虚空の辰刻(とき)  第157回

大福りす
『虚空の辰刻(とき)』 目次


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- 虚空の辰刻(とき)-  第157回



裏を固める野夜と湖彩が目を合わせた。
「長いな」 と湖彩が言った時 「ああ、こじれているんだろうか」 と野夜が返した途端に、紫揺の怒声が聞こえたからだった。
目を合わせて固まったまま動けなくなってしまった。

「阿秀、長過ぎませんか?」

こちらは表を固める阿秀と悠蓮。

「まあな・・・。 かなりお怒りのようだったからな」

「でもそれって、北のしたことでしょう。 あ、それとも俺たちが追いかけたことですか?」

「さぁ、どっちだろうか」

顔を傾けると口元を上げ、怪しげな横目を流してくる。

「わ、阿秀って根性ワル」

「嘘だよ。 お前たちのことは何も言っておられなかった」

そして表情を変えた。

「だが・・・お怒りはご尤もだが、ご自分のお考えはしっかりと持っていらっしゃる方のようだった。 簡単に領主の謝罪や申し出を受けられるかどうか・・・」


ガラガラと引き戸が開いた。 最初に出てきたのは此之葉であった。 続いて領主が出てくる。 振り返り二人が再度頭を下げ、此之葉の手によって戸が閉められた。
数歩歩いたところで阿秀が駆け寄ってきた。

「疲れた、少し休みたい」

「車を回してきます。 ここでお待ちください」

此之葉にも目で言った。


「では」 

領主の部屋のドアが阿秀によって閉められた。

「此之葉も疲れただろう。 休んでおいで」

阿秀と共に部屋を出てきた此之葉に言うと、コクリと頷いた此之葉が自分の部屋に足を向けた。

フーっと深い溜息をつくと、梁湶たちの部屋に向かいしばらく休むと言い残し、自分の部屋に戻ると倒れ込むようにベッドに仰向けになった。

車の中で聞いた限りでは、紫揺が東の領土に行くということであった。 領主が時間をかけて紫揺を説得したのだろうか、いやあの憤りを持った紫揺が説得をされたくらいで動くようには思えなかった。 いったいあの時間に何があったのだろうか・・・。
頭の中で考えるが、気疲れした精神はいつしか暗闇の中に身をゆだねてしまっていた。


「しまった・・・箱の中を見せるのを忘れてた」

本領と聞いて、あのマツリに頼みごとをするのかと思った。 だから・・・

『あのマツリに頼みごとなんてっ! 舌を噛んで死んだほうがよっぽどマシです! 行きます! 東の領土ってとこに行きます!!』

と叫んだ。

どうしてあのマツリに頼みごとをしなければいけないのか。
領主に何度もなだめられ、まずは一度ということに落ち着いたが。

『長い間こちらを空けていらしたのですから、片付けも御座いましょう。 落ち着かれたらお知らせください。 すぐお迎えに参ります』 東の領主がそう言い残した。

「片付けもなにも・・・」

冷蔵庫の中には腐ったものは入っていない。
たしか卵があったはずだし、残り物もあったはずなのに全て始末されている。 こまめに整理をしに来てくれたのだろう。 それに埃一つもない。 いつ帰ってくるか分からないのに、掃除もしてくれていたのだろう。

醍十がこれを聞いたら
“此之葉が仕事をしている間は退屈だったからな” と言うであろう。

「でもあと一日くらいはここに居たい、か」

何日も離れていたのだから少なくとも明日一日は。

『藤滝さんが一度我が領土に来てくださった後も、たとえ来て下さらなかったとしても本領に今回のことを報告いたします。 そうなれば北はもう藤滝さんを追ってはこられないはずです。 それまではどうか、身の回りにお気を付けください』

東の領主がそう言っていた。

「それって私が今回だけ東の領土に行くとか、東の領土に行かなかった時の話よね。 東の領土に連れて帰らなくとも、私のことを一応案じてはくれてるんだ」

大の字に寝ころんだ。 なぜか急に何もかもがイヤになった。 何も考えたくなくなった。 両親の遺影の前でなんて格好をしているのだろう、そんな思いさえ頭の片隅に押しやった。

ちらりと時計を見る。 二十分後と言って、丁度その二十分後にやって来たのは何時だっただろうか。

「十一時十五分だったっけ」

今は十五時をゆうに過ぎている。

「四時間以上、喋ってたんだ。 ・・・疲れるよ」

ましてや最後の最後にマツリが出てきたのだから。 いや、マツリという固有名詞を出したのは紫揺だが。
ボーっとしていると思い出したことがあった。

『よいか、我の居る本領は東西南北の領土を統治し、東西南北の領土はその本領の元にある。 ここ北の領土は四つの領土の内の一つである』
リツソの言っていたことを思い出した。 ボーっとしているつもりが、本領と言われいつしかリツソやいけ好かないマツリのことを考えていたようだ。

「あ・・・」

リツソは東西何北の領土と言っていた。

「すっかり忘れてた」

マツリと言われてカッとなり、東の領土に行くとは言ったものの、それまでは東の領土という存在さえ疑っていた。 だがリツソが東西南北の領土があると教えてくれていたではないか。

「でも・・・」

それでも北が策を変えたのかもしれないと思う。 ましてやマツリの名前を出してまで。

ここで訂正しておこう。
東の領主は一言もマツリとは言っていない、それどころか、紫揺が本領と言って、その後に本領と言っただけだ。
本領はマツリの父親である四方(しほう)が預かるところであり、今はまだマツリが預かるところではない。 本領と言えば各領土は普通、四方を頭に浮かべる。 決してマツリではない。
紫揺が一人でマツリと叫んでいただけである。

あれやこれやと考えるつもりはなかったのに、頭の中では色んなことが錯綜し、会話の疲れからか、いつしか寝てしまった。
再び目が覚めたのは、夜の十時をこしていた。

「お腹空いた」

若干の水分は摂っていたが、固形物は朝に三十%引きのパンを二つ食べただけであった。 それも前日は杢木親子ととった朝食だけであった。
ホテルや屋敷にいた時もそうであったが、北の領土に行った時も必ず誰かが食の用意をしてくれていた。
大の字からゴロリと横を向いた。

「誰もいないんだ」

――― 一人なんだ。

それは決して、食を用意してくれる者がいないという意味ではなかった。
此の地で働きに出れば新しい友達が出来るだろう。 学校時代の友達に連絡したら、一緒に遊べるだろう。

――― それがナニ。

リツソに言った。 友達は宝物だと。 でも今はそれの意味が分からない。 今は友達など周りにいないのだから。 勝手に友達との縁を切ったのは自分なのに。

「我儘だな」

誰かが聞くと、よく分かっておいでで、と言っただろうか。

「こんな時間からって・・・コンビニしかないか」

スーパーよりも高いコンビニは避けたかったが、時間的に開いているのはコンビニしかない。 スーパーの特価品も勿論だが、期限ぎりぎりになっての安売りは有難かった。 そんな生活をしていた。

「それにお供えも買わなくっちゃ」

米は丁度切らしていたことを覚えていた。 だから戻って来てからご飯は供えられず水と玄米茶しか供えていなかった。 コンビニだからというのもあるが、たとえスーパーであっても今はまだ米を買う気にはなれない。 どっしりと座ってご飯を食べたいとは思えなかった。

玄関の戸が開いた。

悠蓮が身構える。

自転車に乗る様子を見せる紫揺。

即座に悠蓮が湖彩に連絡を入れる。

「了解。 野夜に行ってもらう」

「おい、なんで俺なんだよ」

横で聞いていた野夜が言う。

悠蓮は尾骶骨をやられていて走るに走れない。 だから湖彩に代走を頼んだのだが、今回も野夜が推薦されたようだ。

「早く行かないと紫さまを見失うぞ」

「覚えとけよ」

捨て台詞を吐いて野夜が駆けだした。
悠蓮と湖彩は紫揺の居ない間の家を守っている。

「野夜一人でどうにかなるか?」

紫揺と野夜を見送った悠蓮が再度、湖彩に連絡を入れた。

『何かあったら、どうにもならんだろうな』

だが今は家の周りを固める方が先だ。 北はこの場所を知っているかもしれないのだから。

「おい、それって」

『こんなに夜遅くに紫さまが出られるとは俺たちも思わなかったし、阿秀もそうだろう。 阿秀に連絡が必要かもしれんな』

「俺からしておく」


暗闇に身をゆだねていた阿秀のスマホがなった。
重い身体ではあったが、それに甘んじていてはいけない。 身体を叱咤しベッドから起き上がるとテーブルに置いていたスマホを手に取る。

「紫さまが? ・・・分かった。 野夜から何か連絡があったらすぐにこちらに連絡を入れてくれ。 新たなことは考える。 明日にでも連絡をする」

スマホを切った。
今すぐにでも、控えている三人を出せばいいのだろうが、そうなると交代も無しでの、全員での二十四時間体制が幾日も続くことになるかもしれない。 幾日も続かなくとも、たった一日でも集中力に欠けるだろう。 北からの事を思うと、それが必要なのかもしれないが、六人が身を壊すかもしれない。

「領主ともう少し話ができていれば・・・」 

紫揺が領土に帰ると言ったことしか聞けなかった。 それがいつなのかは分からなかった。 紫揺との話で疲れた領主は明日まで眠りにつくだろう。 明日訊くしかない。


結局そのあと一睡もできず夜を過ごした阿秀が、領主を訪ねようと廊下を歩いていた。 そこに此之葉の姿を見た。

「此之葉、起きたのか? 疲れはないか?」

まるで領主の言葉のようだが、偶然廊下で会った阿秀の声であった。

コクリと此之葉が頷く。

「領主を訪ねたか?」

「まだです。 今から訪ねます」

「そうか。 ・・・此之葉、昨日なにがあった?」

「領主からお聞き下さい」

もっともだ。 領主が何も言っていないのに、此之葉に話せることなどない。

「そうだな、悪かった。 領主のお疲れが取れているようなら呼んでくれ。 外で待っている」

コクリと頷く此之葉。

二人で領主の部屋の前に行くと此之葉だけ領主の部屋に入り、阿秀がドアの外で待っていた。
どれほどの間をあけることなく此之葉が阿秀を呼んだ。

「お疲れはございませんか?」

「ああ。 ぐっすり寝て取れたわ」

「昨日は昼食も夕食も摂られませんでした。 ルームサービスを頼みましょうか?」

「いや、あとで此之葉と食べに行く。 此之葉それでいいだろ?」

此之葉がコクリと頷く。 同じく此之葉もなにも食していなかった。
夕べ醍十が此之葉に夕飯を食べさそうとしたのを阿秀が止めた。 まだ紫揺と話した疲れが取れていないだろうということであった。

「それでだが―――」

領主が話し始めようとすると、ドアが大きな音でノックされた。
此之葉がドアを開けに出ると、バンと勢い良くドアが開けられ醍十が飛び込んできた。

「阿秀、やっぱりここにいた! 阿秀だけか?!」

辺りに目をやるが、目的のモノは見つからないようだ。 血相を変えた醍十。

「阿秀! 此之葉が! 此之葉がいない! 此之葉が部屋にいない!!」

領主の部屋だというのにズカズカと入ってくる。
勢い良く開けられたドアがゆっくりと戻っていく。 領主と阿秀がそれを見ている。

「阿秀! 聞いてるのか!?」

戻っていくドアの影から、両掌を顔の前に向けている此之葉の姿が浮き出てきた。

「・・・後ろ」

「あん?」

此之葉がヘナヘナと崩れていく。

「後ろを見ろ」

振り向いた醍十。

「此之葉!」

すぐに此之葉に走り寄ったはいいが、自分がしでかしたことを分かっていないようだ。

「こんな所で何やってんだ? ああ、そうか。 腹が減って動けないのか。 晩飯も食わないで寝てるからだぞ」

此之葉の手を取る。

「阿秀、此之葉に朝飯を食わせてくる」

阿秀が片手を上げてそれに応じるのを見たのか見なかったのか、さっさと此之葉を連れて出て行った。

「朝食のお相手は私でもよろしいでしょうか」 

領主が笑いながら首肯すると、コホンと句点を打ったという白々しい咳払いをして表情を引き締めた。

「昨日のことはどこから話せばいいものか・・・。 まぁ、とにかく何もご存じなかったが、北で紫さまのお力のことはお聞きになられたようだ」

阿秀は頷きこそすれ、黙って聞いている。

「私の知っている限りの先の紫さまのことをお話した。 その時には先の紫さまに対してのお言葉は何もなかった。 先の紫さまのことをどう感じられたかは分からん。 それと紫さまが北の領土に入られたときは、洞窟を通られたと仰っていた」

阿秀の眉が撥ねた。

「ああ、どこかほかの場所で洞窟を見つけたのかもしれんが、どちらかと言えば私たちと近しい所に見つけたと考えるのが無難だろう」

阿秀が口に手をやりながら頷く。

「で、これからのことだが、一度だけでもいいから民にお顔を見せて欲しいと願い出たら、その後はどうするのかと尋ねられた。 だから新たな紫さまをお迎えすると言ったんだが、紫さまが激昂されてな」

「え?」

最後まで何も言わずに聞いているつもりだったのに、思わず声が漏れてしまった。

「激昂とは、何がお気に障ったのでしょうか」

開き直って訊ねる。

「新しく紫さまをお迎えするにあたって、本領にお願いせねばならんだろう。 そこにだ」

「本領に願い出ることに対してですか?」

「ああ。 紫さまはマツリ様と会われたみたいだ」

「マツリ様と!?」


『本領? 本領!? あのマツリに頼み事をするというんですか!?』

『あのマツリ・・・とは・・・?』

『あのマツリに頼みごとなんてっ! 舌を切って死んだほうがよっぽどマシです! 行きます! 東の領土ってとこに行きます!!』

『お、お待ちください。 来て頂けるのはこれ程にない喜びです。 ですが一度来ていただいて、民にお会いしていただいたあとには、これ以上紫さま不在を通すことはできません。 ですから本領に―――』

『だから! ずっとそっちにいるって言ってるんです! あんなマツリに頼みごとをするくらいなら、北でも東でもどこにでも行きます!』

『藤滝さん! どうか落ち着き下さい』

声を荒げ、東はどこ!? と今にも飛び出していきそうな勢いの紫揺を宥めようと、膝立ちになって言うが、耳を貸すつもりがあるのかどうかわからない。 それでも話の筋を修正せねばならない。

『本領にお頼みするのは私です。 決して藤滝さんではありませんし、東西南北の領土も本領も統括なさっておられるのは、マツリ様ではなく四方様です!』

『それって、リツソ君の父上様ですかっ?!』

『はい。 マツリ様、リツソ様のお父上でいらっしゃいます』

マツリだけではなくリツソも知っていたのか。 北でどういう生活をしていたのだろうか。

『マツリじゃなかったらいいってもんじゃないし、いずれにしてもあの顔で嫌味を言うのに決まってる』

ブツブツと独り言を始めた。

『は? 藤滝さんなんと?』

紫揺が東の領主を睨んだ。

『何と言われても、私は行きます。 たとえ、領主さんが頼みに行くだけだって言っても、こっちに聞こえてこようがこまいが、あのマツリになにか言われてるって思うだけで気分が悪くなります。 とにかく行きます! 悪いですかっ!』 

最後の言葉はどうなんだろうか。

『いえ、決して悪いなどとは・・・。 ですが一度民に会いに来て頂き、その後のことはゆっくりとお考えになりませんか? こちらでの、その、日本でのことをそう簡単に放ってしまっては。 それに藤滝さんのお考えがお固まりになるまで、本領にはお頼みに行きません。 どうぞご安心ください』

ご安心くださいと言った東の領主にとって思いもしなかった展開であった。