虚空の辰刻(とき)  第78回

大福りす
『虚空の辰刻(とき)』 目次


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- 虚空の辰刻(とき)-  第78回



四方から聞かされた話、それは領主史にも領土史にもそんなことは書かれていなかったはずだ。 己の読み落としか。

「それは領主史か領土史に書かれておりますか?」

「書かれておらん。 別の書にある。 それは領主が辞する時に次代領主に渡すものの一つにある」

マツリが深く頷いた。 己が次の領主とは限らない。 リツソかもしれないのだから。 それなのにここまで四方が話してくれただけでも有難いことである。
この事に何か関係しているとは思えないが、今の北の領土の状況が少しでも整理できるかもしれない。

北の領土の五色は四方の祖父の代以前から初代に比べ力を落としてきている。 それが北の領土を乱れさせているのかもしれない。

「では・・・姉上に北のことでご迷惑をお掛けするわけにはいけませんか・・・」

「そのようななことはないが、シキに頼むのであればこれを知っておいてもらわんと、と思っただけだ。 西はどうだ?」

唐突に方向が変わった問いであるが、それに驚くことはない。

「全く何の不穏な動きはありません。 この年も何の災害もなく、何より稲の実りがよく、生活が安定しているようで民に不服はないようです。 秋の祭も賑やかで領主、五色ともども民と祭りを楽しんでおりました」

「そうか。 ・・・何故わしがマツリに北と西を、シキに東と南を見させているか分かっておるな」

「・・・」

分からなくもないが口にするには烏滸(おこ)がましい。

「シキにも北と西を見させることは出来る。 だが、それはシキにとって辛いことだ。 あれは視え過ぎる」

北の領土は過去、紫の事に対して禍々しい心を持ったことがある。 それにその前にはどの領土より北の領土は荒れていた。 だから本領から狼たちを北の領土に入れていた。
そして西の領土は今の領主の徹底した手腕によって落ち着いてきたが、前領主までは荒れていて五色も手をこまねいていた状態だった。

「お優しくあられますから」

「・・・ああ」

「今まで北で不穏を感じることはありませんでしたが、ですが今回だけは姉上に頼らざるを得ません。 己では力不足です」

マツリの目は禍つものがあるかどうかを見ることが出来る。 だがそれだけ。 その先を視ることが出来ない。

「・・・そうか」

シキにしか分からないという事は、四方でも分からないという事だ。
四方もマツリと同じく禍つものを視ることしか出来ない。 シキのように視るということは出来ない。

考えたくはないが、祖父の時代と同じことが起きているかもしれないと危惧が走りながらも、それを避けたいと思う心が走る。
今度はどこの領土の五色を狙っているかなど考えたくもない。 だが祖父と同じ道を踏むことは出来ない。 もし暗愚しているのならば止めなければ。

「我の思い過ごしかもしれませんが・・・」

「いや、思い過ごしに越したことはないが見極めるべきだからな。 ・・・それに、迷子と言っておった者のこともある。 シキに向かわせよう」

「はい。 姉上には我がご案内します」

「そろそろ今日あたりにシキも帰って来る―――」

言いかけた時、ギャーと天空で声がした。 誰もが驚いて身体を震撼させる声。

「帰ってきたようだな・・・」

こめかみを指で押さえる。

「そのようです」

色は違えどアオサギに似た美しい姿。 白から赤味を帯びた淡い紫、そして濃い紫に染まった羽毛を持つシキの供の美しいサギ。 だが、その姿からは想像できぬ、誰をも震え上がらせるほどの荒れた鳴き声が響いた。

「あの声だけはどうにかならんか・・・」

「無理で座居ましょう」

「・・・」

「明日、姉上をご案内してもよろしいでしょうか?」

「ああ」

「では、お迎えに上がります」

「ああ、そうしてくれ」


従者たちに迎えられ供のサギから降り立ったシキ。 マツリとは質も色も正反対の、波打っている黒い髪がふわりと背に落ちる。 同じと言えば長い髪というだけだろう。

その姿が纏う衣装は色は違えど、マツリと同じく、1センチ程の幅に鞣した皮の紐を青に染め丸襟のベストのような形に編んであり、その下には横にスリットの入った膝丈より少し上の薄青の皮の上衣、下は上衣と同じく皮の筒ズボン。 足元は長靴。 と、祭の折の北の領土に行くにはこの衣装だが、今は東の領土から帰ってきたのだ。 東の領土は短く暑い夏と、同じく短く寒い冬以外は温暖である。 そんなに着込んでいては暑くて仕方がない。

ベストのようなものは着ておらず、上衣と筒ズボンは同じ形と色をしているが、その素材は皮ではなくサラリとしたシルクで出来ていて、靴はサンダルのような物に皮紐が付いていてそれを足首の少し上まで編み上げている。

「お役目、ご苦労に御座います。 お着替えをご用意しております」

ワラワラと従者がシキの元による。

「ありがとう。 ロセイにお水をお願い出来るかしら?」

ロセイとはシキの供、サギの事である。

「勿論に御座います」

女たち誰もがいち早くシキの供をもてなそうと水を差しだす。

「着替えを済ませて父上にご報告申し上げることがあります」

ロセイにかまけている他の女たちが頷く。

「その間、ロセイをお願いできますか? 疲れていると思いますので」

「しかと!」

その女たちの波をかき分けて、中年の一人が進み出た。 その女を見た途端、シキが声を上げた。

「昌耶(しょうや)! 身体の具合は良いのですか?」

シキの側付きの昌耶。 シキの母親以上の年嵩である。

シキが本領の宮を出る前に、他の従者から昌耶が身体の調子を崩していたと聞いていた 昌耶自身はそんな素振りも見せていなかったが。

「ご心配痛み入ります。 この昌耶、この身が千切れようとも、姫様に沿う所存で御座います」

“姫様” 懐かしい響きだ。

「何を言っているの、貴方の身があっての事、無理をしてはなりません」

「シキ様にお仕えすることが、この昌耶の喜びであります」

シキがニコリと笑った。

「元気になったのね。 ありがとう。 では、着替えを手伝ってもらえますか?」

「勿論に御座います! この昌耶以外の誰がシキ様のお着替えをお手伝い出来ましょうか!」

「では、頼みます」

昌耶がシキの手を取り従者が襖を開けシキの部屋に入った。 シキを取られた他の若い従者たちが地団太を踏んだ。

従者の女達にとってシキの人気は上々である。 美しく優しくそして気を回されるお心をお持ち、そして立ち居振る舞いが流れるよう。 あの様なお方の髪の毛一筋ほどにもなれなくとも、お側についてその姿を目に入れたいと思う、お手伝いをしたいと思う。

昌耶の手を借りてシキが着替えを済ませる。

若葉色を基調にし、差し色は薄黄色。 日本の着物と同じように前合わせをし半巾帯より幅の無い帯を巻き、その上に数枚の袿(うちぎ)を着ているが着物とは少し違う。 着ているものが着物に比べて随分と生地が薄い。 サラリとしたシルク。 そして何より、帯の下は裾広がりになって、まるでドレスのように後ろで裾を引きずっている

襖の外にはマツリを筆頭にシキの従者たちが待ち構えていた。

襖が開いた。

「姉上、お帰りなさいませ」

マツリが頭(こうべ)を垂れる。 それに倣って従者も頭を垂れた。

「あら、マツリも帰っていたの?」

「はい」

「久しいわね」

言うと、従者たちに声を掛ける。

「改めなくて宜しい。 これから父上の元に行く故、それだけをお願いします」

幾人かの従者たちが楚々と動いた。 だが、まだ頭を垂れている者がいる。

「いいのよ。 私はマツリとお話がしたいから、私のことは気にしないで」

人払いであることは重々に分かる。 ただ、シキに仕えたいと思うのに払われたと思いたくない。
マツリが面倒臭そうに邪魔にもならない髪をかき上げた。

「シキ様、私たちはシキ様に沿いとうございます」 残っていた従者が言う。

「ありがとう。 嬉しいわ。 でも、ごめんなさいね。 マツリにお話があるの」

「シキ様が、ごめんなさいとは! 私たちが悪うございました」

申し訳ありませんと、女達が頭を下げ身をよじらせた。

「これ、シキ様が仰っておられる。 場を外さぬか」

昌耶に言われ渋々と従者と呼ばれる女たちがその場を後にする。

「昌耶、父上とのお話が終わったら―――」

「薬湯にございますね。 心得ております」

「昌耶にしか頼めないの。 お願いね」

「湯浴みのご用意もしておきますゆえ」

そう言うと昌耶が深々と頭を下げ、その場を辞した。 マツリとシキの二人だけになった。

「薬湯・・・?」

マツリが怪訝な顔でシキを見た。

「ええ、声の調子が悪くて」

「無理をなさっているのではないのですか?」

いつからかシキの背を抜いてしまったマツリが顔色を変え、腰を少し屈めてシキを覗き込んだ。

「違うの。 東に行くと、民たちとお話をするの。 するとね・・・」

「民の悲しさが姉上に視えてしまう?」

「ええ。 だから・・・」

「励ましてばかりで声を潰してしまう?」

「まぁ、マツリは何でもわかっているのね」

「姉上・・・」

四方の心配が手に取るようにわかる。

「無理をしないでください。 先程、昌耶に言った言葉そのものです」

「あら? 何かしら?」

「昌耶に仰ったでしょう。 昌耶の身体あってのことなのだと」

「昌耶はそうだから。 私とは違うわ」

「違いません。 姉上もです」

「そうかしら?」

こんな会話を聞いたら、従者たちがオロオロとする姿が目に見えるようだ。 フッと笑みの中から息を吐く。

「それにしても従者たちの姉上への忠心は、見事ですね」

「あら? 私には狼たちとまともに話が出来ないわ」

「ご謙遜を。 それより・・・我はいつも申し上げているはずですが?」

「なぁに?」

「姉上には藤の色がお似合いと」

この日、従者たちが用意していた衣装は五着。 その中からシキが緑を仰ぐような見事な若葉色を選んだ。 深く薄くの緑を基調とした十二単に似た生地の薄い重ね着。

「仕えている者が用意してくれたのだから、それに物申してはいけません」

「嘘を言わないでください」

「嘘など申しておりません」

「我は姉上の従者たちに、必ず藤の色の衣装を用意するようにと言っております」

「え?」

「有りましたでしょう? 藤の色の衣装が」

「まぁ! いつも衣裳替えの時に、昌耶が藤の色を進めるのはマツリのせいだったのね」

「我のせいかどうかは・・・。 昌耶も姉上に藤色を着て頂きたいと思っているのかもしれません」

「衣裳一つで昌耶にも、皆にも困らせるようなことはしないでちょうだい」

「では、姉上の従者たちに我が言いましょう。 姉上には藤の色だけを用意するようにと。 それ以外は用意する必要はないと。 そうすれば困りませんでしょう?」

「充分困ります。 困らせるのはやめてちょうだい」

「我は姉上が一番美しいという姿でいて欲しいと思っているだけです」

「あら? わたくしは藤の色以外は似合わないという事かしら?」

悪戯な目を送る。

「姉上はどの色もよくお似合いです。 ですが藤の色が一番です」

母上は桜色、姉上は藤色が一番似合う。

「有難う。 でも、皆を困らせないでちょうだいな」

シキに色んな色の衣を着せたいと女たちが思っていることは知っている。 それに応えたいだけ。

「我の居ない所では他の色を着てくださって宜しいかと」

「強情ね」

「我は姉上を慕っているだけです。 緑もお似合いです。 さ、父上の元に行きましょう」

手を差し伸べるとシキの手を取り四方の居る部屋に歩き出した。

すでに濃緑色の直衣に似た衣裳に着替えていた四方。 これも狩衣と同じで日本の物より生地が柔らかく指貫ではない。 烏帽子も被らず扇も持っていない。

マツリも同席しシキの報告を聞いた。

「東の何がおかしいのか?」

どういうことだと四方が問う。

「視ることは叶いませんでしたが動きがおかしいのです」

「どういうことだ?」

「私は辺境の民と触れ合うことを一番にしてきました。 民に何ら可笑しな動きはありません。 ですが先だってより中心の動きがおかしく、何度か中心に赴きましたが、中心の民からもなんらおかしなものは視えませんでした。 ですが、数人見当たらない民がおりました。 どこで何をしているのか、会うことが叶わず視ることも出来ませんでした」

ですが、と続ける。

「紫が落ちたと言われている崖に行ってみましたら、たった一人で彷徨っているような・・・民が居りました」

マツリが一瞬目を見開いた。 シキは崖から落ちたという紫のことを知っていたのか。
いや、よく考えると当たり前だ。 未だ五色の居ない東の領土を見るシキがそれを知らなくてどうする。
だが加害者である北の領土を見ているマツリは何も知らなかった。

四方は加害者より被害者に重点を置いたということか。

否、加害者被害者ではない、過去のことではない、東の領土のことを思うと今も紫が居ないということが肝要なのだろう。 その為にどうして紫が居なくなったのかを話したのだろう。

「彷徨う?」

四方が眉を顰める。

不可解な動きをしていた。 崖から落ちるのではないかと思い、ロセイを地に着けると男に話しかけたという。

『何をしているのですか?』 と。

男が虚ろな目でシキを見た。
シキもまた男を見ている。

『・・・シ・・キ、さ、ま?』

男が片言のように呟く。

『少しでいいので此処から離れましょう。 落ちてしまいます』

精一杯の言葉だった。
この時すでにシキから涙が溢れそうになっていた。 男の心の痛みを分かってしまったから。 視るまでもなく、男の悲しさに心が潰されそうな想いを感じた。

『お・・・俺が、俺が・・・』

『さ、危ないですよ、こちらに来てください』

シキが男の背に手をまわすが男がその場で崩れてしまったらしい。
するとその時、

『醍十(だいじゅう)!』 と背後から声がした。