孤火の森 第48回
『孤火の森』 目次
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歯をむき出しにして威嚇する白玉が、人間に育てられていなかったのは一目瞭然だった。 きっと山中で親に捨てられたのだろう。 それを育てていたのが獣だったのだろう。
白玉は笙に見つかった時、咄嗟に胸に抱いていた仔犬を後ろに庇っていた。 それにあの時の白玉の唸り方からすると、白玉を育てていたのは野犬ではなかったかと思える。 だから白玉は人間の言葉を知らなかった。
きっと胸に抱いていたのは群れの中の仔犬、もしくは白玉を育てていた野犬の仔供だったのではなかろうか。
あの時迷った。 このまま白玉を連れ帰れば、白玉を失くした獣が悲しむかもしれない。 白玉は見た目に五つほどの身体の大きさだった。 たしかな年齢は分からなかったが、身体の大きさだけで判断するならば、生まれてすぐに捨てられていたのならば、五年間も獣は白玉を育てていたのだろうから。
それでも、白玉は人間。
一緒にいた清納が唸る白玉によちよちと歩み寄った時、白玉は清納には唸らなかった。 白玉に人の心があった証拠だと思った。
白玉はどこかから落ちたのだろう、足の骨を折っていたようだった。 簡単に動くことは出来まい。
従者がこちらに向かってきている。 笙に唸る白玉を枝葉で隠し、清納を抱き従者の元に戻ると、白玉と離された清納がぐずったのを良いことに、そのまま従者に清納を預けるとすぐに白玉の元に戻った。 獣の親が白玉に気付く前にと。
そして今日がある。
「では頼みましたよ」
「あいよ」
笙の肩がガクリと落ちた。
起こっている事態の様子が全く掴めないということから、その日の夜はじっとしていた宇部たちだったが、握り飯を食べ丸一日が経った頃、月明かりの下を動きだした時、衛兵がこちらに向かって歩いて来るのが宇部の目に入った。
「衛兵だ。 こちらに向かってきている」
「くそっ、ここにはずっと現れてなかったのに」
城の中のことはまだ何も分かっていない。 どちらに逃げていいのかも分からない状態である。
「どうする」
「宇部、周りの様子はどうだ」
「挟まれているようだ」
「え?」
「偶然なのかどうか。 こちらに気付いてはいないようだが、後方からも歩いて来ている」
「どうしてっ!」
「声を抑えろ、言っても仕方のないことだ」
そこに聞き覚えのない声が割って入って来た。
「こっちだ」
「え?」
「耳の良い奴、あとに続いて来い」
「誰だ」
「捕まりたくなければ後に続け」
草の擦れる音、踏みしだく音が全員の耳に聞こえる。
「この先は衛兵が居る。 これ程の音は聞かせられない。 耳の良い奴、あとに続け」
「どうする」
この作戦は宮都の者が握っている。 この大きな決定に長州藩である宇部が口を出せる話ではない。
衛兵が迫ってきている。 だがこちらにはまだ気付いていないようだ。 正体の分からない男のあとに続くも続かなくとも、ここを動かなければいずれ見つかってしまう。
「くっ・・・」
声をかけてきた男が敵なのか味方なのか分からない。 もし敵であるのならば、このまま誘導され簡単に牢に入れられるかもしれない。 それこそ屋根裏に居るネズミを簡単に捕らえるように。
だがもしここでついて行かなく、男に大声を出されればそれで終わりだ。 あちこちにいる衛兵が集まって来ることは明らか。 大声を出されなくとも自分達に逃げる道は分からない。
それならば、味方でなくとも敵でもないであろうことに賭けるのが無難なのかもしれない。 きっとこの男は握り飯を置いていった者の仲間か本人なのだろうから。
「宇部、先頭を切ってくれ」
男に続けということだ。
周南がガラリと戸を開けた。
隠れ場所を探していたが、とうとう見つからなかった。 仕方がなく宮都の者たちが万が一を考えての隠れ場所としているところにやって来たのだが、ここを兵に知られてしまうわけにはいかない。 宮都の者たちでさえ、ここを知られるわけにはいかないと出入りをしていないと聞いているのだから。
「誰も居ない、な」
かなりの広さがある。 完全な土間で所々に布が敷かれ、無造作に置かれた樽や机、ひっくり返ったままの椅子がある。
「そうでしょうね。 そんな風に言ってたんだから」
周南の後ろから姿を現した萩が中に入る。
「周南、そんなところに突っ立ってても見つかるだけよ。 入って」
「あ、うん」
戸を閉め中に入る。 窓は鎧戸が閉められている、外の明かりが何処からも入ってこない。
「ふうーん、隙間もないみたいね。 意外としっかりしてるんだ」
「外から見たらそんな風に見えなかったのにね。 萩、明かり点けて」
ガタンと音がしたと思ったら、どこからともなく声が聞こえた。
「周南と萩か」
「誰だ!」
「声が大きい。 いくら隙間がないって言っても近くを兵が通ればまる聞こえだ」
ボッと明かりが灯った。
「あ・・・六角おっちゃん」
宮都の者である。
手を伸ばして明かりの灯った角灯を出すと、横倒しになっていた樽からノソノソと六角が出て来る。
ガタンと音がしたのは樽の蓋を開けた音のようだった。
「なんで・・・」
「なんでここに居るのかって?」
樽から全身を出し軽く衣をはたくと角灯を手にする。 その顔がニヤリと笑う。
「ってことはなんにも知らずにここに来たってわけか。 長州藩も何人かいるぞ」
「え?」
「お前たちのお蔭で城から脱出できた奴らだよ」
「あ・・・」
六角が無造作に土間に敷かれていた布をめくると、ぱっと見ただけでは分からないが、地下に通じる階段の蓋が現れた。
「おれは見張だ。 ん? お前たちもしかして?」
「うん、隠れ家が兵に見つかってずっと逃げてた。 新しい場所も見つからなくて。 それでここに」
「あ、あの、ごめんなさい。 ここに来ることはいけないって分かってたんだけど」
「そうだな、それくらいのことでここに来られては困ったもんだが、ま、上手い具合に城から逃げてきた奴らが居るからな、会って来いよ」
近くにあった鍬(くわ)に似た形の物を手にすると、てこの原理で蓋を上げる。 人一人が入れる穴がぽっかりと現れ下に梯子が見える。
「長州藩の周南と萩だ」
六角が穴に首を突っ込み押し殺した声で告げると、下にも明かりが点いたようで穴から明かりが漏れて見える。
「周南、萩、か?」
その声は・・・。
「伊房兄?」
伊房の声は数えるほどしか聞いていない。 それでも忘れられない声。 周南が梯子を駆け下りた。
伊房が捕まったのは、周南が長州藩から出て来て間なしのことだった。 だがその僅かの間に伊房は周南を可愛がってくれていた。 ボォーッとしたところが殺された弟にそっくりだと言って。 そして伊房が捕まったのは周南が捕まりかけたのを逃がす為だった。
「伊房兄!」
周南が伊房にしがみ付き何度も名を呼びながら絶え間ない涙を流す。
「萩も入れ。 このままここを開けておくと周南の声が漏れる」
仕方がないと言った具合に笑みながら眉を上げ、萩も梯子を下りて行った。
東山の家に宮都の者数人が集まっている。
「それじゃあ、全員脱出できたというわけだな」
あちこちの隠れ家から戻って来た男たちが首肯する。
「だが未だに行方が分からないのが、長州藩の今津と藤生・・・か」
東山が苦い顔を作る。 行方が分からないのが長州藩の二名だからである。 それは長州藩との間に亀裂が生じるかもしれないことを示唆しているともとれる。
「全く行方が分からないのか?」
「今津がかなり動けなかったってことだから、移動範囲は知れてるとは思うんだけどな」
「ああ、こっちでも言ってた。 藤生が長州藩の責任を感じたんだろうって、他の者を巻き込まないために二人だけで逃げるって言ったんだろうなって」
「それを言ったのは誰だ?」
下手にそんなことを宮都の者が言ってしまっていては、そしてそれを長州藩の者が聞いてしまえば、話が悪い方向にしか転ばないかもしれない。
「下松(くだまつ)」
「そう、か」
下松は捕らわれていた長州藩の人間。 長州藩の者が言っていたということは承諾しているようなものである。 亀裂の心配は薄いということになる。
だが宮都内の細かい地をよく知らない二人だけで行動させた宮都の責任がなくなったわけではない。 しかし見方を変えると藤生が今津だけについたということで、他の者を預かる宮都の人間の負担が増えたということにはなる。 お互い様というところだろうか。
「今、懸念は必要なことではないか」
「ん? なんだ?」
「ああ、いや、なんでもない。 誰か長州藩の者に藤生と今津が行きそうなところに心当たりがあるって言ってなかったか?」
「こっちでは言ってなかったな」
一人が言うと全員が同じように言う。
「多分、隠れ家も移動してるから分からないだろうしな」
隠れ家は見つからないために、点々と移動することは藤生達も知っている。
宮都の人間たちはそれぞれに生まれ育った家というものがあり、またそこに住んでいる。 今もこうして集まっているのは、人目に昔なじみの友達どうしで昼間っから遊んでいるという態をとっている。
だが長州藩から出てきた者たちには、この宮都に生まれ育った家はない。 点々とする隠れ家しかない。 そして怪しまれることを危惧し、人目に昔なじみの顔を持っていない長州藩の者たちが宮都の者たちの家に来ることは無い。
それに周南たちが訪れた隠れ家は今回、脱走した者たちを匿うのに宮都の者たちが用意した場所である。 既に捕まっていた今津はもちろんのこと、宮都の者でない藤生が知るところではなかった。 周南が知っていたのはたまたまであった。
「探すしかないか・・・。 で? 伏見は? 城の中に入り込む予定だった方は?」
「無事に残っているはずだって」
「ああ、こっちでも言ってた。 城で別れてからは会ってないが、捕まった様子はなかったってな」
そこで東山を除く全員が目を合わせる。
「そっちでも聞いたか?」
「あの話だよな?」
「ああ」
「こっちも聞いた」
聞いた、聞いたと互いに頷き合うが、東山には何のことだかさっぱりわからない。
「なんの話だよ」
「それが、不思議なことがあったらしい」
耳目の良い藤生を先頭に牢屋の場所を探していた時、そこから話が始まった。
まるで天から降ってきたような声がしたという。
「こちら、って」
「天から・・・こちらって声が?」
頷くと話を続ける。
木の枝が揺れ、ザザ、ザザと大きな葉擦れの音がした。 その音が移動しているのが分かる。
どうしたものかと藤生が尋ねかけた時、続いて声が聞こえたというが、藤生以外は葉擦れの音にかき消されたようで聞こえなかったということだった。
「仲間はこちら、ってな」
「仲間は?」
藤生がそれを告げると、まとめ役になっていた勧修寺(かんしゅうじ)が即断を下したという。
「あまりに広すぎるし衛兵もいる、全く中の様子が分からない状態だったらしいから、一か八かで賭けたみたいだ」
「え? 疑いもなくついて行ったってことか?」
「疑いはあっただろうけど、まぁ、ついて行ったってことだ」
「無茶苦茶だな」
「それだけどうにもならなかったんだろう」
そしてついて行くと、何故か衛兵に見つかることなく牢屋についたという。 だがその時にはそこが牢屋だとは分かっていなかった。 ただ、入口の前に兵が座り込んで眠りこけていた。 そして天から鍵が降ってきたと言う。
「はぁ?」
「だろ?」
「だろって、そんなことあるはずが―――!」
「無いって言えるか? みんなが言ってんのによ」
「かぁー、どういうこったよ!」
東山の声が大きかったのだろう、二階の部屋で尚且つ窓を閉めていたというのに、外まで声が漏れたようである。
「こらー、ガシ! ええ歳ぶっこいて、なに大声出してんねやー」
近所の梅宮おばちゃんである。 早く嫁をもらえとうるさいおばちゃんである。
ガラガラといわせて窓を開ける。
「おばちゃん、ええ歳は要らんー」
「ええ歳やろ! 昼間からええ歳のもんが揃うて仕事してへんのやないでぇー、そんなんやから全員嫁さんが来んのや。 そこにホリとフルも居るやろ」
名指しされた堀池と古川が、ポリポリと頭を掻きながら窓から顔を出す。
しっかりと東山の家に入っていたのを見られていたようだ。 まぁ、こんなだから長州藩には来させないでいるのだが。
「梅ちゃん、絶対に他にも居るで。 どうせ、タニかイマあたりやろ。 他にも居るかもしれん」
加勢が現れた。 これも口の達者な近所のおばちゃんである。
名指しされたこちらの二人、谷川と今道もガックリと肩を落とす。 かなり用心して入ってきたというのに。
用心して見つからず入ってきても、見通されているということである。
おばちゃん二人の声を聞いて、道では他の近所のおばちゃんたちが笑っている。
「今日はみんな仕事が休みやから久しぶりに会うてるだけや。 若い男の話に水ささんといて」
「へぇー、若い男の話って、誰ぞ嫁さん貰うんか?」
「さぁー、どうやろな。 ほなな」
「こら楽しみやでぇー」 「いやぁ、それやったら誰やろか」 「見栄張ってるだけやて」 「せやせや、おらんおらん」 「昔からあのゴンタクレらは一塊でおるだけやて」
好き勝手なことを窓の下で言ってくれている。
「どんだけヒマやねん・・・」
思わず全員からため息が出た。
「で? それで抜けてこられたって?」
先程の勢いはなくなっている。 卓に前のめりになっていた姿勢が、窓の下の壁に背を預け肩をガックリと落としている態勢となっている。
「いや、それだけじゃ衛兵に見つからない戻り道が分からない」
「じゃ、どうやって?」
「牢に来た時みたいにずっと誘導があったらしい」
「葉擦れの音ってことか?」
「それだけじゃなく、コンコンと物を叩いたりってのもあったらしい。 それで地下道に誘導されてそこから抜け出られたってことだ」
「城に・・・地下道があるってことか。 そこから城に入ることが出来るって―――」
「いや、正確には地下道だと思うということだ。 入り口では確かに地下に潜ったようだったらしいが、気付いた時には外だったらしい。 だからいつ出口から出たのか分からない。 出口があったのかも何も分からない状態だったって」
「どのあたりに出たって?」
「完全に山の中」
「山? 山の中?」
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孤火の森(こびのもり) 第48回
歯をむき出しにして威嚇する白玉が、人間に育てられていなかったのは一目瞭然だった。 きっと山中で親に捨てられたのだろう。 それを育てていたのが獣だったのだろう。
白玉は笙に見つかった時、咄嗟に胸に抱いていた仔犬を後ろに庇っていた。 それにあの時の白玉の唸り方からすると、白玉を育てていたのは野犬ではなかったかと思える。 だから白玉は人間の言葉を知らなかった。
きっと胸に抱いていたのは群れの中の仔犬、もしくは白玉を育てていた野犬の仔供だったのではなかろうか。
あの時迷った。 このまま白玉を連れ帰れば、白玉を失くした獣が悲しむかもしれない。 白玉は見た目に五つほどの身体の大きさだった。 たしかな年齢は分からなかったが、身体の大きさだけで判断するならば、生まれてすぐに捨てられていたのならば、五年間も獣は白玉を育てていたのだろうから。
それでも、白玉は人間。
一緒にいた清納が唸る白玉によちよちと歩み寄った時、白玉は清納には唸らなかった。 白玉に人の心があった証拠だと思った。
白玉はどこかから落ちたのだろう、足の骨を折っていたようだった。 簡単に動くことは出来まい。
従者がこちらに向かってきている。 笙に唸る白玉を枝葉で隠し、清納を抱き従者の元に戻ると、白玉と離された清納がぐずったのを良いことに、そのまま従者に清納を預けるとすぐに白玉の元に戻った。 獣の親が白玉に気付く前にと。
そして今日がある。
「では頼みましたよ」
「あいよ」
笙の肩がガクリと落ちた。
起こっている事態の様子が全く掴めないということから、その日の夜はじっとしていた宇部たちだったが、握り飯を食べ丸一日が経った頃、月明かりの下を動きだした時、衛兵がこちらに向かって歩いて来るのが宇部の目に入った。
「衛兵だ。 こちらに向かってきている」
「くそっ、ここにはずっと現れてなかったのに」
城の中のことはまだ何も分かっていない。 どちらに逃げていいのかも分からない状態である。
「どうする」
「宇部、周りの様子はどうだ」
「挟まれているようだ」
「え?」
「偶然なのかどうか。 こちらに気付いてはいないようだが、後方からも歩いて来ている」
「どうしてっ!」
「声を抑えろ、言っても仕方のないことだ」
そこに聞き覚えのない声が割って入って来た。
「こっちだ」
「え?」
「耳の良い奴、あとに続いて来い」
「誰だ」
「捕まりたくなければ後に続け」
草の擦れる音、踏みしだく音が全員の耳に聞こえる。
「この先は衛兵が居る。 これ程の音は聞かせられない。 耳の良い奴、あとに続け」
「どうする」
この作戦は宮都の者が握っている。 この大きな決定に長州藩である宇部が口を出せる話ではない。
衛兵が迫ってきている。 だがこちらにはまだ気付いていないようだ。 正体の分からない男のあとに続くも続かなくとも、ここを動かなければいずれ見つかってしまう。
「くっ・・・」
声をかけてきた男が敵なのか味方なのか分からない。 もし敵であるのならば、このまま誘導され簡単に牢に入れられるかもしれない。 それこそ屋根裏に居るネズミを簡単に捕らえるように。
だがもしここでついて行かなく、男に大声を出されればそれで終わりだ。 あちこちにいる衛兵が集まって来ることは明らか。 大声を出されなくとも自分達に逃げる道は分からない。
それならば、味方でなくとも敵でもないであろうことに賭けるのが無難なのかもしれない。 きっとこの男は握り飯を置いていった者の仲間か本人なのだろうから。
「宇部、先頭を切ってくれ」
男に続けということだ。
周南がガラリと戸を開けた。
隠れ場所を探していたが、とうとう見つからなかった。 仕方がなく宮都の者たちが万が一を考えての隠れ場所としているところにやって来たのだが、ここを兵に知られてしまうわけにはいかない。 宮都の者たちでさえ、ここを知られるわけにはいかないと出入りをしていないと聞いているのだから。
「誰も居ない、な」
かなりの広さがある。 完全な土間で所々に布が敷かれ、無造作に置かれた樽や机、ひっくり返ったままの椅子がある。
「そうでしょうね。 そんな風に言ってたんだから」
周南の後ろから姿を現した萩が中に入る。
「周南、そんなところに突っ立ってても見つかるだけよ。 入って」
「あ、うん」
戸を閉め中に入る。 窓は鎧戸が閉められている、外の明かりが何処からも入ってこない。
「ふうーん、隙間もないみたいね。 意外としっかりしてるんだ」
「外から見たらそんな風に見えなかったのにね。 萩、明かり点けて」
ガタンと音がしたと思ったら、どこからともなく声が聞こえた。
「周南と萩か」
「誰だ!」
「声が大きい。 いくら隙間がないって言っても近くを兵が通ればまる聞こえだ」
ボッと明かりが灯った。
「あ・・・六角おっちゃん」
宮都の者である。
手を伸ばして明かりの灯った角灯を出すと、横倒しになっていた樽からノソノソと六角が出て来る。
ガタンと音がしたのは樽の蓋を開けた音のようだった。
「なんで・・・」
「なんでここに居るのかって?」
樽から全身を出し軽く衣をはたくと角灯を手にする。 その顔がニヤリと笑う。
「ってことはなんにも知らずにここに来たってわけか。 長州藩も何人かいるぞ」
「え?」
「お前たちのお蔭で城から脱出できた奴らだよ」
「あ・・・」
六角が無造作に土間に敷かれていた布をめくると、ぱっと見ただけでは分からないが、地下に通じる階段の蓋が現れた。
「おれは見張だ。 ん? お前たちもしかして?」
「うん、隠れ家が兵に見つかってずっと逃げてた。 新しい場所も見つからなくて。 それでここに」
「あ、あの、ごめんなさい。 ここに来ることはいけないって分かってたんだけど」
「そうだな、それくらいのことでここに来られては困ったもんだが、ま、上手い具合に城から逃げてきた奴らが居るからな、会って来いよ」
近くにあった鍬(くわ)に似た形の物を手にすると、てこの原理で蓋を上げる。 人一人が入れる穴がぽっかりと現れ下に梯子が見える。
「長州藩の周南と萩だ」
六角が穴に首を突っ込み押し殺した声で告げると、下にも明かりが点いたようで穴から明かりが漏れて見える。
「周南、萩、か?」
その声は・・・。
「伊房兄?」
伊房の声は数えるほどしか聞いていない。 それでも忘れられない声。 周南が梯子を駆け下りた。
伊房が捕まったのは、周南が長州藩から出て来て間なしのことだった。 だがその僅かの間に伊房は周南を可愛がってくれていた。 ボォーッとしたところが殺された弟にそっくりだと言って。 そして伊房が捕まったのは周南が捕まりかけたのを逃がす為だった。
「伊房兄!」
周南が伊房にしがみ付き何度も名を呼びながら絶え間ない涙を流す。
「萩も入れ。 このままここを開けておくと周南の声が漏れる」
仕方がないと言った具合に笑みながら眉を上げ、萩も梯子を下りて行った。
東山の家に宮都の者数人が集まっている。
「それじゃあ、全員脱出できたというわけだな」
あちこちの隠れ家から戻って来た男たちが首肯する。
「だが未だに行方が分からないのが、長州藩の今津と藤生・・・か」
東山が苦い顔を作る。 行方が分からないのが長州藩の二名だからである。 それは長州藩との間に亀裂が生じるかもしれないことを示唆しているともとれる。
「全く行方が分からないのか?」
「今津がかなり動けなかったってことだから、移動範囲は知れてるとは思うんだけどな」
「ああ、こっちでも言ってた。 藤生が長州藩の責任を感じたんだろうって、他の者を巻き込まないために二人だけで逃げるって言ったんだろうなって」
「それを言ったのは誰だ?」
下手にそんなことを宮都の者が言ってしまっていては、そしてそれを長州藩の者が聞いてしまえば、話が悪い方向にしか転ばないかもしれない。
「下松(くだまつ)」
「そう、か」
下松は捕らわれていた長州藩の人間。 長州藩の者が言っていたということは承諾しているようなものである。 亀裂の心配は薄いということになる。
だが宮都内の細かい地をよく知らない二人だけで行動させた宮都の責任がなくなったわけではない。 しかし見方を変えると藤生が今津だけについたということで、他の者を預かる宮都の人間の負担が増えたということにはなる。 お互い様というところだろうか。
「今、懸念は必要なことではないか」
「ん? なんだ?」
「ああ、いや、なんでもない。 誰か長州藩の者に藤生と今津が行きそうなところに心当たりがあるって言ってなかったか?」
「こっちでは言ってなかったな」
一人が言うと全員が同じように言う。
「多分、隠れ家も移動してるから分からないだろうしな」
隠れ家は見つからないために、点々と移動することは藤生達も知っている。
宮都の人間たちはそれぞれに生まれ育った家というものがあり、またそこに住んでいる。 今もこうして集まっているのは、人目に昔なじみの友達どうしで昼間っから遊んでいるという態をとっている。
だが長州藩から出てきた者たちには、この宮都に生まれ育った家はない。 点々とする隠れ家しかない。 そして怪しまれることを危惧し、人目に昔なじみの顔を持っていない長州藩の者たちが宮都の者たちの家に来ることは無い。
それに周南たちが訪れた隠れ家は今回、脱走した者たちを匿うのに宮都の者たちが用意した場所である。 既に捕まっていた今津はもちろんのこと、宮都の者でない藤生が知るところではなかった。 周南が知っていたのはたまたまであった。
「探すしかないか・・・。 で? 伏見は? 城の中に入り込む予定だった方は?」
「無事に残っているはずだって」
「ああ、こっちでも言ってた。 城で別れてからは会ってないが、捕まった様子はなかったってな」
そこで東山を除く全員が目を合わせる。
「そっちでも聞いたか?」
「あの話だよな?」
「ああ」
「こっちも聞いた」
聞いた、聞いたと互いに頷き合うが、東山には何のことだかさっぱりわからない。
「なんの話だよ」
「それが、不思議なことがあったらしい」
耳目の良い藤生を先頭に牢屋の場所を探していた時、そこから話が始まった。
まるで天から降ってきたような声がしたという。
「こちら、って」
「天から・・・こちらって声が?」
頷くと話を続ける。
木の枝が揺れ、ザザ、ザザと大きな葉擦れの音がした。 その音が移動しているのが分かる。
どうしたものかと藤生が尋ねかけた時、続いて声が聞こえたというが、藤生以外は葉擦れの音にかき消されたようで聞こえなかったということだった。
「仲間はこちら、ってな」
「仲間は?」
藤生がそれを告げると、まとめ役になっていた勧修寺(かんしゅうじ)が即断を下したという。
「あまりに広すぎるし衛兵もいる、全く中の様子が分からない状態だったらしいから、一か八かで賭けたみたいだ」
「え? 疑いもなくついて行ったってことか?」
「疑いはあっただろうけど、まぁ、ついて行ったってことだ」
「無茶苦茶だな」
「それだけどうにもならなかったんだろう」
そしてついて行くと、何故か衛兵に見つかることなく牢屋についたという。 だがその時にはそこが牢屋だとは分かっていなかった。 ただ、入口の前に兵が座り込んで眠りこけていた。 そして天から鍵が降ってきたと言う。
「はぁ?」
「だろ?」
「だろって、そんなことあるはずが―――!」
「無いって言えるか? みんなが言ってんのによ」
「かぁー、どういうこったよ!」
東山の声が大きかったのだろう、二階の部屋で尚且つ窓を閉めていたというのに、外まで声が漏れたようである。
「こらー、ガシ! ええ歳ぶっこいて、なに大声出してんねやー」
近所の梅宮おばちゃんである。 早く嫁をもらえとうるさいおばちゃんである。
ガラガラといわせて窓を開ける。
「おばちゃん、ええ歳は要らんー」
「ええ歳やろ! 昼間からええ歳のもんが揃うて仕事してへんのやないでぇー、そんなんやから全員嫁さんが来んのや。 そこにホリとフルも居るやろ」
名指しされた堀池と古川が、ポリポリと頭を掻きながら窓から顔を出す。
しっかりと東山の家に入っていたのを見られていたようだ。 まぁ、こんなだから長州藩には来させないでいるのだが。
「梅ちゃん、絶対に他にも居るで。 どうせ、タニかイマあたりやろ。 他にも居るかもしれん」
加勢が現れた。 これも口の達者な近所のおばちゃんである。
名指しされたこちらの二人、谷川と今道もガックリと肩を落とす。 かなり用心して入ってきたというのに。
用心して見つからず入ってきても、見通されているということである。
おばちゃん二人の声を聞いて、道では他の近所のおばちゃんたちが笑っている。
「今日はみんな仕事が休みやから久しぶりに会うてるだけや。 若い男の話に水ささんといて」
「へぇー、若い男の話って、誰ぞ嫁さん貰うんか?」
「さぁー、どうやろな。 ほなな」
「こら楽しみやでぇー」 「いやぁ、それやったら誰やろか」 「見栄張ってるだけやて」 「せやせや、おらんおらん」 「昔からあのゴンタクレらは一塊でおるだけやて」
好き勝手なことを窓の下で言ってくれている。
「どんだけヒマやねん・・・」
思わず全員からため息が出た。
「で? それで抜けてこられたって?」
先程の勢いはなくなっている。 卓に前のめりになっていた姿勢が、窓の下の壁に背を預け肩をガックリと落としている態勢となっている。
「いや、それだけじゃ衛兵に見つからない戻り道が分からない」
「じゃ、どうやって?」
「牢に来た時みたいにずっと誘導があったらしい」
「葉擦れの音ってことか?」
「それだけじゃなく、コンコンと物を叩いたりってのもあったらしい。 それで地下道に誘導されてそこから抜け出られたってことだ」
「城に・・・地下道があるってことか。 そこから城に入ることが出来るって―――」
「いや、正確には地下道だと思うということだ。 入り口では確かに地下に潜ったようだったらしいが、気付いた時には外だったらしい。 だからいつ出口から出たのか分からない。 出口があったのかも何も分からない状態だったって」
「どのあたりに出たって?」
「完全に山の中」
「山? 山の中?」