虚空の辰刻(とき)  第75回

大福りす
『虚空の辰刻(とき)』 目次


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- 虚空の辰刻(とき)-  第75回



前足の動きが止まった。

「立つんだったらゆっくりと立てよ!」

冗談などではなく、本気で言っている。
そして冗談にもならないことを、と思いながら言いつけは守る。 頭をかち割られたくない。 ゆっくりと立ち上がる。

「居なくなったって・・・どこから?」

「領主の家から」

此処に来る前に領主の家を確認に行った。 女たちもいない、もぬけの空だった。

「何処へ向かったんだ?」

「それが分かってりゃなんてことない。 何処か分からない。 だが、娘のことをずっと見ていたらしい仔ヒトウカが言うに、南へ向かっていたらしい」

「仔ヒトウカ? まさか、斥候と一緒に行った?」

「その仔かどうかは分からないが、きっと同じ仔だろうね」

「そうだろうな。 ・・・仔ヒトウカが里に下りるなど。 見ていたというのはあの娘のことだな?」

念を押して訊く。

「ああ、そうだろう。 領主の家はもぬけの空だったからな。 でも、あの娘が領主の家から出たという事をアンタが知らないということは、リツソ様もこのことをご存じ無いってことかい?」

「・・・多分な」

「多分?」

「リツソ様をあの娘の所に連れて行ったあとは離れて待っているだけだ。 どんな話をされているかまでは知らん。 だが、そんな話があれば聞くと思うのだが何も聞いていない」

「ここの所出番がないと言っていたが、もう何日も行ってないのかい?」

「ああ、あれから送って行ったのは二度だけだ」

「あれからってのは、おんぶ紐の後からってことだね」

嫌なことを思い出させてくれる。 あの時の姿を想像しただけでも情けないし、これでもかという程、門番に笑われた。

意趣返しをしておくというトコロだろう。 さっきのシグロの顎に頭頂部を入れた事への仕返しに違いない。 さっきまでは今度同じことがあったら頭をかち割ると言っていたが、この意趣返しであと一度は見逃してやろう、と暖かくも自分勝手な思いやりだろう。 だが頭をかち割られるよりこちらの方がマシかと、深く溜息を吐いた。

「アタシには、マツリ様がどう考えておられるかは分からんが・・・」

ハクロを見てどうだ? と顔で問われハクロが首を振った。

「分からん。 リツソ様が行かなくなられてからここを出られた」

「出られた?」

良かった。 『おんぶ紐の後からかい?』 と再度の意趣返しをされなかったことに安堵する。

「ああ。 そろそろ・・・今日あたり帰って来られると思う」

「では、娘が居なくなったことをマツリ様はご存じないという事か?」

「そうなるな」

「マツリ様はどこに行かれたんだい?」

「あちこちを回られて、最後は地下だろう」

「・・・地下?」

シグロの全身の毛穴に怖気が走る。

「マツリ様は頻繁に地下に行かれているようだ。 時が空くと地下に行かれている」

「地下で何かあったのか?」

「分からん」

「・・・リツソ様の事でか?」

「言い切れないが、そうかも知れん。 マツリ様は何も言われない」

ここ本領において地下でのことはマツリが動いている。 地下は本領で生きられなかった者たちの吹き溜まりであった。 十数年前まではそれだけだったが、今はそれにプラスして邪心が蠢(うごめ)く世界でもある。 リツソが地下からいつ狙われるか分からないことは、少し気を止めれば誰もが考えること。

マツリがリツソのことで動いているかもしれない。 大きなことが起きるかもしれない・・・。

「・・・そうか。 マツリ様にこれ以上、荷を負っていただくわけにはいかんか・・・」

「そうだな。 だがマツリ様が何を考えておられるかが分からん」

「お前をリツソ様の足にしたことか?」

「ああ」

ハクロがそう言ったきり、どちらもが口を閉ざした。
沈黙が続いた中、口を開いたのはシグロだ。

「マツリ様がお忙しくしておられようとも、報告を怠っては、それがマツリ様のお怒りを買うだろうな」

「ああ」

「間違いなく今日帰って来られるのか?」

「・・・多分」

気の弱い返事にシグロが胡乱な目を寄こす。

『ああ。 そろそろ・・・今日あたり帰って来られると思うが』 と先に言ったことに目で念を押す。

「マツリ様と話す時すらないのだから何を考えておられるかは分からん」

「・・・そうだな」

回廊の下、今は隣り合って二匹で伏せている。 漂う空気は疑問であったり、危惧や懸念、憂惧であったりする。
どれにしても、マツリのことを想う気持ちである。

マツリの帰りを待つ。 長い。 辺りはもうとうに、人の気配は消え、闇夜な中に月が顔を出して長い。

すると漆黒の闇の中、ホゥホゥと鳴き声が聞こえた。 マツリの供であり、マツリをその身に乗せているキョウゲンの声だ。

「お帰りになられた!」

二匹が立ち上がり駆けだした。 立ち上がる時には並列に並んでいた故、どちらかがどちらかの顎や頭頂部を打たせることはなかった。

マツリがキョウゲンの背から跳び下りる影が月明かりに映る。 マツリを下したキョウゲンが縦に一回りすると、その身体を小さくしマツリの肩に乗る。

「マツリ様!」

二匹がマツリに駆け寄った。

「シグロか」

ハクロが居るのは当たり前だがシグロがここに居るのは不自然と、シグロの名を呼んだ。

「お帰りなさいませ」

ハクロが言うが、それをもどかしく思うシグロ。

「シグロ、言いたいことがあれば申せ」

(この方は、マツリ様は何も言わなくとも分かっておられる)

「お疲れのところを申し訳なく思いながら、娘が領主の家から居なくなりましたことをご報告申し上げます」

マツリは黙っている。

「娘の足取りを今探させています」 言うとすぐに口を閉じた。

「以上か?」

「はい」 シグロがマツリを目で捉えながら顎を引く。

「では、まだ途中という事だな」

「はい」

「リツソは知っておるのか」

シグロに目を向けられたがこれに応えるのはハクロであろう。 シグロがハクロに視線を送る。

「ご存じないかと」

「何故だ」

あれ程までにあの娘のことを想っていたのに。

「マツリ様が発たれてから、リツソ様はあの娘の所に行かれなくなりました。 リツソ様と娘の間に娘が発つという事が話に出ているのかは知るところではありませんが、もしそうであればリツソ様に何某かのことがあったと思われます」

「何某かが無かったという事か」

「はい」

言われれば思い出す。

『お前には毎日あの娘の所に行っていいと言ったはずだが?』

『はい、しかと聞きました』

『では何故ここに居る』

『それは、決まっているではありませんか』

『決まっている?』

『勿論です。 我は師に教えを乞うているのですから』

あの時、リツソの後ろで初老の男、リツソの勉学の師が恭(うやうや)しく頭を下げた。 それに安堵した。 リツソが目覚めてくれたのだと。

だがリツソの発火役となる娘が居なくなった? リツソがそれを知らないかもしれない? 己が此処を後にしたあと娘に会いに行っていない?

「リツソはどうしておる」

「申し訳ございません。 今のリツソ様のことは分かりかねます。 ここでリツソ様の命を待っているだけですので」

「・・・確かにそうだな」

そう命じたのはマツリだ。

「今宵はもうよい。 シグロは北に帰り娘の行方を探れ。 ハクロは今までのようにここに居ろ」

「御意」

シグロの後姿を見送る。 普通なら見送られるのはマツリの方だ。 だがマツリはそんな甘んじた人間ではない。 どれだけ速やかに動くかという事を見届ける。 それを知っているシグロが走り出した。 マツリを見送るのはハクロの役目。

長靴を脱いだマツリが階段を上がる。 回廊に足を運びながら考える。

マツリの足音を耳に聞くと回廊下に入り込んだハクロがようやく四肢を折り伏せた。

「迷子と言っていた。 確かに・・・北の人間ではない」

それは魔釣に値する人間かどうかということを視た時に分かった。
いや、その前から。 黒い瞳を見て、北の領土の人間でないことは視る前から分かっていたが、迷子で終らせられる話ではない。

紫揺のことを即時徹底的に調べねばならなかったのに、悠長に構えてしまった。 このまま紫揺の足取りを掴めなければ、自分の取った判断はなんと暗愚だっただろう。

「何故、あの時、姉上のお帰りを待とうと思った・・・?」

紫揺を捉えて本領に連れて行くべきだったのに。 記憶を遡る。

「・・・怒髪、した」

あの程度のことで。
初めて紫揺と会った日に怒髪をした。

『ハクロ! シグロ!』

マツリの髪の毛を結んでいた紐がスルリと解け、髪の毛が毛先から逆立ってきた。 そしてその銀髪が徐々に赤くなってきた。

『は、はい』
逃げ遅れてしまった二匹が慌てて返事をした。 そう、あの時に何故にあれ程までに怒ってしまったのだろうか。

「どうしてあの時・・・」

言葉を有るがままに出す。

『俺の眼がくすんでいるとでもいうのか!』

どうしてあんなことを言ってしまったのか。

「・・・分からない」

いつも冷静沈着なマツリが自分に疑問を覚えた。

「何よりも報告か・・・」

こうなっては即座に父上である四方に報告せねばならない。 紫揺のことを。 紫揺の足取りが見つかるなどという話ではない。 見つかる、見つからないではない。 北の領土に領土以外の人間が入っていたことを報告せねば。 と、北の領土のことを考える。

「もしかして、北の領土に歪が入っているのか・・・?」

マツリを何故、二つ名の片方である祭と呼ぶか。 それは年に一度の東西南北の領土の祭に顔を出すからだ。
そして北の領土も例外ではない。

「祭の時には領主も五色も居る。 民におかしな者が居る様子もない。 狼たちからの報告も特にない・・・。 思い過ごしか? それとも知らない所で歪んできている?」

その歪みが原因で他の領土の民が北の領土に入り込んだ? いや、有り得ない。 それはあまりにも突拍子もないことだろう。

考えるが今までに領土の民以外の者が、どこかの領土にいたなどという事例はないはず。 思い当たるところが何もない。

頭を一つ下げる。 同時に目を伏せる。 そのままの姿勢でじっと待った。 誰を待っているわけではない。 己を待った。

「行くか・・・」

頭を上げ、一言つぶやいた。

「御意」

マツリの肩に乗っていたキョウゲンが空に羽ばたくと、回廊を戻り階段を降りると脱いだばかりの長靴をもう一度履いた。

行く先はシグロの元。

寒風を身体中に受け、北の領土を飛ぶ。

ホウ、ホウと、キョウゲンの声が夜空に舞う。 その声に呼応して、シグロがその身を露にして長い咆哮で応える。

「あそこか」

キョウゲンがシグロの近くまで滑空しマツリが跳び下りる。

「マツリ様! いかが為されました」

「先程聞き怠った。 以前に訊いた以外に領土に歪は見られないか?」

突然の問いだった。

「その様なものは御座いません」

「思い過ごしか・・・」

「・・・申されますと?」

「この地に歪が出て、それが原因で乱れが出ているのではないかと思ったが、以前に聞いた程度のものだけならば、歪が出ているわけではなさそうか」

シグロが頭を下げる。 難しいことを考えるのはシグロの仕事ではないが、気付いたことを報告するのは役目だ。

「・・・申し」

「申せ」

「あの娘が・・」

「何か?」

「娘が何かを持ってきたのではないでしょうか」

「持ってきた?」

「はい。 あの娘が・・・。 娘は・・・リツソ様をも変えられました」

「リツソを変えた・・・」

あの強情で自由気ままで何も知らない能天気なリツソを変えた。 それは分かっている。

「言い切ることは出来ません。 何より娘が来るより先に火は上がっていましたから。 ですが、娘が何か関係しているのではと」

「娘が原因かどうかは分からんが、いずれにせよ娘を探すことが何よりということと言いたいのか」

「はい」

「では此処はお前に任せる。 些末なことも報告せよ」

「御意」

キョウゲンに飛び乗るとすぐに本領に戻る。

「父上に報告が一番か。 お知恵を頂くしかないな」

キョウゲンの背の上で一人ごちるが、その台詞をキョウゲンは聞いている。 だが一言も挟まない。 それはキョウゲンに話しかけられたのではないのだから。

今は真夜中。 四方を叩き起こすわけにはいかない。 朝になるのを待たなくてはいけない。 

―――時が意地悪く思える。

「え? 何故だ?」

どうして時が意地悪く思えるのか?

「ああ、きっと己の責を分かりたいと思っているのか・・・」

己を己が分析する。

「マツリ様のせいではございません。 マツリ様はお忙しすぎます故」

耐えられなくなったキョウゲンが言う。

「いや、己の責は己にある。 怠慢であった」

「怠慢などと! どれだけお忙しくされておられるか!」

翼をはばたかせながらキョウゲンが声を荒立てる。

「忙しいなどと、言い訳に過ぎぬ」

「ですがっ! マツリ様は地下の者どもがリツソ様に―――」

「言うでない。 リツソのことは俺の勝手でしている。 勝手にしていて為すことをしなかった。 それは俺の怠慢にしかすぎない」

「マツリ様・・・」

「キョウゲン・・・お前しか俺に付き合ってくれないのだから、頼む」

「口が過ぎました。 お許しを」

「俺からの許しなどお前に必要ない」

眼下には本領の宮が広く映っていた。