虚空の辰刻(とき) 第28回
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翌日早朝、紫揺が頭に描いていた計画が為せることが出来るかどうか、ガザンを味方につけられるかどうかを確かめようと、まだ屋敷の者が動いていないであろう時間に部屋を出た。
季節は5月に入っていた。
どこか分からないこの屋敷だが、そろそろベンチコートを手放そうかどうか迷い、手に持ったり離したりしたが、結局、今日が最後と手に取った紫揺がドアを開け、辺りをキョロキョロし誰もいないことを確認すると、肩にベンチコートを乗せ大階段の手すりに両手をついたかと思うと両足を蹴り上げ、横座りで尻を手すりに置いた。
手を離し3階からそのまま手すりを滑り台のようにして滑り降りる。 2階でいったん手すりが床と平行になるため、上半身をバネにしてポンと飛び降りた。
「あれ? シユラ?」
こんな早朝から思わず声が掛かり心臓が飛び出そうになる。
「あ・・・セイハさん」
「こんなに朝早くどこにいくの? え? もしかしてシユラも行くの?」
「え? どこにですか?」
「・・・ってことはシユラは一緒じゃないんだ。 ・・・ん、でも一緒に行けばいいのに。 そうだよ、そうだよ。 ね、一緒に行こ」
セイハがシユラの腕をとって組むとズルズルと引っ張って階段を降りだした。
紫揺を見守っていた2つの影の内、1つの影が揺れその場を離れた。
「え? え? どこに?」
大階段で1階に下りると4色の瞳がそれぞれソファーに座っていた。
全員が大階段を降りてきたシユラとセイハを見る。
「へぇー、シユラ様も行くの? 聞いてなかったけど?」
アマフウの隣に座るトウオウが紫揺の姿をまじまじと見ながら頬杖をついて言う。
その隣のアマフウの今日の衣装は控えめでは終わらない地味すぎるほどの衣装。 今まで見たこともない衣装である。 が、よく見れば全員が似たような衣装であった。
立て襟に膝上までの丈の上衣は合わせをボタンの代わりに細い皮紐で括っている。 そして後ろにスリットが入っているが、そこも細い皮紐で括られている。 なんのためのスリットか分からない。
上衣の下は筒ズボン。 上下とも皮で出来ている。
よく見ると服の色はそれぞれの瞳の色をしていた。 トウオウだけは右半分が赤で左半分が薄い黄色、というのではなく白である。 革製で少しのデザインの違いこそあるが、基本的に全員が同じような服を着ている。
靴も皮で出来ていて、紫揺から見ては分からないが、靴中はボアで暖かく仕上げてある。 そしてそれぞれの横に上衣と同じ色の外套と、耳当ての付いたフカフカの帽子を置いている。
「あの、いったいどこに行くんですか?」
「あぁら? どこに行くのかご存じないわけ? それじゃあ論外ね。 なぁに? セイハが勝手に連れてきたの?」
「シユラも屋敷に居るんだもん。 一緒に行ってもいいでしょ? セッカお姉さま」
「セイハ、それはムロイが決めることよ」 目の前にある大きな時計を見て、さも仕事をしたそうにするキノラが言う。
「ムロイが連れて行くはずないじゃない。 まだ何にもなにもまともに出来ないのに」 アマフウが誰を見ることなく言った。
「あら? シユラに袂を燃やされたのは誰でしたっけ?」
「っ!? セイハ! アンタ!」
「止めろよ。 セイハが何を言おうとムロイが決めることなんだから」
立ち上がりかけたアマフウをすぐさま隣に座るトウオウが止めた。
「おい、朝から騒がしすぎる」
1階の仕事部屋から出てきたムロイとセノギ。 ムロイは片手に外套と帽子を持っている。
「おや? これはシユラ様」
ムロイは他の5人とは少し違う衣装であるが、大して変わらなく、色は緑だ。
「ムロイー、シユラも一緒に行ってもいいでしょ?」
「シユラ様が?」
「え? 私なんのことだか・・・」
「いいじゃない、一緒に行こうよ」
「おい、セイハ、シユラ様にはまだご案内できない」
「なんで? シユラに力がないから? シユラに自覚がないから?」
力? 何の力なのか。 自覚・・・何の自覚なのか。 力と言われて、もし、跳躍の力とか、身のこなしの力と言われれば反発したくなるが、今はそうでないことが十分に分かる。
だからそれに反発する気はないが、自覚と言われれば話は違う。 いったい何の自覚なのか? 己は何を知らなくてはいけないのか。
『そろそろ自覚を持っていただかないと』 と言ったキノラの言った自覚なのだろうか。
「あ・・・あの。 どこに行くんですか?」
「シユラ様には落ち着かれたらご案内いたします」
「それは・・・それって、もしかしてお婆様の行く筈だった所ですか?」
「・・・はい」
「そこに行くと何かがあるんですか?」
「今は何かがあるというわけではありません」
「うそ。 あるじゃない。 シユラが行く所でしょ? ないはずないじゃない。 なんならシユラにやってもらえばいいじゃない」
「セイハ!」
「・・・行く」
「はい?」
「私そこに行きます」
力がないとか、自覚がないとか、そんな風に言われて別にプライドが傷付いているわけではないが、それでも・・・ 『強情で好き嫌いが多い』 そんな性格がヒョコリと頭を出す。
今朝の予定はガザンと頭に描いた計画が出来るかどうかを確認したかったのだが、それは後にまわす。 それに、お婆様が行く筈だったと言われる所を見てみたい。 でも、見てみるだけ。 ずっと居る気はない。
と、その時、エレベーターの扉が開いた。 扉が開くとそこにいたのはショウワであった。 ショウワがゆっくりとエレベーターから出てくると恭(うやうや)しく紫揺に頭を下げた。
「ムラサキ様、どうぞ我が領土をご覧ください」
「領土?」
「ショウワ様! シユラ様にはまだ早い!」
「いつかは来て頂く領土。 今見て頂いても同じこと。 そのまま領土に残られるもよし、一旦こちらに帰ってこられるもよし、ムラサキ様がお決めになられればよい」
「ショウワ様、話が分かるー!」
「セイハ! お前は黙っていろ! ショウワ様、そろそろ屋敷に仕事をするものが来ます。 これ以上時間を無駄には出来ま―――」
「では今すぐにムラサキ様をお連れせよ。 よいな」
「・・・」
「セノギ、お前はこちらに残っているように」
「承知いたしました」
もとよりセノギは行く気が無かったのだろう、いつものスーツ姿である。
ムロイや五色の目を持つ者たちの服装はあくまでも領土に帰る為の服装である。 その姿を領土以外の者には見せたくない。
だが、コックがそろそろやってくる。 言い争いをしていては、その者に何事かと詮索されたくはない。 仕方なくショウワの言われるままになった。
全員が外套と帽子を持ちその場を立ちあがった。 セノギを先頭にムロイが歩き出すと全員がその後に続いた。
セノギが向かったのはたった今、ショウワが降りてきたエレベーター。
全員がエレベーターに乗るとドアが閉まり、セノギがまるでどこかの階のボタンを押すように人差し指で何もない1Fのボタンの下に触れた。
指紋認証。
認証が取れると、ボタンの一番上に今までなかった新たなボタンのようなものが現れた。 そこには何も書かれていなく、ただ赤いだけのタッチパネル。 そのタッチパネルを押すとエレベーターが下降しだした。 地下に進んでいると分かる。
エレベーターの中では誰も微動だにしなかった。 ムロイがセノギに耳打ちするのと、セイハがチラリと紫揺を見たくらいであった。
エレベーターが止まってドアが開くと、そこは贅を尽くした屋敷の地下とは思えない簡素・・・までもない原始的なものであった。 まるで単に地下をくりぬいたような洞穴状態。 いや、まさに洞窟である。
全員が外瘻を身に着け帽子をかぶった。 紫揺も先程までとは違う温度にベンチコートを羽織る。
エレベーターを出たすぐ横に幾つかの角灯が吊り下げてあった。 それに火を灯し一人一人に渡し、最後にムロイに渡すと 「それでは」 とセノギが言い、それに対してムロイが 「では、例の件、頼んだぞ」 というとセノギが頷きエレベーターの中に入りドアが閉まった。
例の件というのは株を動かす者の人員増加であった。 一人だが増やすことになっていて、その書類選考と面接の事であった。
「シユラ様、こちらへ。 足元にお気を付けください」
一番後ろにいた紫揺を呼ぶとその足元を照らした。
ムロイの後に続きながら 『行く』 と言った言葉に早々と後悔をし始めた。 思いもしない展開だったからだ。 てっきり、電車か飛行機か何かでこの場を後にし、お婆様の行くはずだった所に行くと思っていたのに、屋敷の地下に潜らされた。 全く意味が分からない、それどころか
(これって・・・黒魔術とかっていうのじゃないでしょうね・・・) 高校時代の友達からそんな話を聞いたことがあるのを思い出した。
(生贄になんかされるんじゃないの・・・?) ゾクッと背筋に寒気が走る。
この世の中、絶対にそんなことはないはずと、それでも身体中を緊張させ、疑りながら洞窟の中をムロイについて歩いた。
洞窟の中は特に変わった様子がない。 岩と土で出来ているだけの洞穴。 蝙蝠(こうもり)もいないようだし、蜘蛛の巣に引っかかることもなかった。
それが、二十分ほど歩くと何かを身体に感じた。
(え?)
辺りを見回すがずっと続いていた洞窟に何の変化があるわけではない。 が、紫揺には今までの道程とは違った大きな何かを感じた。 後ろを振り返り、すぐ後に続くセッカを見たが下を向いて歩いているだけだ。 その後ろのキノラも。
(みんな慣れてるだけなんだろうか・・・) 僅かに歩調が遅くなった紫揺。
「シユラ様? どうかなさいましたか?」
先を歩くムロイが紫揺を振り返った。
「あ、何でもありません」
足元に目をやり、また前に歩き出すと段々と湿った空気を感じた。 それに、足元が滑りやすくなってきている。 足元の岩が濡れてきていた。 顔を上げ洞窟の周りを見ると、角灯に照らされて横の岩壁を湿らせている水ががキラキラと光っている。 そしていつの間にか土はなくなりほとんどが岩になっていた。
足元に水溜りを作るほどではないが、洞窟の中は随分と水分で湿っているようだ。 そう言えば急に寒さも感じる。 滑って転んだ時の事を考えるとポケットに手を入れて歩く勇気はない。 フードを被ると足元に注意しながらベンチコートの袖の中にしっかりと手を入れる。
暫く歩くと角灯以外の明かりが目の端に映った。 ふと顔を上げると目の先にほんのりと陽の光が見える。 そのまま歩き続けるとハッキリと陽の光が見えだした。 そこは木の枝か何かが邪魔をしているのだろうか、陽の光がまばらに洞窟に入ってきているようだ。
(陽の光が見えたってことは、やっぱり生贄とかじゃないよね、明るい所で生贄なんて聞いたことないし・・・) いつの間にか、いかっていた肩を落とした。
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翌日早朝、紫揺が頭に描いていた計画が為せることが出来るかどうか、ガザンを味方につけられるかどうかを確かめようと、まだ屋敷の者が動いていないであろう時間に部屋を出た。
季節は5月に入っていた。
どこか分からないこの屋敷だが、そろそろベンチコートを手放そうかどうか迷い、手に持ったり離したりしたが、結局、今日が最後と手に取った紫揺がドアを開け、辺りをキョロキョロし誰もいないことを確認すると、肩にベンチコートを乗せ大階段の手すりに両手をついたかと思うと両足を蹴り上げ、横座りで尻を手すりに置いた。
手を離し3階からそのまま手すりを滑り台のようにして滑り降りる。 2階でいったん手すりが床と平行になるため、上半身をバネにしてポンと飛び降りた。
「あれ? シユラ?」
こんな早朝から思わず声が掛かり心臓が飛び出そうになる。
「あ・・・セイハさん」
「こんなに朝早くどこにいくの? え? もしかしてシユラも行くの?」
「え? どこにですか?」
「・・・ってことはシユラは一緒じゃないんだ。 ・・・ん、でも一緒に行けばいいのに。 そうだよ、そうだよ。 ね、一緒に行こ」
セイハがシユラの腕をとって組むとズルズルと引っ張って階段を降りだした。
紫揺を見守っていた2つの影の内、1つの影が揺れその場を離れた。
「え? え? どこに?」
大階段で1階に下りると4色の瞳がそれぞれソファーに座っていた。
全員が大階段を降りてきたシユラとセイハを見る。
「へぇー、シユラ様も行くの? 聞いてなかったけど?」
アマフウの隣に座るトウオウが紫揺の姿をまじまじと見ながら頬杖をついて言う。
その隣のアマフウの今日の衣装は控えめでは終わらない地味すぎるほどの衣装。 今まで見たこともない衣装である。 が、よく見れば全員が似たような衣装であった。
立て襟に膝上までの丈の上衣は合わせをボタンの代わりに細い皮紐で括っている。 そして後ろにスリットが入っているが、そこも細い皮紐で括られている。 なんのためのスリットか分からない。
上衣の下は筒ズボン。 上下とも皮で出来ている。
よく見ると服の色はそれぞれの瞳の色をしていた。 トウオウだけは右半分が赤で左半分が薄い黄色、というのではなく白である。 革製で少しのデザインの違いこそあるが、基本的に全員が同じような服を着ている。
靴も皮で出来ていて、紫揺から見ては分からないが、靴中はボアで暖かく仕上げてある。 そしてそれぞれの横に上衣と同じ色の外套と、耳当ての付いたフカフカの帽子を置いている。
「あの、いったいどこに行くんですか?」
「あぁら? どこに行くのかご存じないわけ? それじゃあ論外ね。 なぁに? セイハが勝手に連れてきたの?」
「シユラも屋敷に居るんだもん。 一緒に行ってもいいでしょ? セッカお姉さま」
「セイハ、それはムロイが決めることよ」 目の前にある大きな時計を見て、さも仕事をしたそうにするキノラが言う。
「ムロイが連れて行くはずないじゃない。 まだ何にもなにもまともに出来ないのに」 アマフウが誰を見ることなく言った。
「あら? シユラに袂を燃やされたのは誰でしたっけ?」
「っ!? セイハ! アンタ!」
「止めろよ。 セイハが何を言おうとムロイが決めることなんだから」
立ち上がりかけたアマフウをすぐさま隣に座るトウオウが止めた。
「おい、朝から騒がしすぎる」
1階の仕事部屋から出てきたムロイとセノギ。 ムロイは片手に外套と帽子を持っている。
「おや? これはシユラ様」
ムロイは他の5人とは少し違う衣装であるが、大して変わらなく、色は緑だ。
「ムロイー、シユラも一緒に行ってもいいでしょ?」
「シユラ様が?」
「え? 私なんのことだか・・・」
「いいじゃない、一緒に行こうよ」
「おい、セイハ、シユラ様にはまだご案内できない」
「なんで? シユラに力がないから? シユラに自覚がないから?」
力? 何の力なのか。 自覚・・・何の自覚なのか。 力と言われて、もし、跳躍の力とか、身のこなしの力と言われれば反発したくなるが、今はそうでないことが十分に分かる。
だからそれに反発する気はないが、自覚と言われれば話は違う。 いったい何の自覚なのか? 己は何を知らなくてはいけないのか。
『そろそろ自覚を持っていただかないと』 と言ったキノラの言った自覚なのだろうか。
「あ・・・あの。 どこに行くんですか?」
「シユラ様には落ち着かれたらご案内いたします」
「それは・・・それって、もしかしてお婆様の行く筈だった所ですか?」
「・・・はい」
「そこに行くと何かがあるんですか?」
「今は何かがあるというわけではありません」
「うそ。 あるじゃない。 シユラが行く所でしょ? ないはずないじゃない。 なんならシユラにやってもらえばいいじゃない」
「セイハ!」
「・・・行く」
「はい?」
「私そこに行きます」
力がないとか、自覚がないとか、そんな風に言われて別にプライドが傷付いているわけではないが、それでも・・・ 『強情で好き嫌いが多い』 そんな性格がヒョコリと頭を出す。
今朝の予定はガザンと頭に描いた計画が出来るかどうかを確認したかったのだが、それは後にまわす。 それに、お婆様が行く筈だったと言われる所を見てみたい。 でも、見てみるだけ。 ずっと居る気はない。
と、その時、エレベーターの扉が開いた。 扉が開くとそこにいたのはショウワであった。 ショウワがゆっくりとエレベーターから出てくると恭(うやうや)しく紫揺に頭を下げた。
「ムラサキ様、どうぞ我が領土をご覧ください」
「領土?」
「ショウワ様! シユラ様にはまだ早い!」
「いつかは来て頂く領土。 今見て頂いても同じこと。 そのまま領土に残られるもよし、一旦こちらに帰ってこられるもよし、ムラサキ様がお決めになられればよい」
「ショウワ様、話が分かるー!」
「セイハ! お前は黙っていろ! ショウワ様、そろそろ屋敷に仕事をするものが来ます。 これ以上時間を無駄には出来ま―――」
「では今すぐにムラサキ様をお連れせよ。 よいな」
「・・・」
「セノギ、お前はこちらに残っているように」
「承知いたしました」
もとよりセノギは行く気が無かったのだろう、いつものスーツ姿である。
ムロイや五色の目を持つ者たちの服装はあくまでも領土に帰る為の服装である。 その姿を領土以外の者には見せたくない。
だが、コックがそろそろやってくる。 言い争いをしていては、その者に何事かと詮索されたくはない。 仕方なくショウワの言われるままになった。
全員が外套と帽子を持ちその場を立ちあがった。 セノギを先頭にムロイが歩き出すと全員がその後に続いた。
セノギが向かったのはたった今、ショウワが降りてきたエレベーター。
全員がエレベーターに乗るとドアが閉まり、セノギがまるでどこかの階のボタンを押すように人差し指で何もない1Fのボタンの下に触れた。
指紋認証。
認証が取れると、ボタンの一番上に今までなかった新たなボタンのようなものが現れた。 そこには何も書かれていなく、ただ赤いだけのタッチパネル。 そのタッチパネルを押すとエレベーターが下降しだした。 地下に進んでいると分かる。
エレベーターの中では誰も微動だにしなかった。 ムロイがセノギに耳打ちするのと、セイハがチラリと紫揺を見たくらいであった。
エレベーターが止まってドアが開くと、そこは贅を尽くした屋敷の地下とは思えない簡素・・・までもない原始的なものであった。 まるで単に地下をくりぬいたような洞穴状態。 いや、まさに洞窟である。
全員が外瘻を身に着け帽子をかぶった。 紫揺も先程までとは違う温度にベンチコートを羽織る。
エレベーターを出たすぐ横に幾つかの角灯が吊り下げてあった。 それに火を灯し一人一人に渡し、最後にムロイに渡すと 「それでは」 とセノギが言い、それに対してムロイが 「では、例の件、頼んだぞ」 というとセノギが頷きエレベーターの中に入りドアが閉まった。
例の件というのは株を動かす者の人員増加であった。 一人だが増やすことになっていて、その書類選考と面接の事であった。
「シユラ様、こちらへ。 足元にお気を付けください」
一番後ろにいた紫揺を呼ぶとその足元を照らした。
ムロイの後に続きながら 『行く』 と言った言葉に早々と後悔をし始めた。 思いもしない展開だったからだ。 てっきり、電車か飛行機か何かでこの場を後にし、お婆様の行くはずだった所に行くと思っていたのに、屋敷の地下に潜らされた。 全く意味が分からない、それどころか
(これって・・・黒魔術とかっていうのじゃないでしょうね・・・) 高校時代の友達からそんな話を聞いたことがあるのを思い出した。
(生贄になんかされるんじゃないの・・・?) ゾクッと背筋に寒気が走る。
この世の中、絶対にそんなことはないはずと、それでも身体中を緊張させ、疑りながら洞窟の中をムロイについて歩いた。
洞窟の中は特に変わった様子がない。 岩と土で出来ているだけの洞穴。 蝙蝠(こうもり)もいないようだし、蜘蛛の巣に引っかかることもなかった。
それが、二十分ほど歩くと何かを身体に感じた。
(え?)
辺りを見回すがずっと続いていた洞窟に何の変化があるわけではない。 が、紫揺には今までの道程とは違った大きな何かを感じた。 後ろを振り返り、すぐ後に続くセッカを見たが下を向いて歩いているだけだ。 その後ろのキノラも。
(みんな慣れてるだけなんだろうか・・・) 僅かに歩調が遅くなった紫揺。
「シユラ様? どうかなさいましたか?」
先を歩くムロイが紫揺を振り返った。
「あ、何でもありません」
足元に目をやり、また前に歩き出すと段々と湿った空気を感じた。 それに、足元が滑りやすくなってきている。 足元の岩が濡れてきていた。 顔を上げ洞窟の周りを見ると、角灯に照らされて横の岩壁を湿らせている水ががキラキラと光っている。 そしていつの間にか土はなくなりほとんどが岩になっていた。
足元に水溜りを作るほどではないが、洞窟の中は随分と水分で湿っているようだ。 そう言えば急に寒さも感じる。 滑って転んだ時の事を考えるとポケットに手を入れて歩く勇気はない。 フードを被ると足元に注意しながらベンチコートの袖の中にしっかりと手を入れる。
暫く歩くと角灯以外の明かりが目の端に映った。 ふと顔を上げると目の先にほんのりと陽の光が見える。 そのまま歩き続けるとハッキリと陽の光が見えだした。 そこは木の枝か何かが邪魔をしているのだろうか、陽の光がまばらに洞窟に入ってきているようだ。
(陽の光が見えたってことは、やっぱり生贄とかじゃないよね、明るい所で生贄なんて聞いたことないし・・・) いつの間にか、いかっていた肩を落とした。