虚空の辰刻(とき)  第162回

大福りす
『虚空の辰刻(とき)』 目次


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- 虚空の辰刻(とき)-  第162回



ハルの家に着くと既に此之葉が家を囲む塀の外に居た。

「此之葉」

此之葉の後ろから声を掛けると振り返った此之葉が阿秀を見た。

「中に紫さまと葉月が居ます」

覗いてみると縁側にハルが座り、その横に紫揺が座っている。 葉月はハルの斜め前に立っていた。

「・・・と訊かれてもなぁ。 わしは、爺さんと婆さんから話を聞いただけで見てはおらんからな、爺さんと婆さんもそうじゃ」

「そうですか・・・」

「じゃがな、話に聞くと男どもが切羽詰まったように、紫という名の女の子を探しておったようじゃ。 爺さんも婆さんも、探してやるから落ち着きなされと言ったと聞いとる」

「・・・」

「爺さんと婆さんは見てはおらんかったが、傷を負った女の子がいたという話があると聞いた。 その女の子のあとを婆さんの息子に、わしの父親やの、探すように言ったが、九州本土に行ったことしか分からなんだ。 施設に入ったとな」

「・・・施設?」

「まだ子供じゃったから。 どこの施設かまでは分からんかったらしい」

紫揺が両手で顔を覆った。

「紫揺さま・・・」

思わず葉月から声が漏れる。 ここで終ろう。

「ハルさん。 有難うございました。 物々交換は上手くいきましたか?」

「ああ、今晩にでもおすそ分けを持って行くからの、楽しみにしてるんじゃな。 それより・・・」

紫揺に視線を流す。

「この子は?」

紫と呼ばれていた女の子の話を聞きに来たこの子は?

「紫さんの遠縁にあたるんです。 ハルさんが何か知っていればと思って尋ねちゃいました」

紫の孫とは言わず、遠縁と言っておく。

「そうかの。 何も知らんで悪かったの」

紫揺が首を振る。

「気を落とすでないで。 あの子は立派に生きとるで、もう相当な歳じゃろうが、きっとな」

紫揺が何度も頷く。

「有難いことじゃ。 歳を経ても探してもらえるなんとな」

「あら、ハルさんが居なくなったら、私は寿命が尽きるまでハルさんを探しますよ」

「こりゃ、有難いことじゃ」

ヒャッヒャと、ハル特有な笑い声をたてた。

「葉月は此の地をよく分かっているようだな」

日本のことは阿秀もよくよく分かっている。 日本で働き生活も立てていたのだから。 その時に知った日本は東の領土と似たところもあるが、荒(すさ)んだところもあるということだった。

だがここは、この島は、特に人情というところで東の領土とは変わらなく荒んだところも無い。 だからと言って東の領土と同じように振舞っていくには無理があるだろう。 自分たちはこの地の者では無いのだから。

だから相手のことを重んじたことを口にし、行動に移すということは容易なことではない。 それなのに、それを葉月がしている。
コクリと此之葉が頷いた。


「阿秀」

ハルの家から出てきた葉月が阿秀の姿を見た。

「ね、このまま紫揺さまを海にお連れしたいの。 いい?」

葉月の後ろで頭を垂れている紫揺の姿が見える。 ハルから思ったことを聞けず気落ちしているのだろう。

「いかがなさいますか?」

阿秀が紫揺に尋ねた。

「阿秀、そんなこと訊かないの」

「え?」 

葉月が思いもしないことを発した。

「行くに決まってるでしょ、ね、紫揺さま。 さ、行きましょう」

紫揺の手を取ると走り出した。 紫揺も手を取られていては足を動かすしかない。

「阿秀! 夕方頃に帰るから。 心配しないでいいからね。 此之葉ちゃん、夕食を作っておいてね!」

阿秀と此之葉が呆気に取られた。

紫揺が気落ちしているのは明らかだ。 葉月がその紫揺を元気づけたいと思っているのだろうが、あまりにも畏れ多い。 多すぎる。

だが阿秀の口から出たのは別のことだった。 今はそう言う以外に思いつく言葉がなかったのだから。

「此之葉・・・料理は出来るのか」

夢遊病者のように口だけが動いた。

「・・・冷や奴でしたら」

こちらも意識が薄いが、最上級の料理の腕を的確に、そして真実を答えた。

「・・・」

二人の無言はハルが声を掛けるまで続いた。


「えっと・・・ごめんなさい。 こんなに遅くまで」

「いえ」

葉月は夕方ごろに帰ると言っていたが、もう月明かりが出ている

「あの、私から今日領土に行くって言ったのに」

「阿秀、紫揺さまが悪いんじゃありません。 遊び過ぎた私が悪いんです」

殊勝に頭を垂れる葉月。

「いえ」

“いえ” と二度繰り返された。 玄関先に立つ俯き加減な阿秀の言葉が重い。

「えっと・・・明日に延期していただいてもよろしいですか?」

「領主がそれを望んでおりましたので丁度宜しいかと」

あくまでも冷たい物言い。

「怒ってますよね」

「その様なことは御座いません」

「絶対怒ってる」

これは葉月。

「葉月! 紫さまが今どんな状況におられるか分かっていないとはいえ、勝手に紫さまをお連れするなどと、許されることではないのですよ! 何事もなかったから良かったものの!」

いつ北の領土の者が攫いに来るか分からないのだ、いつも静かな此之葉が声を荒げた。

「ごめんなさい」

正直に謝る葉月だが、それ以前に声を荒げた此之葉に驚いた阿秀だった。

「でも、それじゃあ、あの時に阿秀がついて来ればよかったんじゃない」

ポソリと言い返す葉月にそう言われてしまっては阿秀も此之葉も返す言葉がない。

ハルに声をかけられてようやく我に戻った阿秀が紫揺と葉月の後を追ったが、時すでに遅かったのだろう、どこを探しても見当たらなかった。

きっとこの地をよく知っている葉月の秘密基地にでも連れて行ったのかもしれないと、諦めて戻って来ていた。 少なくとも北の領土者より阿秀の方がこの島をよく分かっているのだから、その阿秀に見つけられなかったということは、北の領土の者も見つけられないと思ったのと、下手に屋敷を空けてしまうと、屋敷に戻ってきた紫揺たちとすれ違ってしまう時のことを考えてのことだった。
今現在、屋敷には塔弥もいないのだから、何かあっては誰も紫揺を守ることが出来ない。

「あ、私が悪いのは分かっています。 領主さんからも気を付けるように言われていたのに、勝手なことをしてしまいました」

「紫揺さまがお謝りになることなんてありません。 私が紫揺さまをお連れしたんですから」

「葉月ちゃんが私を励ますために海に連れて行ってくれたんだもの、葉月ちゃんが謝ることなんてないよ。 それにスッキリした。 ありがとう」

葉月と紫揺の間ではそれでいいだろう。 遊んでいる時に、葉月が自分より年下と聞いたのだろう “ちゃん” 呼びを始めたくらいなのだから。

「紫揺さま・・・」

「怒るなら、私を怒って下さい」

阿秀を見て言うが、阿秀に怒れるはずなどないであろう。 阿秀自身の落度もあるし、葉月と紫揺の会話を聞いていても。
それに何もなく終わってくれた。 それが何よりだ。

「先程も申し上げましたが、領主が領土に行くのは明日に伸ばしてほしいと言っておりましたので、それで宜しかと」

答えになっていませんけど? そう言いたかったが今はその言葉を飲んだ。 自分が悪いのにケンカを売ってどうする。

「では、明日お願いします」

「承りました。 こちらからは、時間をかけなくとも領土に入ることができます。 お疲れでしょうから、藤滝さんの起床に合わせて領土に向かいたいと思います」

「分かりました」

―――絶対に朝早くに起きてやる。

紫揺と阿秀との間で話は治まったようだ。

「紫揺さま、お部屋にご案内します。 一人で寝られるのが恐かったら、私が一緒に―――」

「葉月!」

本日、最大音量の此之葉の叱責が飛んだ。


部屋まで葉月に案内され、その後、風呂に入った紫揺が部屋に戻ってくると、すでに布団が敷かれていた。
ちなみに、夕飯は冷や奴でもなければ、湯豆腐でもなかった。

ハルが物々交換の品を持って訪ねてきた時に、台所で無意味に鍋をひっくり返して大きな音をたてて尻もちをついている此之葉に代わって、ハルが作ってくれた品が並んでいた。 米粒も飯に変えてくれていた。

「葉月ちゃんが敷いてくれたのかなぁ」

ニョゼが切ってくれた髪の毛は少し伸びてきていたが、まだ簡単にドライヤーで乾かすことができた。

脱いだ下着や服を鞄に詰め、代わりにバッグの中に入っていた紙袋を出した。 紙袋の中には風呂敷が入っている。 天袋の中にあった箱の中の物を持ってきていた。 紫揺のお婆様であり、紫が着ていたと思われる服や装飾品。

「誰に見てもらえばいいんだろ」

それにどんなタイミングで。

「領土ってとこに行く前の方がいいのかなぁ」

明日の朝、ここを出る前の方がいいのだろうか。
バッグのファスナーを閉めると、紙袋をバッグの上に置いた。 ゴロンと布団に転がる。 六畳分の畳が敷かれているが、紫揺の家の六畳とは全然違う。 紫揺の家からすれば八畳くらいの広さがありそうだ。

ガラガラと玄関の戸を開ける音がした。

「ん?」

起き上がりソロリと足音を忍ばせて玄関の方に歩いて行くと、阿秀らしき影が戸を閉めたのが目に映った。 見送っていたのは此之葉だ。

「こんな時間にどこに行くんだろ」

もう夜の十時を過ぎている。

「あれ? 紫揺さま?」 

後ろから声が掛かり振り向くと葉月が居た。

「あ・・・」

盗み見をしていたのがバレた。
葉月が紫揺ごしに玄関を覗くと、此之葉の後姿が見える。

「此之葉ちゃん、お見送りしてたんですね」

「お見送りって・・・?」

「阿秀が家に帰ったんです。 っていうか、男たちの家です。 掘っ立て小屋ですけどね。 私や、独唱様はここに泊まりますけど、男たちはそちらで寝起きしてるんです」

「ドクショウ様?」

紫揺が小首をかしげる。

「 “古の力を持つ者” です。 此之葉ちゃんのお師匠さん。 ちなみに、うーんと・・・斉唱の反対の独唱って字を書きます」

「斉唱の反対・・・独唱様・・・。 “古の力を持つ者” で此之葉さんのお師匠さん」

「はい。 で、その独唱様は此処に居る時は領主の家で寝起きをしますけど、男たちは掘っ立て小屋。 阿秀は領主の家でもいいんですけど、男たちが気になるんでしょうね」

領主を除く男女別に寝所があるということか?

「掘っ立て小屋ってどうして? 家じゃないの?」

「家にしちゃうと島の人からおかしく思われますから。 万が一見られたら、男が何人も一つの家に住んでるなんて変でしょ? だから、ここの敷地内に外から見たら物置みたいに見えるようにって建てたんです。 えっと・・・今の男たちの、お爺さん? お父さん? どっちだったかな? ま、今の男たちじゃないんですけど。 それに一応ここでは、男たちはいないことになっていますから」

「どういう意味ですか?」

「男たちの中で島民に顔を知られているのは阿秀と・・・紫揺さまがここに来られた時に居た男が居たでしょ? その二人だけです。 でないと領土に帰っている間に、ここから男たちが一人も居なくなるのはおかしいでしょ? 阿秀は何かの研究をしてるってことで、しょっちゅう本土に行ってるってことになっていますし、領主もそれに同行しているってことになっていて、ここを空けながら領土に帰っています。 男達もたまに見られますけど、その時には阿秀の手伝いの本土の者ってことになってます」

「そうなんだ」

北の屋敷には、他の目と言っても事情を知らない働く者が数人しかいなかったから、そこまで配慮する必要はなかった。

「葉月ちゃんは、ずっとここに居るの? 領土には行かないの?」

「帰ります。 時々ですけど。 その為に出来るだけここに居る時には、居ますよアピールをしてます」

「ハルさんの所に行ったり?」

「それもありますけど、ハルさんにも、ハルさんのご両親にも、祖父母さんにも、我が領土代々がお世話になったんです。 少しでもご恩返しをしたくて。 話し相手になってるだけですけど。 でも、お話をすることで色々教えてもらっています。 お料理もハルさんから教わりました。 最初は領土と素材が全然違うから全く分からなくて」

「そうなんだ。 味が似てると思った。 すごく優しい味」

「あ、ちゃんと教えてもらった通りに出来てたかな。 この島はみんな濃い味らしいんですけど、ハルさんはそれが苦手らしくて。 でもその方が私たちにはいいんです」

「うん、美味しかったし、同じ味がした」

「有難うございます。 嬉しい。 やっぱり、紫揺さまは紫さまですよね」

「え?」

どういう意味だろう。

「揺れちゃわなくていいです。 紫さ・・・あわわ」

葉月の様子に何事だろうかと、葉月の視線の先である後方を振り返った。 するとそこに此之葉がいた。

「葉月、お料理のことならまだしも、紫さまのことをお話するんじゃありません」 

そう言うと、一瞬紫揺に視線を合わせ、腰を折った。

「要らないことを申しました。 お許しください」

「いえ・・・そんなことは。 って、あの、紫・・・のことを話してもらうのが要らない事なんですか?」

「葉月は事情を分かっておりません。 紫揺さまがどうお考えになっておられるかということを。 その事につきましては明日の朝、領主からご説明があると思います」

ではお休みなさいませ、と言って葉月を連れ去って行った。

ポツネン。

廊下に一人佇む紫揺。

「ニョゼさんだったら部屋まで連れて行ってくれるのにな・・・」

この後、葉月が此之葉からコンコンと叱られることを知らない紫揺から無意識に本音が出た。

「あ・・・私ったら、そんなことを考えてたんだ」

ニョゼ離れがまだ出来ていないようだった。 学校時代の友達に会うとか、シノ機械に顔を出すとかということはしようとも思わなかったのに、もしどこかでニョゼに会えるとするとすっ飛んでいくだろう。

「結局甘えてるだけなのかな・・・」

とぼとぼと廊下を歩いた。


「・・・ん」

人の行きかう足音で目が覚めた。

「何時・・・」

枕元に置いていた腕時計を手に取ると十時を指していた。

「ウソ!!」

飛び起きるとすぐにジャージからGパンに履き替えた。 上は薄手の長Tシャツ。
布団をたたみ部屋の隅に置くと、襖を開け廊下を歩いた。

「あ、お早うございます」

葉月が盆に料理を載せて足早に歩いていた。

「お早うございます」

心の中では、遅ようございまして申し訳ありません、と言っている。

「すぐに紫揺さまのお料理も持って上がります。 広間でみんなと一緒にお召し上がりください」