孤火の森 第68回

大福りす
『孤火の森 目次


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孤火の森(こびのもり)  第68回




一陣の風が吹きサイネムの白銀の髪が舞った。

(歩いて三、四日ほどの距離)

自分の身体を一度上から見ると目線を変え、右手方向を見る。 飛んでいる状態で徒歩の感覚がつかめるだろうかとは思うが、千歳は高い崖があると言っていた。 それが一つの目安になる。

右手の方向に飛んでいく。 海沿いを暫く飛んでいると、砂浜が姿を消し岩浜が多くなっている所に来たが、そこには人家が見える。 ここにアーギャンを連れてくるわけにはいかない。 それに千歳の言っていた高い崖がどこにも見えない。

(まだまだ先と言うことか)



「なんだと!」

総兵隊長が大声を上げた。 まさか皇子が勝手に銃を受け取っていたとは、思いしないことであった。
銃鍛冶に銃の受け渡し場所の案内をさせた。 そこからが始まりと考え、徹底的に調べさせた。

幾人もの人間の顔が上がってきたが、誰もその場だけの雇いであって何を知ることもなかった。 だがその場で聞き取るのではなく、城に連れて来ていたことが功を奏した。 その内の一人の男が一人の兵を指さしたのだった。 そこからどんどんと絡んでいた糸が解けていき、その結果がこのようなことになった。

大きく息を吐いた総兵隊長が部屋を出て行き、ニッポニャンの王である柿人の元に向かった。

総兵隊長から話を聞いた柿人が驚きを隠せない顔をしていたが、牢に足を運び縄で繋がれ体中に傷を負っている兵に尋ねたが、やはり総兵隊長と同じことを言っていた。


「ほぉー・・・今、柿人様はおられませぬか」

「牢に行かれたで御座る」

「白玉が聞いてきた話、はっきりさせてあげましょうか。 そうすればもう無茶なことはしないでしょう。 白玉、頼みます」

白玉が今津の面倒を見ていた時、岩国が時々様子を見に来ていた。 岩国が来ると座を外してはいたが、ぼそぼそと話されることが気になり耳を傾けていた。 すると葡萄酒畑のことが話され、それが目的で城に入り込んでいたということを耳にした。

「承知仕(しょうちつかまつ)ったで御座る」

“合点” が取れている。 それだけではない、釧路のところから戻って来てからは一度もおかしな言葉は出ていなかった。

(完全に言葉が直っておりまするか)

ほぅ、と安堵の息を吐いた笙であった。



東山のところに手紙が届いた。 送り主の名がない。 ということは、関戸宛なのだろう。 封を開けると中にもう一枚封筒が仕込まれていてその中に手紙が入っている。 中の封筒にはやはり “関戸へ” と書かれていた。

すぐに関戸たちの居る隠れ家に行き封筒を渡すと、誰の目を憚ることもなく関戸が封を開けた。 瞳の動きを見ているとすぐにその瞳が止まった。

「長州藩の葡萄酒畑に立札が立てられ、そこに葡萄酒畑取り止めと書かれてあるそうだ」

東山だけではなく誰もが驚いた顔をしている。 その中から一人一人と声がする。

「それって・・・」
「取り止めってことは」
「俺らが勝ったってことか?」
「す、少なくとも長州藩ではそうなんだろう」

「東山、こっちはどうだ? 何か聞いてないか?」

「いや・・・何も聞いてない。 何かあればすぐに連絡があるはずだ」

「長州藩だけの話なんだろうか」

長州藩の誰もが声を上げて喜びたかったが東山が居る。 まだ取り止めの立て看板が立っていない宮都の者が居る前であからさまに喜べるものではなかった。



皇子である蝉丸はまた他国へ出かけている。 目の前にいる兵は本来なら蝉丸に付き、一緒に他国へ出かけているはずだった。 だが今回は体調を崩し同行することが出来ず、城に残っていたということであった。

「お出ましが多いようですので他国へ売ったと考えられます。 ああ、いいえ、申し訳ありません。 まだそうと決まったわけではありません」

蝉丸皇子から直接聞かなければ。 だがクソ正直に答えるだろうか。

「あの兵一人か」

「はい、今のところは。 ですが皇子が戻って来られれば、同行している者の中に何人かは事情を知っている者が居るかもしれません。 誤解が御座いませんよう、あくまでもこの兵がどうしてそんなことを言ったのかという意味です」

「蝉丸が戻って来次第、わたしの元へ」

「承知いたしました」

もし蝉丸であったとしても罪を問う気はない。 だが皇子の席に着かせることは・・・。
つくづく葡萄酒畑のことが悔やまれる。 今では葡萄酒畑から手を引きつつあるが、ネズミにかまけ過ぎてしまっていた。



「あれか」

目の先に高い崖が見える。 そこまで飛んでいくと確かに岩浜がある。 辺りを見回しても人家はどこにも見えない。 岩場が多く波がその岩を打ち付けている。 こんなところで人間に漁など出来ない。 岩の上に降り立つと指の形を次々と変える。

『ゼライア』

『はい』

ゼライアの返事はすぐにあった。 ずっと待っていたのだろう。

『見えるか?』

『はい』

『ここはアーギャンの居るところから歩いて三、四日かかる所らしい。 場所としては文句はないのだが、少々離れすぎている。 連れてこられるか?』

『サイネムは飛んできたのですね?』

一旦切ると言われてから三日も四日も経っていない。 それを考えると飛んできたとしか考えられないが、肉体本体がない状態で視覚の共有の呪を使うとは。

『そうだ、だから歩いた時の感覚がない。 本当に三、四日でここまで来られるのかどうかが分からない』

アーギャンの移動にどれだけの日数を使うのかが全く分からない。

『そこに着くまでに海の状態はどうでしたか?』

『波は荒かったが今居るところも荒い、慣れている範疇だろう。 休息をとる岩場はいくつかあった』

『承知しました。 共有のまま元の所に戻れますか? 道中の海を見たいのですが』

『途中で切れるかもしれんがやってみよう』

『はい』

サイネムが浮き上がり、出来るだけ岩場と海を目に映し込み飛んでいく。



「これで御座るな」

柿人の仕事部屋に入った白玉が一枚の紙を手に戻って来た。 紙には “葡萄酒畑 以下全て取り止め” と書かれ、その下に宮都での対象の場所が書かれている。

「他にも同じものが何枚もありましたか?」

これ一枚であれば不都合が生じてくる。

「沢山あったで御座る。 あちこちに貼るので御座ろうか」

「では・・・これは宜しいでしょうかなぁ」

いつ貼り出すのかは分からないが、あちこちに貼るのであれば、一枚くらい抜いたとしても不都合は無いであろう。 だがもし不都合であったのならば、一枚くらい書き足せばいいこと。

「一日も早く知らせてやりたいで御座る」

一緒に暮らしている間に情が出たようである。

「そうで御座りまするか。 では白玉の好きなように」

「では行ってくるで御座る」

「はいはい、見つからないよう―――」

もう居なくなっていた。



視覚の共有が切れることなく戻って来た。

『様子は大体わかりました』

『何よりだ』

『明日・・・いいえ、明後日行います』

『なぜ?』

どうして明日ではないのか。

『サイネムは一日休んでください。 かなり疲れているはずです。 失敗は許されませんので』

疲れが出ているのを見破られていたようである。 だがこれくらいの疲れは何ともないと言いたかったが、失敗と言われてしまえば強く出ることは出来ない。 万が一にも失敗をしてしまえば、アーギャンの警戒心は深くなるだろう。 そうなると二度目ということが難しくなるだけである。

『そうしよう。 では切る』

『はい』

視覚の共有を解き我が肉体に戻る。 目を開けるとあと少しで夕日が差してくる刻限となっていた。
疲れた体を手で支える。 サイネムと言えども長い時間に二つの呪を使っていたのだ、疲れて当たり前である。 だが儀式を守っていた時の長い日々のことを思うと疲れとも言えない程度である。 しかしゼライアが言っていたように失敗は許されない。 今日のこれからと明日はゆっくりと体を休めなくては。

サイネムが立ち上がるのを見て三人が走って来た。



「ん? どうした?」

今津の足元に居たイヌという名の犬が急に立ち上がり、鼻を上に向けクンクンと一生懸命に何かの臭いをかいでいる。 臭いの先が分かったのか、戸の方に歩き出し戸を前足でカリカリと搔き出した。

まだ歩くのに余裕がない今津に代わり萩が戸口まで歩いて行くと、何かが戸に挟まっている。

「紙? 風で飛んできたのかな?」

その紙を引き抜くが、イヌはそれが目的ではないようにまだ戸を掻いている。 イヌが逃げ出すことが出来ない幅に横に戸を開けるが、そこに誰が居るわけではなかった。

「あ!」

全員がずっと萩の様子を見てはいたが、萩の声にどうしたのかと改めてみようとした時、戸が全開しイヌが飛び出して行くのが見えた。

「うわ! 萩! 追いかけろ」

腰を上げた周南が言ったが、イヌは戸を出たところで逆を向き屋根に向かって吠え出した。 ここに来て一度も吠えたことなどなかった、初めて聞くイヌの声である。

「うわー、吠えるな!」

吠えられては目立ってしまう。
萩がイヌの身体を抱き中に入れようとするが、四肢を踏ん張って動こうとしない。 踏ん張りながらもまだ吠えている。 すぐに周南が来て萩の手助けをし、他の者もやって来てイヌの口を塞ごうとしたが、首を動かしてその手を振り切る。

屋根の上に居た白玉が驚いた顔をしている。 まさか犬が居るとは思わなかった。 このままでは白玉の存在がバレてしまう。 みんなが喜ぶ歓声を聞きたかったが、諦めて向こう側に飛び降りようとした時、臭いに気付いた。

「あ・・・」

記憶のある臭い。
振り返ってその姿を凝視する。

「黒・・・」

記憶のある色。
そして記憶のある姿かたち。

あの時には言葉など知らなかった、だから名前など付けていなかった。 なんと言えばいいのだろうか。

みんながイヌに集中している間に反対側の道に飛び降りた。 イヌは全員に抑えられ動くことが出来ない。 ぐるりと周って来た白玉がイヌに向かって歩いて行く。

吠えるのを止めハァハァと息を荒くしながらも、鼻を上にあげまたもや臭いを嗅いでいる様子を見せていたのに、イヌが急に尻尾を振りだした。 どうしたことだとイヌの視線の先を見ると、少年が歩いて来ているではないか。

左右に揺れる尻尾が防府の足にバンバンと当たっている。

「お前様・・・なのか?」

イヌが嬉しそうに一声吠える。 どういうことだろうかと全員が腕の力を抜いた時、イヌが急に走り出し、白玉めがけてジャンプをした。

「キャー、イヌ―!」

思わず萩が声を荒げた。 大きな犬に少年が襲われているような図であるのだから仕方がない。

イヌに押されてそのまままっすぐ棒状になったまま後ろに倒れた白玉。 誰もが白玉に駆け寄ると、その白玉の顔をイヌがペロペロと舐めているではないか。

「え?」

「あれ? もしかして・・・飼い主?」

そこへ中から「もー、いつまでやってんだよ」と言いながら岩国が出てきた。 見ると全員で円陣を組んでいるではないか。 「なにやってんだよ、早く入れ」と言い円陣を覗くと、そこに顔を舐められてもじっと直立状態で横たわり、目を開けている白玉が居るではないか。

「あ、白玉?」

誰もが岩国に振り返った。

「知ってるのか?」

「ああ、例の医者の所に居た、今津が世話になったって言ってたろ?」

「ああ」と全員が納得をする。

「で? どうしてこの状況?」

白玉の顔はイヌのよだれでもうズクズクであった。


「へー、そういう理由だったのか」

萩に後頭部を冷やされながら、仔犬だった時に一緒に居たと白玉が話した。 そして今のこの姿は母犬と瓜二つだとも言った。 決して白玉を育ててくれた母犬とは言えない。

「それにしてもよく臭いを覚えていたものだな」

白玉はいま十五歳。 そしてイヌと別れた時に五歳だったという。 あくまでも笙が決めた年齢だが。
仔犬の時に一緒にいただけでそれから十年も経っているというのに、このイヌは白玉の臭いを覚えていたということになる。

「だからずっと今津に付いていたのね」

「ああ、そういうことか。 俺に白玉の臭いが付いていたのか。 って、待てよ? じゃ、どうして宇部になついたんだ? それに藤生を助けたり」

その宇部と藤生を含む数人が、宮都の伏見と勸修寺と会っていて留守をしている。 もしこの二人のどちらかが居れば、城を抜け出す道誘導をした声か、天から降ってきた声と気付いただろう。 だが白玉もそこのところはよくよく分かっている。 やって来た時にその二人が居ないことは確認している。 そんなところもしっかりと千歳に教えられていた。

「そんなことよりイヌ、どうする?」

今は地べたに座っている白玉に巻き付くようにして伏せている。

「連れ帰っても良いで御座るか? もし良ければ・・・あ・・・」

その前に笙に訊かねばならない。

「なに?」

だが笙が良いと言って引き取りに来た時に、耳の良い奴が居れば白玉の声がバレてしまう。 それに今も長々とここに居てはいつ戻ってくるか分からない。

「連れ帰りたいで御座る」

藤生がこの犬に助けられたということを岩国から聞いていた。 いつからかは分からないが、群れから離れずっと一匹で居たのかもしれない。 自分が居ればそんなことは無かっただろうに。

「藤生が連れて来たんだから藤生に訊くのがいいかな。 私たちからは何とも言えないわ」

「そうで御座るか。 では訊いておいて下され。 もう遅いので今日は帰るで御座る」

白玉が立ち上がるとイヌもすぐに起き、歩を出す白玉に付いて行こうとする。 白玉が足を止めしゃがんでイヌの顔を撫でてやる。

「迎えに来るで御座る。 それまでここで待っておいて下され」

耳の良い奴が居ない時に引き取りに来ればいい。

様子を見ていた誰もが満足するような息を吐いた。

「いいんじゃないか?」

「そうだな」

「そう言えば、恩は仇で返せないわね、ってあの時言ったような気がする」

「今が恩を返す時ってことか」

しゃがんでイヌに向かい合っていた白玉が話している相手に視線を送る。

「いいので御座るか?」

「ま、藤生が別れを言えなかったって残念がるかもしれないけど」

「何よりも恩優先ってことで」

「あ! 有難うで御座る!」

イヌを一撫ですると「行くで御座るか」と言い、戸に向かって歩き出した。 すると後方からの声が耳に入ってきた。

「あ、そう言やぁ、萩、なんか拾ってなかったか?」

「あ、イヌ騒ぎで忘れてた。 あれぇ? どこにやったんだろ」

「何を拾ったんだ?」

「紙。 ゴミが挟まってただけかもしれない。 気にすることは無いか」

白玉とてすっかり忘れていたが、それは困る。 気にしてほしい。