辰刻の雫 ~蒼い月~ 第30回
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次
『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第20回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。
『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ
辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~ 第30回
最後まで黙って聞いているつもりであったがこれでは埒があかないだろうし、こうして二人の喧嘩が始まるのだろうと分かった。 それにマツリの様子も十分に見ることが出来た。
「姉上! 父上からある程度聞かれておられるのでしょう!」
珍しくマツリがシキに対して声を荒げたが、シキは余裕で微笑んでいる。
「ええ、でも紫は引かないわよ。 マツリもそれは分かっているでしょう? 少なくとも事情を話せばどう?」
シキの落ち着いた口調に少しは冷静さを取り戻したマツリ。 先ほどの荒声にしまったと思ってももう遅い。 「申し訳ありません」 とシキに一言いって続ける。
「それは本領の中の事です」
「だから、そう言って終わろうとするから、紫がああ言っているのでしょう? 紫が本気ということはマツリにも分かるでしょう」
ブスッとむくれたような顔を見せたマツリ。 仕方なく真っ直ぐに明後日を見ながら口を開く。
「カルネラに頼もうとしていたことはリツソとは関係はない。 それにまず、地下というのは・・・」
地下がならず者のたまり場だと聞かせた。 命の保証のない所だと。 そんな所であるのだから女が一人で入ることなど出来ないと。 そしてカルネラには地下に居る情報屋から話を聞いてきて貰いたかっただけだと告げた。
「今までは誰がその情報屋さんから話を聞いてたの? それが、その情報屋さんが俤(おもかげ)って人?」
俤の名前まで聞かれてしまっていたのか。 あの時、あまりのカルネラの覚えの悪さに、つい周りが見えなくなってしまっていた。 己の間抜けさに溜息が出る。
「俺が訊きに行っていた。 いいか、俤の名は二度と出すな」
紫揺の眉が上がった。 ここは触れてはいけないところだったのだろうか。
「じゃ、どうして今回はマツリが行かないの?」
マツリが大きなため息をついた。 ここでリツソが関係してくるからだ。
「リツソが具合を戻してそんなに日が経っていない。 そんな時に地下をウロウロしていては地下の者がどう考えるか分からない」
「ふーん、そうなんだ。 ・・・さっきも聞いたけど、その情報屋さんの情報は急いでいるのよね?」
「急いてはおらん」
「カルネラちゃんに頼むくらいなのに?」
俤から言い切れなかったという話が気になることも確かだが、あの時、俤からの情報は数があった。 それなのにまだ言い切れなかったことが一つ残っているということは、もしかしてその事に関する何かを突き止めようと無理をして動いているのではないだろうか。 城家主に捕まってはいないだろうかと案じてカルネラを走らせようとしていた。
「当分行けそうにないからだ。 これで全て話した。 紫は明日までこの宮で大人しくしておくよう」
「大人しくって・・・塔弥さんみたいなことを言う」
東の領土のお付きの中で時折、紫揺に意見をする者がいる。 それが塔弥だ。 塔弥以外は全員日本に居る時に紫揺のトンデモを目にしていたが、塔弥も紫揺のお付きとして東の領土で一緒に居るようになりそれを知った。
最初は他のお付きから紫揺に注意をしろ、とか、何事においてもお前が言え、という目を送られてきてしぶしぶ言っていたのだが、その内に言われずとも視線を送られずとも塔弥の判断で言うようになってきていた。
切っ掛けは紫揺が愛馬である “お転婆” に乗っている時、急に鞍の上に立ち上がったことだった。
紫揺曰く、遠くを見たかった、ということらしかったが、それからというもの、紫揺が何かをしようとしかけた時には、事前に大人しくなさって下さいませ、と言うようになったのである。
「トウヤ? ・・・北の五色のトウオウではないのか」
紫揺を見た。
「へ? どうしてここにトウオウさんが出てくるの?」
「・・・」
マツリの表情が動かない。
「塔弥というのは、東の領土で独唱に付いていた者ね」
さり気なくシキがマツリに説明する。 シキを見たマツリ。 トウヤという者が東の者の事かと分かった。
マツリは紫揺が本領に来るまでに東の領土で馬を走らせていたことを思い出した。 守られながら走っていたにも関わらず一人飛び出して走り出したことを。
トウヤというのが誰かは分からない。 あの中にいたのかも分からないが、いつもあのようなことをしているのだろう。 だから大人しくしろと言われるのだろう。
「大人しく出来ておらんのか」
視線を明後日に戻す。
「そんなことない。 塔弥さんが大袈裟なだけ」
これを東の領土で言っていれば、どこがだ! と、何処からか聞こえてくるだろう。
二人の会話が始まりシキがトウオウを思い出そうとした。 年に一度、祭の時にしか会わないし、そうそう話もしない。
北の領土の五色、白と赤の力を持つ、異(い)なる双眸を持つ者。 だが本来なら白の力だけでなければいけなかった者、だったかと思い出した。 そしてその容貌も。
(単なる聞き違いではないはず・・・)
今も真っ直ぐに前を見ているマツリを横目に見た時、襖の向こうがやけに騒がしくなった。
昌耶が眉を顰め、そっと襖を開けようと手を伸ばした時、外からバンと襖が開けられた。
「ひえ!」
思わず昌耶が声を上げて仰け反る。
シキもマツリも紫揺も襖の方を見た。
「やっぱり!」
襖の向こうに立っていたのはリツソであった。
「姉上、これはどういうことで御座いますかっ! 我に勉学をしろと言っておいて、紫揺と姉上と兄上で遊んでいるので御座いますかっ!」
“遊んでいる” その言葉に誰もが情けなくなる。 今はまだ襖が開けられている。 襖の外に居るシキの従者にも “最高か” にも “庭の世話か” にも十分聞こえている。
“最高か” と “庭の世話か” が互いに顔を見合わせる。 分かってはいたが、やはりリツソは却下だと。
リツソが部屋の中に入ると昌耶が障子を閉める。 “最高か” と “庭の世話か” の四人が今にも舌打ちをしそうな顔を見合わせた。
シキにとってはいい具合にマツリと紫揺を見ていられたのに、とんだ邪魔者が入ってきたという様子だ。
(あら、これもオジャマムシというのかしら?)
と、紫揺に教えてもらったお邪魔虫と言う言葉を頭に浮かべた。
「母上と勉学をしているのではないのか」
「母上が飽きられました」
それは澪引が飽きたのではなく、呆れたというのが正解だろう。 リツソは呆れられたのだろう。
いつもの紫揺ならリツソ君、お勉強してたんだ、などと言うだろうが、澪引から聞かされた話がある。
あまりリツソを煽(おだ)てたくはない。
リツソが紫揺を見た。 目が合った。
「シユラ、もう身体はいいのか?」
「うん、元気。 心配かけたね、ゴメンね」
「そんなことは無い。 シユラは我を助けようとして倒れたんだから」
歩み寄ってきたリツソが紫揺の片手を取る。
「礼を言い損ねていた。 シユラ、我の為にシユラの身体を意ともせず、我を呼び覚ましてくれた。 ありがとう」
リツソが取っていた紫揺の手に頬を寄せる。
さっきマツリがトウオウと言った。 あの時のトウオウとのことがフラッシュバックする。
トウオウが紫揺の左頬に右手を当てた。 そして紫揺の頬に唇を重ねた。
『合格だね』 頬から離した唇が耳元でささやいた。
残っていた片手を自分の頬に寄せる。
「・・・トウオウさん」 呟いていったのは、小さな小さな声だった。
だがマツリがピクリと眉を動かしたのをシキは見逃さなかった。
目を細めたシキ。 “トウオウ” これはキーワードになるかもしれない。 マツリと紫揺に確かめる必要があるだろう。
「シユラ? どうかしたのか?」
どこかボォーッとしている紫揺にリツソが問う。
「あ、うううん。 そんなことないよ。 リツソ君が元気になってくれて嬉しい」
『そんなことない』 とはどういうことなのだ?
『我の為にシユラの身体を意ともせず』 リツソが言ったそこにかかっているのか、それともトウオウと言ったことにか。 リツソではなくマツリが思う。
そのマツリをシキが見ている。
「どう? もう何ともない?」
「ああ、我は勉学も出来るほどに回復した」
リツソの言うところの勉学である勉強が素晴らしく出来ていないことを紫揺は知っている。
「そうなんだ。 じゃ、もっと励まなくちゃね」
「あ・・・えっと。 その、休憩だ。 母上もお疲れになったようなのでな。 で? シユラはどんな遊びをしておったのだ?」
「遊んでないよ。 お話をしてたの、大切なお話」
再々聞く “遊び” と言う言葉に、マツリがゲンナリとした表情を見せる。 もうこの場を辞そうと思った時、とんでもないことをリツソが言った。
「我が地下の者に攫われた話か?」
「リツソ!」
思わずマツリが言ったが同時に紫揺がマツリを見た。
「どういうこと? リツソ君の話しと情報屋さんの話は違うって言ってたわよね」
マツリが口を歪めながら返答する。
「ああ、違う。 地下ということが同じなだけだ」
「じゃ、どうして今リツソ君を諫(いさ)めたの?」
「お前が地下という言葉でリツソの事と情報屋を結びつけないためだ」
(へぇー、お前ねぇ)
完全にマツリが焦っているのが分かる。 マツリから目を離すとリツソに向き合った。 リツソは未だに紫揺の手を取っている。 紫揺がその手をそっと外す。
「ね、リツソ君。 リツソ君は地下の人に攫われたの?」
「紫! そのような話は必要ではない!」
紫揺を見て言ったかと思うと、次にリツソに向かって言う。
「リツソ! 姉上の房から出ろ!」
どうしてそういう話になるのか、紫揺とリツソがマツリに白眼視を送る。
「どうして兄上にそのようなことを言われねばならないのですか」
リツソが言った後に紫揺が続く。
「リツソ君がシキ様のお部屋・・・お房から出るのなら私も出る。 リツソ君と話をする」
己のことを想って言ってくれたと、リツソが紫揺に熱い眼差しを送る。
だが残念なことに紫揺はそういう意味で言ったのではない。
マツリが口元を大きく歪めた。 このとんでもない二人で勝手に話を進めてもらってはどこに行くか分からない。
「勝手にしろ」 と言い置くことしか出来ない。
このリツソの考えの無さ、その考えの無さに乗ってしまうであろう紫揺。 その紫揺は何をするか分からない。 見えないところで事が運ばれては困る。
それに・・・。 チクッとまた何かが刺していた。
ショウジの言葉が浮かぶ。 ショウジは気になる者がいると胸に何かが刺さったような思いをすると言っていた。
紫揺が先程小さな声でトウオウの名を呼んだ。 その時に刺さった痛みがあった。 そして今それを思い出した時にも。
(どういうことだ?)
マツリの瞳が微妙に動く。
それをじっと見ているシキ。
(マツリは今何を考えているのかしら・・・)
マツリから『勝手にしろ』 と言われた紫揺。 マツリをひと睨みしてからリツソに問う。
「リツソ君? 地下の人に攫われたの?」
「兄上からそう聞いた。 我は眠らされていて何も分からないけど」
後半のリツソの言いように紫揺が笑みを零す。 リツソには正直に居て欲しい。
「眠らされてたっていうのは・・・」
「薬が効きすぎたらしい。 それでシユラが助けてくれた」
攫われたというのは今回の話か。
「だよね。 眠らされていたんだから、リツソ君が知らなくても当たり前だよ」
リツソが紫揺を見て満面の笑みを零す。
「うん、知らないのは当然だ」
なぜに腰に手を当て胸を剃り返らせるのか。
「でもどうして眠らされたの?」
「眠り薬を飲まされたみたいだ」
うん、と頷きながら至極当然に返答をするが、紫揺が聞きたかったのはそういうことではない。 質問の方法を変えよう。
マツリが卓に肘を置きその手に額を置いた。 そしてついでに大きな溜息を吐く。
「じゃ、どうしてリツソ君が攫われたのかな?」
「え?」
紫揺に言われほんの数舜、考えたが分からない。 リツソがマツリを見るがマツリは目を合わせようともしない。
「兄上?」
リツソが言うが、けんもほろろにマツリが返す。
「リツソと紫の話しだろう」
そこにカッチーンときたのが紫揺だ。
「なにそれ? またリツソ君が攫われるかもしれないのに! それってなに?」
「紫には関係の無いことだ」
「それって、マツリの言う本領って話よね。 でもリツソ君のことは違うわ。 またリツソ君が攫われてあの時みたいになったらどうするの!?」
「今回のことで分かった。 万が一にもそのようなことがあれば本領の五色を呼ぶ」
紫揺とこの本領に向かって歩いていた時に紫揺の紫としての力の話を聞いた。 この本領にはそんな力を持つ者はいない。 だが言い切らなければ。
「あん? それってなに? 私は必要ないって言ってるの?」
「ここは本領だ。 お前は東の五色だ」
「お前って・・・」
そこで火がついたのだろうか、それともリツソを攫った者が許せなかったのか、本領のことだと言い切られたからなのか、今の段階でそれは誰にも分からない。
紫揺が一言文句を言うと続けて言った。
「リツソ君を攫った奴を打ちのめす!」
「は?」
マツリが間の抜けた声を出す。
「二度とリツソ君を攫わせない」
「お前―――」
何を言っている、そう言いたかったが言い終える前に紫揺に遮られた。
「私、北の領土の人に攫われた。 ・・・日本に居るとき。 訳も何も分からなかった。 気付いた時には着替えさせられていたし、知らない言葉を聞かされたし。 それがどんなに不安だったか。 マツリにはそれが分からないでしょう!」
己が見ていた北の領土のことだ。 紫揺が言うのは己の手落ちであるのは隠しようもない事実だ。 隠す気など無いが。
「北のことは我が悪かったと思っておる。 だがリツソのことは違う」
「チガウくない。 理由や環境や状態がどうあれ不安は同じ」
リツソは眠っていたのだ、不安など無かった。 だがこの先どうなるかは分からない。 と言っても紫揺の言葉に乗るのは賢明ではない。
「さっきも言った。 二度とリツソを攫わせないと」
「その保証がどこにあるの?」
「それを作っていくために、いま四方を固めている」
「その一つが情報屋さん?」
「・・・」
まさかこのタイミングで、俤のことが出るとは思っていなかった。
「詰まるんだ。 それ程に情報が必要なんだ」
「思い違いだ」
「へぇー、似たようなことを言ったよね」
マツリがなんのことかと眉根を寄せる
「覚えてないんだ。 初めて北で会った時のことを言ったら、気のせいだって、言ったよね?」
「・・・覚えておる」
その後にシキから聞いた話をした。 バツ悪そうにマツリが答え、そして続ける。
「あの時と今は違う」
「チガウくない。 今はリツソ君の命がかかってる。 リツソ君が地下の人に攫われたってことは、マツリ言ったよね、地下では命の保証なんてないって」
これ以上顔を歪めることが出来ない程にマツリが顔を歪めた。 この紫揺相手にあんな話をするのではなかったと。
だが後の祭りだ。
「リツソ君を危険な目に遭わせたくない。 その地下の人に直談判する。 それで駄目なら打ちのめす」
打ちのめすとはどうするのだ。 それに直談判とは・・・。 マツリが何度目かの息を吐いた。
「なにそれ?」
マツリが息を吐いたのが許せない。
「紫、お前は地下のことを何も分かっておらん。 それは当然だ。 お前が我から何を聞かされようとも地下の真実は分からないのだからな」
シキが眉をひそめる。
シキはもう、お役御免となったのだ。 本領のことはシキの考えることではない。 だがシキの知らないところでマツリ一人で手をこまねいているのかと思うと居ても立っても居られない。
「マツリ、どういうこと?」
思わぬ所から声が聞こえた。
「リツソが攫われたと父上からは聞いたわ。 でもわたくしが聞いたのはその後の事。 リツソは地下の者に攫われたの?」
どうしてここでシキの参戦が入る。 マツリがとことん嫌な顔を見せる。
「姉上は義兄上の事だけをお考え下さい」
「言いたいことは分かるわ。 わたくしはもうお役御免になったのですから。 ですがマツリ一人が何もかも背負っているのを見ていられるほど無責任ではないわ」
「姉上・・・」
下を向いて大きく息を吐くと続けて言う。
「我一人では御座いません。 父上と剛度・・・見張番の長が手を貸してくれています。 これは急に何かを動かせることでは御座いません。 いえ、急に動かすと後に難事が出来てしまいます。 ですから」
そこまで言うとシキを見ていた目を紫揺にかえた。
「我が明日出るのは陽が落ちてからだ。 言ってみれば、その前に紫を送って行くことは出来る。 だがそうしないのは今進めていることがあるからだ。 明日出て、そこで確認を行ってからでないと我は安易に各領土に飛ぶことが出来ん。 そこは分かってくれ。 今までやって来たことを潰したくはない。 そして紫はリツソのことが気になるのであるならば、潰すようなことをするのではない。 よいな」
今まで特に何をやってきたのではない。 地下の様子は見ていたし、リツソがいつかは狙われるということも考えてはいた。 だが己から何も働きかけてはいなかった。
リツソが攫われてから拍車がかかっただけだ。 それもまだ俤からの情報だけであるが。 だがこう言ってしまう方が説得力があるだろう。
プクッと頬を膨らませた紫揺だったが、マツリの言っていることは尤もかもしれない。
「分かった・・・」
「シユラは我のことをそんなに考えてくれておるのか?」
紫揺がリツソの頭を撫でてやる。
「カルネラちゃんは?」
「我が勉学を始めて退屈になったのだろう。 窓から出て行ったきりだ。 どこかの木にでも登っているのだろう」
そのカルネラを捕まえてマツリが訊いたのだ。
「カルネラにも勉学を聞かせよ。 いつも同じ時に居ないでどうする」
だからあの程度で止まってしまうのだ。
「うん、探してきてもらえる? 私もカルネラちゃんに会いたいから」
あら、とシキが目を丸くする。 紫揺がマツリの言うことに賛同したのが珍しい。 それとも単にカルネラに会いたいだけなのだろうか。
『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第20回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。
『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ
辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~ 第30回
最後まで黙って聞いているつもりであったがこれでは埒があかないだろうし、こうして二人の喧嘩が始まるのだろうと分かった。 それにマツリの様子も十分に見ることが出来た。
「姉上! 父上からある程度聞かれておられるのでしょう!」
珍しくマツリがシキに対して声を荒げたが、シキは余裕で微笑んでいる。
「ええ、でも紫は引かないわよ。 マツリもそれは分かっているでしょう? 少なくとも事情を話せばどう?」
シキの落ち着いた口調に少しは冷静さを取り戻したマツリ。 先ほどの荒声にしまったと思ってももう遅い。 「申し訳ありません」 とシキに一言いって続ける。
「それは本領の中の事です」
「だから、そう言って終わろうとするから、紫がああ言っているのでしょう? 紫が本気ということはマツリにも分かるでしょう」
ブスッとむくれたような顔を見せたマツリ。 仕方なく真っ直ぐに明後日を見ながら口を開く。
「カルネラに頼もうとしていたことはリツソとは関係はない。 それにまず、地下というのは・・・」
地下がならず者のたまり場だと聞かせた。 命の保証のない所だと。 そんな所であるのだから女が一人で入ることなど出来ないと。 そしてカルネラには地下に居る情報屋から話を聞いてきて貰いたかっただけだと告げた。
「今までは誰がその情報屋さんから話を聞いてたの? それが、その情報屋さんが俤(おもかげ)って人?」
俤の名前まで聞かれてしまっていたのか。 あの時、あまりのカルネラの覚えの悪さに、つい周りが見えなくなってしまっていた。 己の間抜けさに溜息が出る。
「俺が訊きに行っていた。 いいか、俤の名は二度と出すな」
紫揺の眉が上がった。 ここは触れてはいけないところだったのだろうか。
「じゃ、どうして今回はマツリが行かないの?」
マツリが大きなため息をついた。 ここでリツソが関係してくるからだ。
「リツソが具合を戻してそんなに日が経っていない。 そんな時に地下をウロウロしていては地下の者がどう考えるか分からない」
「ふーん、そうなんだ。 ・・・さっきも聞いたけど、その情報屋さんの情報は急いでいるのよね?」
「急いてはおらん」
「カルネラちゃんに頼むくらいなのに?」
俤から言い切れなかったという話が気になることも確かだが、あの時、俤からの情報は数があった。 それなのにまだ言い切れなかったことが一つ残っているということは、もしかしてその事に関する何かを突き止めようと無理をして動いているのではないだろうか。 城家主に捕まってはいないだろうかと案じてカルネラを走らせようとしていた。
「当分行けそうにないからだ。 これで全て話した。 紫は明日までこの宮で大人しくしておくよう」
「大人しくって・・・塔弥さんみたいなことを言う」
東の領土のお付きの中で時折、紫揺に意見をする者がいる。 それが塔弥だ。 塔弥以外は全員日本に居る時に紫揺のトンデモを目にしていたが、塔弥も紫揺のお付きとして東の領土で一緒に居るようになりそれを知った。
最初は他のお付きから紫揺に注意をしろ、とか、何事においてもお前が言え、という目を送られてきてしぶしぶ言っていたのだが、その内に言われずとも視線を送られずとも塔弥の判断で言うようになってきていた。
切っ掛けは紫揺が愛馬である “お転婆” に乗っている時、急に鞍の上に立ち上がったことだった。
紫揺曰く、遠くを見たかった、ということらしかったが、それからというもの、紫揺が何かをしようとしかけた時には、事前に大人しくなさって下さいませ、と言うようになったのである。
「トウヤ? ・・・北の五色のトウオウではないのか」
紫揺を見た。
「へ? どうしてここにトウオウさんが出てくるの?」
「・・・」
マツリの表情が動かない。
「塔弥というのは、東の領土で独唱に付いていた者ね」
さり気なくシキがマツリに説明する。 シキを見たマツリ。 トウヤという者が東の者の事かと分かった。
マツリは紫揺が本領に来るまでに東の領土で馬を走らせていたことを思い出した。 守られながら走っていたにも関わらず一人飛び出して走り出したことを。
トウヤというのが誰かは分からない。 あの中にいたのかも分からないが、いつもあのようなことをしているのだろう。 だから大人しくしろと言われるのだろう。
「大人しく出来ておらんのか」
視線を明後日に戻す。
「そんなことない。 塔弥さんが大袈裟なだけ」
これを東の領土で言っていれば、どこがだ! と、何処からか聞こえてくるだろう。
二人の会話が始まりシキがトウオウを思い出そうとした。 年に一度、祭の時にしか会わないし、そうそう話もしない。
北の領土の五色、白と赤の力を持つ、異(い)なる双眸を持つ者。 だが本来なら白の力だけでなければいけなかった者、だったかと思い出した。 そしてその容貌も。
(単なる聞き違いではないはず・・・)
今も真っ直ぐに前を見ているマツリを横目に見た時、襖の向こうがやけに騒がしくなった。
昌耶が眉を顰め、そっと襖を開けようと手を伸ばした時、外からバンと襖が開けられた。
「ひえ!」
思わず昌耶が声を上げて仰け反る。
シキもマツリも紫揺も襖の方を見た。
「やっぱり!」
襖の向こうに立っていたのはリツソであった。
「姉上、これはどういうことで御座いますかっ! 我に勉学をしろと言っておいて、紫揺と姉上と兄上で遊んでいるので御座いますかっ!」
“遊んでいる” その言葉に誰もが情けなくなる。 今はまだ襖が開けられている。 襖の外に居るシキの従者にも “最高か” にも “庭の世話か” にも十分聞こえている。
“最高か” と “庭の世話か” が互いに顔を見合わせる。 分かってはいたが、やはりリツソは却下だと。
リツソが部屋の中に入ると昌耶が障子を閉める。 “最高か” と “庭の世話か” の四人が今にも舌打ちをしそうな顔を見合わせた。
シキにとってはいい具合にマツリと紫揺を見ていられたのに、とんだ邪魔者が入ってきたという様子だ。
(あら、これもオジャマムシというのかしら?)
と、紫揺に教えてもらったお邪魔虫と言う言葉を頭に浮かべた。
「母上と勉学をしているのではないのか」
「母上が飽きられました」
それは澪引が飽きたのではなく、呆れたというのが正解だろう。 リツソは呆れられたのだろう。
いつもの紫揺ならリツソ君、お勉強してたんだ、などと言うだろうが、澪引から聞かされた話がある。
あまりリツソを煽(おだ)てたくはない。
リツソが紫揺を見た。 目が合った。
「シユラ、もう身体はいいのか?」
「うん、元気。 心配かけたね、ゴメンね」
「そんなことは無い。 シユラは我を助けようとして倒れたんだから」
歩み寄ってきたリツソが紫揺の片手を取る。
「礼を言い損ねていた。 シユラ、我の為にシユラの身体を意ともせず、我を呼び覚ましてくれた。 ありがとう」
リツソが取っていた紫揺の手に頬を寄せる。
さっきマツリがトウオウと言った。 あの時のトウオウとのことがフラッシュバックする。
トウオウが紫揺の左頬に右手を当てた。 そして紫揺の頬に唇を重ねた。
『合格だね』 頬から離した唇が耳元でささやいた。
残っていた片手を自分の頬に寄せる。
「・・・トウオウさん」 呟いていったのは、小さな小さな声だった。
だがマツリがピクリと眉を動かしたのをシキは見逃さなかった。
目を細めたシキ。 “トウオウ” これはキーワードになるかもしれない。 マツリと紫揺に確かめる必要があるだろう。
「シユラ? どうかしたのか?」
どこかボォーッとしている紫揺にリツソが問う。
「あ、うううん。 そんなことないよ。 リツソ君が元気になってくれて嬉しい」
『そんなことない』 とはどういうことなのだ?
『我の為にシユラの身体を意ともせず』 リツソが言ったそこにかかっているのか、それともトウオウと言ったことにか。 リツソではなくマツリが思う。
そのマツリをシキが見ている。
「どう? もう何ともない?」
「ああ、我は勉学も出来るほどに回復した」
リツソの言うところの勉学である勉強が素晴らしく出来ていないことを紫揺は知っている。
「そうなんだ。 じゃ、もっと励まなくちゃね」
「あ・・・えっと。 その、休憩だ。 母上もお疲れになったようなのでな。 で? シユラはどんな遊びをしておったのだ?」
「遊んでないよ。 お話をしてたの、大切なお話」
再々聞く “遊び” と言う言葉に、マツリがゲンナリとした表情を見せる。 もうこの場を辞そうと思った時、とんでもないことをリツソが言った。
「我が地下の者に攫われた話か?」
「リツソ!」
思わずマツリが言ったが同時に紫揺がマツリを見た。
「どういうこと? リツソ君の話しと情報屋さんの話は違うって言ってたわよね」
マツリが口を歪めながら返答する。
「ああ、違う。 地下ということが同じなだけだ」
「じゃ、どうして今リツソ君を諫(いさ)めたの?」
「お前が地下という言葉でリツソの事と情報屋を結びつけないためだ」
(へぇー、お前ねぇ)
完全にマツリが焦っているのが分かる。 マツリから目を離すとリツソに向き合った。 リツソは未だに紫揺の手を取っている。 紫揺がその手をそっと外す。
「ね、リツソ君。 リツソ君は地下の人に攫われたの?」
「紫! そのような話は必要ではない!」
紫揺を見て言ったかと思うと、次にリツソに向かって言う。
「リツソ! 姉上の房から出ろ!」
どうしてそういう話になるのか、紫揺とリツソがマツリに白眼視を送る。
「どうして兄上にそのようなことを言われねばならないのですか」
リツソが言った後に紫揺が続く。
「リツソ君がシキ様のお部屋・・・お房から出るのなら私も出る。 リツソ君と話をする」
己のことを想って言ってくれたと、リツソが紫揺に熱い眼差しを送る。
だが残念なことに紫揺はそういう意味で言ったのではない。
マツリが口元を大きく歪めた。 このとんでもない二人で勝手に話を進めてもらってはどこに行くか分からない。
「勝手にしろ」 と言い置くことしか出来ない。
このリツソの考えの無さ、その考えの無さに乗ってしまうであろう紫揺。 その紫揺は何をするか分からない。 見えないところで事が運ばれては困る。
それに・・・。 チクッとまた何かが刺していた。
ショウジの言葉が浮かぶ。 ショウジは気になる者がいると胸に何かが刺さったような思いをすると言っていた。
紫揺が先程小さな声でトウオウの名を呼んだ。 その時に刺さった痛みがあった。 そして今それを思い出した時にも。
(どういうことだ?)
マツリの瞳が微妙に動く。
それをじっと見ているシキ。
(マツリは今何を考えているのかしら・・・)
マツリから『勝手にしろ』 と言われた紫揺。 マツリをひと睨みしてからリツソに問う。
「リツソ君? 地下の人に攫われたの?」
「兄上からそう聞いた。 我は眠らされていて何も分からないけど」
後半のリツソの言いように紫揺が笑みを零す。 リツソには正直に居て欲しい。
「眠らされてたっていうのは・・・」
「薬が効きすぎたらしい。 それでシユラが助けてくれた」
攫われたというのは今回の話か。
「だよね。 眠らされていたんだから、リツソ君が知らなくても当たり前だよ」
リツソが紫揺を見て満面の笑みを零す。
「うん、知らないのは当然だ」
なぜに腰に手を当て胸を剃り返らせるのか。
「でもどうして眠らされたの?」
「眠り薬を飲まされたみたいだ」
うん、と頷きながら至極当然に返答をするが、紫揺が聞きたかったのはそういうことではない。 質問の方法を変えよう。
マツリが卓に肘を置きその手に額を置いた。 そしてついでに大きな溜息を吐く。
「じゃ、どうしてリツソ君が攫われたのかな?」
「え?」
紫揺に言われほんの数舜、考えたが分からない。 リツソがマツリを見るがマツリは目を合わせようともしない。
「兄上?」
リツソが言うが、けんもほろろにマツリが返す。
「リツソと紫の話しだろう」
そこにカッチーンときたのが紫揺だ。
「なにそれ? またリツソ君が攫われるかもしれないのに! それってなに?」
「紫には関係の無いことだ」
「それって、マツリの言う本領って話よね。 でもリツソ君のことは違うわ。 またリツソ君が攫われてあの時みたいになったらどうするの!?」
「今回のことで分かった。 万が一にもそのようなことがあれば本領の五色を呼ぶ」
紫揺とこの本領に向かって歩いていた時に紫揺の紫としての力の話を聞いた。 この本領にはそんな力を持つ者はいない。 だが言い切らなければ。
「あん? それってなに? 私は必要ないって言ってるの?」
「ここは本領だ。 お前は東の五色だ」
「お前って・・・」
そこで火がついたのだろうか、それともリツソを攫った者が許せなかったのか、本領のことだと言い切られたからなのか、今の段階でそれは誰にも分からない。
紫揺が一言文句を言うと続けて言った。
「リツソ君を攫った奴を打ちのめす!」
「は?」
マツリが間の抜けた声を出す。
「二度とリツソ君を攫わせない」
「お前―――」
何を言っている、そう言いたかったが言い終える前に紫揺に遮られた。
「私、北の領土の人に攫われた。 ・・・日本に居るとき。 訳も何も分からなかった。 気付いた時には着替えさせられていたし、知らない言葉を聞かされたし。 それがどんなに不安だったか。 マツリにはそれが分からないでしょう!」
己が見ていた北の領土のことだ。 紫揺が言うのは己の手落ちであるのは隠しようもない事実だ。 隠す気など無いが。
「北のことは我が悪かったと思っておる。 だがリツソのことは違う」
「チガウくない。 理由や環境や状態がどうあれ不安は同じ」
リツソは眠っていたのだ、不安など無かった。 だがこの先どうなるかは分からない。 と言っても紫揺の言葉に乗るのは賢明ではない。
「さっきも言った。 二度とリツソを攫わせないと」
「その保証がどこにあるの?」
「それを作っていくために、いま四方を固めている」
「その一つが情報屋さん?」
「・・・」
まさかこのタイミングで、俤のことが出るとは思っていなかった。
「詰まるんだ。 それ程に情報が必要なんだ」
「思い違いだ」
「へぇー、似たようなことを言ったよね」
マツリがなんのことかと眉根を寄せる
「覚えてないんだ。 初めて北で会った時のことを言ったら、気のせいだって、言ったよね?」
「・・・覚えておる」
その後にシキから聞いた話をした。 バツ悪そうにマツリが答え、そして続ける。
「あの時と今は違う」
「チガウくない。 今はリツソ君の命がかかってる。 リツソ君が地下の人に攫われたってことは、マツリ言ったよね、地下では命の保証なんてないって」
これ以上顔を歪めることが出来ない程にマツリが顔を歪めた。 この紫揺相手にあんな話をするのではなかったと。
だが後の祭りだ。
「リツソ君を危険な目に遭わせたくない。 その地下の人に直談判する。 それで駄目なら打ちのめす」
打ちのめすとはどうするのだ。 それに直談判とは・・・。 マツリが何度目かの息を吐いた。
「なにそれ?」
マツリが息を吐いたのが許せない。
「紫、お前は地下のことを何も分かっておらん。 それは当然だ。 お前が我から何を聞かされようとも地下の真実は分からないのだからな」
シキが眉をひそめる。
シキはもう、お役御免となったのだ。 本領のことはシキの考えることではない。 だがシキの知らないところでマツリ一人で手をこまねいているのかと思うと居ても立っても居られない。
「マツリ、どういうこと?」
思わぬ所から声が聞こえた。
「リツソが攫われたと父上からは聞いたわ。 でもわたくしが聞いたのはその後の事。 リツソは地下の者に攫われたの?」
どうしてここでシキの参戦が入る。 マツリがとことん嫌な顔を見せる。
「姉上は義兄上の事だけをお考え下さい」
「言いたいことは分かるわ。 わたくしはもうお役御免になったのですから。 ですがマツリ一人が何もかも背負っているのを見ていられるほど無責任ではないわ」
「姉上・・・」
下を向いて大きく息を吐くと続けて言う。
「我一人では御座いません。 父上と剛度・・・見張番の長が手を貸してくれています。 これは急に何かを動かせることでは御座いません。 いえ、急に動かすと後に難事が出来てしまいます。 ですから」
そこまで言うとシキを見ていた目を紫揺にかえた。
「我が明日出るのは陽が落ちてからだ。 言ってみれば、その前に紫を送って行くことは出来る。 だがそうしないのは今進めていることがあるからだ。 明日出て、そこで確認を行ってからでないと我は安易に各領土に飛ぶことが出来ん。 そこは分かってくれ。 今までやって来たことを潰したくはない。 そして紫はリツソのことが気になるのであるならば、潰すようなことをするのではない。 よいな」
今まで特に何をやってきたのではない。 地下の様子は見ていたし、リツソがいつかは狙われるということも考えてはいた。 だが己から何も働きかけてはいなかった。
リツソが攫われてから拍車がかかっただけだ。 それもまだ俤からの情報だけであるが。 だがこう言ってしまう方が説得力があるだろう。
プクッと頬を膨らませた紫揺だったが、マツリの言っていることは尤もかもしれない。
「分かった・・・」
「シユラは我のことをそんなに考えてくれておるのか?」
紫揺がリツソの頭を撫でてやる。
「カルネラちゃんは?」
「我が勉学を始めて退屈になったのだろう。 窓から出て行ったきりだ。 どこかの木にでも登っているのだろう」
そのカルネラを捕まえてマツリが訊いたのだ。
「カルネラにも勉学を聞かせよ。 いつも同じ時に居ないでどうする」
だからあの程度で止まってしまうのだ。
「うん、探してきてもらえる? 私もカルネラちゃんに会いたいから」
あら、とシキが目を丸くする。 紫揺がマツリの言うことに賛同したのが珍しい。 それとも単にカルネラに会いたいだけなのだろうか。