--- 映ゆ ---  第94回

大福りす
『---映ゆ---』 目次



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- 映ゆ -  ~Shou~  第94回




「え? シノハさん!?」 慌てて顔を上げると目の前にシノハが居ない。 磐座が見えるだけ。

「・・・シノハさん」 目を見開き呆然とする。

木々の影が長く伸びている。 葉擦れの音がする。 風に髪が揺れる。 息がしにくい。

「どうして・・・」 喉が腫れたように感じて空気が入ってこない。 頬を静かに涙がつたった。


「渉ちゃんどうしたの?」 二日酔いから解放された翼が、夕飯を目の前にして今日は居ないカケルの席に座り斜め前に座る渉を見た。

「ん? 何でもないよ」 翼に勘繰られたくない。

翼はシノハのことを知っている。 シノハの存在を信じてはいないが。
本当ならずっと磐座の前に居たかった。 そしたらまたシノハの元に行けるかもしれないのだから。 でも、一晩明かすことは出来ない。 涙を納め、流れる冷たい水で目を冷やして帰ってきた。

「どう? 存分に磐座に居たみたいだけど、疲れは取れた?」 雅子が渉の前に着いた。

雅子の言葉を聞いて翼が箸を置いた。

「渉ちゃん、また磐座の所に行ってたの?」

「はい」 と雅子を見て答えると次に翼に答えた。

「うん・・・だって朝行ってなかったから」 翼と目を合わせまいと、箸を手に取りおかずに目を這わせた。

「ふーん」 翼が渉をジッと見る。 その視線に気付かない振りをして、渉がエビフライをひとつ箸でつまんだ。

「あのね、翼君は知らないだろうけど、ここに来たら渉ちゃんは一日に何度も磐座に行くのよ」

「それっていつから?」 雅子に質問をするがまだ目は渉を見ている。

「小さい頃からよ」

「え? そうなの?」 思わず雅子を見たが、すぐ渉にその視線を戻した。

「困ったもんでな。 翔と二人で居なくなったと思ったら必ず磐座の所でおやつを食べてててな。 何度叱ったか分からん。 なぁ、渉ちゃん」

「はい・・・小父さんに何度も叱られました。 磐座の前でおやつを食べるんじゃなーい!ってちゃんと覚えてます」 小さくなって答える。

「姉ちゃんと一緒に? じゃ、渉ちゃん一人だけでは行くことはなかったの?」

「行ってたぞ。 俺は何度も迎えに行かされたからな。 なぁ、渉」

「奏ちゃんのことは記憶にない」 まだこちらを見ている翼から顔を隠そうと、味噌汁を啜る。

「お前・・・ついこの間までそうだったじゃないか。 しらばっくれんじゃないよ」

「ついこの間って、何年前の話よ」

「覚えてんじゃん」

「あ、いい、いい。 そっか、今日に限ったことじゃないんだ」 思い過ごしか、とやっと渉から目をはなした。

「そうよ。 いつものことよ。 翼君も早くご飯を食べなさい」

(良かった、バレなかった。 にしても、シノハさんのことを信じてないのに、どうして磐座のことを気にするんだろう) 上目づかいにチラッと翼を見た。

「なぁ、翼。 翔は毎日どうしてるんだ?」 宮司が聞く。

「姉ちゃんですか? そうだなぁ・・・家事全般ってところかな。 母ちゃんよりうるさいからギブ寸前。 小父さん早く引き取ってくださいよ」

「引き取るって・・・」 思わず口から味噌汁を吐きそうになった口元を指で拭った。

「でも、あんな姉ちゃんだけど、家事のことなら渉ちゃんよりずっと役に立ちますよ」

「翼君どういう意味よ」 渉が口を尖らせる。

「お前の胸に手を当てればよく分かるんじゃないの?」 渉の隣に座る奏和が言う。

「ふん!」 思い当たる節が多すぎる。

「渉ちゃんは渉ちゃんよ。 渉ちゃんが居てくれるだけで、心がフワフワして疲れも取れちゃうんだから」

「あ、それ言えてる」 瞬時に翼が同意した。

「それにしても、翔ちゃんってじっとしてられない性質なのに、家事だけじゃ退屈でしょうね」 翔の日頃を知っている雅子が言う。

「渉ならずっとボォーっとしてられるけどな」 また奏和が要らないことを言うから、渉が奏和の受け皿に入っていたいくつかのおかずを箸でグチャグチャに混ぜた。

「っか! お前どんだけガキみたいなことすんだよ!」

「奏和が要らないことを言うからだ。 そうだな・・・そろそろ翔にも帰ってきてほしいなぁ。 実家に帰ってどれだけ経つかな」 

「3か月くらいでしょうかね」 雅子が言うと翼が驚いた目をした。

「え? たったそれだけだった? もう1年以上も小言を言われてる気分だったのに」

「お前どんだけ翔を怒らせてんだよ」

「姉ちゃんが細かすぎるんだよ」

「翔ちゃんは出掛けたりしないの?」

「うん、ずっと家の中に居ます。 そう言えばご飯は作るけど買い物にも行かないなぁ・・・」

「それじゃあ、ストレスが溜まるだろ」 宮司が心配気に翼に言う。

「そうか、その発散が俺に向けられてるのかも」

翼の話を聞いてカケルを外に出してやりたいと思ったが、まだ3か月かと奏和が苦い顔をした。


翌日明け方。
奏和に見送られ渉がソロっと宮司の家を出た。 やっと明けだした時間、まだ少し暗さが残っているが、歩きなれた山の中は少々暗くても難なく歩ける。

「シノハさんに会えるかなぁ」


夕べ一人布団の中で考えた。

「澄んだ音って言ってた。 私もそれを聞いた覚えがある」 そして長い間頭を巡らせた。

「あ、そうだ!」 無意識に身体が跳ね起きた。

「磐座にロープが引かれてなくて奏ちゃんを探そうとした時だ! ・・・え? その時にシノハさんが来てたの? 聞こえてたのはほんの僅かな時間だったけど、私の後ろにシノハさんが居たの? ・・・悔しい。 どうして気付かなかったんだろう」 シノハがタム婆の小屋で夢うつつの状態であった時だ。

そしてもう一つ思い出した。

「そうだ! カケルが言ってた。 カケルと初めてあった日に磐笛奉納があったって・・・あの幼い日、同じ日にシノハさんとも会ってる。 それとカケルからそれを聞いた日。 あの日にも磐笛奉納があった。 あの時は長かったような気がする。 その時にきっとシノハさんが山の水を飲んだんだわ・・・」 目を瞑って考える。

「シノハさんがここに来たのは、磐笛と関係があるんだ・・・。 ・・・じゃ、私はどうして行けたの? それにシノハさんは3度とも磐座の所だった。 私はトンデン村とオロンガ村、全然別の所」 目がさえて眠れない。

「お水でも飲もう・・・」 台所に行き、ソロっと水を飲んでいると足音が聞こえた。

「なんだ、渉か」 渉が振り返ると、声とともにそこに奏和の姿があった。

「あれ? 奏ちゃんどうしたの?」 互いに小声で喋る。

「物音がするから泥棒かと思った」

「あ、ごめん。 起こしちゃった?」

「いや、眠れなくて起きてた」

「カケルのことを考えてた?」 意表を突かれた。

「お前って・・・」 言うと奏和も同じようにコップを持ち水を飲みだした。

「カケルのことは奏ちゃんに任せておけばいいんだよね?」

いつもそうだった。
滅多に泣かない幼いカケルが泣いた時、渉がどれ程声を掛け、泣き止まそうとしても泣き止まない。 そんな時、奏和の一言でカケルが泣き止む。 奏和の一声はカケルの周りのすべてを見てのことである。 幼い頃の渉にはそんな真似はできない。 それに奏和は広く周りを見て判断が出来る少年であった。 そして幼なかったカケルと言えども、その奏和の判断に耳を傾けることができるカケルであった。 
泣いていないにしても、幼い頃を含めて反抗期のきつかったカケルが意地を張っていたときにも、誰よりもカケルの言いたいことを分かっていたのは奏和であった。

「なんだよそれ。 って、昔っから、渉の頭の中は俺には理解できないな」

多々反抗期があり過ぎたカケルと比べ、渉に反抗期があったわけではない。 優しすぎるほどの両親に育てられ、素直過ぎるほどに育った渉である。 誰もがカケルほどに手を焼いたわけではない。 磐座の所でおやつを食べて宮司に怒られたことを除いては。

「どういう意味よ」

「褒めてんだよ。 ・・・それに翔のことは俺がちゃんとする。 まぁ、ストレスは溜まってるかもしれないけど、あと少し我慢しろって渉からも言っといて」

「うん」 

静かな時が流れた。

「私、眠れそうにないんだけど」

「俺にそんなこと言うなよ」

「外に出ていい?」

「こんな時間にか? まだ夜が明けかけたところだぞ」

「どうせもう少ししたら小父さんも起きて来るでしょ? たまには早い時間に山の空気を吸いに行きたい」

「お化けが出たらどうすんだ?」

「プッ、非科学的」 強がってはみたが奏和にはバレバレである。

「ついてってやろうか?」

「要らない。 山の中は一人で居たい」

「まっ、もう少ししたら完全に明けるもんな。 行ってきな。 俺も眠れそうにないから何かあったら大きな声を出せば飛んでってやるから」

「うん」 

部屋に帰ると大急ぎで着替た。


木々に遮られ山の中はまだはっきりと足元が見えないが慣れた道。 目を瞑っても歩ける。 磐座の前に着くといつもの通り手を合わせた。 続いて何度も願った言葉を口に仕掛けた。

「トンデン村へ・・・あっと、トンデン村じゃなかったんだった」 気を取り直して磐座に向かい合い、一度手を解くともう一度手を合わせ目を瞑った。

「オロンガ村へ行かせてくだ・・・」 言いかけた。

「ちがう。 そうじゃない」 目を見開き、昨日のことを思い出す。

「そうだ、どこかへ行かせてくださいじゃないんだ。 あの時、シノハさんに逢いたいと思ったんだ。 シノハさんに逢いたいだけって思ったんだ」 磐座をもう一度見た。

「磐座さん、磐座さん。 私はシノハさんに逢いたいです。 お願いします、シノハさんに逢わせてください。 シノハさんに逢いたい!」 手を合わせ目をギュッと瞑ると、心の中でひたすらシノハに逢いたいと願った。