虚空の辰刻(とき) 第81回
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木箱を手にする。 躊躇うことなくカパッと開ける。
「文?」
箱から手紙を取り出し広げる。
書かれていたのは
『りつそ君へ。
りつそ君、お別れが出来なくてごめんね。
元にいた場所に帰ることが出来るかもしれません。
りつそ君ともっといろいろ話がしたかった。 かるねらちゃんの話も聞きたかったけど、それが叶いません。
いっぱい伝えたいけど、時がありません。
りつそ君、沢山お友達を作ってね。 そして兄上に負けない程にお勉強頑張ってね。
紫揺』
そう書かれていた。
リツソとカルネラの部分はカタカナで書きたかったが、リツソはカタカナを知らないようだった。 リツソもカルネラもカタカナが似合うと、紫揺の頭の中でカタカナで記憶されていた。
落とし穴の犯人は紫揺であった。
「りつそ・・・へ。 りつそ、おれがなくてごめんね。 にいたにることが・・・」
そうとしか読めないが原因は分かっている。 涙と鼻水のせいではない、漢字が読めないのだ。
痛恨。
だが、紫揺からの文とは分かる。
文を握りしめる。
「ハクロ・・・」
ノソノソと穴から出て前足で頭を何度も撫でていたハクロの前足が止まった。
「宮に帰る」
「はい?」
これからもリツソの大声に耳を悩まされると思っていたハクロが素っ頓狂な声を上げる。
「シユラからの文を読んでもらう」
リツソが何を考えようともそれはどうでもいいこと。 大声を上げず、ましてや宮に帰ると言われては大歓迎。 木箱の角が頭にあたった痛さなどどこ吹く風。
「では、お乗りください」
ノソリとリツソがハクロに跨る。 懐には木箱に戻した紫揺からの手紙が忍んでいる。
「しかりとお摑まりください」
分かっておる、と返事があるものだと構えていたがその声が聞こえない。 首を一つ傾げると宮に向かって走り出した。
滝の裏で待っているとシキが現れた。
「父上からうかがいました。 行きましょう」
何もかも訊いたという事だろう。
ロセイに乗ったシキと共にキョウゲンに乗ったマツリが先を飛ぶ。
キョウゲンがホゥホゥと鳴くとシグロが長い咆哮で応える。 暫くするとシグロの姿が見えた。
「こちらです!」
大声で飛ぶマツリに言うとすぐに走り出した。 その後を追うキョウゲンとロセイ。
懸命に地を走るシグロに対して、時折羽を休ませるキョウゲンとロセイ。 地と空ではこれ程に違いがあるのかと、改めてマツリが思った。 そして走っているシグロもそうだ。 懸命に動かす四肢。 地を蹴り岩を蹴る。 だが、空の上では避けなければいけない所も蹴るところもない。 上り坂とて下り坂とて単なる空(くう)。 その道さえも空から眺めている。
「羽が欲しかったかね」
走りながらシグロが漏らしたがすぐに訂正した。
「この肉球で地を感じてこそ走ってるんだよ」
自分の走りに満足し更に四肢を動かした。
シグロの後を追っているとかなり中心から離れた。 だが、ぎりぎり辺境ではない所にある一軒の家に導かれた。 山の麓でシグロの足が止まりマツリを見上げる。 マツリからは先に茶の狼が身を隠して伏せているのが見える。
ここが中心であったのなら、狼が簡単に民の前に姿を現すことが出来なかったが、この辺りに民の姿は見えない。
マツリがキョウゲンから跳び下りた。 シキは上空で待っている。
「領主はあそこで休みをとっています」
「苦労だった。 下がってよい」
シグロが頭を下げて後ずさりをするとそのまま踵を返した。
(さて、マツリ様はどうご判断をされるのか・・・) 何を考えてもあとの指示を待つだけだ。
マツリがシキに目で合図を送った。
シキの思いを悟ったロセイがゆっくりと円を描きながら空を舞い降りてきて地を踏んだ。
すぐさまマツリがシキの手を取りロセイの身体から下す。
「あそこに北の領主が居るの?」
「はい」
「ロセイ、ここで待っていてちょうだい」
「畏まりました」
「では―――」 までマツリが言いかけると 「御意」 と先を取ったようにキョウゲンが言って、マツリの肩から羽ばたいた。
では、お前はロセイと一緒に居よ――― と言おうとしたのを口にせずとも分かったからだ。
ロセイとキョウゲンが見送る中、シキの手を取り歩き始める。
北の領主、ムロイを見張っていた狼。 ボウっとしていたのか急に目の前にマツリとシキの姿が出てきたのを見て驚いて猫のように飛び上がった。
「マツリとキョウゲンの繋がりは相変わらず秀抜ね」
「何と仰いますか、姉上とロセイほどにはありません」
「私に謙遜などという事は必要ありません」
「先程、姉上が敢えてロセイに仰らなくとも、ロセイは分かっていたでしょう。 だが、ロセイは姉上が言い終えるのを待った。 キョウゲンとは比べ物になりません」
「それは・・・マツリが一刻を惜しむことをキョウゲンが知っているからではないの? マツリ、少しゆっくりなさいな」
耳の良い狼。 離れていてもシグロには会話は聞こえる。 この場に置いて北の領主の話もしなければ紫揺の話もしない。 この姉弟は何を考えているのだろうとシグロが思う。
それにしてもと、マツリが茶の狼の前を歩いた時、ボウっとしていた茶の狼が驚いて飛び上がった。 舌打ちがでる。
挙動不審になった茶の狼がシグロを見止めた。 睨み据えながら目で下がる様に合図を送ると、尻尾を股に挟みスゴスゴとシグロの元に下がって来た。
目の前に現れた家の戸の前に立った。 空いている手でマツリが戸を開ける。
突然に開けられた戸に驚いた目を向けた領主。
「北の領主」
「こ! これは・・・」
マツリにも勿論だがシキの存在に領主が驚きを隠せない。
「このような所に!」
慌てて三和土から下りて膝をつく。
領主たちの移動に伴う粗末な家ともいえない休憩所だ。
「慌てることはない。 前に言ったな、嘘はないかと」
前置きも何もない。
(相変わらずね・・・) シキが心の内で思う。
「も、勿論に御座います」
マツリがシキを見た。 その目線に応えるようにシキが口を開いた。
「北の領主?」 シキが声を掛けた。
その嫋やかな姿を、祭の時には見ていたが、シキの声をまともに聞いたのは初めてであった。 婉麗(えんれい)な声であった。 だが、シキの能力の噂は聞いていた。 己の気を隠さねばならない。
他愛もないことを頭に浮かべる。
一人馬を走らせ疲れたこと。 それ以前に五色達と北の領土の火を消して回ったこと。
「祭の折の気遣いを感謝します」
「と、とんでもございません。 行き届かずお恥ずかしい限りです」
どこかでこの時が早く終われと念じる。 と、すぐに思い返す。 そんなことを視られてはどうにもならない。 何か、何か関係のないことを考えろ! と、自分に言い聞かす。
だがいつも頭にあることは隠しきれなかったようだ。
「こうして初めて相対してお話をするには、少し厳しいことを言ってしまいますが」
領主の背骨に汗が走った。
「どうして紫を隠すのですか?」
「えっ!」
言ったのは、マツリであり領主であった。 だが、次に声を出したのはマツリが先であった。
「姉上、紫とは?」
「・・・東の五色」
シキが心を痛めていた東の五色の紫。
「紫が居たのならばどうして東に・・・。 あ・・・」 次を視たようだ。
「姉上?」
「北の地に紫を迎えようとしているのですか? どうして? それは過去にすべきではないと分かっっていたことではないのですか?」
更に押し黙る北の領主を視た。
「何故? どうして、北の五色に不安になるのですか?」
これ以上は隠し通せない。 とうとう領主が口を開いた。
「五色は・・・力を無くしてきております」
そして開き直るように言った。
「どうしてあの様な五色を我が地に置いたのですか? あの様に力を無くす者を!」
北の領主であるムロイの一番に頭にあるのは、明らかに力をなくしてきているセイハだった。 ほんの少しの力を出すだけでも時がかかるし、他の者なら手首を返せば済むところを仰々しく動かなければ力を出せなくなっている。
だがセイハだけではない。 オッドアイのトウオウ。 北の領土の五色にオッドアイなど産まれるはずはない。 五色は力を宿す者。 その力が瞳の色となって現れる。 北の領土は五人の五色を迎えた。 一人に一色の瞳の色だった。 オッドアイなど産まれるはずがないのだから。
赤の瞳はセッカ、黄の瞳はキノラ、青の瞳はセイハ、黒の瞳はアマフウ。 そしてトウオウは黄色でその色はキノラより薄くなくてはならなかった。 本来トウオウは白の瞳でなくてはならなかったのだから。 だが初代から白の瞳の者などいない。 瞳の色は白に最も近い薄い黄色だった。 白の力は秋であり天と沢を操れる。
オッドアイといえど確かにトウオウの片瞳の色は薄い黄色だ。 だから間違いではないのだが、片瞳が薄い赤色、ということは、片目だけが白の役割を果たしているという事だ。 双眸ではない。 それは白の力が半減しているという事だ。 力が削がれているという事だ。
遡ればトウオウの祖母が若かりし頃、選んだ夫の祖母は赤の瞳であった。 そのDNAがトウオウに出たのだろう。
そしてアマフウ。 アマフウは瞳の色は冬と水を表わす黒。
黒を表わすのはアマフウ。 それでいい筈なのに青い強膜を持っている。 ましてやその強膜が青の力を有している。
ムロイにしてみれば、例外など作りたくなかった。
そしてキノラとセッカにおいても、代々の力を無くしてきていると、もう亡くなった父から聞いていた。
キノラとセッカの先代の力をムロイは知らないが、父の代から見たこの二色も力を無くしてきているということであった。
シキには視てもらうだけ。 後のことは北の領土を見ているマツリの仕事だ。 マツリが口を開きかけたがシキに先を取られた。
「そんなことはありません。 五色には力が宿っています」
「有り得ない! 虚言だ! 確かに民にない力はある。 だが、ただそれだけだ!」
「数十年前の領主もそう言っていたそうですね。 ですが五色とは・・・民に愛されてその力が満たされる。 それをご存じないのですか?」
「な、なにを!」
「五色が厭まれれば、力を失います」
「我が領土の民が五色を厭うたと仰るのか!」
「そんなことは申しておりません。 ですが、力を無くしたという事は―――」
「何と仰りたい!」
シキに最後まで喋らせず領主が言った。
「理由があるのではないのですか? その理由に心当たりはないのですか?」
「理由などっ! ろくでもない五色をどうして我が地に置いたと言いたい!」
この場を収めるのは己と分かっていながらも、シキの言を優先させた。 だが、シキの言うことをことごとく阻む領主。 我慢が限界になった。
「たわけっ!」
マツリが怒声を上げた。
「五色に差などない!」
「では! どうして我が地の五色には力がないのです! 東の五色は一人にも拘らず、領土を平静にしてたというのに!」
「それは先程シキ様が仰った。 民がどれ程、五色を愛するかだ」
言ったマツリの胸に刺さるものを感じた。 だが、それが何なのかもわからないし、今はそんなことを考えている場ではない。
「ふん、空々しい。 そんなことで五色の力が変わるとは思いませんが?」
マツリではなくシキを見る。
「北の領主、変わるのですよ。 東の地では今も紫を待っております。 その昔、紫が居なくなった東の地に、本領から新たな五色を迎えるように話がありましたが、東の地はそれを断りました。 東の地の紫はただ一人だと」
「ハッ!」
シキの言葉を聞いてムロイが腹からの息を吐いた。
「北の領主?」
「隠しも惚けも致しません。 然に昔、我が領土が東の地を踏み荒らし、紫を攫おうとしたことは重々に承知しております」
シキが首を振る。
「そんなことは言っておりません」
「言っておられるでしょう!」
「北の領主? 貴方を責めて言っているのではありません。 勿論、北の民も。 ただ、東の民が想うように五色を心より想う。 それが五色の力を保つのです」
「我が領土にてそのようなことがないと申されるのですか?」
「北の領主・・・。 領主が言うように五色に力が無くなってきているのでしたら、理由はそれ以外ありません。 ですが民の前に、領主が五色を信じておられない」
「なにをっ!」
「領主が五色を信じずして民が五色を信じますか? 東の民は領主をはじめずっと紫を信じ、何十年と待っています。 紫を東の領土に返して下さい」
「シキ様の仰ることが分かりませんな。 此処に東のムラサキは居りませんし、こちらは確かに・・・北の領土でない娘を預かりましたが、今は居なくなりました。 どこから来てどこに行ったのかもわかりません。 我らは手を尽くして探しましたが、これ以上は探し得ません。 マツリ様はその娘のことが気になられているようですし、シキ様がムラサキの事を気にされているのでしたら本領でお探し下さればと?」
疑問形ではあるが、その語尾は強い。
「娘・・・そう、その娘が紫」
マツリが目を見開いた。
「なにをっ! そう言われるのでしたら本領でその娘をお探しされればいい! どうぞご自由にこの領土をお探しください。 領主として何の文句も言いません」
「北の領主、私は視気(シキ)視る者。 知っておいでね?」
「なにを・・・」
「あなたの心の中を全て視ました。 紫を東の領土にお返しなさい」
「だからっ! なにを!」
娘が紫であることをこの領主は分かっている。 それを惚けて言っている。 そして今、紫がどこに居るかも知っている。 シキに誤魔化しなど利かないことを知っているはずなのに。
「北の領主。 期限は三日としよう。 それまでに四方様に娘・・・紫を連れて進み出よ。 それが無ければ我が手を下す。 心しろ」
キョウゲンとロセイがマツリとシキの前に躍り出た。
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木箱を手にする。 躊躇うことなくカパッと開ける。
「文?」
箱から手紙を取り出し広げる。
書かれていたのは
『りつそ君へ。
りつそ君、お別れが出来なくてごめんね。
元にいた場所に帰ることが出来るかもしれません。
りつそ君ともっといろいろ話がしたかった。 かるねらちゃんの話も聞きたかったけど、それが叶いません。
いっぱい伝えたいけど、時がありません。
りつそ君、沢山お友達を作ってね。 そして兄上に負けない程にお勉強頑張ってね。
紫揺』
そう書かれていた。
リツソとカルネラの部分はカタカナで書きたかったが、リツソはカタカナを知らないようだった。 リツソもカルネラもカタカナが似合うと、紫揺の頭の中でカタカナで記憶されていた。
落とし穴の犯人は紫揺であった。
「りつそ・・・へ。 りつそ、おれがなくてごめんね。 にいたにることが・・・」
そうとしか読めないが原因は分かっている。 涙と鼻水のせいではない、漢字が読めないのだ。
痛恨。
だが、紫揺からの文とは分かる。
文を握りしめる。
「ハクロ・・・」
ノソノソと穴から出て前足で頭を何度も撫でていたハクロの前足が止まった。
「宮に帰る」
「はい?」
これからもリツソの大声に耳を悩まされると思っていたハクロが素っ頓狂な声を上げる。
「シユラからの文を読んでもらう」
リツソが何を考えようともそれはどうでもいいこと。 大声を上げず、ましてや宮に帰ると言われては大歓迎。 木箱の角が頭にあたった痛さなどどこ吹く風。
「では、お乗りください」
ノソリとリツソがハクロに跨る。 懐には木箱に戻した紫揺からの手紙が忍んでいる。
「しかりとお摑まりください」
分かっておる、と返事があるものだと構えていたがその声が聞こえない。 首を一つ傾げると宮に向かって走り出した。
滝の裏で待っているとシキが現れた。
「父上からうかがいました。 行きましょう」
何もかも訊いたという事だろう。
ロセイに乗ったシキと共にキョウゲンに乗ったマツリが先を飛ぶ。
キョウゲンがホゥホゥと鳴くとシグロが長い咆哮で応える。 暫くするとシグロの姿が見えた。
「こちらです!」
大声で飛ぶマツリに言うとすぐに走り出した。 その後を追うキョウゲンとロセイ。
懸命に地を走るシグロに対して、時折羽を休ませるキョウゲンとロセイ。 地と空ではこれ程に違いがあるのかと、改めてマツリが思った。 そして走っているシグロもそうだ。 懸命に動かす四肢。 地を蹴り岩を蹴る。 だが、空の上では避けなければいけない所も蹴るところもない。 上り坂とて下り坂とて単なる空(くう)。 その道さえも空から眺めている。
「羽が欲しかったかね」
走りながらシグロが漏らしたがすぐに訂正した。
「この肉球で地を感じてこそ走ってるんだよ」
自分の走りに満足し更に四肢を動かした。
シグロの後を追っているとかなり中心から離れた。 だが、ぎりぎり辺境ではない所にある一軒の家に導かれた。 山の麓でシグロの足が止まりマツリを見上げる。 マツリからは先に茶の狼が身を隠して伏せているのが見える。
ここが中心であったのなら、狼が簡単に民の前に姿を現すことが出来なかったが、この辺りに民の姿は見えない。
マツリがキョウゲンから跳び下りた。 シキは上空で待っている。
「領主はあそこで休みをとっています」
「苦労だった。 下がってよい」
シグロが頭を下げて後ずさりをするとそのまま踵を返した。
(さて、マツリ様はどうご判断をされるのか・・・) 何を考えてもあとの指示を待つだけだ。
マツリがシキに目で合図を送った。
シキの思いを悟ったロセイがゆっくりと円を描きながら空を舞い降りてきて地を踏んだ。
すぐさまマツリがシキの手を取りロセイの身体から下す。
「あそこに北の領主が居るの?」
「はい」
「ロセイ、ここで待っていてちょうだい」
「畏まりました」
「では―――」 までマツリが言いかけると 「御意」 と先を取ったようにキョウゲンが言って、マツリの肩から羽ばたいた。
では、お前はロセイと一緒に居よ――― と言おうとしたのを口にせずとも分かったからだ。
ロセイとキョウゲンが見送る中、シキの手を取り歩き始める。
北の領主、ムロイを見張っていた狼。 ボウっとしていたのか急に目の前にマツリとシキの姿が出てきたのを見て驚いて猫のように飛び上がった。
「マツリとキョウゲンの繋がりは相変わらず秀抜ね」
「何と仰いますか、姉上とロセイほどにはありません」
「私に謙遜などという事は必要ありません」
「先程、姉上が敢えてロセイに仰らなくとも、ロセイは分かっていたでしょう。 だが、ロセイは姉上が言い終えるのを待った。 キョウゲンとは比べ物になりません」
「それは・・・マツリが一刻を惜しむことをキョウゲンが知っているからではないの? マツリ、少しゆっくりなさいな」
耳の良い狼。 離れていてもシグロには会話は聞こえる。 この場に置いて北の領主の話もしなければ紫揺の話もしない。 この姉弟は何を考えているのだろうとシグロが思う。
それにしてもと、マツリが茶の狼の前を歩いた時、ボウっとしていた茶の狼が驚いて飛び上がった。 舌打ちがでる。
挙動不審になった茶の狼がシグロを見止めた。 睨み据えながら目で下がる様に合図を送ると、尻尾を股に挟みスゴスゴとシグロの元に下がって来た。
目の前に現れた家の戸の前に立った。 空いている手でマツリが戸を開ける。
突然に開けられた戸に驚いた目を向けた領主。
「北の領主」
「こ! これは・・・」
マツリにも勿論だがシキの存在に領主が驚きを隠せない。
「このような所に!」
慌てて三和土から下りて膝をつく。
領主たちの移動に伴う粗末な家ともいえない休憩所だ。
「慌てることはない。 前に言ったな、嘘はないかと」
前置きも何もない。
(相変わらずね・・・) シキが心の内で思う。
「も、勿論に御座います」
マツリがシキを見た。 その目線に応えるようにシキが口を開いた。
「北の領主?」 シキが声を掛けた。
その嫋やかな姿を、祭の時には見ていたが、シキの声をまともに聞いたのは初めてであった。 婉麗(えんれい)な声であった。 だが、シキの能力の噂は聞いていた。 己の気を隠さねばならない。
他愛もないことを頭に浮かべる。
一人馬を走らせ疲れたこと。 それ以前に五色達と北の領土の火を消して回ったこと。
「祭の折の気遣いを感謝します」
「と、とんでもございません。 行き届かずお恥ずかしい限りです」
どこかでこの時が早く終われと念じる。 と、すぐに思い返す。 そんなことを視られてはどうにもならない。 何か、何か関係のないことを考えろ! と、自分に言い聞かす。
だがいつも頭にあることは隠しきれなかったようだ。
「こうして初めて相対してお話をするには、少し厳しいことを言ってしまいますが」
領主の背骨に汗が走った。
「どうして紫を隠すのですか?」
「えっ!」
言ったのは、マツリであり領主であった。 だが、次に声を出したのはマツリが先であった。
「姉上、紫とは?」
「・・・東の五色」
シキが心を痛めていた東の五色の紫。
「紫が居たのならばどうして東に・・・。 あ・・・」 次を視たようだ。
「姉上?」
「北の地に紫を迎えようとしているのですか? どうして? それは過去にすべきではないと分かっっていたことではないのですか?」
更に押し黙る北の領主を視た。
「何故? どうして、北の五色に不安になるのですか?」
これ以上は隠し通せない。 とうとう領主が口を開いた。
「五色は・・・力を無くしてきております」
そして開き直るように言った。
「どうしてあの様な五色を我が地に置いたのですか? あの様に力を無くす者を!」
北の領主であるムロイの一番に頭にあるのは、明らかに力をなくしてきているセイハだった。 ほんの少しの力を出すだけでも時がかかるし、他の者なら手首を返せば済むところを仰々しく動かなければ力を出せなくなっている。
だがセイハだけではない。 オッドアイのトウオウ。 北の領土の五色にオッドアイなど産まれるはずはない。 五色は力を宿す者。 その力が瞳の色となって現れる。 北の領土は五人の五色を迎えた。 一人に一色の瞳の色だった。 オッドアイなど産まれるはずがないのだから。
赤の瞳はセッカ、黄の瞳はキノラ、青の瞳はセイハ、黒の瞳はアマフウ。 そしてトウオウは黄色でその色はキノラより薄くなくてはならなかった。 本来トウオウは白の瞳でなくてはならなかったのだから。 だが初代から白の瞳の者などいない。 瞳の色は白に最も近い薄い黄色だった。 白の力は秋であり天と沢を操れる。
オッドアイといえど確かにトウオウの片瞳の色は薄い黄色だ。 だから間違いではないのだが、片瞳が薄い赤色、ということは、片目だけが白の役割を果たしているという事だ。 双眸ではない。 それは白の力が半減しているという事だ。 力が削がれているという事だ。
遡ればトウオウの祖母が若かりし頃、選んだ夫の祖母は赤の瞳であった。 そのDNAがトウオウに出たのだろう。
そしてアマフウ。 アマフウは瞳の色は冬と水を表わす黒。
黒を表わすのはアマフウ。 それでいい筈なのに青い強膜を持っている。 ましてやその強膜が青の力を有している。
ムロイにしてみれば、例外など作りたくなかった。
そしてキノラとセッカにおいても、代々の力を無くしてきていると、もう亡くなった父から聞いていた。
キノラとセッカの先代の力をムロイは知らないが、父の代から見たこの二色も力を無くしてきているということであった。
シキには視てもらうだけ。 後のことは北の領土を見ているマツリの仕事だ。 マツリが口を開きかけたがシキに先を取られた。
「そんなことはありません。 五色には力が宿っています」
「有り得ない! 虚言だ! 確かに民にない力はある。 だが、ただそれだけだ!」
「数十年前の領主もそう言っていたそうですね。 ですが五色とは・・・民に愛されてその力が満たされる。 それをご存じないのですか?」
「な、なにを!」
「五色が厭まれれば、力を失います」
「我が領土の民が五色を厭うたと仰るのか!」
「そんなことは申しておりません。 ですが、力を無くしたという事は―――」
「何と仰りたい!」
シキに最後まで喋らせず領主が言った。
「理由があるのではないのですか? その理由に心当たりはないのですか?」
「理由などっ! ろくでもない五色をどうして我が地に置いたと言いたい!」
この場を収めるのは己と分かっていながらも、シキの言を優先させた。 だが、シキの言うことをことごとく阻む領主。 我慢が限界になった。
「たわけっ!」
マツリが怒声を上げた。
「五色に差などない!」
「では! どうして我が地の五色には力がないのです! 東の五色は一人にも拘らず、領土を平静にしてたというのに!」
「それは先程シキ様が仰った。 民がどれ程、五色を愛するかだ」
言ったマツリの胸に刺さるものを感じた。 だが、それが何なのかもわからないし、今はそんなことを考えている場ではない。
「ふん、空々しい。 そんなことで五色の力が変わるとは思いませんが?」
マツリではなくシキを見る。
「北の領主、変わるのですよ。 東の地では今も紫を待っております。 その昔、紫が居なくなった東の地に、本領から新たな五色を迎えるように話がありましたが、東の地はそれを断りました。 東の地の紫はただ一人だと」
「ハッ!」
シキの言葉を聞いてムロイが腹からの息を吐いた。
「北の領主?」
「隠しも惚けも致しません。 然に昔、我が領土が東の地を踏み荒らし、紫を攫おうとしたことは重々に承知しております」
シキが首を振る。
「そんなことは言っておりません」
「言っておられるでしょう!」
「北の領主? 貴方を責めて言っているのではありません。 勿論、北の民も。 ただ、東の民が想うように五色を心より想う。 それが五色の力を保つのです」
「我が領土にてそのようなことがないと申されるのですか?」
「北の領主・・・。 領主が言うように五色に力が無くなってきているのでしたら、理由はそれ以外ありません。 ですが民の前に、領主が五色を信じておられない」
「なにをっ!」
「領主が五色を信じずして民が五色を信じますか? 東の民は領主をはじめずっと紫を信じ、何十年と待っています。 紫を東の領土に返して下さい」
「シキ様の仰ることが分かりませんな。 此処に東のムラサキは居りませんし、こちらは確かに・・・北の領土でない娘を預かりましたが、今は居なくなりました。 どこから来てどこに行ったのかもわかりません。 我らは手を尽くして探しましたが、これ以上は探し得ません。 マツリ様はその娘のことが気になられているようですし、シキ様がムラサキの事を気にされているのでしたら本領でお探し下さればと?」
疑問形ではあるが、その語尾は強い。
「娘・・・そう、その娘が紫」
マツリが目を見開いた。
「なにをっ! そう言われるのでしたら本領でその娘をお探しされればいい! どうぞご自由にこの領土をお探しください。 領主として何の文句も言いません」
「北の領主、私は視気(シキ)視る者。 知っておいでね?」
「なにを・・・」
「あなたの心の中を全て視ました。 紫を東の領土にお返しなさい」
「だからっ! なにを!」
娘が紫であることをこの領主は分かっている。 それを惚けて言っている。 そして今、紫がどこに居るかも知っている。 シキに誤魔化しなど利かないことを知っているはずなのに。
「北の領主。 期限は三日としよう。 それまでに四方様に娘・・・紫を連れて進み出よ。 それが無ければ我が手を下す。 心しろ」
キョウゲンとロセイがマツリとシキの前に躍り出た。