虚空の辰刻(とき)  第140回

大福りす
『虚空の辰刻(とき)』 目次


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- 虚空の辰刻(とき)-  第140回



「此之葉どうしてるかなぁ」

醍十が唐突に言った。

「お前っ! 紫さまのことより此之葉のことが心配なのかよ」

誰もが言いたいことを代表して悠蓮が言う。

「あーん? 紫さまのことは現状、若冲に任せてるんだろがぁ。 今の俺らにどうしようもない。 それに比べて此之葉は領主に預けてるんだぞ。 だったら此之葉のことが心配になるだろうよぉ」

「領主と一緒に居るんだからそれでいいじゃないか、何が心配なんだよ」

「領主はコッチのことはよく知らない。 此之葉もなぁ」

「ホテルにじっとしていればなんてことないだろ」

「そこだ! そこが心配なんだ」

「は!?」

「じっとばかりしてちゃ、食うもんも食わない可能性があるだろ。 此之葉ちゃんと食ってるかなぁ」

阿秀以外が歎息と共に仰け反ったり、頭を抱えた。

「安心しろ。 ルームサービスを頼むまでは出費がかさむからできなかったが、それなりのものは置いてきた」

「それなりって? まさかパンやインスタントじゃないでしょうね」

「ま・・・まぁ、な。 ・・・そのようなもの、だ」

夕飯までは同行していた。 だから朝食用にとサンドイッチとお湯を入れるだけのスープを置いてきた。 しっかりと醍十に指摘されたものを置いてきていたのだった。

「っとに、阿秀までそんないい加減なものを此之葉に食べさせて」

横目で阿秀を睨んでいる醍十に他の者が絡んでくる。

「お前は此之葉のなんなんだっ」

「親父か!」 

「せめて兄貴って言え」

言い返すと今度は悠蓮と湖彩に睨みをきかせる。

「じゃ、兄貴は妹に気をもんでおいてくれ」

阿秀がおもむろに立ち上がると醍十の肩をポンと叩き、サロンを出て操舵席に向かい若冲の横に立った。

「どうだ?」

そろそろ小型船を眼中に捉えてもおかしくない。

「それが、全く見えないんです」

先には夜釣の小舟がプカプカと浮いている灯りしか目に入らない。

「ふむ・・・あの後にスピードを上げたか」

考えていなくもなかった。 だがあの時にはああ言うしかなかった。

「すみません」

「私が間に合うと言ったんだ。 若冲のせいではない。 それに無理をすることはない。 あの子供・・・少女が紫さまだったとしたら手はまだ考えられる。 今、少なくとも二本の糸が垂れている。 二本目は簡単に切れるかもしれないがな」

若冲が一瞬、阿秀に目を向けてまた前を見た。

「あの少女が紫さまだったとしたら、どこに向かわれると思う?」

「・・・あ」

「だろ?」

「その為にあの家を置いといたんですか?」

紫揺の家のことである。 紫揺が攫われてからは阿秀たちが家賃を払って借主である紫揺の存在を存続させている。

「それだけじゃないがな。 まぁ、船を捕まえられなかったら、野夜でも乗せて誰かに駅まで送らせ電車で家に向かってもらおう」

紫揺が電車で家に向かえば車では到底追いつけない。

「あとの者は?」

「紫さまのことが一目で分かる若冲と悠蓮にそれぞれ誰かを引き連れて、まずは船着き場周辺を当たってもらう」

小型船も阿秀たちが船を停めていた船着き場に向かっているはずだ。 あの船着き場が島から一番近い船着き場であるということと、あの小型船で遠くの船着き場には行かないと考えている。
若冲も同じように考えているから、阿秀が言うまでもなく停めていた船着き場に戻っている。

「まだ電車が出ている時間じゃないからな。 船着き場からタクシーを呼ぶにも時間がかかるだろうし、車で出た様子があればその時の話だ。 それでだめなら可能性のある場所を探してもらう。 やはり紫さまを写真で知っているだけでは雰囲気がつかめないからな」

梁湶が作成した紫揺のプロフィールには、学校に忍び込んだ時に手に入れた卒業アルバムの集合写真から、紫揺の写真を写メった写真が貼り付けられてあった。
それは表情無くまじめな顔をしてカメラを見つめていた写真である。 到底笑っている、動いている紫揺を想像できる写真ではなかった。

「可能性のある場所とは?」

「紫さまが地元に帰られるのは間違いないだろうが、もしあの島から抜け出てきて後を追われると思われているのなら、すぐに家にはお帰りにはならないかもしれない。 どこかで様子を見られてからになる可能性もある。 だが、その間に北に見つかるかもしれない。 紫さまのことを特に詳しく調べた梁湶に思い当たるところを考えてもらう。 まぁ、その前に船を降りられた後の紫さまがどういった移動手段を使われるのかが全くもって分からない。 あの一緒に居た青年か操縦していた者か、若しくは二人ともが下船後も関わるのか、或いはそうでないのかも」

「出港記録から割り出します」

紫揺が乗っていたと思われる船の進行方向から、阿秀たちが船を止めていた船着き場に戻ることは想像できた。 いや確信があった。

そしてこれが二本目の糸と分かった。

「頼む。 あとどれくらいかかりそうだ?」

「いくらもかかりません」

「夜明けと同時か?」

「残念ながら同時より少し遅れるくらいです」

「分かった。 一旦サロンに戻る」

サロンに戻ると、若冲に言ったことを繰り返して他の者たちにも聞かせた。

「すぐに船を追わなかった私のせいだ。 謝る。 まだまだ動かねばならんことになってしまったが、よろしく頼む」

阿秀があの時、船を追うことを選ばなかったのは、万が一、追った船に乗っていた少女が、紫揺でなかった時のことを思い、そう判断を下したのは誰もが分かっていた。
そしていつまた、紫揺が北の領土に入るかもしれない。 島に上がるのは一日も伸ばしたくなかった。 誰もがそう思っていた。 それを若冲と悠蓮が見た少女が確信もなく、紫揺かもしれないということでそちらを選び、間違いでしたでは済まない。

間違った後に、今日にも紫揺が北の領土に行くかもしれないのだから。 そうなれば若冲と悠蓮の立場がない。 阿秀はそれを何よりも危惧したのだ。 誰もがそれを分かっている。 だから阿秀が謝るのは筋が違う。 でもそんな阿秀だから誰もがついてきている。
その阿秀から船を下りた後の各々の行動が続いて話された。

「どうして俺が紫さま探しから外されるんですか!」

すぐに紫揺の家に行くように言われた野夜だった。

「北の者が来るかもしれん。 その対応もある」

「なら、梁湶でしょう」

「何で俺だよ」

「まずは見た目だ。 俺みたいなちっこいのより、お前の方が威圧をふるえる」

「なら、俺だろぅ」

すかさず醍十が言ったが、誰もが白い目を向ける。

「口で負けるのは目に見えてる」

誰かがそう言ったのに醍十が言い返そうとしたが、その前に阿秀が口を挟んだ。

「いや、醍十にはホテルに戻ってもらう」

「え?」

全員の目が阿秀に集まる。

「長引くかもしれん。 領主と此之葉の面倒を見てもらう」

「阿秀、そりゃ此之葉のことは気になりますが、紫さまを探すのはさすがの此之葉の心配より上回ります」

「お前さっき言ってたことと違うだろう。 さっきは若冲に任せてるって言ってたんだから、今度は俺らに任せるってことになるだろ」

少し前にそう言われた悠蓮が言う。

「事態が違うだろぅ。 若冲に任せず船を降りて泳ぐわけにもいかないんだからな。 阿秀、頼みます。 外さないでください」

「とは言われてもなぁ・・・」

領主と此之葉を放っておくことは出来ない。

「昼飯」

醍十の声に阿秀が顔を上げた。

「昼飯時まで一緒に探させてください」

領主と此之葉の朝食は、醍十に苦言を呈せられたが阿秀が用意をしていた。 この事態だ、苦言を呈しながらも阿秀の用意した朝食で領主と此之葉・・・いや、醍十が考えるのは此之葉だけだろう。 醍十から考えると散々な朝食のようだが、この際だ、此之葉の朝食と受け取ったようだ。

「あ・・・ああ。 そういうことか。 では、それで頼む」

夜明けから昼時迄。 その数時間でも人手があるに越したことはない。

「お前・・・そんなに飯が気になるのか?」

呆れたように悠蓮が言う。

「ああ。 此之葉は見張ってやってないと、まともに食べないからなぁ。 こっちの食い物をあまり気にいってない」

阿秀が梁湶を見た。 梁湶は一時ではあるが、醍十が悲しみに暮れて領土に帰ってしまった時に此之葉についていた。

「いえ、俺にはそうは見えませんでしたが・・・。 コンビニ弁当を普通に食べてました」

「コンビニ弁当? 此之葉がそんなものを進んで食べるわけがないだろうがぁ」

「どういうことだ?」

梁湶ではなく阿秀が訊いた。

「何を食べさせても、混ざり物が多すぎると言うんですけど、特にコンビニ弁当は嫌がってました」

そう言えば、と醍十から受けていた連絡を思い出す。

「のり弁を買わせたがこれも気に入らなかった、そう送ってきたあれは、そういう事なのか?」

「はい。 会社に行くには、どうしても弁当を持たせなくちゃなりませんので、のり弁ならマシだろうと思ったんですけど、気に入らなかったようです。 全部食べたとは言っていましたけど、まぁ、会社に持って行く弁当ですから、見張ってることも出来ず全部食べたかどうかは分かりませんが」

「じゃ、家では何を食べさせてたんだ?」

梁湶が訊く。

「スーパーで食材を買ってきてだな、俺が作ってたけど食材そのものも調味料も気にくわないらしい。 塩さえもな。 たった一つ文句をつけなかったのが豆腐だ」

「豆腐?」

「手作りの豆腐屋で見つけた豆腐だ。 あれだけは文句を言わず食べた」

「え? いや・・・俺は、その、ずっとコンビニ弁当を食べさせていたけど、そんなことを此之葉から一言も聞いてない」

阿秀が小さく笑うと、思い出したことがあった。 そういう事か、と小さく呟くと今度は誰にも聞こえるように言う。

「私が見ていた時も何も言わなかった。 此之葉は醍十と一緒に居て変わったようだな」

『此之葉の腕なら骨ごと一噛みで終わりだ』 そう言った時、此之葉が自分の腕を抱え込んだ姿を思い出した。 それに 『醍十と一緒に居ることが多くなってから、此之葉の頬がふっくらしたようだな』 そう言った時には頬を覆っていた。

きっと醍十が此之葉の顔色をうかがうことなく、気を使うことなく 『どうだ? 美味いか?』 『美味いに決まってるよな、俺が作ったんだからな』 『好き嫌いするんじゃないぞ、そんなことをしていては太れん。 此之葉は細すぎる』 『こら、残すんじゃない。 俺が食わしてやるから口を開けてみろ。 ほら』 などと言っていたのだろう。 いや、これが醍十の気の使い方かもしれないが、いずれにせよそれが表情の無かった此之葉にとって吉と出たのだろう。

「まさか此之葉が醍十のとんでもない影響を受けたんじゃないでしょうね?」

思わず阿秀に訊いた野夜に醍十が冷ややかな視線を送る。

「表情が出てきたと言えばいいのか。 だがそれもまだまだ徐々にだろう。 食へのことを言えるのは醍十だけなのと同じにな」

「醍十・二号にさえならなければいいですけど。 でもまぁ、食べ物への気持ちは分からなくもないな」

ポツリと言ったのは野夜だった。 野夜は一日も早く領土に帰りたいと思っている。 その中に食べ物のことが無くはない。 領土とこの日本の料理が遠く離れているとは言わないが、それでも多少なりとも食材や味が違う。

阿秀がサロンの窓から外を見た。

「では、それぞれ頼む」

阿秀が立ち上がると全員がそれに倣った。

外は薄明りの中にあった。
船着き場が確認できるようになった時には、まだ薄暗くはあるが、辺りが見まわせるほどになっていた。

「阿秀!」

操舵席から若冲の声が聞こえた。
阿秀が駆け寄ると若冲が一点を指さした。

「あの船か・・・」

「間違いないと思います」

「阿秀・・・」

阿秀に続いて悠蓮もやって来ていた。
遠目ではあるが、船には操縦していたと思える男が見える。

「近くにつけてくれ」

「了解」