国津道 第52回
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日向がとんでもない所にボールを投げてきたのだった。
『どこに投げてんだよー!』 と外野にいた祐樹が叫びながらボールを追いかけていくと、植え込みの中に入っていった。 もう二人の外野も遅れて走って来たのに気付いていた。
植え込みの中に入ってボールを探そうとしたら、甲斐がその中でしゃがんでいた。 祐樹が入って来たのに驚いて顔を上げた甲斐のその目が赤くなり涙が零れていた。
後ろから外野二人の足音が近づいて来る。
『こっち』
しゃがんでいた甲斐の腕を取ると、驚いて甲斐が立ち上がった。
『早く』
腕を引っ張り、植え込みの横に建っているトイレの向こうに甲斐を連れて行った。 トイレの横から顔を出して外野二人を見ると、植え込みの周りでボールを探している。 いつこちらに回って来るか分からない。 顔を引っ込めて甲斐を見る。 甲斐は下を向いていた。
『ハンカチは?』
甲斐が首を振る。
おもむろにズボンのポケットに手を入れると、そこから小振りのタオルハンカチを出した。 外に出る時には母親がいつも持たせている、ズボンのポケットに簡単に入るサイズのタオルハンカチである。
『はい、これ使えよ』
甲斐は受け取ろうとはしない。
『あいつら追っ払ってくるからさ』
『え?』
『ボールが見つからないとこっちに来るかもしれないだろ。 ほら、ハンカチ』
おずおずと甲斐の手が上がって祐樹のハンカチを受け取る。
『じゃな』
慰める言葉もなく入って来た方と反対の方に祐樹が走って行った。 少しして祐樹の声が聞こえてきた。
『ボール、見っけー!』
「あの時? それがどうしたんだよ」
「ほら、甲斐」
脇田に言われ、甲斐が斜め掛けにしていたポシェットから可愛い袋を出す。
「・・・ハンカチ。 ありがとう」
可愛い袋の中にはハンカチが入っているのだろう。
「あ、忘れてた」
「・・・それと、あの時ありがとう」
他の男子に泣いている所を見つからないようにしてくれた。
「なんてことないよ」
「良かったね、甲斐、ちゃんと言えて」
甲斐がコクリと頷く。 頬が少し赤い。
そう言えばと祐樹が思い出した。 脇田から甲斐が祐樹のことを好きだと聞いていたのだった。 ややこしいことはご免だ。 このまま帰ろう。
こんなことを浅香が聞けば『なんて勿体無いことするんだよ! 据え膳食わぬは男の恥ってのを知らないのかー!』 などと言うだろう。
「用ってこれだけだろ? じゃな」
「今日、誰かと約束してるの?」
「え? 別に?」
シマッタと思った。 正直に答えてしまった。 日向たちと約束をしているとでも言えばよかった。
「もうちょっとしたら、日向君たちが私の家に来るんだけど、祐樹君も来ない?」
「え? 日向?」
「うん、他に男子は元木君と末永君、女子は甲斐と家庭科クラブの二人」
元木も末永も脇田たちと同じクラスだが、祐樹もよく知っているし、何度も遊んでいる。
それにしても日向と約束があるなどと嘘を言わなくて良かった、と今更にして思った。
「家庭科クラブ?」
「うん、ケーキとマドレーヌを作るの」
「行く!」
簡単に釣られたようだ。
三人で連れ立って歩いている時に、ふと疑問に感じたことを脇田に訊いた。
「甲斐のことを悪く言ってるわけじゃないけど、脇田と甲斐が一緒に居るところを花瀬たちに見つかったら、ややこしくなんないの?」
学校が休みの日に一緒に歩いているところなど見られたら。 それに万が一にも後をつけられでもしたら、そのまま脇田の家に入っていくところを見られてしまう。
だが甲斐と居るのもそうだが、祐樹と居ることの方が大きいだろう。 そこのところには祐樹は気付いていないようだ。
「うーん、虐められるのは嫌だし、いい気はしないけど甲斐も友達だし・・・。 前は虐められるのが嫌で、陽葵ちゃんの目を気にしてたけど、今は気にしないようにしてるの。 祐樹君が庇ってくれたし、それで電話でも話してくれたでしょ? あの後考えたの、陽葵ちゃんもずっと友達だったんだから、いつかは分かってくれるって」
「花瀬に呼び出されたのって、オレのせいだもんな。 クッキー貰ったからだもんな」
「祐樹君のせいじゃないって。 電話でも言ったでしょ? 荷物を持ってくれたお礼に私が勝手に渡したんだから」
「いやそれだって、オレがラーメンのことを教えてほしくて勝手に荷物を持っただけだし」
「気にし過ぎだって。 ねー、甲斐」
「うん、私もそう思う。 それに今日もそうだけど、脇田とか家庭科クラブってお菓子を人に作ってあげるのが好きなんだから、気にしなくていいんじゃないかな」
「そっかな・・・」
「うんそう。 祐樹君が庇ってくれたこともちゃんと先生に言おうと思ってる」
「あ、それは言わない方が良いんじゃないか?」
「どうして? でないと祐樹君が先生に誤解されたままになる」
「それって、脇田が花瀬のことを先生にチクったことになるだけだろ? いつか花瀬が分かってくれるんなら、少なくともあの時のことは先生に言わなくていいよ」
「でも・・・」
「オレの日頃の行いで先生も分かるってさ。 ね、それよりどうして脇田も甲斐も苗字で呼び合ってんの?」
女子はほとんどが下の名前やニックネームで呼び合っている。 名字で呼ぶにしても “さん” を付けている。 それなのに “さん” も付けずに苗字で呼んでいるのは不自然である。
脇田と甲斐が目を合わせた。 何か理由があるようだ。
「甲斐が気を使ってくれたの」
「へ?」
花瀬は脇田の友達であって、甲斐を敵視している存在である。 それなのに脇田と甲斐が下の名前で呼び合ってしまっては、脇田も花瀬に敵視されてしまうからだということだった。 二人が幼稚園からの友達というのを甲斐が知っていての提案だったと言う。
「お互いの家の中で二人だけで会う時以外は苗字で呼び合おうって私が言ったの」
「でも・・・そうだね、もうそんなこと気にしないようにしようよ。 ね、柚葵(ゆずき)ちゃん、誰が居てもちゃんと呼び合おう?」
甲斐が小さく頷く。
「凜(りん)ちゃん・・・ごめんね、花瀬さんのことに巻き込んじゃって」
「陽葵ちゃんが勝手に柚葵ちゃんのことを敵視してるだけだから」
「ふーん、甲斐ってゆずきって名前なんだ」
脇田の名前は知っていた。 一年、二年の時に同じクラスだったのだから。
「うん、柚の葵って書くの」
「へぇー、変わった読み方・・・って、あれ? たしか花瀬って陽の葵って書かなかったっけ? それでひまりって読まなかったっけ?」
三年、四年と同じクラスだった。 知っている。
「うん、そう。 読み方は違うけど、せっかく同じ漢字の名前なんだから、仲良くしてほしいんだけど」
そこに後ろから日向の声が聞こえてきた。
「うおぉー! 祐樹ー! 祐樹もかぁー!?」
そう言えば祐樹もそうだが、日向は脇田と甲斐とクラスが違う。 祐樹と同じクラスである。 元木と末永は脇田たちと同じクラスだから誘われたのは分かるが、どうして日向が誘われたのだろうか。
走って来た日向がガシッと祐樹の首に腕を回してきた。
「祐樹も家庭科クラブが話してるのを聞いたのか?」
そういうことか。
浅香と詩甫が大婆の部屋に並んで座っている。 正面には長治、浅香の横に詩甫と反対の斜め右手に大婆が肘かけの付いている低めの椅子に座っている。
ちゃぶ台に湯気を上げた湯呑が置かれてある。 前に来た時と全く同じであった。
「本当に偶然だったんですけど、こちらでお話を聞かせて頂いたのは貴重なことで、彼女、野崎さんの会社の方で神職の資格を持っていらっしゃる方がいらして、ご実家が神社だそうなんです」
「神社?」
「ええ、ご実家のことも神職の資格を持っていることも野崎さんは知っていらして、それで紅葉姫社と気付かれないように、その方に訊いたそうなんです」
大婆と長治が詩甫を見ると詩甫が頷いてみせる。 話すことは浅香に任せている。
その浅香は願弦の立てた話を話していった。
詩甫が願弦に神が宿っていない社があるのだけれど、その社は昔の人がある姫様を想って建てた社だと言った。 実際、こんな話になる前に詩甫は願弦にそう言っていた。
詩甫の話に願弦がすぐに首を左右に振った。 ある人を想い、その人の社を建てるということは、その人々がその人のことを想って建てたということ。 それで充分神だ。 天津神(あまつかみ)でもなく国津神(くにつかみ)でもない。 だがそれがなんだ、人々が想い祀ればそれが社であり、そこに坐(ましま)すのはその人々にとっての神である。
「どういうことだ?」
長治が言った。
そうだろう、願弦に言われた時に浅香もそう思った。
その疑問に願弦は言った。
生きていた人を冤罪にした。 その怨霊を恐れた時の人々はその人を神として祀り天満宮を建立した。 他にも浦島太郎伝説の舞台となった神社もあれば、時の姫を想い祀った神社もある。
元より、日本の神々は八百万(やおよろず)の神々である。 八百万とは八百万(はっぴゃくまん)の神々という意味ではなく、限りなく多いという意味。 葉の一枚から自然現象に至るまで神が坐(おわ)す。
「そこに姫様、朱葉姫が坐(ま)しまして居られるのなら、朱葉姫は神でありそこは立派な社であると。 経験が豊富ではないが、その方が祝詞を献上に来てもいいと」
長治が首を振る。
「せっかくそう言ってくれて有難いが、万が一にも村以外の人に何かあっては申し訳が立たん」
「そうなんです、そこなんです」
何のことだという顔を長治が向ける。
「野崎さんからその時その方が気になることを仰ったと聞いて、後日僕も同席させてもらったんです」
すると願弦はこんなことを言ったという。
平安時代のいつ頃だったか、ある村の話なんだがと話は始まったと言う。
その村には姫が居て村人に大層親しまれていたという。 だが残念ながら姫は短命であった。 村人が嘆き悲しみ姫を想い社を建てた。
長治の下瞼が僅かに震え、大婆の指先がピクリと動いた。
「だからそこも姫の神が坐す社だと言われたということでした。 ここまでが野崎さんが聞いてきたことです。 ここから先は僕が同席して聞いたことです」
だが残念なことにその社には今は人が近づいていない、村の昔語りに踊らされているからだと。
「昔語りに踊らされている?」
大婆が言うと長治も続いて言う。
「どういうことだ! 昔語りが間違っているとでもいうのか! そんな筈があるまい!」
カタンと襖の向こうで音がした。
すぐに長治が立ち上がり、詩甫たちの背中の後ろにある襖を勢いよく開けた。
わっ! っという声のあと、ドンという音がした。
浅香と詩甫が振り返って見てみると、そこに尻もちを着いた少年がいた。
「三太、盗み聞きか」
「あ・・・ごめんなさい」
「あっちへ行ってろ」
「あ、うん・・・」
後ろに付いていた手を前に持ってくると長治越しにチラリと浅香を見た。
「ん? なに?」
「お兄さん、その話ってこの村の昔語りじゃないんでしょ?」
三太が言ったことで大婆と長治が気付いた。 そうだった、浅香は一言もこの村の昔語りとは言っていなかったのだった。
「うん、この村のことだなんて、まだ一言も言ってないよ」
まだ一言も? まだ? そこが気になるところだが、今の段階では長治が早合点して怒鳴ったというだけのことになる。
「いいからあっちへ行ってろ」
うん、と言うと立ち上がり廊下を走って行く。
襖を閉め、席に戻った長治。
「怒鳴ったりして悪かった」
「いいえ」
「続けてくれ」
長治か大婆が怒るかもしれないということは計算の中に入っていた。 怯むことではない。 それどころかわざと怒ることを誘う話し方をしたのだから。 一度怒りをあらわにすれば、あとは少々のことがあっても我慢をして聞くだろうから。
「昔語りが間違っていたのではなく、昔語りが操作されていたということです」
「操作? どういうことだ」
浅香がおや? っと思った。
(なんだろうか・・・)
何か不自然なものを感じたが、長治の様子に変わったところは見えない。 気のせいだったのだろうか。
「先ほどの浦島太郎の話ではないですが・・・」
一つの例として浦島太郎の話をしだすと長治が眉をしかめた。
そんな話などは聞いたことがなかったからだ。 物語とは単なる子供の絵本くらいにしか思っていなかった。 それが一説とは言え、神仙思想が隠されていたとは。
「昔語りに戻ります。 他の村の昔語りにも当てはまることですが、例えば、この村の昔語りを聞かせて頂きましたが、その昔語りに限って言えば花生って人が呪者に頼んで朱葉姫を呪い殺したとか、亡くなったあとの事を呪者に頼んだとか、聞かせて頂いた話からするとその話は呪者から聞いた話ですよね?」
「え・・・?」
「呪者以外からは聞いていないですよね? 僕の覚え間違いでなければですが」
大婆と長治が目を合わせる。
「あくまでも例えばの話です。 その方は決して紅葉姫社とは言っておられません」
わざと言った。 浦島太郎の話から花生の話に、そして話の原点である願弦の話しに。 例えばこの村の話であれば、という意味を含ませるように。 そしてこの村の例え話ではなく、浦島太郎の話に戻って良いという意味も含めて。
だがきっと浦島太郎の話しには戻らないだろうと浅香は踏んでいる。
「呪者が・・・嘘をついていたと?」
やはり村のことが気になるようだ。 例えばの話を進めるようだ。
「いつの世も、嘘をつくことで報酬を受け取ることが出来なくもないです」
この本家の先祖はあらゆるものを呪者に渡した。
「だがっ、花生は自分から朱葉姫の悪口を言っていた。 それは間違いなく花生の口か・・・」
そこまで言って話の筋はこの村のことではなかったのだったと気付き、長治が口を止める。
「いや、何でもない。 続けてくれ」
「はい。 まぁ、この村の昔語りでいうと、呪者によって話しが操作、操られていたかもしれないということですかね」
花生の話から当時の花生の両親は違うと言っていた、それを信じなかった当時のこの村の者たちの間違った思い込みというのが正解だが、そんなことを言っては逆撫でもいいところだろう。
一度怒らせておいたと言っても、穏やかに話せなくなるかもしれない。
「僕が色々と質問をしていると、ある面白い話があるときかせてくれました」
人の道を修正するに、一つにあるやり方がある。
修正しなければならないということは、修正されなくてはならない道を辿っているのだ。 正面から言ったとしても聞く耳を持たないか、悪ければ居直るかもしれない。
その為には同じことをその人にしてみせる、言ってみせる、聞かせてみせる。 それで自分のやっていることに気が付いて道を修正すればいいのだが、最初から修正しなければいけない道を辿っていると分かっていて敢えてそうしている場合にはそんなことでは効かない。 ましてや陰に隠れてしている場合には。
だから陰で同じことをして、言って、他の者の口から聞かせる。 お前のしていることは分かっているのだと知らせるために。
相手が勢いのよいものなら失敗に終わるだろう、それだけで終わるならまだしも反論を受けるかもしれないし切り返されるかもしれない、夜道に注意の世界になるかもしれない。 だが今ここではそんな話は置いておく。
「花生っていう人はこの方法を取ったとは思えませんか?」
これは実際に花生がそういう思いから親族に話していたと聞いていた話だ。 願弦は花生のことを分かってもらうために、少しでも花生の想いを伝えるため、汚名を晴らす為にこの話しを使おうと言った。
今はこの村の昔語りをしているのではないという前提で話し始めていた。 だが花生の名を出したことで完全にこの村のことを話していると大婆も長治も分かっているはずだ。
反論してくるだろうか。 浅香が危ぶんだが、そうであってもまだ話の持って行きようは考えている。
だが大婆にも長治にもそんな様子は見受けられなかった。
「大婆・・・」
長治に目を向けられ、正面を見て話を聞いていた大婆がゆっくりと顔を動かし浅香を見る。
「大蛇は・・・花生ではないと言っとるのか?」
やはりこの村のことが気になのだろう。 このまま話を進めていくことを受け入れたようだ。
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日向がとんでもない所にボールを投げてきたのだった。
『どこに投げてんだよー!』 と外野にいた祐樹が叫びながらボールを追いかけていくと、植え込みの中に入っていった。 もう二人の外野も遅れて走って来たのに気付いていた。
植え込みの中に入ってボールを探そうとしたら、甲斐がその中でしゃがんでいた。 祐樹が入って来たのに驚いて顔を上げた甲斐のその目が赤くなり涙が零れていた。
後ろから外野二人の足音が近づいて来る。
『こっち』
しゃがんでいた甲斐の腕を取ると、驚いて甲斐が立ち上がった。
『早く』
腕を引っ張り、植え込みの横に建っているトイレの向こうに甲斐を連れて行った。 トイレの横から顔を出して外野二人を見ると、植え込みの周りでボールを探している。 いつこちらに回って来るか分からない。 顔を引っ込めて甲斐を見る。 甲斐は下を向いていた。
『ハンカチは?』
甲斐が首を振る。
おもむろにズボンのポケットに手を入れると、そこから小振りのタオルハンカチを出した。 外に出る時には母親がいつも持たせている、ズボンのポケットに簡単に入るサイズのタオルハンカチである。
『はい、これ使えよ』
甲斐は受け取ろうとはしない。
『あいつら追っ払ってくるからさ』
『え?』
『ボールが見つからないとこっちに来るかもしれないだろ。 ほら、ハンカチ』
おずおずと甲斐の手が上がって祐樹のハンカチを受け取る。
『じゃな』
慰める言葉もなく入って来た方と反対の方に祐樹が走って行った。 少しして祐樹の声が聞こえてきた。
『ボール、見っけー!』
「あの時? それがどうしたんだよ」
「ほら、甲斐」
脇田に言われ、甲斐が斜め掛けにしていたポシェットから可愛い袋を出す。
「・・・ハンカチ。 ありがとう」
可愛い袋の中にはハンカチが入っているのだろう。
「あ、忘れてた」
「・・・それと、あの時ありがとう」
他の男子に泣いている所を見つからないようにしてくれた。
「なんてことないよ」
「良かったね、甲斐、ちゃんと言えて」
甲斐がコクリと頷く。 頬が少し赤い。
そう言えばと祐樹が思い出した。 脇田から甲斐が祐樹のことを好きだと聞いていたのだった。 ややこしいことはご免だ。 このまま帰ろう。
こんなことを浅香が聞けば『なんて勿体無いことするんだよ! 据え膳食わぬは男の恥ってのを知らないのかー!』 などと言うだろう。
「用ってこれだけだろ? じゃな」
「今日、誰かと約束してるの?」
「え? 別に?」
シマッタと思った。 正直に答えてしまった。 日向たちと約束をしているとでも言えばよかった。
「もうちょっとしたら、日向君たちが私の家に来るんだけど、祐樹君も来ない?」
「え? 日向?」
「うん、他に男子は元木君と末永君、女子は甲斐と家庭科クラブの二人」
元木も末永も脇田たちと同じクラスだが、祐樹もよく知っているし、何度も遊んでいる。
それにしても日向と約束があるなどと嘘を言わなくて良かった、と今更にして思った。
「家庭科クラブ?」
「うん、ケーキとマドレーヌを作るの」
「行く!」
簡単に釣られたようだ。
三人で連れ立って歩いている時に、ふと疑問に感じたことを脇田に訊いた。
「甲斐のことを悪く言ってるわけじゃないけど、脇田と甲斐が一緒に居るところを花瀬たちに見つかったら、ややこしくなんないの?」
学校が休みの日に一緒に歩いているところなど見られたら。 それに万が一にも後をつけられでもしたら、そのまま脇田の家に入っていくところを見られてしまう。
だが甲斐と居るのもそうだが、祐樹と居ることの方が大きいだろう。 そこのところには祐樹は気付いていないようだ。
「うーん、虐められるのは嫌だし、いい気はしないけど甲斐も友達だし・・・。 前は虐められるのが嫌で、陽葵ちゃんの目を気にしてたけど、今は気にしないようにしてるの。 祐樹君が庇ってくれたし、それで電話でも話してくれたでしょ? あの後考えたの、陽葵ちゃんもずっと友達だったんだから、いつかは分かってくれるって」
「花瀬に呼び出されたのって、オレのせいだもんな。 クッキー貰ったからだもんな」
「祐樹君のせいじゃないって。 電話でも言ったでしょ? 荷物を持ってくれたお礼に私が勝手に渡したんだから」
「いやそれだって、オレがラーメンのことを教えてほしくて勝手に荷物を持っただけだし」
「気にし過ぎだって。 ねー、甲斐」
「うん、私もそう思う。 それに今日もそうだけど、脇田とか家庭科クラブってお菓子を人に作ってあげるのが好きなんだから、気にしなくていいんじゃないかな」
「そっかな・・・」
「うんそう。 祐樹君が庇ってくれたこともちゃんと先生に言おうと思ってる」
「あ、それは言わない方が良いんじゃないか?」
「どうして? でないと祐樹君が先生に誤解されたままになる」
「それって、脇田が花瀬のことを先生にチクったことになるだけだろ? いつか花瀬が分かってくれるんなら、少なくともあの時のことは先生に言わなくていいよ」
「でも・・・」
「オレの日頃の行いで先生も分かるってさ。 ね、それよりどうして脇田も甲斐も苗字で呼び合ってんの?」
女子はほとんどが下の名前やニックネームで呼び合っている。 名字で呼ぶにしても “さん” を付けている。 それなのに “さん” も付けずに苗字で呼んでいるのは不自然である。
脇田と甲斐が目を合わせた。 何か理由があるようだ。
「甲斐が気を使ってくれたの」
「へ?」
花瀬は脇田の友達であって、甲斐を敵視している存在である。 それなのに脇田と甲斐が下の名前で呼び合ってしまっては、脇田も花瀬に敵視されてしまうからだということだった。 二人が幼稚園からの友達というのを甲斐が知っていての提案だったと言う。
「お互いの家の中で二人だけで会う時以外は苗字で呼び合おうって私が言ったの」
「でも・・・そうだね、もうそんなこと気にしないようにしようよ。 ね、柚葵(ゆずき)ちゃん、誰が居てもちゃんと呼び合おう?」
甲斐が小さく頷く。
「凜(りん)ちゃん・・・ごめんね、花瀬さんのことに巻き込んじゃって」
「陽葵ちゃんが勝手に柚葵ちゃんのことを敵視してるだけだから」
「ふーん、甲斐ってゆずきって名前なんだ」
脇田の名前は知っていた。 一年、二年の時に同じクラスだったのだから。
「うん、柚の葵って書くの」
「へぇー、変わった読み方・・・って、あれ? たしか花瀬って陽の葵って書かなかったっけ? それでひまりって読まなかったっけ?」
三年、四年と同じクラスだった。 知っている。
「うん、そう。 読み方は違うけど、せっかく同じ漢字の名前なんだから、仲良くしてほしいんだけど」
そこに後ろから日向の声が聞こえてきた。
「うおぉー! 祐樹ー! 祐樹もかぁー!?」
そう言えば祐樹もそうだが、日向は脇田と甲斐とクラスが違う。 祐樹と同じクラスである。 元木と末永は脇田たちと同じクラスだから誘われたのは分かるが、どうして日向が誘われたのだろうか。
走って来た日向がガシッと祐樹の首に腕を回してきた。
「祐樹も家庭科クラブが話してるのを聞いたのか?」
そういうことか。
浅香と詩甫が大婆の部屋に並んで座っている。 正面には長治、浅香の横に詩甫と反対の斜め右手に大婆が肘かけの付いている低めの椅子に座っている。
ちゃぶ台に湯気を上げた湯呑が置かれてある。 前に来た時と全く同じであった。
「本当に偶然だったんですけど、こちらでお話を聞かせて頂いたのは貴重なことで、彼女、野崎さんの会社の方で神職の資格を持っていらっしゃる方がいらして、ご実家が神社だそうなんです」
「神社?」
「ええ、ご実家のことも神職の資格を持っていることも野崎さんは知っていらして、それで紅葉姫社と気付かれないように、その方に訊いたそうなんです」
大婆と長治が詩甫を見ると詩甫が頷いてみせる。 話すことは浅香に任せている。
その浅香は願弦の立てた話を話していった。
詩甫が願弦に神が宿っていない社があるのだけれど、その社は昔の人がある姫様を想って建てた社だと言った。 実際、こんな話になる前に詩甫は願弦にそう言っていた。
詩甫の話に願弦がすぐに首を左右に振った。 ある人を想い、その人の社を建てるということは、その人々がその人のことを想って建てたということ。 それで充分神だ。 天津神(あまつかみ)でもなく国津神(くにつかみ)でもない。 だがそれがなんだ、人々が想い祀ればそれが社であり、そこに坐(ましま)すのはその人々にとっての神である。
「どういうことだ?」
長治が言った。
そうだろう、願弦に言われた時に浅香もそう思った。
その疑問に願弦は言った。
生きていた人を冤罪にした。 その怨霊を恐れた時の人々はその人を神として祀り天満宮を建立した。 他にも浦島太郎伝説の舞台となった神社もあれば、時の姫を想い祀った神社もある。
元より、日本の神々は八百万(やおよろず)の神々である。 八百万とは八百万(はっぴゃくまん)の神々という意味ではなく、限りなく多いという意味。 葉の一枚から自然現象に至るまで神が坐(おわ)す。
「そこに姫様、朱葉姫が坐(ま)しまして居られるのなら、朱葉姫は神でありそこは立派な社であると。 経験が豊富ではないが、その方が祝詞を献上に来てもいいと」
長治が首を振る。
「せっかくそう言ってくれて有難いが、万が一にも村以外の人に何かあっては申し訳が立たん」
「そうなんです、そこなんです」
何のことだという顔を長治が向ける。
「野崎さんからその時その方が気になることを仰ったと聞いて、後日僕も同席させてもらったんです」
すると願弦はこんなことを言ったという。
平安時代のいつ頃だったか、ある村の話なんだがと話は始まったと言う。
その村には姫が居て村人に大層親しまれていたという。 だが残念ながら姫は短命であった。 村人が嘆き悲しみ姫を想い社を建てた。
長治の下瞼が僅かに震え、大婆の指先がピクリと動いた。
「だからそこも姫の神が坐す社だと言われたということでした。 ここまでが野崎さんが聞いてきたことです。 ここから先は僕が同席して聞いたことです」
だが残念なことにその社には今は人が近づいていない、村の昔語りに踊らされているからだと。
「昔語りに踊らされている?」
大婆が言うと長治も続いて言う。
「どういうことだ! 昔語りが間違っているとでもいうのか! そんな筈があるまい!」
カタンと襖の向こうで音がした。
すぐに長治が立ち上がり、詩甫たちの背中の後ろにある襖を勢いよく開けた。
わっ! っという声のあと、ドンという音がした。
浅香と詩甫が振り返って見てみると、そこに尻もちを着いた少年がいた。
「三太、盗み聞きか」
「あ・・・ごめんなさい」
「あっちへ行ってろ」
「あ、うん・・・」
後ろに付いていた手を前に持ってくると長治越しにチラリと浅香を見た。
「ん? なに?」
「お兄さん、その話ってこの村の昔語りじゃないんでしょ?」
三太が言ったことで大婆と長治が気付いた。 そうだった、浅香は一言もこの村の昔語りとは言っていなかったのだった。
「うん、この村のことだなんて、まだ一言も言ってないよ」
まだ一言も? まだ? そこが気になるところだが、今の段階では長治が早合点して怒鳴ったというだけのことになる。
「いいからあっちへ行ってろ」
うん、と言うと立ち上がり廊下を走って行く。
襖を閉め、席に戻った長治。
「怒鳴ったりして悪かった」
「いいえ」
「続けてくれ」
長治か大婆が怒るかもしれないということは計算の中に入っていた。 怯むことではない。 それどころかわざと怒ることを誘う話し方をしたのだから。 一度怒りをあらわにすれば、あとは少々のことがあっても我慢をして聞くだろうから。
「昔語りが間違っていたのではなく、昔語りが操作されていたということです」
「操作? どういうことだ」
浅香がおや? っと思った。
(なんだろうか・・・)
何か不自然なものを感じたが、長治の様子に変わったところは見えない。 気のせいだったのだろうか。
「先ほどの浦島太郎の話ではないですが・・・」
一つの例として浦島太郎の話をしだすと長治が眉をしかめた。
そんな話などは聞いたことがなかったからだ。 物語とは単なる子供の絵本くらいにしか思っていなかった。 それが一説とは言え、神仙思想が隠されていたとは。
「昔語りに戻ります。 他の村の昔語りにも当てはまることですが、例えば、この村の昔語りを聞かせて頂きましたが、その昔語りに限って言えば花生って人が呪者に頼んで朱葉姫を呪い殺したとか、亡くなったあとの事を呪者に頼んだとか、聞かせて頂いた話からするとその話は呪者から聞いた話ですよね?」
「え・・・?」
「呪者以外からは聞いていないですよね? 僕の覚え間違いでなければですが」
大婆と長治が目を合わせる。
「あくまでも例えばの話です。 その方は決して紅葉姫社とは言っておられません」
わざと言った。 浦島太郎の話から花生の話に、そして話の原点である願弦の話しに。 例えばこの村の話であれば、という意味を含ませるように。 そしてこの村の例え話ではなく、浦島太郎の話に戻って良いという意味も含めて。
だがきっと浦島太郎の話しには戻らないだろうと浅香は踏んでいる。
「呪者が・・・嘘をついていたと?」
やはり村のことが気になるようだ。 例えばの話を進めるようだ。
「いつの世も、嘘をつくことで報酬を受け取ることが出来なくもないです」
この本家の先祖はあらゆるものを呪者に渡した。
「だがっ、花生は自分から朱葉姫の悪口を言っていた。 それは間違いなく花生の口か・・・」
そこまで言って話の筋はこの村のことではなかったのだったと気付き、長治が口を止める。
「いや、何でもない。 続けてくれ」
「はい。 まぁ、この村の昔語りでいうと、呪者によって話しが操作、操られていたかもしれないということですかね」
花生の話から当時の花生の両親は違うと言っていた、それを信じなかった当時のこの村の者たちの間違った思い込みというのが正解だが、そんなことを言っては逆撫でもいいところだろう。
一度怒らせておいたと言っても、穏やかに話せなくなるかもしれない。
「僕が色々と質問をしていると、ある面白い話があるときかせてくれました」
人の道を修正するに、一つにあるやり方がある。
修正しなければならないということは、修正されなくてはならない道を辿っているのだ。 正面から言ったとしても聞く耳を持たないか、悪ければ居直るかもしれない。
その為には同じことをその人にしてみせる、言ってみせる、聞かせてみせる。 それで自分のやっていることに気が付いて道を修正すればいいのだが、最初から修正しなければいけない道を辿っていると分かっていて敢えてそうしている場合にはそんなことでは効かない。 ましてや陰に隠れてしている場合には。
だから陰で同じことをして、言って、他の者の口から聞かせる。 お前のしていることは分かっているのだと知らせるために。
相手が勢いのよいものなら失敗に終わるだろう、それだけで終わるならまだしも反論を受けるかもしれないし切り返されるかもしれない、夜道に注意の世界になるかもしれない。 だが今ここではそんな話は置いておく。
「花生っていう人はこの方法を取ったとは思えませんか?」
これは実際に花生がそういう思いから親族に話していたと聞いていた話だ。 願弦は花生のことを分かってもらうために、少しでも花生の想いを伝えるため、汚名を晴らす為にこの話しを使おうと言った。
今はこの村の昔語りをしているのではないという前提で話し始めていた。 だが花生の名を出したことで完全にこの村のことを話していると大婆も長治も分かっているはずだ。
反論してくるだろうか。 浅香が危ぶんだが、そうであってもまだ話の持って行きようは考えている。
だが大婆にも長治にもそんな様子は見受けられなかった。
「大婆・・・」
長治に目を向けられ、正面を見て話を聞いていた大婆がゆっくりと顔を動かし浅香を見る。
「大蛇は・・・花生ではないと言っとるのか?」
やはりこの村のことが気になのだろう。 このまま話を進めていくことを受け入れたようだ。