孤火の森 第29回

大福りす
『孤火の森 目次


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孤火の森(こびのもり)  第29回




このまま森の中を走ってサイネムを探すわけにはいかない。 兵がどこにいるのかポポには分からないのだから。

「なんだい?」

「兵が、兵が森を焼くって! 今晩から森を焼くって、サイネムに知らせなきゃ」

ずっとブブを見ていた若頭がブブから目を外しお頭を見た。 ヤマネコもお頭を見ている。 その二人ともが頷いてみせている。 二人もそうだが、お頭もやっとサイネムが何をしようとしているのかが分かった。
若頭がブブの方に目を戻し、ヤマネコもポポのことはお頭に頼んだと言わんばかりにブブの方に目を向けた。

「そういうことか・・・」

「お頭、そういうことって!?」

お頭が両方の口の端を上げた。

「旦那ってなぁー・・・勝手な奴だぜ」

自分達に何も詳しいことを言わず、一人で兵に立ち向かいに行ったというのか。

「ま、おれたちにゃー何にも出来ねーけどな」

足手まといになるだけである。

「お頭! 何だよ、何言ってんだよ!?」

「安心しな、旦那は知ってるよ」

「あ・・・」

だからサイネムがここに居ないのか?

「多分な」

「多分って・・・あ、じゃ、じゃあ、オレも戦わなきゃ」

それがブブを守ることに繋がるのだから。

「っとに、分かってねーなー、ポポはここを守るんだろが」

「え? だって」

「旦那の話を最後まで聞いてなかったから、そういう事になるんでー」

サイネムは言っていた。
儀式の時には森の周りを森の民が固め、残った者たちが儀式を見守る。 そしてローダルは何かあった時の女王の最後の砦となるのだと。

「旦那がそう言ってた。 分ったか」

「・・・分かった。 あ、それと、穴の近くに―――」

「あれは・・・なんだい?」

ポポの言葉を遮るようにヤマネコが小声で言った。


穴の周りの岩陰に獣の群れの仲間たちが隠れていた。
四人でも五人でもない。 縦穴の留守番以外全員である。 穴が見つかってしまえばどうしようもない、兵が穴に入り穴を上がってしまえばお頭たちが居る。
兵に対する恐さよりも、今は仲間を守ると全員が一心に思っている。 イノシシやクロギツネが言ったことが、あとになってじわじわと効いてきた、というところだろう。 そして岩穴を出てきた時の勢いを思い出したのだろう。

「逃げ足が早い女だ」

「山の民だからな。 それより森の民って言ってたのは聞き間違いか? 森の民がそんなに早く走れないだろう」

「森の民の足の早さなんて誰も知らないだろうが、それに全員が全員聞き間違えるかよ」

「まさか・・・あの女は森の民が見せた幻覚じゃないだろうな」

兵たちが強張らせた顔を見合わせる。 そう思えば一瞬にして女が目の前から消えた。 後を追っていた筈なのに。 もしかして自分達をあの場から引き離し、あの場所から森に入るということか。

「急げ!」

兵たちが森に向かって走り出した。

チチチチ、鳥の鳴き声がした。 いや、完全に鳥の鳴き声を模した合図である。

岩に身体を付けてアナグマから聞いていた方向、チャトラが走って行った方向に目をやる。 だがそこから戻って来るとは限らない。 辺りにも気を張る。 獣だって同じである、どこからやって来るかは分からない。

木々の間を抜け岩の間も抜けあと少しで崖にさしかかるというところで、岩から上半身裸で顔を隠した男が立ちあがって出てきた。

「な! なんだ!」

兵が得物を抜くと後ろから後頭部に衝撃が走り倒れ込んだ。
他の四人が後ろを振り向くと、同じ様に上半身裸で顔を隠した男達が何人もいた。 その手には穴掘手が持たれている。
その穴掘手が上に掲げられる。 兵が応戦して穴掘手を受けようとしたが、またしても後方から衝撃が走り、その場に倒れ込んだのが二人。
まだ岩に隠れていたのだった。

残りの二人がバラバラに逃げた。 一人は飛んで火にいる夏の虫方向に。 そしてあとの一人は崖をよじ登って森の中に逃げ込もうとしている。
崖と言っても斜めになっていて、足をかけられる岩も飛び出している。 それにそれほどに高い崖ではない。

穴は筵で隠してあるが、まさか森の方向に逃げるとは思わなかった。 すぐにクロギツネが追い、そのあとにアナグマが続く。
何度も足を滑らせながら崖を登りきった兵が走って森の中に入ろうとした時、弾き飛ばされるようにして崖を登りきったクロギツネの足元に転がってきた。
何があったのかは分からないが、取り敢えず獣を絞めるようにし、絞め切る手前で手を止めた。
すぐに後を追って来たアナグマが縄で手足を縛る。

その間にクロギツネが森に近づき手を前に出すが、ある一定まで伸ばすとそれ以上森に手を伸ばすことが出来ない。 まるでつるんとした遮断する何かを触っているようである。

「アナグマ・・・」

「なんだ」

縛り終えたアナグマが顔を上げると、訳が分からないといった顔で手を伸ばしたままのクロギツネがこちらを向いている。
首を傾げながらアナグマが近寄って手を伸ばしてみると、それ以上森に向かって伸ばすことが出来ない。 軽く足で蹴ってみるが、何かに当たるような感覚があるだけである。

「もしかしたら・・・呪、か?」

こんな感覚は今までに経験したことがない。

ポポがサイネムに知らせたのか、それともサイネムは兵たちが話していたことを既に知っていのか。 それとも・・・森の民によってここは元々こうなっていたのか。
いずれにしても呪に間違いないだろう。
アナグマの台詞を聞き、クロギツネが良からぬモノでも触ったように顔を歪めて手を引く。

「呪だとしたら、どこからどこまでかかってんだ・・・」

独り言を呟いてくれるが、これ以上呪などにはかかわりたくない。

「降りようぜ」

「ん? ああ」

兵を適当に転がしながら崖を降りると、すでに四人の兵も縛り上げられていた。 誰も意識はないが、ちゃんと息はしている。 兵と違い簡単に人を殺めるような度胸は持ち合わせていないのだから。

「信じらんねーよ、下手すりゃオレたち殺されてたんだよな」

「ああ、なんで平気で殺せるもんかな」

仲間たちは全員、穴掘手の取っ手の方を使って兵に向けた。 決して金具で出来ている、言わば殺傷能力のある方は使わなかった。 そちらを使えば殺してしまいかねないからである。
たとえ山の民が獣を狩ると言っても、それは食べる為であって兵のように殺すだけの為ではない。

「それにしても・・・意外だったな」

「何が?」

「こんなに簡単にやれるなんてよ」

今まで何を恐れていたのだろうか。

「下手な勘違いをすんなよ、たまたまだ。 人数の差だって大きい」

「ああ、それに不意打ちだったんだ。 二度と兵に手を出すなよ」

アナグマが言うのに続いてクロギツネが言った。 これで調子に乗り下手な方に走られては困る。

「へぇー、呪だね」

頭の上から声が降ってきた。 誰もが振り仰ぐとそこにチャトラが立っている。

「チャトラ、無事だったか」

「当たり前だろ。 ね、それよりこれって呪だよな?」

アナグマとクロギツネ以外が、どういう意味だという顔をして互いを見合ったり、チャトラを見たりしている。

「そこにはいつも呪がかかっているのか?」

アナグマが訊くとチャトラが首を振る。

「いや、かかってない。 ってか、かかってなかったって言った方が適切か。 アタシもここに来なくなって長いからね。 でもかかって無かったと思うよ。 この森が兵に乗っ取られてからは、一度もかかっていなかったからね」

へぇー、面白い感触、などと言ってチャトラが触っている。

アナグマが考えるように下を向いた。
やはりサイネムが呪をかけたのだ。 ということは、兵があちこちに居るということなのだろうか。 あの五人の兵も言っていた。 後から来た者は邪魔者扱いにされていると。 そしてどこかに回されているだろうと。
だが、それではいったいどういうことなのだろうか。 森の中にも兵は居たはず。 森の外から入れないということは、森の中の兵も出てこられないということでは無いのだろうか。

「へぇー、これが呪か」

ふと聞こえた声にアナグマが顔を上げた。
いつの間にか仲間たち数人が崖を登り、サイネムのかけた結界に手を触れている。 クロギツネと何人かがそれを冷ややかな目で見ている。

「アナグマ、兵、どうする?」

「あ? ああ、顔は見られてないし、わしらを山の民とも気付いていないだろう。 あっちの木に括っておこう」

山の民と気付かれないように上半身の服を脱いでいた。 そしてその服で顔を隠していた。 まるでボロ頭巾でも被っているように見せかけて。
呪のことを自分が考えても何かが分かるわけではない。 森の民の呪に口を出すことも、疑問を投げかけることも必要のないこと。
ただ上手くブブの儀式が進んでくれればそれでいい。

アナグマが一人を肩に抱えるのを見たクロギツネが声をかける。 クロギツネ一人では気を失っている兵を抱えることなんて出来ない。

「おい、いつまでやってんだ、兵を括りに行くぞ」


ヤマネコの目の先を見ると、どこからか白銀色に光る細長いものが幾本も幾本も揺蕩(たゆた)ってきていた。

「黙ってな」

見ている間にそれらは次々と現れてくる。 細長いもの自身光り輝く美しさだというのに、雲の合間から刺す陽の光と共に霧雨の粒をまとい一層と輝いて見える。
最初に現れた数本がブブの身体に乗せている葉に触れる。 最初は探るようにしていたが、しだいにブブを慈しむように葉ごと包んでいき、ブブを包みこんだまま端を少し上に上げると、次々と他の光り輝くものが同じようにブブの身体を葉ごと赤子のように包んでいき、そして端を更に上に上げる。 徐々にブブの身体が葉ごと上がっていく。

ブブの身体の下や上にあった葉がそれに呼応するように、葉自身も緑に光り輝いてきた。
細長く光り輝くもの、それはブブとポポの母であるピアンサの長い髪の毛が、生あるように動いているのであった。 大切に大切に傷つけないように、そして包み込んだブブの身体はさらに上へとあがっていく。

お頭たちが顔を上げそのあとを追う。

ピアンサの髪の毛の一本がブブを包み込んだまま、立ち枯れをした木の幹に手を伸ばすように絡みつき、ブブの身体を・・・、いや、今はもうブブの顔も身体も葉も見えない。 光り輝く長い楕円形にしか見えない。 それを木の幹に添わすようにつけると、身体を巻いていた他の髪の毛も次々と伸び、木の幹にその手を伸ばす。
するとどういうことだろうか、幹に安定して付くとブブを包んでいたピアンサの髪の毛と、緑に光り輝いていた葉がその緑の色を消し、いや、白い輝きが凌駕し、お頭たちが咄嗟に目を閉じるほど更に光輝いた。

手で目の周りを覆ったお頭たちが、そろりそろりと手を下げ目を開けると、同じ光を輝かせていた。
静謐(せいひつ)、清明であり、それなのに無垢さえ感じる。

たとえようのない美しさにお頭の頭がぼうっとなりかけた時、周りが違って見えることに気付いた。
霧雨はまだ降っている。 霧雨が幻想的に見せているのだろうか、それとも枯れた木も草すらない地さえも輝いて見えるのは真実なのだろうか。 足が浮くような気がしてまるで夢幻(むげん)の中にいるようである。

と、辺りの色が変わってきた。
茜色。

目先を山の方に変えると、陽が山の向こうに沈んでいっている。
視線を戻して辺りを見ると、ついさっき夢幻の中にいるようだと思ったところなのに、茜色に輝いている風景はまた違う夢幻を見ているようであった。

ブブの元に目を戻し、茜色に染まり光り輝くものをまぶしそうに見る。 だがそれは優しい輝き。

しばらくするとお頭が大きく息を吐いた。
まだブブを包んでいるそれは光り輝いている。 そしてびくとも動かない。

いったいどれくらいの時が過ぎていたのだろう。 陽の落ちる目印となっていた山を見ようとすると、もう山の向こうには陽の欠片もなく山の影すら見えない。 すでに辺りにはどこにも陽の光が見えなくなっていた。 上空を見渡すと暗く薄い雲の合間に月が上がっているのが見えるだけであった。


兵を括りに行き戻って来た群れの全員が立ちすくみ呆然としていた。
森の中から光り輝くものが見えたからであった。 それは生まれて初めて見る美しさだった。

ふと我に戻ったアナグマが辺りを見回した。 いつの間にかもう周りは暗くなっている。 どこかに兵が隠れていてもそれを見つけることなど出来ない。 あの呪の為に森の中に入れない兵が、いつここに入れるところが無いかと探しにくるかもしれない。

「おい、兵が来るかもしれない。 穴に入る入り口を掘った土と岩で塞ぐぞ」

アナグマの声に、あまりに美しすぎる光に半ば呆然自失となりかけていた仲間が我を取り戻した。


「どういうことだ!」

「どうして森に入れない!」

陽は山の向こうに落ち、もう月が上がってきている、火を入れなくてはいけないのに、森に入ることすら出来ない。

「呪師は!?」

ようやっと兵が呪師を探し出した時には、どこにも呪師を見つけることが出来なかった。

「まわれ! 森の周りをまわれ! どこからか入ることが出来るはずだ!」



コトリと杯を置いた。
その顔の眉間に皺が入っている。

『我が姫、悪いね、二人で眺めを楽しもうって言ってたのに』

食事がほぼ終わりかけていた時に、州王の従者がやって来て耳打ちをした。

『何か急なことがあったみたいなんだ』

食卓用リネンで口を拭くと、いつものようにセイナカルが垂らしている髪の毛を上げ、そこへ口付け部屋を出て行った。
州王がここに居ようが居まいが、そんなことはどうでもいい。
そろそろ火が上がってきてもいい刻限になっている。 それなのにまだ篝火程度さえも見えない。

今日のことをジャジャムは知っている。 だから朝早くからずっと城を出たり入ったり忙しくしていた。 ここに来る前に呪師のところに寄ろうとしたが、いつセイナカルから呼ばれるか分からない。
セイナカルに呼び出される前に部屋の中の扉の前で待機していた。 出て行く州王に頭を下げ見送った。

「ジャジャム」

小さな声だった。 だが聞き逃すことなくすぐにバルコニーへ向かう。

「ここに」

「どういうことだ」

ジャジャムが顔を上げると、その先に見えるはずであろう森に煌々と炎が上がっているはずが火の欠片すら見えない。
見えるのは月明かりに照らされる山影だけ。
ジャジャムの眉が動いた。

「あの森に兵が集まったと報告は受けております」

「それが?」

一人であろうと百人であろうと千人であろうと、どれだけ集まっていようが、ようは炎が上がるかどうかである。

「すぐに確認して参ります」

セイナカルからの返事はなかった。 踵を返し扉を出て行く。

「火を起こすことすら出来んのか」

憎々しげに言うと、杯にあるワインを一気に飲み干し目を細め考えた。