虚空の辰刻(とき) 第147回
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坂谷に紹介された男は新谷(しんたに)と名乗り、坂谷と同業だということだった。
“ダブル谷” かろうじて覚えやすい。
サンダーバードに乗り込むとその男二人が前に座っている。 正確に言うと、窓際に座る紫揺の目の前に新谷、斜め前に坂谷である。
「で? 金沢で何をしてたんですか?」
「え? ちょっと・・・はい、あの・・・ボート・・・はい、ボートに乗せてもらっていました」
咄嗟にいい案が浮かばず、そのままを言うしかなかった。
「ボート?」
「ボートって言わないのかなぁ? よく分かりませんけど船です。 それとクルーザーっていうのを見ました。 さっき一緒だった・・・杢木さんって言うんですけど、杢木さんがそのクルーザーを気に入ってました」
話をどうにかして無難な方に持って行こうとするが、まるで小学生の感想文か、夏休みの宿題の日記だ。
「さっきの彼だね。 彼とどういう仲?」
「え?」
「おい、坂谷、女の子にそんなことを訊くんじゃないよ。 無粋なヤツでゴメンね」
「いや、でも。 あの状態で急に居なくなって、思いもしない所で再会したんだ。 そこに男子が居たら気になるだろう」
“あの状態” という言葉で通じるということは、紫揺の身に起きたことを新谷は知っているということだ。
「だから、会えたんだからいいじゃないか。 人それぞれあるんだから。 それとも何か? 彼女がいなくなった後のことを根掘り葉掘り訊くつもりか? それじゃ、職業病も酷すぎるぞ」
これ以上言い合いをするのも大人気ない。 二人が紫揺に目を移すと大人の口喧嘩など、どこ吹く風というように、規則正しい寝息を立てていた。
夕べは一睡もせず起きていたのだから、知らない男二人が目の前に居ても、上眼瞼挙筋(じょうがんけんきょきん)が弛緩しても仕方がない。
それに脱走するにあたっての緊張、アマフウとセイハとの対峙、挙句に東の者との追っかけあい。 サンダーバードの心地いい振動が揺りかごとなってもおかしくない。
瞼が閉門を告げていた。
「本当に二十歳を過ぎてるのか?」
「ああ、あの時が高校を卒業して間がなかった時だったからな。 あれから三年は経ってる」
「二十歳を過ぎて長距離の移動がジャージか。 普通、この歳だとそれなりの服装をするだろう。 身長は人それぞれだが、それにしても顔が幼いな。 最近の子はませてるからなぁ、そこから考えると良く見積もっても高校生。 下手したら小学生に見えなくもないぞ」
「俺も初めて会った時はジャージだった。 あの時も十八歳には見えなかったよ。 思い出したくはないけど懐かしいよ」
「志貴さんからも聞いたよ。 いたましいな」
「ああ」
私が殺した、私が殺したと、呪詛のように何度も言っていたと志貴から聞いている。
「でも、今見た限りでは立ち直ってそうだな」
「だといいけどな。 それにしても、さっき歯切れが悪かったな」
「金沢で何をしてたのか訊いた時か?」
「ああ」
「だから止めろって、職業病。 それに同じ質問でも、俺たちがするのと一般人がするのとでは受ける側の気持ちも違うんだから。 さっきの彼女もそうだったんじゃないのか?」
「・・・そうかな。 まぁ、それじゃあ、その辺のことは、佐川さんに任せるか」
「そうしろ」
鞄の中に手を入れるとクリアファイルを出して坂谷に渡した。
「昨日徹夜で仕上げた。 読んでおいてくれ。 俺はちょっと寝る」
腕を組んですぐに寝る姿勢に入った。
新谷から渡されたクリアファイルからホッチキスで止められたA4用紙をだすと、溜息をつきながら肘かけに肘を置いて読みだした。
紫揺たちの居る車両の通路を一人の男が歩いて来た。 後姿の紫揺を見ることは出来ない。 他の座席に目を配らせ、前から歩いてきた男性とすれ違う。 そのまま歩いて行き車両を出ると野夜が居た。
「どうだった?」
「怪しい影は見えなかったと思うが、前回のように此の地の人間に依頼していたのなら、瞳だけでは判断がつかないからな」
北の領土の人間の瞳は薄いグレーだ。
野夜のスマホが鳴った。
『こちらは異常なしと思われる。 紫さまは寝ていらした』
先ほど悠蓮とすれ違った湖彩からの連絡である。
互いの進行方向に相対して座っている乗客を見て回っていたのだ。
「了解。 こちらも異常なし」
『了解』
「っとに! なんでここで坂谷が現れるんだよ。 俺が全然動けない」
野夜と坂谷、互いに顔を合わせたのは、警官のふりをして潜り込んだ警察署内であった。
野夜と醍十が警察署に潜り込んだ時、北の関係者も二人潜り込んでいた。 その二人が警察署内にある資料室で、紫揺に関する何かを見つけたようだった。 それを阻止するために、一度目は醍十が、二度目は野夜が坂谷に接触した。 野夜においてはそこそこ坂谷と話をした。
「あっちは野夜の顔を覚えてるか?」
「多分な。 職業柄、顔を覚えるのに優れているはずだ」
「職業柄か。 ・・・言い変えれば、紫さまが安全だということになるな」
「あ・・・そうか」
紫揺が警察のガードを受けているということになる。
「あまり気を張らなくてもいいかもしれんな。 それに北がもしここまできて追ってきていないとすれば、そう簡単に紫さまの居場所を特定できないだろうしな」
「まぁ、そうだが」
「少なくとも、この車内はまだ安心し切れないが、それでもあの警察が居るし、これが走っている間はあの北といえど、どうしようもないだろう。 ちょっと気を楽にしようさ」
これとはサンダーバードの事。
「そうだな。 湖彩を回収して座席でちょっと休むか」
連絡を受けた湖彩がすでに座席に座っていた野夜の横に座った。 斜め前には悠蓮が座っている。 悠蓮の横の座席も確保してある。 誰が座ることもない。
「あの警察、俺に気付いた」
「どういうことだ?」
野夜と悠蓮が声をそろえる。
「俺が往復したことに気付いた」
「で?」
「顔を見られたと思う」
野夜が天を仰いごうとしたが、サンダーバードの灯りがすぐ近くに見えただけだった。 気を取り直して顔を下げると誰に言うことなしに言った。
「あの坂谷ってヤツはそうなんだよ」
「どういうことだ?」
「だから、俺の顔も忘れていない筈だ」
「偶然じゃないのか? 顔を上げたら湖彩が居たというだけじゃないのか?」
「いや、そういう目ではなかった」
「・・・湖彩と野夜はアイツが居る間は前に出られないということか」
「いや俺と湖彩だけじゃなく、北の関係者も出られないだろう。 奴らも顔を見られている。 まぁ、同じ奴が来るかどうかは分からんが」
「だがさっきも言ったようにこれに乗っている間、少なくとも次の駅に着く間は大丈夫だろう。 しばしの安息をあの警察から貰おう」
張りぼてを跳び損ねた悠蓮が言う。 完全に尾骶骨をやられて、出来ることならば今すぐにでも横になりたいのだから。
三人の会話を他の二人が聞いたら『甘えたことを!』 と言ったかもしれない。
その二人、若冲は船で梁湶は車でと不眠不休で先の長い海と高速をひた走っている。
そして『甘えたことを!』 などと言わない阿秀と醍十もハンドルを握っている。
阿秀は領主と此之葉を金沢駅でおろし、ホームまで連れて行った。 あとは乗り換えのことを領主に言っておいたが、気が気ではない。 この車に乗せて移動できれば良かったのだが、長距離を車で移動するには領主の身体がついてこられないだろう。
それに反して醍十は
「うーん、一人は寂しいなぁ。 此之葉だけでも連れてくればよかったかなぁ」 などと言っている。
そんな船と車組の四人の気など知らないコチラの三人は、交代で寝ることにした。
まずは阿秀から一番近くにつくようにと言われていた悠蓮が。 他の二人は気を利かせて悠蓮が眠入るまで話をしなかったが、いとも簡単に悠蓮が落ちた。
「早いな」
野夜が言う。
「紫さまが目の前で攫われることを阻止できなかったんだ。 気負いも大きいだろう」
シノ機械のつかいの帰りに紫揺が攫われた時のことを言っている。
「は・・・そうか、そういうことか」
「なんだ?」
「阿秀だ」
「阿秀?」
「悠蓮に紫さまに一番近くにつくように言ったのは、そういう理由だったんだ」
「見えん」
「だから、前回の悠蓮の失敗を―――」
「悠蓮の失敗?」
「ああ、今、湖彩が言ったことだ。 悠蓮は目の前で紫さまを北に持って行かれたんだ。 それを悠蓮がどんな風に思っていたか。 言わずとも分かるだろう。 だからここで悠蓮以外の者を紫さまに付かすと、悠蓮がどう考えたか」
「ああ・・・。 そういう事か」
「阿秀も食えんな」
「食いたかない」
紫揺を追いかけていた時に、いつの間にか紫揺の前に立っていた阿秀を頭に浮かべながら言った。
サンダーバードがスピードを落とした。
「藤滝さん?」
紫揺に声を掛ける坂谷。
遠くで久しく聞いていない苗字を呼ばれた気がした。
「藤滝さん?」
もう一度聞こえた。 誰かの口が紫揺の苗字を呼ぶように動かしている映像が夢現に見えた。
「もう着きますよ」
「あ・・・」
何も分からないまま声が漏れ、瞼を薄く開けた。
「疲れてたのかな?」
「・・・」
状況が分からない。 頭を、記憶をフル回転させる。 出発点はガザンと海岸に出た時だった。
ガザンと海岸に出て・・・海岸・・・船・・・。
「ヴァ!」
意味の分からない声を上げ上体を起こした。
何もかも思い出したようだ。
「良くない夢を見てた?」
「あ・・・」
「よく寝てたよ」
「あ・・・寝ちゃってましたか」
確実に寝ていた。 それも爆睡。
「疲れてたのかな?」
遠回しに職業病が出ている。
「夕べ寝ていませんでしたから」
「寝なかった? どうしてかな?」
ウッカリ要らないことを言ってしまった、と気づく。
「その・・・おじさん・・・杢木さんのお父さんと夜釣? をしてましたから」
父親が『夜釣の邪魔をしちゃいけない』 と言っていたのを覚えていた。 夜釣りは夜の釣りであろう。 確信はないがそれ以外に考えられなかったから使った。
「あの彼の父親と夜釣をしてたの?」
「おじさんがしてただけで、私は見てただけです」
釣りの何かを訊かれても全く知らない。 自分も釣りをしていたなどウッカリ言ってしまえばボロが出る。
「えっと・・・それより、どこに着いたんですか?」
「・・・新大阪駅です」
この少女は目的地を覚えていないのか・・・。
坂谷の横で新谷が笑いを噛み殺している。
「え? 紫揺ちゃん!?」
待ち合わせの店で佐川が腰を上げた。
「佐川のおじさん・・・」
新大阪駅で降りると 「ちょっとここで待ってて」 と言われ、坂谷と新谷が足早にどこかに行き、十五分ほどして坂谷一人が戻ってきた。 新谷はそのままどこかに行ったらしい。
その後ここに来るまでに、佐川がどれだけ紫揺のことを心配していたのかを坂谷から聞いた。
「どうして?」
紫揺の後ろにいる坂谷を見た。
「偶然会ったんです」
坂谷に向けていた目を紫揺に向けた。
「紫揺ちゃん、どうしてたんだ?」
まだ幻想を見ているかのように声に力がない。
「佐川さん、取り敢えず藤滝さんに座ってもらいましょう」
「あ、ああ。 そうですね。 紫揺ちゃん座って」
「はい」
四人掛けのテーブル。 紫揺が佐川の前に座ると坂谷がどうしたものかと躊躇する。
「元気にしてるみたいだね」
佐川が紫揺の顔を見て言う。 以前見た時より頬がふっくらとしている。 やっと声に感情が入った。
「おじさんにはご心配ばかりお掛けして」
坂谷から聞いた。 家を引っ越したと紫揺が佐川に手紙を出したと。 それは誰がどうしたかは分からないが、それはあったのだろうと受け流すことにした。 北だの東だのが、勝手にやったことなのだろうと憶測したからだ。
坂谷が立ちっぱなしなのに気付いた佐川が横に詰め、坂谷の座る場所を開けた。 坂谷がそっと佐川の隣に座る。
「何処に引っ越したの?」
「引っ越しっていうか・・・」
そこまで考えていなかった。 どう言えばいいのだろうか、あの家に戻るつもりだったのだから。
「流浪してました」 これしかない。
「流浪?」
「はい、とにかくアチコチに」
「じゃ、どうして引越したなんて書いたの? あ、いや、失礼。 出過ぎました」
新谷の教えを思い出し、禁忌の入口に入りかけてUターンをする。
「引っ越しって書いた方がおじさんが安心するかと思って」
坂谷の顔を一度見てから佐川に顔を戻す。 苦肉の言い訳。 北とか東が何をしたのか。 それでも誰も巻き込みたくない。
「そうか、そうか。 いや、紫揺ちゃんが元気にしてくれていたんならそれでいい。 それにあの時よりずっと元気になってる」
“あの時” と言ってしまったことに気付き、紫揺に思い出させてしまったかと、慌てて言い添える。
「ごめん、せっかく元気になったのに思い出させたね」
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坂谷に紹介された男は新谷(しんたに)と名乗り、坂谷と同業だということだった。
“ダブル谷” かろうじて覚えやすい。
サンダーバードに乗り込むとその男二人が前に座っている。 正確に言うと、窓際に座る紫揺の目の前に新谷、斜め前に坂谷である。
「で? 金沢で何をしてたんですか?」
「え? ちょっと・・・はい、あの・・・ボート・・・はい、ボートに乗せてもらっていました」
咄嗟にいい案が浮かばず、そのままを言うしかなかった。
「ボート?」
「ボートって言わないのかなぁ? よく分かりませんけど船です。 それとクルーザーっていうのを見ました。 さっき一緒だった・・・杢木さんって言うんですけど、杢木さんがそのクルーザーを気に入ってました」
話をどうにかして無難な方に持って行こうとするが、まるで小学生の感想文か、夏休みの宿題の日記だ。
「さっきの彼だね。 彼とどういう仲?」
「え?」
「おい、坂谷、女の子にそんなことを訊くんじゃないよ。 無粋なヤツでゴメンね」
「いや、でも。 あの状態で急に居なくなって、思いもしない所で再会したんだ。 そこに男子が居たら気になるだろう」
“あの状態” という言葉で通じるということは、紫揺の身に起きたことを新谷は知っているということだ。
「だから、会えたんだからいいじゃないか。 人それぞれあるんだから。 それとも何か? 彼女がいなくなった後のことを根掘り葉掘り訊くつもりか? それじゃ、職業病も酷すぎるぞ」
これ以上言い合いをするのも大人気ない。 二人が紫揺に目を移すと大人の口喧嘩など、どこ吹く風というように、規則正しい寝息を立てていた。
夕べは一睡もせず起きていたのだから、知らない男二人が目の前に居ても、上眼瞼挙筋(じょうがんけんきょきん)が弛緩しても仕方がない。
それに脱走するにあたっての緊張、アマフウとセイハとの対峙、挙句に東の者との追っかけあい。 サンダーバードの心地いい振動が揺りかごとなってもおかしくない。
瞼が閉門を告げていた。
「本当に二十歳を過ぎてるのか?」
「ああ、あの時が高校を卒業して間がなかった時だったからな。 あれから三年は経ってる」
「二十歳を過ぎて長距離の移動がジャージか。 普通、この歳だとそれなりの服装をするだろう。 身長は人それぞれだが、それにしても顔が幼いな。 最近の子はませてるからなぁ、そこから考えると良く見積もっても高校生。 下手したら小学生に見えなくもないぞ」
「俺も初めて会った時はジャージだった。 あの時も十八歳には見えなかったよ。 思い出したくはないけど懐かしいよ」
「志貴さんからも聞いたよ。 いたましいな」
「ああ」
私が殺した、私が殺したと、呪詛のように何度も言っていたと志貴から聞いている。
「でも、今見た限りでは立ち直ってそうだな」
「だといいけどな。 それにしても、さっき歯切れが悪かったな」
「金沢で何をしてたのか訊いた時か?」
「ああ」
「だから止めろって、職業病。 それに同じ質問でも、俺たちがするのと一般人がするのとでは受ける側の気持ちも違うんだから。 さっきの彼女もそうだったんじゃないのか?」
「・・・そうかな。 まぁ、それじゃあ、その辺のことは、佐川さんに任せるか」
「そうしろ」
鞄の中に手を入れるとクリアファイルを出して坂谷に渡した。
「昨日徹夜で仕上げた。 読んでおいてくれ。 俺はちょっと寝る」
腕を組んですぐに寝る姿勢に入った。
新谷から渡されたクリアファイルからホッチキスで止められたA4用紙をだすと、溜息をつきながら肘かけに肘を置いて読みだした。
紫揺たちの居る車両の通路を一人の男が歩いて来た。 後姿の紫揺を見ることは出来ない。 他の座席に目を配らせ、前から歩いてきた男性とすれ違う。 そのまま歩いて行き車両を出ると野夜が居た。
「どうだった?」
「怪しい影は見えなかったと思うが、前回のように此の地の人間に依頼していたのなら、瞳だけでは判断がつかないからな」
北の領土の人間の瞳は薄いグレーだ。
野夜のスマホが鳴った。
『こちらは異常なしと思われる。 紫さまは寝ていらした』
先ほど悠蓮とすれ違った湖彩からの連絡である。
互いの進行方向に相対して座っている乗客を見て回っていたのだ。
「了解。 こちらも異常なし」
『了解』
「っとに! なんでここで坂谷が現れるんだよ。 俺が全然動けない」
野夜と坂谷、互いに顔を合わせたのは、警官のふりをして潜り込んだ警察署内であった。
野夜と醍十が警察署に潜り込んだ時、北の関係者も二人潜り込んでいた。 その二人が警察署内にある資料室で、紫揺に関する何かを見つけたようだった。 それを阻止するために、一度目は醍十が、二度目は野夜が坂谷に接触した。 野夜においてはそこそこ坂谷と話をした。
「あっちは野夜の顔を覚えてるか?」
「多分な。 職業柄、顔を覚えるのに優れているはずだ」
「職業柄か。 ・・・言い変えれば、紫さまが安全だということになるな」
「あ・・・そうか」
紫揺が警察のガードを受けているということになる。
「あまり気を張らなくてもいいかもしれんな。 それに北がもしここまできて追ってきていないとすれば、そう簡単に紫さまの居場所を特定できないだろうしな」
「まぁ、そうだが」
「少なくとも、この車内はまだ安心し切れないが、それでもあの警察が居るし、これが走っている間はあの北といえど、どうしようもないだろう。 ちょっと気を楽にしようさ」
これとはサンダーバードの事。
「そうだな。 湖彩を回収して座席でちょっと休むか」
連絡を受けた湖彩がすでに座席に座っていた野夜の横に座った。 斜め前には悠蓮が座っている。 悠蓮の横の座席も確保してある。 誰が座ることもない。
「あの警察、俺に気付いた」
「どういうことだ?」
野夜と悠蓮が声をそろえる。
「俺が往復したことに気付いた」
「で?」
「顔を見られたと思う」
野夜が天を仰いごうとしたが、サンダーバードの灯りがすぐ近くに見えただけだった。 気を取り直して顔を下げると誰に言うことなしに言った。
「あの坂谷ってヤツはそうなんだよ」
「どういうことだ?」
「だから、俺の顔も忘れていない筈だ」
「偶然じゃないのか? 顔を上げたら湖彩が居たというだけじゃないのか?」
「いや、そういう目ではなかった」
「・・・湖彩と野夜はアイツが居る間は前に出られないということか」
「いや俺と湖彩だけじゃなく、北の関係者も出られないだろう。 奴らも顔を見られている。 まぁ、同じ奴が来るかどうかは分からんが」
「だがさっきも言ったようにこれに乗っている間、少なくとも次の駅に着く間は大丈夫だろう。 しばしの安息をあの警察から貰おう」
張りぼてを跳び損ねた悠蓮が言う。 完全に尾骶骨をやられて、出来ることならば今すぐにでも横になりたいのだから。
三人の会話を他の二人が聞いたら『甘えたことを!』 と言ったかもしれない。
その二人、若冲は船で梁湶は車でと不眠不休で先の長い海と高速をひた走っている。
そして『甘えたことを!』 などと言わない阿秀と醍十もハンドルを握っている。
阿秀は領主と此之葉を金沢駅でおろし、ホームまで連れて行った。 あとは乗り換えのことを領主に言っておいたが、気が気ではない。 この車に乗せて移動できれば良かったのだが、長距離を車で移動するには領主の身体がついてこられないだろう。
それに反して醍十は
「うーん、一人は寂しいなぁ。 此之葉だけでも連れてくればよかったかなぁ」 などと言っている。
そんな船と車組の四人の気など知らないコチラの三人は、交代で寝ることにした。
まずは阿秀から一番近くにつくようにと言われていた悠蓮が。 他の二人は気を利かせて悠蓮が眠入るまで話をしなかったが、いとも簡単に悠蓮が落ちた。
「早いな」
野夜が言う。
「紫さまが目の前で攫われることを阻止できなかったんだ。 気負いも大きいだろう」
シノ機械のつかいの帰りに紫揺が攫われた時のことを言っている。
「は・・・そうか、そういうことか」
「なんだ?」
「阿秀だ」
「阿秀?」
「悠蓮に紫さまに一番近くにつくように言ったのは、そういう理由だったんだ」
「見えん」
「だから、前回の悠蓮の失敗を―――」
「悠蓮の失敗?」
「ああ、今、湖彩が言ったことだ。 悠蓮は目の前で紫さまを北に持って行かれたんだ。 それを悠蓮がどんな風に思っていたか。 言わずとも分かるだろう。 だからここで悠蓮以外の者を紫さまに付かすと、悠蓮がどう考えたか」
「ああ・・・。 そういう事か」
「阿秀も食えんな」
「食いたかない」
紫揺を追いかけていた時に、いつの間にか紫揺の前に立っていた阿秀を頭に浮かべながら言った。
サンダーバードがスピードを落とした。
「藤滝さん?」
紫揺に声を掛ける坂谷。
遠くで久しく聞いていない苗字を呼ばれた気がした。
「藤滝さん?」
もう一度聞こえた。 誰かの口が紫揺の苗字を呼ぶように動かしている映像が夢現に見えた。
「もう着きますよ」
「あ・・・」
何も分からないまま声が漏れ、瞼を薄く開けた。
「疲れてたのかな?」
「・・・」
状況が分からない。 頭を、記憶をフル回転させる。 出発点はガザンと海岸に出た時だった。
ガザンと海岸に出て・・・海岸・・・船・・・。
「ヴァ!」
意味の分からない声を上げ上体を起こした。
何もかも思い出したようだ。
「良くない夢を見てた?」
「あ・・・」
「よく寝てたよ」
「あ・・・寝ちゃってましたか」
確実に寝ていた。 それも爆睡。
「疲れてたのかな?」
遠回しに職業病が出ている。
「夕べ寝ていませんでしたから」
「寝なかった? どうしてかな?」
ウッカリ要らないことを言ってしまった、と気づく。
「その・・・おじさん・・・杢木さんのお父さんと夜釣? をしてましたから」
父親が『夜釣の邪魔をしちゃいけない』 と言っていたのを覚えていた。 夜釣りは夜の釣りであろう。 確信はないがそれ以外に考えられなかったから使った。
「あの彼の父親と夜釣をしてたの?」
「おじさんがしてただけで、私は見てただけです」
釣りの何かを訊かれても全く知らない。 自分も釣りをしていたなどウッカリ言ってしまえばボロが出る。
「えっと・・・それより、どこに着いたんですか?」
「・・・新大阪駅です」
この少女は目的地を覚えていないのか・・・。
坂谷の横で新谷が笑いを噛み殺している。
「え? 紫揺ちゃん!?」
待ち合わせの店で佐川が腰を上げた。
「佐川のおじさん・・・」
新大阪駅で降りると 「ちょっとここで待ってて」 と言われ、坂谷と新谷が足早にどこかに行き、十五分ほどして坂谷一人が戻ってきた。 新谷はそのままどこかに行ったらしい。
その後ここに来るまでに、佐川がどれだけ紫揺のことを心配していたのかを坂谷から聞いた。
「どうして?」
紫揺の後ろにいる坂谷を見た。
「偶然会ったんです」
坂谷に向けていた目を紫揺に向けた。
「紫揺ちゃん、どうしてたんだ?」
まだ幻想を見ているかのように声に力がない。
「佐川さん、取り敢えず藤滝さんに座ってもらいましょう」
「あ、ああ。 そうですね。 紫揺ちゃん座って」
「はい」
四人掛けのテーブル。 紫揺が佐川の前に座ると坂谷がどうしたものかと躊躇する。
「元気にしてるみたいだね」
佐川が紫揺の顔を見て言う。 以前見た時より頬がふっくらとしている。 やっと声に感情が入った。
「おじさんにはご心配ばかりお掛けして」
坂谷から聞いた。 家を引っ越したと紫揺が佐川に手紙を出したと。 それは誰がどうしたかは分からないが、それはあったのだろうと受け流すことにした。 北だの東だのが、勝手にやったことなのだろうと憶測したからだ。
坂谷が立ちっぱなしなのに気付いた佐川が横に詰め、坂谷の座る場所を開けた。 坂谷がそっと佐川の隣に座る。
「何処に引っ越したの?」
「引っ越しっていうか・・・」
そこまで考えていなかった。 どう言えばいいのだろうか、あの家に戻るつもりだったのだから。
「流浪してました」 これしかない。
「流浪?」
「はい、とにかくアチコチに」
「じゃ、どうして引越したなんて書いたの? あ、いや、失礼。 出過ぎました」
新谷の教えを思い出し、禁忌の入口に入りかけてUターンをする。
「引っ越しって書いた方がおじさんが安心するかと思って」
坂谷の顔を一度見てから佐川に顔を戻す。 苦肉の言い訳。 北とか東が何をしたのか。 それでも誰も巻き込みたくない。
「そうか、そうか。 いや、紫揺ちゃんが元気にしてくれていたんならそれでいい。 それにあの時よりずっと元気になってる」
“あの時” と言ってしまったことに気付き、紫揺に思い出させてしまったかと、慌てて言い添える。
「ごめん、せっかく元気になったのに思い出させたね」