虚空の辰刻(とき) 第172回
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薬湯といわれる美味しくない茶を飲み干した。
花輪や首飾りなどを棚の上に並べて、今は此之葉と昼飯を食べている。 朝の担当の女たちから話を聞いた昼担当の女たちが、是非とも昼食をともにと言ったが、紫揺のことを思い此之葉が断った。 女たちは朝、外に出た紫揺の話も聞いていたから簡単には引かなかったが、湖彩が此之葉に応戦し事なきを得た。
湖彩にしては、紫揺が自分に花を預け紫揺一人走り出したこと、それが悪夢のように思われ、形を変え同じようなことがあっては堪らない。
「お気になることが?」
今日と明日は祭に顔を出すつもりだが、明後日の祭が終わってから家に帰るという話からそうなった。
「はい、借金をそのままに出来ないですから」
「借金、でございますか?」
紫揺の仕事の後を引き継いで、その言葉を知った。
「先輩から・・・。 北の屋敷から出るにあたってお金を借りたんです。 それなのにその連絡先を書いたメモを無くしちゃって。 だから伝手から調べて返そうと思ってるんです。 それが上手くいけばいいんですけど、上手くいかなかったら今のところ手が思いつかないんです」
高校に問い合わせて個人情報と、はねつけられれば、進学指導の教師である堂上か、部活の顧問に頼るしかないが、進学をしなかった事で顧問には合わせる顔がない。 堂上が教師を辞めていなければいいが、辞めていれば事務局に食って掛かるしかない。 だがそれも成功しないであろう。
「どなたにお金を借りられたのでしょうか?」
此之葉はこの地でずっと過ごしていた。 この地に金など存在しない。 だが、借りると貸すということはある。 領主に呼ばれて紫揺の居る地に行き、紫揺の仕事を引き継いだ時に金の存在を知った。
「春樹先輩です。 それに杢木おじさんが私をあの屋敷から、あの海から出してくれました」
「ハルキセンパイ、モクギおじさん?」
「おじさんと一緒に杢木さんも私をあの屋敷から出してくれたんです。 だからここにいます」
「ハルキセンパイと、モクギおじさまと、モクギさまに東の領土の誰もが感謝の意を唱えます」
此之葉が誰に下げることなく頭を下げた。
(うう・・・大袈裟・・・)
ちょっとの話が何故そうなるのか。
食後の茶を紫揺の前に出した。
食後落ち着くと、此之葉が衣裳とアクセサリーを持って再び部屋に入ってきた。 その衣装は祖母が手を通すことの無かった祖母の先代が祭で着ていたものだという。
急なことなのだから、お下がりで仕方がないというのは分かるが、祖母が腕を通すことの無かった衣裳というのが気にかかる。 これだけ持ち上げられている紫さまなのだから、祭の時の服は新調するのではないかと。
「お婆様はお下がりを着ていたんですか?」
「先の紫さまの先代紫さまは衣にとても凝られておられたようで、普段の衣も幾度か手をお通しになると新調されておられたようです。 祭の衣も毎回お作りしていたそうで、先の紫さまは先代紫さまの衣を身にお付けになっておられました」
「数回手を通しただけで次を新調?」
「はい。 先代紫さまの衣をご覧になった先の紫さまが、もったいないと仰ってすべて先代紫さまの衣を身に着けておいでだったと伝え聞いております」
そう言えばと “紫様の書” に書かれていたことを思い出した。
『紫さまが衣はもったいないと仰られ、先代紫さまの衣を身につけられると仰せになる』 そう書かれていた一文があった。
そういう事なのか。 先代が新調ばかりしていたのなら、ばか程あったに違いない。 それを目にすればもったいないと思うだろう。 尤もだ。 同感だ。 当然だ。
紫揺の疑問に答えた後、衣裳を広げる此之葉。
絹で出来たそれは合わせの衿の淡いピンク色のワンピース。 合わせの部分には五色の色が入っていて、合わせてみると着物で言うところの伊達襟のように見えなくもないが、それが裾まで続いている。 言ってみれば、広げた服の外側に五色が走っているということになり裾広がりとなっている。 帯は地模様のある赤みのかかった紫色。
「この衣は先代紫さまが十一の歳の祭で着られたものですから、今の紫さまがお着けになるには少々幼い衣になりますが」
洋服と違って着物のようなものだから、多少身体の大きさが違っていても身につけることはできる。 だが淡いといえどピンク。
「十一歳?」
今の自分より十歳も年下の時に来ていた?
耳を疑いたくなったが十一歳と聞いては淡いといえどもピンクでも仕方がないか、とこれからこれを身につけるのだという所には直結せず納得をする。
「この次に祭でお召しになったものになりますと、随分と肩が落ちますので」
「その・・・先代紫さまという人は、大きかったんですね」
いえ、紫揺が小さすぎるんです。 とは此之葉の口からは出てこなかった。
「一度あててみましょう」
此之葉が衣裳を持ち立ち上がったのを見て、紫揺も立ち上がる。 此之葉が背中からあててみると、肩の位置が少し下がるが不自然ではない。 裾は膝上にきている。
紫揺が裾を手にしながら斜め後ろを見た。
「短すぎませんか・・・?」
膝など高校を卒業してから一度も出していない。
「肩は少し落ちますが、裾は先代紫さまがまだお小さい頃でしたので、これくらいになりますかと」
(ゴモットモです。 でも私は十一歳ではありません)
「では衣はこちらで。 飾り物をお選びになって下さい」
衣裳を軽くたたむと座って幾つもの箱を卓に乗せその蓋を開いた。 そこには首飾りや腕輪や指輪、髪飾りが入っていた。
「もしかしてこれも先代紫さまの時に作ったんですか?」
思わず座りながら訊いた。
衣裳に凝るということは、アクセサリーにも気を使ったはずだ。 数多くの飾り物が目の前にある。 紫揺の一生があのまま進んでいったとしても、ただの一つも手にしなかっただろう。 使われている石はきっと全部本物なのだろうから。
「はい」
「先代紫さまは衣裳に凝っていたってさっき仰いましたけど、歴代の紫さまはどうだったんですか?」
「歴代それぞれでございます。 先代紫さまは美しいものがお好きでいらっしゃったと書かれております」
衣裳を丁寧にたたみ直しながら此之葉が言う。
歴代の “紫さまの書” を読まなくては分からないな、と思いながら棚に置いてある方を見た。 そこには民から貰った花がある。
「あれって、明日には萎んでしまいますよね」
「はい、せっかくのものですが」
紫揺が全ての箱に蓋をし、立ち上がった。
「紫さま?」
「こっちにします」
そう言って花冠を頭に載せた。
祭が始まった。
紫揺は壇上に上がるのではなく、民と同じ所を歩き回ると言ったのだが、領主がそれを認めてくれなかった。
湖彩と此之葉から聞いた話を考えると、混乱が起きてしまうかもしれないからと。
「そんなことはないと思いますけど」
どうしても食い下がりたい。 壇上などに上がりたくない。
「紫さまが出られた時は、外にいた者しか気づきませんでしたが、今は領土の者が集まっております。 ましてや、辺境から来た者もいて昨日より人数も増えております。 怪我人などが出てしまってはどうにもなりません。 せっかくの紫さまの祭ですのに」
領主がわざと紫さまにお怪我があっては、とは言わなかった。 今代紫さまは、ご自分のお怪我などどうとも考えておられないだろうと思ったからだ。 その根拠は醍十からの紫揺の脱走劇から簡単に考えられるし、裸足で身体を動かしていたという阿秀からの報告も手伝っていた。
そして領主の思惑通り、当の紫揺は怪我人と言われてしまっては言い返すことなど出来ない。
「そっか・・・。 分かりました」
ということがあり、いま紫揺は壇上に上がっている。
壇上には民が紫揺に手渡した花が飾られている。
「可愛らしい!」 「なんてお小さいんでしょう」 「そういえば紫さまは何歳におなりになられたのでしょうね」 「十二の歳くらいになられてるのかしら」 「今までお一人だったと思うとなんてお労しい」 ナドナド。
今にも紫揺の口から、ぶっ飛ばしてやろうか、とか、遠くの壇上にいるから小さく見えるだけだっ! と聞こえてきそうである。
「お花がよくお似合いだこと」 「ええ、飾り石よりずっとお似合い」 「壇上のお花も今朝、紫さまにお渡ししたものでしょ? 民の心をくんでくださる方だわ。 お小さいのに」
どうして最後にそれを付ける。 足を一歩出してドンと鳴らすのは遠い話ではないだろう。
その反対に自分たちが摘んできた花が飾られているのを見たり、作ったものを紫揺が身に付けているのを見た子供たちや女たちは、キャーキャー言って喜んでいる。 自慢さえしている。
三方に広がっている民の方を見るように此之葉から言われて、ゆっくりと民を見て回した。
「どうぞ、お座りください」
此之葉がそう言ったが、歓声で何を言っているのかが聞こえない。 此之葉の横から悠蓮が椅子を出してきていたので、座るのだろうと思いジェスチャーで尋ねる。 それを見た民からまたもや歓声が上がる。
此之葉が頷く。
壇上に領主が上がってきたが、誰もそれに気付いていない。
「静かに、静かに」 というが、歓声の波に領主の声がのまれてしまっている。
領主が紫揺の前まできて 「御前に失礼いたします」 と言い、お辞儀をして紫揺の前に立った。 もちろん領主が何を言ったのかは紫揺には聞こえていない。
さすがの民も見ていた紫揺の前に領主が立つとイヤでも気付く。 ゆっくりと波が引いていくように歓声の波が引き始めた。
「静かに」 と、領主の腹の底からの声が響き渡った。
まだ興奮している若い者や子供たちの声が聞こえるが、それくらいなら領主の声の方が響く。
「祭を始める。 今日はこちらで紫さまも祭を楽しまれる。 みな、櫓(やぐら)の方に移動して祭を楽しんでいる姿を紫さまに見て頂こう」 そう言うと 「御前を失礼いたしました」 と言って壇上から下りた。
民たちは紫揺の前から移動したくはなかったが、祭を楽しむ姿を見て欲しくもあった。 ぞろぞろと櫓の方に移動していく。
櫓の上には楽器が置いてあり、登ってきた者が四人五人と楽器を手にし音楽を紡ぐ。 それに合わせて櫓の周りを民たちが回りながら口々に何か歌いながら踊り始めた。
日本の祭と似ているが、盆踊りのように全員で同じ踊りをしているようには見えないし、楽器が大太鼓でもない。 見た目は銅鑼に似ているようだが、音が違う。 もっとくぐもった音で音階を持っている。 右手で打ち左手で音階を作っているようだ。 笛を吹いている姿もあるが、それは日本のような尺八とは違って、長さ的に言えばクラリネットと同じくらい。 音も似た感じがするが、クラリネットのように金属部分は見当たらない。
「向こうと似ているようで、似てないかな」
「あちらにも祭があるのですか?」
此之葉は日本にいたのは確かだが、それは紫揺の居た会社の後任の役を仰せつかり、その後は紫揺探しに参加をしていただけであって、祭に参加などと遊んではいなかったのだから、日本での祭の存在すらも知らない。
「年に一度、盆踊りがありました。 同じように櫓を立ててましたけど、みんなで決まった踊りをするんです。 櫓の上には大太鼓がのっていました」
「決まった踊り・・・民のあの踊りは紫さまにお会いできた喜びをそれぞれが表現しています。 その後で歴代の紫さまに捧げる舞が始まり、その後ある程度決まった型の踊りが始まります」
「それじゃあ、あの踊りは私にってことですか?」
「はい」
此之葉を見ていた目を櫓の下に移した。
年老いたものは手を振って踊り、大人たちは跳びはねている者、胸に手を当てそれを前に差し出しながらゆっくりと回っている者、四股のようなものを踏んでいる者それぞれだ。 子供たちはキャッキャと言ってクルクル回っている子が殆どだ。
どの踊りをどう解釈していいのかは分からないが、それでも紫に会えた喜び、紫に会えて喜んでくれているのだ。
その紫は自分。
いま自分が紫であることは自覚している。 心にまで沁みているかと問われれば、はっきり是とは言えないが、祖母からのメッセージを信じているし、塔弥のことにしても自覚するに値する出来事だった。
こんなに多くの人から自分に会えて喜んでもらったことなどない。 摘んできたとはいえ、お花をこんにもらったことはない。 いや、摘んできてくれたから嬉しい。
壇上に飾ってある花を見た。
自分から何を返せばいいのだろうか。
――― なにを。
自分は何も持っていない。
――― 持っているものは一つだけ。
もう一度、踊っている人たちを見た。 左から右に沢山の人達が輪を描いて踊っている。 何を口ずさんでいるのかは分からないが、幸せそうに歌っている。
「紫さま」
此之葉に声を掛けられて辺りが静かになっていることに気付いた。
「紫さまへの喜びの踊りが終わりました。 民が紫さまがどう感じられたか気になって、こちらを見ております。 どうぞお立ち下さい」
言われれば、いつの間にか民と呼ばれる全員がこちらを向いている。 楽器が鳴りやんでいる。 椅子からゆっくりと立ち上がる。
「辞儀はされませんように」
紫揺は何かあるとすぐに頭を下げていた。 それを見越して此之葉が先手を打ってきた。 今まさにそれをしようとしていたのだから、喉の奥がグウッと鳴った。
もう一度右から左に見渡す。 櫓の上を見る。 誰しもが心配げな顔をしている。
自分が持っているもので表現できなかった時には、拍手を送ろうと思っていた。
深く深呼吸すると目を瞑った。
紫揺が目を瞑ったのは離れているが故、民からは見えないが、僅かに頭を下げた事は分かる。
紫さまが俯いた、それはどういうことなのだろうか。 民の間に互いを見合う様子が見られた。 此之葉もどうしていいものか分からず、じっと紫揺を見ているだけだ。
「きゃー」 と所々から声が上がった。 その内に「わぁ」 という歓声が上がった。 子供たちが喜び、櫓の上にもそれが咲きほこった。
民たちのいる外周に花が咲き乱れた。
ニョゼが言っていた
『お心を庭に向けて頂けますか』 『シユラ様のお心は形になって現れます。 それがムラサキ様のお力です』 と。
だから、自分の持っているただ一つのもの。 力。 それを使った。 ニョゼが庭に心を向けるようにと言った、だから今回はお返ししたい人達に心を向けた。 そして感謝の気持ちをいっぱいに心に広げた。 すると拍手の出番はなくなった。
「紫さま・・・」
此之葉があ然として今も蔓のように伸びている花に見入っている。
此之葉にしても民にしても初めて見る紫の力である。
紫さま! 紫さま! と民が紫揺の名を呼んでいる。
紫揺がゆっくりと目を開けた。
民が今にもこちらに駆けだしてきそうだ。 それこそ領主が言っていたように怪我人が出るかもしれない。 それは避けたい。
伸びていた花が終わることを知らず、民の頭上を覆ってきた。 ネモフィラ、アリッサム、ルピナスそれらによく似た花がとうとう民の頭上を覆った。 民の足元には芝桜に似た花が伸びている。
あまりのことに民たちが出しかけた足を止め、立ちすくみ茫然と頭上を見ている。
次の瞬間、頭上でも足元でもパァッと花びらが弾けた。 花吹雪が頭上に舞い落ちてくる。 伸びていた茎も蔓も葉も緑の光りとなって降り注ぐ。
「・・・紫さま」
呼ぶが紫揺の方を見ていない。 見事な花吹雪から目が離せないのではない。 紫の力から目が離せない。
一人一人と民がこちらを見だしたが、誰も走ってくる様子はない。 やっと我に返った此之葉が見たのは、誰も座っていない椅子だけであった。
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薬湯といわれる美味しくない茶を飲み干した。
花輪や首飾りなどを棚の上に並べて、今は此之葉と昼飯を食べている。 朝の担当の女たちから話を聞いた昼担当の女たちが、是非とも昼食をともにと言ったが、紫揺のことを思い此之葉が断った。 女たちは朝、外に出た紫揺の話も聞いていたから簡単には引かなかったが、湖彩が此之葉に応戦し事なきを得た。
湖彩にしては、紫揺が自分に花を預け紫揺一人走り出したこと、それが悪夢のように思われ、形を変え同じようなことがあっては堪らない。
「お気になることが?」
今日と明日は祭に顔を出すつもりだが、明後日の祭が終わってから家に帰るという話からそうなった。
「はい、借金をそのままに出来ないですから」
「借金、でございますか?」
紫揺の仕事の後を引き継いで、その言葉を知った。
「先輩から・・・。 北の屋敷から出るにあたってお金を借りたんです。 それなのにその連絡先を書いたメモを無くしちゃって。 だから伝手から調べて返そうと思ってるんです。 それが上手くいけばいいんですけど、上手くいかなかったら今のところ手が思いつかないんです」
高校に問い合わせて個人情報と、はねつけられれば、進学指導の教師である堂上か、部活の顧問に頼るしかないが、進学をしなかった事で顧問には合わせる顔がない。 堂上が教師を辞めていなければいいが、辞めていれば事務局に食って掛かるしかない。 だがそれも成功しないであろう。
「どなたにお金を借りられたのでしょうか?」
此之葉はこの地でずっと過ごしていた。 この地に金など存在しない。 だが、借りると貸すということはある。 領主に呼ばれて紫揺の居る地に行き、紫揺の仕事を引き継いだ時に金の存在を知った。
「春樹先輩です。 それに杢木おじさんが私をあの屋敷から、あの海から出してくれました」
「ハルキセンパイ、モクギおじさん?」
「おじさんと一緒に杢木さんも私をあの屋敷から出してくれたんです。 だからここにいます」
「ハルキセンパイと、モクギおじさまと、モクギさまに東の領土の誰もが感謝の意を唱えます」
此之葉が誰に下げることなく頭を下げた。
(うう・・・大袈裟・・・)
ちょっとの話が何故そうなるのか。
食後の茶を紫揺の前に出した。
食後落ち着くと、此之葉が衣裳とアクセサリーを持って再び部屋に入ってきた。 その衣装は祖母が手を通すことの無かった祖母の先代が祭で着ていたものだという。
急なことなのだから、お下がりで仕方がないというのは分かるが、祖母が腕を通すことの無かった衣裳というのが気にかかる。 これだけ持ち上げられている紫さまなのだから、祭の時の服は新調するのではないかと。
「お婆様はお下がりを着ていたんですか?」
「先の紫さまの先代紫さまは衣にとても凝られておられたようで、普段の衣も幾度か手をお通しになると新調されておられたようです。 祭の衣も毎回お作りしていたそうで、先の紫さまは先代紫さまの衣を身にお付けになっておられました」
「数回手を通しただけで次を新調?」
「はい。 先代紫さまの衣をご覧になった先の紫さまが、もったいないと仰ってすべて先代紫さまの衣を身に着けておいでだったと伝え聞いております」
そう言えばと “紫様の書” に書かれていたことを思い出した。
『紫さまが衣はもったいないと仰られ、先代紫さまの衣を身につけられると仰せになる』 そう書かれていた一文があった。
そういう事なのか。 先代が新調ばかりしていたのなら、ばか程あったに違いない。 それを目にすればもったいないと思うだろう。 尤もだ。 同感だ。 当然だ。
紫揺の疑問に答えた後、衣裳を広げる此之葉。
絹で出来たそれは合わせの衿の淡いピンク色のワンピース。 合わせの部分には五色の色が入っていて、合わせてみると着物で言うところの伊達襟のように見えなくもないが、それが裾まで続いている。 言ってみれば、広げた服の外側に五色が走っているということになり裾広がりとなっている。 帯は地模様のある赤みのかかった紫色。
「この衣は先代紫さまが十一の歳の祭で着られたものですから、今の紫さまがお着けになるには少々幼い衣になりますが」
洋服と違って着物のようなものだから、多少身体の大きさが違っていても身につけることはできる。 だが淡いといえどピンク。
「十一歳?」
今の自分より十歳も年下の時に来ていた?
耳を疑いたくなったが十一歳と聞いては淡いといえどもピンクでも仕方がないか、とこれからこれを身につけるのだという所には直結せず納得をする。
「この次に祭でお召しになったものになりますと、随分と肩が落ちますので」
「その・・・先代紫さまという人は、大きかったんですね」
いえ、紫揺が小さすぎるんです。 とは此之葉の口からは出てこなかった。
「一度あててみましょう」
此之葉が衣裳を持ち立ち上がったのを見て、紫揺も立ち上がる。 此之葉が背中からあててみると、肩の位置が少し下がるが不自然ではない。 裾は膝上にきている。
紫揺が裾を手にしながら斜め後ろを見た。
「短すぎませんか・・・?」
膝など高校を卒業してから一度も出していない。
「肩は少し落ちますが、裾は先代紫さまがまだお小さい頃でしたので、これくらいになりますかと」
(ゴモットモです。 でも私は十一歳ではありません)
「では衣はこちらで。 飾り物をお選びになって下さい」
衣裳を軽くたたむと座って幾つもの箱を卓に乗せその蓋を開いた。 そこには首飾りや腕輪や指輪、髪飾りが入っていた。
「もしかしてこれも先代紫さまの時に作ったんですか?」
思わず座りながら訊いた。
衣裳に凝るということは、アクセサリーにも気を使ったはずだ。 数多くの飾り物が目の前にある。 紫揺の一生があのまま進んでいったとしても、ただの一つも手にしなかっただろう。 使われている石はきっと全部本物なのだろうから。
「はい」
「先代紫さまは衣裳に凝っていたってさっき仰いましたけど、歴代の紫さまはどうだったんですか?」
「歴代それぞれでございます。 先代紫さまは美しいものがお好きでいらっしゃったと書かれております」
衣裳を丁寧にたたみ直しながら此之葉が言う。
歴代の “紫さまの書” を読まなくては分からないな、と思いながら棚に置いてある方を見た。 そこには民から貰った花がある。
「あれって、明日には萎んでしまいますよね」
「はい、せっかくのものですが」
紫揺が全ての箱に蓋をし、立ち上がった。
「紫さま?」
「こっちにします」
そう言って花冠を頭に載せた。
祭が始まった。
紫揺は壇上に上がるのではなく、民と同じ所を歩き回ると言ったのだが、領主がそれを認めてくれなかった。
湖彩と此之葉から聞いた話を考えると、混乱が起きてしまうかもしれないからと。
「そんなことはないと思いますけど」
どうしても食い下がりたい。 壇上などに上がりたくない。
「紫さまが出られた時は、外にいた者しか気づきませんでしたが、今は領土の者が集まっております。 ましてや、辺境から来た者もいて昨日より人数も増えております。 怪我人などが出てしまってはどうにもなりません。 せっかくの紫さまの祭ですのに」
領主がわざと紫さまにお怪我があっては、とは言わなかった。 今代紫さまは、ご自分のお怪我などどうとも考えておられないだろうと思ったからだ。 その根拠は醍十からの紫揺の脱走劇から簡単に考えられるし、裸足で身体を動かしていたという阿秀からの報告も手伝っていた。
そして領主の思惑通り、当の紫揺は怪我人と言われてしまっては言い返すことなど出来ない。
「そっか・・・。 分かりました」
ということがあり、いま紫揺は壇上に上がっている。
壇上には民が紫揺に手渡した花が飾られている。
「可愛らしい!」 「なんてお小さいんでしょう」 「そういえば紫さまは何歳におなりになられたのでしょうね」 「十二の歳くらいになられてるのかしら」 「今までお一人だったと思うとなんてお労しい」 ナドナド。
今にも紫揺の口から、ぶっ飛ばしてやろうか、とか、遠くの壇上にいるから小さく見えるだけだっ! と聞こえてきそうである。
「お花がよくお似合いだこと」 「ええ、飾り石よりずっとお似合い」 「壇上のお花も今朝、紫さまにお渡ししたものでしょ? 民の心をくんでくださる方だわ。 お小さいのに」
どうして最後にそれを付ける。 足を一歩出してドンと鳴らすのは遠い話ではないだろう。
その反対に自分たちが摘んできた花が飾られているのを見たり、作ったものを紫揺が身に付けているのを見た子供たちや女たちは、キャーキャー言って喜んでいる。 自慢さえしている。
三方に広がっている民の方を見るように此之葉から言われて、ゆっくりと民を見て回した。
「どうぞ、お座りください」
此之葉がそう言ったが、歓声で何を言っているのかが聞こえない。 此之葉の横から悠蓮が椅子を出してきていたので、座るのだろうと思いジェスチャーで尋ねる。 それを見た民からまたもや歓声が上がる。
此之葉が頷く。
壇上に領主が上がってきたが、誰もそれに気付いていない。
「静かに、静かに」 というが、歓声の波に領主の声がのまれてしまっている。
領主が紫揺の前まできて 「御前に失礼いたします」 と言い、お辞儀をして紫揺の前に立った。 もちろん領主が何を言ったのかは紫揺には聞こえていない。
さすがの民も見ていた紫揺の前に領主が立つとイヤでも気付く。 ゆっくりと波が引いていくように歓声の波が引き始めた。
「静かに」 と、領主の腹の底からの声が響き渡った。
まだ興奮している若い者や子供たちの声が聞こえるが、それくらいなら領主の声の方が響く。
「祭を始める。 今日はこちらで紫さまも祭を楽しまれる。 みな、櫓(やぐら)の方に移動して祭を楽しんでいる姿を紫さまに見て頂こう」 そう言うと 「御前を失礼いたしました」 と言って壇上から下りた。
民たちは紫揺の前から移動したくはなかったが、祭を楽しむ姿を見て欲しくもあった。 ぞろぞろと櫓の方に移動していく。
櫓の上には楽器が置いてあり、登ってきた者が四人五人と楽器を手にし音楽を紡ぐ。 それに合わせて櫓の周りを民たちが回りながら口々に何か歌いながら踊り始めた。
日本の祭と似ているが、盆踊りのように全員で同じ踊りをしているようには見えないし、楽器が大太鼓でもない。 見た目は銅鑼に似ているようだが、音が違う。 もっとくぐもった音で音階を持っている。 右手で打ち左手で音階を作っているようだ。 笛を吹いている姿もあるが、それは日本のような尺八とは違って、長さ的に言えばクラリネットと同じくらい。 音も似た感じがするが、クラリネットのように金属部分は見当たらない。
「向こうと似ているようで、似てないかな」
「あちらにも祭があるのですか?」
此之葉は日本にいたのは確かだが、それは紫揺の居た会社の後任の役を仰せつかり、その後は紫揺探しに参加をしていただけであって、祭に参加などと遊んではいなかったのだから、日本での祭の存在すらも知らない。
「年に一度、盆踊りがありました。 同じように櫓を立ててましたけど、みんなで決まった踊りをするんです。 櫓の上には大太鼓がのっていました」
「決まった踊り・・・民のあの踊りは紫さまにお会いできた喜びをそれぞれが表現しています。 その後で歴代の紫さまに捧げる舞が始まり、その後ある程度決まった型の踊りが始まります」
「それじゃあ、あの踊りは私にってことですか?」
「はい」
此之葉を見ていた目を櫓の下に移した。
年老いたものは手を振って踊り、大人たちは跳びはねている者、胸に手を当てそれを前に差し出しながらゆっくりと回っている者、四股のようなものを踏んでいる者それぞれだ。 子供たちはキャッキャと言ってクルクル回っている子が殆どだ。
どの踊りをどう解釈していいのかは分からないが、それでも紫に会えた喜び、紫に会えて喜んでくれているのだ。
その紫は自分。
いま自分が紫であることは自覚している。 心にまで沁みているかと問われれば、はっきり是とは言えないが、祖母からのメッセージを信じているし、塔弥のことにしても自覚するに値する出来事だった。
こんなに多くの人から自分に会えて喜んでもらったことなどない。 摘んできたとはいえ、お花をこんにもらったことはない。 いや、摘んできてくれたから嬉しい。
壇上に飾ってある花を見た。
自分から何を返せばいいのだろうか。
――― なにを。
自分は何も持っていない。
――― 持っているものは一つだけ。
もう一度、踊っている人たちを見た。 左から右に沢山の人達が輪を描いて踊っている。 何を口ずさんでいるのかは分からないが、幸せそうに歌っている。
「紫さま」
此之葉に声を掛けられて辺りが静かになっていることに気付いた。
「紫さまへの喜びの踊りが終わりました。 民が紫さまがどう感じられたか気になって、こちらを見ております。 どうぞお立ち下さい」
言われれば、いつの間にか民と呼ばれる全員がこちらを向いている。 楽器が鳴りやんでいる。 椅子からゆっくりと立ち上がる。
「辞儀はされませんように」
紫揺は何かあるとすぐに頭を下げていた。 それを見越して此之葉が先手を打ってきた。 今まさにそれをしようとしていたのだから、喉の奥がグウッと鳴った。
もう一度右から左に見渡す。 櫓の上を見る。 誰しもが心配げな顔をしている。
自分が持っているもので表現できなかった時には、拍手を送ろうと思っていた。
深く深呼吸すると目を瞑った。
紫揺が目を瞑ったのは離れているが故、民からは見えないが、僅かに頭を下げた事は分かる。
紫さまが俯いた、それはどういうことなのだろうか。 民の間に互いを見合う様子が見られた。 此之葉もどうしていいものか分からず、じっと紫揺を見ているだけだ。
「きゃー」 と所々から声が上がった。 その内に「わぁ」 という歓声が上がった。 子供たちが喜び、櫓の上にもそれが咲きほこった。
民たちのいる外周に花が咲き乱れた。
ニョゼが言っていた
『お心を庭に向けて頂けますか』 『シユラ様のお心は形になって現れます。 それがムラサキ様のお力です』 と。
だから、自分の持っているただ一つのもの。 力。 それを使った。 ニョゼが庭に心を向けるようにと言った、だから今回はお返ししたい人達に心を向けた。 そして感謝の気持ちをいっぱいに心に広げた。 すると拍手の出番はなくなった。
「紫さま・・・」
此之葉があ然として今も蔓のように伸びている花に見入っている。
此之葉にしても民にしても初めて見る紫の力である。
紫さま! 紫さま! と民が紫揺の名を呼んでいる。
紫揺がゆっくりと目を開けた。
民が今にもこちらに駆けだしてきそうだ。 それこそ領主が言っていたように怪我人が出るかもしれない。 それは避けたい。
伸びていた花が終わることを知らず、民の頭上を覆ってきた。 ネモフィラ、アリッサム、ルピナスそれらによく似た花がとうとう民の頭上を覆った。 民の足元には芝桜に似た花が伸びている。
あまりのことに民たちが出しかけた足を止め、立ちすくみ茫然と頭上を見ている。
次の瞬間、頭上でも足元でもパァッと花びらが弾けた。 花吹雪が頭上に舞い落ちてくる。 伸びていた茎も蔓も葉も緑の光りとなって降り注ぐ。
「・・・紫さま」
呼ぶが紫揺の方を見ていない。 見事な花吹雪から目が離せないのではない。 紫の力から目が離せない。
一人一人と民がこちらを見だしたが、誰も走ってくる様子はない。 やっと我に返った此之葉が見たのは、誰も座っていない椅子だけであった。