虚空の辰刻(とき) 第25回
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「やっぱり佐川さんだった。 お久しぶりです」
「お久しぶりです。 やー、やっぱりお若いと元気だな」
「はは、もういい歳ですよ。 それにしても、あのことがあってからここへ2回来て2回とも佐川さんにお会いするなんて偶然では終わらない何かを感じますね」 冗談めかして言うが、野夜が聞くと恐ろしい言葉である。
方向を変えた坂谷の顔が見えた。 間違いなく野夜の知っている坂谷だ。 野夜は坂谷と面と向かって話したことがある。 顔を知られている。 これ以上近づけないし、梁湶にしても同じだ。 ついさっき、佐川と話したところだ。 このままでは会話が全く聞こえない。
「もしかしてまた紫揺ちゃんに会いに来られた?」
「ええ、異動が決まりましてね。 もうここには簡単に来られなくなるんで」
「簡単って・・・今でも十分遠いじゃないですか」
「まぁ・・・。 それより、こっち側に歩いていらっしゃるということは、もう藤滝さんに会われたんですか?」
「それが、引っ越しをしてしまったようで会えなかったんです」
「え? ・・・引っ越し? そうなんですか?」
「実は紫揺ちゃんから手紙をもらっていて引越すとは知っていたんですけど、どうにも腑に落ちなくて」
「腑に落ちない・・・ですか?」
「ええ」 言うと胸ポケットから紫揺が書いたと思われる手紙を出して坂谷に渡した。
「手紙?」
「ええ、紫揺ちゃんからです」
「読んでいいんですか?」
「どうぞ」
「読みやすい字ですね」 あて名や住所が読みやすい。 少し丸みを帯びたゴシック体で書いてある。
紫揺は仕事の時にはこの字でいつも書いていた。 だからその字を真似て此之葉が手紙を書いたのだが。
「ええ、そうなんですが」
「どうしたんです?」 読みながら話を促す。
「藤滝さんって、字が上手いんですよ。 たしか、何段って言ってたかな? 師範手前だったと思います」
「それはスゴイ。 ミミズの這う字しか書けない私には羨ましい話です」
「紫揺ちゃんも藤滝さんに似たみたいで、字を書くのが好きだったみたいなんです。 でも、女の子でしょ? 藤滝さんに字を教えてもらう一方で今時の字を書いていたみたいなんです。 藤滝さんがよく言ってたんですけど、紫揺ちゃんって器用に色んな字を使い分けてるって」
「字の使い分けですか?」 手紙を畳んで佐川に返す。
「ええ、なんでも学校時代、教科別に字を変えてるって」
「それがなにか?」
「藤滝さんが言ってたのは字で遊んでも構わないけど、目上に手紙を書くときには自分の教えた字で書くようにと言っていたらしいんです。 紫揺ちゃんからのこの手紙の字は、紫揺ちゃんの遊び文字です。 確かに同じ字を見たことがありますから。 でも藤滝さんはこんな字を書きませんでしたし、以前紫揺ちゃんから葉書をもらったことがあるんですけど、藤滝さんと同じ字で書かれていました」
「・・・ということは?」
「本当にこれを書いたのは紫揺ちゃんかなって・・・それで今日訪ねてきたんです。 この手紙をもらってすぐに来れば、まだ紫揺ちゃんはここに居たのかもしれなかったんですけど、一人でやっていくと書かれていたから二の足を踏んでしまっていて」
「今お訪ねになって空き家だったということですか?」
「いえ、もう他の人が住んでいました」
坂谷が首を捻る。 何かの事件に巻き込まれるような要素があるのだろうか。
「藤滝さんからこの手紙を受け取るまでに何度か会われました?」
「いいえ、前に坂谷さんと会った時があったでしょ? あれから一度も会っていないんですよ」
「連絡も?」
「ええ、紫揺ちゃんが自分が元気になったら必ず連絡を入れると言っていたので、こちらからアレコレ言うと紫揺ちゃんを落ち込ませるだけかと思っていまして。 そしたら、この手紙です」
「そうですか・・・」
「きっと、私の考え過ぎなんでしょうね。 紫揺ちゃんは元気にしてくれていると思います。 すみません、坂谷さんに心配をかけるようなことを言って」
「いえ、そんなことは」
「で、どこに異動されるんですか?」
「え? ああ、はい。 それが・・・ちょっと不便な所でしてね。 今は交通の便がいいところなんですが、簡単にアチコチへ行けないところなんです。 じつは息子が喘息を持っていましてね。 それで空気のいいところに行きたかったんで丁度良かったんですけど・・・藤滝さんのことは気になっていましたから」
当時、気になっていたのは確かだが、それ以上に数か月前にあった資料室のことや、志貴の頬の傷のことを言い触れ回っていた者がいたことなど、紫揺のことを思い出さずにはいられなかった。
「ああ、そんな時に心配をかけるようなことを言ってしまってすみません。 忘れてください。 紫揺ちゃんも一人でやっていくと書いていますから、大丈夫でしょう。 引っ越しして落ち着いたら、また連絡をくれると思います。 その時には坂谷さんにも連絡を入れます」
「はい、そうして下さると有難いです」
「どうです? 時間がありましたら、ちょっとどこかで暖まっていきませんか?」
「そうですね。 ここに来られるのももう最後かもしれませんから。 お付き合い願えますか?」
「こちらから言ったんですから、もちろんですよ」
笑い合う二人の後を仕方なく野夜が追った。
2人は早くから開けている居酒屋に入って酒を酌み交わした。 野夜は坂谷に顔を見られないよう、坂谷の後ろに座る。 まだ早い時間、客の入りはそんなにない。 話はハッキリと聞こえてくる。 その話はもっぱら紫揺のことであった。
「私も一応こちらの方に声をかけて、藤滝さんに関する事故や事件がなかったかどうか調べてもらいます。 何か分かりましたらすぐに御連絡を入れます」
「そうして下さると安心です。 まぁ、きっと元気にしてくれているとは思うんですけどね」
「ええ、手紙にはお父さんに教えてもらった字を書かなくてはならないということを、ついウッカリ忘れていたのかもしれません。 多分、忙しく頑張っているんでしょうから」
かけ離れた字体なら考えるが、先程佐川は手紙と同じ字を見たことがあると言っていた。 紫揺が書いたのに間違いないだろう。
「そうですね。 友達とやり取りをしていれば友達同士の字をウッカリ書いてしまったのかもしれませんね」
(手紙の字が違う? ・・・あの手紙のことか?) より一層、聞き耳を立てる。
「それにしても羨ましいな。 さっきも言いましたけど、私なんてミミズの這う字しか書けないっていうのに、教科ごとに字を変えていたって・・・いくつ色んな字を書けるんでしょうかね?」
「一度藤滝さんに頼んで、紫揺ちゃんに色んな字を書いてもらったことがあるんですけど、さっきの手紙の字体から、丸文字って言うんですか? 今時の字。 反対に真四角や縦長横長の字も書いていましたし、テレビで見るような変わった字も書いていましたよ。 飾り文字っていうのかなぁ? それに行書体、草書体」
「え? 草書体も書くんですか?」
「ええ、でも草書体は滅多に書かないみたいです」
「書かれても私なんかには読めませんよ。 ああ、そうしたら目上にかくときの字は行書体ということですか? それであの手紙の文字が違い過ぎると?」
「ええ。 ・・・でも考え過ぎですよね」
(嘘だろ? あの手紙は失敗だったのか? その上、坂谷が絡んでくるなんて・・・下手に調べることが出来る人間だ。 紫さまが見つからないにしても、探し回られては困るじゃないか)
暫く話を聞き、席を立つとその場を後にして今まだ梁湶のいる家に向かった。 家の中に行書体で書かれた紫揺の書いたものがきっとあるはずだ。
阿秀 (あしゅう) のスマホが鳴った。
「野夜か? その後どうなった?」
『すみません、不手際がありました』
「どういうことだ? 僚友に何かあったのか?」
『僚友に警官の知り合いがおりました』
「警官? 警察なのか!?」
『はい。 じつは―――』
一通り居酒屋で聞いた話をする。
「・・・そうか。 だが、それはもういいだろう」
『よろしいんですか?』
「ああ、確かに警察に嗅がれては困るが、異動するならその警官も構っていられないだろうし、紫さまが事件や事故に巻き込まれたわけでもない。 まさか失踪とも考えないだろう。 それに探すあてがなければ僚友も諦めるだろう。
そうだな、何かあれば此之葉に紫さまのその字で手紙を書かせておくくらいでいいだろう。 紫さまのお書きする手本となる字は見つかったのだろう?」
『はい』
紫揺の居た家に帰ると梁湶に事の次第を話し探してもらった。 醍十が片付けた家の中の物はどこに何があるか分からなかったが、さすがに書類やデータを見極めるのに秀でている梁湶だけあって、いとも簡単に見つけ出した。
「それに間違いがないなら、此之葉に書かせるといい。 特に何もないのならそのまま書かさなくてもいいくらいだと思っていいだろう。 新しい住所も書かなくてはならなくなってくるのだからな。 大々的な捜索にならないのならそれでいい。 無理をする必要はない」
『分かりました』
「一応まだ暫く付いていてくれ」 野夜の気が済むようにさせるために言う。
『はい』
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「やっぱり佐川さんだった。 お久しぶりです」
「お久しぶりです。 やー、やっぱりお若いと元気だな」
「はは、もういい歳ですよ。 それにしても、あのことがあってからここへ2回来て2回とも佐川さんにお会いするなんて偶然では終わらない何かを感じますね」 冗談めかして言うが、野夜が聞くと恐ろしい言葉である。
方向を変えた坂谷の顔が見えた。 間違いなく野夜の知っている坂谷だ。 野夜は坂谷と面と向かって話したことがある。 顔を知られている。 これ以上近づけないし、梁湶にしても同じだ。 ついさっき、佐川と話したところだ。 このままでは会話が全く聞こえない。
「もしかしてまた紫揺ちゃんに会いに来られた?」
「ええ、異動が決まりましてね。 もうここには簡単に来られなくなるんで」
「簡単って・・・今でも十分遠いじゃないですか」
「まぁ・・・。 それより、こっち側に歩いていらっしゃるということは、もう藤滝さんに会われたんですか?」
「それが、引っ越しをしてしまったようで会えなかったんです」
「え? ・・・引っ越し? そうなんですか?」
「実は紫揺ちゃんから手紙をもらっていて引越すとは知っていたんですけど、どうにも腑に落ちなくて」
「腑に落ちない・・・ですか?」
「ええ」 言うと胸ポケットから紫揺が書いたと思われる手紙を出して坂谷に渡した。
「手紙?」
「ええ、紫揺ちゃんからです」
「読んでいいんですか?」
「どうぞ」
「読みやすい字ですね」 あて名や住所が読みやすい。 少し丸みを帯びたゴシック体で書いてある。
紫揺は仕事の時にはこの字でいつも書いていた。 だからその字を真似て此之葉が手紙を書いたのだが。
「ええ、そうなんですが」
「どうしたんです?」 読みながら話を促す。
「藤滝さんって、字が上手いんですよ。 たしか、何段って言ってたかな? 師範手前だったと思います」
「それはスゴイ。 ミミズの這う字しか書けない私には羨ましい話です」
「紫揺ちゃんも藤滝さんに似たみたいで、字を書くのが好きだったみたいなんです。 でも、女の子でしょ? 藤滝さんに字を教えてもらう一方で今時の字を書いていたみたいなんです。 藤滝さんがよく言ってたんですけど、紫揺ちゃんって器用に色んな字を使い分けてるって」
「字の使い分けですか?」 手紙を畳んで佐川に返す。
「ええ、なんでも学校時代、教科別に字を変えてるって」
「それがなにか?」
「藤滝さんが言ってたのは字で遊んでも構わないけど、目上に手紙を書くときには自分の教えた字で書くようにと言っていたらしいんです。 紫揺ちゃんからのこの手紙の字は、紫揺ちゃんの遊び文字です。 確かに同じ字を見たことがありますから。 でも藤滝さんはこんな字を書きませんでしたし、以前紫揺ちゃんから葉書をもらったことがあるんですけど、藤滝さんと同じ字で書かれていました」
「・・・ということは?」
「本当にこれを書いたのは紫揺ちゃんかなって・・・それで今日訪ねてきたんです。 この手紙をもらってすぐに来れば、まだ紫揺ちゃんはここに居たのかもしれなかったんですけど、一人でやっていくと書かれていたから二の足を踏んでしまっていて」
「今お訪ねになって空き家だったということですか?」
「いえ、もう他の人が住んでいました」
坂谷が首を捻る。 何かの事件に巻き込まれるような要素があるのだろうか。
「藤滝さんからこの手紙を受け取るまでに何度か会われました?」
「いいえ、前に坂谷さんと会った時があったでしょ? あれから一度も会っていないんですよ」
「連絡も?」
「ええ、紫揺ちゃんが自分が元気になったら必ず連絡を入れると言っていたので、こちらからアレコレ言うと紫揺ちゃんを落ち込ませるだけかと思っていまして。 そしたら、この手紙です」
「そうですか・・・」
「きっと、私の考え過ぎなんでしょうね。 紫揺ちゃんは元気にしてくれていると思います。 すみません、坂谷さんに心配をかけるようなことを言って」
「いえ、そんなことは」
「で、どこに異動されるんですか?」
「え? ああ、はい。 それが・・・ちょっと不便な所でしてね。 今は交通の便がいいところなんですが、簡単にアチコチへ行けないところなんです。 じつは息子が喘息を持っていましてね。 それで空気のいいところに行きたかったんで丁度良かったんですけど・・・藤滝さんのことは気になっていましたから」
当時、気になっていたのは確かだが、それ以上に数か月前にあった資料室のことや、志貴の頬の傷のことを言い触れ回っていた者がいたことなど、紫揺のことを思い出さずにはいられなかった。
「ああ、そんな時に心配をかけるようなことを言ってしまってすみません。 忘れてください。 紫揺ちゃんも一人でやっていくと書いていますから、大丈夫でしょう。 引っ越しして落ち着いたら、また連絡をくれると思います。 その時には坂谷さんにも連絡を入れます」
「はい、そうして下さると有難いです」
「どうです? 時間がありましたら、ちょっとどこかで暖まっていきませんか?」
「そうですね。 ここに来られるのももう最後かもしれませんから。 お付き合い願えますか?」
「こちらから言ったんですから、もちろんですよ」
笑い合う二人の後を仕方なく野夜が追った。
2人は早くから開けている居酒屋に入って酒を酌み交わした。 野夜は坂谷に顔を見られないよう、坂谷の後ろに座る。 まだ早い時間、客の入りはそんなにない。 話はハッキリと聞こえてくる。 その話はもっぱら紫揺のことであった。
「私も一応こちらの方に声をかけて、藤滝さんに関する事故や事件がなかったかどうか調べてもらいます。 何か分かりましたらすぐに御連絡を入れます」
「そうして下さると安心です。 まぁ、きっと元気にしてくれているとは思うんですけどね」
「ええ、手紙にはお父さんに教えてもらった字を書かなくてはならないということを、ついウッカリ忘れていたのかもしれません。 多分、忙しく頑張っているんでしょうから」
かけ離れた字体なら考えるが、先程佐川は手紙と同じ字を見たことがあると言っていた。 紫揺が書いたのに間違いないだろう。
「そうですね。 友達とやり取りをしていれば友達同士の字をウッカリ書いてしまったのかもしれませんね」
(手紙の字が違う? ・・・あの手紙のことか?) より一層、聞き耳を立てる。
「それにしても羨ましいな。 さっきも言いましたけど、私なんてミミズの這う字しか書けないっていうのに、教科ごとに字を変えていたって・・・いくつ色んな字を書けるんでしょうかね?」
「一度藤滝さんに頼んで、紫揺ちゃんに色んな字を書いてもらったことがあるんですけど、さっきの手紙の字体から、丸文字って言うんですか? 今時の字。 反対に真四角や縦長横長の字も書いていましたし、テレビで見るような変わった字も書いていましたよ。 飾り文字っていうのかなぁ? それに行書体、草書体」
「え? 草書体も書くんですか?」
「ええ、でも草書体は滅多に書かないみたいです」
「書かれても私なんかには読めませんよ。 ああ、そうしたら目上にかくときの字は行書体ということですか? それであの手紙の文字が違い過ぎると?」
「ええ。 ・・・でも考え過ぎですよね」
(嘘だろ? あの手紙は失敗だったのか? その上、坂谷が絡んでくるなんて・・・下手に調べることが出来る人間だ。 紫さまが見つからないにしても、探し回られては困るじゃないか)
暫く話を聞き、席を立つとその場を後にして今まだ梁湶のいる家に向かった。 家の中に行書体で書かれた紫揺の書いたものがきっとあるはずだ。
阿秀 (あしゅう) のスマホが鳴った。
「野夜か? その後どうなった?」
『すみません、不手際がありました』
「どういうことだ? 僚友に何かあったのか?」
『僚友に警官の知り合いがおりました』
「警官? 警察なのか!?」
『はい。 じつは―――』
一通り居酒屋で聞いた話をする。
「・・・そうか。 だが、それはもういいだろう」
『よろしいんですか?』
「ああ、確かに警察に嗅がれては困るが、異動するならその警官も構っていられないだろうし、紫さまが事件や事故に巻き込まれたわけでもない。 まさか失踪とも考えないだろう。 それに探すあてがなければ僚友も諦めるだろう。
そうだな、何かあれば此之葉に紫さまのその字で手紙を書かせておくくらいでいいだろう。 紫さまのお書きする手本となる字は見つかったのだろう?」
『はい』
紫揺の居た家に帰ると梁湶に事の次第を話し探してもらった。 醍十が片付けた家の中の物はどこに何があるか分からなかったが、さすがに書類やデータを見極めるのに秀でている梁湶だけあって、いとも簡単に見つけ出した。
「それに間違いがないなら、此之葉に書かせるといい。 特に何もないのならそのまま書かさなくてもいいくらいだと思っていいだろう。 新しい住所も書かなくてはならなくなってくるのだからな。 大々的な捜索にならないのならそれでいい。 無理をする必要はない」
『分かりました』
「一応まだ暫く付いていてくれ」 野夜の気が済むようにさせるために言う。
『はい』