--- 映ゆ --- 第37回
『---映ゆ---』 目次
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「一に出会い
呼び呼ばれ
糸が触れあい
名で結ぶ」
言い終わって納得するかのように呟いた。
「ああ、そうじゃ。 この語りはその女のことじゃったのか・・・」 納得するタム婆を訳の分からない目でシノハが見る。
「オロンガには5度目が始まりと言う語りがあるじゃろう」 シノハが頷く。
「まさしくその女も5度目が始まりじゃったんじゃ」
「始まり? なんのですか?」
「居なくなることへのじゃ」 チラッとシノハを見て語りの説明をした。
「一に出会いは、最初の出会いのことじゃろう。
呼び呼ばれは、二度目三度目のこと。
四度目に糸が触れあった。 何の糸かは分からんが縁(えにし)のことじゃろう。
そして名で結んだ・・・そこから始まったのじゃろう」
「ですが・・・我は最初、ラワンとそこに居ましたが、他に誰とも出会っておりません。 それに・・・婆様にもう一度あの水を飲んでいただきたくて、あの場所に行きたいとは思っていましたが、呼んだり、呼ばれたりしたわけではありません・・・」 聞いておきながら、タム婆に逆らっているようで困り顔になる。
「ふぅむ・・・そうか」
「ですが、少なくとも5度目までは居なくならなかったという事ですね」 タム婆が言った消えたようにいなくなった女の話とは少々違うと思うと、僅かな恐怖はどこかへ消え去った。
「ああ、そうじゃ。 女子(にょご)であったその頃のわしにはこの先はまだ難しいだろうと、女の歳になれば続きを話すと言われた」
「では・・・もしや、セナ婆様は聞いておられるかもしれないのですね?」 その言葉に目を瞑り頭を垂れた。
「シュマ婆様はわしがオロンガに居る頃から、もうかなりのお年じゃった。 セナイルが女の歳になった時に、シュマ婆様のお体の具合はどうだったか・・・」 顔をしかめ記憶を辿る。
シノハがハッと長の話を思い出した。 辛いタム婆の話しを。
「婆様、今は考え事をしてはまだお身体に触りますから・・・。 どちらにせよオロンガに帰ってセナ婆様に聞いてみます」 辛い過去を思い出させたくない。
「そうか、悪いのぅ。 歳をとるとなかなか思い出せんわ」 言うと初めてしっかりとシノハを見た。
タム婆の顔が過去に歪んでいない事を見てシノハが笑みを向けた。
シノハの笑みを見ると、タム婆が今ある顔の皺をより一層深く刻みこむと、また前を向いてそっと話し出した。
「シノハに聞かせたい話がある」
「はい」
「シュマ婆様は最後までわしを許すとは言ってくれなんだ」
「あ・・・」 下を向いた。
「わしの事は全て長から聞いておるのじゃろ?」 下を向いたシノハを見る。 視線を感じ、顔を上げてタム婆を見ると「はい」 と答えた。
「わしがオロンガを出るときも姿を見せてくれなんだ」
「婆様・・・」
「夜・・・女子には恐かったもんじゃ。 何も見えん真暗な中を、トンデンの迎えと共にオロンガを後にした。 母上とセナイル、長だけが見送ってくれた」
「父上は?」
「母上とセナイルとわしはシュマ婆様と暮らしておったんじゃ。 父上とは一緒に居れんかった。 縁が切れておった。 わしやセナイルは“才ある者” として父上と縁が切れても構わんことじゃったが、今思うと母上には悪い事をした。 添い遂げたかったろうに」 母の顔を思い出しているのか、どこか遠い目だ。
「長から聞きました。 母上様はお優しい方だったと」
「ああ、とても優しい母上じゃった。 母上に似たのはセナイルじゃな。 わしはどちらかというとシュマ婆様に似ておったわ」 女子のときを思い出しているかのように、遠くに笑みを送っているようだ。
そして杖の上に置いた両の上に顎を乗せた。
「婆様? お疲れですか?」
「いいや。 シュマ婆様の姿を思い出しておるんじゃ」
「お姿も婆様に似ておられたのでしょうか?」
「シュマ婆様は大柄でのぅ、歳をとっても骨ががっちりとしておられた。 最初は見ただけで恐かったもんじゃ」 その言葉にシノハが意外な目を向けた。
「じゃがな、お心は誰よりもお優しいお方じゃった。 わしの事を許すとは言ってくれんかったが、許すということは、わしがトンデンへ向うことを認めたことになる。 それを認めんという事は、行くな、すぐにでも帰って来い、ということじゃ。 わしがいつでも帰ってこられるように認めることをされんかったのじゃろう」
シノハにとっては思いもしない考えだった。
「じゃが、それと反対にわしの思うことをしろと、使いの者を寄越しては、語りを聞かせてくれた」
「語り?」
「ああ、10の年までしかシュマ婆様からの語りは聞いておらんかったからな。 さっき言ったように、女になったときにようやく分かる語りもある。 歳に応じての語りを使いの者に覚えさせ聞かせてくれた。 じゃが、さっきの居なくなった女の話はオロンガだけの語り。 オロンガだけの語りはわしに必要ではない。 主に風を感じる、土を慈しむ、星を空を読む語りじゃ。 それと・・・心の語り・・・じゃな」
「“才ある者” の語り・・・」 想像をしていたシュマ婆とは全然違った。 そして言葉を続けた。
「“才ある者” はお考えが深いのですね。 長から聞いたときには、シュマ婆様はもう少しお気が短い方だと思っていました」 今は亡きシュマ婆に申し訳なさ気に言う。
「ははは、そうじゃぞ。 シュマ婆様はよく怒っておられた」 シノハを見ることなく、前を見て笑う。
「それでは、使いの者は大変だったでしょうね」 使いの者はどんなだったのだろうかと、シノハはタム婆の視線と同じ所に自分の視線を転じた。
「ああ、大変じゃったようじゃな。 シュマ婆様はかなり長い語りを使いのものに覚えさせておったが、頭をたたかれながら覚えさされたのじゃろうな」 その姿を蘇らせたのだろう、いくつもの皺を増やし両の口の端を上げて言葉を続けた。
「いつも頭をかきながら、思い出しながら語ってくれた・・・クラノがな・・・」
「え? ・・・クラノ・・・?」
「そうじゃ。 シノハの爺様(じじさま)じゃ」 タム婆はまだずっと前を見ている。
「爺様? ・・・爺様と婆様が?」
タム婆が長く息を吐き少しの間を置いてまた話し始めた。
「わしがトンデンに来たとき、トンデンへの使いの割り当てが丁度変わるときじゃった。 そこでシュマ婆様が長に、シノハの爺様をトンデンに行かせるようにと言われたらしい。 最初の一度だけ、前の割り当ての者に同道して顔合わせをしたら、それからはもう一人で来ておった。 それもシュマ婆様が長に言った事じゃった。 その時、クラノはまだ18の歳じゃった」
「あ・・・それではまだ割り当てに出られないはずでは・・・それに、長が決めたのではなくてシュマ婆様が?」
「ああ、シュマ婆様はわしの姿を見ることなく、わしの事を分かっておられたんじゃろう。 クラノはシュマ婆様から信用を置かれていたようじゃった。 今のシノハのように、な」
「あ・・・我は爺様の様には・・・タム婆様が我を知ってくださっているというだけで」
「いや、もしトワハが怪我をしておらんでも、セナイルはシノハを同道させたであろう。 それにトワハではわしの状態に気が付かんかったじゃろう」
「そんなことは・・・その、態度は良くないかもしれませんが、トワハの方がうんと年上で我より何でも知っています。 でも我は、婆様に会いたかった。 セナ婆様から聞いたときにはとても嬉しかったんです」
「そう言ってくれると嬉しいのう」 皺を増やすタム婆の顔を見て、タム婆と爺様がどんな風に話していたのかと考える。
「婆様と爺様はずっと話してこられたんですね」
「ああ、赤子だったとはいえ、初めてシノハを見たとき、どんなに懐かしかったか」
「我は爺様に似ているのですか?」
「ああ、良く似ておる。 顔も性格もな。 そうか、クラノには会っておらんのだのぉ」
「はい。 我が生まれたときにはもう居られませんでした」
「さっき・・・長から話を聞いたといっておったな?」 念を押すように問われ「はい」 と頷く。
「クラノが懸命に覚えて何度も何度も足を運んでくれた。 クラノはわしの姿を何度も見ておった」 シノハは思わず手を口に当てた。
「クラノの歳の者はわしの事を知っておったからの。 わしの目を見て何度もオロンガへ帰ろうと言ってくれた。 じゃが、首を振るわしを見ていつも肩を落として帰っていった」 長から話を聞かされていたときの事を思い出す。
あの時、長の前でなければ、周りにあるあらゆる物を壊しただろう。 暴れて暴れて叫んで・・・。 今更、タム婆を救う事が出来ないと分かっていても。 きっとクラノは傷だらけのタム婆を前にしてどれだけ悔しい思いをしたのか・・・。 と、思い出した事があった。
「もしや・・・長から話を聞いたとき、長は思い出せないと言っておられたことがありましたが、婆様に薬草を塗ったというのは爺様ですか?」
「ああ、来るたびに薬草を手にしていた。 わしが涙せんのを見てクラノが泣いて塗ってくれておった。 クラノが薬草を手にしていなければ、あの傷じゃ、天に身を返しておったかもしれんな」
(爺様が泣いて薬草を・・・)
「そのクラノに願った事があった。 わしのことを誰にも言うなと願った。
クラノはそれを守ってくれた。 やっとトンデンに居場所が出来てオロンガ・・・セナイルの所へ行くようになったが、セナイルは何も言わなかった、知らなかった。 クラノはわしの願いを聞き入れてくれておった」
(爺様は全て心の内にしまっておられたのか。 どんなに辛かっただろうか。 ・・・でもそれが婆様の願いだから・・・)
「・・・シノハ」 やっとタム婆がシノハを見た。
「はい」
「爺様のような男になれ」 シノハの目をじっと見た。
「・・・はい」
「クラノに願ったように、今わしはシノハに願う」
「はい、なんなりと」
「オロンガから居なくなるのではないぞ」 願いと言う言葉では収まらない、命令のような言葉、口調であった。
「はい」 タム婆の目を真っ直ぐに見て答えた。
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- 映ゆ - ~Shinoha~ 第37回
「一に出会い
呼び呼ばれ
糸が触れあい
名で結ぶ」
言い終わって納得するかのように呟いた。
「ああ、そうじゃ。 この語りはその女のことじゃったのか・・・」 納得するタム婆を訳の分からない目でシノハが見る。
「オロンガには5度目が始まりと言う語りがあるじゃろう」 シノハが頷く。
「まさしくその女も5度目が始まりじゃったんじゃ」
「始まり? なんのですか?」
「居なくなることへのじゃ」 チラッとシノハを見て語りの説明をした。
「一に出会いは、最初の出会いのことじゃろう。
呼び呼ばれは、二度目三度目のこと。
四度目に糸が触れあった。 何の糸かは分からんが縁(えにし)のことじゃろう。
そして名で結んだ・・・そこから始まったのじゃろう」
「ですが・・・我は最初、ラワンとそこに居ましたが、他に誰とも出会っておりません。 それに・・・婆様にもう一度あの水を飲んでいただきたくて、あの場所に行きたいとは思っていましたが、呼んだり、呼ばれたりしたわけではありません・・・」 聞いておきながら、タム婆に逆らっているようで困り顔になる。
「ふぅむ・・・そうか」
「ですが、少なくとも5度目までは居なくならなかったという事ですね」 タム婆が言った消えたようにいなくなった女の話とは少々違うと思うと、僅かな恐怖はどこかへ消え去った。
「ああ、そうじゃ。 女子(にょご)であったその頃のわしにはこの先はまだ難しいだろうと、女の歳になれば続きを話すと言われた」
「では・・・もしや、セナ婆様は聞いておられるかもしれないのですね?」 その言葉に目を瞑り頭を垂れた。
「シュマ婆様はわしがオロンガに居る頃から、もうかなりのお年じゃった。 セナイルが女の歳になった時に、シュマ婆様のお体の具合はどうだったか・・・」 顔をしかめ記憶を辿る。
シノハがハッと長の話を思い出した。 辛いタム婆の話しを。
「婆様、今は考え事をしてはまだお身体に触りますから・・・。 どちらにせよオロンガに帰ってセナ婆様に聞いてみます」 辛い過去を思い出させたくない。
「そうか、悪いのぅ。 歳をとるとなかなか思い出せんわ」 言うと初めてしっかりとシノハを見た。
タム婆の顔が過去に歪んでいない事を見てシノハが笑みを向けた。
シノハの笑みを見ると、タム婆が今ある顔の皺をより一層深く刻みこむと、また前を向いてそっと話し出した。
「シノハに聞かせたい話がある」
「はい」
「シュマ婆様は最後までわしを許すとは言ってくれなんだ」
「あ・・・」 下を向いた。
「わしの事は全て長から聞いておるのじゃろ?」 下を向いたシノハを見る。 視線を感じ、顔を上げてタム婆を見ると「はい」 と答えた。
「わしがオロンガを出るときも姿を見せてくれなんだ」
「婆様・・・」
「夜・・・女子には恐かったもんじゃ。 何も見えん真暗な中を、トンデンの迎えと共にオロンガを後にした。 母上とセナイル、長だけが見送ってくれた」
「父上は?」
「母上とセナイルとわしはシュマ婆様と暮らしておったんじゃ。 父上とは一緒に居れんかった。 縁が切れておった。 わしやセナイルは“才ある者” として父上と縁が切れても構わんことじゃったが、今思うと母上には悪い事をした。 添い遂げたかったろうに」 母の顔を思い出しているのか、どこか遠い目だ。
「長から聞きました。 母上様はお優しい方だったと」
「ああ、とても優しい母上じゃった。 母上に似たのはセナイルじゃな。 わしはどちらかというとシュマ婆様に似ておったわ」 女子のときを思い出しているかのように、遠くに笑みを送っているようだ。
そして杖の上に置いた両の上に顎を乗せた。
「婆様? お疲れですか?」
「いいや。 シュマ婆様の姿を思い出しておるんじゃ」
「お姿も婆様に似ておられたのでしょうか?」
「シュマ婆様は大柄でのぅ、歳をとっても骨ががっちりとしておられた。 最初は見ただけで恐かったもんじゃ」 その言葉にシノハが意外な目を向けた。
「じゃがな、お心は誰よりもお優しいお方じゃった。 わしの事を許すとは言ってくれんかったが、許すということは、わしがトンデンへ向うことを認めたことになる。 それを認めんという事は、行くな、すぐにでも帰って来い、ということじゃ。 わしがいつでも帰ってこられるように認めることをされんかったのじゃろう」
シノハにとっては思いもしない考えだった。
「じゃが、それと反対にわしの思うことをしろと、使いの者を寄越しては、語りを聞かせてくれた」
「語り?」
「ああ、10の年までしかシュマ婆様からの語りは聞いておらんかったからな。 さっき言ったように、女になったときにようやく分かる語りもある。 歳に応じての語りを使いの者に覚えさせ聞かせてくれた。 じゃが、さっきの居なくなった女の話はオロンガだけの語り。 オロンガだけの語りはわしに必要ではない。 主に風を感じる、土を慈しむ、星を空を読む語りじゃ。 それと・・・心の語り・・・じゃな」
「“才ある者” の語り・・・」 想像をしていたシュマ婆とは全然違った。 そして言葉を続けた。
「“才ある者” はお考えが深いのですね。 長から聞いたときには、シュマ婆様はもう少しお気が短い方だと思っていました」 今は亡きシュマ婆に申し訳なさ気に言う。
「ははは、そうじゃぞ。 シュマ婆様はよく怒っておられた」 シノハを見ることなく、前を見て笑う。
「それでは、使いの者は大変だったでしょうね」 使いの者はどんなだったのだろうかと、シノハはタム婆の視線と同じ所に自分の視線を転じた。
「ああ、大変じゃったようじゃな。 シュマ婆様はかなり長い語りを使いのものに覚えさせておったが、頭をたたかれながら覚えさされたのじゃろうな」 その姿を蘇らせたのだろう、いくつもの皺を増やし両の口の端を上げて言葉を続けた。
「いつも頭をかきながら、思い出しながら語ってくれた・・・クラノがな・・・」
「え? ・・・クラノ・・・?」
「そうじゃ。 シノハの爺様(じじさま)じゃ」 タム婆はまだずっと前を見ている。
「爺様? ・・・爺様と婆様が?」
タム婆が長く息を吐き少しの間を置いてまた話し始めた。
「わしがトンデンに来たとき、トンデンへの使いの割り当てが丁度変わるときじゃった。 そこでシュマ婆様が長に、シノハの爺様をトンデンに行かせるようにと言われたらしい。 最初の一度だけ、前の割り当ての者に同道して顔合わせをしたら、それからはもう一人で来ておった。 それもシュマ婆様が長に言った事じゃった。 その時、クラノはまだ18の歳じゃった」
「あ・・・それではまだ割り当てに出られないはずでは・・・それに、長が決めたのではなくてシュマ婆様が?」
「ああ、シュマ婆様はわしの姿を見ることなく、わしの事を分かっておられたんじゃろう。 クラノはシュマ婆様から信用を置かれていたようじゃった。 今のシノハのように、な」
「あ・・・我は爺様の様には・・・タム婆様が我を知ってくださっているというだけで」
「いや、もしトワハが怪我をしておらんでも、セナイルはシノハを同道させたであろう。 それにトワハではわしの状態に気が付かんかったじゃろう」
「そんなことは・・・その、態度は良くないかもしれませんが、トワハの方がうんと年上で我より何でも知っています。 でも我は、婆様に会いたかった。 セナ婆様から聞いたときにはとても嬉しかったんです」
「そう言ってくれると嬉しいのう」 皺を増やすタム婆の顔を見て、タム婆と爺様がどんな風に話していたのかと考える。
「婆様と爺様はずっと話してこられたんですね」
「ああ、赤子だったとはいえ、初めてシノハを見たとき、どんなに懐かしかったか」
「我は爺様に似ているのですか?」
「ああ、良く似ておる。 顔も性格もな。 そうか、クラノには会っておらんのだのぉ」
「はい。 我が生まれたときにはもう居られませんでした」
「さっき・・・長から話を聞いたといっておったな?」 念を押すように問われ「はい」 と頷く。
「クラノが懸命に覚えて何度も何度も足を運んでくれた。 クラノはわしの姿を何度も見ておった」 シノハは思わず手を口に当てた。
「クラノの歳の者はわしの事を知っておったからの。 わしの目を見て何度もオロンガへ帰ろうと言ってくれた。 じゃが、首を振るわしを見ていつも肩を落として帰っていった」 長から話を聞かされていたときの事を思い出す。
あの時、長の前でなければ、周りにあるあらゆる物を壊しただろう。 暴れて暴れて叫んで・・・。 今更、タム婆を救う事が出来ないと分かっていても。 きっとクラノは傷だらけのタム婆を前にしてどれだけ悔しい思いをしたのか・・・。 と、思い出した事があった。
「もしや・・・長から話を聞いたとき、長は思い出せないと言っておられたことがありましたが、婆様に薬草を塗ったというのは爺様ですか?」
「ああ、来るたびに薬草を手にしていた。 わしが涙せんのを見てクラノが泣いて塗ってくれておった。 クラノが薬草を手にしていなければ、あの傷じゃ、天に身を返しておったかもしれんな」
(爺様が泣いて薬草を・・・)
「そのクラノに願った事があった。 わしのことを誰にも言うなと願った。
クラノはそれを守ってくれた。 やっとトンデンに居場所が出来てオロンガ・・・セナイルの所へ行くようになったが、セナイルは何も言わなかった、知らなかった。 クラノはわしの願いを聞き入れてくれておった」
(爺様は全て心の内にしまっておられたのか。 どんなに辛かっただろうか。 ・・・でもそれが婆様の願いだから・・・)
「・・・シノハ」 やっとタム婆がシノハを見た。
「はい」
「爺様のような男になれ」 シノハの目をじっと見た。
「・・・はい」
「クラノに願ったように、今わしはシノハに願う」
「はい、なんなりと」
「オロンガから居なくなるのではないぞ」 願いと言う言葉では収まらない、命令のような言葉、口調であった。
「はい」 タム婆の目を真っ直ぐに見て答えた。