孤火の森 第71回
『孤火の森』 目次
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旅から戻って来て全く違っていたキリアスだったのに、カーシャンに対してだけは昔と変わらなかった。
少々口うるさいところはあったが、カーシャンに向けられる目は昔と同じだった。
「きみは人が好過ぎる。 まぁ、そうさせていたのは僕だけどね」
だがさせられていたとしても、潰そうとしている相手にあんなに優しい目を向けるなんて。
「ああ、それが・・・君か」
上げていた顔を下げ、数歩歩くとベッドに腰掛ける。
「でもね、わたしはきみを見ていると、あの時のことを思い出して嫌だったんだ」
キリアスが他州、他国へ行ってしまい数日が経った頃、イジメに遭うことになった。
理由は相手から告げられた。 州王女の相手をしているからと言って威張るのではないと。
今までは、若くして総兵隊長になったと有名な父を持つキリアスが横に居たから手を出さなかったが、そのキリアスが今は居なく、カーシャンの父親は単なる王の従者。 怖くもなければ何でもないと。
身体を蹴られ、背中に石を投げられた。
決して威張ってなどいなかったのに。 前を向いて歩いていただけだったのに。
それがしばらく続いた。
自分は今までキリアスに守られていたということだったのか。 それを痛感した。 そして学びを教わっていた師から聞かされた言葉。
『二歳年下のセイナカル様の方が覚えが良い』 『このままではセイナカル様に抜かれますよ、あなたは歳上なのですからもっと励みなさい』
自分でも感じていたことだった。 焦りはあった。 だから家に戻って復習を何度もしていた。 何度も暗記を繰り返していた。 だが・・・言われてしまった。 そして最後通告のように言われた。
『聞いた話では州王はセイナカル様のお相手には、総兵隊長のご子息を選ぼうとされていたとか。 州王はどこでどう間違われたのか。 州王の間違いではなかったと言うのなら、それを示しなさい』
キリアスの影はいつまで自分をいたぶるのか。
「それだけではないけどね」
一度視線を落とした瞳をゆっくりと上げていく。
「州王がどこでどう間違えた? ふざけたことを。 州王ではない、それはわたしの人生のことだ」
あの時父親が城にさえ連れていかなければ。
あの時セイナカルがカーシャンを認めさえしていなければ。
この二つの出来事が無ければ人生の間違いなど踏まなかった。
だから父親が前州王に使った蛇の入った瓶の蓋を開けた。 瓶は父親のベッドの下に隠されていた。 母親は別の部屋に寝室をとっていた。 だから父親以外の誰も被害をこうむることは無かった。
そしてセイナカル。 カーシャンを認めたにもかかわらず、実権を握ったままこちらに渡そうとしない。
「わたしは飾りの州王か!」
二十歳を越してから遅くまで城に居るようになった。 その時に色んな立場の人間を見た。 ほんの僅かのことで、叱責を受け暴力を振るわれる一兵卒。 理由もなく足蹴にされる一兵卒。
父親がセイナカルとの結婚に手を回していたことは知っていた。 喪が明け次第結婚をするようにとうるさく言ってきた。 うるさい、と言いたかった。 だがここまできて一兵卒では終わりたくないと思った。
もう今となっては何を吠えようとも何も変わらない。 この石で囲われた壁が自分の居場所になっただけ。 砂の城は波によって流された。
「王兵機関に出向いたそうだが?」
キリアスがカーシャンの元から戻って来た翌日の昼食後、セイナカルに呼ばれた。 バルコニーの側にジャジャムが立っているが、その横には椅子が置かれている。
セイナカルはいつものようにバルコニーに出ている。 その斜め後ろにキリアスが立っている。
「はい」
「何かほざいておったか」
「釈明も弁明もしないと」
「それはそうだろう」
ジャジャムが僅かに首を傾げた。 いつものセイナカルであれば返事などしないはず。 それともあんなことがあったと言っても長年一緒に居たのだ、州王のことが気になっているのだろうか。
「州王はもう居ない。 これからどうするつもりだ」
それは咎を受けた州王を元の地位に戻すことは無いということ。
「城からは下がるつもりでおります」
「そうか。 ・・・ジャジャムはどう思う」
ジャジャムの方を見た時、そのまま側仕えに目を移し「椅子を」と言い、顔を戻そうとした時、一陣の風が吹きセイナカルが垂らしていた前髪を上げた。
(え・・・)
左眼のこめかみから目尻、額にかけ絵筆で書いたようなしなった茨のような形をした痣のようなものが見えた。 だが単なる痣ではないような気がする。 単なる痣であればこんなに毒々しさを感じないはず。
ジャジャムも目にしたのだ、キリアスが見たということは分かっている。 だがキリアスは何もなかったような顔をしている。
「キリアスの機転を考えますに、城に残って頂いた方が宜しいかと。 オリシオンはこれからセイナカル様が州を動かされるのであれば、その補佐をと考えているようです」
「オリシオンも気の早いことだ」
まだセイナカルは州のことに手を付けていない。
おや? という顔をしたジャジャム。 セイナカルは今ジャジャムが言ったことを否定しなかった。 ということはセイナカルがそれを認めるということ。 それはオリシオンの考えだからなのか、それともセイナカル自身がキリアスを認めているのか、どちらなのだろうか。
そこにキリアスが座る椅子が持って来られた。
「ジャジャムが座らんとキリアスが座れん」
セイナカルに言われジャジャムが椅子に腰をかけたが、キリアスに座る様子が見られない。
「わらわの前だからといって気にすることは無い。 それとも命令をせんと座れんか?」
そこまで言われてしまっては座るしかない。 一礼し椅子に腰かける。 すると思いもしなかったことをセイナカルが言いだした。
「見識を深める旅に出ていた・・・。 その旅の話を聞かせてもらえるか?」
簡単に切り上げようと思い、話し出そうとしたキリアスだったが、それを悟ったのかセイナカルから「詳しく」と言われてしまい、結局、夕食前まで話をしていた。 それでも旅の一年分も話せていなかったが、セイナカルはじっとキリアスの話に耳を傾けていた。
セイナカルの部屋から出たキリアスが、ジャジャムの部屋で一緒に夕食をとっている。 ドアをノックされ「御一緒に食べませんか」と誘われたのだった。
「セイナカル様はいつもお一人でお食事を?」
「はい。 セイナカル様と席を同じくできるのは州王だけですので。 お寂しいでしょうがもう慣れていらっしゃいます」
「寂しさに慣れた、ということですか」
ジャジャムが眉を上げる。 今のジャジャムの話し方からすれば “一人に慣れた” と誰もが受け取るはず。 だが話したジャジャム自身 “寂しさに慣れた” という言葉を含ませて言っていた。
「オリシオンの話ですが受けてもらえませんか?」
今の事だけではない。 キリアスのことはあちらこちから耳にしていた。 信用に値する男だと、そこに心もあると。 そしてあのオリシオンがそう言うのだ、間違いはないはず。
「まだオリシオンから話を聞いたわけではありませんので、今ここでお返事は控えさせていただきます。 それに何よりセイナカル様のお考えが一番ですので」
ジャジャムがオリシオンの考えていることを言った時、セイナカルは特に何も言わなかった。
「セイナカル様はキリアスのことを良いように思っておいでですよ」
セイナカルはずっとオリシオンの話に耳を傾けていた。 そんなことは今まで誰に対しても無かったことである。
「そうでしょうか」と言ったキリアスが間を置いて続ける。
「つかぬことをお伺いしますが。 いえ、お答えになりにくいことでしたらお聞き流し下さい」
訊きにくいことである、少し間を空けて訊こうと思ったのだが、ジャジャムが先に口を開いた。
「セイナカル様の痣のことですか?」
「あ・・・はい」
「詳しいことは話せませんが、森の女王の呪です」
森の女王の呪? どうしてそんなものが。
「わたしが旅から戻って来て二年後くらいに森を制圧されたと聞きましたが、その時にでしょうか」
ジャジャムが横に首を振る。
「セイナカル様のご先祖に埋め込まれていたもの、と言えばいいのでしょうか。 決してセイナカル様ご自身が何も関係してはいないとは申せませんが、ご先祖からのものがセイナカル様の代で現れた、と言ったところでしょうか」
「いつ現れたのですか?」
「キリアスが戻って来てしばらく経ったときでしょうか」
「ではあの森の制圧はそれが原因で?」
ジャジャムが静かに頷く。
女王にあの呪を解かせようと思ってのことだったが、セイナカルが女王の元に行くと既に女王は亡くなっていた、とジャジャムが言う。
「兵によってですか?」
今度は首を横に振る。
森の制圧に入った時、森の女王は出産の最中だったようで、出産を終えた女王はすぐに森の状態を変える呪をかけたようだった。 きっとその無理がたたったのだろう、と言う。 そして少し前までその時生まれていただろう女王の御子を探していたが、とうとうセイナカルは諦めたとも言った。
「間接的ではありますが女王を手にかけたようなもの」
「そんなことが・・・」
「痣・・・だけならまだしも痛みを伴われるようで。 ああ、この話はこれまでで、暗い夕食になってしまいます」
ジャジャムの部屋から自分の部屋に戻ったキリアスがベッドの上に腰を下ろし、両手を組み合わせるとその拳で額を軽く叩きその拳に額を置いた。
ジャジャムから森の民のことを聞かされ、他州、他国へ出る一年前のことを思い出していた。 そのことがあったが為、自分の不知を思い知らされ見識を広めるための旅に出た。 だがこのことは誰にも言っていない。
それは十四歳の時だった。
『え・・・』
驚いた。 まさかこんな所に居るなんて。 だが相手が誰であろうと明らかに自分より年下。 まだ小さな身体をしている。 その小さな身体を丸め物陰に隠れ、もう一人がその姿を人目から隠し、何かを決めかねる目で辺りを見ている。
キリアスが辺りを見回す。 まだ誰も気付いていない。
体を丸めていた一人に自分の着ていた上着を頭からすっぽりとかけ『早くこちらへ』と言い手を引き小路に連れ入った。 キリアス自身も上着を脱いでいるところを、知人に見られたくない。 だが握ったその手に熱があるのに気づき、心配そうにもう一方の手を繋いでいたもう一人に声をかけた。 『もしかして熱が?』と訊くとこくりと頷いた。
このまま歩かせていて良いものではない。 すぐに負ぶり『ついて来て』と言い、家の納屋に連れ入った。 家には母も妹もいる。 自分の部屋に連れて行くことは出来なかった。
すぐに熱さましの薬草を煎じると納屋に戻ったのだが、そこで初めて見る光景を目にした。
藁の上に横たえた一人の横に、もう一人がしゃがみ込み後ろ姿を見せていたが、その後ろ姿の一人の前では白く光るものがあった。 それは美しい光だった。
ついて来ていたもう一人が、熱のある子に手をかざし、その掌から光っているのであったが、あくまでも後姿を見ていたキリアスがそこまで知ることは無かった。
暫くすると横たえていた一人が起き上がってきた。
『あ、まだ無理をしちゃ・・・』
だが熱のある火照った顔もなく、しっかりとした視線をキリアスに向けてきた。
『ありがとう、もう大丈夫です』
もう一人が振り返りキリアスを見る。
『助かりました。 あのままではどうにもならなくなっていて』
そう言った一人の髪の色が先程とは違っている。 そして瞳の色も。
『呪で髪と目の色を変えていたのですが、違う二つの呪をまだ同時に使うことが出来なくて。 いま呪で熱を冷ましましたからもう平気です』
あまりのことに『・・・そうなんだ』としか言えなかった。
そして念を押すように訊いた。 『森の民?』と。 すると二人が頷いた。
まさか森の民が礼を言うなどと思ってもいなかった。 いや、そんな風に教えられてはいなかった。
二人がすぐに辞そうとしたのをキリアスが止めた。
『すぐに動くとぶり返してしまうかもしれない。 こんなところで悪いがあと少し休んでいる方がいい』
そして二人分の茶を運んできた。 その時にどうして街に居たのかを聞いた。
『何かあれば訪ねてきてください』
別れ際、熱を出していたほうの一人が自分の名前と共にそう言ったのだった。
森の民は礼を礼で返す。 困ったことがあれば、できる限りのことで返すと話していた。 それが森の民の礼だと言って。
教えられたことを何の疑いも無く信じてしまう。 それがどれほど浅はかなことかと、その時に考えさせられた。 そして自分の不知を痛感させられたのだった。
ジャジャムには平気な顔を繕って話してはいたが、セイナカルが森を制圧したと耳にした時には驚いた。 どうしてそんなことをしたのか、事前に知っていれば無理をしてでも止めていたのに。 だがそれを聞いたのは州交から戻ってからだった。 もう時は遅かった。
先程のジャジャムの話から、その理由は分かった。 あの時にはどうしてそんなことをしたのかと思っていたが、ジャジャムはセイナカルが何も関係してはいないとは言わないと言っていた。 そこが隠したいところなのだろう。
制圧された森の民は全員殺したと、兵が笑いながら話していて森も死んだと言っていた。 すぐにでも様子を見に行きたかったが、当時カーシャンが離してくれなかった。
「そうだ・・・」
遅いとは分かっている、今さら行ってどうなるものではない。 だが今からでも行ってみていいのではないか。 兵たちは森が生き返ったと言っていた。 ということは、そこに森の民が居るということ。
森の民が居る森に入ると迷わされてしまうと聞いている。 そして実際に迷わされた兵たちも言っていた。 それは間違いないのだろう。
迷わされるかもしれない。 だが花を添えてもらおう。 あの二人のために。
「おや、お出かけですか?」
オリシオンとバッタリ会った。
「国兵機関に行かれるのでしたら、カーシャンには会えませんよ」
「え? どういうことでしょうか」
「セイナカル様とカーシャンの間柄が撤回となりました。 カーシャンはもう州王ではありませんので会うことは出来ません」
先刻はカーシャンが州王であるため優遇され面会が出来たが、州王でなくなっては優遇などされない。
もうそんな手続きをしたのか。
「セイナカル様におかれましては、一日伸ばされましたが」
「伸ばされた?」
「キリアスとカーシャンを一度は会わせてあげようとお考えでしたので」
セイナカルはそんなことを考えていたのか。
「御助言ありがとう御座います。 戻って来てから行こうと思っておりました」
「そうですか。 では」
互いに反対方向に歩いて行った。
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孤火の森(こびのもり) 第71回
旅から戻って来て全く違っていたキリアスだったのに、カーシャンに対してだけは昔と変わらなかった。
少々口うるさいところはあったが、カーシャンに向けられる目は昔と同じだった。
「きみは人が好過ぎる。 まぁ、そうさせていたのは僕だけどね」
だがさせられていたとしても、潰そうとしている相手にあんなに優しい目を向けるなんて。
「ああ、それが・・・君か」
上げていた顔を下げ、数歩歩くとベッドに腰掛ける。
「でもね、わたしはきみを見ていると、あの時のことを思い出して嫌だったんだ」
キリアスが他州、他国へ行ってしまい数日が経った頃、イジメに遭うことになった。
理由は相手から告げられた。 州王女の相手をしているからと言って威張るのではないと。
今までは、若くして総兵隊長になったと有名な父を持つキリアスが横に居たから手を出さなかったが、そのキリアスが今は居なく、カーシャンの父親は単なる王の従者。 怖くもなければ何でもないと。
身体を蹴られ、背中に石を投げられた。
決して威張ってなどいなかったのに。 前を向いて歩いていただけだったのに。
それがしばらく続いた。
自分は今までキリアスに守られていたということだったのか。 それを痛感した。 そして学びを教わっていた師から聞かされた言葉。
『二歳年下のセイナカル様の方が覚えが良い』 『このままではセイナカル様に抜かれますよ、あなたは歳上なのですからもっと励みなさい』
自分でも感じていたことだった。 焦りはあった。 だから家に戻って復習を何度もしていた。 何度も暗記を繰り返していた。 だが・・・言われてしまった。 そして最後通告のように言われた。
『聞いた話では州王はセイナカル様のお相手には、総兵隊長のご子息を選ぼうとされていたとか。 州王はどこでどう間違われたのか。 州王の間違いではなかったと言うのなら、それを示しなさい』
キリアスの影はいつまで自分をいたぶるのか。
「それだけではないけどね」
一度視線を落とした瞳をゆっくりと上げていく。
「州王がどこでどう間違えた? ふざけたことを。 州王ではない、それはわたしの人生のことだ」
あの時父親が城にさえ連れていかなければ。
あの時セイナカルがカーシャンを認めさえしていなければ。
この二つの出来事が無ければ人生の間違いなど踏まなかった。
だから父親が前州王に使った蛇の入った瓶の蓋を開けた。 瓶は父親のベッドの下に隠されていた。 母親は別の部屋に寝室をとっていた。 だから父親以外の誰も被害をこうむることは無かった。
そしてセイナカル。 カーシャンを認めたにもかかわらず、実権を握ったままこちらに渡そうとしない。
「わたしは飾りの州王か!」
二十歳を越してから遅くまで城に居るようになった。 その時に色んな立場の人間を見た。 ほんの僅かのことで、叱責を受け暴力を振るわれる一兵卒。 理由もなく足蹴にされる一兵卒。
父親がセイナカルとの結婚に手を回していたことは知っていた。 喪が明け次第結婚をするようにとうるさく言ってきた。 うるさい、と言いたかった。 だがここまできて一兵卒では終わりたくないと思った。
もう今となっては何を吠えようとも何も変わらない。 この石で囲われた壁が自分の居場所になっただけ。 砂の城は波によって流された。
「王兵機関に出向いたそうだが?」
キリアスがカーシャンの元から戻って来た翌日の昼食後、セイナカルに呼ばれた。 バルコニーの側にジャジャムが立っているが、その横には椅子が置かれている。
セイナカルはいつものようにバルコニーに出ている。 その斜め後ろにキリアスが立っている。
「はい」
「何かほざいておったか」
「釈明も弁明もしないと」
「それはそうだろう」
ジャジャムが僅かに首を傾げた。 いつものセイナカルであれば返事などしないはず。 それともあんなことがあったと言っても長年一緒に居たのだ、州王のことが気になっているのだろうか。
「州王はもう居ない。 これからどうするつもりだ」
それは咎を受けた州王を元の地位に戻すことは無いということ。
「城からは下がるつもりでおります」
「そうか。 ・・・ジャジャムはどう思う」
ジャジャムの方を見た時、そのまま側仕えに目を移し「椅子を」と言い、顔を戻そうとした時、一陣の風が吹きセイナカルが垂らしていた前髪を上げた。
(え・・・)
左眼のこめかみから目尻、額にかけ絵筆で書いたようなしなった茨のような形をした痣のようなものが見えた。 だが単なる痣ではないような気がする。 単なる痣であればこんなに毒々しさを感じないはず。
ジャジャムも目にしたのだ、キリアスが見たということは分かっている。 だがキリアスは何もなかったような顔をしている。
「キリアスの機転を考えますに、城に残って頂いた方が宜しいかと。 オリシオンはこれからセイナカル様が州を動かされるのであれば、その補佐をと考えているようです」
「オリシオンも気の早いことだ」
まだセイナカルは州のことに手を付けていない。
おや? という顔をしたジャジャム。 セイナカルは今ジャジャムが言ったことを否定しなかった。 ということはセイナカルがそれを認めるということ。 それはオリシオンの考えだからなのか、それともセイナカル自身がキリアスを認めているのか、どちらなのだろうか。
そこにキリアスが座る椅子が持って来られた。
「ジャジャムが座らんとキリアスが座れん」
セイナカルに言われジャジャムが椅子に腰をかけたが、キリアスに座る様子が見られない。
「わらわの前だからといって気にすることは無い。 それとも命令をせんと座れんか?」
そこまで言われてしまっては座るしかない。 一礼し椅子に腰かける。 すると思いもしなかったことをセイナカルが言いだした。
「見識を深める旅に出ていた・・・。 その旅の話を聞かせてもらえるか?」
簡単に切り上げようと思い、話し出そうとしたキリアスだったが、それを悟ったのかセイナカルから「詳しく」と言われてしまい、結局、夕食前まで話をしていた。 それでも旅の一年分も話せていなかったが、セイナカルはじっとキリアスの話に耳を傾けていた。
セイナカルの部屋から出たキリアスが、ジャジャムの部屋で一緒に夕食をとっている。 ドアをノックされ「御一緒に食べませんか」と誘われたのだった。
「セイナカル様はいつもお一人でお食事を?」
「はい。 セイナカル様と席を同じくできるのは州王だけですので。 お寂しいでしょうがもう慣れていらっしゃいます」
「寂しさに慣れた、ということですか」
ジャジャムが眉を上げる。 今のジャジャムの話し方からすれば “一人に慣れた” と誰もが受け取るはず。 だが話したジャジャム自身 “寂しさに慣れた” という言葉を含ませて言っていた。
「オリシオンの話ですが受けてもらえませんか?」
今の事だけではない。 キリアスのことはあちらこちから耳にしていた。 信用に値する男だと、そこに心もあると。 そしてあのオリシオンがそう言うのだ、間違いはないはず。
「まだオリシオンから話を聞いたわけではありませんので、今ここでお返事は控えさせていただきます。 それに何よりセイナカル様のお考えが一番ですので」
ジャジャムがオリシオンの考えていることを言った時、セイナカルは特に何も言わなかった。
「セイナカル様はキリアスのことを良いように思っておいでですよ」
セイナカルはずっとオリシオンの話に耳を傾けていた。 そんなことは今まで誰に対しても無かったことである。
「そうでしょうか」と言ったキリアスが間を置いて続ける。
「つかぬことをお伺いしますが。 いえ、お答えになりにくいことでしたらお聞き流し下さい」
訊きにくいことである、少し間を空けて訊こうと思ったのだが、ジャジャムが先に口を開いた。
「セイナカル様の痣のことですか?」
「あ・・・はい」
「詳しいことは話せませんが、森の女王の呪です」
森の女王の呪? どうしてそんなものが。
「わたしが旅から戻って来て二年後くらいに森を制圧されたと聞きましたが、その時にでしょうか」
ジャジャムが横に首を振る。
「セイナカル様のご先祖に埋め込まれていたもの、と言えばいいのでしょうか。 決してセイナカル様ご自身が何も関係してはいないとは申せませんが、ご先祖からのものがセイナカル様の代で現れた、と言ったところでしょうか」
「いつ現れたのですか?」
「キリアスが戻って来てしばらく経ったときでしょうか」
「ではあの森の制圧はそれが原因で?」
ジャジャムが静かに頷く。
女王にあの呪を解かせようと思ってのことだったが、セイナカルが女王の元に行くと既に女王は亡くなっていた、とジャジャムが言う。
「兵によってですか?」
今度は首を横に振る。
森の制圧に入った時、森の女王は出産の最中だったようで、出産を終えた女王はすぐに森の状態を変える呪をかけたようだった。 きっとその無理がたたったのだろう、と言う。 そして少し前までその時生まれていただろう女王の御子を探していたが、とうとうセイナカルは諦めたとも言った。
「間接的ではありますが女王を手にかけたようなもの」
「そんなことが・・・」
「痣・・・だけならまだしも痛みを伴われるようで。 ああ、この話はこれまでで、暗い夕食になってしまいます」
ジャジャムの部屋から自分の部屋に戻ったキリアスがベッドの上に腰を下ろし、両手を組み合わせるとその拳で額を軽く叩きその拳に額を置いた。
ジャジャムから森の民のことを聞かされ、他州、他国へ出る一年前のことを思い出していた。 そのことがあったが為、自分の不知を思い知らされ見識を広めるための旅に出た。 だがこのことは誰にも言っていない。
それは十四歳の時だった。
『え・・・』
驚いた。 まさかこんな所に居るなんて。 だが相手が誰であろうと明らかに自分より年下。 まだ小さな身体をしている。 その小さな身体を丸め物陰に隠れ、もう一人がその姿を人目から隠し、何かを決めかねる目で辺りを見ている。
キリアスが辺りを見回す。 まだ誰も気付いていない。
体を丸めていた一人に自分の着ていた上着を頭からすっぽりとかけ『早くこちらへ』と言い手を引き小路に連れ入った。 キリアス自身も上着を脱いでいるところを、知人に見られたくない。 だが握ったその手に熱があるのに気づき、心配そうにもう一方の手を繋いでいたもう一人に声をかけた。 『もしかして熱が?』と訊くとこくりと頷いた。
このまま歩かせていて良いものではない。 すぐに負ぶり『ついて来て』と言い、家の納屋に連れ入った。 家には母も妹もいる。 自分の部屋に連れて行くことは出来なかった。
すぐに熱さましの薬草を煎じると納屋に戻ったのだが、そこで初めて見る光景を目にした。
藁の上に横たえた一人の横に、もう一人がしゃがみ込み後ろ姿を見せていたが、その後ろ姿の一人の前では白く光るものがあった。 それは美しい光だった。
ついて来ていたもう一人が、熱のある子に手をかざし、その掌から光っているのであったが、あくまでも後姿を見ていたキリアスがそこまで知ることは無かった。
暫くすると横たえていた一人が起き上がってきた。
『あ、まだ無理をしちゃ・・・』
だが熱のある火照った顔もなく、しっかりとした視線をキリアスに向けてきた。
『ありがとう、もう大丈夫です』
もう一人が振り返りキリアスを見る。
『助かりました。 あのままではどうにもならなくなっていて』
そう言った一人の髪の色が先程とは違っている。 そして瞳の色も。
『呪で髪と目の色を変えていたのですが、違う二つの呪をまだ同時に使うことが出来なくて。 いま呪で熱を冷ましましたからもう平気です』
あまりのことに『・・・そうなんだ』としか言えなかった。
そして念を押すように訊いた。 『森の民?』と。 すると二人が頷いた。
まさか森の民が礼を言うなどと思ってもいなかった。 いや、そんな風に教えられてはいなかった。
二人がすぐに辞そうとしたのをキリアスが止めた。
『すぐに動くとぶり返してしまうかもしれない。 こんなところで悪いがあと少し休んでいる方がいい』
そして二人分の茶を運んできた。 その時にどうして街に居たのかを聞いた。
『何かあれば訪ねてきてください』
別れ際、熱を出していたほうの一人が自分の名前と共にそう言ったのだった。
森の民は礼を礼で返す。 困ったことがあれば、できる限りのことで返すと話していた。 それが森の民の礼だと言って。
教えられたことを何の疑いも無く信じてしまう。 それがどれほど浅はかなことかと、その時に考えさせられた。 そして自分の不知を痛感させられたのだった。
ジャジャムには平気な顔を繕って話してはいたが、セイナカルが森を制圧したと耳にした時には驚いた。 どうしてそんなことをしたのか、事前に知っていれば無理をしてでも止めていたのに。 だがそれを聞いたのは州交から戻ってからだった。 もう時は遅かった。
先程のジャジャムの話から、その理由は分かった。 あの時にはどうしてそんなことをしたのかと思っていたが、ジャジャムはセイナカルが何も関係してはいないとは言わないと言っていた。 そこが隠したいところなのだろう。
制圧された森の民は全員殺したと、兵が笑いながら話していて森も死んだと言っていた。 すぐにでも様子を見に行きたかったが、当時カーシャンが離してくれなかった。
「そうだ・・・」
遅いとは分かっている、今さら行ってどうなるものではない。 だが今からでも行ってみていいのではないか。 兵たちは森が生き返ったと言っていた。 ということは、そこに森の民が居るということ。
森の民が居る森に入ると迷わされてしまうと聞いている。 そして実際に迷わされた兵たちも言っていた。 それは間違いないのだろう。
迷わされるかもしれない。 だが花を添えてもらおう。 あの二人のために。
「おや、お出かけですか?」
オリシオンとバッタリ会った。
「国兵機関に行かれるのでしたら、カーシャンには会えませんよ」
「え? どういうことでしょうか」
「セイナカル様とカーシャンの間柄が撤回となりました。 カーシャンはもう州王ではありませんので会うことは出来ません」
先刻はカーシャンが州王であるため優遇され面会が出来たが、州王でなくなっては優遇などされない。
もうそんな手続きをしたのか。
「セイナカル様におかれましては、一日伸ばされましたが」
「伸ばされた?」
「キリアスとカーシャンを一度は会わせてあげようとお考えでしたので」
セイナカルはそんなことを考えていたのか。
「御助言ありがとう御座います。 戻って来てから行こうと思っておりました」
「そうですか。 では」
互いに反対方向に歩いて行った。