虚空の辰刻(とき) 第61回
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既に木の枝に座っていた人型の横に、ドロリと影が現れ人型をとった。
「領主は寝たようだ」 領主の様子を見ていたゼンが言う。
一時前、ゼンだけが帰って来た。 ゼンとダンはカミと合流できたが、まだ火が残っていることを気にしているカミにダンが手を貸すことになり、ゼンだけが帰って来た。
「・・・そうか」
顔を上げることもなければ、目を合わせることもなく、一点だけを見つめてそう返した。
閉められた雨戸の向こうにある紫揺の部屋を見ているのだと分かる。 ケミを見下ろす目を眇 (すが)めた。
「・・・お前、何を考えているのか?」 ゼンがケミに問う。
「考え?」
「以前のお前ではない」
「そうか」
「ああ」
「それは、お前の気のせいだろう」
やっと顔を動かしたと思ったら、僅かに下を向いて目先を落としただけだった。
「領主は寝た。 ムラサキ様のことはもうよかろう」
「ああ」
ケミが眉を顰め考える。 ホテルにいる時、ケミが紫揺に付き過ぎたのかもしれない。 そうカミに言われた。 確かにそれが一因かもしれない。 だが一因という言葉に背負わせるような感情ではない。 それが何かが分からない。 気が揺らぐ。 そんなことが頭によぎったが、そうではないと一度頭を振る。
「お前も疲れただろう。 この先は吾が見る。 帰って休め」
「否(いな)」 顔を上げゼンを見るとハッキリと言った。
「何故か?」
「何をたわけたことを言っておる? 領主はもう寝たのだ、ムラサキ様は何ともないのであろう。 今お前がそう言ったであろうが。 吾だけでなくお前も帰って休むがいいのではないのか?」
真っ直ぐにゼンを見る。
僅かに片眉を顰(しか)めたゼン。
少なくともケミは呆けているわけではないようだ。 己の言をしかと耳にしているのだから。 では、ケミは何を考えているのか?
「・・・ケミ―――」
言いかけたが、目線を再度、雨戸に向けたケミがその言を絶った。
「明朝はお前に任せる。 領主は疲れておるだろうし、ムラサキ様はゆるりと寝ておられる故、払暁(ふつぎょう)からこちらに来る必要もないであろう」
言うとフッと息を吐き続けて言った。
「吾は帰る。 お前も早々にこの場を去れ」
言うと座ったままの姿でドロリと姿を消した。
ケミの姿を見送るゼンが一瞬目を瞠(みは)ると息を吐いた。
「ケミ・・・」
一言ケミの名を口にすると頭をもたげた。
「カミの言いたいことはそういう事か・・・」
具体的に何かが分かったわけではない。 そしてカミもそうだ、何かを分かっているわけではない。 ゼンとダンがカミと合流した時、カミからケミの様子を聞いていた。 ただケミが今までとは違うという事を言い、それは多分、紫揺に関することだと言っていた。
ケミが紫揺の部屋をずっと見ていた目は、ゼンが知るケミの見張りの目ではなかった。
木の枝に立ったまま、こめかみを押さえ沈思黙考する。 が、答えが出ない。
「ケミ、どうしたというのか・・・」
領主たちが帰って来たことは知っていたが、セイハが顔を出すことはなかった。
「クソ。 シユラは・・・何を考えてるのよ!」
布団に入ったセイハが歯噛みをして吐いた。
セイハたちが居ない間に、紫揺が自分の力を試していると思っていた。
「一人でいたのにどうしてなにも試さなかったの!」
あれほど自分の力を見せつけたのに。 紫揺にも同じ力があると言ったのに。 そう言われれば紫揺に限らず、誰もが自分の力を試す筈なのに。
「どうしてよ!」
布団に入ったはずが、全く寝られる状態ではなかった。
トウオウがアマフウの家の前に立つと目の前に下がっている紐を引いた。 引かれた紐は玄関から家の中を伝って二手に分かれると、台所と寝室の二か所で鐘が鳴った。
何度も考えたが、結局、紐を引いた。 迷っていた理由は、アマフウはあまりの疲れからもう寝ているかもしれないと思ったからだ。
今回のことで一番疲れたのはアマフウであるとトウオウは思っている。 そしてそれは間違いのないことであった。 キノラが何を言おうとも、一番手を打ったのはアマフウであった。
だが、手を打ったこととは別に、セイハのことを気にしているのは明らかに分かっていた。 そのセイハの動向を気にして未だに床につけないでいようと判断し、紐を引いた。
少し待つと玄関ドアが開かれた。
「悪い、寝てたか?」
「寝られるはずないじゃない」
さっきのアマフウとは違う、いつものアマフウだ。
「で? どうだったの?」
明らかにずっと起きていてトウオウからの報告を待っていたのが分かる。
「セイハがシユラ様に何かを言ったか、したかっていう気配はなかった。 それにシユラ様に限らず誰にも」
「それはトウオウの目落ちじゃなくて?」
疲れているはずのアマフウが鋭い目をトウオウに向ける。
ムッとした顔でアマフウを見るが、それはいつものアマフウだ。 先刻、気弱なアマフウを見てしまってトウオウの中の振り子が狂ってしまったようだ。 固まりかけた表情筋を緩める。
「じゃないつもりだが?」
アマフウが下を向き、口元に手をやると思案する表情をみせた。 トウオウがアマフウの言葉を待つ。 10を数えたあと。
「何を考えても、セイハに限ってそんなことはない筈だわ」
トウオウが大きく息を吐くと次に頭を掻いた。
「確かに何もなかったとは言わないよ。 でもアマフウが考えているようなことはなかったってこと」
「それは何?」
怪訝な目でトウオウを見る。
「さぁ・・・。 でもそうだな、どうして帰って来たセイハをシユラ様がすぐに迎えに出なかったのかってことかな?」
アマフウが鋭い視線をトウオウから外したが、その視線の鋭さは変わっていない。
「セイハを早々に迎えに出なかったのは、出なかったじゃなくて、シユラ様が何かをしていて出られなかった。 そう思ったのかもしれない。 オレたちがここに居ない間にもシユラ様は何もしなかった」
「セイハがアノコにそう言ったの?」
トウオウの話した最後の方ではなく、最初に言ったセイハを迎えに出られなかったとセイハが思ったのかもしれないという所を訊いた。 視線をトウオウに戻す。
「シユラ様はそんな風には言ってないよ。 でも多分、そうだろうと思う。 で、セイハはシユラ様の態度を見て、シユラ様が何もしてなかったと思ったんだろう。 何も問い詰めなかったみたいだ」
「なにもしなかった?」
「ああ、俺たちが居ない間に、シユラ様は何もしなかったのか? ってセイハが訊いたみたいだ。 で、シユラ様は何を言われているのか分からなかったみたいだ」
「それでセイハが納得したと?」
「ああ。 間違いない」
「・・・そう」
トウオウの言葉を信じたのだろう。 目線を暗闇に流した。
「これで寝られるか?」
両方の眉を上げると、頭を僅かに傾げる。
すぐに返事はしなかったが、暗闇を見ていた目を下におろすと、僅かながらの溜飲を下げた。
「ええ・・・」
「考え過ぎだって」
「そうね。 ・・・有難う」
トウオウが眉尻を下げる。
「んじゃ、俺も疲れたから帰る。 アマフウも、もう寝ろよ」
そう言い残すと、この場を後にした。
トウオウの姿を見送ることなく、玄関の戸を閉めたアマフウ。 台所に行き、冷たい水を一気に飲んだ。
「どうしよう・・・」
トウオウを見送った後、掃き出しの窓までやって来て、窓の外を見るが、そこにリツソの姿はやはり無い。
「何も言わないで帰るわけにはいかない。 何か方法を考えなくちゃ」
短い日数だったと言っても色んなことがあった。 それに 『待っていればちゃんと迎えに来る』 と言われたのに、放っておくわけにはいかない。 もし、明日帰るにしても明後日だったとしても、黙って帰るわけにはいかない。 万が一、会えなかった時の事を考えて何かを講じなくては。
翌日、遅い朝食を終えた紫揺が食器を返しに行ったとき、領主自身も先程起きたばかりだと、昨日、紫揺を呼びにきた女が自ら話した。 女は昨日よりいくらか緊張をした様子は取れていたようだ。
「それじゃあ・・・ムロイさんがご飯も終わって、落ち着かれたぐらいに呼びに来てもらってもいいですか?」
「はい」
ほんの僅かにほほ笑んだように見えた。 だから自分がもう一つ頼みごとをしても尊大な態度には見られないだろうと、いや、居丈高とみられてもいい。 今は自分がどう見られるかなんてことを考えている時ではない。
「あの、お願いがあるんですけど・・・」
紫揺の頼みごとに快く受け取る表情をみせると 「はい、ご用意できます。 すぐお部屋にお持ちします」 と言った女の顔がパァっと明るくなった気がしたのは紫揺の気のせいだろうか。
いくらも経たないうちに紫揺の要望したものが部屋に用意された。
紫揺は知る由も無いが、女は紫揺に頼みごとをされたことを快く思っていた。 連日たった一人でいる紫揺の役に立ちたいと思い始めていたからである。
「お疲れさまでした」
数刻前に台所から居間を後にした紫揺が、また居間に入って来て声を掛ける。
ほんの一瞬目を丸くしたムロイ。 まさかそんな言葉が第一声だとは思ってもいなかった。 この場にセノギが居ればそう言うだろうが。
「どうも」
此処に来た時と同じ服装のムロイが驚きを隠すように、さながらソファーに掛けるよう、紫揺に目で促した。
チョコリンと軽く座る。 長々と話す気はない。 取り敢えず長旅から帰ってきたことへの労いの挨拶と、これからどうするのかを訊きたいだけなのだから。
此処に来る時以外はずっとスーツ姿のムロイしか見なかったから、いま目の前に座るムロイの姿はまだ見慣れない。 来た時と同じ服を着ている。 長旅の間もこの服だったのだろうから、着替えればいいのにと思った時、そういえばと考える。
セイハも此処に来た時と同じ服を着ていた。 長旅から帰ってきて着替えもせずに自分を呼び出したからなのだろうが、ジャ-ジを着慣れている者からしてみれば、とてもじゃないがリラックス出来そうな服ではない。
それとも特別に五色と呼ばれ、それにムロイは領主だ。 他の人達のように布を巻いたような服は着ないのだろうかと頭をかすめた。
「長い間、退屈をさせてしまいましたね」
前屈みになって正面に座った紫揺を見る。
「いえ、そんなことより、大変だったそうですね」
そんなことはないです、などと嘘や社交辞令的なことを言っても仕方のないこと。 紫揺が領土の案内を断ったことを既に聞いているはずだ。 それを踏まえてムロイが “退屈をさせた” と言っているのだろうから。
それにリツソのことが無ければ、誰が考えても明白に退屈この上ない生活を送っていたのだから。
「誰かに訊いたんですか?」
相変わらず慇懃無礼な態度をとっている。
「大変だった、とだけですが」
誰から訊いたとは言わない。
ムロイが片眉を上げ、身体を起こすと背もたれに背中を預けた。
「セイハが私たちより早く帰って来たらしいですが?」
紫揺の口からセイハから聞いたと言わせたいのだろうか、と考えるが、それを訊いてどうするのか皆目見当がつかない。 小首を傾げた仕草を見せる紫揺にムロイが続けた。
「まぁ、それはいいです。 ええ、思った以上でした。 大変という言葉に値するでしょう」
話し終ると紫揺から視線を外し、足を組んで小さく溜息を吐いた。
まだ疲れが残っているのだろう。 迂遠な態度で紫揺に辞するよう言っている態度のように思えるが、訊ききたいことがまだ訊けていない。
「まだ火が消せていない所があるんですか?」
「ごく僅かな小さな火です。 自然に消えるでしょう」
肘立てに肘を立てるとその指先で口元をなぞる。
目を合わせないムロイがどんな態度を示そうと、知ったことではない。 確かに疲れてはいるだろうが、それも知ったことではない。 訊きたいことは、訊かなければいけないことは、ムロイがどんな状態であろうと絶対に訊く。
「それじゃあ、明日からどうするんですか?」
今日からどうするとは訊かない。 早く屋敷に帰りたいと焦っているように思われたくないから。
紫揺が早く屋敷に帰りたいと思っているのであれば、もう用が済んだのだ、紫揺の意に沿おうと考えるかもしれない。 それにキノラが早く屋敷に帰って仕事をしたがっているだろう、早々に屋敷に引き上げようという話になるかもしれない。
それにもう一つ。 セイハが此処を気に入ってなさそうなことを言っていた。 それも後押しするかもしれない。 結果、早々に此処を引き上げるかもしれない。
そうなるとリツソとの別れの挨拶が出来なくなるかもしれない。 それは困る。
いま自分は色んな迷いがある。 色んな問いがある。 でもそれはさておきと以前に考えた。 余りにも分からないことが多すぎるのだから、ただ目の前のことに相対すると決めたのだから。
そして今、目の前のことはリツソの事だけなのだから、リツソの事に誠心誠意向き合おうと思う。
だからして明日からどうするのかと訊いた。 最短でも明日帰るのなら、何なりと出来るであろうし、今日リツソが来るかもしれないのだから。
「明日ですか? 明日はここに居ません」
「え!?」
予定にもなかったことに虚を衝かれた。
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既に木の枝に座っていた人型の横に、ドロリと影が現れ人型をとった。
「領主は寝たようだ」 領主の様子を見ていたゼンが言う。
一時前、ゼンだけが帰って来た。 ゼンとダンはカミと合流できたが、まだ火が残っていることを気にしているカミにダンが手を貸すことになり、ゼンだけが帰って来た。
「・・・そうか」
顔を上げることもなければ、目を合わせることもなく、一点だけを見つめてそう返した。
閉められた雨戸の向こうにある紫揺の部屋を見ているのだと分かる。 ケミを見下ろす目を眇 (すが)めた。
「・・・お前、何を考えているのか?」 ゼンがケミに問う。
「考え?」
「以前のお前ではない」
「そうか」
「ああ」
「それは、お前の気のせいだろう」
やっと顔を動かしたと思ったら、僅かに下を向いて目先を落としただけだった。
「領主は寝た。 ムラサキ様のことはもうよかろう」
「ああ」
ケミが眉を顰め考える。 ホテルにいる時、ケミが紫揺に付き過ぎたのかもしれない。 そうカミに言われた。 確かにそれが一因かもしれない。 だが一因という言葉に背負わせるような感情ではない。 それが何かが分からない。 気が揺らぐ。 そんなことが頭によぎったが、そうではないと一度頭を振る。
「お前も疲れただろう。 この先は吾が見る。 帰って休め」
「否(いな)」 顔を上げゼンを見るとハッキリと言った。
「何故か?」
「何をたわけたことを言っておる? 領主はもう寝たのだ、ムラサキ様は何ともないのであろう。 今お前がそう言ったであろうが。 吾だけでなくお前も帰って休むがいいのではないのか?」
真っ直ぐにゼンを見る。
僅かに片眉を顰(しか)めたゼン。
少なくともケミは呆けているわけではないようだ。 己の言をしかと耳にしているのだから。 では、ケミは何を考えているのか?
「・・・ケミ―――」
言いかけたが、目線を再度、雨戸に向けたケミがその言を絶った。
「明朝はお前に任せる。 領主は疲れておるだろうし、ムラサキ様はゆるりと寝ておられる故、払暁(ふつぎょう)からこちらに来る必要もないであろう」
言うとフッと息を吐き続けて言った。
「吾は帰る。 お前も早々にこの場を去れ」
言うと座ったままの姿でドロリと姿を消した。
ケミの姿を見送るゼンが一瞬目を瞠(みは)ると息を吐いた。
「ケミ・・・」
一言ケミの名を口にすると頭をもたげた。
「カミの言いたいことはそういう事か・・・」
具体的に何かが分かったわけではない。 そしてカミもそうだ、何かを分かっているわけではない。 ゼンとダンがカミと合流した時、カミからケミの様子を聞いていた。 ただケミが今までとは違うという事を言い、それは多分、紫揺に関することだと言っていた。
ケミが紫揺の部屋をずっと見ていた目は、ゼンが知るケミの見張りの目ではなかった。
木の枝に立ったまま、こめかみを押さえ沈思黙考する。 が、答えが出ない。
「ケミ、どうしたというのか・・・」
領主たちが帰って来たことは知っていたが、セイハが顔を出すことはなかった。
「クソ。 シユラは・・・何を考えてるのよ!」
布団に入ったセイハが歯噛みをして吐いた。
セイハたちが居ない間に、紫揺が自分の力を試していると思っていた。
「一人でいたのにどうしてなにも試さなかったの!」
あれほど自分の力を見せつけたのに。 紫揺にも同じ力があると言ったのに。 そう言われれば紫揺に限らず、誰もが自分の力を試す筈なのに。
「どうしてよ!」
布団に入ったはずが、全く寝られる状態ではなかった。
トウオウがアマフウの家の前に立つと目の前に下がっている紐を引いた。 引かれた紐は玄関から家の中を伝って二手に分かれると、台所と寝室の二か所で鐘が鳴った。
何度も考えたが、結局、紐を引いた。 迷っていた理由は、アマフウはあまりの疲れからもう寝ているかもしれないと思ったからだ。
今回のことで一番疲れたのはアマフウであるとトウオウは思っている。 そしてそれは間違いのないことであった。 キノラが何を言おうとも、一番手を打ったのはアマフウであった。
だが、手を打ったこととは別に、セイハのことを気にしているのは明らかに分かっていた。 そのセイハの動向を気にして未だに床につけないでいようと判断し、紐を引いた。
少し待つと玄関ドアが開かれた。
「悪い、寝てたか?」
「寝られるはずないじゃない」
さっきのアマフウとは違う、いつものアマフウだ。
「で? どうだったの?」
明らかにずっと起きていてトウオウからの報告を待っていたのが分かる。
「セイハがシユラ様に何かを言ったか、したかっていう気配はなかった。 それにシユラ様に限らず誰にも」
「それはトウオウの目落ちじゃなくて?」
疲れているはずのアマフウが鋭い目をトウオウに向ける。
ムッとした顔でアマフウを見るが、それはいつものアマフウだ。 先刻、気弱なアマフウを見てしまってトウオウの中の振り子が狂ってしまったようだ。 固まりかけた表情筋を緩める。
「じゃないつもりだが?」
アマフウが下を向き、口元に手をやると思案する表情をみせた。 トウオウがアマフウの言葉を待つ。 10を数えたあと。
「何を考えても、セイハに限ってそんなことはない筈だわ」
トウオウが大きく息を吐くと次に頭を掻いた。
「確かに何もなかったとは言わないよ。 でもアマフウが考えているようなことはなかったってこと」
「それは何?」
怪訝な目でトウオウを見る。
「さぁ・・・。 でもそうだな、どうして帰って来たセイハをシユラ様がすぐに迎えに出なかったのかってことかな?」
アマフウが鋭い視線をトウオウから外したが、その視線の鋭さは変わっていない。
「セイハを早々に迎えに出なかったのは、出なかったじゃなくて、シユラ様が何かをしていて出られなかった。 そう思ったのかもしれない。 オレたちがここに居ない間にもシユラ様は何もしなかった」
「セイハがアノコにそう言ったの?」
トウオウの話した最後の方ではなく、最初に言ったセイハを迎えに出られなかったとセイハが思ったのかもしれないという所を訊いた。 視線をトウオウに戻す。
「シユラ様はそんな風には言ってないよ。 でも多分、そうだろうと思う。 で、セイハはシユラ様の態度を見て、シユラ様が何もしてなかったと思ったんだろう。 何も問い詰めなかったみたいだ」
「なにもしなかった?」
「ああ、俺たちが居ない間に、シユラ様は何もしなかったのか? ってセイハが訊いたみたいだ。 で、シユラ様は何を言われているのか分からなかったみたいだ」
「それでセイハが納得したと?」
「ああ。 間違いない」
「・・・そう」
トウオウの言葉を信じたのだろう。 目線を暗闇に流した。
「これで寝られるか?」
両方の眉を上げると、頭を僅かに傾げる。
すぐに返事はしなかったが、暗闇を見ていた目を下におろすと、僅かながらの溜飲を下げた。
「ええ・・・」
「考え過ぎだって」
「そうね。 ・・・有難う」
トウオウが眉尻を下げる。
「んじゃ、俺も疲れたから帰る。 アマフウも、もう寝ろよ」
そう言い残すと、この場を後にした。
トウオウの姿を見送ることなく、玄関の戸を閉めたアマフウ。 台所に行き、冷たい水を一気に飲んだ。
「どうしよう・・・」
トウオウを見送った後、掃き出しの窓までやって来て、窓の外を見るが、そこにリツソの姿はやはり無い。
「何も言わないで帰るわけにはいかない。 何か方法を考えなくちゃ」
短い日数だったと言っても色んなことがあった。 それに 『待っていればちゃんと迎えに来る』 と言われたのに、放っておくわけにはいかない。 もし、明日帰るにしても明後日だったとしても、黙って帰るわけにはいかない。 万が一、会えなかった時の事を考えて何かを講じなくては。
翌日、遅い朝食を終えた紫揺が食器を返しに行ったとき、領主自身も先程起きたばかりだと、昨日、紫揺を呼びにきた女が自ら話した。 女は昨日よりいくらか緊張をした様子は取れていたようだ。
「それじゃあ・・・ムロイさんがご飯も終わって、落ち着かれたぐらいに呼びに来てもらってもいいですか?」
「はい」
ほんの僅かにほほ笑んだように見えた。 だから自分がもう一つ頼みごとをしても尊大な態度には見られないだろうと、いや、居丈高とみられてもいい。 今は自分がどう見られるかなんてことを考えている時ではない。
「あの、お願いがあるんですけど・・・」
紫揺の頼みごとに快く受け取る表情をみせると 「はい、ご用意できます。 すぐお部屋にお持ちします」 と言った女の顔がパァっと明るくなった気がしたのは紫揺の気のせいだろうか。
いくらも経たないうちに紫揺の要望したものが部屋に用意された。
紫揺は知る由も無いが、女は紫揺に頼みごとをされたことを快く思っていた。 連日たった一人でいる紫揺の役に立ちたいと思い始めていたからである。
「お疲れさまでした」
数刻前に台所から居間を後にした紫揺が、また居間に入って来て声を掛ける。
ほんの一瞬目を丸くしたムロイ。 まさかそんな言葉が第一声だとは思ってもいなかった。 この場にセノギが居ればそう言うだろうが。
「どうも」
此処に来た時と同じ服装のムロイが驚きを隠すように、さながらソファーに掛けるよう、紫揺に目で促した。
チョコリンと軽く座る。 長々と話す気はない。 取り敢えず長旅から帰ってきたことへの労いの挨拶と、これからどうするのかを訊きたいだけなのだから。
此処に来る時以外はずっとスーツ姿のムロイしか見なかったから、いま目の前に座るムロイの姿はまだ見慣れない。 来た時と同じ服を着ている。 長旅の間もこの服だったのだろうから、着替えればいいのにと思った時、そういえばと考える。
セイハも此処に来た時と同じ服を着ていた。 長旅から帰ってきて着替えもせずに自分を呼び出したからなのだろうが、ジャ-ジを着慣れている者からしてみれば、とてもじゃないがリラックス出来そうな服ではない。
それとも特別に五色と呼ばれ、それにムロイは領主だ。 他の人達のように布を巻いたような服は着ないのだろうかと頭をかすめた。
「長い間、退屈をさせてしまいましたね」
前屈みになって正面に座った紫揺を見る。
「いえ、そんなことより、大変だったそうですね」
そんなことはないです、などと嘘や社交辞令的なことを言っても仕方のないこと。 紫揺が領土の案内を断ったことを既に聞いているはずだ。 それを踏まえてムロイが “退屈をさせた” と言っているのだろうから。
それにリツソのことが無ければ、誰が考えても明白に退屈この上ない生活を送っていたのだから。
「誰かに訊いたんですか?」
相変わらず慇懃無礼な態度をとっている。
「大変だった、とだけですが」
誰から訊いたとは言わない。
ムロイが片眉を上げ、身体を起こすと背もたれに背中を預けた。
「セイハが私たちより早く帰って来たらしいですが?」
紫揺の口からセイハから聞いたと言わせたいのだろうか、と考えるが、それを訊いてどうするのか皆目見当がつかない。 小首を傾げた仕草を見せる紫揺にムロイが続けた。
「まぁ、それはいいです。 ええ、思った以上でした。 大変という言葉に値するでしょう」
話し終ると紫揺から視線を外し、足を組んで小さく溜息を吐いた。
まだ疲れが残っているのだろう。 迂遠な態度で紫揺に辞するよう言っている態度のように思えるが、訊ききたいことがまだ訊けていない。
「まだ火が消せていない所があるんですか?」
「ごく僅かな小さな火です。 自然に消えるでしょう」
肘立てに肘を立てるとその指先で口元をなぞる。
目を合わせないムロイがどんな態度を示そうと、知ったことではない。 確かに疲れてはいるだろうが、それも知ったことではない。 訊きたいことは、訊かなければいけないことは、ムロイがどんな状態であろうと絶対に訊く。
「それじゃあ、明日からどうするんですか?」
今日からどうするとは訊かない。 早く屋敷に帰りたいと焦っているように思われたくないから。
紫揺が早く屋敷に帰りたいと思っているのであれば、もう用が済んだのだ、紫揺の意に沿おうと考えるかもしれない。 それにキノラが早く屋敷に帰って仕事をしたがっているだろう、早々に屋敷に引き上げようという話になるかもしれない。
それにもう一つ。 セイハが此処を気に入ってなさそうなことを言っていた。 それも後押しするかもしれない。 結果、早々に此処を引き上げるかもしれない。
そうなるとリツソとの別れの挨拶が出来なくなるかもしれない。 それは困る。
いま自分は色んな迷いがある。 色んな問いがある。 でもそれはさておきと以前に考えた。 余りにも分からないことが多すぎるのだから、ただ目の前のことに相対すると決めたのだから。
そして今、目の前のことはリツソの事だけなのだから、リツソの事に誠心誠意向き合おうと思う。
だからして明日からどうするのかと訊いた。 最短でも明日帰るのなら、何なりと出来るであろうし、今日リツソが来るかもしれないのだから。
「明日ですか? 明日はここに居ません」
「え!?」
予定にもなかったことに虚を衝かれた。