国津道  第20回

大福りす
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第10回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


     『国津道』 リンクページ




                                   



- 国津道(くにつみち)-  第20回



午後七時。

そろそろ詩甫に連絡を入れようかとスマホを持とうとした時、スマホの着信が鳴った。 画面には『野崎さん』 と出ている。
詩甫からの連絡である。
浅香から詩甫に連絡しようとした時に詩甫から連絡がきた。

どんなことを話されるのだろうか。 自分が出勤の間に詩甫が社に向かっていたのだろうか。 いや、そうなら曹司からそれなりのことがあったはず。
色んなことを考えながら少しの間、手にしていたスマホを見ていたが、すぐに時が経っていることに気づいて電話に出た。

「浅香です」

「あ、野崎です」

「こんばんは」

「こんばんは、今、大丈夫ですか?」

「ええ、がら空きです」

スマホの向こうで詩甫が笑ったのが分かる。 笑わせるつもりなどなかったのに。

「どうです? あれから何か身体に異常とか、おかしなことなどないですか?」

「いいえ全く何も」

「視線も?」

「はい」

敵も落ち着いたということだろうか。

「曹司から何か連絡はありましたか?」

最初に “曹司さん” と詩甫は言ったのだが、浅香が “さん” は付けなくていいです、と言ったのだ。

「全くありません。 もう来ないようにと言われたんですから、そうなるでしょうね」

先ほどまでは情報くらい寄こせと思っていたが、詩甫と話してみて冷静に思うことが出来る。
詩甫からの返事がない。

「あ、すみません。 冷たい言い方でしたね」

「そんなことはありません。 ・・・あの」

「はい」

「“怨” って仰ってました、よね?」

「はい」

「それは・・・誰に向けてとは、朱葉姫は仰ってなかったですか?」

まさかそこを突かれるとは思ってもいなかった。
どうしたものか・・・。
素直に朱葉姫に向けられていると言ってしまえば、朱葉姫のことを想っている詩甫がどう動くか分からない。 だが詩甫に、と言えば、自分が我慢すればそれで済むことと考えるかもしれない。

「ええ、聞いていません」

こんな返事でいつまで逃げられるかは分からないが、今はこれしか言えない。
だがどうしてそんなことを訊くのだろうか。 単純に考えて被害に遭ったのは詩甫だけだ。 そんな時に “怨” と聞かされればその標的は自分だと思うだろう。

(いや、心当たりが無さ過ぎか・・・)

土地に心当たりがあると言ってもそれは瀞謝の頃。 その頃にも心当たりがないと言っていたし、詩甫としての生ではあの土地に行ったことも無いのだから。
心当たりが無いのにあんな目に遭わされて “怨” が誰に向けられているか気になったのかもしれない。

「・・・そうですか」

「気になりますか?」

「・・・浅香さんが聞いていらっしゃったらと思っただけです」

「知ってどうされるおつもりですか?」

「いえ・・・知ってらっしゃったら教えて頂きたいと思っただけです」

「まさか社に行こうなんて考えていませんよね?」

直で朱葉姫に訊きに行くつもりだろうか。 そうであれば、さっきの自分の返事は失敗だ。

「はい。 社に行くようでしたら、ちゃんと浅香さんにお願いします」

「ええ、そうして下さい。 いや、社に行くことを勧めているわけではありませんが、絶対に一人で行かないように。 それだけは約束してください」

「はい」

詩甫がスマホをタップし、通話が切れた。

浅香が訊いてきたように詩甫に異変はみられない。 あの嫌な視線は社に居る時だけあった。 だが誰かが近くに居てくれれば視線は感じなかった。 そして社からの帰りの電車の中での出来事。
あれらは全て “怨” を持つ者の仕業だったのだろう。

そしてあの電車の中での出来事は今までと全く手法や周りの状態が違っていた。 電車の中では祐樹も浅香もいたのだ。 たしかにずっと祐樹と浅香が見てくれていたわけではなかったし、詩甫に気を付けていたわけではない。
だが・・・“怨” を持つ者が苛立ってきているのではないのだろうか。

それならばと考えた。 朱葉姫に言われた社を閉じる気を失くしたわけではない。 だがまずは “怨” を持つ者に対峙しようと。

“怨” を持つ者は社に心を向けている者、その者に何かをしようと思っているのではないだろうか。
それは今のところ社を清潔にし朱葉姫と約束をした詩甫に。
ということは原点は社に向けられているのではないだろうか。 紅葉姫社。 それとも社自体ではなく、紅葉姫社で祀られている朱葉姫。

朱葉姫が誰かから恨まれるというようなことがあるなどとは考えたくはなかったが、今もこうして生活をしている詩甫に何の異常もない。 もちろん視線も。 そうなると答えは一つしかなかった。

その事を浅香に確認したかったのだが、浅香は聞いていないらしい。 朱葉姫とて分からないのかもしれない。

このまま何もしなければ時ばかりが過ぎていく。 時が過ぎて行けば社が朽ちていく。 朱葉姫の悲し気な顔が目に浮かぶ。
浅香が言っていた。 今のままが朱葉姫にとって辛いことだと。 朽ちていく社を見なければならないのだから。

そうと分かっているのだから朽ちらせたくなどない。 何をどうしていいのかまだ具体的には分からないが、まずは “怨” を抱いている相手が誰なのか、誰を何をどうして怨むのか。 想像だけではいけない、そこをはっきりと知らなければ始まらない。

祐樹は今日来ていない。 祐樹を危険に巻き込みたくない。 明日、社に行って朱葉姫に会ってみる。 そして出来れば “怨” を持つ相手にも。

スマホを座卓に置こうとした時に音楽が鳴った。 それは着信音である。 画面を見ると『浅香さん』 と出ている。
さっき切ったばかりなのに。
画面に指を置く。

「浅香さん?」

「明日お暇ですか?」

「え・・・」

「社に行きませんか?」

「え?」

「いつも通りの電車で。 寒いですから着こんで来て下さいね、それじゃ」

通話が切られた。
考えていたことを読まれたのだろうか。


ウールのコートを着て、いつも通り社に行く時に履いているちょっとお洒落なウォーキングシューズを履いて玄関に置いてある姿見を見る。 するとスカートにはかろうじて合うが、ウールのコートにウォーキングシューズは痛い。 これがウールのコートではなく、ジャケットとかダウンコートなら合ったのだろう。 だがそんなものは持っていない。

学校時代の体操着のジャージ以外では生まれて一度もズボンを穿いたことは無い。 だから家着もいつもブラウスやセーターとスカート。 社に行く時もそうである。 ズボンを穿く勇気がない。
母親は詩甫にスカートしか着せなかった。 母親が離婚をした後は母親と一緒に祖父母の元に戻ったが、祖父母もそうであった。
そんな服装だから自然とウールのコートになってしまう。

「・・・どうしよう」

事前にその姿が想像できていれば、中身はどうあれ安物でもダウンコートでも買っていたのに。
一緒に電車とタクシーに乗る浅香に恥をかかせるのだろうか・・・。
だが何を言っても思ってもこれしかない。 オフィスシューズを履くと山の階段や坂を上るに時間がかかって浅香に迷惑をかけてしまう。
そう思った時、あ、っと閃いた。 手提げの紙袋があった。


浅香と社に行く時にいつも乗る電車に乗り込む。
ラインもメールアドレスも教え合っていない。 教え合っているのは電話番号だけ。 ラインを組んでいれば『今電車に乗りました』 などと送れるのだが。

「必要ないか」

もし浅香が寝坊していたとしても、詩甫はいつものこの電車で社に行く。 そして詩甫自身は寝坊などしない自信がある。

浅香が乗ってくる駅に着く。 扉が開かれる。

「お早うございます」

いつもの車両、いつもの席。 浅香が扉から姿を現した。

「お早うございます」

座席を見るといつも詩甫の隣に座っている祐樹の姿はない。 この時を詩甫が選んだのか、他に理由があるのか。 その事についてはあとで訊くか話している内に分かるだろう。

土曜日の朝早い電車。 座席は空いている。 浅香が詩甫の隣に座る。

「ん? 荷物多くないですか?」

いつもの荷物より一つ紙袋が増えている。

「秘密兵器です」

思わず浅香が笑う。

「それは楽しみだ」

そして年末休みのことを訊いた。

「今日からです。 今年は年末年始を合わせて十二日のお休みとなりました」

超ロングだ。 浅香にはあり得ない。

「うわぁ、羨ましい。 どこかに行かれるんですか?」

詩甫がニコリと応える。

「修行に」

「は?」

滝にでも打たれに行くのだろうか。 いやこの季節にそんなことをすれば、完全に心臓麻痺だ。

「あの、浅香さん・・・」

今までの会話の雰囲気を一掃するような顔つきになって、言いかけた言葉が止まってしまった。
自分の考えに浅香が言わずとも付き合ってくれた。 そう言いたかったが、言葉が途切れてしまう。

「今日は僕の我儘です。 デートのお誘いではありませんけどね。 身に危険を感じたらすぐに言って下さい」

まるで詩甫の言いたかったことが分かったかのように浅香が言う。

「あの・・・」

「はい?」

「・・・どうして分かったんですか?」

詩甫が一人で社に行こうとしていたことを。

浅香が笑う。 声は無く。
せっかく話を逸らそうとしたのに、それに気付いていないのか、どうしても知りたいのか。
どちらでもいいか。 浅香が口角を上げる。

「自覚がないみたいですね」

「え?」

「僕もすぐには分からなかったんですけど、野崎さんと電話で話していて違和感を持ったんです」

「違和感?」

「はい。 通話を切ってから少し考えて気が付きました」

さっき浅香は自覚がないのかと言っていた。 心にやましいことは確かにあったが、違和感を感じさせることは言っていなかったはず。

「野崎さんは、僕が質問すると答えにくくされていました。 間があったと言っていいかな」

浅香が言うに、浅香が質問をすると答えにくくしていて間を置いて答えていたらしい。 それが社に行くのかと問うた時には即答だったという、ましてや念を押すようなことを言ったらしい。 社に行く時にはちゃんと浅香に連絡をすると。
その後に浅香が一人で行かないようにと約束をしてほしいと言った時にも、迷うことなく即答『はい』 と言ったと言う。

「これって、完全に一人で社に行くってことでしょう?」

そんな失敗をしていたのか・・・。

「すみません」

「謝ることじゃないですよ」

「でも・・・」

嘘をついた。 社に行く時には、必ず浅香にお願いすると言っていたのに。

「同志と考えませんか?」

「え・・・」

「朱葉姫と野崎さん。 曹司と僕」

どういう意味だろうか。

「朱葉姫の問題・・・問題って言っちゃいけないか。 まぁ、そこはグレーに。 そこに曹司もいるんです。 話しましたよね? 僕は曹司でもあるって」

詩甫が頷く。

「曹司は朱葉姫の為だけに生きているんです・・・あ、死んでるか。 まぁ、そこもグレーに。 今の曹司の存在は朱葉姫がいてこそなんです。 僕の存在の意味もそうなるんです。 曹司は朱葉姫の想いを叶えたいと思っています。 朱葉姫の願いは野崎さんだけのものではないんです」

詩甫が息を飲む。 そんなことを言われるとは思ってもいなかった。

「とは言っても “怨” を持つ者、敵と言っていいのか相手と言っていいのか、その者の矛先は野崎さんに向いています」

詩甫が静かに頷く。

「昨日、僕は嘘を言いました」

「え?」

だからお互い様ですよ、と笑いながら言って浅香が続ける。

「曹司から “怨” を持つ者は誰に対してか。 野崎さんに訊かれた時、聞いていないと言いました」

再び詩甫が頷く。

「曹司から送られてきたこと・・・。 映像を見さされたって言うか、音声付きで。 前に言いましたよね? 僕の身体を動かすに運転席とか助手席とかって」

「はい」

詩甫の返事に今度は浅香が頷く。

「それと反対の事とまではいきませんが、似たようなものです。 僕が曹司の助手席に座って、あの時朱葉姫が何を言ったのか全て聞きました」

何故、浅香が黙っていたのか、聞いていないと嘘をついたのか。 その答えに想像がついてしまった。 詩甫が唇を噛む。

「朱葉姫が言っていました『わたくしが憎いようです』 と」

浅香の声に弾かれたように下を向き、両手でコートを握って拳を作った。
想像していたことだ。 それに確認印が押されただけ、昨日もらえなかった印を押されただけ。

「野崎さん」

「すみません・・・」

「大丈夫ですか?」

詩甫が頷く。

「ですが矛先が野崎さんに向いています。 その危険を回避しなければいけません。 朱葉姫も曹司も・・・僕もそう考えています。 そう考えて野崎さんに社に行かないようにと言いました」

詩甫が何度も頷く。

「でも・・・、そんな中途半端では終われませんよね」

詩甫の頷きが止まった。

「僕も野崎さんも」

詩甫がゆっくりと浅香を見る。

「浅香さん?」

浅香が詩甫を見てにこりと笑う。

「さっき言ったでしょ? 僕は曹司だって。 曹司が誰を想っているかって」

「それは・・・今日来ることに無理矢理にこじつけて・・・」

「僕はそこまで出来た人間じゃありませんよ。 それどころか、これは僕の過ぎた我儘です。 野崎さんを危険に晒すことになるんですから。 それになにより、野崎さんが見つからなければ僕がすることになっていたんですから」

そうだった。 最初にそう聞かされていた。
詩甫が見つからなければ、浅香が社のことをするということになっていたということだった。

「言っときますけど、朱葉姫の願いは野崎さんだけのものではないということと、野崎さんが見つからなければ僕がすることになっていたっていうのを忘れないで下さい。 野崎さんがやらなければ僕が社を閉じます。 何があっても。 だって僕は曹司ですから」

「浅香さん・・・」

「だから同志です」

降りる駅に着いた。 ドアが開かれる。

電車から降りると乗り換えをし、少し歩いて別の線に乗る。 その間、詩甫も浅香も無言であった。
浅香の言いように詩甫が何か話さなければ、何か訊かなければと思ったが、それが言葉に出来ない。 いいや、それ以前に頭でまとまらない。 浅香が言ったことはまさに詩甫が思っていたことだったのだから。

浅香がずっと無言の詩甫を見る。 詩甫はまだ思考の中を彷徨っているのだろう。 そんな詩甫に何かを言うことはしなかった。

電車を降りるとタクシーに乗る。 座席に座るとすぐにタクシーの運ちゃんから声がかかったが、それは行き先を問うものではなかった。

「お久しぶりで」

えっ? っと小さく浅香と詩甫が声を上げた。
運転席の後ろに座った詩甫がルームミラーを見る。 するとそこには覚えのある顔が映っていた。

「あ、あの時の」

詩甫の声に助手席の後ろに座っていた浅香が運転手を覗き見る。

「わっ、あの時の運転手さん!」

自動的にドアが閉まる。
このタクシーの運転手は二度目にこの二人を乗せた時、二人から自分が払うからと二本の腕に札を出された。 だからタクシー代は順番に払えば? と提案した運転手であった。

「行き先は同じ所で?」

「はい、お願いします」