孤火の森 第80回

大福りす
『孤火の森 目次


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孤火の森(こびのもり)  第80回




いつの間にかキリアスが寝息を立てていた。

千歳は柿人国王との話の様子を、のちに笙から聞かされていた。

『紫式様が途中で入って来られてお話が一部頓挫してしまったのは残念で御座りましたが、ほんに、異国の民でありながら他国の民の心配もして下さり、有り難き限りで御座りましたぁ』

そして時折見ていたキリアスの様子は、清々しいものであったと言う。

『清々しいとは?』

『気付いた者は居ないと思いまする。 人の為に恥というものをご自分にお塗りになられておられました』

毎日昼間に紫式と話しているだけではなく時折兵とも話していた。 兵には上下関係がある。 それは当たり前ではあるが、どこの国でもそれを笠に着る者が居る。
口程度ではキリアスも見て見ぬ振りをしていたが、手や足が出てくると兵を庇っていたという。

他国の者である、その国のやり方や兵に口を出してはならないのは分かっている。 それにその場だけの一時しのぎだということも分かっている。 だが紫式の客人である立場を利用していた。

丁度、蹴られて転がされた兵が立った時を見計らい小隊長に声をかけた。

『小隊長殿、お頼みがあるのですが』

『たしか・・・キリアス殿』

柔和な笑みを小隊長に返す。

『少し剣の練習をしたいのですが、時が許されるようでしたらそちらの兵士にお相手をお願いしても宜しいでしょうか?』

紫式の客人の申し出を断るわけにはいかない。 もっとこの兵を足蹴にし先ほど大隊長から叱責をくらった腹立たしさを発散させたかったというのに。

『お役に立てるかどうかは分かりませんが。 おい、お相手をしろ』

そして何度も剣を合わせた。 何度も何度も。 その内に見学人まで現れてきた。 そして見破られないようにわざと負けた。

『やはり兵士の御方には敵いません。 お相手有難う御座いました』

続いて振り返り小隊長に言う。

『さすがは小隊長殿の元にいらっしゃる兵士です』

小隊長を持ち上げたということである。 これでキリアスが踵を返してもこの兵が蹴られることはない。

『キリアスはかなりの腕をお持ちのようでした』

笙とて無駄に城に居るわけではない。 自分が剣を持つことはなかったが見る目だけは養われていた。



孤火の森では家を建てることに着手し始めていた。

「ナーナリア」

朝の食事の用意をしていたナーナリアと呼ばれた兎の森からやって来た女が振り返る。

「お早うございます、ゼライア・シーリン」

「用意が終わった後で宜しいので少しお話を聞いてほしいのですが」

どうして私に? 話しを聞くのはローダルではないのか? と思ったナーナリアだったが、シーリンに言われれば断ることなど出来ない。

「いいですよ、ナーナリア。 あとはわたし達がしておきます」

一緒に用意をしていた女が言う。
ありがとう、と言うとゼライアの方を向き「ではこれから」と言った。

今ザリアンはサイネムに特訓を受けている。 もう教えを乞うというほど優しいものではなくなっていた。

「まだまだ、そんな結界ではすぐに破られてしまう」 「うわ! どこに呪を飛ばしているんだ!」 「囲いの呪は皆と合わせないでどうする!」
といった具合であった。

ナーナリアと共にゼライアの家に入った。

「どうかされましたか? ゼライア・シーリン」

椅子に腰掛けるように促したゼライアが自分も椅子に座る。

「少し訊きたいことがあって。 わたしが山の民に育てられたことは知っていますね?」

ナーナリアが「はい」と言いながら頷く。 山の民に育てられただけではなく、そこでとても大切にされていたと聞いている。

「ナーナリアはそこに居た、チャトラという名前なのですが、そのチャトラと同じくらいの歳なんです。 チャトラはいつも寄り添っていてくれていました。 それでナーナリアに訊きたいと思いました。 あ、誤解のないように、寄り添ってほしいという意味ではありません」

今ゼライアは十五歳。 チャトラは十か十一歳上であった。 そしてナーナリアもチャトラと同じ歳である。 他の三人は、一人がナーナリアより少し上で、残りの二人はナーナリアより年下になる二十三歳前後であった。

「承知しております。 寄り添うのはザリアン・ローダルですから。 ご遠慮なく何でもお話し下さいませ」

ありがとう、と言ってゼライアが話しだす。 それはナーナリアが思いもしなかった話であった。
セイナカルが呪をかけたその理由がキリアスにあった。

ある女が想っている男のために、ただにこやかに笑ってほしいためだったとはいえ、誰かを傷つけるという事は許されるものではない。 だが不運にも結果が相手の女を傷つけたということになってしまった。

「これはどう受け取ればいいのでしょうか」

時の女王がかけた呪のことは、シーリンとローダルしか知らない話であって森の民は知らない。 どう受け取られるかは分からないが、これはサイネムにもザリアンにも分かってもらえない。 女の気持ちというものが絡んできているのだから。 だがゼライアはそこのところをよく知らない。 ただ漠然と何かがある、という程度しか分からなかった。

女の気持ちの話かとナーナリアが頷く。

ローダルには相談しなかったのだろうかと一瞬思ったナーナリアだが、ザリアン・ローダルでは全くお話にならないだろう。 それにサイネム・ローダルは早くにシーリンを亡くしている。 そしてその後は孤高のローダルとして一人で生きてきたと聞いている。 女の気持ちというものを誰からも聞いていないはず。

そしてゼライア・シーリンはこれからそのような経験をする歳頃であって、どう考えていいのかが分からないのだろう。 それがどんな話に結び付くのかは分からないが。

「難しいですね。 ですが・・・故意ではない、そこは大きいかもしれません。 ただ故意ではなくとも、傷ついた者がその傷を今も負っているとすれば罪となるでしょう。 決して今は傷を負っていなくとも罪には違いありませんが、そこはある程度ではありますが目を瞑れるのではないでしょうか」

そして女というものは複雑だという。 男との間のことには特に複雑であると。
傷つけることが罪と分かっていても傷つける時もある。 そこで終わる者もいればその後に体をよじるほど後悔する者もいる。 笑う者もいる、泣く者もいる。 その時の状態で考えも変わり同じ人間が一貫して同じ反応であるとは限らない。

「ですが女というものは男に振り向いてほしいと考えるでしょう」

今の話は振り向いてほしいというものではなかったが、傷つけたことがなくともその内にそう考えるようになりがちである。 その時にどんな様子になるかは分からない。 故意に傷つけていたかもしれない。 振り向かれず諦めたかもしれない。

美しさ、それは女同士でも張り合うことはあるが、男のことを考えると女同士で気にしなかった者も美を意識してくる。 特に顔を気にする。 男を意識し始めた女は見た目を気にし、より自分を磨こうとする。 それがその女の自信にも繋がってくることもある。 そうなれば諦めるということは少なくなるのではないだろうか、と言う。 そして綺麗になった女はそれに気付き褒めてほしいと考えるとも言った。

「綺麗になった・・・と言いますか、変化があればと言うことでしょうか。 少しの変化にも気付いてもらえるのは嬉しいものです」

そんなものなのだろうかと、ゼライアが曖昧に頷く。

「顔が美しくなくとも、そんなことを気にはしない男もいますから、どうなるかは分かりませんが」

初めて夢見の呪を使ったときのことを思いだす。

『もうどうでもいい。 今となって誰がこのわらわの顔を見ようか。 後悔などしておらん』

セイナカルは後悔などしていないとは言っていたが、ナーナリアが言ったように徴を気にしているのかもしれない。

茨の呪。 精神の中で茨の道を歩かせる呪。 それは見た目だけではなく、見た者に禍々しささえ感じさせる徴と痛みが現れる呪。 それほどに強い呪である。 時の女王はその呪にいくつかの呪を織り込んでいた。 その中に子供が生まれないということも埋め込んでいたが、それは最初に人を傷つけたことで発動している。 徴が大きくなり痛みも段々と強く感じるものとは別である。
いずれにせよ傷つけてしまったことは今さらなかったことには出来ない。

「可愛いではありませんか。 にこやかに笑ってほしくて、というところだけですが」

「そう、ですね」

あの夢見の呪で見た限りでは大きな傷が顔に残っているはずである。

「何代前の女王になるでしょうか。 素晴らしい女王と言われている女王」

まるで見透かされたように、一代目の少女に呪をかけた時の女王の双子、ローダルは殺されてしまったが、傷を負わされたシーリンの話が出てきた。

「傷を負わされ、目も見えなくなってしまわれたましたが、素晴らしい女王と言われるまでになられておられました。 目が見えずとも心で森を見ておられました。 傷を負わされたと言っても今が幸せであれば、少しは罪も軽くなるのではないでしょうか」

「そういう考え方もあるのですね」

「傷を負わせた、傷を負った者がどちらも女。 にこやかに笑っていてほしいと思われたのは男。 街の民の中に行けばそのような話はゴロゴロと転がっています」

「え? そうなのですか?」

山の民たちが大切に育てていたと聞いている。 無粋な話は聞かせていなかったようである。

「はい、街の民だけではありません。 森の民以外はどこも同じです。 あまり深刻に考えられることはないと思います」

山の民であるお頭たちからそんな話は聞いたことはないが、それは自分たちがまだ小さかったからなのだろうか、それとも獣の群れではそんなことはなかったのだろうか。

「どうして森の民以外のことを知っているのですか?」

すると驚いたことに兎の森では時折、街の市に出かけているということであった。 そこで他の民たちの様子を見聞きし、兎の森が荒らされることがないかどうかを見ていたという。 その様子を見聞きする中、いろんな話が耳に入ってくるということであった。

「兎の森は孤火の森ほど山の中ではありませんから、そのような心配を常に持っています」

「そう、なのですか」

キリアスのことも気になるが、呪だけではなく他の森のことも勉強をしていかなくてはならないようである。

ゼライアの家を出ると朝の食事の用意が整っていた。

自分はゼライア・シーリンの役に立てただろうか。 ナーナリアも経験が豊富なわけではない。 だがこの孤火の森にやって来て良かったと思える。 少しでもシーリンの役に立ちたい。

『可愛いではありませんか。 にこやかに笑ってほしくて、というところだけですが』

どうしてだろうか、その言葉が気にかかる。

「あ・・・」

ゼライアは不運と言っていたが、ナーナリアは故意ではないと言っていた。
故意ではない、ただ笑んでほしかっただけ。

立ち上がり家を出ると母が眠る碑の前にやって来た。 碑の後ろに女王と森の民が埋葬されている。 埋葬したあとは悼みと慈しみの詠唱は終わらせていた。 そして次には毎朝、安らぎの詠唱を唱えている。
誰が誰の骨か分からない状態だった。 だから母がこの場所のどこに眠っているのかは分からない。

碑の前に両膝を着き両手の指を組み合わせる。

(お母さん、女州王がしたことは決して自分の欲からではなく・・・ああ、違います。 でも人に笑んでいてほしいと思うことは強欲な事ではありません。 違うでしょうか?)

そして傷つけてしまったのは不可抗力であったようなもの、故意ではなかった。

(あ・・・違う)

呪を使うのだ、夢見で見た限りでは静謐(せいひつ)の呪に似ていた。 決してそこまでの呪ではなかったが、その類の呪を使う時には周りを確認してからではないと危険を伴うときがある。
そのような呪が使えるのかどうかも分からないが、セイナカルは周りを見ていなかった。

(やはり・・・故意ではなくとも女州王の落ち度)

だがあの時の夢見の呪で見た限り、セイナカルの祖父はその様な注意は言っていなかった。 だからと言って何もかもが祖父のせいではない。 セイナカルとて習った時には幼かったが、呪を発動した時には結婚をしていた歳であった。 少し考えればわかるはず。 それに一人目の時に大変なことをしたと分かったはず、それなのにその後も何人もに周りの確認をせず呪をかけていた。

(・・・ごめんなさい、お母さん。 何でもありません)

後ろからその様子を見ていたサイネムが息を吐いた。

(ピアンサ、ピアンサならゼライアと同じように悩んでいるか?)

そう思った時、意識が入ってきた。

<サイネム、ゼライアは何を話しているのでしょうか>

ひっそりとゼライアの様子を見ていたサイネムの眉が上がった。
今までのザリアンならブリテルと叫んで駆け寄っていたはず。 実際サイネムも前ローダルから教えを乞うたあとは、ピアンサの元に走っていた。

またそうでなければ、良くて声を小さくしサイネムに話しかける程度だったが、意識に話しかけてきている。 少しは周りを見て考えるということが出来てきたようである。 それに今の言葉に直すところは見当たらない。

<女州王のことだろう。 あとで声をかけるといい>

今度はザリアンの眉が上がった。 いつもなら “声をかけろ” “声をかけてみろ” などと言うのに。

<戻ろう>

サイネムに付いてザリアンが戻って行く。 今日の特訓は終わっていた。



「ライダルード」

「ピアンサ? ピアンサ、どこに?」

辺りを見回すがピアンサの姿が見えない。

「ピアンサ、どこに居る?」

「ライダルード、冷静になって。 そうすれば私の姿が見えます」

「ピアンサ・・・」

「ブリテルが悩んでいるようですね」

ああ、ゼライアのことなのか。 今日、碑の前でずっと手を合わせて何かを話していた。 そのことが気になっていたのか。

「女州王のことでしょう」

「ええ、そのようです。 ブリテルは女州王のしたこと全てではありませんが、認めようと思っています」

「ピアンサはどう考える?」

するとピアンサの姿が見えた。 美しいピアンサが目の前にいて微笑んでいる。

「ピアンサ!」

ガバリと起き上がると寝台の上であった。

「夢、か」