ハラカルラ 第3回

大福りす
ハラカルラ    第3回




部屋の電気は点けっぱなしで、その部屋と玄関との境は硝子戸。 薄明りにはなるが、靴を履くには十分な明かりであったため玄関の電気は点けていなかった。
慣れた位置に手を持っていき玄関の明かりのスイッチを入れ、半畳ほどの三和土に目をやる。 すると見慣れない白色のUSBメモリースティックが落ちているではないか。
拾い上げ目の前にかざすが、誰かのUSBスティックを預かった覚えもなく、やはり見慣れないUSBスティック。 少なくとも自分のものではない。

「雄哉のかなぁ?」

この部屋に遊びに来るのは雄哉くらいなものである。

「にしても、最近は来てないし」

もしUSBスティックを失くしていたのなら、とっくに訊いてきただろう。
内容を見て持ち主が分かるのなら見てみようかとも思うが、見られて困るものなら見られたと知っていい気はしないだろう。

「ま、失くして困ってるんならいつか訊いてくるだろうけど、何でここに落ちてたんだ?」

気付かない間に鞄かポケットにでも入ってしまっていたのだろうか。
USBスティックを手に握りこむと玄関の電気を消し硝子戸を開け、こたつのコンセントをさし、USBスティックをこたつの天板の上に置いて、ダウンジャケットを脱ぐとこたつに足を入れた。 コンビニ袋からお握りと温かい茶の入ったペットボトルを出す。

コンビニ袋がたてるガサガサという音が車内に広がる。
一台の車がスッとアパートの前に停まった。 既に三人が車の中にいたが、そこへ一人の男がやって来て運転席の後ろのドアを開けると乗り込んだ。

「どうだった?」

「見たようだな」

「返事は?」

「逃げられたが、まぁそうだろうよ」

急にあんなことを言われれば、普通の人間なら誰でも逃げ出すだろう。

「言い方の問題じゃなく?」

助手席に座っていた三十過ぎくらいの男がルームミラーを動かしながら、運転席の後ろに座った男の顔をミラー越しに見て言った。
ルームミラーに映っている、さっき水無瀬に声をかけ、おじさんと呼ばれた男が助手席に座る男をミラー越しにじろりと睨む。

「俺はお前より人当たりがいい」

口は上手い方ではない。 言葉の選び方がどうだったのかは、逃げられたのだから上手くはなかったのだろうが。

「さいで」

男がソッポを向くと、運転席から手が伸びてきてルームミラーを調節し直しながら、こちら側の報告をする。

「投げ入れたUSBスティックを見つけたようだ」

おじさんと呼ばれた男が眉を上げる。

「やっとかい」

「あの年齢だ、玄関なんてそう気にしないだろうよ」

「まぁな。 で? よく聞こえるか?」

「ああ、部屋に持って入ったようだ。 今は・・・多分食ってるんだろうな」

少し前まで聞こえていたガサガサという音がしていない。
USBスティックとは、その姿をした盗聴器である。

それは水無瀬が音がしたと、玄関の戸を開けた時に投げ入れたものであった。 勢いをつけてドアを開いたがため、深夜のシンとした空気が鼓膜にひびいて投げ入れられた音に気付かなかった。 いや、殆ど音もなく投げ入れられていた。

投げ入れたのは、アパートの二階の廊下外側にぶら下がりながらのことであって、水無瀬の足元をかすめる様に玄関に吸い込まれていった。
水無瀬は左右しか見なかった。 まさか廊下に人がぶら下がっているなどとは考えもしなかったのだから。

「とにかく、こっちが接触しようとしていることには気付かせた。 あとはこっちに来るかどうかだが・・・」

「脈としてどうだった?」

「そうだな・・・不審がられたのは確かだが・・・。 説得すればどうにかなるか、ならないか。 そんなところだろう」

「興味本位で動く青年じゃないってことか」

ここまで運転席に座る男とおじさんと呼ばれた男だけが話していたが、助手席から声が入ってきた。

「根性もないかもな」

生活を変える根性、そう言いたいのだろう。
水無瀬が大学生だということは調べがついている。 大学三年生で、このままいけば余裕をもって卒業が出来るということも。 だが今すぐにその生活を捨て新たな居住地で生活をするなどと、今までの三年間を棒に振るなどと簡単に出来ることではない。 それこそそれなりの根性がいるだろうが、水無瀬に限らずとも誰もがそんなものを持ち合わせているはずはない。

「根性がなくとも・・・縁、だろう」

「縁? 笑わせる」

助手席の男が鼻で笑ったが、おじさんと呼ばれた男はそれ以上何も言わなかった。

「あ、あの、それでどうします? これから」

隣に座るおじさんと呼ばれた男を見ながら始めて声を発したのは、助手席の後ろに座っていた一番若い男、水無瀬より二、三歳年上だろうか、男と言うより青年である。 この青年がドアにぶつかり音をたてたあと、すぐさま廊下にぶら下がりUSBスティックを投げ入れた。

「そうだな・・・」

「お前の感じた手ごたえ次第で―――」

「勧誘の仕方がかわる」

運転席に座る男が言うのに被せて助手席に座る男が言った。

「勧誘って・・・」

その言葉の裏に隠された意味を知っている青年が思わず小声で言ったが、助手席の男は気にも留めていないようだ。 それとも小声だったが故聞えなかったのか。

「取り敢えずあと何度か接触する。 それで受けてもらえないのならば、その時に考える」

「余裕があるわけじゃない」

「・・・分かってる」

この男、おじさんと呼ばれた男はいわゆる穏健派である。

「誠司も連れて行けばどうだ?」

誠司も穏健派である。 穏健派と言っても派閥が分かれているわけではない。 単なる性格別というところである。

「え・・・」

誠司と呼ばれた助手席の後ろに座る青年が思わず運転席の男を見る。

「この中でお前が一番歳が近い。 あっちも少しは気を許すだろう」

「あ・・・でも・・・俺、そんな上手く言えないし・・・」

穏健派というよりは単に性格的に大人しい口下手という方が合っているかもしれない。
助手席から鼻で笑うような音が聞こえ、続けて投げ捨てるような言い方の声がする。

「強制でいいじゃないか」

「それは最後だ。 じゃ誠司、あと一回俺が接触する。 それでも駄目な時は頼む。 何を言うかは俺が考える。 って、俺も口が上手いわけじゃないけどな」

「あ・・・はい・・・」

「ま、誠司も俺も口派じゃなく肉体派だからな、上手く言えるはずもないだろうが期待してるよ、誠司くん?」

またもや助手席からの声である。 最初は普通の口調だったが、最後の方はどこか蔑(さげす)んだような言い方。
運転席の男が助手席の男を一瞥するとアクセルを踏む。

「これだけよく聞こえるんだから少し離れたところに移動する」

「ああ、そうだな」

水無瀬を狙っているのは自分達だけではない。 今となっては敵となってしまった相手はまだ水無瀬に気づいていないようだが、敵の動きが分からない以上、万が一のことがある。 敵に姿を晒すようなことがあってはならない。
車がゆっくりとアパートの前から姿を消して行った。

「うーん、あと一個買ってくればよかった」

お握り二つでは腹は満たされなかった。

「って、今からまた外に出たくもないし。 寒いし・・・さっきのおじさんがまだ居るかもしれないし」

まるでマイクに向かって話している状態なのだが、そんなこととは露知らず独り言が口から突いて出る。

「いったい何なんだよ、分からないことが分かるとか衣食住の保証だとか」

そんなことを言ったのかと、車内の空気が何となく白々しい雰囲気に包まれる。

「まぁ、嘘ではないし事実だな」

場の雰囲気を変えようとしたかったのか、運転席からの声である。
車が児童公園に横付けされる。

「ここら辺りでいいだろう」

盗聴器からの声はまだ十分に聞こえる。

「こっちはあと一年で卒業なんだよ、それにこれから就活に専念したいってのに誰がついて行くかよ。 自衛隊に入りませんか? じゃないだろ。 たとえ自衛隊でも何かの宗教の勧誘でも入らないっつーの」

”勧誘” という言葉に車内では一瞬四人が止まり、次に誰もが吹き出しそうにしている。 いや、一人だけ助手席では声を上げて笑い出した。 笑いながら「あいつ、勧誘されたいみたいだな」 などと言っている。

「そりゃ、特別な何かをやりたいことがあるわけじゃないけど・・・。 それでも」

大学で学んだことを生かしていきたい。 自分にはそれしかないような気がするし、好きだから、興味があったからその学部に入ったのだから。

“それでも” と言った切り音声が流れてこない。

「おいおい、それでもなんなんだよ。 それによっちゃあ、強制勧誘になるだろうが」

強制勧誘、言葉的に受けるイメージより実際はもっと強烈なものになる。

寝ころんだのだろうか、その様な音が流れてきた。

「魚・・・」

車内の四人の目が一瞬にして厳しくなる。

「何だったんだろ。 それに水も・・・。 あ、待てよ」

ガバリと起き上がる。
あの時、コンビニから出てきたとき魚と目が合って、ちょっと振り向いた隙に魚が居なくなっていた。 だからあの時 “どこかに泳いでいった” そう考えた。

「なんであの時そんな風に考えたんだ」

そう考えるのはおかしいことだろう。 目の前に魚が泳いでいて・・・それなのにどうしてそれが当たり前のように、そんな風に考えたのだろうか。

「あ、そう言えば学食でもだったんだ・・・」

学食で目の端に何かが見えた、気がした。 だがそこには食べたり談笑している学生がいただけだった。 なのに “不自然なものはない” と捉えてしまっていた。
目の端に何かが見えたような気がしただけなのに、そこに不自然なものがあるはずだと思ってしまっていたということになる。

「なんで・・・どうしてだ?」

当たり前の風景を見て不自然なものはないと捉えたり、道路に泳ぐ魚がどこかに泳いでいったとか、どうしてそんな風に考えてしまったのだろうか。

「けっ、なんかチューニングの合ってないラジオを聞いてるみたいだな」

要点が掴めない、文章で言うならば全文が分からない。

「ああ。 だが少なくとも見えているからだろう、だから混乱を起こしている」

フロントシートで話されていることを耳にしながら、おじさんと呼ばれた男がヘッドレストに後頭部をあずけ目を瞑る。

(その内に気が触れてくるかもしれないな)

それに猶予がないのも分かっている。 向こうがそろそろ水無瀬に気付いてくる頃かもしれない。


翌朝テレビを見ているとスマホの着信音がどこかで鳴った。

「ん?」

スマホ・・・どこに置いたっけ? 考えるが記憶がない。

「あ・・・」

昨日はボォっとしていてどこにもスマホを持って出なかったのかもしれない。 ということは。
立ち上がり奥の部屋のベッドまで歩いて行くとあった。 やはり枕元に置きっ放しにしていたようだ。

スマホを開くとラインが二件入っている。 その内の一件が今の着信音で、二件供が大学からだった。
最初の一件目は休講を知らせるものだったが、ボォッとしていたから着信音に気付かなかったようで、残念ながら見ていなく昨日大学まで行ってしまっていた。
そして今着信があったのは、代理の教授の元で授業があるという知らせだった。

「おー、よしよし」

これで単位が取れる。

「昼前からだな」

と言ってもそろそろいい時間。

隣の部屋から物音が聞こえてきた。 そこそこの音である。

「そう言えばちょっと前から色んな音が聞こえてきてたっけ」

大きな音ではなく気に留めるほどではなかった。
ピンポーンと、隣の部屋のくぐもったドアチャイムの音が聞こえてきた。 そしてドアを開ける音に続いて会話が聞こえてくる。

「お早うございます。 ワンニャン引っ越しです」

「うっす。 よろしく頼んます」

「ああ、引っ越しするのか」

聞こえていた音は荷物をまとめていた音だったのか。
端部屋になる隣に住んでいたのは、三十を少し越したさえない男だったが、一度話したことがある。 その時に賃貸ではなく分譲を買う金を貯めるために、この安アパートに住んでいると話していた。 ということは戸建てないしマンションの部屋でも買うことが出来たのだろうか。

「言っても広くはないだろうな」

とはいえ分譲である。 羨ましいことだがローンに苦労するだけだろう。 実家がまさにそうであるように。

「まぁ、それもこれも俺の授業料のせいだけど」

だからせめてもと考え、二年になった時に仕送りを断ってバイトに励んでいた。
スマホで時間を確認するとそろそろ家を出なくてはいけない時間になっている。 今日で最後の講義になる。

「USBスティック・・・」

どうしようか、持ち主に訊かれたらすぐに返すことが出来るように大学に持っていこうか。 でなければいちいち取りに帰らなければいけない。 若しくは日を改めて出直さなければいけない。 それも面倒である。 もう今期は大学に行くことは無いのだから。

今は本棚の上に置いてあるUSBスティックをちらりと見るが、この持ち主が大学の誰かとは限らないし、持って出て落としてしまってはそれなりに責任を感じてしまう。

「まっ、いいか」

置いていっても。
ジャケットを羽織りリュックを背に部屋を出ると、引っ越し業者が隣の部屋から荷物を抱えて出てきた。

「お早うございます、お騒がせしてスイマセン」

爽やかな笑顔と共に軽く頭を下げた。

「あ、いえ」

ワンニャン引っ越しと胸元に書かれたつなぎを着ている。 水無瀬を通り過ぎると斜め前に見える鉄筋階段をカンカンという音をたてて降りていったが、背中にはワンワンとニャンニャンの大きな絵が入っていた。 きっと初めて袖を通した時には恥ずかしかっただろう。

それにしても教育がなされている。 水無瀬のバイト先のアイツとはえらい違いである。
もう一人も荷物を抱え出て来て同じように挨拶をしていった。 そしてアパートの前に停められてあった軽ワゴンに積み込んでいる。
一人身は荷物が少ないから軽ワゴンで十分事足りることは身をもって知っている。 特に隣は金を貯めるためにこのアパートに居たのだから、要らないものなどは買っていなかっただろう。

隣に挨拶をしようかどうか束の間逡巡したが、一度しか話したことが無いのだ、必要ないだろうと鍵をかけ鉄筋階段を降りていった。

授業を終え駅を出て憩いの広場を通り過ぎようとしたが、何となくベンチに座ってゆっくりとしたいという思いに駆られた。
四年間で終わらせる授業を三年で終わらせ、その最後の授業を終えたという満足感からなのだろうか、広いところでゆっくりとしたくなったのかもしれない。 寒いけど。

ポケットに手を突っ込んだままベンチに座る。
今日も手袋を忘れた。 急いでもいなかったのに。
結局誰にもUSBスティックのことを訊かれなかった。 持って出なくて正解だったが、いったい誰のものなのだろうか。

「今日あたり中を見てみるか?」

いや、あのUSBスティックがあそこにあったことに気付いてまだ何日も経っていない。 せめて一週間は待った方がいいだろう。 一週間前から玄関にあったとしても。
芝生の広がる広場では小さな子供が遊んでいる。 それを見守るように見ているベビーカーを横に置いてベンチに座っている母親、子供と一緒に小さなボールで遊んでいる母親、家から作ってきたのだろうか、弁当を手にしている親子もいる。

「子供って元気だよなー」

寒いのに外で遊んだり、わざわざ外で弁当を食べたりして。
いつもなら夜のバイトに控えて今ごろは寝ているか、提出のレポートを書いているかだった。 これだけのんびりとしたのはいつぶりだろうか。

「詰め過ぎてたよな」

学生同士の付き合いがなかったわけではない。 誘われればそこそこ行き、そこそこ断っていた。 せっかく大学に通っているのだからキャンパスライフも楽しみ、友達付き合いもしたかったし、それなりに興じたかった。 だが自分から誘うことは無かった。

「よう、兄ちゃん」

後ろから声をかけられた。
振り向こうとした時には隣に座られていた。 それも両隣に。

「あ・・・」

見覚えのある顔。 思わず腰が上がる。

「そう逃げることもないだろう」

肩を抑えられベンチに尻を落とすが、そう強く抑えられたわけではない。

「こないだは急に変なことを言って悪かったな」

どう返事をすればいいんだ。 “いいえ” とは言いたくないし “はい” と言ってしまえば謝罪を受けることになる。 それも言いたくない。

「だけどな、事実なんだよ」

「え?」

おじさんが小さく顔を振る。 水無瀬の反対に座る男・・・青年に合図を送るように。 そしてそれは確かに合図だったようだ。

あと一度このおじさんが水無瀬に接触をし、駄目だった時にこの青年と一緒にと言っていたがフライングとなった。
青年が下を向いたまま話し出す。

「あの・・・俺も見えます」

え? え? 見えますって?

「君一人じゃないから・・・見えるの」

はい? はい?

「だから・・・一緒に居れば、その、心強いって言うか・・・」

「え? あの?」

やっと口から出たのがこれだけ。

「水、見たでしょ・・・?」

ようやく顔を振り水無瀬を見た、が、上目遣い。 水無瀬と同いくらいか、気の弱そうな顔立ちをしているからなのだろうか一つ二つ歳下とも感じられる。

「み、ず・・・?」

あのことを言っているのか?