国津道 第64回
『国津道(くにつみち)』 目次
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二週間後、浅香から詩甫に連絡があった。
長治から完全に社を修繕したと連絡があり、一度見に来ないかということである。 駅には次郎が迎えに行くとも言っていたという。
詩甫と祐樹がいつもの電車に乗り込み、隣の駅から乗ってくる浅香を迎える。
「お早うございます」
「お早うございます」
「お早う、久しぶりだな浅香」
「よっ、新五年生、授業はどう?」
祐樹を挟んで座席に座る。
「月一の参観日がうるさいし、雨の日に傘持ってき過ぎ」
あまりにも要点を得ない。 どういうことかと浅香が詩甫を見る。
「担任の先生がカッコイイんですって。 参観日は保護者で教室が埋まるし、朝降っていなかった雨の日には、こぞって保護者が生徒に傘を持ってくるらしいです」
「今までなら濡れて帰って来いって言ってたお母さんまで」
「へぇー、なんて先生?」
「護持先生」
護持・・・護持願弦の弟、護持願矢。
そこいらに転がっている苗字ではない、間違いなくガヤである。
そこに詩甫の「え?」 っという声が上がった。
「護持、先生っていうの?」
滅多にある苗字ではない。
詩甫は願弦のことを名前で呼んでいても苗字を知っている。 入社してすぐに名前で呼んでいたわけではないのだから。
「あれ? 言ってなかったっけ?」
祐樹は詩甫に話す時、護持のことを先生と呼んでいただけであった。
「えーっと、野崎さんその話はまたあとで」
願弦から浅香と呑みに行っていたと聞いていた、それに浅香がこういう時には何かある時だ。 後で話してくれるのだろう。
浅香の視線に頷いてみせる。
「で? どんな先生?」
「いい先生だよ、ちゃんと話を聞いてくれるし、授業も面白い。 分からなかったら放課後残ってでも教えてくれるみたいだし」
「みたい?」
「オレはまだ分からないところはないから」
「優秀じゃん」
「姉ちゃんの弟だからね。 ね、それより今日行って朱葉姫居るかなぁ」
「さあ、どうだろ。 朱葉姫が居るか居ないかは野崎さんにしか分からないけど、曹司が居れば朱葉姫も居るだろうな」
あの曹司が朱葉姫から離れるわけがない。
今日は他の人も居る。 朱葉姫が姿を現すはずはないし曹司にしてもそうだ。 だが詩甫は朱葉姫の姿を見ずともその存在が分かる。 浅香にしても詩甫と同じように曹司と心での会話が出来る。
「祐樹君は朱葉姫に居て欲しい?」
「うーん・・・」
チラリと詩甫を見る。
「お姉ちゃんのことは気にしなくていいのよ、祐樹の思うように言うといいよ」
「うん・・・。 その、分からない」
「分からない?」
浅香が訊き返す。
「うん。 居て欲しいし、姉ちゃんの言うように新しい人生? そっちにも行って欲しい」
「そっか」
浅香と詩甫の中では朱葉姫は特別の存在である。 詩甫は瀞謝として、そして浅香は曹司との繋がりから。 だが祐樹はなんのしがらみもなければ繋がりもない。 それなのに朱葉姫に居て欲しいと考えもすれば、新たな道を歩んでほしいとも考えている。 祐樹にとっても紅葉姫社も朱葉姫も特別なものになっているのかもしれない。
「浅香は?」
「うーん、そうだなぁ・・・祐樹君と一緒かな」
「一緒・・・」
「そっ、あくまでも僕の希望としてはね。 でも朱葉姫の今までを考えるとお社に居る方が幸せなのかもしれないな。 朱葉姫は最初にそれを選んできたんだから」
「浅香さん・・・」
浅香の話に祐樹だけではなく詩甫も耳を傾けている。
「気にしないで下さい。 勝手な僕の妄想みたいなものです。 あくまでも朱葉姫が決めることですから。 それに朱葉姫は野崎さんに何も告げずに居なくはなっていないでしょう。 野崎さんの想いを朱葉姫に話したらいいと思いますよ」
「え?」
あれこれと考え抜いて結局、朱葉姫に自分の思いを話すつもりだった。 だがその勇気があと一つなかった。 要らないことを言ってしまうのではないか、朱葉姫を困らせるだけではないのかと。
だがその背中を今押された。
「今日は他の人がいるから無理かもしれませんけど、朱葉姫の未来を想っている、そんな人がいてもいいじゃないですか」
浅香は・・・自分の思いをいつも分かってくれている。
「はい」
駅に着くとアルファードが停まっていた。 運転席に次郎の顔が見える。 そして助手席で何かが動いたように見えた。
浅香が運転席の横に立ち窓をノックする。 次郎は助手席ばかりを見ていて浅香たちに気付かなかったようだ。
窓が開けられた。
「お早う」
「お早うございます、わざわざすみません」
詩甫も浅香の後ろから顔を出して挨拶をしていると、助手席のドアが開いて三太が走ってやって来た。 助手席に三太が居たようだった。
「祐樹!」
「おー、三太!」
一度会っただけだというのに、もう呼び捨てで呼び合っている。 気が合ったのだろう。
「一番後ろに座ろ」
三太が祐樹の手を取ってドアを開ける。
「おう!」
二人が乗り込むのを父親の顔をした次郎が見ていて次に浅香と詩甫に目を合わせる。
「兄弟が出来たみたいに思ってるらしいよ」
さっきまでそんな話をしていたのだろう。
そういえば初めて祐樹と三太が会った時に、三太は浅香と詩甫の存在に対して『いいなぁー。 オレも兄ちゃんか姉ちゃんが欲しかったなぁ』 と言っていた。
祐樹が兄貴ということだろう。 見た目にもあの小さい祐樹の方が背が高いのだから。 それに祐樹自身も一年生担当になったからなのか、もともと面倒見がいいのか上手く相手をするようだ。
「浅香君たちも乗ってくれ」
「はい、お邪魔します」
山の入り口で浅香と詩甫、祐樹と三太を下ろすと次郎が少し広いところを利用してUターンをするとそのまま車を停めた。
やはり停めるに方向があるらしい。 その先の広いところには軽トラも停まっている。
次郎がやってくると「大婆たちがもう来てるみたいだ」 と言う。
「え? 軽トラで? 大婆さんが?」
老体には乗り心地が悪かろうに。
「ああ、来る時にはほとんど軽トラで来てるよ。 ここはあんまり車を停められないだろ? だから荷台に女衆や男衆も乗せてな」
そうなのか。 村の人たちが来てくれているのか。
「昔はみんな歩いて来てたんだろうけどな。 ま、文明の利器を知ってしまったらこんなもんさ」
「警察に見つかったらイチコロですね」
「ははは、イチコロか。 そうだな、ゴキブリ並みに全員が捕られはしないだろう。 運転手だけってとこだろうけど、この田舎じゃそれもないな」
お目こぼしがあるということか。 事故らないことを祈りたい。
祐樹と三太がじゃれ合いながら浅香たちの前を歩いている。
山に入り階段を上り坂を上ると社が見えてきた。 数人の女性が社や供養石の周りを掃き清めているのが目に入る。 木々の中からも声が聞こえている、誰か居るのだろう。
そのまま歩いて行くと、遠目にも社が綺麗になっているのが分かる。 単に朽ちたところをどうにかしたという程度ではない。 殆ど新築そっくりさんのリフォームだ。
社に近づき上を見上げると、錆が取り除かれ磨かれた鈴があり紅白の布が垂れている。 腰付き格子戸の手前には神饌(しんせん)を置く台があり、そこには既に米と酒、野菜の供え物が置かれていて、その横には榊の入った竹筒がある。 手前には達筆で『紅葉姫社 朱葉姫』 と書かれた立派な板もある。
そして社の前に椅子を置き大婆が座っている。
「大婆さん」
詩甫が声をかけ、大婆の横に近寄って行った。
「おお、来たか。 どうだ、立派になったろう」
「はい、とても」
大婆と目の高さを合わせるように詩甫がその場にしゃがんで社に目を移す。
「朱葉姫が喜んでくれてるとええんだがな」
「そうですね」
大婆は、いや大婆だけではないのだろう。 きっと社に関わった誰もがそう思っているのだろう。
それなのに自分はそれに反することを朱葉姫に言おうとしている。
「この夏にな」
「はい」
大婆に向き直る。
「大袈裟なことは出来んが、青年団が提灯を吊るして太鼓を叩こうかと予定しとるらしい」
「あ・・・それって、お祭ですか?」
「祭という程に大袈裟には出来んということだが、その内にとは考えとるだろうな」
詩甫の結んだ唇が震える。 思わず泣きそうになる。
頭に描いていたことがまさかこんなに早く実行されるとは思いもしなかった。
(朱葉姫・・・)
「ここいらの青年団は太鼓を叩くでな。 まっ、ド素人太鼓だが、太鼓の音はええもんだ。 下手くそでも朱葉姫は聞いてくれるだろうて」
「そうですね」
社の前では次郎と三太が手を合わせている。 大婆と詩甫の話をとぎらせないように考えたのか、鈴は鳴らさなかったようだ。
「姉ちゃん、お供え物」
祐樹は持ってきた供え物を置く前に手を合わせたくないのだろう。 有難くも供え物を置く台はまだ十分にスペースが空いている。
詩甫が大婆と話している間に浅香も長治と話をしていた。
社の中には神饌も何もかも一切を置かないと決まったそうだ。 修繕するに社の中に入ると誰もが何か違ったものを感じたという。 それは人が足を踏み入れてはならない、厳かなようなものでもあり、緑を感じさせる風でもあったようだという。
それが為に神饌を置く台が大きくなったということである。 もちろん賽銭箱は置いていない。 民が作った朱葉姫の社なのだから賽銭箱など要らない。 どこかに不具合が出れば村の人間がこぞって修理をすればいいことなのだから。
「あ、うん、そうだね」
供え物は浅香が持っている。
その浅香を見ると長治と話していたが、目が合った途端に分かったのだろう、長治に頭を下げてこちらに歩いて来た。
「立派になりましたねぇー」
社を見上げて言う。
その浅香の手から供え物の入った紙袋を受け取ると、祐樹が中から菓子折りと花束を出し台の上に置いた。
「悪いな、浅香君のしたことを帳消しにしてしまったみたいで」
祝詞を唱え終えた次郎が振り返り浅香に言う。 三太はまだ上手く唱えられないらしく、次郎の横で手を合わせていただけだ。
「いいえ、思い出すとお恥ずかしいばかりで。 じゃ、僕も朱葉姫にご挨拶をさせてもらいます」
浅香が言ったのを聞いて、大婆が次郎に椅子をずらすように目で言う。
「鈴も鳴らすとええ、ええ音が鳴る。 あれほど錆びてたとは思えんわ」
次郎が大婆の椅子をずらすのを見て、まずはワクワクしている目をしていた祐樹に先を譲る。
祐樹がいい音を鳴らして鈴を振る。
「うわっ、すっげいい音」
「本当にいい音ですねぇ」
大婆が言うようにあれほど錆びていたとは思えない音である。 清々しく透明でそれでいて心に響くような音である。
「朱葉姫に似合う音ですね」
朱葉姫を知る詩甫がつい言ってしまったが、誰もそれを訝しくは思わなかった。 きっと誰もが間違いなく朱葉姫を想像しているのだろう。
続いて浅香も鈴を鳴らし、浅香と祐樹が手を合わせる。
すぐに詩甫が鈴を鳴らすだろうと思っていた祐樹だが鈴の音が聞こえない。 手を下ろし詩甫を見ようと思ったが、電車の中で色々話していたことを思い出した。
(姉ちゃんは特別だもんな・・・)
改めて目をつぶって頭(こうべ)を垂れた。
浅香と祐樹の後姿を見ていた詩甫が小さく頷く。
(焦ることは無い)
朱葉姫と話すことを。
そうは思うが話が段々と進んでいくようだ。 このまま村の人たちの心を聞くと、朱葉姫は帰るべき場所に戻りたいと思っていても戻れなくなってしまうのではないだろうか。
だからと言って朱葉姫と話すために大婆や長治たちの前で姿を消すことなど出来ない。 心で朱葉姫に呼び掛けてそれに朱葉姫が応えてくれたとしても、心での会話では言いたいことを十分に伝えられないような気がする。
(来週にでももう一度来れば・・・)
いや、来週も誰かがここに来て掃除をしているかもしれない。 一日中誰も来ないのを待つわけにもいかないし、姿が消えた時に誰もいなかったとしても姿を現した時に誰もいないとは限らない。
(でも・・・遅くまで居れば)
浅香と初めてここに来た時のように。
「浅香君が教えてくれた小川、有難かったよ、ほんと役に立った」
長治の声に詩甫が考えを止める。
いつの間にか浅香と祐樹が前から居なくなっていた。
「それは良かったです」
「今からみんなで手を洗いに行くけど久しぶりだろ? 一緒にどうだ?」
「浅香、行こうよ」
三太と追いかけっこをしていた祐樹が浅香に走り寄ってきた。 浅香が長治から視線を外すと意味深な視線を祐樹に送る。
その視線の意味に祐樹が気付いた。 具体的には分からないが何かあると感じた。
「大婆さんはお一人でここに残られるんですか?」
浅香たちを迎えに来ていた次郎は集められた葉を袋に詰め込んでいる。 手が汚れただろう。 遅れてきたとて手を洗いに行く筈だ。
「ああ、いつもそうだから気にしなくていいよ」
「じゃ、祐樹君だけをお願いできますか? 僕は久しぶりに大婆さんとお話しをさせてもらいます」
長治にすれば浅香が一人残る大婆に気を利かせたように聞こえた。 大婆に気を使うことは無いと言いかけたのだが、当の大婆はそうではなかった、大喜びである。
「そーか、そーか、若いの。 わしと話したいか。 うーん? それとも、わしの尻の感触を忘れられんで―――」
「大婆!」
長治が叫ぶ。
「うるさいのぅ・・・」
「大婆さんのあの時の状態が気になりまして」
「あの時?」
大婆が何のことかと浅香に向く。
「ええ、初めてここにいらした時に具合を悪くされたでしょう? その時のことも、それ以降のこともお聞きしたくて」
「ああ、そう言やあ、救急隊員だとかって言っとったか」
車中の浅香と長治の話を聞いていたようだが、それを覚えているとは・・・健康状態を訊かずとも十分に頭脳はお元気そうだ。 血栓などおこしていなかったようだ。
「大婆さんの今のご健康がどうのではありません。 お元気そうなので。 そうではなく今後の向上のためにお聞かせ願えればと」
「おお、聞かせてやろう。 あの時はなぁ、急にしんどうなってなぁ・・・」
大婆の話が始まった。 浅香が長治に頷いてみせ、祐樹を呼び寄せると耳元で「出来るだけ長く小川に引き留めておいて」 と告げる。
浅香が何を言いたいのかが分かったのだろう。 祐樹が親指を立てて三太と一緒に小川に走って行く。
「これ、三太! 走っちゃ危ないわよ!」
きっと三太の母親だろう。 すぐに二人の後を追って走り出した。 他の者たちも笑いながら後に続いて行く。
「浅香君、悪いな」
「若いのがわしと二人でおって、なーにが悪いじゃ!」
話しを止めた大婆が長治に食って掛かる。
「大婆さんに勉強させてもらいますので、どうぞお気になさらず」
「ひっひっひ、ほうれ、若いのもこう言うておるわい」
長治に向かって言うと、次に浅香を見て言う。
「若いの、他にもいろいろ勉強させてやるが?」
「大婆!」
再度長治の声が響いた。
長治が浅香を気にしながらも小川の方に向かって行った。 それを見送ると、白々しく大婆の座っている椅子の方向を変える。 社に背を向ける方向にである。
今日は人がいるから朱葉姫とは話せないだろうと言っていた浅香が何を言わんとしているのかが分かった詩甫。 鈴を鳴らすことなく社の前に立ち手を合わせ目を瞑る。
(朱葉姫、お話しがあります)
心の内で言うと詩甫の姿が薄らいで見えなくなった。 浅香がその姿を見送る。
(頼むからみんなが戻ってくる前に戻って来てくれよ・・・)
その浅香の前では大婆が得意満面になってあの時のことを話している。
「それが、その医者がええ顔でな。 わしもあと八十年若けりゃなぁ」
笑いながら浅香が大婆の話に相槌を打った。
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二週間後、浅香から詩甫に連絡があった。
長治から完全に社を修繕したと連絡があり、一度見に来ないかということである。 駅には次郎が迎えに行くとも言っていたという。
詩甫と祐樹がいつもの電車に乗り込み、隣の駅から乗ってくる浅香を迎える。
「お早うございます」
「お早うございます」
「お早う、久しぶりだな浅香」
「よっ、新五年生、授業はどう?」
祐樹を挟んで座席に座る。
「月一の参観日がうるさいし、雨の日に傘持ってき過ぎ」
あまりにも要点を得ない。 どういうことかと浅香が詩甫を見る。
「担任の先生がカッコイイんですって。 参観日は保護者で教室が埋まるし、朝降っていなかった雨の日には、こぞって保護者が生徒に傘を持ってくるらしいです」
「今までなら濡れて帰って来いって言ってたお母さんまで」
「へぇー、なんて先生?」
「護持先生」
護持・・・護持願弦の弟、護持願矢。
そこいらに転がっている苗字ではない、間違いなくガヤである。
そこに詩甫の「え?」 っという声が上がった。
「護持、先生っていうの?」
滅多にある苗字ではない。
詩甫は願弦のことを名前で呼んでいても苗字を知っている。 入社してすぐに名前で呼んでいたわけではないのだから。
「あれ? 言ってなかったっけ?」
祐樹は詩甫に話す時、護持のことを先生と呼んでいただけであった。
「えーっと、野崎さんその話はまたあとで」
願弦から浅香と呑みに行っていたと聞いていた、それに浅香がこういう時には何かある時だ。 後で話してくれるのだろう。
浅香の視線に頷いてみせる。
「で? どんな先生?」
「いい先生だよ、ちゃんと話を聞いてくれるし、授業も面白い。 分からなかったら放課後残ってでも教えてくれるみたいだし」
「みたい?」
「オレはまだ分からないところはないから」
「優秀じゃん」
「姉ちゃんの弟だからね。 ね、それより今日行って朱葉姫居るかなぁ」
「さあ、どうだろ。 朱葉姫が居るか居ないかは野崎さんにしか分からないけど、曹司が居れば朱葉姫も居るだろうな」
あの曹司が朱葉姫から離れるわけがない。
今日は他の人も居る。 朱葉姫が姿を現すはずはないし曹司にしてもそうだ。 だが詩甫は朱葉姫の姿を見ずともその存在が分かる。 浅香にしても詩甫と同じように曹司と心での会話が出来る。
「祐樹君は朱葉姫に居て欲しい?」
「うーん・・・」
チラリと詩甫を見る。
「お姉ちゃんのことは気にしなくていいのよ、祐樹の思うように言うといいよ」
「うん・・・。 その、分からない」
「分からない?」
浅香が訊き返す。
「うん。 居て欲しいし、姉ちゃんの言うように新しい人生? そっちにも行って欲しい」
「そっか」
浅香と詩甫の中では朱葉姫は特別の存在である。 詩甫は瀞謝として、そして浅香は曹司との繋がりから。 だが祐樹はなんのしがらみもなければ繋がりもない。 それなのに朱葉姫に居て欲しいと考えもすれば、新たな道を歩んでほしいとも考えている。 祐樹にとっても紅葉姫社も朱葉姫も特別なものになっているのかもしれない。
「浅香は?」
「うーん、そうだなぁ・・・祐樹君と一緒かな」
「一緒・・・」
「そっ、あくまでも僕の希望としてはね。 でも朱葉姫の今までを考えるとお社に居る方が幸せなのかもしれないな。 朱葉姫は最初にそれを選んできたんだから」
「浅香さん・・・」
浅香の話に祐樹だけではなく詩甫も耳を傾けている。
「気にしないで下さい。 勝手な僕の妄想みたいなものです。 あくまでも朱葉姫が決めることですから。 それに朱葉姫は野崎さんに何も告げずに居なくはなっていないでしょう。 野崎さんの想いを朱葉姫に話したらいいと思いますよ」
「え?」
あれこれと考え抜いて結局、朱葉姫に自分の思いを話すつもりだった。 だがその勇気があと一つなかった。 要らないことを言ってしまうのではないか、朱葉姫を困らせるだけではないのかと。
だがその背中を今押された。
「今日は他の人がいるから無理かもしれませんけど、朱葉姫の未来を想っている、そんな人がいてもいいじゃないですか」
浅香は・・・自分の思いをいつも分かってくれている。
「はい」
駅に着くとアルファードが停まっていた。 運転席に次郎の顔が見える。 そして助手席で何かが動いたように見えた。
浅香が運転席の横に立ち窓をノックする。 次郎は助手席ばかりを見ていて浅香たちに気付かなかったようだ。
窓が開けられた。
「お早う」
「お早うございます、わざわざすみません」
詩甫も浅香の後ろから顔を出して挨拶をしていると、助手席のドアが開いて三太が走ってやって来た。 助手席に三太が居たようだった。
「祐樹!」
「おー、三太!」
一度会っただけだというのに、もう呼び捨てで呼び合っている。 気が合ったのだろう。
「一番後ろに座ろ」
三太が祐樹の手を取ってドアを開ける。
「おう!」
二人が乗り込むのを父親の顔をした次郎が見ていて次に浅香と詩甫に目を合わせる。
「兄弟が出来たみたいに思ってるらしいよ」
さっきまでそんな話をしていたのだろう。
そういえば初めて祐樹と三太が会った時に、三太は浅香と詩甫の存在に対して『いいなぁー。 オレも兄ちゃんか姉ちゃんが欲しかったなぁ』 と言っていた。
祐樹が兄貴ということだろう。 見た目にもあの小さい祐樹の方が背が高いのだから。 それに祐樹自身も一年生担当になったからなのか、もともと面倒見がいいのか上手く相手をするようだ。
「浅香君たちも乗ってくれ」
「はい、お邪魔します」
山の入り口で浅香と詩甫、祐樹と三太を下ろすと次郎が少し広いところを利用してUターンをするとそのまま車を停めた。
やはり停めるに方向があるらしい。 その先の広いところには軽トラも停まっている。
次郎がやってくると「大婆たちがもう来てるみたいだ」 と言う。
「え? 軽トラで? 大婆さんが?」
老体には乗り心地が悪かろうに。
「ああ、来る時にはほとんど軽トラで来てるよ。 ここはあんまり車を停められないだろ? だから荷台に女衆や男衆も乗せてな」
そうなのか。 村の人たちが来てくれているのか。
「昔はみんな歩いて来てたんだろうけどな。 ま、文明の利器を知ってしまったらこんなもんさ」
「警察に見つかったらイチコロですね」
「ははは、イチコロか。 そうだな、ゴキブリ並みに全員が捕られはしないだろう。 運転手だけってとこだろうけど、この田舎じゃそれもないな」
お目こぼしがあるということか。 事故らないことを祈りたい。
祐樹と三太がじゃれ合いながら浅香たちの前を歩いている。
山に入り階段を上り坂を上ると社が見えてきた。 数人の女性が社や供養石の周りを掃き清めているのが目に入る。 木々の中からも声が聞こえている、誰か居るのだろう。
そのまま歩いて行くと、遠目にも社が綺麗になっているのが分かる。 単に朽ちたところをどうにかしたという程度ではない。 殆ど新築そっくりさんのリフォームだ。
社に近づき上を見上げると、錆が取り除かれ磨かれた鈴があり紅白の布が垂れている。 腰付き格子戸の手前には神饌(しんせん)を置く台があり、そこには既に米と酒、野菜の供え物が置かれていて、その横には榊の入った竹筒がある。 手前には達筆で『紅葉姫社 朱葉姫』 と書かれた立派な板もある。
そして社の前に椅子を置き大婆が座っている。
「大婆さん」
詩甫が声をかけ、大婆の横に近寄って行った。
「おお、来たか。 どうだ、立派になったろう」
「はい、とても」
大婆と目の高さを合わせるように詩甫がその場にしゃがんで社に目を移す。
「朱葉姫が喜んでくれてるとええんだがな」
「そうですね」
大婆は、いや大婆だけではないのだろう。 きっと社に関わった誰もがそう思っているのだろう。
それなのに自分はそれに反することを朱葉姫に言おうとしている。
「この夏にな」
「はい」
大婆に向き直る。
「大袈裟なことは出来んが、青年団が提灯を吊るして太鼓を叩こうかと予定しとるらしい」
「あ・・・それって、お祭ですか?」
「祭という程に大袈裟には出来んということだが、その内にとは考えとるだろうな」
詩甫の結んだ唇が震える。 思わず泣きそうになる。
頭に描いていたことがまさかこんなに早く実行されるとは思いもしなかった。
(朱葉姫・・・)
「ここいらの青年団は太鼓を叩くでな。 まっ、ド素人太鼓だが、太鼓の音はええもんだ。 下手くそでも朱葉姫は聞いてくれるだろうて」
「そうですね」
社の前では次郎と三太が手を合わせている。 大婆と詩甫の話をとぎらせないように考えたのか、鈴は鳴らさなかったようだ。
「姉ちゃん、お供え物」
祐樹は持ってきた供え物を置く前に手を合わせたくないのだろう。 有難くも供え物を置く台はまだ十分にスペースが空いている。
詩甫が大婆と話している間に浅香も長治と話をしていた。
社の中には神饌も何もかも一切を置かないと決まったそうだ。 修繕するに社の中に入ると誰もが何か違ったものを感じたという。 それは人が足を踏み入れてはならない、厳かなようなものでもあり、緑を感じさせる風でもあったようだという。
それが為に神饌を置く台が大きくなったということである。 もちろん賽銭箱は置いていない。 民が作った朱葉姫の社なのだから賽銭箱など要らない。 どこかに不具合が出れば村の人間がこぞって修理をすればいいことなのだから。
「あ、うん、そうだね」
供え物は浅香が持っている。
その浅香を見ると長治と話していたが、目が合った途端に分かったのだろう、長治に頭を下げてこちらに歩いて来た。
「立派になりましたねぇー」
社を見上げて言う。
その浅香の手から供え物の入った紙袋を受け取ると、祐樹が中から菓子折りと花束を出し台の上に置いた。
「悪いな、浅香君のしたことを帳消しにしてしまったみたいで」
祝詞を唱え終えた次郎が振り返り浅香に言う。 三太はまだ上手く唱えられないらしく、次郎の横で手を合わせていただけだ。
「いいえ、思い出すとお恥ずかしいばかりで。 じゃ、僕も朱葉姫にご挨拶をさせてもらいます」
浅香が言ったのを聞いて、大婆が次郎に椅子をずらすように目で言う。
「鈴も鳴らすとええ、ええ音が鳴る。 あれほど錆びてたとは思えんわ」
次郎が大婆の椅子をずらすのを見て、まずはワクワクしている目をしていた祐樹に先を譲る。
祐樹がいい音を鳴らして鈴を振る。
「うわっ、すっげいい音」
「本当にいい音ですねぇ」
大婆が言うようにあれほど錆びていたとは思えない音である。 清々しく透明でそれでいて心に響くような音である。
「朱葉姫に似合う音ですね」
朱葉姫を知る詩甫がつい言ってしまったが、誰もそれを訝しくは思わなかった。 きっと誰もが間違いなく朱葉姫を想像しているのだろう。
続いて浅香も鈴を鳴らし、浅香と祐樹が手を合わせる。
すぐに詩甫が鈴を鳴らすだろうと思っていた祐樹だが鈴の音が聞こえない。 手を下ろし詩甫を見ようと思ったが、電車の中で色々話していたことを思い出した。
(姉ちゃんは特別だもんな・・・)
改めて目をつぶって頭(こうべ)を垂れた。
浅香と祐樹の後姿を見ていた詩甫が小さく頷く。
(焦ることは無い)
朱葉姫と話すことを。
そうは思うが話が段々と進んでいくようだ。 このまま村の人たちの心を聞くと、朱葉姫は帰るべき場所に戻りたいと思っていても戻れなくなってしまうのではないだろうか。
だからと言って朱葉姫と話すために大婆や長治たちの前で姿を消すことなど出来ない。 心で朱葉姫に呼び掛けてそれに朱葉姫が応えてくれたとしても、心での会話では言いたいことを十分に伝えられないような気がする。
(来週にでももう一度来れば・・・)
いや、来週も誰かがここに来て掃除をしているかもしれない。 一日中誰も来ないのを待つわけにもいかないし、姿が消えた時に誰もいなかったとしても姿を現した時に誰もいないとは限らない。
(でも・・・遅くまで居れば)
浅香と初めてここに来た時のように。
「浅香君が教えてくれた小川、有難かったよ、ほんと役に立った」
長治の声に詩甫が考えを止める。
いつの間にか浅香と祐樹が前から居なくなっていた。
「それは良かったです」
「今からみんなで手を洗いに行くけど久しぶりだろ? 一緒にどうだ?」
「浅香、行こうよ」
三太と追いかけっこをしていた祐樹が浅香に走り寄ってきた。 浅香が長治から視線を外すと意味深な視線を祐樹に送る。
その視線の意味に祐樹が気付いた。 具体的には分からないが何かあると感じた。
「大婆さんはお一人でここに残られるんですか?」
浅香たちを迎えに来ていた次郎は集められた葉を袋に詰め込んでいる。 手が汚れただろう。 遅れてきたとて手を洗いに行く筈だ。
「ああ、いつもそうだから気にしなくていいよ」
「じゃ、祐樹君だけをお願いできますか? 僕は久しぶりに大婆さんとお話しをさせてもらいます」
長治にすれば浅香が一人残る大婆に気を利かせたように聞こえた。 大婆に気を使うことは無いと言いかけたのだが、当の大婆はそうではなかった、大喜びである。
「そーか、そーか、若いの。 わしと話したいか。 うーん? それとも、わしの尻の感触を忘れられんで―――」
「大婆!」
長治が叫ぶ。
「うるさいのぅ・・・」
「大婆さんのあの時の状態が気になりまして」
「あの時?」
大婆が何のことかと浅香に向く。
「ええ、初めてここにいらした時に具合を悪くされたでしょう? その時のことも、それ以降のこともお聞きしたくて」
「ああ、そう言やあ、救急隊員だとかって言っとったか」
車中の浅香と長治の話を聞いていたようだが、それを覚えているとは・・・健康状態を訊かずとも十分に頭脳はお元気そうだ。 血栓などおこしていなかったようだ。
「大婆さんの今のご健康がどうのではありません。 お元気そうなので。 そうではなく今後の向上のためにお聞かせ願えればと」
「おお、聞かせてやろう。 あの時はなぁ、急にしんどうなってなぁ・・・」
大婆の話が始まった。 浅香が長治に頷いてみせ、祐樹を呼び寄せると耳元で「出来るだけ長く小川に引き留めておいて」 と告げる。
浅香が何を言いたいのかが分かったのだろう。 祐樹が親指を立てて三太と一緒に小川に走って行く。
「これ、三太! 走っちゃ危ないわよ!」
きっと三太の母親だろう。 すぐに二人の後を追って走り出した。 他の者たちも笑いながら後に続いて行く。
「浅香君、悪いな」
「若いのがわしと二人でおって、なーにが悪いじゃ!」
話しを止めた大婆が長治に食って掛かる。
「大婆さんに勉強させてもらいますので、どうぞお気になさらず」
「ひっひっひ、ほうれ、若いのもこう言うておるわい」
長治に向かって言うと、次に浅香を見て言う。
「若いの、他にもいろいろ勉強させてやるが?」
「大婆!」
再度長治の声が響いた。
長治が浅香を気にしながらも小川の方に向かって行った。 それを見送ると、白々しく大婆の座っている椅子の方向を変える。 社に背を向ける方向にである。
今日は人がいるから朱葉姫とは話せないだろうと言っていた浅香が何を言わんとしているのかが分かった詩甫。 鈴を鳴らすことなく社の前に立ち手を合わせ目を瞑る。
(朱葉姫、お話しがあります)
心の内で言うと詩甫の姿が薄らいで見えなくなった。 浅香がその姿を見送る。
(頼むからみんなが戻ってくる前に戻って来てくれよ・・・)
その浅香の前では大婆が得意満面になってあの時のことを話している。
「それが、その医者がええ顔でな。 わしもあと八十年若けりゃなぁ」
笑いながら浅香が大婆の話に相槌を打った。