が無かった。 それどころか領主も此之葉も言葉がなかった。

―――これが紫なのだろうか。

今、この東の領土で生きている者の中で先の紫の存在を知っているのは独唱だけ。
その独唱がゆっくりと頷くと、口を開いた。

「お言葉、お受けいたしました」

手をついて応える。
紫揺が心の中で五つ数えた。 そして頭を上げる。 独唱も気配を察したのか、ゆっくりと頭を上げた。

「もう一つの申し上げたいことは・・・」

一旦言葉を切ると下を向いた。 そして意を決したかのように顔を上げる。

「領主さんからうかがいました。 独唱様の人生の全てを、祖母と私の為に使われました。 祖母がもっと早くに気付いていれば、私がもっと早くに気付いていれば、独唱様の人生が変わっていたと思います。 お辛い年月でいらしたと思います。 気付くことが無かった事に謝罪を申し上げ、探して下さったことに感謝を申し上げます」

有難うございます。 と再度手をつき頭を下げた。
謝辞であった。

―――報われた。

戸の向こうで端座していた青年、塔弥の目から涙が落ちた。
それは詫びる言葉にではない。 感謝の言葉に対してであった。

「勿体ないお言葉でございます」

独唱が止めることの出来ない静かな涙を流しながら頭を下げた。