辰刻の雫 ~蒼い月~  第180回

大福りす
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第180回



身体の汗を拭き着替えが終わった。 だからと言って汗が止まったわけではない。 これから何度もこの繰り返しをしなければいけない。
マツリが紫揺の身体を支え座らせると、口に湯呑をあてる。

「紫、ゆっくりでよい」

マツリが紫揺に白湯を飲ませている。 その姿を見られることが嬉しい。 いや、紫揺の身体は案じている。 だがこの二人が寄り添っている姿を見られることが・・・。

「マツリ様はほんに紫さまをご心配されて・・・」

「ええ、マツリ様がどれほど紫さまのことを想っておられるか」

「これで紫さまがマツリ様に心を許されるといいのだけれど」

「さっき・・・うるさいって仰ってらしたわよね・・・」

「それは・・・気を許されているから? ・・・かしら?」

「拳でマツリ様の頬を・・・あれはどうなったのかしら?」

「分かりませんわね。 でも紫さまがマツリ様に逢いに来られたのでしょう?」

「ややこしいですわね・・・。 シキ様も何も仰らないし」

あれやこれやブツブツと四人の言っていることが、決して大きな声ではないがしっかりとマツリの耳に入ってくる。

(母上と姉上にさっさと話した方が良さそうか・・・)

「ねぇ、リツソ様はどうしていらっしゃるの?」

「そう言えば・・・あの騒ぎの中ではお見掛けしなかったわ」

「あのリツソ様が?」

問題事大好きなリツソが?

「師から逃げられていたのかしら。 隠れていらっしゃって出てこられなくなられたとか?」

どこかに挟まってしまったとか?

(有り得るな。 それにしても・・・。 リツソにも言わんといかんか)

マツリより先に紫揺に心を寄せたのはリツソだ。 言ってみればマツリが横恋慕をしたことになる。

(面倒臭い・・・)

澪引とシキに言う時にリツソにも同席させよう。 そうすれば一度で済むし、リツソが何か言おうとすれば澪引とシキが止めてくれるだろう。

「よし、よく飲んだ」

根気よく紫揺に湯呑一杯分の白湯を飲ませた。
まだまだ顔を真っ赤にしている。 吐く息が熱い。


武官に連れられて来た女が横たわる高妃の寝台横に膝をついた。

「高妃様・・・」

火傷を負った右手には晒が巻かれている。

「こ、このお傷は?」

「宮で大層暴れてくれた、止めるに致し方なかった。 安心をしろ、医者には診せた」

四方に代わって付いていた武官が答えると、声に気付いたのか、高妃が薄っすらと目を開けた。

「高妃様」

「み、や」

愛らしい朱唇から声が漏れる。

「ええ、ええ、宮に御座います。 もう何も・・・なにも、ご心配なさらず・・・」

「ちか、ら。 見、せる?」

「・・・その必要はもう、御座いません。 もう・・・何もかも、終わりました」

「おそ、ら」

「おそら? お空、で御座いますか?」

「見た」

「そうで御座いましたか。 どうで御座いましたか?」

「大、きい」

「ええ、ええ、とても。 見られてよう御座いました」

その後、女が言うには、高妃の声はつい先日初めて聞いたということだった。 女は高妃が生まれた時から付いていたが、半地下の部屋の中でずっと暮らし、何不自由させていなかったという。 ただ、高妃が空を見たかったのだということを、初めて知ったという。

高妃が捕まる前にある程度のことは聞いていた。
高妃が四の歳になった頃、五色の力を見せたと。 だがいつも目は虚ろだった。 言えば意味が分かるようであった。 力を維持させるために時折、呉甚が力を使わせていた。
自分から動くことは無かったが、家から居なくなる前、初めて一人で部屋から出たことがあり、呉甚が部屋に鍵をかけるようにと言ったが、高妃が鍵をかける音を嫌がり、部屋から出ない約束をしたが、次には家から居なくなってしまった。
何が切っ掛けでそうなったかは分からない、そう言っていた。

高妃の情報は薄かった。 だが何の不自由なくとも、幸せな生活をしていなかったことは分かる。 感情というものを持ち合わせなかったのだから。 呉甚たちの野望に付き合わされた被害者であろう。

深夜近くにもなると紫揺の熱が徐々に下がってきた。 かなり体力を消耗したようで、一回り小さく見えるような気がする。

「これ以上小さくなってどうする・・・」

“最高か” と “庭の世話か” が、紫揺の汗を拭き着替えをさせる以外は、マツリがずっと付いて紫揺の額の手拭いを変えたり、顔を触ったり頭を撫でたりしていた。
時折「うざ・・・」と聞こえる紫揺の声。 東の領土の言葉なのだろうか、なんと言っているのだろうかと、四人が首を捻ることもあった。

「これからはそんなに汗も出んだろう。 苦労をかけた、休むがよい」

「・・・マツリ様は?」

「一晩くらい何ということは無い」

「六都から戻って来られたお疲れも御座いましょう」

「ええ、そうですわ。 わたくしたちにお任せくださいま・・・」

丹和歌が世和歌の脇腹を肘でつついた。

「それではお願い致します。 姉さん、彩楓も紅香も、ここはマツリ様にお願い致しましょう」

丹和歌がさっと立ち上がる。
丹和歌の言いたいことが分かった。 彩楓と紅香も丹和歌に続いて立ち上がる。

「ほら、世和歌も。 行きましょう」

「え・・・でも」

「お早くお立ちなさいな」

彩楓に促され立ち上がると、サッと四人が部屋から居なくなった。 部屋を出ると回廊に四方の従者が座している。

「お熱が下がってこられました。 あとはマツリ様がみられるとのことで御座います」

「承知した」

そそくさとその場をあとにすると、世和歌が口を開く。

「いいの? マツリ様もお疲れだというのに」

「姉さん・・・」

丹和歌が大きなため息をつく。

「あら、世和歌はまだ男の方を知らないの? あれほど言ったのに」

「・・・え?」

「今頃、マツリ様は口付けをされているかもしれないわぁ」

両手を握りしめ、胸の辺りに持ってくる。

「え!?」

「ええ、あんなに紫さまを大切にされて」

何故か、己の身体を抱きしめている。

「ずっと触れて・・・撫でていらしたものね」

両手で頬を覆う。

「私たちが居ればお邪魔だってことよ」

握り締めていた両手を離すと、しなるように世和歌の肩に身体を寄せる。

「で、でも! 紫さまはまだマツリ様のことを―――」

「だから紫さまが寝ていらしている時が、でしょ? 姉さん、分かって無さ過ぎよ。 だからお付き合いをしなくっちゃって、何度も言ったでしょ?」

夜の闇の中で光石に照らされた四人の女官たち。 妄想は限りなく続くのであった。

翌日の昼前にはまだ少しふらつくものの、自力で体を起こせるようになった。 その時には宮のことを聞いて既にシキが宮にやって来ていた。
厨で紫揺用に柔らかな食を作らせ、マツリの指示で椅子に座るのではなく座卓で食べさせるようにした。 両横と後ろに紅香と “庭の世話か” が座り、万が一に控えている。 そして斜め前に彩楓が座り、紫揺に身体の様子を訊いている。

「如何で御座いますか?」

「まだちょっとふらつくみたいですけど・・・大丈夫、と思います」

紫揺の返事を聞いて紅香がそっと紫揺に匙を持たせる。

「急がずお食べ下さいませ」

「あの、マツリから聞きました。 またご迷惑をかけちゃったみたいで。 すみません」

「まぁ! そのような事は御座いません」

他の三人が何度も頷く。

「わたくしたちは紫さまのお傍に居させていただくだけで嬉しいのですから。 お熱がお下がりしてよう御座いました。 さ、何もお気にせずお食べ下さい」

紅香がそっと紫揺に手を添えて匙を動かすように促す。
目の前に置かれた料理に匙を動かしながら、気になっていたことを口にする。

「昨日のこと、見てました?」

「はい」

「女の子・・・えっと、私とバトル・・・向かい合ってた女人? どうなったか聞いていますか?」

「手の火傷は軽いものだと聞きました。 目は覚めたようですが、あとの事は・・・」

「やっぱり火傷しちゃったか・・・」

最初に比べると徐々に閃光の力が弱まってきたように思えたが、やはり火傷をしたのか。

「痛いだろうな・・・」

「紫さまがお考えになることでは御座いません」

「ええ、あの時紫さまが止めて下さらなかったら、四方様がどうなられていたか分かりませんもの」

「・・・倒れていた門番さん達はどうなりました?」

門番だけではない。 下足番や下働きの者たちも倒れていた。

「目が覚めた者もいるそうですが、まだ覚めていない者もいると朝には聞きましたが、いまはどうか」

(目が覚めないって・・・あの子、いったいどの力を使ったんだろうか・・・)

「食べ終わったら、門番さん達の様子を見に行くことが出来そうですか?」

「・・・まだ紫さまご自身が」

まともに歩けないだろう。

言われてみればそうだ。 まだ頭がすっきりはっきりとはしていないし身体もだるい。 こんな状態で紫の力を使ってしまえばまた倒れるかもしれない。

「そう・・・ですね」

「ええ、今は紫さまのお身体をお考え下さいま―――」

バンと音をたてて襖が開いた。 何事かと全員が衝立の向こうに目をやると、リツソが衝立の横から現れた。

「シユラ!!」

一度止まって紫揺の名を呼ぶと突進してきた。 が、彩楓が素早く立ち上がり身を挺してリツソを止めた。

「リツソ様、紫さまはお身体が十分では御座いません」

紅香と “庭の世話か” が、チッと舌打ちをしたいのを我慢している。

「わ、分かっておる!」

昨日の騒ぎは知っている。 あの時はそこに紫揺が居たなどとは知らなかったが。
師から逃げている時、塗籠に逃げ込んだ。 塗籠に逃げ込むのは何度目かだ。 男が塗籠などを気にするはずがないのに何度か師に見つかっている。 だから置いてあった箪笥と箪笥の間に入り込んで・・・動けなくなった、抜けられなくなった。
すぐに騒ぎが起きたが、騒ぎの最中(さなか)のこと、大声を出して助けを呼んでも誰も助けに来てはくれなかった。
声も枯れ果てようとしたときに、偶然、塗籠の裏を通っていた下男が気付き、それを聞いた四方の従者に助けられた。

窓のない塗籠の中は真っ暗、塗籠の中だけではなく、もう外も暗闇になっていただろう。 何度呼んでも誰も来ない。 とうとう怖くなった。 
下男が「塗籠から掠れた声で、こ~わ~い~、こ~わ~い~と、物の怪の声がする」と四方の従者に言ってきたのはリツソには秘密である。

リツソが紫揺の正面にペタンと座る。 座高が紫揺とそんなに変わらなくなっている。

「久しぶりね。 背が伸びたのね」

それにふっくらとしていた頬が少し取れているようにも見える。

「・・・」

「どうしたの? あ、カルネラちゃんは?」

「・・・兄上に、呼ばれた。 だから・・・カルネラは木に逃げた」

それで別行動になったのか。 相変わらずカルネラがマツリを逃げるということは、リツソも同じようなものなのだろう。

「マツリがリツソ君を呼んだの?」

コクリとリツソが首肯する。

「紫さま、冷めてしまいます。 冷めたものはお身体に宜しく御座いません。 お手を動かして下さいませ」

「あ、はい」

厨の者が特別に作ってくれたのだ、有難く頂かなければ。

「どうしてマツリがリツソ君を呼んだのかな?」

匙を動かし口に入れる。 柔らかく作られている、咀嚼を必要以上にすることもない。
リツソが黙っている。 その間に何度か匙から口に入れる。

「シユラ・・・」

「ん? なに?」

「あ、兄上と・・・」

兄上と? マツリ様と? どういうことだ、リツソは何を言おうとしているのか。
“最高か” と “庭の世話か” の目が光る。 紅香が彩楓に頷いてみせる。

「リツソ様? 如何なされました。 マツリ様が何か仰いましたか?」

彩楓を見ることもなくジッと紫揺を見ているリツソ。

「リツソ君? どうしたの?」

「・・・」

「マツリが何か言った? リツソ君に酷いことを言った?」

「・・・言った。 兄上は・・・」

何度か口を開け閉めしたが、とうとうリツソの口が閉ざされた。

「なに? 何を言ったの? 酷いことを言ったのなら―――」

「兄上の奥になるのか!?」

「へ?」

「シ! シユラは兄上の奥になると、兄上にそう言ったのか!?」

「あー・・・。 うん」

は? どういうことだ? いつ? どんな時に? いや、そうでは無い。 どうして・・・ああ、そうじゃない、拳でマツリを殴り・・・ああ、あれから時は流れている。 あの後、マツリが紫揺に付いていたことを知っている。 あの時だろうか。 いや、そんな風な雰囲気ではなかった。
“最高か” と “庭の世話か” が頭をフルに動かすが心当たりがない。

「む、紫さま! 何時何処でそのようなお話に!?」

見事に一言一句違わない四重奏が紫揺の耳に聞こえた。

「え?」

「わ! 我が訊いておる! 黙れ!」

四人に向かって言うと紫揺に向き直る。

「本当か? シユラは兄上に言ったのか? 兄上の奥になると」

「・・・うん」

“最高か” と “庭の世話か” の目が輝く。
だが・・・誰の菓子でそう思わせたのか。

「どうして? どうして!? 兄上の奥になど! シユラは我の奥になる! そうだろ!?」

「リツソ君・・・」

「今すぐ! 今すぐ兄上の所に一緒に行こう! シユラは我の奥になるのだから。 な、兄上に間違っていたと言おう!」

「リツソ君」

「ほれ、飯などあとで食べれば良い。 一緒に―――」

開け放たれていた襖の向こうから声がした。 その声の主が衝立の後ろから入って来る。

「リツソ」

リツソが声の主に振り向く。 そして相手を睨み据える。

「今の紫は身体が十分ではない。 己が我を通すのではない」

「それは! それは兄上でしょう! シユラがこんな時に・・・こんな時に、嘘を言ってシユラを我から取ろうとしてる!」

「リツソ君・・・そうじゃない」

「シユラ! シユラは兄上に騙されてるだけだ! 我と、シユラは我と一緒にずっといるんだ! シユラの伴侶は我だけだ!」

シユラが首を振る。

「リツソ君、ごめん」

「シユラ?」

「マツリに居てもらいたいの」

初めてそんなことを聞いた。 マツリが驚いた顔で紫揺を見る。

(・・・どうしてそれを我に言わん)

マツリが聞いたのは『いつからこんなにマツリのことを好きになってたんだろ』 と言ったこと。 そしてその後に『腹立つ』 と付いていたというのに。
そしてマツリだけではなく “最高か” と “庭の世話か” が大きく目を見開いている。

「シユラ! 目を覚ませ! シユラには我しか居らん!」

マツリに遅れてシキが走ってきた。
昌耶は天祐を見ている。 いつもならシキの従者は昌耶に合わせているため、シキのすぐ後を追えなかったが、今日はちゃんとシキのあとを追えている。

「リツソ、何をしているの!」

そして澪引も千夜に手を引かれて遅れてやってきた。 

「リツソ・・・」

マツリが澪引とシキとリツソに紫揺のことを話した。 リツソが顔色を変えた。 それに気付いた澪引とシキがリツソを説得しようとしていたが、それを振り切ってリツソが走って部屋を出て行った。

「母上・・・姉上。 嘘で御座いましょう?」

「今は紫を静かにしてやってちょうだい? ね?」

「リツソ? さあ、一緒に参りましょう? ゆっくりとお話をいたしましょう、ね?」

澪引がリツソの肩に手を置くとリツソが紫揺を見る。 すがるように、違うと言ってくれというように。