孤火の森 第78回
『孤火の森』 目次
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「切り替えると言えば」
キリアスは相手の立場になりすぎていた。 もっと頭を切り替えて考えなくては、まともに旅が出来なかっただろうに。 そう考えていた。 そしてキリアスはあの時に聞いた話とは全く違う別人のようだったと思っていたのだった。 聞いた話のあとにキリアスに何かがあったのか、それとも聞いた話が誇張されたものだったのかと考えていた。
「それとなく訊いてみるのもいいか」
聞いた話というのはキリアスの旅の途中での話であった。 間違いなくジャッカ州のキリアスと言っていたというし、父が総兵隊長で剣を鍛えられたとも言っていたと聞いた。 人違いではないはず。
キリアスからは総兵隊長の子息とは聞いていないが、夢見の呪でカーシャンがセイナカルにキリアスを紹介している時に総兵隊長の子息といっていた。
「だが・・・おかしい」
今になって気付いた。 あの時キリアスは『キリアスと申します。 お恥ずかしいことですが、わたしは父の様に剣は全く使えません』そう言っていた。
聞いた話ではかなりの剣の腕を持っているということだったのに。
サイネムがキリアスやカーシャンの言葉を聞いたのは、あくまでもセイナカルの夢の中でのこと。 夢の中で自分の都合よく話を作っている可能性が無きにしも非ずだが。
「一度会ってみるがいいか」
それとなく訊くのではなくはっきりと訊いてみよう。
キリアスがカーシャンの母親が住む家を訪ねていた。
「キリアス・・・大きくなって」
「御無沙汰をしておりました」
家の中に入れようとした母親の言葉を断りその場で話す。
母親も疲れているだろう、心労があるだろう。 身体の様子を労(いた)わるように訊くと、大丈夫と返ってきたがそれを真に受けることは出来ない。 何年も会わない間に痩せてきていたのかもしれないが、キリアスの知るカーシャンの母親はふっくらとしていた。 その身体がかなり痩せている。
母親が言うに、キリアスがカーシャンのところに足を運んでいたのは、内勤兵から聞いて知っているということであった。 その上でカーシャンが中も見ずキリアスが持ってきていたものを返していたとも聞いたということであった。
「ごめんなさいね」
「いいえ、そんなことはありません」
そして持っていた包みを差し出す。
「滋養のつくものです。 無理をなさらず身体を労わって下さい」
「あ・・・有り難う」
母親が下を向きながら包みを受け取る。 涙をこらえているだろう喉を閉める音が聞こえた。
その母親の背中をさすろうとした時に母親の声がした。
「どうして・・・どうしてあの子はあんなことを・・・」
キリアスが母親の背中をさすってやる。
「すみません。 一番近くに居ながらなにも気付けなくて」
キリアスのせいではないと、母親が何度も首を横に振っていた。
セイナカルの計らいだったのかどうかは分からないが、カーシャンが捕らわれたことは誰も知ってはいなかったようで、母親は誹謗中傷などを受けることなく安全に暮らしているようであった。
城に戻って来ると衛兵から客が来ていると聞かされた。
「客? わたしにですか?」
自分に客など来るはずはない。
「以前、一緒に門をくぐった背の高いローブを着たサイネムという御仁」
偶然にもあの時に居た衛兵だったのか。
キリアス自身もこれからを考え、一応衛兵にサイネムのことは言っておいてはいた。 「この御仁が来られれば通してください。 名はサイネムと仰います」と。 だが実際にサイネムが訪ねてくるとは思ってもいなかった。
「どちらに?」
「噴水の前で待っていると」
「有難う御座います」
すぐに走り出し噴水のある方まで行くと、間違いなくサイネムが噴水の淵に腰かけていた。
サイネムがキリアスに気付き腰を上げる。
「サイネム、何かありましたか?」
以前サイネムに頼まれたことが気になる。 呪を使うために頼みたいと言っていたが、それが失敗したのだろうか。 呪のことはよく分からないが単なる失敗ならまだしも、何かややこしいことになったのだろうか。
するとサイネムが微笑んで首を左右に振っている。
「訊きたいことがあるだけだ」
「そうですか」
どこかホッとしながら、長く待たせたでしょうか、などと言い二人でキリアスの部屋に足を向けた。
椅子に腰かけたサイネムの前にカップが置かれた。
「ニッポニャンという国を知っているか?」
「はい。 旅の最後に行きました」
「ではニッポニャンの国王を知っているか?」
「はい、ちょっとしたご縁がありまして城に一週間ほど泊めていただきました」
「笙という者も?」
「ええ、知っています。 それが何か?」
するとサイネムがキリアスと森であった日、ニッポニャンから戻って来た時だったと話し出した。
まさか森の民であるサイネムが、他国を訪れるなどと思いもしなかったキリアスが驚いた顔をしている。
「いかなる理由でニッポニャンに。 ああ、そんなことは聞かなくてもいいです。 少し驚いてしまいました」
頷いたサイネムがそのニッポニャンで千歳という者に会ったと言う。 そしてその千歳は笙と同じく宮都で暮らしているということらしく、たまたま郷里に戻って来た時にサイネムが居たということで、笙から聞いたという話をしたのだと言う。
たまたま郷里に戻って来たわけではないのは知っているが、いちいちそんなことの理由を言うのも面倒だと、たまたまということにした。
キリアスは黙って聞いている。
「かなりの剣の使い手だと聞いたが?」
そんなはずはない。 兵の前ではそこそこ打ち合ってはいたが、それでも最後にはやられたように見せていた。
「笙という者、見る目があるそうだ」
「そう、ですか」
あの笙に見られていたということか。 諦めたかのように昔の話だと言って話し出した。
幼少の頃から州兵の父親に鍛えられ剣を教わっていた。 だが兵になるつもりはなかったということがあり、人前では絶対に剣を振らなかった。 だが旅に出れば身の危険がある。 その為、旅の間はずっと帯刀し必要があれば剣を振るっていた、ということであった。
「どう扱われるかは分かりませんので、あくまでも切りはしませんでしたが」
「そういうことか。 州王はキリアスが剣を使えることを知らないのか?」
「ええ、言っていません」
セイナカルの夢にすべて納得がいく。
だがどうしてだろう、幼い頃から二人は一緒に居たと言っていた。 それなのにどうして隠す必要があったのだろうか。
「なぜ州王に言わなかった」
「カーシャンは争いごとが好きではありませんでしたから」
「州王に合わせたということか」
「合わせたというか、人の嫌がることを敢えて見せたり言ったりする必要はないでしょう」
千歳の話からするに、キリアスがそう考えるのは万人に対してであろう。 だから人のことを考えるということになるということ。 だが疑問を持っているのはそれではない。
千歳の話ではキリアスはニッポニャンの国王に進言したということだった。 何事もはっきりと言い、そして考える間というものを持たない話し方だったということであった。
サイネムと話している時のキリアスはいつも言い淀んでいた。 そして必要以上に相手の立場になり過ぎていた。 それはピアンサとのことだけだと考えると、生死を分かつことになったからということなのかもしれないが。
今も間を空けることなく言い淀む様子も見られなかった。 だがピアンサとのことだけではない。
「州王のことをどう思っている」
「どう、と言われましても。 今となっては幼い頃から一緒に居たとしか言えません」
「今となる前は」
「・・・分かりません。 ずっと仲良くやっていたと思っていました。 王女の遊び相手と選ばれ、わたしの誇りでした。 でも・・・カーシャンは今わたしを必要とはしていない。 何故だか分からない、わたしが何をしてしまったのか分からない」
ピアンサの他に州王のこととなると言い淀む。 女州王との間柄を撤回されたということだったが、たとえ幼い頃から一緒に居たといっても単に撤回されただけで、生死を分かつことになったピアンサと同じような反応になるというのは納得がいかない。
「アリシアに対して考えることと州王に対して考えることは同じか」
言っている意味が分からないといった顔をし、少しく顔を傾け視線をサイネムから外した。 そして三つほど数えてからサイネムに目を合わせてくる。
「質問の答えになっているかどうかは分かりませんが。 アリシアには謝罪、後悔、ただただそれだけです。 それだけと言ってもまだまだ足りません。 ・・・カーシャンに対しては・・・さっき言ったように幼い頃から仲良くしていた。 それだけしか言えませんが、以前セイナカル様の側付きに言われたことがあります。 わたしはカーシャンのことになると、目が曇り思考が鈍り判断力に欠けていると」
そういうことか。 理由は違うがアリシアと州王に対してだけ判断が鈍るということか。 それで言い淀んだりするということか。
「十分な答えだ」
だが今となってはもう一つ気になることがある。 キリアスは『セイナカル様のお役に立つことで、少しでも州王に代わり詫びられればとは思っていますが』そう言っていた。 言い淀むような話ではない。
あの時はピアンサへ詫びる心と、ピアンサを死に追いやった女州王に付くという板挟みになっているのだろうか、そう思っていたが、どうして州王のために我が身を捨てるようなことをしなくてはならない。
(なにかある)
「州王には会えないのだな? わたしは」
「サイネムだけではなく誰も会えません」
「そうか」
「カーシャンに何か用ですか? それでしたら手紙は受け付けてもらえます」
「いや、いい。 それより旅から帰ってきて州王にあった後、何か記憶に残るようなことはなかったか」
「記憶に・・・いや、どうでしょうか。 旅から帰ってきて一番に父に報告に上がり、そのあと州王になったと聞いたカーシャンにも挨拶に行って、そのまま城に居ることになりましたが特に何かということは」
「そのまま? 一度も家に戻らなかったのか?」
「ええ、挨拶に行ったその場でカーシャンの供となりましたので」
「母親には会わずにいたのか?」
「ええ、何度かカーシャンに言いかけたのですが、結局戻らずじまいでした」
「母親とは仲は良くなかったのか?」
「いいえ、母とも妹とも仲は良かったです。 もちろん父とも」
「仲のいい妹も居た。 それなのに会わずにいた?」
「今から思うと色々考えることもありますが、その時はすぐに諦めたというか・・・なんでしょうか」
「呪師に会ったことはあるか」
「いいえありません」
「そうか。 分かった」
少し考えた様子を見せたサイネムが口を開く。
「キリアスの中を見てもいいか」
「中? 中とはどういうことですか?」
「呪をかけられている可能性がある。 それを探る」
「わたしに呪が?」
「可能性だ。 どうだ、いいか」
呪などかけられた覚えなどない。 まず呪師とさえ対峙したことがない。 だがサイネムがどれほどの呪師かはある程度知っているつもりである。 あの幼かった時ですら信じられないことをしていたのだから。
「はい」
「こちらを向き、今から何も話さず目を瞑るよう」
サイネムが立ち上がりキリアスの横に立った。 キリアスが方向を変えると言われたように目を瞑る。
サイネムが指を組み合わせ、その形を変える。 呪の言葉はほんの小さな声で口の中で小さく唱える。 指の形が止まった。
(そこか)
身体の中に納まっている呪の場所はすぐに分かった。 そこを凝視する。
(何故だ?)
その呪は間違いなくかけられているというのに、何かに押されているようである。 だからサイネムがすぐに気づかなかったというところがあったのだろう。
サイネムからすれば簡単に解くことの出来る呪ではあるが、その呪が一体何を目的にしているのかを探らなければ簡単に解くことはしたくない。 言ってみればこの呪によって良いことをもたらしているかもしれない場合もあるからである。 だがその可能性は薄い。
キリアスは呪師に会ったことがないと言っていた。 良い呪ならば呪師と会った記憶を消すはずはない。
指を動かしどのような呪であるかを探る。
(そういうことか)
必要の無い呪であることが分かった。 すぐに呪を解く。
「目を開けていい」
キリアスがそっと目を開けるのを見てサイネムが呪の説明をする。
特定の誰かにある事柄において強く言えないように、そしてその誰かのことだけを思う、また反対にその誰かのことを深く考えることが出来ないような呪をかけられていた。
だがキリアスは強い意識を持っていた。 その意識が呪を抑えこもうとしていた。 だからその誰かにある事柄を言い淀みながらも言ったり、深く考えられなくされていた為、思考、判断力に欠けながらも、それなりのことを言ったりしていたはず、ということであった。
「呪は解いた。 そのようなものは必要ないだろう」
キリアスにはある事柄とは言ったが、その事柄が何かは分かっている。 だがそんな小さな説明は要らないだろう。
「あ・・・はい、有難う御座います。 ですがいつそんなものをかけられたのか」
「ああ、言い忘れていた。 呪師に会った日のことは忘れるようにされていた」
「え? 呪とは・・・そんなことも出来るのですか」
サイネムが横目でキリアスを見る。
「呪のことを何も知らないようだな。 旅の中で呪師のことを話すことも無かったのか?」
「ええ、まったく。 この国では呪師はそこそこいますが、他国では呪師などそうそういませんから。 それにこの国の呪師とて森の民ほどの力は持っていないでしょう」
「そうか。 それで? かけたのが呪師であっても誰が依頼したかは分かっているな」
先程サイネムは『思考、判断力に欠けながらもそれなりのことを言ったりしていた』と言っていた。 それはジャジャムに言われたことと同じである。
『キリアスはカーシャンのことになると、目が曇り思考が鈍り判断力に欠けてきますね』
ジャジャムはそう言っていた。
それに、と思い出したことがもう一つあった。 オリシオンが言っていたことである。 カーシャンがおかしな動きを見せていたから、キリアスを疑っていたと言っていた。
サイネムも分かっている。 この呪のせいでキリアスが言い淀んでいたのだと。 そして意識によって抑えていたと言っても、呪によって色んなことが積み重なり、州王に代わりセイナカルに詫びるという言葉が出てきたのだろう。
(これで一枚が剝がれたか)
板挟み状態の片方の一枚の板が外れたはず。
どこを見るでもなくキリアスの顔は上げられている。 それなりに整理をし考えているのだろう。
「呪は解いた、考えも変わってくることだろう。 これからどうするかだが、前にも言ったようにアリシアのことは考えなくていい」
残りの一枚はこうして声をかける他にはない。 言い終わると立ち上がり部屋を出て行った。
サイネムが部屋を出るのを椅子に座ったまま見送ると大きな息を吐く。
どうしてカーシャンはそんな呪をキリアスにかけたのか。 全く分からない。
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孤火の森(こびのもり) 第78回
「切り替えると言えば」
キリアスは相手の立場になりすぎていた。 もっと頭を切り替えて考えなくては、まともに旅が出来なかっただろうに。 そう考えていた。 そしてキリアスはあの時に聞いた話とは全く違う別人のようだったと思っていたのだった。 聞いた話のあとにキリアスに何かがあったのか、それとも聞いた話が誇張されたものだったのかと考えていた。
「それとなく訊いてみるのもいいか」
聞いた話というのはキリアスの旅の途中での話であった。 間違いなくジャッカ州のキリアスと言っていたというし、父が総兵隊長で剣を鍛えられたとも言っていたと聞いた。 人違いではないはず。
キリアスからは総兵隊長の子息とは聞いていないが、夢見の呪でカーシャンがセイナカルにキリアスを紹介している時に総兵隊長の子息といっていた。
「だが・・・おかしい」
今になって気付いた。 あの時キリアスは『キリアスと申します。 お恥ずかしいことですが、わたしは父の様に剣は全く使えません』そう言っていた。
聞いた話ではかなりの剣の腕を持っているということだったのに。
サイネムがキリアスやカーシャンの言葉を聞いたのは、あくまでもセイナカルの夢の中でのこと。 夢の中で自分の都合よく話を作っている可能性が無きにしも非ずだが。
「一度会ってみるがいいか」
それとなく訊くのではなくはっきりと訊いてみよう。
キリアスがカーシャンの母親が住む家を訪ねていた。
「キリアス・・・大きくなって」
「御無沙汰をしておりました」
家の中に入れようとした母親の言葉を断りその場で話す。
母親も疲れているだろう、心労があるだろう。 身体の様子を労(いた)わるように訊くと、大丈夫と返ってきたがそれを真に受けることは出来ない。 何年も会わない間に痩せてきていたのかもしれないが、キリアスの知るカーシャンの母親はふっくらとしていた。 その身体がかなり痩せている。
母親が言うに、キリアスがカーシャンのところに足を運んでいたのは、内勤兵から聞いて知っているということであった。 その上でカーシャンが中も見ずキリアスが持ってきていたものを返していたとも聞いたということであった。
「ごめんなさいね」
「いいえ、そんなことはありません」
そして持っていた包みを差し出す。
「滋養のつくものです。 無理をなさらず身体を労わって下さい」
「あ・・・有り難う」
母親が下を向きながら包みを受け取る。 涙をこらえているだろう喉を閉める音が聞こえた。
その母親の背中をさすろうとした時に母親の声がした。
「どうして・・・どうしてあの子はあんなことを・・・」
キリアスが母親の背中をさすってやる。
「すみません。 一番近くに居ながらなにも気付けなくて」
キリアスのせいではないと、母親が何度も首を横に振っていた。
セイナカルの計らいだったのかどうかは分からないが、カーシャンが捕らわれたことは誰も知ってはいなかったようで、母親は誹謗中傷などを受けることなく安全に暮らしているようであった。
城に戻って来ると衛兵から客が来ていると聞かされた。
「客? わたしにですか?」
自分に客など来るはずはない。
「以前、一緒に門をくぐった背の高いローブを着たサイネムという御仁」
偶然にもあの時に居た衛兵だったのか。
キリアス自身もこれからを考え、一応衛兵にサイネムのことは言っておいてはいた。 「この御仁が来られれば通してください。 名はサイネムと仰います」と。 だが実際にサイネムが訪ねてくるとは思ってもいなかった。
「どちらに?」
「噴水の前で待っていると」
「有難う御座います」
すぐに走り出し噴水のある方まで行くと、間違いなくサイネムが噴水の淵に腰かけていた。
サイネムがキリアスに気付き腰を上げる。
「サイネム、何かありましたか?」
以前サイネムに頼まれたことが気になる。 呪を使うために頼みたいと言っていたが、それが失敗したのだろうか。 呪のことはよく分からないが単なる失敗ならまだしも、何かややこしいことになったのだろうか。
するとサイネムが微笑んで首を左右に振っている。
「訊きたいことがあるだけだ」
「そうですか」
どこかホッとしながら、長く待たせたでしょうか、などと言い二人でキリアスの部屋に足を向けた。
椅子に腰かけたサイネムの前にカップが置かれた。
「ニッポニャンという国を知っているか?」
「はい。 旅の最後に行きました」
「ではニッポニャンの国王を知っているか?」
「はい、ちょっとしたご縁がありまして城に一週間ほど泊めていただきました」
「笙という者も?」
「ええ、知っています。 それが何か?」
するとサイネムがキリアスと森であった日、ニッポニャンから戻って来た時だったと話し出した。
まさか森の民であるサイネムが、他国を訪れるなどと思いもしなかったキリアスが驚いた顔をしている。
「いかなる理由でニッポニャンに。 ああ、そんなことは聞かなくてもいいです。 少し驚いてしまいました」
頷いたサイネムがそのニッポニャンで千歳という者に会ったと言う。 そしてその千歳は笙と同じく宮都で暮らしているということらしく、たまたま郷里に戻って来た時にサイネムが居たということで、笙から聞いたという話をしたのだと言う。
たまたま郷里に戻って来たわけではないのは知っているが、いちいちそんなことの理由を言うのも面倒だと、たまたまということにした。
キリアスは黙って聞いている。
「かなりの剣の使い手だと聞いたが?」
そんなはずはない。 兵の前ではそこそこ打ち合ってはいたが、それでも最後にはやられたように見せていた。
「笙という者、見る目があるそうだ」
「そう、ですか」
あの笙に見られていたということか。 諦めたかのように昔の話だと言って話し出した。
幼少の頃から州兵の父親に鍛えられ剣を教わっていた。 だが兵になるつもりはなかったということがあり、人前では絶対に剣を振らなかった。 だが旅に出れば身の危険がある。 その為、旅の間はずっと帯刀し必要があれば剣を振るっていた、ということであった。
「どう扱われるかは分かりませんので、あくまでも切りはしませんでしたが」
「そういうことか。 州王はキリアスが剣を使えることを知らないのか?」
「ええ、言っていません」
セイナカルの夢にすべて納得がいく。
だがどうしてだろう、幼い頃から二人は一緒に居たと言っていた。 それなのにどうして隠す必要があったのだろうか。
「なぜ州王に言わなかった」
「カーシャンは争いごとが好きではありませんでしたから」
「州王に合わせたということか」
「合わせたというか、人の嫌がることを敢えて見せたり言ったりする必要はないでしょう」
千歳の話からするに、キリアスがそう考えるのは万人に対してであろう。 だから人のことを考えるということになるということ。 だが疑問を持っているのはそれではない。
千歳の話ではキリアスはニッポニャンの国王に進言したということだった。 何事もはっきりと言い、そして考える間というものを持たない話し方だったということであった。
サイネムと話している時のキリアスはいつも言い淀んでいた。 そして必要以上に相手の立場になり過ぎていた。 それはピアンサとのことだけだと考えると、生死を分かつことになったからということなのかもしれないが。
今も間を空けることなく言い淀む様子も見られなかった。 だがピアンサとのことだけではない。
「州王のことをどう思っている」
「どう、と言われましても。 今となっては幼い頃から一緒に居たとしか言えません」
「今となる前は」
「・・・分かりません。 ずっと仲良くやっていたと思っていました。 王女の遊び相手と選ばれ、わたしの誇りでした。 でも・・・カーシャンは今わたしを必要とはしていない。 何故だか分からない、わたしが何をしてしまったのか分からない」
ピアンサの他に州王のこととなると言い淀む。 女州王との間柄を撤回されたということだったが、たとえ幼い頃から一緒に居たといっても単に撤回されただけで、生死を分かつことになったピアンサと同じような反応になるというのは納得がいかない。
「アリシアに対して考えることと州王に対して考えることは同じか」
言っている意味が分からないといった顔をし、少しく顔を傾け視線をサイネムから外した。 そして三つほど数えてからサイネムに目を合わせてくる。
「質問の答えになっているかどうかは分かりませんが。 アリシアには謝罪、後悔、ただただそれだけです。 それだけと言ってもまだまだ足りません。 ・・・カーシャンに対しては・・・さっき言ったように幼い頃から仲良くしていた。 それだけしか言えませんが、以前セイナカル様の側付きに言われたことがあります。 わたしはカーシャンのことになると、目が曇り思考が鈍り判断力に欠けていると」
そういうことか。 理由は違うがアリシアと州王に対してだけ判断が鈍るということか。 それで言い淀んだりするということか。
「十分な答えだ」
だが今となってはもう一つ気になることがある。 キリアスは『セイナカル様のお役に立つことで、少しでも州王に代わり詫びられればとは思っていますが』そう言っていた。 言い淀むような話ではない。
あの時はピアンサへ詫びる心と、ピアンサを死に追いやった女州王に付くという板挟みになっているのだろうか、そう思っていたが、どうして州王のために我が身を捨てるようなことをしなくてはならない。
(なにかある)
「州王には会えないのだな? わたしは」
「サイネムだけではなく誰も会えません」
「そうか」
「カーシャンに何か用ですか? それでしたら手紙は受け付けてもらえます」
「いや、いい。 それより旅から帰ってきて州王にあった後、何か記憶に残るようなことはなかったか」
「記憶に・・・いや、どうでしょうか。 旅から帰ってきて一番に父に報告に上がり、そのあと州王になったと聞いたカーシャンにも挨拶に行って、そのまま城に居ることになりましたが特に何かということは」
「そのまま? 一度も家に戻らなかったのか?」
「ええ、挨拶に行ったその場でカーシャンの供となりましたので」
「母親には会わずにいたのか?」
「ええ、何度かカーシャンに言いかけたのですが、結局戻らずじまいでした」
「母親とは仲は良くなかったのか?」
「いいえ、母とも妹とも仲は良かったです。 もちろん父とも」
「仲のいい妹も居た。 それなのに会わずにいた?」
「今から思うと色々考えることもありますが、その時はすぐに諦めたというか・・・なんでしょうか」
「呪師に会ったことはあるか」
「いいえありません」
「そうか。 分かった」
少し考えた様子を見せたサイネムが口を開く。
「キリアスの中を見てもいいか」
「中? 中とはどういうことですか?」
「呪をかけられている可能性がある。 それを探る」
「わたしに呪が?」
「可能性だ。 どうだ、いいか」
呪などかけられた覚えなどない。 まず呪師とさえ対峙したことがない。 だがサイネムがどれほどの呪師かはある程度知っているつもりである。 あの幼かった時ですら信じられないことをしていたのだから。
「はい」
「こちらを向き、今から何も話さず目を瞑るよう」
サイネムが立ち上がりキリアスの横に立った。 キリアスが方向を変えると言われたように目を瞑る。
サイネムが指を組み合わせ、その形を変える。 呪の言葉はほんの小さな声で口の中で小さく唱える。 指の形が止まった。
(そこか)
身体の中に納まっている呪の場所はすぐに分かった。 そこを凝視する。
(何故だ?)
その呪は間違いなくかけられているというのに、何かに押されているようである。 だからサイネムがすぐに気づかなかったというところがあったのだろう。
サイネムからすれば簡単に解くことの出来る呪ではあるが、その呪が一体何を目的にしているのかを探らなければ簡単に解くことはしたくない。 言ってみればこの呪によって良いことをもたらしているかもしれない場合もあるからである。 だがその可能性は薄い。
キリアスは呪師に会ったことがないと言っていた。 良い呪ならば呪師と会った記憶を消すはずはない。
指を動かしどのような呪であるかを探る。
(そういうことか)
必要の無い呪であることが分かった。 すぐに呪を解く。
「目を開けていい」
キリアスがそっと目を開けるのを見てサイネムが呪の説明をする。
特定の誰かにある事柄において強く言えないように、そしてその誰かのことだけを思う、また反対にその誰かのことを深く考えることが出来ないような呪をかけられていた。
だがキリアスは強い意識を持っていた。 その意識が呪を抑えこもうとしていた。 だからその誰かにある事柄を言い淀みながらも言ったり、深く考えられなくされていた為、思考、判断力に欠けながらも、それなりのことを言ったりしていたはず、ということであった。
「呪は解いた。 そのようなものは必要ないだろう」
キリアスにはある事柄とは言ったが、その事柄が何かは分かっている。 だがそんな小さな説明は要らないだろう。
「あ・・・はい、有難う御座います。 ですがいつそんなものをかけられたのか」
「ああ、言い忘れていた。 呪師に会った日のことは忘れるようにされていた」
「え? 呪とは・・・そんなことも出来るのですか」
サイネムが横目でキリアスを見る。
「呪のことを何も知らないようだな。 旅の中で呪師のことを話すことも無かったのか?」
「ええ、まったく。 この国では呪師はそこそこいますが、他国では呪師などそうそういませんから。 それにこの国の呪師とて森の民ほどの力は持っていないでしょう」
「そうか。 それで? かけたのが呪師であっても誰が依頼したかは分かっているな」
先程サイネムは『思考、判断力に欠けながらもそれなりのことを言ったりしていた』と言っていた。 それはジャジャムに言われたことと同じである。
『キリアスはカーシャンのことになると、目が曇り思考が鈍り判断力に欠けてきますね』
ジャジャムはそう言っていた。
それに、と思い出したことがもう一つあった。 オリシオンが言っていたことである。 カーシャンがおかしな動きを見せていたから、キリアスを疑っていたと言っていた。
サイネムも分かっている。 この呪のせいでキリアスが言い淀んでいたのだと。 そして意識によって抑えていたと言っても、呪によって色んなことが積み重なり、州王に代わりセイナカルに詫びるという言葉が出てきたのだろう。
(これで一枚が剝がれたか)
板挟み状態の片方の一枚の板が外れたはず。
どこを見るでもなくキリアスの顔は上げられている。 それなりに整理をし考えているのだろう。
「呪は解いた、考えも変わってくることだろう。 これからどうするかだが、前にも言ったようにアリシアのことは考えなくていい」
残りの一枚はこうして声をかける他にはない。 言い終わると立ち上がり部屋を出て行った。
サイネムが部屋を出るのを椅子に座ったまま見送ると大きな息を吐く。
どうしてカーシャンはそんな呪をキリアスにかけたのか。 全く分からない。