虚空の辰刻(とき) 第95回
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セイハの言うムラサキ、それは紫揺の祖母である紫のことなのだろうか?
「お婆様の?」
「お婆様かどうかは私は知らないけどその血を引いているの。 シユラの知らない血がムラサキにはあるの。 シユラが理解できないことがあるかもしれないけど、それはムラサキの血のなせる業。 それは・・・ムラサキが受け継ぐ者に伝えなければいけなかったんだけどね」
「どういうことですか? お婆様が私に伝えなかったという事ですか?」
「そうね」
「私が生まれる前にお婆様は亡くなっていました。 もしその話が本当だとしても、お婆様が私に伝えることなど出来ません」
「ムラサキの命(めい)はそんなに簡単なものじゃないわ。 勿論私たち五色もね。 命は受け継がれなくてはいけないのよ」
どういうことだ。
「シユラが生まれる前にムラサキが亡くなったとしていても、誰かがムラサキの命を聞いて受け継いで、シユラに聞かせなくちゃいけなかったのよ」
シユラはそれを聞いていないんでしょ? と言いたげに紫揺を見る。
「・・・お婆様のお話は母から聞いていました。 でも・・・」
「ムラサキの力の話は聞いていなかったってことね」
「そんなこと・・・」
「何のお話かしらっ? うるさくて集中できないんですけど?!」
気が立っているキノラが階段から降りてきた。 相変わらず手にはファイルを持っている。
「あら、お姉さま。 春樹はどうですか?」
「・・・どうして新人を知っているの?」
「あらやだ、お姉さま方が新人の面接に行ったことは知ってますよ。 それで初目の顔を見たら新人って分かるし、ネームプレートを見れば名前も分かるってこと」
「セイハ、貴方は仕事に関係ないの。 新人にちょっかいを出さないでちょうだい」
「あら、やだ。 ちょっかいだなんて。 でも、紹介してほしいな。 彼、イケメンだし、一度話したいから。 ね、キノラお姉さまいいでしょ? 紹介して」
「馬鹿を言うんじゃないわよ。 この地の人間と話すなんて」
「お姉さま、この地なんて、シユラが居てるんですから控えてもらわなくっちゃ」
セイハの言いように紫揺もキノラも眉を顰めた。
「もう、分かっているわよね?」 キノラが紫揺を見る。
「はい・・・」
この地と北の領土という地の違いは分かっていた。
「え? シユラ、そうなんだ」
「当たり前でしょう」
紫揺ではなくキノラが答えた。
北の領土の文化が此処、この地と全く違うのだから、そこから何らかのことが分かっているはず。
「シユラのことは今はいいから、ね、キノラお姉さま? 彼を紹介してくれない?」
「馬鹿も休み休み言いなさい」
そう言うとサッサと一階にあるムロイの仕事部屋に足を運んだ。
「なにアレ? サイアク。 ねぇ、シユラ」
紫揺を見るが紫揺はセイハを見ていない。
セイハの言った言葉
『シユラ様が生まれる前にムラサキが亡くなったとしていても、誰かがムラサキの命を聞いて受け継いで、シユラに聞かせなくちゃいけなかったのよ』
それは亡くなる前、紫揺の母親、早季が言ってたことなのだろうか。
『紫揺ちゃん・・・紫揺ちゃんが二十歳になったら話そうと思っていたことがあるの。
でももう、紫揺ちゃんに話したほうがいいかもしれない。 お父さんとお母さんが旅行から帰ってきたら話すわね。 その時にお母さんの名前の由来と紫揺ちゃんの名前の由来も話すわ』
そう言っていた。
それがそうなのだろうか。
「シユラ?」
セイハが紫揺を覗き見る。
「あ・・・」
「何か思い当たるところがある?」
「ない。 ないです」
母親である早季の手落ちなどと思われたくない。
「ふぅーん・・・。 まっ、ムラサキは特別―――」
「お黙りなさい」
聞き覚えのある声がした。
紫揺とセイハが声のした後方を振り返る。
やっぱり、しっかり、そこに腕を組んだアマフウがいた。
今日のコスチュームは制服だ。 それはセーラームーンのように超ミニではない。 膝下まであるワンピース。 分かりやすく言うと、今にも聖歌を歌いそうな清純な制服。
「なに? ここでアマフウに入ってほしくないんだけど」
「セイハ、アナタの考えていることに、コノコを当てはめるんじゃないわよ」
「はっ!? なにそれ?」
「コノコから退きなさいと言っているの」
「イミ分んないんだけど」
「意味が分からないのなら、今すぐここから消えなさい」
セイハとアマフウの睨み合いに、アマフウ曰くの紫揺がドヘドを吐きたくなる。
(なに、コレ。 ガザン助けてよ)
助けを求められたガザンは遠くで大イビキをかいて寝ている。 スーパーマンならず、スーパーガザンにはなれないようだ、
心でガザンに助けを求めても返事はない。 当たり前か・・・。 紫揺が大きく息を吸った。 そして長く息を吐いた。
セイハに母親である早季の手落ちとは思われたくない。 セイハがそう言いたかったのかどうかは分からないが。
「セイハさん!」
思ってもいない大声になってしまった。
紫揺の声に言い合っていた二人が驚いて紫揺を見た。 紫揺もこの大声に自分でさえ驚いた。
だが、そんなことは言ってられない。 ゴクリと唾を飲んで紫揺が続ける。
「私には時間がなかった。 お母さんにもお婆様にも。 誰も私に伝えることは出来なかった。 でもそれはセイハさんの言うことが前提であって・・・」
前提じゃない。 ちゃんと母親である早季は旅行から帰ったら話すと言っていた。 でもその旅行先の事故で亡くなってしまった。
セイハの言う事と、早季の言うことが同じなのかそうでは無いのかは分からないが・・・でもきっと同じだろう。 そう感じずにはいられない。 セイハの言うところの、ムラサキの力のことだったのだろう。
「アナタ、何を言っているの?」 アマフウが言う。
「いや・・・だから・・・」
「言いたいことがあれば言いなさいって言ったでしょう!」
いや、それは馬車の中だけの話じゃないんでしょうか? と、アマフウの声に冷めてしまった紫揺が思う。
「アマフウ! シユラの話を最後まで聞いてあげればいいじゃない!」
「コノコの話を最後まで? 何日かかるのかしら?」
「ずっと待ってあげればいいでしょ?」
「気のないことを吐くんじゃないわよ」
「何を言うのよ!」
「アマフウ止めろ!」
セイハとアマフウの間にトウオウの声がした。
「何やってんだよ!」
アマフウの腕を取ると引っ張り、この場を後にしようとした。
「離してよ!」
「お前、頭を冷やせ」
アマフウに言うとセイハを睨みつけた。
「セイハ、頭に乗るなよ」
トウオウから向けられるオッドアイが深く冷たく光った。 これほど怖いものはない。
だがトウオウの目に凍えながらも言い返すセイハ。
「シユラに教えようと思っただけじゃない」
「それが大きなお世話って分かってないのか!」
「トウオウ・・・やめて」
そして小声で言った。 「そんな話じゃないから」と。
「アマフウ・・・」
「お願い。 もう少し待って。 堪えて」
「そっくりそのままアマフウに返すよ」
「なにそれ? 私は紫揺のことを第一に思ってるのに、トウオウとアマフウのラブラブを見せたいわけ? サイテー」
「アナタが第一に思ってるのはアノコの事じゃなくてアナタ自身の事でしょ!」
「やめろって」
トウオウがアマフウの肩を抱いて階段を上り出した。
「シユラ様、部屋に戻れ」
アマフウの肩を抱きながらトウオウが肩越しに紫揺に言う。
「なっに! ムカつく! 言うだけ言って、ハイそれまで? 馬鹿にしてんじゃないわよ!」
怒り心頭のセイハの後姿を見た紫揺。 セイハがどうのこうのではない。 母親の早季のことを思っている。
「シユラ! あの二人の悪口を語り合おうじゃない!」
未だに怒りが収まらなく振り返って紫揺を見た。
「セイハさんごめんなさい」
「はっ!?」
「一人で部屋に戻ります」
「トウオウの言うことを聞くっていうの? 私の―――」
「そうじゃないです。 誰のことを聞くっていう訳じゃないです。 ただ、考えたいだけです」
「ふーん・・・。 何を考えるの?」
針の目のような、猫の目のように紫揺を見る。
「分かりません」
何を考えたいかをセイハに言うと時間の無駄になると思った。
「分からない?」
「はい。 何もかもが分からないです」
正直な話だ。 今は何もかもがこんがらがっている。
「そう、じゃ、整理できたら話してね。 ここでは私とシユラが何もかも分かり合ってるんだからね。 いつでも相談して」
それってナニ? そう思いながらもニコリと応える。
「その時にはお願いします」
ああ、自分・・・悪魔になった。
部屋に戻っても考えることなどない。
いや、ある。 でも、ない。
何故か。
今更何を考えてもそれは過去の事。 花を咲かせたり、枯れた芝生を緑にしたり、アマフウの着ている着物の袂を燃やしたりなど、全ては過去の事。 それにさっきセイハが言ったムラサキの血や力を引いているという命を、誰かが伝えなくてはいけなかった。 確かに聞いていない。 でもそれは、旅行から帰ってきた母が話す筈だった。 絶対に。 だから何もかも過去の事。
今は前だけを見る。 あるのはこれからのこと。 この島からの脱出のことだけ。
「先輩・・・来てくれるかな」
朝会った時に一方的に言った。
『今日も昨日の時間にあの場所に行きます。 来てください』
「先輩の気持ち完全無視で言ったし、仕事で疲れてるだろうから、ウザったいって思われたかなぁ・・・」
キノラの苛立った姿を思い出すとそれがセノギに対してなのか、仕事に対してなのかは分からないが、もし、仕事に対してなのなら、春樹も忙しいだろう。
と、セノギのことを思う。
「今日も姿を見なかった・・・」
あのセノギなら筋肉痛などで、臥せっているはずはないのに。
「常人なら身体を痛めつけた後、一週間はシップ貼りたくりの世界だろうけど、セノギさんならシップに頼ることなく起きることが出来るはず」
気合で。
ましてやムロイがここに居なく、北の領土に残っているのだから。
「まだ起きられない?」
セノギがなんとか病院から出てきたものの、ヒトウカの冷えにあたってしまったことに対する回復はまだ十分ではない。
セノギがヒトウカの冷えにあたったことなど紫揺は知らない。 それにムロイも帰って来ない、と思う。
「オカシイ・・・」
いや、と自分を言い聞かす。
「そんなことどうでもいい。 私はここから出るんだから。 先輩から訊くしかないんだから」
セノギに恩は感じている。 自分の我が儘をいつも聞いてくれていたのはセノギだ。 でもそのセノギも自分を誘拐した一味の内の一人だ。 心を鬼にするしかない。 そうでないと自分は家に帰ることが出来ない。 父と母の遺骨はまだそのまま放置状態だ。
「お父さん、お母さん・・・お水も添えられなくてごめん。 喉が渇いてるよね。 お腹もすいてるよね」
炊き立てのご飯を何日添えられなかったのだろうか。 お水もどれだけ添えられなかったのだろうか。
「ごめんなさい。 でも、すぐには無理だけど、一日でも早くお父さんとお母さんの居る家に帰るから」
春樹に訊くしかない。 頼るしかない。 それを春樹が受け入れてくれるかどうかは分からないが、先のことは春樹に頼る以外にない。 そしてそこまでのガードはガザンに頼るしかない。
春樹とガザン。 二つ巴ではないが、今の紫揺にはこの一人と一匹しかない。 他に何もない。
「先輩が来てくれなかったら・・・嫌われてもいい。 押しかけるしかない」
紫揺が腹を括ったようだが、トンデモナイ。 春樹は両手を広げてカモーンと紫揺を迎える体勢だ。
夜になり帰って来る時の準備として窓の近くに掛布団を敷くと、窓から木に跳び乗った。 最初は履き慣れない靴で枝から滑って恐い目をしたが、今はもう慣れたものだ。
木の枝に跳びつくといつも通り隠している綱を下す。 そしてスルスルと幹から降りる。
トン、と足を地に着けた。
「先輩、居てくれるかなぁ・・・」
不安がありながらも、使用人と言われる人たちがいる建物に向かう。 そこの裏にはガザンもいる。
もし、春樹がいなければ、ガザンに会いに行ってガザンの意見を聞こうと思っていた。
ガザンが何を言いたいかはセキにしか分からない。 紫揺には分からないが、それでもガザンの考えを仰ごうと思っていた。
屋敷を仰ぎ見ると今日は何処の部屋にも電気は点いていない。
「みんな寝てる」
だが、そこで安堵できない。 充分に気を付けなければいけない。 此処に居て猜疑心が磨かれた。
陰に隠れて春樹との約束の場所に足を向ける。
「先輩、居てくれるかなぁ・・・」
再度同じ言葉を口にした。
出来るならば、押しかけなどしたくない。
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セイハの言うムラサキ、それは紫揺の祖母である紫のことなのだろうか?
「お婆様の?」
「お婆様かどうかは私は知らないけどその血を引いているの。 シユラの知らない血がムラサキにはあるの。 シユラが理解できないことがあるかもしれないけど、それはムラサキの血のなせる業。 それは・・・ムラサキが受け継ぐ者に伝えなければいけなかったんだけどね」
「どういうことですか? お婆様が私に伝えなかったという事ですか?」
「そうね」
「私が生まれる前にお婆様は亡くなっていました。 もしその話が本当だとしても、お婆様が私に伝えることなど出来ません」
「ムラサキの命(めい)はそんなに簡単なものじゃないわ。 勿論私たち五色もね。 命は受け継がれなくてはいけないのよ」
どういうことだ。
「シユラが生まれる前にムラサキが亡くなったとしていても、誰かがムラサキの命を聞いて受け継いで、シユラに聞かせなくちゃいけなかったのよ」
シユラはそれを聞いていないんでしょ? と言いたげに紫揺を見る。
「・・・お婆様のお話は母から聞いていました。 でも・・・」
「ムラサキの力の話は聞いていなかったってことね」
「そんなこと・・・」
「何のお話かしらっ? うるさくて集中できないんですけど?!」
気が立っているキノラが階段から降りてきた。 相変わらず手にはファイルを持っている。
「あら、お姉さま。 春樹はどうですか?」
「・・・どうして新人を知っているの?」
「あらやだ、お姉さま方が新人の面接に行ったことは知ってますよ。 それで初目の顔を見たら新人って分かるし、ネームプレートを見れば名前も分かるってこと」
「セイハ、貴方は仕事に関係ないの。 新人にちょっかいを出さないでちょうだい」
「あら、やだ。 ちょっかいだなんて。 でも、紹介してほしいな。 彼、イケメンだし、一度話したいから。 ね、キノラお姉さまいいでしょ? 紹介して」
「馬鹿を言うんじゃないわよ。 この地の人間と話すなんて」
「お姉さま、この地なんて、シユラが居てるんですから控えてもらわなくっちゃ」
セイハの言いように紫揺もキノラも眉を顰めた。
「もう、分かっているわよね?」 キノラが紫揺を見る。
「はい・・・」
この地と北の領土という地の違いは分かっていた。
「え? シユラ、そうなんだ」
「当たり前でしょう」
紫揺ではなくキノラが答えた。
北の領土の文化が此処、この地と全く違うのだから、そこから何らかのことが分かっているはず。
「シユラのことは今はいいから、ね、キノラお姉さま? 彼を紹介してくれない?」
「馬鹿も休み休み言いなさい」
そう言うとサッサと一階にあるムロイの仕事部屋に足を運んだ。
「なにアレ? サイアク。 ねぇ、シユラ」
紫揺を見るが紫揺はセイハを見ていない。
セイハの言った言葉
『シユラ様が生まれる前にムラサキが亡くなったとしていても、誰かがムラサキの命を聞いて受け継いで、シユラに聞かせなくちゃいけなかったのよ』
それは亡くなる前、紫揺の母親、早季が言ってたことなのだろうか。
『紫揺ちゃん・・・紫揺ちゃんが二十歳になったら話そうと思っていたことがあるの。
でももう、紫揺ちゃんに話したほうがいいかもしれない。 お父さんとお母さんが旅行から帰ってきたら話すわね。 その時にお母さんの名前の由来と紫揺ちゃんの名前の由来も話すわ』
そう言っていた。
それがそうなのだろうか。
「シユラ?」
セイハが紫揺を覗き見る。
「あ・・・」
「何か思い当たるところがある?」
「ない。 ないです」
母親である早季の手落ちなどと思われたくない。
「ふぅーん・・・。 まっ、ムラサキは特別―――」
「お黙りなさい」
聞き覚えのある声がした。
紫揺とセイハが声のした後方を振り返る。
やっぱり、しっかり、そこに腕を組んだアマフウがいた。
今日のコスチュームは制服だ。 それはセーラームーンのように超ミニではない。 膝下まであるワンピース。 分かりやすく言うと、今にも聖歌を歌いそうな清純な制服。
「なに? ここでアマフウに入ってほしくないんだけど」
「セイハ、アナタの考えていることに、コノコを当てはめるんじゃないわよ」
「はっ!? なにそれ?」
「コノコから退きなさいと言っているの」
「イミ分んないんだけど」
「意味が分からないのなら、今すぐここから消えなさい」
セイハとアマフウの睨み合いに、アマフウ曰くの紫揺がドヘドを吐きたくなる。
(なに、コレ。 ガザン助けてよ)
助けを求められたガザンは遠くで大イビキをかいて寝ている。 スーパーマンならず、スーパーガザンにはなれないようだ、
心でガザンに助けを求めても返事はない。 当たり前か・・・。 紫揺が大きく息を吸った。 そして長く息を吐いた。
セイハに母親である早季の手落ちとは思われたくない。 セイハがそう言いたかったのかどうかは分からないが。
「セイハさん!」
思ってもいない大声になってしまった。
紫揺の声に言い合っていた二人が驚いて紫揺を見た。 紫揺もこの大声に自分でさえ驚いた。
だが、そんなことは言ってられない。 ゴクリと唾を飲んで紫揺が続ける。
「私には時間がなかった。 お母さんにもお婆様にも。 誰も私に伝えることは出来なかった。 でもそれはセイハさんの言うことが前提であって・・・」
前提じゃない。 ちゃんと母親である早季は旅行から帰ったら話すと言っていた。 でもその旅行先の事故で亡くなってしまった。
セイハの言う事と、早季の言うことが同じなのかそうでは無いのかは分からないが・・・でもきっと同じだろう。 そう感じずにはいられない。 セイハの言うところの、ムラサキの力のことだったのだろう。
「アナタ、何を言っているの?」 アマフウが言う。
「いや・・・だから・・・」
「言いたいことがあれば言いなさいって言ったでしょう!」
いや、それは馬車の中だけの話じゃないんでしょうか? と、アマフウの声に冷めてしまった紫揺が思う。
「アマフウ! シユラの話を最後まで聞いてあげればいいじゃない!」
「コノコの話を最後まで? 何日かかるのかしら?」
「ずっと待ってあげればいいでしょ?」
「気のないことを吐くんじゃないわよ」
「何を言うのよ!」
「アマフウ止めろ!」
セイハとアマフウの間にトウオウの声がした。
「何やってんだよ!」
アマフウの腕を取ると引っ張り、この場を後にしようとした。
「離してよ!」
「お前、頭を冷やせ」
アマフウに言うとセイハを睨みつけた。
「セイハ、頭に乗るなよ」
トウオウから向けられるオッドアイが深く冷たく光った。 これほど怖いものはない。
だがトウオウの目に凍えながらも言い返すセイハ。
「シユラに教えようと思っただけじゃない」
「それが大きなお世話って分かってないのか!」
「トウオウ・・・やめて」
そして小声で言った。 「そんな話じゃないから」と。
「アマフウ・・・」
「お願い。 もう少し待って。 堪えて」
「そっくりそのままアマフウに返すよ」
「なにそれ? 私は紫揺のことを第一に思ってるのに、トウオウとアマフウのラブラブを見せたいわけ? サイテー」
「アナタが第一に思ってるのはアノコの事じゃなくてアナタ自身の事でしょ!」
「やめろって」
トウオウがアマフウの肩を抱いて階段を上り出した。
「シユラ様、部屋に戻れ」
アマフウの肩を抱きながらトウオウが肩越しに紫揺に言う。
「なっに! ムカつく! 言うだけ言って、ハイそれまで? 馬鹿にしてんじゃないわよ!」
怒り心頭のセイハの後姿を見た紫揺。 セイハがどうのこうのではない。 母親の早季のことを思っている。
「シユラ! あの二人の悪口を語り合おうじゃない!」
未だに怒りが収まらなく振り返って紫揺を見た。
「セイハさんごめんなさい」
「はっ!?」
「一人で部屋に戻ります」
「トウオウの言うことを聞くっていうの? 私の―――」
「そうじゃないです。 誰のことを聞くっていう訳じゃないです。 ただ、考えたいだけです」
「ふーん・・・。 何を考えるの?」
針の目のような、猫の目のように紫揺を見る。
「分かりません」
何を考えたいかをセイハに言うと時間の無駄になると思った。
「分からない?」
「はい。 何もかもが分からないです」
正直な話だ。 今は何もかもがこんがらがっている。
「そう、じゃ、整理できたら話してね。 ここでは私とシユラが何もかも分かり合ってるんだからね。 いつでも相談して」
それってナニ? そう思いながらもニコリと応える。
「その時にはお願いします」
ああ、自分・・・悪魔になった。
部屋に戻っても考えることなどない。
いや、ある。 でも、ない。
何故か。
今更何を考えてもそれは過去の事。 花を咲かせたり、枯れた芝生を緑にしたり、アマフウの着ている着物の袂を燃やしたりなど、全ては過去の事。 それにさっきセイハが言ったムラサキの血や力を引いているという命を、誰かが伝えなくてはいけなかった。 確かに聞いていない。 でもそれは、旅行から帰ってきた母が話す筈だった。 絶対に。 だから何もかも過去の事。
今は前だけを見る。 あるのはこれからのこと。 この島からの脱出のことだけ。
「先輩・・・来てくれるかな」
朝会った時に一方的に言った。
『今日も昨日の時間にあの場所に行きます。 来てください』
「先輩の気持ち完全無視で言ったし、仕事で疲れてるだろうから、ウザったいって思われたかなぁ・・・」
キノラの苛立った姿を思い出すとそれがセノギに対してなのか、仕事に対してなのかは分からないが、もし、仕事に対してなのなら、春樹も忙しいだろう。
と、セノギのことを思う。
「今日も姿を見なかった・・・」
あのセノギなら筋肉痛などで、臥せっているはずはないのに。
「常人なら身体を痛めつけた後、一週間はシップ貼りたくりの世界だろうけど、セノギさんならシップに頼ることなく起きることが出来るはず」
気合で。
ましてやムロイがここに居なく、北の領土に残っているのだから。
「まだ起きられない?」
セノギがなんとか病院から出てきたものの、ヒトウカの冷えにあたってしまったことに対する回復はまだ十分ではない。
セノギがヒトウカの冷えにあたったことなど紫揺は知らない。 それにムロイも帰って来ない、と思う。
「オカシイ・・・」
いや、と自分を言い聞かす。
「そんなことどうでもいい。 私はここから出るんだから。 先輩から訊くしかないんだから」
セノギに恩は感じている。 自分の我が儘をいつも聞いてくれていたのはセノギだ。 でもそのセノギも自分を誘拐した一味の内の一人だ。 心を鬼にするしかない。 そうでないと自分は家に帰ることが出来ない。 父と母の遺骨はまだそのまま放置状態だ。
「お父さん、お母さん・・・お水も添えられなくてごめん。 喉が渇いてるよね。 お腹もすいてるよね」
炊き立てのご飯を何日添えられなかったのだろうか。 お水もどれだけ添えられなかったのだろうか。
「ごめんなさい。 でも、すぐには無理だけど、一日でも早くお父さんとお母さんの居る家に帰るから」
春樹に訊くしかない。 頼るしかない。 それを春樹が受け入れてくれるかどうかは分からないが、先のことは春樹に頼る以外にない。 そしてそこまでのガードはガザンに頼るしかない。
春樹とガザン。 二つ巴ではないが、今の紫揺にはこの一人と一匹しかない。 他に何もない。
「先輩が来てくれなかったら・・・嫌われてもいい。 押しかけるしかない」
紫揺が腹を括ったようだが、トンデモナイ。 春樹は両手を広げてカモーンと紫揺を迎える体勢だ。
夜になり帰って来る時の準備として窓の近くに掛布団を敷くと、窓から木に跳び乗った。 最初は履き慣れない靴で枝から滑って恐い目をしたが、今はもう慣れたものだ。
木の枝に跳びつくといつも通り隠している綱を下す。 そしてスルスルと幹から降りる。
トン、と足を地に着けた。
「先輩、居てくれるかなぁ・・・」
不安がありながらも、使用人と言われる人たちがいる建物に向かう。 そこの裏にはガザンもいる。
もし、春樹がいなければ、ガザンに会いに行ってガザンの意見を聞こうと思っていた。
ガザンが何を言いたいかはセキにしか分からない。 紫揺には分からないが、それでもガザンの考えを仰ごうと思っていた。
屋敷を仰ぎ見ると今日は何処の部屋にも電気は点いていない。
「みんな寝てる」
だが、そこで安堵できない。 充分に気を付けなければいけない。 此処に居て猜疑心が磨かれた。
陰に隠れて春樹との約束の場所に足を向ける。
「先輩、居てくれるかなぁ・・・」
再度同じ言葉を口にした。
出来るならば、押しかけなどしたくない。